合わない職場の代償として配られている二つの数字は、どちらも出どころが無い
「不適合は早期離職の最大の予測因子、オッズ比 3.1」。「事前に把握すればミスマッチは4割減る」。どちらの数字も、原著が見つからない。しかも、その二つを補うはずの自分の記憶のほうも、思っている向きには歪んでいない。
前の単位で、仕事に対する構えは、同じ職種の中でさえ割れていることを見た。ここでは向きを裏返す——何に没入するかではなく、何があると自分の働きが落ちるか、である。
持ち場を狭めておく。人が職場を去る理由の一覧や、板挟みと宙ぶらりんが何を削るかは、組織の基盤の棚が扱った。ここで扱うのは、自分が何で機能を落とすかを、自分で思い出せるか——それだけである。
二つの数字を、探しにいく
合わない環境を先に知っておけ、という助言には、たいてい同じ二つの数字が付いてくる。「人と環境の不適合は早期離職の最大の予測因子である(オッズ比 3.1)」と、「合わない条件を事前に把握しておけば、ミスマッチはおよそ4割減る」である。
どちらも原著にたどり着けなかった。査読誌の索引を、適合・不適合・離職・オッズ比の組み合わせで引いても、3.1 という値を報告した論文は出てこない。「4割減る」のほうは、出典を書いていない人材サービスの解説記事の中でだけ見つかった。その記事の参考文献欄をたどっても、行き先が無い。
ここは正確に書いておく。「存在しない」とは言えない。言えるのは、公開されている査読誌の索引と、その数字を引いている記事の参考文献欄をたどった範囲では、一次情報に到達できなかった、ということだけである。有料の壁の内側や、社内の報告書の中にある可能性は残る。ただし、根拠として配るなら、たどれる場所に置いてあるべきではある。
3.1 は、単位を書かないと意味が決まらない
もう一つ、この数字には形の問題がある。オッズ比・ハザード比・相関係数・割合は、別々の量である。オッズ比は「起きる見込みの比」、ハザード比は「ある時点での起こりやすさの比」、相関係数は −1 から 1 までの範囲に収まる量、割合は 100 を上限にする量だ。
だから 3.1 という値は、少なくとも相関係数ではありえない。単位の書かれていない数字は、どちらの意味にも読めるという意味で、どちらの意味でもない。
「実際に辞めたか」を測った研究は、珍しい
2020年に *Applied Psychology* へ出た研究は、題名にわざわざ 「実際の離職(actual turnover)」 と入れている。台湾の新入社員を、複数の情報源から、時間をあけて追った研究である。示されたのは、職務との不適合と実際の離職の結びつきが、周囲の集団との相性によって弱まるということだった。単独で何倍になる、という形の主張ではない。
題名に「実際の」と断らなければならないこと自体が、この領域の相場を示している。多くの研究が測っているのは、辞めたかどうかではなく、辞めたいと思うかである。
同じ人に、同じ日に訊いた数字は、膨らむ
1998年に *Organizational Research Methods* へ出た論文は、社会科学6誌の12年分から、同じ対象を複数の方法で測った相関行列をすべて集め、構造方程式とメタ分析で分解した。結果はこうである。測定の分散のうち、測ろうとしていた中身に帰せられるのは 46%。同じ測り方そのものに帰せられるのが 32%。そして構成概念どうしの観測された関係には、26% の偏りが生じる。
ここで論文の最後の一句を落としてはいけない。著者たちはこう書いている——「この水準の偏りは懸念すべきものだが、多くの研究知見を無効にするものではない」。
2010年に *Journal of Business and Psychology* へ出た論文は、その落とし方のほうを問題にした。「自己申告どうしの関係は必ず膨らんでいる」「別の情報源のほうが常に優れている」という受け取り方を、査読する側に広まった誤解として名指ししている。同じ論文は、事後に統計で補正するやり方にもいずれも難点があると述べている。膨らむのは事実だが、膨らむからといって捨てる話にはならない。
時間・変化:思い出すときに、歪みの向きが変わる
では、自分の記憶のほうはどうか。2020年に *Motivation and Emotion* へ出た経験サンプリング研究は、72人・534件の出来事を、その場と後日の両方で測った。平均として起きていたのは、直感と逆のことである。良かった感情のほうが回顧で過大に見積もられ、嫌だった感情はむしろ正確に思い出されていた。嫌だった側が過大になったのは、本人にとっての重要度が低く、そのときの気持ちのはっきりしなさが大きかった出来事に限られていた。
断っておく。これは感情一般を対象にした研究であって、職場での出来事に限った直接の証拠ではない。
ところが、2009年に *Emotion* へ出た研究は逆を出している。前日を場面ごとに再構成させる方法で、女性810人と615人を対象に測ったところ、一日をまとめて評価する枠で答えさせると、実際に感じていたよりも不快な感情を多く思い出した。しかもずれは、快の側より不快の側で大きかった。
この二つは矛盾していない。違うのは訊き方である。出来事ごとに訊くか、一日をまとめて評価させるか。歪みの向きは、思い出す枠のほうで決まる。だから「あの職場は嫌だった」という一括りの記憶と、「火曜の午後にこれが起きた」という記録は、別の計器だと思ったほうがいい。
代表論文として挙がっているものが、効果を測っていない
この話題の代表文献として、1996年の一本がよく挙がる。ただしそれは論文ではない。*Research in Organizational Behavior* 第18巻に収められた 1〜74ページの理論章であり、出版元は学術書の版元である。
