「高要求・低裁量」という短い言葉は、支持された主張と支持されていない主張を一緒に運んでいる
要求が高くて裁量が低い職場は危ない、とよく言われる。この一文は二つの主張を畳んでいる——足し算と、掛け算である。1998年から2007年までの83件を集めて分けて判定すると、支持されたのは片方だけだった。
前の単位で、自分が何で機能を落とすかを、自分の記憶からどこまで取り出せるかを見た。ここから相手の側を見る段に入る。最初に見るのは、働く場そのものである。
持ち場を狭めておく。心身の不調にどう対処するかは健康の棚の持ち場なので、ここでは労働環境について何がどこまで確かめられているかだけを書く。読者の体調への助言は、この単位には1行も無い。
原典が言っていたのは、燃え尽きではなかった
出発点は1979年、*Administrative Science Quarterly* に出た論文である。よく「高要求・低裁量の職場は燃え尽きを招く」と要約されるが、原典の言い方は違う。要旨にはこう書かれている——「一貫して見いだされたのは、低い裁量と重い要求の組み合わせが、精神的緊張と結びついているということである。この同じ組み合わせは、職務不満とも結びついている」。
測られたのは精神的緊張と職務不満であって、燃え尽きではない。燃え尽きは後の文献での拡張である。しかもこの論文の分析は、スウェーデンと米国の全国調査の、男性の労働者に限られている。論文自身が、女性については家事という追加の要求が絡むため関係が複雑になる、と断っている。
足し算の主張と、掛け算の主張
「要求が高くて裁量が低い職場は危ない」という言い方は、実は二つの主張を畳んでいる。足し算の主張——要求が重いこと、裁量が乏しいこと、支えが薄いことは、それぞれ独立に良くない。そして掛け算の主張——裁量や支えは、要求の害を打ち消す緩衝材として働く。
2007年に *Journal of Managerial Psychology* へ出た総説は、後者を正面から掲げている。仕事の資源は「仕事の要求が緊張に及ぼす影響を和らげうる」というのが、その主要な命題の一つである。ここで大事なのは、足し算と掛け算は別の主張であり、別々に確かめなければならないということだ。
掛け算のほうは、支持されていない
2010年に *Work & Stress* へ出た総説は、1998年から2007年までの83件の研究を集めて、この二つを分けて判定した。結論は三つである。
第一に、要求・裁量・支えの足し算の効果は、標本の大きさが十分であればほとんどいつも見いだされる。第二に、仕事に関わる幸福感については、横断研究では一貫して足し算が支持されたが、縦断のデータでは支持の度合いが下がった。総説はここから、相互の因果、あるいは逆向きの因果が関連の一部を説明しているかもしれない、と書いている。第三に——緩衝の仮説が予測する交互作用の証拠は、全体として非常に弱かった。
2003年に *Journal of Occupational Health Psychology* へ出た検討は、方法の質のほうから同じ場所を突いている。この枠組みを縦断で調べた45件を、設計・時間差・尺度の質・分析法・脱落分析の5基準で採点したところ、すべての基準を満たしたのは19件(42%)だった。その質の高い研究群が示したのは、高い要求と低い裁量の組み合わせが強い緊張を生むという仮説への穏やかな支持にとどまる、というものである。一方で、仕事の特性が後の状態に効くという時間差の因果については、良好な証拠が見つかったとしている。
確実に効いているのは、掛け算ではなく時間である
2021年に *Environment International* へ出た世界保健機関と国際労働機関の共同推計は、194か国を対象に、週55時間以上の労働への曝露を数えた。2016年時点で4億8,800万人(不確実性の範囲4億7,200万〜5億300万人)、世界人口の8.9%が、この長さの労働に曝されていた。虚血性心疾患と脳卒中を合わせて、74万5,194人の死亡と2,330万年の障害調整生存年が、この曝露に帰せられると推計されている。
ここで一つ、数字の形に注意しておく。この推計に 3.7 という値が出てくるが、単位は「倍」ではなく % である。死亡についての人口寄与割合が、虚血性心疾患で 3.7%、脳卒中で 6.9% という意味だ。桁と字面が同じでも、単位が違えば別のものである。
同じ推計事業が、心の側については「判断できない」と結論した
