「保険をかけておけ」の根拠として引かれる実験が測っていたのは、内定ではなく実験課題の成績である
保険をかけておけ、と助言される。実験室で調べると、保険を用意するという行為そのものが、本命への意欲を下げていた。ただし、その実験が測ったのは実験課題の成績であって、内定でも就職でもない。
前の単位で、決まったあとの気持ちの目盛りが動く話をした。ここでは、決めきらずに候補を残しておく——その状態そのものに、いくらかかるのかを見る。
持ち場を狭めておく。思考法の棚と、恋愛と結婚の棚が「選択肢が多すぎると選べなくなる」を引き受けたので、この単位は選択肢を開けたままにしておくことの代償だけに絞る。選択肢の数そのものは主題にしない。
保険を用意した人は、本命の成績が下がった
2016年に *Organizational Behavior and Human Decision Processes* 135 へ出た研究がある。要旨の逐語はこうである。「予備の案を頭の中で考え通すという行為それ自体が、目標達成への欲求を下げることによって、あなたの第一の目標における遂行を低下させうると我々は提案する。三つの実験研究において、予備の案を考え通すよう無作為に割り当てられた個人は、その後、第一の目標における遂行が悪くなる(研究1から3)。さらに我々は、この効果が第一の目標を達成したいという欲求の低下によって媒介されることを示す(研究3)」。
標本の大きさと効果の大きさは、原典の逐語を取れなかった。だからここでは数値を書かない。書けるのは、向きと設計だけである。
ただし、測られたのは内定でも就職でもない
この研究が測ったのは、実験室で与えられた課題の成績である。応募の結果でも、内定でも、入ってから続いたかどうかでもない。そして、この距離は小さくない。
2012年に *Perspectives on Psychological Science* 7(2) へ出た検討は、実験室の結果が現場でどれだけ再現するかを、82のメタ分析から取った217の実験室・現場の対比で調べ直した。結果は一様ではなかった。産業・組織心理学の実験室の結果が最も確かに現場の結果を予測し、社会心理学の実験室で見つかった効果は現場で符号が入れ替わる(正から負へ、あるいはその逆へ)ことが最も多かった。そして、実験室で大きかった効果ほど、現場でも確かに再現した。
「実験室で示された」は、「現場でも起きる」の同義語ではない。どの分野の、どれくらい大きな効果か——そこまで見て初めて、距離の見当がつく。
開けておくために、人は何を払っているのか
2004年に *Management Science* 50(5) へ出た研究は、別の角度から同じ場所を突いた。使わないでいると消えていく選択肢を画面上に用意し、それを維持するために人がどう振る舞うかを見る4つの実験である。要旨の逐語。「消えてしまいそうな選択肢は、意思決定者にその選択肢を開いたままにしておくために、より多くの労力と金を投じさせる。その選択肢自体はほとんど関心を引かないように見える場合でさえもである」。
そして最後の実験が、その動機の中身を示した。逐語。「扉を開いたままにしておこうとする傾向の背後にある仕組みは、柔軟性への欲求というよりも、一種の損失回避である」。
「柔軟性があったほうがいいから残している」のではなく、「失うのが嫌だから残している」。動機が入れ替わっている。ただしこれも大学生を対象にした実験室のゲームであって、実際の職探しではない。
時間・変化:回を重ねても、費用が見えていても、減らなかった
同じ研究の要旨には、時間の側の観察も書かれている。この傾向は「結果についての情報にも、経験の増加にも、費用が目立つようにすることにも、頑健である」。やってみて分かっても、何度もやっても、いくらかかるか目の前に示しても、減らなかったということである。
慣れれば直る、という言い方は、この実験の範囲では支えられない。
「複数案を検討すると成功率が上がる」は、要旨に書かれていない
もう一つ、この単位でよく添えられる一般命題がある。複数の案を並べて検討したほうが、決定はうまくいく。典拠として引かれるのは、1993年に *Management Science* 39(9) へ出た研究である。168件の意思決定の事例を体系的に調べたものだ。
要旨に実際に書かれているのは、次のことだけである。複数の出どころから有用な実践と手順を統合した「統合された型」が最も成功したが、この戦術はめったに使われなかった。革新を求める「設計の戦術」の成功率は、緊急性があり、かつ複数の代替案が求められたときに改善した。すでに出来上がった解を持ち込む「着想の戦術」は、広く使われ、めったに成功しなかった。
「複数案を検討すると成功率が上がる」とは、どこにも書かれていない。書かれているのは、ある一つの戦術について、緊急性があり、かつ複数の代替案が求められたという二つの条件がそろったときに改善した、という限定つきの記述である。しかも対象は組織の意思決定であって、個人が働き口を選ぶ話ではない。
読まずに引かれる、という工程
なぜ限定条件が落ちるのか。2003年に *Complex Systems* 14 へ出た論文は、引用の中の誤植の分布を手がかりに、ある論文を引用した人のうち、実際に原典を読んだ人はおよそ20%だと推定した。残りは、他の論文の引用リストから写している。
