机の上のスマートフォンが奪っていたのは、成績のばらつきの1.4%だった
机の上に伏せて置いてあるだけで、スマートフォンは頭の中の場所を取る。——この一文は二つの実験から出て、数年で研修資料の定番になった。そのあいだ、数字のほうはずっと小さくなり続けていた。
集中できないのは、性格ではない
注意というのは、意志の量ではなく配分の話である。同じ時間に届く合図はいくつもあり、そのうち一つに向けると、他は弱くなる。向けないほうを弱くしておく仕事のほうが、向けることよりずっと重い。 集中しているという状態は、何かを見つめている状態ではなく、見つめていないものを押さえ込んでいる状態である。
だから「集中力がない」と言うとき、実際に起きているのは配分の失敗であって、性格の問題ではない。ここでは注意という資源の配分だけを扱う。 それ以上のこと——たとえば、集中しにくさを何かの兆候として読むこと——は、この棚の持ち場ではない。
配分にかかる費用は、実験室では素直に測れる。課題を切り替えると、切り替えた直後の反応が遅くなる。 2003年に *Trends in Cognitive Sciences* へ出た総説によれば、その遅れは基準となる500ミリ秒に対して200ミリ秒という桁で出る。
面白いのはここからだ。切り替えが来ると分かっていて、準備の時間を与えられても、費用は消えない。 総説はこう書いている——「準備は一般に切り替えの費用を消し去らない」。減りはする。だがおよそ600ミリ秒の準備で下げ止まり、そこから先は縮まない。5秒以上の準備を与えてもかなりの残りが報告されている、とも書かれている。
準備でどうにかなる部分と、どうにもならない部分がある。 後者は、意志の問題ではない。
値切り:「手元にあるだけで認知資源が奪われる」
学習の資料でよく引かれる一文がある。「スマートフォンは、使っていなくても、手元にあるだけで認知資源を奪う」。 出どころは特定できる。米国で2017年に *Journal of the Association for Consumer Research* へ出た2つの実験である。
第1の実験は、スマートフォンを持つ520人の大学生を、机の上・鞄かポケットの中・別の部屋の三条件に割り付けた。全員が、覚えながら計算する課題と、図形の規則を見つける課題を受けた。結果は、置き場所の主効果が有意だった。 机の上の群は別の部屋の群より成績が低く、別の部屋・鞄・机の順に直線的に下がる傾向が示された。第2の実験(275人)でも、置き場所の効果が確認され、その大きさはスマートフォンへの依存の度合いで変わったと報告されている。
ここで、効果の大きさを原典で確かめる必要がある。第1の実験で報告された偏イータ2乗は、覚えながら計算する課題で 0.014、図形の課題で 0.015 だった。それぞれ、成績のばらつきの1.4%と1.5%にあたる。 第2の実験は 0.026 である。
「奪われる」という語感と、この数字は釣り合っていない。
追試を探す
この効果が本物なら、同じ手順でもう一度出るはずである。探した。
カナダで2022年に *Acta Psychologica* へ出た研究は、この2017年の第2実験を、事前に手順を登録したうえで直接なぞった。結果は再現しなかった。 置き場所の条件のあいだに、覚えながら計算する課題でも、反応を抑える課題でも、有意な差は出なかった。著者たちの結論は、自分のスマートフォンが手元にあるというだけでは、認知の成績を変えるのに足りないかもしれない、というものだった。
集計も出ている。2023年に *Behavioral Sciences* へ出たメタ分析は、22件・43の効果量を集め、記憶・注意・全般的な認知の三つに分けた。全体の効果は g = −0.14(95%信頼区間 −0.24〜−0.03)。 有意ではあるが小さく、研究間のばらつきは大きい(I2 = 61.84)。著者たちは、影響の受け方が認知の領域によって違うこと、対象者の国が重要な変数として浮かんだことを書いている。
もう一本、2024年に *Media Psychology* へ出た系統的レビューは、「単に手元にあるだけ」という条件に絞って六つの集計を行った。56件・7,093人。 そして——六つの認知機能のうち、有意な統合効果が残ったのは、覚えながら作業する能力の一つだけだった。 残りはすべてゼロの周辺である。この論文はもうひとつ書いている。この領域は方法のばらつきが大きく、統計的な検出力が総じて低い。 だから、支持するにも否定するにも、いまの文献では足りない、と。
