「在庫は悪」の線は、実測すると途中で折れて、減らしすぎると業績が下がる
在庫は悪、減らすほど健全——とよく言われる。皮肉なことに、それを実測すると線は途中で折れる。米国製造業のパネルでは、在庫のスリムさと業績の関係は上に凸で、最適点を超えて減らすと、業績はむしろ下がっていた。「減らすほど良い」は、山の左半分だけを見た言い方だった。
前の単位では、切らさないための備えを扱った。ここでは、その備えが余ったとき——過剰在庫をどう見るのかを扱う。ここでも軸は同じである。在庫が悪か善かは、何を費用に数えるかで裏返る。
「在庫は悪」というスローガン
在庫の話には、たいてい強い一言が付いてくる——在庫は悪。ムダ。キャッシュを寝かせる罪。減らせば減らすほど、経営は健全になる、という語り口だ。JIT(必要なものを必要なだけ)やリーン(ぜい肉をそぎ落とす)の通俗的な紹介が、この語り口を運んでいる。
だが、これは法則ではなく、スローガンである。減らすほど良い、という直線が本当に成り立つのかは、実際に測れる。そしてその線は、ある地点で折れる。
前の三つの単位で見てきたことを、ここで裏返す。305では、外れる向きの非対称を見た。306では、式が「切らさず即届く」と置いた前提を見た。307では、切らす費用が測れないことを見た。過剰は、その裏面である。 切らさないために厚く持てば、余りやすくなる。307と308は、同じ在庫を、切らす側と余る側から見ているにすぎない。だから「余りは悪」と一言で片づけると、307で見た「切らす費用」を勘定から落としてしまう。
減らすほど良い、の線は途中で折れる
2011年に *Journal of Operations Management* 29巻4号へ出た論文が、この点を正面から測っている。書き出しからして慎重だ——“there is limited evidence that inventory leanness leads to improved firm performance.”(在庫のスリムさが企業の業績を高めるという証拠は限られている)。よく言われるわりに、裏づけは薄い、というのである。
そして米国の製造業の大きなパネルデータを分析した結論はこうだ——“the relationship is concave, suggesting that there is an optimum level of inventory leanness beyond which firm performance deteriorates.”(関係は上に凸で、在庫のスリムさには最適の水準があり、それを超えると業績はむしろ悪化する)。減らすことは、ある点までは効く。その先は、逆に効く。 「減らすほど良い」は、上に凸の山の、左半分だけを見た言い方である。
なぜ折れるのか。在庫を薄くしすぎると、需要の揺れや納期の遅れを吸収する緩衝(バッファ)が消える。すると、切らす、生産が止まる、急ぎで割高に手当てする——307で見た「測れない費用」が、ここで表に出てくる。 山の右側の下り坂に何が入っているかというと、その費用である。削減の効果だけを数え、右側の費用を数えなければ、線はいつまでも右上がりに見えてしまう。
折れる場所は、業種で違う
しかも、山の形も、頂の位置も、業種によって大きく違う。同じ論文は、この関係が調べた54業種のうち約3分の2で有意だったと報告している。裏を返せば、残りの3分の1では、はっきりした形が出ていない。「リーンは万能」でも「在庫は一律に悪」でもない。どこまで減らすと折れるかは、業種の構造しだいなのである。
折れる場所は、自社の事情だけでも決まらない。2022年に同じ *Journal of Operations Management* 68巻4号へ出た研究は、リーンの効き方が、仕入先のスリムさにも左右されることを示した。自分と相手の在庫は、つながっている。 自分だけを削っても、相手が薄ければ、途切れやすさは残る。最適の水準は、相手を含めて動く。
効き方を左右するのは、相手だけではない。2017年に *Journal of Supply Chain Management* 53巻2号へ出た研究は、リーン在庫戦略の効果が、その会社の財務の余裕(財務依存度)によって条件づけられることを示している。同じ「在庫を薄くする」でも、体力のある会社と、資金繰りに追われる会社とでは、出る結果が違う。 「在庫を減らせば強くなる」は、どの会社にも同じように当てはまる処方ではない。