同じ共同推計の一部として、2021年に同じ誌へ出たもう一本は、長時間労働とうつの関係を22件のコホート研究で調べた。週55時間以上と週35〜40時間の比較で得られたのは、オッズ比 1.08(95%信頼区間 0.94〜1.24、17件・9万1,142人、証拠の質は低い)である。著者たちの判定は、三つの曝露区分すべてについて「有害性についての証拠は不十分」であり、「利用可能な証拠は、この曝露の影響を評価するには不足している」というものだった。
心臓と脳血管については推計ができ、心の側については判定を保留した。同じ研究事業が、同じ手続きで、そう分けたということである。
時間・変化:無作為化で動いたのは、成果ではなく離職だった
2024年に *Nature* へ出た試験は、中国の一つのテック企業で、1,612人を対象に6か月の無作為化比較試験を行った。在宅勤務を週2日混ぜる働き方に割り付けた群では、職務満足が上がり、離職率が3分の1減った——対照群 7.20% に対して処置群 4.80% である。
動かなかったもののほうが多い。その後2年ぶんの評価で、成績の評定に差は出ず、昇進にも差は見られず、技術者が書いたコードの行数にも影響は無かった。同じ試験で、395人の管理職は、実験の前は生産性への影響を平均 −2.6% と見積もっていたが、実験の後には +1.0% と答えている。見積もりのほうが、実測よりよく動いた。ただしこれは中国の一つの企業を対象にした試験であり、他の国や業種で同じかは別に確かめる必要がある。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、足し算と掛け算を一語にまとめてしまうことである。「高要求・低裁量」という短い言い方は、支持されている主張と支持されていない主張を同時に運ぶ。第二の妨げは、横断の数字を因果として読むことだ。縦断にすると支持が下がる、というのは、順序が逆かもしれないという合図である。
標本の偏りを断っておく。ここで挙げた研究の対象は、欧州・北米・東アジアの、すでに雇用されている人である。1979年の分析は男性に限られ、2024年の試験は中国の一つの企業に限られている。日本の労働市場を対象にした査読研究はごく少ない。そして、こうした比較で見えた関連からは、もともと選択肢の多い人ほど、その方法を試せる、という逆向きを排除できない。在宅勤務を選べる職種と、選べない職種がある。
助けるのは、測れるものを2つに分けて数えることである。要求の側は時間で数え、裁量の側は「自分で決められた事柄の件数」で数える。どちらも記憶ではなく記録で取る。
最初の一歩は5分。今日の始業・終業・休憩の時刻を書き、そのうえで、今日1日で自分の判断だけで決めた事柄をいくつ数えられるかを書く。
次の単位は 087「職務適合性の評価力」——ここでは職場そのものを見た。次の段では対象を一段細かくして、その職場の中の一つの職務を見る。
- Karasek 1979(Administrative Science Quarterly 24(2):285-308)の要旨が言っているのは「低い裁量と重い要求の組み合わせが精神的緊張と結びつき、この同じ組み合わせは職務不満とも結びついている」である。測られたのは燃え尽きではない。分析はスウェーデンと米国の全国調査の男性労働者に限られており、女性については家事という追加の要求が絡むと論文自身が断っている
- 「要求が高く裁量が低い職場は危ない」は二つの主張を畳んでいる。要求・裁量・支えがそれぞれ独立に効くという足し算の主張と、裁量や支えが要求の害を打ち消すという掛け算(交互作用)の主張である。Bakker & Demerouti 2007(Journal of Managerial Psychology 22(3):309-328)が掲げるのは後者で、仕事の資源は要求が緊張に及ぼす影響を和らげうる、としている
- Häusser, Mojzisch, Niesel & Schulz-Hardt 2010(Work & Stress 24(1):1-35)は1998年から2007年までの83件を集めて二つを分けた。足し算の効果は標本の大きさが十分であればほとんどいつも見いだされる。仕事に関わる幸福感については横断で一貫して支持されたが縦断では支持が下がり、相互の因果または逆向きの因果が関連の一部を説明しているかもしれないとした。緩衝仮説が予測する交互作用の証拠は、全体として非常に弱かった
- de Lange, Taris, Kompier, Houtman & Bongers 2003(Journal of Occupational Health Psychology 8(4):282-305)は、この枠組みの縦断研究45件を5つの基準で採点し、すべてを満たしたのは19件(42%)だった。その質の高い研究群が示したのは、高い要求と低い裁量の組み合わせが強い緊張を生むという仮説への穏やかな支持にとどまる。一方、仕事の特性が後の状態に効くという時間差の因果には良好な証拠があった
