同じ実験の山から、正反対の結論が二度出た——違っていたのは、仕切りの入れ方だった
勉強にご褒美を付けるのはやめたほうがいい、という助言はよく流通している。その根拠になっている論争は、同じ実験の山を二通りに仕分けた結果、正反対の結論が同じ雑誌に並んだまま終わっていない。
何かを続けている理由を、自分で言えるだろうか。面白いから、と答えられるものは案外少ない。締切があるから、点数が付くから、やめると気まずいから——理由のほとんどは、活動の外側にぶら下がっている。
持ち場を狭めておく。制度としての報酬や評価の設計は、組織の基盤の棚が扱った。ここで扱うのは、自分の勉強にご褒美を付けるかどうかという一点だけである。そして扱うのは、その是非ではない。「ご褒美は内側のやる気を壊す」という話が、決着したものとして引かれていることのほうを扱う。
内側の動機という語が、指しているもの
2000年に Contemporary Educational Psychology へ出た論文は、この語をこう定義している——切り離せる結果のためではなく、その活動そのものに備わる満足のために行うこと。同じ年に American Psychologist へ出たもう1本は、自律性・有能感・関係性という3つの必要が満たされる度合いで、動機の強まりと弱まりを説明する枠組みを示した。
前者には、この棚にとって気になる観察も書かれている。学校では、学年が上がるごとに内側の動機が弱まっていくように見える、と。ただしこれは観察であって、何が原因かを特定した記述ではない。
値切り:同じ実験の山から、逆の結論が二度出た
出発点は1973年である。Journal of Personality and Social Psychology に出た野外実験は、就学前の子どもを対象に、賞をもらえると予告された条件、予告なしに賞をもらった条件、賞のない条件を比べた。予告された条件では、そのあとの自由な時間に、その活動への関心が他の2条件より低かった。これは子どもを対象にした研究であり、大人でも同じことが起きるかは別に確かめる必要がある。
21年後の1994年、Review of Educational Research に96件の実験研究を集めたメタ分析が出る。結論はこうだった——報酬は内発的動機を下げない。ただし交互作用は検討する必要がある。強化についても、5件の研究の分析で害は認められないとした。
1996年、同じ雑誌に反論が載る。この結論は単純すぎて理論的にも実務的にもほとんど価値が無く、メタ分析の手続きの誤用から生じている、と。
2001年、同じ雑誌に128件の実験を集めた側からの再検討が出た。自由に選べる場面での効果量は、取り組んだことに対して渡す報酬で d=−0.40(k=55)、終えたことに対して渡す報酬で d=−0.44(k=19)、出来ばえに応じて渡す報酬で d=−0.28。いっぽう言葉による評価は逆に働き、行動で +0.33、自己申告の興味で +0.31 だった。
そして同じ号に、批判された側からの再反論が載る。論争は、同じ雑誌の同じ号の中で往復して終わっている。
違っていたのは、仕切りの入れ方だった
ここが、この単位の核心である。両者は、おおむね同じ実験の山を見ている。数値の計算が食い違ったのでもない。違っていたのは、山をどこで仕切るかだった。
2001年の再検討の側は、こう書いている——あらゆる種類の報酬をまとめて集計することは、ある意味で無意味な作業である。種類ごとに効果の向きが違うのだから、と。加えて、1994年の側は退屈な課題と面白い課題をまとめて集計し、その問題に触れてすらいなかったと指摘した。
再反論の側の言い分は、鏡像になっている——理論に従って研究を並べたことで、異なる報酬の手続きがまとめられてしまい、その結果として広範な負の効果が得られた。実際に用いられた手続きに従って並べ直すと、負の効果は特定の状況に限られる。
片方は「理論の区分でまとめると効果が見える」と言い、もう片方は「手続きの区分で並べ直すと効果が消える」と言っている。どちらも、まとめすぎだと相手を責めている。どちらが正しいかを、ここでは裁定しない。裁定できる材料が、読者の側にも、おそらく研究者の側にも足りていないからである。
記憶しておくべきなのは、この一点だけでよい——同じ研究の山から逆の結論が出るとき、違っているのはたいてい数値ではなく、採否と分類の手続きである。
時間・変化:30年で、論争は2回まわった
出来事を年の順に並べると、形がはっきりする。
1973年に最初の実験。1994年に96件のメタ分析で「下がらない」。1996年に同じ雑誌で「手続きの誤用だ」。2001年に128件のメタ分析で「下がる、ただし種類による」。同じ号で「まとめすぎたのはそちらだ」。