2014年に *Social Studies of Science* 44(4) へ出た論文は、そうやって育った主張を学術的な都市伝説と呼んだ。取り上げた実例は、小数点の位置の誤りが、ほうれん草は鉄分の優れた供給源だと数百万の人に信じ込ませたという一件である。著者は、この現象の説明がふつう「著者が怠惰か、ずさんか、不正に出典を扱い、査読者と編集者が原稿の評価でその弱点を見つけられなかった」ことに求められる、と書いている。
条件が一つ落ちるたびに、文は短くなり、引きやすくなる。引きやすさは、正しさとは関係がない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、実験室で測ったものを、そのまま自分の状況の名前で呼ぶことである。あの研究が測ったのは課題の成績であって、選考の結果ではない。第二の妨げは、限定条件のついた記述を、条件を外して覚えることだ。「緊急性があり、かつ複数の代替案が求められたとき」の「かつ」は、覚えにくいから最初に落ちる。
標本の偏りを断っておく。ここで挙げた実験の対象は、欧米の大学生と実験参加者である。日本の職探しを対象にした同種の査読研究はごく少ない。組織の意思決定の研究は事例が対象であって、個人の選択ではない。そして何より、もともと選択肢の多い人ほど、その方法を試せる、という逆向きを排除できない。候補を並行して残しておけるかどうかは、蓄えや家族の事情や期限のほうが先に決めている。
助けるのは、維持費を金額ではなく時間で見ることである。それぞれの候補を生かしておくために、今日いくら時間を使ったか。数えれば、開けたままにしている理由が、柔軟性なのか、失うのが嫌なのかが、少しだけ見分けやすくなる。
最初の一歩は5分。いま並行して残している選択肢を数え、そのそれぞれについて、今日そこに使った時間を記録する。0分でもよい。0分が続いている候補があること自体が、一つの情報である。
次の単位は 093「自己呈示・表現力」——ここまでの三つの段で、自分を見て、相手を見て、突き合わせてきた。次の段から先は、実際に外へ向けて動く話になる。
- 2016年に Organizational Behavior and Human Decision Processes 135 へ出た研究の要旨は、予備の案を頭の中で考え通す行為それ自体が、目標達成への欲求を下げることで第一の目標における遂行を低下させうると述べ、三つの実験研究でその効果を報告している。効果は第一の目標を達成したいという欲求の低下によって媒介された
- その研究が測ったのは実験室で与えられた課題の成績であって、応募の結果でも内定でも就職でもない。標本の大きさと効果の大きさは原典の逐語を取れなかったため、この単位では数値を出していない
- 2012年に Perspectives on Psychological Science 7(2) へ出た検討は、82のメタ分析から取った217の実験室・現場の対比を調べ、産業・組織心理学の実験室の結果が最も確かに現場を予測し、社会心理学の実験室で見つかった効果は現場で符号が入れ替わることが最も多く、実験室で大きかった効果ほど現場でも確かに再現したと報告した
- 2004年に Management Science 50(5) へ出た4つの実験では、消えてしまいそうな選択肢を開いたままにしておくために、人はより多くの労力と金を投じた——その選択肢自体はほとんど関心を引かないように見える場合でさえも。最後の実験は、その仕組みが柔軟性への欲求というよりも一種の損失回避であることを示した
- 同じ研究の要旨によれば、この傾向は結果についての情報にも、経験の増加にも、費用が目立つようにすることにも頑健だった。慣れれば直るという言い方は、この実験の範囲では支えられない
- 1993年に Management Science 39(9) へ出た168件の意思決定事例の研究の要旨には、「複数案を検討すると成功率が上がる」とは書かれていない。書かれているのは、統合された型が最も成功したがめったに使われなかったこと、設計の戦術の成功率は緊急性があり、かつ複数の代替案が求められたときに改善したこと、着想の戦術は広く使われめったに成功しなかったことである。対象は組織の意思決定である
- 2003年に Complex Systems 14 へ出た論文は、引用の中の誤植の分布から、ある論文を引用した人のうち原典を実際に読んだのはおよそ20%だと推定した。2014年に Social Studies of Science 44(4) へ出た論文は、小数点の位置の誤りがほうれん草を鉄分の優れた供給源だと数百万の人に信じ込ませた一件を、学術的な都市伝説の実例として扱っている
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 予備の案を用意すると本命がおろそかになる、と就職の研究で示されている | 示されているのは、予備の案を考え通した人が、そのあとの実験室の課題で成績を落としたということである。三つの実験研究で報告されており、効果は第一の目標を達成したい欲求の低下によって媒介された。しかし測られたのは課題の成績であって、応募の結果でも内定でも就職でもない。そして事前登録された追試は見つからなかった |
