フローは狙って入る部屋ではない。入ったあとで名前がつく状態だ
没頭している最中、人は自分が没頭していることに気づかない。気づいた瞬間、それは終わっている。にもかかわらず、この状態は「入る方法」として売られ続けてきた。今日はまず、この状態がどうやって測られたのかを見る。測り方を知ると、売り文句のほうが先に崩れる。
前の単位が渡してきたもの
前の単位で見たのは、自動化された技は意識に上らなくなり、意識を向けた瞬間に壊れるという話だった。手順に注意を向けると熟達者だけが崩れる。言葉にすると、直前であるほど強く効く。
この単位が扱うのは、その裏側にあたる状態だ。技が自動で動いていて、自分がそこにいることも忘れている時間。フローと呼ばれてきたものである。
ただし順番を間違えないでほしい。この状態は、前の単位で見た自動化がある水準まで進んだ後にしか起きない。技能なしの没頭は、ただの気晴らしである。健康の棚で扱う遊びや目的感とはそこが違う——ここで問題にしているのは、身につけた技が動いている最中の話だ。
この状態には、条件表が付いている
提唱者チクセントミハイが挙げた特徴は、おおむね次のものだ。挑戦と技能が釣り合っていること、目標がはっきりしていること、その場で結果が返ってくること、注意が課題に集まり自分への意識が薄れること、そして時間の感覚が変わること。
芸道の実務に落とすと分かりやすい。譜面のどこを弾いているか、いま切った野菜がどう切れたか、投げた球がどこへ行ったか——結果が即座に返る営みは、この条件表を最初から満たしている。だから音楽・料理・スポーツ・武道は、この概念の主戦場になった。逆に言えば、この概念は最初からそういう活動から取られている。
測り方そのものを見る:経験サンプリング法
ここからが本題である。この状態は、どうやって測られたのか。
使われたのは経験サンプリング法という手続きだ。参加者にポケベルを持たせ、無作為な時刻に鳴らす。鳴ったらその場で、いま何をしていて、どう感じ、その活動の難しさと自分の腕前をどう見積もっているかを記入させる。思い出して答えるのではなく、その瞬間を捕まえる。
実装の細かさを見ておく価値がある。チクセントミハイとルフェーブルが1989年に Journal of Personality and Social Psychology で報告した研究では、朝7時半から夜10時半までの各2時間の枠内で無作為に信号を送り、1週間でおよそ56回。分析に入ったのは78人の成人労働者で、1人あたり平均44件、合計4,791件の回答が集まった。回収率は85%である。
この方法の強みは明白だ。後から思い出す偏りが小さい。弱みも同じくらい明白である。測っているのは全部、その人が10段階で申告した数字だ。挑戦の高さも、技能の高さも、没入の深さも、本人の主観である。客観的な難易度は、どこにも入っていない。
職場のほうが3倍多かった、という不都合な結果
この方法で最初に出てきた結果は、この概念の売られ方と噛み合っていない。
同じ研究で、挑戦と技能がともに高いという条件が揃った時間は、余暇では17%、仕事では54%だった。3倍以上の開きがある。ところが同じ人たちが、動機については逆のことを答えた。仕事より余暇のほうがやりたい、と。没入の条件が揃っていない余暇のほうが、やりたいと申告される。
著者らはこれを動機の逆説と呼んだ。この非対称は、芸を続ける人にとって他人事ではない。稽古のほうが条件は揃っているのに、稽古よりだらだらしていたいと感じる。感じ方は、状態の質を教えてくれない。
釣り合い仮説を、3方向から値切る
流通している一文はこうだ——挑戦が技能とちょうど釣り合ったとき、人は最も深く没入する。簡単すぎれば退屈、難しすぎれば不安。中間が最適。図まで付いている。検算しよう。
一方向目、メタ分析。フォン、ザレスキー、リーチが2015年に The Journal of Positive Psychology で発表したメタ分析は、28の研究・34標本・延べ9,620人を統合した。挑戦と技能の釣り合いと没入の関連は、固定効果で z = 0.56、変量効果で z = 0.52。関連はある。ただし内訳を見ると話が変わる。没入の各側面との相関では、釣り合いは z = 0.76 だったが、統御している感覚は z = 0.79、目標のはっきりさは z = 0.75 で、釣り合いは特別に強い予測子ではなかった。おまけに、釣り合いと内発的な動機づけの関連は z = 0.24 と小さい。
二方向目、経験サンプリング。ロヴォルとヴィッテルスーが2014年に Social Indicators Research で報告した2つの研究は、屋外活動の現場でこれを試している。第1研究は64人から698件、第2研究は26人から260件の回答。釣り合いの比から主観的経験を予測するモデルの説明率は9%から14%、経験変動モデルでも快と興味について2%から12.7%にとどまった。そして肝心の点——没入の指標は、釣り合いの条件で頂点にならなかった。むしろ釣り合っていない側に支持が集まった。論文の題は、釣り合いは退屈になりうるか、である。
