即興は無から生まれない。手持ちの型を、その場で並べ替えているだけだ
即興という言葉は、何もないところから何かが出てくる様子を思わせる。だが本人たちに聞くと、答えはもっと散文的だ——覚えている型を、その場で選んで置いている。脳を見ても同じことが示唆される。抑えられているのは自己監視のほうで、増えているのは在庫の使い回しの効率である。
前の単位が渡してきたもの
前の単位で見たのは、深い没入は狙って入るものではなく、条件が整ったときに事後的に名前がつく状態だという話だった。設計できるのは条件だけである。
この単位で扱うのは、その条件が整った場でしばしば起きること——決めていなかったことを、その場でやる力だ。ジャズのソロ、乱取り、話芸の切り返し、冷蔵庫の残りで作る一皿。名前は違うが、構造は同じである。
先に線を引いておく。この単位が扱うのは、その場で崩れずに対応する力だ。新しい型そのものを作る力は、この棚の最後の単位が引き受ける。今日の話は創作ではなく、適応である。そして発想法や思考の広げ方の総覧は、この棚では扱わない——それは思考法の棚の持ち場だ。
本人たちの言い分:覚えたものを、置いている
まず、演奏している当人が何をしていると報告するかを見る。
ノーガードが2011年に Journal of Research in Music Education で報告した研究は、第一線のジャズ演奏家7人に即興のソロを録音させ、その直後に録音と楽譜を見ながら、そのとき頭の中で何が起きていたかを語らせた。
全員に共通していたのは、これから来る区間について大まかな見取り図を持っていることだった。そして、演奏しながら自分の音を評価し、その判断を次の設計に織り込んでいる。
発想の出どころは4種類に整理された。よく練習して覚えている型を記憶から引き出して差し込むこと、和音の都合から音を選ぶこと、旋律の流れから音を選ぶこと、そして少し前に自分が弾いた素材を繰り返すこと。無からの創出という項目は、そこにない。
言い換えれば、即興とは在庫管理である。棚に何が入っているか、どれをどの順で出すか。棚が空なら、即興は成立しない。
脳が示したこと:監視が下がり、自己生成が上がる
この主観報告と、脳の側の所見は噛み合っている。
リムとブラウンが2008年に PLoS ONE で報告した研究は、6人のプロのジャズピアニストに、磁気共鳴画像装置の中で決められた旋律を弾く条件と即興する条件を交互にやらせた。参加者は全員男性、平均年齢は34.2歳である。
即興のとき、外側の前頭前野と眼窩の外側部が広い範囲で沈み、内側の前頭前野の前寄りの部分が焦点的に立ち上がった。運動感覚に関わる領域は広く活性化し、扁桃体や海馬など辺縁系の一部は沈んだ。
読み方はこうだ。外側前頭前野は、自分のふるまいを監視し、抑えるほうの働きに関わるとされる。内側前頭前野は、自分の内側から出てくるふるまいに関わるとされる。片方が沈み、片方が立ち上がる。前の2単位で見た構図——自己監視が下がると自動化された技が通る——と、同じ形である。
リューらが2012年に Scientific Reports で報告した研究は、フリースタイル・ラップで同じことを試した。参加者は12人の男性ラッパーで、平均年齢30.3歳、経験は5年から18年。即興の条件では内側前頭前野の活動が上がり、外側前頭前野は下がった。著者らは、意識的な監視と意志的な統制が働いていない状況で、刺激から独立したふるまいが展開する文脈だと書いている。
楽器と言語という、まったく違う出口の技で、同じ向きが出た。
ただし、この所見は6人と12人から出ている
ここで値切りに入る。
ビーティが2015年に Neuroscience and Biobehavioral Reviews で発表した総説は、この分野の研究を整理したうえで、いくつか厄介な点を挙げている。
第一に、標本が小さい。この分野の研究の参加者数はおおむね6人から39人の範囲にある。第二に、外側前頭前野については、沈むと報告した研究と、むしろ上がると報告した研究の両方がある。総説は、この食い違いを方法の違いに帰している——単独の即興か合奏か、課題にどれだけ制約があるか、参加者の熟達度がどうか。第三に、実験室の制約が本番の即興と隔たっている。第四に、脳の領域の活動から心の働きを逆算する推論に依存している。
一貫して出ているものもある。左の下前頭回は多くの研究で関与しており、記憶から素材を制御して取り出す働きと結びつけられている。要するに、在庫から出す作業である。本人たちの言い分と、また噛み合う。
