作業台は広げられない。売られているのは、たいてい台のほうだ
覚えられないのは記憶力が悪いからだ、ということになっている。だから売られているのは、たいてい記憶力そのものを鍛える約束のほうである。ところが訓練で伸びたと確かめられているのは、訓練したその課題と、そのすぐ隣までだった。
頭の中の作業台
覚えられない、という言い方をするとき、たいてい思い浮かべられているのは倉庫の広さである。しかし、何かを学んでいて実際に詰まるのは、倉庫ではない。いま手元で、同時に抱えていられる量のほうだ。
参考書の一文を読みながら、主語がどれだったかを保っておく。暗算の繰り上がりを覚えたまま次の桁へ進む。手順の3行目を読みながら、1行目で設定した値を忘れずにいる。どれも、情報を置いたまま、その情報を操作する作業である。この置き場を作業記憶という。
1974年に英国で提案された枠組みは、この置き場を単一の箱とみなさず、音の情報を保つ部分、形や位置の情報を保つ部分、そしてその二つに注意を配る部分に分けて記述した。以来、細部は何度も書き換えられているが、「保持しながら操作する」という機能の切り出し方のほうは残っている。
この単位が扱うのは、一度に載る量だけである。載せたものをどう並べ直すかは 058「知識の構造化」の持ち場で、長い訓練のなかで情報の束ね方そのものが作り変えられていく話は、芸道の棚が扱っている。ここでは踏み込まない。
「一度に7つ」は、どこから来たか
作業台の広さを表す数字として、いちばんよく引かれるのが7±2である。出どころははっきりしている。米国で1956年に発表された論文だ。
その論文は、こう始まる。「私の問題は、ある整数に付きまとわれてきたことである。」 冒頭からして、著者は自分の見つけた数字を信用しきってはいない。
中身も、ふつう紹介される形とはかなり違う。この論文は二つの別々の話を並べている。ひとつは、音の高さや線の長さのような一次元の刺激を、いくつの段階まで言い当てられるかという話。もうひとつが、いくつの項目まで即時に復唱できるかという話である。著者ははっきり書いている。「絶対判断の幅は情報量によって制限され、即時記憶の幅は項目数によって制限される。」 別の限界なのだ。
そして、即時記憶のほうの数は材料で動く。同じ論文に、10進数字ならおよそ7個を思い出せるが、無作為に選んだ英単語なら2、3個しか保てないはずだという計算が書かれている。最後に著者は、7という数字が二つの話で一致したことについて、「たちの悪い、ピタゴラス的な偶然にすぎないのではないかと疑っている」と述べる。
2001年に公表された再検討は、この数字を測り直した。唱え直しをさせず、長期記憶を使って項目をこっそり束ね直すこともできないように条件をそろえると、中心はおよそ4つの塊になる。数え方の話であって、人が急に劣化したわけではない。
測定条件は、引用されるたびに先に落ちる。 残るのは数字だけで、数字は丸くなり、やがて定数になる。
台は広げられないが、荷物の梱包は動かせる
ここまでの話には、実務上の含みがひとつある。塊の数は変えにくいが、1つの塊の中身は変えられる。
電話番号を3桁ずつ区切って覚えるのがその最小の例だ。桁の数は変わらないのに、抱えている塊の数は減る。学んでいる分野の言葉を知っていると、同じ一文が、ばらばらの単語列ではなく、いくつかのまとまりとして入ってくる。梱包材にあたるのは、すでに持っている知識である。
この向きは、売り物にしにくい。梱包材を増やすとは、その分野をもう少し知るということで、近道の形をしていない。売り物になるのは、いつも台のほうである。
値切り:台のほうを広げる、という約束
作業記憶を訓練すれば、記憶課題だけでなく、推論や読解や算数まで底上げされる——この主張は、2000年代の後半から広く流通した。訓練した課題のすぐ隣に効くことを近い転移、離れた能力に効くことを遠い転移という。争点は、後者があるかどうかである。
米国とノルウェーの研究者による2016年のメタ分析は、事前事後の測定と対照群をもつ訓練研究を集め、87本の公表研究から145の実験的比較を得た。
鍵になるのは対照群の置き方である。何もしない群と比べるのか、別の課題を同じだけやった群と比べるのか。前者だと、課題に慣れたことも、期待も、やる気も、まとめて効果に化ける。著者たちは、能動的な対照群を置いた研究だけが、訓練に特有の利益についての説得力ある証拠になるとしている。その条件で見た結果が次の表である。
言語性の記憶課題 g = 0.31、視空間性の記憶課題 g = 0.28。訓練した課題の近所は動く。いっぽう、非言語的な能力 g = 0.05、言語能力 0.05、単語の解読 0.08、算数 0.06——いずれも信頼区間が0をまたぐ。読解だけが 0.15(0.03〜0.27)で0をまたがないが、この1件だけを取り出して読む値打ちがあるかは、著者たち自身が慎重である。
個別の試験でも形は同じだ。2013年に公表された無作為化試験は、若い成人を、記憶課題の訓練群、別の課題を同じ回数こなす能動的な対照群、何もしない群に割り付けた。1回30〜40分の課題を20回。73人が最後まで完了した。訓練した課題は伸びた。認知能力の検査への波及は、どれにも出なかった。 論文の題は「作業記憶訓練の後に知能の向上は認められない」である。