三方向目、事前登録した実験。カッティングらが2023年に Royal Society Open Science で報告した研究は、難易度を人工知能に調整させた。対戦型のゲームで、相手の強さを易しい・釣り合い・難しいの3条件に振り分ける。参加者は311人(易しい100人、釣り合い109人、難しい102人)。操作は成功しており、参加者は難易度が調整されていることに気づいていなかった。
結果、楽しさに条件差はなかった。統計量は F(2,308) = 1.29、p = 0.277、効果量 ηp² = 0.008。もう一度やりたいかという行動指標にも差はない(χ²(2,311) = 3.40、p = 0.183)。著者らの結論は、難易度と技能の釣り合いは、いつも没入と楽しさを左右するわけではない、である。
効いているのは、釣り合いより挑戦そのものかもしれない
代わりの説明もある。アブハムデとチクセントミハイが2012年に Personality and Social Psychology Bulletin で報告した研究は、対象をオンラインのチェスに絞った。
見出された関係は単純だった。感じられた挑戦の高さが、楽しさを強く予測する。しかも人は、自分より強い相手との対局と、接戦になった対局のほうを楽しんでいた。釣り合いの中心ではなく、少し上のほうが楽しい。
第2研究では経験サンプリングで日常の多様な活動に広げ、挑戦と楽しさの関係が2つの条件に依存することを示した——その活動が内発的に動機づけられているかどうかと、はっきりした目標があるかどうかである。目標のない活動で挑戦だけ上げても、楽しくはならない。
芸道に翻訳すると、こうなる。適正な難しさを探すより、目標をはっきりさせるほうが先だ。
時間・変化:この状態は、目標にすると逃げる
時間の軸で見ると、この単位の中心にある皮肉が見える。
入る前。準備はできる。アントニーニ・フィリップらが2022年に Frontiers in Psychology で報告した面接研究は、22人の学生——競技レベルの運動選手10人と演奏家12人——に、没入の体験を時間の曲線として描かせた。準備の段階では、身体と頭の準備運動、注意の置き方、身体感覚の確認、そして不安や緊張の処理が共通していた。訓練によってある程度は制御できる、というのが著者らの読みである。
入っている最中。自分への意識が薄れているのが定義の一部だから、入っていることを確認できない。確認しようとした瞬間、条件が壊れる。前の単位で見た自己監視の話が、そのまま当てはまる。
入ったあと。名前をつけられるのは、ここだけだ。だから記録できるのは常に事後であり、その記録は本人の記憶に依存する——棚05の通奏低音がここでも顔を出す。
つまりこの状態は、狙う対象としては構造的に不向きである。準備する対象としてだけ、扱える。
因果の向きは、まだ決まっていない
もうひとつ、静かだが重い問題がある。没入すると上達するのか、上達すると没入しやすくなるのか。
パイファーらが2022年に Frontiers in Psychology で発表した範囲確認レビューは、2000年から2016年の252本の実証研究を整理した。そして書いている——この状態とその先行要因・帰結の因果構造を明らかにするには、実験研究と縦断研究がもっと必要だ、と。252本あって、まだそこである。
同じレビューは、この状態に個人差の性格特性より状況要因のほうが強く効くらしいこと、そして個人間の比較や文化差を扱った研究がそれぞれ13本・16本しかないことも指摘している。日本の稽古場のデータは、この数字の中にほとんど入っていない。
因果が確定していないことの実務的な意味は一つだ。「没入すれば上達する」という順序で自分の練習を設計しないほうがいい。逆かもしれないからである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるのは、この状態を練習の目標に据えることだ。狙えば自分を観察することになり、観察は前の単位で見たとおり自動性を壊す。今日は入れなかった、という失敗判定を毎回発行する仕組みを、わざわざ自分に取り付けることにもなる。
もうひとつは、難易度の微調整に時間を使いすぎることである。事前登録した311人の実験で、難易度と技能の釣り合いは楽しさにも再挑戦意欲にも差を生まなかった。効果量は ηp² = 0.008、ほとんどゼロである。
助けるのは、条件表のうち自分で操作できる項目だけを整えることだ。メタ分析で釣り合いと同等以上に没入と結びついていたのは、統御している感覚と目標のはっきりさだった。どちらも、練習の設計で動かせる。今日やることを1文で言えるか。やった結果がその場で分かるか。この2つのほうが、難易度の微調整より手が届く。
標本の断りを入れておく。ここで引いた研究は欧米の労働者・大学生・屋外活動の参加者・オンラインのチェス指しに偏り、面接研究は22人、経験サンプリング研究は26人から78人の小標本である。しかも測定の中心は自己申告の10段階評価であり、客観的な難易度はほとんど入っていない。向きは信用してよいが、あなたの稽古場の数字ではない。
