表の合計点は、測定ではなく決めの後ろに出てくる
評価表で良い仕入先が選べる、という言い方がある。いちばん有名な枠を整理した査読誌は、それを全否定していない。ただし同じ論文に、この枠の測定はすべての分類の枠にとっての急所であり、どう測るかの手順は理論から与えられていない、と書いてある。
前の単位では、抱えすぎた在庫をどう見て、どう手放すのかを扱った。ここでは、そもそも何を、誰から仕入れるのか——仕入先を選ぶという作業を扱う。ここから、話は在庫の勘定から、仕入先との関係のほうへ積み上がっていく。
この単位が扱うのは一点——仕入先を「選ぶ」とき、評価の表がどこまで選んでくれるのかである。値切りの仕方は扱わない。価格の交渉術も、契約の条文の読み方も扱わない。そして、仕入先は「相手」であって「管理する対象」ではない、という一点を、ここで一度だけ断っておく。こちらにとって良い相手が、相手にとって良い取引先とはかぎらない。
「表を埋めれば良い仕入先が出る」という道具の話
仕入先選びには、たいてい表が使われる。品質・価格・納期・対応をいくつかの項目に分け、点をつけ、重みをかけて合計する。合計の高い順に並べれば、良い仕入先が上に来る——という道具である。
この発想のいちばん有名な元になっているのが、**1983年に *Harvard Business Review* 61(5):109-117 へ出た記事である。書いたのは経営コンサルティング会社に在籍していた人物で、この記事は査読を経た論文ではなく、実務誌の記事である。提案は単純だ。調達する品目を、二つのものさしで四つに分ける。一つは利益インパクト——その品目が損益にどれだけ効くか。もう一つは供給リスク——切れたときにどれだけ困るか。この二軸で作る四つの区画ごとに、付き合い方の方針を変えよ、という枠である。ここでは、この二軸で品目を四つに分ける枠をポートフォリオの枠**(調達品目を分類する見取り図)と呼んでおく。
この枠は、いまも調達の教科書やコンサルの資料でいちばんよく使われている。 ただし、ここから先に、道具の性能をめぐる話がある。
測定が「アキレス腱」だと、査読誌のほうが書いている
2003年に *Journal of Purchasing & Supply Management* 9(5-6):207-216 へ出た論文は、この枠をめぐる測定の問題を、文献を横断して整理している。要旨はまず、この枠がなお実務で支配的だと認めたうえで、こう書く——“Contrary to the growing use of the Kraljic matrix, there are problems and unanswered questions with respect to measurement and strategic issues.”
その測定の問題を、論文は先行研究の言葉で二重に言い切る。一つ——“Day (1986) concluded that measurement is considered to be the Achilles’ heel for all portfolio models.” 測定は、この手の分類の枠すべてにとっての急所だ、という。 もう一つ——“Theory does not provide prescriptions or procedures for measurement, leading Ramsay (1996, p. 15) to conclude that these concepts are ‘actually made up of a number of nebulous concepts without operational dimensions’.” 理論は、どう測るかの手順を与えていない。
利益インパクトも供給リスクも、そのままでは数字にならない。数字にするには、何を項目に入れ、それぞれにどれだけの重みをかけるかを、人が決めるしかない。論文はその重み付けをこう評する——“…the weighting of each factor is the most important part of the implementation process, but at the same time very subjective.” いちばん大事な工程が、いちばん主観的だ、というのである。
ここが、この棚を貫く問いにそのまま乗る。表の合計点は、何を価値や費用として項目に入れ、何を入れないかの決めの産物である。 数式のかたちをした合計は、その決めのあとに出てくる。数字の見た目の厳密さが、入力の恣意性を隠す。
判別できなければ、分類も推奨も恣意的になる
同じ論文は、測定の甘さが分類そのものに跳ね返ることも書いている——“If we have problems discriminating between categories, then the classification of products will be arbitrary and so will be the provided recommendations.” 区画の境目をきちんと引けないなら、どの品目がどこに入るかは恣意的になり、そこから出てくる「こう付き合え」という推奨も恣意的になる。
しかも、枠は区画のあいだの移動については何も言わない——“The Kraljic framework, however, does not provide guidelines for movements within the matrix.” いまこの品目がどこにいるかは示せても、どうやって別の区画へ動かすかは、枠の外の話である。
では、この枠には根拠が乏しいのか
証拠の量そのものが薄い。論文はこう書く——“Little is known about the actual use of portfolio models in purchasing. Most publications are conceptual or anecdotal by nature.” 実務で実際にどう使われているかは、ほとんど分かっていない。文献の多くは、概念の話か、逸話である。