| 複数の案を検討したほうが、決定はうまくいくと確かめられている | よく引かれる168件の事例研究の要旨には、その一般命題は書かれていない。書かれているのは、ある一つの戦術について、緊急性があり、かつ複数の代替案が求められたという二つの条件がそろったときに成功率が改善した、という限定つきの記述である。しかも対象は組織の意思決定であって、個人が働き口を選ぶ話ではない |
| 選択肢を開けたままにしておくのは、柔軟性を確保するための合理的なふるまいだ | 4つの実験でその動機を調べたところ、背後にあるのは柔軟性への欲求というよりも一種の損失回避だった。しかも人は、ほとんど関心を引かないように見える選択肢に対してさえ、消えそうになると労力と金を投じた。この傾向は結果を知らされても、経験を重ねても、費用を目立たせても減らなかった |
予備の案を持っておけ、というのは、たいへん親切な助言である。言うほうにも負担がなく、聞くほうも反論しにくい。根拠として添えられる実験のほうは、そこまで親切ではない。あれが測ったのは、実験室で与えられた課題の点数だ。もう一つの根拠として添えられる168件の事例研究に至っては、その助言を要旨のどこにも書いていない。皮肉なのは、こうして条件が一つずつ落ちていく工程を説明した論文のほうもまた、たいてい原典を読まれずに引かれている、というところである。
Q1. 2016年の研究の要旨によれば、予備の案を考え通す行為は ____ を下げることによって、第一の目標における ____ を低下させうる。実験は ____ つあり、測られたのは ____ の成績であって、内定でも就職でもない。穴埋め
Q2. 1993年の168件の事例研究の要旨に、実際に書かれている「設計の戦術」についての記述を、限定条件を落とさずに述べなさい。一問一答
Q3. 2004年の4つの実験が示した、選択肢を開いたままにしておこうとする傾向の「背後にある仕組み」は何か。要旨の言い方で答えなさい。一問一答
Q4. 2012年に Perspectives on Psychological Science 7(2) へ出た検討の結果として正しいものはどれか。選択
Q5. 限定条件が落ちて一般命題ができあがる工程を、この単位で述べた順に並べなさい。/(ア)短くなった文が、条件抜きで覚えられ、引かれ続ける/(イ)原典の要旨に、二つの条件つきの限定的な記述が書かれる/(ウ)引用する人の多くが原典を読まず、他の論文の引用リストから写す/(エ)引かれるたびに、限定条件と対象の限定が一つずつ落ちる並べ替え
いま並行して残している選択肢を書き出して数える。応募先でも、検討中の働き方でも、続けるか変えるか決めていない状態でもよい。次に、そのそれぞれについて、今日そこに使った時間を分単位で記録する。調べた時間、書いた時間、考えていた時間を含めてよい。0分でよい。最後に、合計時間と、0分だった候補の件数を書き添える。いま働いていない場合や、これから初めて働く場合は、選択肢の代わりに「まだ決めていない進み方」を同じように並べて、それぞれに今日使った時間を記録すればよい。この課題は自分の記録だけで完結し、誰かに連絡したり確かめたりする必要はない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Shin J., Milkman K.L. (2016) 'How backup plans can harm goal pursuit: The unexpected downside of being prepared for failure', Organizational Behavior and Human Decision Processes 135:1-9 — doi.org
- Mitchell G. (2012) 'Revisiting Truth or Triviality: The External Validity of Research in the Psychological Laboratory', Perspectives on Psychological Science 7(2):109-117 — doi.org
- Shin J., Ariely D. (2004) 'Keeping Doors Open: The Effect of Unavailability on Incentives to Keep Options Viable', Management Science 50(5):575-586 — doi.org
- Nutt P.C. (1993) 'The Identification of Solution Ideas During Organizational Decision Making', Management Science 39(9):1071-1085 — doi.org
- Simkin M.V., Roychowdhury V.P. (2003) 'Read before you cite!', Complex Systems 14:269-274 — arxiv.org
- Rekdal O.B. (2014) 'Academic urban legends', Social Studies of Science 44(4):638-654 — doi.org