最初の一歩は今日中に終わる。アラームを3回、間隔を空けて鳴らす設定にする。鳴ったらその場で3つだけ書く——いまの難しさ(10段階)、いまの自分の腕前の感じ(10段階)、いまの没入の深さ(10段階)。1週間分ではなく、今日3回でいい。自分の数字が、教科書の図のような山形になるかどうかを見る。
次の単位は 075「即興・適応能」——この状態と混同されがちなもの、その場で何かを作り出す力を扱う。無からの創出ではなく、既に持っている型の組み替えとして測られている、という話になる。
- 経験サンプリング法の実装:Csikszentmihalyi & LeFevre 1989(JPSP 56(5):815-822)では、朝7時半から夜10時半までの各2時間枠内で無作為にポケベルを鳴らし、1週間でおよそ56回。分析対象は成人労働者78人、1人平均44件、合計4,791件、回収率85%。測っているのは全部、本人が申告した10段階の数字である
- 同研究で、挑戦と技能がともに高い条件が揃った時間は余暇で17%、仕事で54%と3倍以上の差があった。ところが同じ人たちは、仕事より余暇のほうをやりたいと答えた(動機の逆説)。感じ方は状態の質を教えてくれない
- Fong, Zaleski & Leach 2015(The Journal of Positive Psychology 10(5):425-446・28研究、34標本、延べ9,620人):挑戦と技能の釣り合いと没入の関連は固定効果 z = 0.56、変量効果 z = 0.52。ただし各側面との相関では釣り合い z = 0.76 に対し、統御している感覚 z = 0.79、目標のはっきりさ z = 0.75 で、釣り合いは特別に強い予測子ではない。釣り合いと内発的動機づけの関連は z = 0.24 と小さい
- Løvoll & Vittersø 2014(Social Indicators Research 115(1):117-136・第1研究64人698件、第2研究26人260件):釣り合いの比から主観的経験を予測するモデルの説明率は9〜14%、快と興味については2〜12.7%。没入の指標は釣り合いの条件で頂点にならず、むしろ不均衡モデルが支持された
- Cutting, Deterding, Demediuk & Sephton 2023(Royal Society Open Science 10:220274・事前登録、311人=易しい100・釣り合い109・難しい102):人工知能に難易度を調整させた対戦ゲームで、楽しさに条件差なし(F(2,308) = 1.29、p = 0.277、ηp² = 0.008)、再挑戦意欲にも差なし(χ²(2,311) = 3.40、p = 0.183)。参加者は操作に気づいていなかった
- Abuhamdeh & Csikszentmihalyi 2012(PSPB 38(3):317-330):オンラインのチェスでは、感じられた挑戦の高さが楽しさを強く予測し、人は自分より強い相手との対局と接戦をより楽しんだ。第2研究の経験サンプリングでは、挑戦と楽しさの関係は活動が内発的に動機づけられているかと、はっきりした目標があるかに依存した
- Peifer et al. 2022(Frontiers in Psychology 13:815665):2000〜2016年の252本の実証研究を整理した範囲確認レビュー。因果構造の解明には実験研究と縦断研究がさらに必要と結論し、性格特性より状況要因のほうが強く効くらしいと指摘。個人間比較は13本、文化差は16本しかない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 挑戦の高さを自分の技能にぴったり合わせれば、深く没入できる | 人工知能に難易度を調整させた311人の事前登録実験では、易しい・釣り合い・難しいの3条件で楽しさに差がなかった(ηp² = 0.008)。経験サンプリングを使った屋外活動の研究でも、没入の指標は釣り合いの条件で頂点にならず、不均衡モデルのほうが支持された |
| フローに入れば上達が加速する | 252本の実証研究を整理したレビューは、この状態と先行要因・帰結の因果構造を明らかにするには実験研究と縦断研究がさらに必要だと結論している。没入が上達を生むのか、上達が没入を生みやすくするのかは決まっていない。順序を仮定して練習を設計しないほうがいい |
| 没入していたかどうかは、自分が一番よく分かる | 自分への意識が薄れていることが定義の一部なので、入っている最中には確認できない。確認しようとした瞬間に条件が壊れる。しかも測定は本人が申告する10段階の数字に依存しており、客観的な難易度はほとんど入っていない。名前をつけられるのは、常に終わったあとである |