ここで片側に振り切ってはいけない。同じ論文の要旨は、こうも締める——“Based on explorative case studies, the critique of Kraljic’s model has been disputed and refuted to a large extent.” 測定への批判は、事例研究を通じて、大部分は反論され、退けられてもいる。 経験を積んだ買い手は、測定の甘さを実際には手当てしている、というのが論文の結びである。だから話は「この枠はだめだ」ではない。
言えるのは、狭く三つである。この枠は考えるための見取り図としては役に立つ。ただし、①どう測るかは主観的な合意で決まり、②実務での効き目の実証は乏しく、③区画の移動については何も教えてくれない。 ゆえに——「表を埋めれば良い仕入先が自動的に出てくる」は、道具の性能を超えた期待である。
「評価する側」と「される側」がある
もう一つ、表には映りにくいことがある。点をつけているあいだ、こちらは評価する側にいて、仕入先は評価される側にいる。その非対称は、表の外にある。 相手にもこちらを見る目があり、相手にも都合と限界があり、相手にとっての良い取引先の条件は、こちらの合計点とは別のところにある。表は、こちらの都合で選んだ項目に、こちらの都合で重みをかけたものだ——という当たり前を、点数の見た目はしばしば忘れさせる。
この単位は、格付けの道具を配らない。 良い仕入先を「当てる」装置は、この枠の中には無い。ここにあるのは、自分が何を大事にしているかを並べて見るための、鏡のような枠である。
時間・変化:1983年から2005年まで
順に置く。1983年、二つのものさしで調達品目を四つに分ける枠が、実務誌の記事として出る。査読を経た論文ではない。2003年、査読誌の論文が、この枠の測定を「急所」と呼び、理論は測る手順を与えていない、重み付けは主観的だ、区画を判別できなければ分類も推奨も恣意的になる、と整理する。ただし同じ論文は、経験ある実務家が測定問題に対処していることも認める。2005年、同じ著者たちが、ポートフォリオの枠の批判と更新をあらためて査読誌にまとめる。
22年でくり返し確かめられたのは、枠の当たる精度ではなく、枠を使うときにどこが人の決めに委ねられているか、のほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、合計点を、測定の結果だと思ってしまうことである。合計は、項目の選び方と重みの置き方という、いくつもの決めの後ろに出てくる数字だ。数字のかたちをしているからといって、決めが消えるわけではない。
標本の偏りも断っておく。ここまでの証拠は、質問票や事例調査に答える余裕のある組織から採られたものが多く、論文自身が、実務での使われ方は分かっておらず文献の多くは概念的・逸話的だ、と書いている。一人で発注も検品も回している小さな現場のやり方は、そもそも調査に入っていない。
助けになるのは、評価の項目とその重みを、誰が・いつ決めたのかを書き出してみるという一手である。合計点の高低は、あとから理由をつけやすい。重みの出どころはそうならない。誰が置いた重みかは、印象ではなく記録として残る。
最初の一歩は10分。いま自分が仕入先を見るときに使っている項目を書き出し、その一つひとつに、自分がどれだけの重みを置いているかを、言葉か割合で書き添える。正しい重みを探すのではない。自分がいま置いている重みを、目に見えるところに出すだけである。
次の単位は 310「仕入先と共に強くなるには?」——選んだ相手と、どこまで近づくと何が起きるのかを、ここに積み上げる。
- 1983年に Harvard Business Review 61(5):109-117 へ出た記事が提案した二軸の枠(利益インパクト×供給リスク)は、いまも調達でいちばん使われている。ただしこれは査読を経た論文ではなく、経営コンサルティング会社在籍者による実務誌の記事である
- 2003年に Journal of Purchasing & Supply Management 9(5-6):207-216 へ出た論文は、要旨で「その普及に反して、測定と戦略の問題・未解決の問いがある」と述べ、先行研究を引いて「測定はすべてのポートフォリオの枠にとっての急所である」と書いた
- 同論文は「理論は測定のための処方も手順も与えていない」と述べ、そのため2軸は「操作可能な次元を欠いた曖昧な概念からできている」と評した先行研究(Ramsay 1996, p.15)を引いている。各要因の重み付けは実装の最重要工程でありながら、同時にきわめて主観的だと書かれている
- 同論文は「区画を判別できなければ、品目の分類は恣意的になり、そこから出てくる推奨も恣意的になる」と述べ、さらに「この枠は区画のあいだの移動については指針を与えていない」と書いている。表の合計点は、何を項目に入れどう重みづけるかの決めの後ろに出てくる
- 同論文は「購買におけるポートフォリオの枠の実際の使われ方はほとんど分かっておらず、刊行物の多くは概念的か逸話的である」と書き、実証の乏しさを明示している
- ただし同論文は片側に振れていない。要旨は「探索的な事例研究にもとづき、この枠への批判は大部分が反論され退けられてきた」と締め、経験ある実務家が測定問題に対処していると結ぶ。棚の主張は全否定ではなく、①測定は主観的、②実証は乏しい、③移動の指針が無い、の三点である
- 2005年に Journal of Supply Chain Management 41(3):19-28 へ出た同じ著者たちの論文は、購買のポートフォリオの枠について批判と更新をあらためて整理した。1983年の原典から2003年・2005年の整理まで、繰り返し確かめられたのは枠の精度ではなく、どこが人の決めに委ねられているかである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 評価表(スコアカード)に点をつけて合計すれば、良い仕入先が選べる | 2003年の Journal of Purchasing & Supply Management 9(5-6) の論文は、いちばん有名な二軸の枠の測定を「すべてのポートフォリオの枠にとっての急所」と呼び、理論は測る手順を与えていない、各要因の重み付けは最重要工程でありながらきわめて主観的だ、と書いた。合計点は測定の結果ではなく、何を項目に入れどう重みづけるかの決めの後ろに出てくる数字である |