在庫は、言われるほど劇的には減っていない
そもそも「在庫は減らすもの」という前提自体、事実だろうか。2005年に *Management Science* 51巻7号へ出た研究は、米国企業の在庫の推移を長期に追い、言われるほど劇的には減っていないこと、製造業と小売とで動きが違うことを報告している。「昔は在庫が多かった、今は皆スリムだ」という物語は、平均をならすと、思ったほどきれいには描けない。スローガンの前提が、データではぼやける。
滞留は、道徳問題ではなく会計事象
では、実際に余った在庫、動かなくなった滞留在庫は、どう扱うのか。ここで大事なのは、それが「悪」や「罪」ではなく、会計の手続きで処理される事象だということである。
会計の基準は、棚卸資産を取得原価と、正味実現可能価額(これから売って回収できると見込む額。NRVと呼ぶ)の、低いほうで評価すると定めている(国際基準のIAS 2、日本の基準の低価法)。売れる見込みが下がった分は、評価損として認識する。 これは断罪ではなく、帳簿を現実に合わせる手続きだ。
そして処分を決めるとき、引きずられてはいけない費用がある。それが取得原価(もう戻ってこない、支払い済みの費用=サンクコスト)である。「高く仕入れたのだから捨てられない」は、過去の支出を、これからの判断に持ち込んでいる。仕入れに払った額は、置いておいても、手放しても、もう戻らない。戻らない額は、これから先の損得には関係しない。 判断に関わるのは、これから回収できる額と、これから置いておくのにかかる費用だけである。高く買ったという記憶がつらいのは分かるが、そのつらさは会計の数字ではない。滞留を抱え続ける本当の理由の多くは、費用計算ではなく、この心理のほうにある。
何を費用に数えるかで、在庫は悪にも善にもなる
ここで、この段の軸に戻る。在庫が悪か善かは、何を費用に数えるかで裏返る。 在庫維持費と陳腐化損だけを数えれば、在庫は減らすほど良い方へ傾く。切らす費用や、途切れやすさを費用に数えれば、ある量までは持つほうが良い方へ傾く。同じ在庫が、数える費用を変えるだけで、悪にも善にもなる。
「在庫は悪」という一言は、在庫維持費だけを数えて、欠品費用と途切れやすさを数えていないという、一つの決めを隠している。数えるものを決めた瞬間に、最適の量は決まってしまう。厳密に見える「削減目標」の裏には、何を数え、何を数えなかったかという、静かな選択がある。
この見方は、この段の四つの単位を貫いている。需要予測でも、EOQでも、サービス水準でも、過剰でも、答えを出しているのは式や号令ではなく、その前に置かれた「何を費用と数えるか」の決めだった。土台の段で身につけるのは、量の出し方そのものより、量を出す前に何を勘定に入れたかを見る目である。この目は、次の段——仕入先との関係——でも、そのまま効く。
時間・変化:スローガンは動かず、最適点は動く
順番はこうである。2005年、米国企業の在庫は言われるほど減っていないと報告される。2011年、リーンと業績の関係は上に凸で、減らしすぎると業績が悪化する最適点があると実証される。2022年、その最適点が、仕入先のスリムさによっても動くと示される。十数年で、最適点についての理解は細かくなった。「在庫は悪」というスローガンのほうは、ほとんど動いていない。 動かない言葉ほど、削減の号令としてよく働く。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「在庫は悪」を目標そのものにしてしまうことである。削減が自己目的になると、山の頂を越えて、業績が落ちる側まで減らしてしまう。もう一つは、高く仕入れたものを捨てられないこと——サンクコストに引きずられて、動かない在庫を抱え続ける。
範囲を断っておく。ここまでの実証は、主に米国の上場製造業のパネルデータのものである。 54業種の3分の2という話も、あなたの業種や規模に、そのまま当てはまるわけではない。日本の小規模な事業者の最適点は、この標本の外にある。
助けるのは、過剰と滞留を、道徳ではなく費用で見るという一手である。置いておく費用はいくらか。これから回収できる見込みはいくらか。取得原価は、その判断から外す。「悪いことをしている」という気持ちを、いったん脇に置くだけで、判断はずいぶん軽くなる。