この状態を目標に据えた瞬間、あなたは自分が没入しているかどうかを点検しはじめる。点検は自分への注意であり、自分への注意はこの状態の定義に反する。つまり、フローを目指す練習は、原理的に自分の首を絞める。しかもそれを毎回、入れたか入れなかったかという失敗判定つきで行うことになる。研究のほうは、釣り合いの微調整にほとんど効果を見つけられていない。おそらく順序が逆なのだ。設計できるのは条件だけで、状態のほうは、勝手に来て勝手に去る。来なかった日を数えるのは、やめておいたほうがいい。
Q1. Csikszentmihalyi & LeFevre(1989)の経験サンプリング研究では、分析対象は成人労働者____人、1人平均____件、合計____件の回答が集まり、回収率は____%だった。挑戦と技能がともに高い条件が揃った時間は仕事で____%、余暇で____%である。穴埋め
Q2. 本文が挑戦と技能の釣り合い仮説を値切るために使った3つの証拠を、それぞれ研究の規模と数値を含めて挙げよ。一問一答
Q3. Abuhamdeh & Csikszentmihalyi(2012)がオンラインのチェスで見出した関係はどれか。選択
Q4. 本文が示した「フローを目標に据えると壊れる循環」を、正しい順に並べよ。(自分に注意が向く/フローを今日の目標にする/自動性が乱れ、条件が崩れる/入れているか点検する)並べ替え
Q5. Peifer ら(2022)の範囲確認レビューが整理した研究数と、因果についての結論、および研究の偏りについて答えよ。一問一答
今日のうちに、間隔を空けたアラームを3回設定する(例:練習の途中・終盤・別の作業中)。鳴ったらその場で、思い出さずに3つの数字だけ書く——いまの難しさ(1〜10)、いまの自分の腕前の感じ(1〜10)、いまの没入の深さ(1〜10)。3回分が揃ったら、難しさと腕前の差と、没入の数字を並べて見る。差がゼロに近いときに没入が最大になっているかどうかだけを確認する。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Csikszentmihalyi M., LeFevre J. (1989) 'Optimal experience in work and leisure', Journal of Personality and Social Psychology 56(5):815-822 — www.academia.edu
- Fong C.J., Zaleski D.J., Leach J.K. (2015) 'The challenge-skill balance and antecedents of flow: A meta-analytic investigation', The Journal of Positive Psychology 10(5):425-446 — www.academia.edu
- Løvoll H.S., Vittersø J. (2014) 'Can balance be boring? A critique of the challenges should match skills hypotheses in flow theory', Social Indicators Research 115(1):117-136 — link.springer.com
- Cutting J., Deterding S., Demediuk S., Sephton N. (2023) 'Difficulty-skill balance does not affect engagement and enjoyment: A pre-registered study using artificial intelligence-controlled difficulty', Royal Society Open Science 10(2):220274 — eprints.whiterose.ac.uk
- Abuhamdeh S., Csikszentmihalyi M. (2012) 'The importance of challenge for the enjoyment of intrinsically motivated, goal-directed activities', Personality and Social Psychology Bulletin 38(3):317-330 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Peifer C. et al. (2022) 'A scoping review of flow research', Frontiers in Psychology 13:815665 — www.frontiersin.org
- Antonini Philippe R. et al. (2022) 'Achieving flow: An exploratory investigation of elite college athletes and musicians', Frontiers in Psychology 13:831508 — www.frontiersin.org