- Pega ら 2021(Environment International 154:106595)の世界保健機関・国際労働機関共同推計では、2016年時点で4億8,800万人(範囲4億7,200万〜5億300万人)、世界人口の8.9%が週55時間以上の労働に曝されていた。虚血性心疾患と脳卒中を合わせて74万5,194人の死亡と2,330万年の障害調整生存年がこの曝露に帰せられる。死亡についての人口寄与割合は虚血性心疾患3.7%、脳卒中6.9%で、単位は倍ではなくパーセントである
- 同じ共同推計のもう一本、Rugulies ら 2021(Environment International 155:106629)は、長時間労働とうつの関係を22件のコホート研究で調べた。週55時間以上と週35〜40時間の比較でオッズ比1.08(95%信頼区間0.94〜1.24、17件・9万1,142人、証拠の質は低い)。判定は三つの曝露区分すべてについて「有害性についての証拠は不十分」であり、影響を評価するには証拠が足りないというものだった
- Bloom, Han & Liang 2024(Nature 630(8018):920-925)は、中国の一つのテック企業で1,612人を対象に6か月の無作為化比較試験を行った。週2日の在宅を混ぜる働き方で離職率は3分の1減り、対照群7.20%に対し処置群4.80%。その後2年の成績評定・昇進・技術者の書いたコード行数には影響が見られなかった。395人の管理職の見積もりは、実験前の−2.6%から実験後の+1.0%へ動いた
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 高い要求と低い裁量が重なる職場では、燃え尽きの危険が跳ね上がる。これは1979年の古典的な研究で確かめられている | 1979年の原典が測ったのは精神的緊張と職務不満であって、燃え尽きではない。しかも「重なると跳ね上がる」という掛け算の部分こそが、その後もっとも支持されていない。1998年から2007年までの83件を集めた2010年の総説は、緩衝仮説が予測する交互作用の証拠は全体として非常に弱いと判定した。支持されているのは、要求・裁量・支えがそれぞれ独立に効くという足し算のほうである |
| 横断調査で相関が出ているのだから、悪い職場環境が不調を引き起こしていると考えてよい | 2010年の総説は、仕事に関わる幸福感について、横断研究では一貫して足し算が支持されたのに縦断のデータでは支持の度合いが下がったと報告し、相互の因果または逆向きの因果が関連の一部を説明しているかもしれないと述べている。2003年に縦断研究45件を5基準で採点した検討でも、すべてを満たしたのは19件(42%)で、組み合わせの仮説への支持は穏やかなものにとどまった |
| 在宅勤務を混ぜると成果が落ちるので、通勤して働くほうが会社にも本人にも得である | 中国の一つのテック企業で1,612人を6か月無作為に割り付けた2024年の試験では、週2日の在宅を混ぜた群で離職率が3分の1下がり(7.20%対4.80%)、その後2年の成績評定・昇進・技術者の書いたコード行数には影響が見られなかった。同じ試験で395人の管理職の見積もりは、実験前の−2.6%から実験後の+1.0%へ動いている。ただし対象は一国の一企業であり、他の業種で同じかは別に確かめる必要がある |
短い言い方は便利である。「高要求・低裁量」は四文字ずつで済み、会議でも面接でも通る。ただしその中には、標本さえ足りればほぼ必ず見つかる主張と、10年ぶん83件を集めてもほとんど見つからない主張が、同じ重さで詰まっている。皮肉なのは、職場を見積もる力の話をしているこの領域で、いちばん大ざっぱに見積もられてきたのが、その言葉そのものだったことである。
Q1. 1979年の原典の要旨が述べているのは、低い裁量と重い要求の組み合わせが ____ と結びつき、この同じ組み合わせが ____ とも結びついている、ということである。分析の対象は ____ の労働者に限られていた。穴埋め
Q2. 「要求が高く裁量が低い職場は危ない」という一文が畳んでいる二つの主張を区別し、1998年から2007年までの83件を集めた総説がそれぞれをどう判定したかを述べよ。一問一答
Q3. 2021年の世界保健機関・国際労働機関の共同推計が、週55時間以上の労働について報告した数字を挙げよ。あわせて、この推計に出てくる 3.7 という値の単位が何であるかも書け。一問一答
Q4. 同じ共同推計のうち、長時間労働とうつの関係を調べた一本は、どのような判定を下したか。数字を添えて述べよ。一問一答