最初の一歩は5分。手元で「動かなくなっている」品目を1つ選び、(a)仕入れたときの値段、(b)今から売って回収できそうな見込み額、(c)置いておくのにかかっている費用を、分かる範囲で1行ずつ書く。 そのうえで、(a)を判断から外して、(b)と(c)だけで見るとどう見えるかを、一言書く。 高く買った事実に引きずられていた自分に気づくことが、今日の収穫である。(a)を外すと在庫がずいぶん違って見えるなら、あなたを縛っていたのは費用ではなく、過去の支出の記憶のほうだった。その記憶を判断から切り離すことは、在庫を一つ処分することより、たぶん長く効く。
- 在庫は悪、ムダ、キャッシュを寝かせる罪という語り口は、JIT(必要なものを必要なだけ)やリーンの通俗的な紹介が運んでいるが、これは法則ではなくスローガンである。減らすほど良いという直線が本当に成り立つのかは実際に測れ、その線はある地点で折れる
- 2011年にJournal of Operations Management 29巻4号へ出た論文は、在庫のスリムさが業績を高めるという証拠は限られていると書き、米国製造業の大きなパネルで、関係は上に凸で在庫のスリムさには最適の水準がありそれを超えると業績はむしろ悪化すると実証した。減らすことはある点までは効き、その先は逆に効く。減らすほど良いは上に凸の山の左半分だけを見た言い方である
- 山の形も頂の位置も業種で大きく違い、同じ論文はこの関係が調べた54業種のうち約3分の2で有意で、残りの約3分の1でははっきりした形が出ていないと報告した。リーンは万能でも在庫は一律に悪でもなく、どこまで減らすと折れるかは業種の構造しだいである
- 折れる場所は自社の事情だけでも決まらない。2022年にJournal of Operations Management 68巻4号へ出た研究は、リーンの効き方が仕入先のスリムさにも左右されることを示した。自分と相手の在庫はつながっており、自分だけを削っても相手が薄ければ途切れやすさは残る。最適の水準は相手を含めて動く
- 2005年にManagement Science 51巻7号へ出た研究は、米国企業の在庫の推移を長期に追い、言われるほど劇的には減っていないこと、製造業と小売とで動きが違うことを報告した。昔は在庫が多く今は皆スリムだという物語は、平均をならすと思ったほどきれいには描けず、スローガンの前提がデータではぼやける
- 動かなくなった滞留在庫は悪や罪ではなく、会計の手続きで処理される事象である。会計の基準は棚卸資産を取得原価と正味実現可能価額(これから売って回収できると見込む額=NRV)の低いほうで評価すると定め(国際基準のIAS 2、日本の基準の低価法)、売れる見込みが下がった分は評価損として認識する。処分を決めるときは取得原価(もう戻ってこない支払い済みの費用=サンクコスト)に引きずられず、回収できる額と置いておく費用だけで決める
- 在庫が悪か善かは何を費用に数えるかで裏返る。在庫維持費と陳腐化損だけを数えれば減らすほど良い方へ、切らす費用や途切れやすさを数えればある量までは持つほうが良い方へ傾く。在庫は悪という一言は在庫維持費だけを数えて欠品費用と途切れやすさを数えていないという決めを隠している。実証は主に米国上場製造業のパネルで、54業種の3分の2という話も自分の業種や規模にそのまま当てはまるわけではない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 在庫は悪でありムダだから、減らせば減らすほど経営は健全になる | これは法則ではなくスローガンである。2011年にJournal of Operations Management 29巻4号へ出た論文は、在庫のスリムさが業績を高めるという証拠は限られていると書き、米国製造業のパネルで、リーン度と業績の関係が上に凸(concave)で、最適の水準を超えて減らすと業績はむしろ悪化すると実証した。この関係は54業種の約3分の2で有意で、残り3分の1でははっきりした形が出ておらず、折れる場所は業種で違う。2022年の研究は、最適点が仕入先のスリムさによっても動くと示している |