理論章は、仕事の中の出来事が気分を動かし、気分が態度を動かす、という道筋を整理したものだ。効果を一つも測っていない。測っていないものを効果の根拠として引くと、引用の鎖の先で、いつのまにか「確かめられている」ことになる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、記憶を唯一の計器として使うことである。記憶は、思い出す枠によって向きを変える。第二の妨げは、単位のない数字を受け取ることだ。3.1 も「4割」も、何と何の比なのかが書かれていない。
標本の偏りを断っておく。ここで挙げた研究の対象は、米国・欧州・アジアの、すでに働いている人か、調査に答えられる状態にある人である。日本の労働市場を対象にした査読研究はごく少ない。測られた期間も短く、経験サンプリングは数日から数週間である。そして何より、こうした研究で見えた関連からは、もともと選択肢の多い人ほど、その方法を試せる、という逆向きを排除できない。辞める前に次を探せる人と、探せない人では、記録に残るものが違う。
助けるのは、計器を1つ足すことである。記憶に頼らず、出来事の側をその日のうちに書き留める。一日をまとめて評価しない。場面を1つに絞る。
最初の一歩は3分。直近で「もう嫌だ」と思った場面を1つだけ挙げ、そのとき何が起きていたかを、人ではなく状況の言葉だけで1行書く。誰が悪かったかではなく、何が何回、どの順で起きたかを書く。
次の単位は 086「労働環境評価力」——ここまでは自分の側だけを見てきた。ここから先は、相手の側を見る段に進む。
- 「人と環境の不適合は早期離職の最大の予測因子(オッズ比 3.1)」「合わない条件の事前把握でミスマッチが約4割低下」——この二つの数字は、査読誌の索引と、数字を引いている記事の参考文献欄をたどった範囲では一次情報に到達できなかった。存在しないとは書けないが、根拠としてたどれる場所には置かれていない
- オッズ比・ハザード比・相関係数・割合は別々の量である。相関係数は −1 から 1 までの範囲に収まるので、3.1 という値は少なくとも相関係数ではありえない。単位の書かれていない数字は、どの意味にも読めるという意味で、どの意味でもない
- Chi N.-W., Fang L.-C., Shen C.-T., Fan H.-L. 2020(Applied Psychology 69(4):1361-1395)は、題名に「実際の離職」と明記した数少ない研究の一つ。台湾の新入社員を複数の情報源から時間をあけて追い、職務との不適合と実際の離職の結びつきが、周囲の集団との相性によって弱まることを示した。単独で何倍という形の主張ではない
- Doty & Glick 1998(Organizational Research Methods 1(4):374-406)は、社会科学6誌の12年分から、同じ対象を複数の方法で測った相関行列をすべて集めて分解した。測定の分散のうち中身に帰せられるのは 46%、同じ測り方そのものに帰せられるのが 32%、構成概念どうしの観測された関係には 26% の偏りが生じる
- ただし同じ論文は「この水準の偏りは懸念すべきものだが、多くの研究知見を無効にするものではない」と結んでいる。Conway & Lance 2010(Journal of Business and Psychology 25(3):325-334)は、「自己申告どうしの関係は必ず膨らんでいる」「別の情報源のほうが常に優れている」という受け取り方を、査読する側に広まった誤解として名指しした
- Ottenstein & Lischetzke 2020(Motivation and Emotion 44(3):464-473)の経験サンプリング(72人・534件の出来事)では、平均として良かった感情のほうが回顧で過大に見積もられ、嫌だった感情はむしろ正確に思い出されていた。嫌だった側が過大になったのは、本人にとっての重要度が低く、そのときの気持ちのはっきりしなさが大きかった出来事に限られる。感情一般を対象にした研究であって、職場の出来事に限った証拠ではない
- Miron-Shatz, Stone & Kahneman 2009(Emotion 9(6):885-891)は逆を出した。前日を場面ごとに再構成させる方法で女性810人と615人を測ると、一日をまとめて評価する枠では、実際に感じていたより不快な感情を多く思い出し、ずれは快より不快で大きかった。歪みの向きは、思い出す枠のほうで決まる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 合わない環境は早期離職の最大の予測因子で、オッズ比 3.1 という数字が出ている。事前に把握しておけばミスマッチは4割減る | どちらの数字も原著に到達できなかった。査読誌の索引を、適合・不適合・離職・オッズ比の組み合わせで引いても 3.1 を報告した論文は出てこず、「4割減る」は出典を書いていない解説記事の中でだけ見つかった。存在しないとは書けないが、根拠としてたどれる場所には無い。そして 3.1 という値は、相関係数ではありえない。オッズ比・ハザード比・相関係数・割合は別々の量である |
| 自分が何に耐えられなかったかは、思い出せば分かる。嫌だったことほど記憶に強く残っているから、むしろ誇張ぎみに見積もっておけばよい | 向きは一定ではない。72人・534件の出来事を追った経験サンプリングでは、平均として過大に見積もられたのは良かった感情のほうで、嫌だった感情はむしろ正確に思い出されていた。逆に、前日を一日単位でまとめて評価させた研究(女性810人と615人)では、不快な感情のほうが多く思い出された。決めているのは出来事の性質ではなく、思い出す枠である |