訓練は、即興のための回路まで自動化する
熟達との関係を直接見た研究もある。
ピニョ、デ・マンザーノ、フランソン、エリクソン、ウレーンが2014年に Journal of Neuroscience で報告した研究は、プロのピアニスト39人(うち女性15人、19歳から67歳)を対象にした。即興の経験が長いほど、前頭頭頂の実行系の領域——外側前頭前野や下前頭回——の活動はむしろ低かった。同時に、両側の外側前頭前野と背側運動前野、補足運動野の手前の領域のあいだの機能的な結びつきは強かった。
そしてこの関係は、クラシックの練習量では出なかった。即興の訓練にだけ結びついていた。
著者らの解釈はこうだ。創造にかかわる働きそのものが、訓練によって自動化されうる。前の単位で扱った自動化の話が、ここまで伸びる。
ローゼンらが2020年に NeuroImage で報告した研究も、同じ方向を指している。ジャズギター奏者32人の即興を専門家が評価したところ、評価の高い即興ほど前頭の関与が小さかった。しかも公開演奏の経験を統制すると、演奏の質を説明するのは右半球、とくに右前頭の活動になった。経験が、創造の土台そのものを入れ替えるということだ。
制約は、即興の敵ではなく足場である
ここまでを実務に翻訳すると、直感に反する結論が出る。
即興が成立するには、在庫と制約の両方が要る。在庫がなければ出すものがない。制約がなければ、選ぶ基準がない。ジャズのソロには和音進行があり、乱取りには技の体系と受けの約束があり、落語の切り返しには間と型があり、料理の即興には火加減と味の型がある。
本人の報告に出てきた4つの発想源のうち、3つまでが制約に由来している——和音の都合、旋律の流れ、直前の素材の繰り返し。何もないところから出てくる分は、そもそも報告されていない。
制約を減らせば自由になる、というのは、在庫が満杯の人にだけ通じる話である。
分野をまたいで見ると、この構造はさらにはっきりする。武道の乱取りで自由に見えるのは、技の体系と受けの約束が共有されているからだ。約束を外せば、それは稽古ではなく事故になる。落語の切り返しが即座に出るのは、間と型が固まっているからで、型のない人が同じ間で黙れば、ただの沈黙である。料理の即興は、火加減と味の骨格という制約の上でしか成立しない。書でも絵でも、紙の大きさと筆の太さが最初に選択肢を絞る。制約は選択肢を減らす装置ではなく、選択を可能にする装置なのだ。
時間・変化:在庫が先、選択は後
時間の軸で並べると、順序がはっきりする。
最初に来るのは在庫だ。型を覚え、反復し、前の単位で見たとおり自動化する。この段階で即興をやらせても、出てくるのは手癖にもならない断片である。
次に来るのが、選ぶ速さだ。同じ型を、違う場面で出す練習。ここは棚05の変動練習の単位でやったことの延長にある。
最後に来るのが、監視を下げることだ。脳の所見が示唆するのは、即興のときに外側前頭前野が沈むという状態である。そして39人の研究が示すのは、即興の訓練を積むほど、前頭の実行系の関与が減っていくということだった。つまり監視を下げる能力自体が、訓練の産物である。
逆順にはできない。まだ在庫がない段階で監視だけ外すと、何も出てこないか、同じ手癖だけが出る。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるのは、即興を才能の問題として扱うことだ。本人たちの報告に出てくるのは、覚えた型・和音の都合・旋律の流れ・直前の素材の繰り返しである。どれも訓練で増やせる。
もうひとつは、制約を外して自由にやってみようという指導だ。制約が消えると、選ぶ基準も消える。残るのは既定の手癖である。
助けるのは、在庫を数えることと、制約を明示することだ。自分が確実に出せる型がいくつあるか、実際に数えられる人は少ない。数えると、たいてい思ったより少ない。そして制約は、減らすのではなく1つ足すほうが効く。使ってよい型を3つに限る、8小節に収める、材料を4つに絞る、技を2種類に限定する。
標本の断りを入れておく。ここで引いた脳の研究は参加者6人から39人、ほぼ全員が欧米の職業音楽家で、ジャズピアノ・フリースタイル・ラップ・ジャズギターに偏っている。総説自身が、外側前頭前野の所見の食い違いと、脳の活動から心の働きを逆算する推論の限界を指摘している。武道や話芸や料理の即興は、まだほとんど測られていない。