| 余った在庫や滞留在庫は、抱えていること自体が罪だ | 滞留は道徳問題ではなく、会計の手続きで処理される事象である。会計の基準は棚卸資産を取得原価と正味実現可能価額(これから売って回収できる見込み額=NRV)の低いほうで評価し、売れる見込みが下がった分を評価損として認識する(国際基準のIAS 2、日本の基準の低価法)。処分を決めるときは、取得原価(もう戻ってこないサンクコスト)に引きずられず、回収できる額と置いておく費用だけで決める。高く仕入れたから捨てられないは、過去の支出をこれからの判断に持ち込んでいる |
在庫は悪、という一言は、維持費だけを数えて、切らす費用と途切れやすさを勘定から外している。減らすほど良いの線は、途中で折れる。そして折れる場所を最初に知るのは、たいてい削減の号令をかけた人ではない。ここまでで、需給と在庫という土台の段を積み終えた。次の単位は 309「良い仕入先を選ぶには?」——切らさず回すこの土台の上で、その品を渡してくれる相手をどう見極めるのかへ進む。
Q1. 2011年にJournal of Operations Managementへ出た論文は、リーン度と業績の関係が ____(上に凸)で、在庫のスリムさには ____ があり、それを超えて減らすと業績がむしろ悪化すると実証した。穴埋め
Q2. 「在庫が悪か善かは、何を費用に数えるかで裏返る」とはどういうことか。どの費用を数えるとどちらへ傾くかを含めて書きなさい。一問一答
Q3. 滞留在庫を処分するかどうか決めるとき、本文が「判断に持ち込んではいけない」としている費用はどれか。選択
Q4. この棚の土台となる青の段(STEP1)の四つの単位を、番地の順に並べなさい。並べ替え
Q5. 「在庫は減らすほど良い」というスローガンについて、54業種の分析と、仕入先を含めた2022年の研究が、それぞれどこで単純化を崩したかを書きなさい。一問一答
紙かメモアプリを開く。手元で「動かなくなっている」品目を1つ選ぶ。(a)仕入れたときの値段、(b)今から売って回収できそうな見込み額、(c)置いておくのにかかっている費用(場所・管理の手間など、分かる範囲で)を、1行ずつ書く。次に、(a)をいったん判断から外し、(b)と(c)だけで見るとどう見えるかを一言書く。実際に処分する必要はなく、値段が正確でなくてもよい。手元の記憶と記録だけで完結させる。在庫を持たない働き方の場合は、抱えている仕掛かりや、使わなくなった道具・素材で同じ形を試せばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Eroglu C., Hofer C. (2011) ‘Lean, leaner, too lean? The inventory-performance link revisited’, Journal of Operations Management 29(4):356-369 — doi.org
- Barker J., Hofer C., Hoberg K., Eroglu C. (2022) ‘Supplier inventory leanness and financial performance’, Journal of Operations Management 68(4):385-407 — doi.org
- Chen H., Frank M.Z., Wu O.Q. (2005) ‘What Actually Happened to the Inventories of American Companies Between 1981 and 2000?’, Management Science 51(7):1015-1031 — search.crossref.org
- Elking I., Paraskevas J.-P., Grimm C., Corsi T., Steven A. (2017) ‘Financial Dependence, Lean Inventory Strategy, and Firm Performance’, Journal of Supply Chain Management 53(2):22-38 — search.crossref.org
- 国際会計基準審議会 IAS 2 Inventories(棚卸資産、2003年改訂) — www.ifrs.org
- 企業会計基準委員会(ASBJ)(2006年公表)企業会計基準第9号「棚卸資産の評価に関する会計基準」 — www.asb.or.jp