注目すべきは、この30年で、流通した結論はいつも片側だけだったことである。1994年以降しばらくは「報酬の害は誇張されていた」が引かれ、2001年以降は「報酬は内発的動機を損なう」が引かれた。同じ号に載っているもう一方は、ほとんど一緒には引かれない。論争が終わっていないという事実そのものが、引用の途中で落ちる。
報酬の話の陰で、測られていたこと
もう1本だけ置いておく。2014年に Contemporary Educational Psychology へ出た研究は、メタ分析1本と、カナダ2本・スウェーデン1本の縦断研究を並べた。開始時点の成績を統制したうえで1年間追いかけると、一貫して成績と正に結びついたのは内側の動機だけだった。
これは「だから内側の動機を持て」という話にはならない。動機の型は、意志で選べる持ち物ではないからである。読み取れるのは、測るなら、報酬の有無ではなく、活動そのものへの関心のほうが、時間をまたいだときに残る指標だったという一点だけである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、論争の片側だけを引くことである。「ご褒美は逆効果だと証明されている」も、「報酬の害は否定された」も、どちらも同じ雑誌に載っている半分でしかない。第二の妨げは、報酬という語を一つの塊として扱うことだ。取り組みに対して渡すのか、終えたことに対して渡すのか、出来ばえに応じて渡すのか、それとも言葉で伝えるのか——2001年の集計では、最後のものだけが逆向き(+0.33)に出ている。
標本の偏りを断っておく。ここで挙げた実験の多くは、北米の大学生と、学校に通っている児童・生徒を短い時間の実験室課題で測ったものである。働きながら学んでいる大人を対象にした研究はごく少ない。縦断で追ったものも1年程度で、続けられた人のデータだけが残る。そして、こうした比較で見えた関連は、もともと学ぶ余裕のある人ほど、その学習法を試せる、という逆向きを排除できない。ご褒美を自分に設定できること自体が、可処分の時間と資源の話でもある。
助けるのは、自分に付けている外側の理由を、一度だけ言葉にしてみることである。無くせという話ではない。締切も点数も、多くの場合は自分では外せない。外せないものを数えておくと、外側が全部消えたときに何が残るかを、想像だけで測れるようになる。
最初の一歩は3分。いま続けている学びを1つ選び、明日それに対する評価も報酬もいっさい無くなったとして、続けるかどうかを1行で書く。続けない、と書いても構わない。それは意志の弱さではなく、いまの理由がどこにぶら下がっているかの記述である。
次の単位は 061「やり抜く力」——道具箱の隣の引き出しである。ここでは同じ実験の山から逆の結論が出ることを見たが、あちらでは、新しい名前が付いた変数が、前から知られている変数とどれだけ重なっているかが問題になる。
- Cameron & Pierce 1994(Review of Educational Research 64(3):363-423)は96件の実験研究を集めたメタ分析で、報酬は内発的動機を下げない、ただし交互作用は検討する必要があると結論した。強化についても5件の研究の分析で害は認められないとしている
- Deci, Koestner & Ryan 2001(Review of Educational Research 71(1):1-27)は128件の実験を集め直し、自由に選べる場面での効果量を、取り組んだことに対して渡す報酬で d=−0.40(k=55)、終えたことに対して渡す報酬で d=−0.44(k=19)、出来ばえに応じて渡す報酬で d=−0.28 と報告した。いっぽう言葉による評価は逆に働き、行動で +0.33、自己申告の興味で +0.31 だった
- 2001年の側の批判の核心は集計の手続きにある。あらゆる種類の報酬をまとめて集計することは、ある意味で無意味な作業であると述べ、1994年の側が退屈な課題と面白い課題をまとめて集計し、その問題に触れてすらいなかったと指摘した
- Cameron 2001(Review of Educational Research 71(1):29-42)は同じ号で再反論した。理論に従って研究を並べたことで異なる報酬の手続きがまとめられ、その結果として広範な負の効果が得られたのであり、実際に用いられた手続きに従って並べ直すと、負の効果は特定の状況に限られる、という言い分である。片方は理論の区分でまとめると効果が見えると言い、もう片方は手続きの区分で並べ直すと効果が消えると言っている