「奪われる」から「一部の指標で、小さく、ばらつきながら」へ。 数字は、測り直すたびに縮んでいった。
隣にある、同じ形の話
同じ形は、もう一度起きている。
2009年に *PNAS* へ出た研究は、複数のメディアを同時に使う度合いを尋ねる質問票を作り、262人を調べて上位群と下位群を取り出した。各実験の人数は20〜30人規模である。結果は、同時使用の多い群のほうが、無関係な刺激や記憶からの干渉を受けやすく、切り替えの課題でも成績が悪かった。 この一本が、以後10年以上、「ながら使いは注意を壊す」の根拠として引かれ続けた。
2017年に *Attention, Perception, & Psychophysics* へ出た論文が、それを2度追試した。14の検定を用意し、平均的な検出力は0.81。 有意になったのは5つだけで、より厳しい基準で残ったのは2つだった。同じ論文は、公表されている全研究から39の効果量を集めて集計した。弱いが有意な関連が出た。ところが小標本に偏る傾向を補正すると、有意でなくなった。 著者たちの結論は、この関連が存在するのかどうかを問い直す必要がある、というものである。
元の実験が壊れたのではない。元の実験は、20〜30人で得られた1本の結果だった。 壊れたのは、その1本を全体像として配ったほうである。
時間・変化:一つの実験が、処方になるまで
時間の軸で並べると、速さが分かる。
2009年、20〜30人規模の実験が *PNAS* に出る。2017年、机の上のスマートフォンの実験が公表され、同じ年に、2009年の研究の追試が「補正すると有意でない」と報告する。2017年から2020年ごろ、机の上の実験は研修資料と学習アプリの宣伝文句に入り、置き場所の指示になる。2022年、事前登録した直接の追試が再現しない。2023年、22件の集計で g = −0.14。2024年、56件・7,093人の集計で、有意に残ったのは六つの機能のうち一つ。
実験から処方までが数年、処方から追試までが5年。そして追試の結果が資料に反映されるまでの期間は、まだ終わっていない。 一つの印象的な実験は、追試より速く動く。 速さの差が、そのまま資料と原典のずれになる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、置き場所を守ることを目標にしてしまうことである。効果の大きさが 1.4% のばらつきなら、そこに労力を集中させる意味は薄い。しかも「置いた/置かなかった」は記録しやすく、「何に注意が持っていかれたか」は記録しにくい。 記録しやすいほうが目標になると、測っているものと直したいものがずれる。
ここでこの棚として毎回断ることがある。ここまでの数字は、ほぼすべて欧米の大学生を対象に、実験室で採られている。 働きながら学んでいる大人を対象にした研究はごく少ない。実験室の課題と、実際の試験や仕事の課題は別物である。効果は短い期間で測られたものが多く、数か月後まで追った研究はその一部にすぎない。そして続けられた人のデータだけが残る。とりわけ——もともと学ぶ余裕のある人ほど、その学習法を試せる、という逆向きを排除できない。 日本の社会人を対象にした追試は、この主題では見あたらなかった。
助けるのは、置き場所ではなく、切り替えの回数のほうを見ることである。切り替えの費用は準備では消えないと分かっているのだから、減らせるのは費用の大きさではなく、費用を払う回数である。そして回数は、環境を整えるより先に、いま何が出ているかを数えるだけで見える。
最初の一歩は10分。今日1時間のあいだ、机の上と画面に出ていたものを書き出し、そのうち今の作業に必要だったものの件数を数える。 片づける必要はない。数えるだけでよい。
次の単位は 053「作業記憶」——注意を向けた先で、いくつのものを同時に持っていられるか。 道具箱の隣の引き出しである。そして、そこにもよく引かれる数字がひとつあって、測定条件ごと落ちて流通している。
- 注意は意志の量ではなく配分である。集中している状態とは、何かを見つめている状態ではなく、見つめていないものを押さえ込んでいる状態である。Monsell 2003(Trends in Cognitive Sciences 7(3))によれば、課題を切り替えた直後の遅れは、基準となる500ミリ秒に対して200ミリ秒という桁で出る
- 同じ総説は、準備は一般に切り替えの費用を消し去らないと書いている。準備でおよそ600ミリ秒までは費用が下がるが、そこで下げ止まり、5秒以上の準備を与えてもかなりの残りが報告されている。準備でどうにかなる部分と、どうにもならない部分がある