産業の側の根拠も、まとめて点検されている。2016年のレビューは、脳トレ企業が自社サイトで根拠として挙げていた論文132本を集め、無作為化・適切な能動的対照群・盲検・期待の測定・事前登録といった条件に照らして読み直した。結論は、訓練した課題が伸びる証拠は豊富で、近い課題への証拠は少なく、離れた課題や日常の認知が良くなるという証拠はほとんど無いというものだった。必要な条件をすべて満たした論文は、そこに1本も無かった。
2010年に英国で行われた大規模な検証も同じ向きを指す。オンラインの訓練に参加した11,430人が、6週間、訓練を続けた。訓練したすべての課題で成績は上がった。訓練していない課題への波及は、認知的に近い課題にさえ見つからなかった。
「効かない」ではない。「訓練した課題の近所までは効く」である。 その近所の外側を、広告は売っている。
数字が一人歩きするもう一つの例
教育や研修の資料には、しばしばこう書かれる。「作業記憶容量と学業成績の相関 r≈0.60」。 出どころは、たいてい書かれていない。
近いところを実際に測った集計はある。2018年に公表されたメタ分析は、読みと作業記憶の関連について197本の研究・260の独立した標本・29,629人を集計し、相関を r = .29(95%信頼区間 .27〜.31) と報告している。年齢や課題の種類で多少動くが、0.60 の近辺には来ない。
ここで二つ、区別しておく値打ちがある。ひとつ、相関係数 r と効果量 g は別の指標である。 混ぜて大小を比べられない。ふたつ、相関は「一緒に動く」であって「動かす」ではない。 作業記憶の課題も学業の成績も、制限時間つきで言葉と数字を扱う点が共通している。同じ材料で作った二つの物差しが相関するのは、それ自体としては驚きにあたらない。
時間・変化:訓練で動くもの、動かないもの
時間の軸で見ると、この話は三つの層に分かれる。いちばん速く動くのは訓練した課題そのものの成績で、数回で目に見えて伸びる。次に動くのが近所の課題で、似た形式の記憶課題に g にして 0.3 前後こぼれる。そして離れた能力は動かない。20回の訓練でも、6週間でも、測っている限りでは動かなかった。時間をかければ動く、という証拠も無い。
もうひとつの時間は、数字そのものの時間である。1956年の論文にあった但し書きは、半世紀のあいだに削り落とされて7という数字だけが残った。2001年に測り直されて4になったが、教材に載っているのはまだ7のほうが多い。人の記憶より、数字の記憶のほうが頑丈だった。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、同時に載せているものを数えていないことである。手順を思い出しながら、締切のことを考え、通知を見て、そのうえで新しい概念を入れようとする。台の広さは変わらないので、後から来たものが先にあったものを押し出す。押し出されたことには、たいてい気づかない。
ここで、この棚として毎回断ることがある。ここまでの数字は、ほとんどが欧米の大学生と、学校に通っている児童・生徒を対象に採られている。働きながら学んでいる大人を対象にした研究はごく少ない。 実験室の課題と、実際の試験や仕事の課題は別物である。効果は短い期間で測られたものが多い。そして続けられた人のデータだけが残る。とりわけ、もともと学ぶ余裕のある人ほど、その学習法を試せる、という逆向きを、この種の研究は排除できない。 静かな机、まとまった時間、体調——それは人によって大きく違う。
助けるのは、梱包を変えることである。台を広げる約束は買えるが、効くと確かめられているのは買えないほうだ。すでに知っている言葉で新しい情報を束ねる。手順を紙に出して、頭から降ろす。数字を桁で区切る。どれも地味で、近道の形をしていない。
そして、この棚がくり返し書くことをここでも1文だけ。学んでいる本人には、覚えた量も、伸びた幅も見えない。 見えるのは、資料を眺めているときの滑らかさだけである。だから「覚えた気がする」は、覚えた証拠にならない。
最初の一歩は5分。いま覚えようとしている項目を1つ選び、資料を閉じて書き出せた個数と、資料を見ながらなら書ける個数を並べて記録する。二つの数の差が、いま台の上に本当に載っている量である。
次の単位は 054「処理速度」——一度に載る量の話と、一手にかかる時間の話は、道具箱の別の引き出しに入っている。片方が狭くても、もう片方が速いことはある。そして、テストという装置は、その二つをひとつの点数にまとめてしまう。
- 作業記憶は、情報を保持したままその情報を操作する場所を指す。1974年に英国で提案された枠組みは、音の情報を保つ部分・形や位置の情報を保つ部分・その二つに注意を配る部分に分けて記述した。この単位が扱うのは一度に載る量だけで、並べ方(058の持ち場)と熟達による束ね方(芸道の棚の持ち場)には踏み込まない
- Miller 1956(Psychological Review 63(2))は「私の問題は、ある整数に付きまとわれてきたことである」で始まり、絶対判断の幅は情報量に、即時記憶の幅は項目数に制限されると区別している。同じ論文に、10進数字ならおよそ7個、無作為に選んだ英単語なら2、3個という材料ごとの違いが書かれ、著者は7の一致を「たちの悪い、ピタゴラス的な偶然」ではないかと疑うと述べた