| この分野には代表論文があり、仕事の中の出来事が満足や離職に効くことは1996年の時点で確かめられている | その1996年の文献は論文ではなく、Research in Organizational Behavior 第18巻に収められた 1〜74ページの理論章である。仕事の中の出来事が気分を動かし、気分が態度を動かすという道筋を整理したもので、効果は一つも測っていない。測っていないものが引用の鎖の先で「確かめられている」ことになるのが、この話題でいちばん起きやすい事故である |
数字には、単位を落としても字面が残るという便利な性質がある。3.1 は 3.1 のまま、資料から資料へ渡っていける。皮肉なのは、合わない環境を早めに見抜けと説くこの話題で、いちばん見抜かれずに流通していたのが、その助言に添えられた数字のほうだったことである。ついでに言えば、その助言が頼りにしろと言う記憶のほうも、良かった日のことを少し盛って覚えている。
Q1. 1998年に Organizational Research Methods へ出た分解によれば、測定の分散のうち測ろうとしていた中身に帰せられるのは ____%、同じ測り方そのものに帰せられるのが ____% で、構成概念どうしの観測された関係には ____% の偏りが生じる。ただし論文は、この水準の偏りは懸念すべきものだが多くの研究知見を ____ ものではない、と結んでいる。穴埋め
Q2. 2020年に Motivation and Emotion へ出た経験サンプリング(____人・____件の出来事)では、平均として ____ 感情のほうが回顧で過大に見積もられ、____ 感情はむしろ正確に思い出されていた。穴埋め
Q3. 「オッズ比 3.1」と「ミスマッチが約4割低下」という二つの数字について、どこを探して何が分かったかを述べよ。あわせて、なぜ「存在しない」とは書けないのかも書け。一問一答
Q4. 2009年に Emotion へ出た、前日を場面ごとに再構成させる研究(女性810人と615人)の結果はどれか。選択
Q5. この話題の代表文献としてよく挙げられる1996年の文献は、実際には何か。選択
直近1か月のうちで、「もう嫌だ」「これ以上は無理だ」と思った場面を1つだけ選ぶ。次に、そのとき何が起きていたかを1行だけ書く。条件は一つ、人ではなく状況の言葉だけを使うことである。誰が悪かったか、どんな人だったか、どう感じたかは書かない。代わりに、何が、何回、どの順で起きたかを書く。たとえば「予定が3回変わった。変わったことを知ったのは、いずれも当日である」のように書く。書いたら日付を添えて閉じる。誰にも見せない。いま働いていない場合や、これから初めて働く場合は、直近で継続的に取り組んだ活動(学び直し、介護、家事の分担、地域の役割など)から同じように1場面を選んでよい。特定の人を評価したり、その人に何かを伝えたりする課題ではない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Doty D.H., Glick W.H. (1998) 'Common Methods Bias: Does Common Methods Variance Really Bias Results?', Organizational Research Methods 1(4):374-406 — journals.sagepub.com
- Conway J.M., Lance C.E. (2010) 'What Reviewers Should Expect from Authors Regarding Common Method Bias in Organizational Research', Journal of Business and Psychology 25(3):325-334 — link.springer.com
- Ottenstein C., Lischetzke T. (2020) 'Recall bias in emotional intensity ratings: investigating person-level and event-level predictors', Motivation and Emotion 44(3):464-473 — link.springer.com
- Miron-Shatz T., Stone A., Kahneman D. (2009) 'Memories of yesterday's emotions: Does the valence of experience affect the memory-experience gap?', Emotion 9(6):885-891 — psycnet.apa.org
- Chi N.-W., Fang L.-C., Shen C.-T., Fan H.-L. (2020) 'Detrimental Effects of Newcomer Person-Job Misfit on Actual Turnover and Performance: The Buffering Role of Multidimensional Person-Environment Fit', Applied Psychology 69(4):1361-1395 — doi.org
- Weiss H.M., Cropanzano R. (1996) 'Affective Events Theory: A Theoretical Discussion of the Structure, Causes and Consequences of Affective Experiences at Work', in Staw B.M., Cummings L.L. (Eds.), Research in Organizational Behavior, Vol. 18, pp. 1-74, JAI Press — archive.org