- 「手元にあるだけで認知資源を奪う」の出どころは Ward ら 2017(Journal of the Association for Consumer Research 2(2))の2実験である。第1実験は520人を机の上・鞄かポケット・別の部屋に割り付け、置き場所の主効果が有意だった。ただし報告された偏イータ2乗は 0.014 と 0.015=成績のばらつきの1.4%と1.5%で、第2実験(275人)は 0.026 である
- Ruiz Pardo & Minda 2022(Acta Psychologica 230:103717)は、この第2実験を事前に手順を登録したうえで直接なぞったが、再現しなかった。置き場所の条件のあいだに、覚えながら計算する課題でも反応を抑える課題でも有意な差は出ず、手元にあるだけでは認知の成績を変えるのに足りないかもしれないと結論している
- Böttger ら 2023(Behavioral Sciences 13(9):751)は22件・43効果量を集計し、全体の効果を g = −0.14(95%信頼区間 −0.24〜−0.03)と報告した。有意だが小さく、研究間のばらつきは大きい(I2 = 61.84)。Parry 2024(Media Psychology 27(5))は「単に手元にあるだけ」の条件に絞って56件・7,093人で六つの集計を行い、有意な統合効果が残ったのは覚えながら作業する能力の一つだけだった
- 同じ形は一度起きている。Ophir ら 2009(PNAS 106(37))は262人を調べて上位群と下位群を取り出し、各実験20〜30人規模で、複数メディアの同時使用が多い群ほど干渉を受けやすく切り替えの成績も悪いと報告した。この1本が10年以上引かれ続けた
- Wiradhany & Nieuwenstein 2017(Attention, Perception, & Psychophysics 79(8))は、それを2度追試した。14の検定を用意し平均的な検出力は0.81だったが、有意になったのは5つ、より厳しい基準で残ったのは2つ。公表された全研究から39の効果量を集めた集計では弱いが有意な関連が出たものの、小標本に偏る傾向を補正すると有意でなくなった
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| スマートフォンは、使っていなくても手元にあるだけで認知資源を奪う | 出どころは米国・2017年の2実験である。第1実験(520人)で置き場所の主効果は有意だったが、報告された偏イータ2乗は 0.014 と 0.015、つまり成績のばらつきの1.4%と1.5%にあたる。事前に手順を登録した2022年の直接の追試では再現しなかった。22件・43効果量を集めた2023年の集計は g = −0.14(95%信頼区間 −0.24〜−0.03、ばらつきは I2 = 61.84)。56件・7,093人を対象にした2024年の系統的レビューでは、六つの認知機能のうち有意に残ったのは一つだけだった |
| ながら使いが多い人は注意の働きが壊れている、と実験で示されている | 元になったのは2009年の1本で、262人を調べて上位群と下位群を取り出し、各実験は20〜30人規模だった。2017年にそれを2度追試した研究では、平均的な検出力0.81の14の検定のうち有意になったのは5つ、厳しい基準で残ったのは2つである。公表された全研究から39の効果量を集めた集計でも、小標本に偏る傾向を補正すると有意でなくなった。壊れたのは元の実験ではなく、1本の結果を全体像として配ったほうである |
| 集中できないのは意志が弱いからで、気合いを入れれば切り替えの遅れは消える | 切り替えの費用は、次に何が来るか分かっていて準備の時間を与えられても消えない。減りはするが、およそ600ミリ秒の準備で下げ止まり、5秒以上を与えてもかなりの残りが報告されている。準備でどうにかなる部分と、どうにもならない部分がある。だから減らせるのは費用の大きさではなく、費用を払う回数のほうである |
この一文が広まった理由は、たぶん正しかったからではない。**そのまま指示に変換できたから**である。効果量は指示にならないが、「別の部屋に置く」は指示になる。指示になるものは配布でき、配布できるものは資料に載り、資料に載るものは追試より速く動く。皮肉なのは、そうやって置き場所の話に労力が集まっているあいだ、**準備しても消えないと分かっているほうの費用**——切り替えを一回払うたびの二百ミリ秒——は、ずっと数えられずに残っていたことである。片づける相手を間違えていた、というだけの話かもしれない。