最初の一歩は10分。自分が確実に出せる型を紙に書き出して数える(フレーズ、技、返し方、切り方、構図——何でもいい)。次に、そのうち3つだけを使うと決めて、30秒から1分の即興を1回やる。終わったら、実際に使った型を書き出す。書き出した型が3つに収まっていたか、そして予定になかった型が出たかを見る。
次の単位は 076「本番再現性」——この即興が最も試される場面、一度きりで、やり直しがきかない本番を扱う。そこでは、ここまで下げてきた自己監視が、勝手に戻ってくる。
- Norgaard 2011(Journal of Research in Music Education 59(2):109-127・第一線のジャズ演奏家7人):即興の直後に録音と楽譜を見ながら思考を語らせたところ、全員が次の区間の見取り図を持ち、演奏しながら自己評価していた。発想の出どころは、よく練習して覚えている型の記憶からの引き出し、和音の都合、旋律の流れ、直前の素材の繰り返しの4種類だった
- Limb & Braun 2008(PLoS ONE 3(2):e1679・プロのジャズピアニスト6人、全員男性、平均34.2歳):即興時に外側前頭前野と眼窩外側部が広く沈み、内側前頭前野の前寄りの部分が焦点的に活性化した。運動感覚領域は広く活性化し、扁桃体や海馬など辺縁系の一部は沈んだ
- Liu et al. 2012(Scientific Reports 2:834・フリースタイル・ラッパー12人、平均30.3歳、経験5〜18年):即興条件で内側前頭前野の活動が上がり、外側前頭前野は下がった。著者らは、意識的な監視と意志的な統制が働かない状況で刺激から独立したふるまいが展開する文脈だと述べている。楽器と言語という別の出口で同じ向きが出た
- Beaty 2015(Neuroscience and Biobehavioral Reviews 51:108-117)の総説:この分野の参加者数はおおむね6〜39人と小さく、外側前頭前野については沈むという報告と上がるという報告の両方がある。総説は食い違いを単独か合奏か・課題の制約・熟達度の違いに帰し、脳の活動から心の働きを逆算する推論への依存も限界として挙げる。一貫して関与するのは左の下前頭回で、記憶からの制御された取り出しと結びつく
- Pinho et al. 2014(Journal of Neuroscience 34(18):6156-6163・プロのピアニスト39人、うち女性15人、19〜67歳):即興の経験が長いほど前頭頭頂の実行系領域の活動は低く、両側の外側前頭前野・背側運動前野・補足運動野手前の領域のあいだの機能的結合は強かった。この関係はクラシックの練習量では出ず、即興訓練にのみ結びついた
- Rosen et al. 2020(NeuroImage 213・ジャズギター奏者32人):専門家評価の高い即興ほど前頭の関与が小さく、公開演奏の経験を統制すると演奏の質を説明するのは右半球とくに右前頭の活動だった。経験が創造の神経的な土台そのものを入れ替えることを示唆する
- 即興は無からの創出ではなく在庫と制約の運用である。本人報告の4つの発想源のうち3つまでが制約に由来し(和音の都合・旋律の流れ・直前の素材の繰り返し)、監視を下げる能力自体が訓練の産物である。順序は在庫→選ぶ速さ→監視を下げる、で逆順にはできない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 即興は何もないところから生み出す力で、才能がある人にしかできない | 第一線のジャズ演奏家7人に演奏直後の思考を語らせた研究では、発想の出どころは覚えている型の引き出し・和音の都合・旋律の流れ・直前の素材の繰り返しの4種類だった。無からの創出という項目は報告されていない。どれも訓練で増やせるものである |
| 制約を外して自由にやらせるほど、即興は伸びる | 報告された4つの発想源のうち3つまでが制約に由来している。制約が消えると選ぶ基準も消え、残るのは既定の手癖になる。使ってよい型を3つに限る、8小節に収める、材料を4つに絞る——制約は減らすのではなく1つ足すほうが効く |
| 即興のときは頭を使わない状態になっているだけだ | 沈むのは自己監視に関わる外側前頭前野で、内側前頭前野はむしろ立ち上がる。左の下前頭回は多くの研究で関与し、記憶から素材を制御して取り出す働きと結びつけられている。さらに39人の研究では、即興の訓練が長いほど実行系の関与が減り、領域間の結合が強まっていた。監視を下げる能力自体が訓練の産物である |