| 二軸の枠は、どの品目がどこに入るかを客観的に決めてくれる | 同論文は「区画を判別できなければ、分類は恣意的になり、推奨も恣意的になる」と述べ、さらに「区画のあいだの移動については指針を与えていない」と書いている。枠はいまの位置を示す見取り図であって、良い仕入先を当てる予測器でも、動かし方の処方箋でもない |
| この枠は実証で効果が確かめられている | 同論文は「実際の使われ方はほとんど分かっておらず、刊行物の多くは概念的か逸話的である」と書いている。一方で同論文は、探索的な事例研究にもとづき、この枠への批判は大部分が反論され退けられてきたとも締める。効果が確かめられているのでも、枠が無用なのでもなく、実証そのものが薄い、というのが正確な言い方である |
皮肉なのは、この枠がいちばん喜ばれる理由のほうである。二つのものさしで四つに分けると、複雑な仕入れが一枚の絵になる。絵になると、決めたような気持ちになる。だが絵にする過程でいちばん力を持つのは、どの項目を軸に選び、どこに線を引くかを決めた人の手つきである。合計点は、その手つきのあとに出てくる。表がしてくれるのは選別ではなく、こちらが何を大事にしているかを、こちらに向けて映し返すことだ。良い仕入先を当てているのではない。自分の重みの置き方を、四つの区画に翻訳しているだけである。
Q1. 「良い仕入先を選ぶには?」について、2003年の Journal of Purchasing & Supply Management 9(5-6) の論文は、いちばん有名な二軸の枠の測定を、すべてのポートフォリオの枠にとっての【 ① 】であると呼んだ。理論は、どう【 ② 】かの手順を与えておらず、各要因の重み付けは最重要工程でありながら同時にきわめて【 ③ 】だとされる。穴埋め
Q2. この単位が「枠の全否定ではない」と言えるのはなぜか。同じ論文が要旨で締めている内容を挙げて説明せよ。一問一答
Q3. 2003年の論文が、この枠の実証について書いていることとして正しいものはどれか。選択
Q4. 「区画を判別できなければ、分類は恣意的になり、推奨も恣意的になる」とはどういう意味か。表の合計点との関係で1〜2文で説明せよ。一問一答
Q5. この単位で扱った三つの出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)同じ著者たちが、ポートフォリオの枠の批判と更新をあらためて整理する(イ)二軸で調達品目を四つに分ける枠が、実務誌の記事として出る(ウ)査読誌が、測定を急所と呼び、重み付けは主観的だと整理する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が仕入先や取引先を見るときに実際に気にしている項目を、思いつくまま書き出す(品質・価格・納期・対応・付き合いの長さなど、言葉は自分のものでよい)。書き出したら、その一つひとつに、自分がいまどれだけの重みを置いているかを、言葉(とても重い・ふつう・軽い)か、合計が10になる割合で書き添える。正しい重みを探さない。相手に連絡したり、相手を採点したりしない。あくまで自分の頭の中にある重みを、目に見えるところへ出すだけである。最後に、その重みを最初に決めたのは誰か・いつごろか(自分・前任者・慣習・思い出せない、のどれか)を1語だけ添える。いま組織に属していない場合や一人で全部を回している場合も、自分が何かを買うときに気にしている項目で同じ形で書けば成立する。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Gelderman C.J., Van Weele A.J. (2003) 'Handling measurement issues and strategic directions in Kraljic’s purchasing portfolio model', Journal of Purchasing & Supply Management 9(5-6):207-216(DOI未確定) — www.sciencedirect.com
- Gelderman C.J., Van Weele A.J. (2005) 'Purchasing Portfolio Models: A Critique and Update', Journal of Supply Chain Management 41(3):19-28, doi:10.1111/j.1055-6001.2005.04103003.x — doi.org
- Kraljic P. (1983) 'Purchasing Must Become Supply Management', Harvard Business Review 61(5):109-117(実務誌・査読を経た論文ではない) — hbr.org
- Olsen R.F., Ellram L.M. (1997) 'A portfolio approach to supplier relationships', Industrial Marketing Management 26(2):101-113, doi:10.1016/S0019-8501(96)00089-2 — doi.org
- Nellore R., Söderquist K. (2000) 'Portfolio approaches to procurement', Long Range Planning 33(2):245-267, doi:10.1016/S0024-6301(00)00027-3 — doi.org
- Ramsay J. (1994) 'Purchasing power', European Journal of Purchasing & Supply Management 1(3):125-138, doi:10.1016/0969-7012(94)90002-7 — doi.org