Q1. 「手元にあるだけで認知資源を奪う」の出どころは米国・____ 年の実験である。第1実験は ____ 人を机の上・鞄かポケット・別の部屋に割り付け、置き場所の主効果は有意だったが、報告された偏イータ2乗は 0.014 と ____ 、つまり成績のばらつきの1.4%と ____ % にあたる。穴埋め
Q2. この効果の追試として、本文ではどこを探し、何が見つかったか。三つ挙げて答えよ。一問一答
Q3. 課題の切り替えの費用について、2003年の総説が述べていることに合うものはどれか。選択
Q4. 複数のメディアを同時に使う度合いと注意の関係について、2017年の追試研究が報告したことはどれか。選択
Q5. 「一つの実験が処方になる」までの出来事を、本文が並べた順に並べよ。(22件を集めた集計が g = −0.14 を出す/机の上の実験が公表される/事前登録した直接の追試が再現しない/研修資料や宣伝文句に入り、置き場所の指示になる)並べ替え
今日、勉強や作業をする1時間を1回ぶんだけ選ぶ。その1時間が終わったら、机の上に出ていたものと、画面に開いていたものを、思い出せるかぎり書き出す。紙、道具、飲みもの、開いていた窓やタブ——粒はどれでもよい。書き出したら数を数える。次に、そのうち「その1時間の作業に実際に必要だったもの」に印を付け、その件数を数える。記録するのは二つの数字だけでよい。片づける必要も、次から減らす必要もない。いま学校に通っていない人は、仕事の作業1時間に置き換えて構わない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Monsell S. (2003) 'Task switching', Trends in Cognitive Sciences 7(3):134-140 — epa.psy.ntu.edu.tw
- Ward A.F., Duke K., Gneezy A., Bos M.W. (2017) 'Brain Drain: The Mere Presence of One's Own Smartphone Reduces Available Cognitive Capacity', Journal of the Association for Consumer Research 2(2):140-154 — www.journals.uchicago.edu
- Ruiz Pardo A.C., Minda J.P. (2022) 'Reexamining the brain drain effect: A replication of Ward et al. (2017)', Acta Psychologica 230:103717 — ir.lib.uwo.ca
- Böttger T., Poschik M., Zierer K. (2023) 'Does the Brain Drain Effect Really Exist? A Meta-Analysis', Behavioral Sciences 13(9):751 — opus.bibliothek.uni-augsburg.de
- Parry D.A. (2024) 'Does the Mere Presence of a Smartphone Impact Cognitive Performance? A Meta-Analysis of the Brain Drain Effect', Media Psychology 27(5):737-762 — research.vu.nl
- Ophir E., Nass C., Wagner A.D. (2009) 'Cognitive control in media multitaskers', Proceedings of the National Academy of Sciences 106(37):15583-15587 — web.stanford.edu
- Wiradhany W., Nieuwenstein M.R. (2017) 'Cognitive control in media multitaskers: Two replication studies and a meta-analysis', Attention, Perception, & Psychophysics 79(8):2620-2641 — link.springer.com