即興について語られるとき、たいてい強調されるのは自由のほうである。決めていない、書いていない、その場で出てくる。だが本人たちの証言も脳の所見も、指しているのは正反対の事実だ——出てくるのは、以前に入れたものだけである。棚が空の人がいくら監視を外しても、静寂か手癖しか出てこない。自由に見える瞬間は、退屈な反復の在庫証明にすぎない。もっとも、そう言われて練習に戻る気になる人は少ないので、即興はこれからも才能の話として語られ続けるだろう。
Q1. Norgaard(2011)が第一線のジャズ演奏家7人から取り出した、即興における着想の出どころ4種類を挙げよ。演奏中に共通していた別の特徴にも触れること。一問一答
Q2. Limb & Braun(2008)ではプロのジャズピアニスト____人が対象で、即興時に____前頭前野が広く沈み、____前頭前野が焦点的に立ち上がった。Liu ら(2012)ではフリースタイル・ラッパー____人で、同じ向きの結果が得られた。穴埋め
Q3. Pinho ら(2014)がプロのピアニスト39人で見出した、即興経験と脳活動の関係はどれか。選択
Q4. Beaty(2015)の総説が、この分野の脳研究について挙げた限界を答えよ。一貫している所見にも触れること。一問一答
Q5. 本文が示した即興が育つ順序を、正しい順に並べよ。(監視を下げる/選ぶ速さを上げる/在庫をつくる)並べ替え
自分が確実に出せる型を紙に書き出して数える(フレーズ、技、返し方、切り方、構図、盛りつけ——分野は何でもよい)。次に、そのうち3つだけを使うと決めて、30秒から1分の即興を1回やる。終わったらすぐ、実際に使った型を書き出す。書き出した型が3つに収まっていたか、予定になかった型が出たかを確認して、あわせてメモする。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Norgaard M. (2011) 'Descriptions of improvisational thinking by artist-level jazz musicians', Journal of Research in Music Education 59(2):109-127 — journals.sagepub.com
- Limb C.J., Braun A.R. (2008) 'Neural substrates of spontaneous musical performance: An fMRI study of jazz improvisation', PLoS ONE 3(2):e1679 — journals.plos.org
- Liu S., Chow H.M., Xu Y., Erkkinen M.G., Swett K.E., Eagle M.W., Rizik-Baer D.A., Braun A.R. (2012) 'Neural correlates of lyrical improvisation: An fMRI study of freestyle rap', Scientific Reports 2:834 — www.nature.com
- Beaty R.E. (2015) 'The neuroscience of musical improvisation', Neuroscience and Biobehavioral Reviews 51:108-117 — bpb-us-e1.wpmucdn.com
- Pinho A.L., de Manzano Ö., Fransson P., Eriksson H., Ullén F. (2014) 'Connecting to create: Expertise in musical improvisation is associated with increased functional connectivity between premotor and prefrontal areas', Journal of Neuroscience 34(18):6156-6163 — www.jneurosci.org
- Rosen D.S., Oh Y., Erickson B., Zhang F.Z., Kim Y.E., Kounios J. (2020) 'Dual-process contributions to creativity in jazz improvisations: An SPM-EEG study', NeuroImage 213:116632 — doaj.org