- 論争の起点は Lepper, Greene & Nisbett 1973(Journal of Personality and Social Psychology 28(1):129-137)で、就学前の子どもを対象にした野外実験だった。賞をもらえると予告された条件では、そのあとの自由な時間にその活動への関心が、予告なしに賞をもらった条件および賞のない条件より低かった。子どもを対象にした研究であり、大人でも同じことが起きるかは別に確かめる必要がある
- 1996年には Lepper, Keavney & Drake(Review of Educational Research 66(1):5-32)が、1994年のメタ分析の結論は単純すぎて理論的にも実務的にもほとんど価値が無く、メタ分析の手続きの誤用から生じていると批判している。1973年から2001年までのあいだに、論争は同じ雑誌の上で2回まわり、流通した結論はそのつど片側だけだった
- Taylor ほか 2014(Contemporary Educational Psychology 39(4):342-358)は、メタ分析1本と、カナダ2本・スウェーデン1本の縦断研究を並べた。開始時点の成績を統制して1年間追いかけると、一貫して成績と正に結びついたのは内側の動機だけだった。動機の型は意志で選べる持ち物ではないため、これは処方ではなく、時間をまたいだときに残る指標がどれかという記述である
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| ご褒美が内側のやる気を壊すことは、研究で決着している | 決着していない。1994年に Review of Educational Research へ出た96件のメタ分析は、報酬は内発的動機を下げないと結論した。2001年に同じ雑誌へ出た128件の集め直しは、取り組みに対する報酬で d=−0.40、完了に対する報酬で d=−0.44、出来ばえに応じた報酬で d=−0.28 と報告し、いっぽう言葉による評価は +0.33 と逆向きだった。そして同じ号に、批判された側からの再反論が載っている。論争は同じ号の中で往復したまま終わっている |
| 正反対の結論が出るのは、どちらかが計算を間違えているからである | 食い違っていたのは、おおむね数値ではなく仕分けの仕切りである。2001年の側は、あらゆる種類の報酬をまとめて集計することは、ある意味で無意味な作業だと述べ、退屈な課題と面白い課題をまとめた点を批判した。再反論の側は、理論に従って並べたせいで異なる報酬の手続きがまとめられ、広範な負の効果が得られたのであり、実際の手続きで並べ直すと負の効果は特定の状況に限られると返している。どちらも、まとめすぎだと相手を責めている |
| 報酬は一つのものなので、あるかないかで語れる | 2001年の集計では、報酬の渡し方ごとに向きも大きさも違っていた。取り組んだことに対して渡す場合が d=−0.40、終えたことに対して渡す場合が −0.44、出来ばえに応じて渡す場合が −0.28、そして言葉による評価だけが +0.33 と逆向きである。報酬という語を一つの塊として扱った時点で、この差はすべて平均に飲まれる。1994年の集計への批判は、まさにその点に向けられていた |
論争には、たいへん実用的な性質がある。片側だけを引けば、どんな助言にも根拠が付くのだ。ご褒美をやめさせたい人は2001年を引き、続けさせたい人は1994年を引く。どちらも実在する査読論文で、しかも同じ雑誌に載っている。皮肉なのは、この30年でいちばん確かに測られたのが、報酬が内側の動機に及ぼす効果ではなく、研究の山に仕切りを入れる位置のほうだったことである。仕切りを2センチずらせば、結論は符号ごと変わる。
Q1. 1994年に Review of Educational Research へ出たメタ分析は ____ 件の実験研究を集め、報酬は内発的動機を下げないと結論した。2001年に同じ雑誌へ出た再検討は ____ 件の実験を集め、取り組んだことに対して渡す報酬で d=____、言葉による評価では逆に d=____ と報告した。穴埋め
Q2. 2001年の再検討と、その再反論は、それぞれ相手の何を批判したか。両方の言い分を、集計の手続きに触れて答えよ。一問一答
Q3. 2001年の集計で報告された、報酬の渡し方ごとの効果量を4つ挙げ、そのうち向きが違うものがどれかを述べよ。一問一答
Q4. 2014年に Contemporary Educational Psychology へ出た研究が報告したことはどれか。選択