- Cowan 2001(Behavioral and Brain Sciences 24(1))は、唱え直しと長期記憶による束ね直しを封じた条件では、容量の中心はおよそ4つの塊だと結論した。7という数字は、測定条件が落ちた形で流通している
- Melby-Lervåg, Redick & Hulme 2016(Perspectives on Psychological Science 11(4))は訓練研究87本から145の実験的比較を集計した。能動的な対照群を置いた比較では、言語性の記憶課題 g = 0.31、視空間性の記憶課題 g = 0.28。いっぽう非言語的な能力 g = 0.05、言語能力 0.05、単語の解読 0.08、算数 0.06 で信頼区間が0をまたぎ、読解のみ 0.15(0.03〜0.27)だった
- Redick ら 2013(Journal of Experimental Psychology: General 142(2))は、記憶課題の訓練群・能動的な対照群・無接触の対照群に無作為に割り付け、1回30〜40分の課題を20回、73人が完了した。訓練した課題は伸びたが、認知能力の検査への波及は無かった
- Simons ら 2016(Psychological Science in the Public Interest 17(3))は、脳トレ企業が根拠として挙げていた論文132本を条件に照らして読み直し、離れた課題や日常の認知が良くなるという証拠はほとんど無いと結論した。Owen ら 2010(Nature 465)は11,430人が6週間訓練したオンライン検証で、訓練した課題はすべて伸びたが、未訓練の課題への波及は認知的に近い課題にさえ見つからなかったと報告した
- 資料でよく見る「作業記憶容量と学業成績の相関 r≈0.60」について、Peng ら 2018(Psychological Bulletin 144(1))は197本の研究・260の独立した標本・29,629人を集計し、読みと作業記憶の相関を r = .29(95%信頼区間 .27〜.31)と報告している。相関係数 r と効果量 g は別の指標であり、相関は「一緒に動く」であって「動かす」ではない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 作業記憶は訓練すれば広がり、推論や読解や算数まで底上げされる | 訓練研究87本・145の実験的比較を集めた2016年のメタ分析では、別の課題を同じだけこなした能動的な対照群と比べたとき、非言語的な能力 g = 0.05、言語能力 0.05、単語の解読 0.08、算数 0.06 で、いずれも信頼区間が0をまたいだ。伸びたのは訓練した課題と、その近所の記憶課題(g = 0.31/0.28)までである。20回の訓練を行った73人の無作為化試験でも、11,430人・6週間のオンライン検証でも、離れた能力への波及は出ていない |
| 人が一度に抱えられるのは7つ、というのは確立した定数である | 1956年の原典は、材料によって数が変わることを同じ論文に書いている——10進数字ならおよそ7個、無作為に選んだ英単語なら2、3個。著者自身が7という一致を「たちの悪い、ピタゴラス的な偶然」ではないかと疑うと述べている。2001年に唱え直しと束ね直しを封じて測り直すと、中心はおよそ4つになった。7は定数ではなく、測定条件つきの数字である |
| 作業記憶容量と学業成績の相関は 0.60 くらいある | その値の出どころは、資料に書かれていないことが多い。近いところを実際に集計した2018年のメタ分析(197本・260標本・29,629人)では、読みと作業記憶の相関は r = .29(95%信頼区間 .27〜.31)だった。また相関係数 r と効果量 g は別の指標で、直接は比べられない。作業記憶の課題も学業の成績も、制限時間つきで言葉と数字を扱う点が共通しており、相関の一部はその共通性から来る |
脳トレには、商品として理想的な性質がある。効果が数回で目に見える。その効果が、まさに訓練した課題で測れる。そして測っているのが訓練した課題そのものだということは、画面のどこにも書かれていない。皮肉なのは、この分野でいちばん確実に鍛えられたのが、記憶でも推論でもなく、**その課題を続ける習慣**だったことである。台は、今日も同じ広さのままそこにある。
Q1. 訓練研究 ____ 本から ____ の実験的比較を集めた2016年のメタ分析では、能動的な対照群を置いた比較で、言語性の記憶課題の効果量は g = ____ 、非言語的な能力への効果量は g = ____ だった。穴埋め
Q2. 1956年の原典は、10進数字ならおよそ ____ 個を思い出せるが、無作為に選んだ英単語なら ____ 個しか保てないはずだと書いている。2001年に唱え直しと束ね直しを封じて測り直すと、中心はおよそ ____ つになった。穴埋め