Q5. 中国の一つのテック企業で1,612人を6か月無作為に割り付けた2024年の試験で、差が見られなかったのはどれか。選択
今日(今日が休みなら直近の勤務日)について、次の二つを記録する。ひとつ、始業の時刻・終業の時刻・休憩を取った時刻と長さ。ふたつ、その日のうちに、自分の判断だけで決めた事柄の件数。手順の順番を変えた、休憩を取る時刻をずらした、先に片づける仕事を選んだ——そういう小さなものでよい。件数だけを数え、内容の良し悪しは書かない。要求の側は時間で、裁量の側は件数で取る、というだけの記録である。誰かに確認したり、上司や同僚の判断を評価したりはしない。いま働いていない場合や、これから初めて働く場合は、直近で継続的に取り組んだ活動(学び直し、家事、介護、地域の役割、求職のための作業など)を1つ選び、その開始と終了と休憩の時刻、そして自分の判断だけで決めた事柄の件数を同じ形で記録すればよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Karasek R.A. Jr. (1979) 'Job Demands, Job Decision Latitude, and Mental Strain: Implications for Job Redesign', Administrative Science Quarterly 24(2):285-308 — www.jstor.org
- Häusser J.A., Mojzisch A., Niesel M., Schulz-Hardt S. (2010) 'Ten years on: A review of recent research on the Job Demand-Control (-Support) model and psychological well-being', Work & Stress 24(1):1-35 — www.tandfonline.com
- de Lange A.H., Taris T.W., Kompier M.A.J., Houtman I.L.D., Bongers P.M. (2003) 'The very best of the millennium: Longitudinal research and the demand-control-(support) model', Journal of Occupational Health Psychology 8(4):282-305 — psycnet.apa.org
- Bakker A.B., Demerouti E. (2007) 'The Job Demands-Resources model: state of the art', Journal of Managerial Psychology 22(3):309-328 — www.isonderhouden.nl
- Pega F., Náfrádi B., Momen N.C. ほか (2021) 'Global, regional, and national burdens of ischemic heart disease and stroke attributable to exposure to long working hours for 194 countries, 2000-2016: A systematic analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury', Environment International 154:106595 — doi.org
- Rugulies R., Sørensen K., Di Tecco C. ほか (2021) 'The effect of exposure to long working hours on depression: A systematic review and meta-analysis from the WHO/ILO Joint Estimates of the Work-related Burden of Disease and Injury', Environment International 155:106629 — doi.org
- Bloom N., Han R., Liang J. (2024) 'Hybrid working from home improves retention without damaging performance', Nature 630(8018):920-925 — www.nature.com