Q5. 本文の並べ方にしたがって、この論争の出来事を年の順に並べよ。(96件のメタ分析/就学前の子どもを対象にした野外実験/128件の集め直しと同じ号での再反論/メタ分析の手続きの誤用だという批判/1年の縦断で内側の動機だけが成績と結びついた研究)並べ替え
紙かメモアプリを開く。いま続けている学びを1つだけ選び、1行で書く。資格の勉強でも、業務のための読書でも、語学でも、子どもの宿題に付き合っている時間でもよい。次に、そこにぶら下がっている外側の理由を思いつく限り短く並べる(締切、点数、費用を払った、人に言った、評価される、など)。最後に、明日それらの評価も報酬もいっさい無くなったとして、続けるかどうかを1行だけ書く。続けない、と書いても構わない。誰にも見せなくてよく、いま何かを変える必要もない。いま学校に通っていない場合は、仕事のための学び直しに置き換えてよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Cameron J., Pierce W.D. (1994) 'Reinforcement, Reward, and Intrinsic Motivation: A Meta-Analysis', Review of Educational Research 64(3):363-423 — journals.sagepub.com
- Deci E.L., Koestner R., Ryan R.M. (2001) 'Extrinsic Rewards and Intrinsic Motivation in Education: Reconsidered Once Again', Review of Educational Research 71(1):1-27 — journals.sagepub.com
- Cameron J. (2001) 'Negative Effects of Reward on Intrinsic Motivation—A Limited Phenomenon: Comment on Deci, Koestner, and Ryan (2001)', Review of Educational Research 71(1):29-42 — journals.sagepub.com
- Lepper M.R., Keavney M., Drake M. (1996) 'Intrinsic Motivation and Extrinsic Rewards: A Commentary on Cameron and Pierce's Meta-Analysis', Review of Educational Research 66(1):5-32 — journals.sagepub.com
- Lepper M.R., Greene D., Nisbett R.E. (1973) 'Undermining children's intrinsic interest with extrinsic reward: A test of the overjustification hypothesis', Journal of Personality and Social Psychology 28(1):129-137 — psycnet.apa.org
- Ryan R.M., Deci E.L. (2000) 'Intrinsic and Extrinsic Motivations: Classic Definitions and New Directions', Contemporary Educational Psychology 25(1):54-67 — selfdeterminationtheory.org
- Ryan R.M., Deci E.L. (2000) 'Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being', American Psychologist 55(1):68-78 — psycnet.apa.org
- Taylor G., Jungert T., Mageau G.A., Schattke K., Dedic H., Rosenfield S., Koestner R. (2014) 'A self-determination theory approach to predicting school achievement over time: The unique role of intrinsic motivation', Contemporary Educational Psychology 39(4):342-358 — portal.research.lu.se