Q3. 作業記憶の訓練研究で、「何もしない群と比べる」ことと「別の課題を同じだけこなした群と比べる」ことでは、結論がどう変わるか。2016年のメタ分析の立場に触れて答えよ。一問一答
Q4. 資料でよく見る「作業記憶容量と学業成績の相関 r≈0.60」について、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q5. 脳トレの効果をめぐる大規模な検証について、本文の内容に合うものはどれか。選択
いま覚えようとしている項目を1つ選ぶ。資格の勉強でも、技術書の用語でも、語学の単語でも、仕事の手順でもよい。まず資料を閉じて、思い出せるものを紙に書き出し、その個数を数える。次に資料を開いて、見ながらなら書ける個数を数え、二つの数を並べて記録する。差がそのまま、いま本当に手元に載っている量と、載っていると感じていた量の差である。学校に通っていない場合は、今日読んだ業務文書や説明書の要点で置き換えてよい。誰にも見せなくてよく、少ないことを問題として扱う必要もない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Baddeley A.D., Hitch G. (1974) 'Working Memory', in Bower G.H. (ed.) The Psychology of Learning and Motivation, Vol. 8:47-89, Academic Press — www.sciencedirect.com
- Miller G.A. (1956) 'The Magical Number Seven, Plus or Minus Two: Some Limits on Our Capacity for Processing Information', Psychological Review 63(2):81-97 — psychclassics.yorku.ca
- Cowan N. (2001) 'The magical number 4 in short-term memory: A reconsideration of mental storage capacity', Behavioral and Brain Sciences 24(1):87-114 — memory.psych.missouri.edu
- Melby-Lervåg M., Redick T.S., Hulme C. (2016) 'Working Memory Training Does Not Improve Performance on Measures of Intelligence or Other Measures of Far Transfer: Evidence From a Meta-Analytic Review', Perspectives on Psychological Science 11(4):512-534 — journals.sagepub.com
- Redick T.S., Shipstead Z., Harrison T.L., Hicks K.L., Fried D.E., Hambrick D.Z., Kane M.J., Engle R.W. (2013) 'No evidence of intelligence improvement after working memory training: A randomized, placebo-controlled study', Journal of Experimental Psychology: General 142(2):359-379 — englelab.gatech.edu
- Simons D.J., Boot W.R., Charness N., Gathercole S.E., Chabris C.F., Hambrick D.Z., Stine-Morrow E.A.L. (2016) 'Do Brain-Training Programs Work?', Psychological Science in the Public Interest 17(3):103-186 — journals.sagepub.com
- Owen A.M., Hampshire A., Grahn J.A., Stenton R., Dajani S., Burns A.S., Howard R.J., Ballard C.G. (2010) 'Putting brain training to the test', Nature 465:775-778 — pmc.ncbi.nlm.nih.gov
- Peng P., Barnes M., Wang C., Wang W., Li S., Swanson H.L., Dardick W., Tao S. (2018) 'A meta-analysis on the relation between reading and working memory', Psychological Bulletin 144(1):48-76 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov