「計算すれば企業価値が出る」を開くと、中身は前提の掛け算だった
会社にいくらの値段がつくかは、計算で一つに決まる——そう言われる。ところが原典を開くと、いちばん有名な検証は「割引後の価値は市場価値の平均10%以内」と、むしろ計算を擁護していた。ただし当たっていたのは平均で、個別の取引ではその内訳が大きくばらついていた。数式は同じでも、割引率と成長率とその先の置き方を変えれば、答えは動く。
前の単位では、帳簿の数字から会社が倒れる兆しをどこまで早く読めるのかを扱った。ここでは、その会社にいくらの値段がつくのかを扱う。ここから段はひとつ進んで、いまの数字から、値段と未来をどう見積もるのかの話になる。
この単位が扱うのは一点——「会社の値段は計算で一つに決まる」という言い方が、どこまで確かめられているかである。特定の会社が割安か割高か、適正株価はいくらか、時価総額はこう伸びる——そういう判断は書かない。書けるのは、その判断のために使われる数字がどう作られ、前提の置き方でどこまで動くかまでである。
まず、計算を擁護する研究のほうから置く
ここは正直に置く。割引で出した価値が、実際の市場価値に案外近いという報告は、査読誌にある。
1995年に *The Journal of Finance* 50(4):1059-1093 に出た論文は、1983年から1989年に完了した高レバレッジ取引51件を対象に、割引後キャッシュフロー予測の価値と、実際の市場価値を比べた。要旨の一句はこうである。“For our sample of 51 HLTs completed between 1983 and 1989, the valuations of discounted cash flow forecasts are within 10 percent, on average, of the market values of the completed transactions.”——1983年から1989年に完了した高レバレッジ取引51件の標本では、割引後キャッシュフロー予測による評価額は、完了した取引の市場価値の平均で10%以内に収まっていた。
この向きは、値切りの向きと逆である。 だからこの単位は、「DCFは当たらない」という誇張をしない。それは原典と食い違う。 代わりに、この一句のなかの二語を読む——“on average”、平均で、である。
平均で10%以内は、一つひとつの取引が10%以内という意味ではない。 高く外した案件と低く外した案件が打ち消し合えば、平均は真ん中に寄る。著者たちが示したのは、中央のあたりで近いということであって、どの案件も前提を選べば近づくということではない。しかも対象は特定の高レバレッジ取引の集団であって、あらゆる会社のあらゆる評価に効く数字ではない。「平均は近い、個別は前提しだいで散る」——ここまでが原典の言っていることである。
同じ会社でも、どのモデルで測るかで値が変わる
計算が一つに決まらない、いちばん素朴な理由はここにある。評価の道具は一つではない。
1998年に *Contemporary Accounting Research* 15(3):343-383 に出た論文は、配当を割り引く道具、キャッシュフローを割り引く道具、発生主義の利益を使う道具を、どれも有限の期間の予測で使ったときにどれだけ外れるかを比べた。将来を無限の先まで予測することはできないので、実務ではどこかで区切って、その先の値(最終価値)を別に置く。この区切りが厄介で、置き方しだいで答えが動く。要旨が報告したのは、発生主義の利益を使う道具のほうが、配当やキャッシュフローの道具より評価の誤差が小さい、という順序だった。
2000年に *Journal of Accounting Research* 38(1):45-70 に出た論文も、同じ問いを別の標本で扱い、異常利益(残余利益)を使う推定のほうが、配当やフリーキャッシュフローの推定より、実際の価格をよく当て、価格のばらつきもよく説明したと報告している。同じ会社を、同じ日に評価しても、選んだ道具が違えば出てくる値が違う。 これは操作でも間違いでもない。道具が違えば、区切り方も、その先の置き方も違うからである。
では、道具が違うと値が違うのは、道具のせいなのか
ここに、混ぜてはいけない一本がある。2001年に *Contemporary Accounting Research* 18(2):311-335 に出た論文は、割引キャッシュフローのモデルと残余利益のモデルが違う値を返すのはなぜかを正面から扱った。結論は意外なところに落ちる——両者は、前提を一貫させて正しく組めば、すべての会社・すべての年で恒等的に同じ値を返す。 研究がこれまで「どちらのモデルが正確か」を競わせてきたのは筋違いで、違う値が出たのは、二つのモデルに食い違う前提をあてがっていたからである。 著者たちは、その一見小さな前提の食い違いが、驚くほど大きな評価差を生むことを示した。
ここが、この単位の芯である。 道具が答えを決めているのではない。前提が答えを決めていて、道具はそれを桁にして返すだけである。 同じ年に *Contemporary Accounting Research* 18(4):625-661 に出た別の論文は、その先の値(最終価値)を「理にかなった形」で置いたときと、「ありあわせの形」で置いたときとで、評価の結果が動くことを示している。最終価値は、いちばん遠い将来についての、いちばん確かめようのない見立てである。 そこに何を置くかで、いまの値段が動く。
「偏りのない評価」という言い方について
この分野で広く配られている実務・教育の資料が一つある。副題を “THE DARK SIDE OF VALUATION: BIAS, UNCERTAINTY AND COMPLEXITY”——評価の暗黒面、偏りと不確実性と複雑さ、と掲げるものである。中の一枚に、評価を惑わす三つの角を描いた図があり、三つの角にはそれぞれ “Bias & Preconceptions”(偏りと先入観)、“Uncertainty & the Unknown”(不確実性と未知)、“Complexity & Detail”(複雑さと細部)と書かれている。著者はこの資料で、あらゆる評価には偏りがあり、問えるのはその度合いと向きだけだ、という趣旨のことを繰り返している。
ただし、この資料は査読された一次実証ではない。 教育と実務のための資料である。だからここでは、枠組みの言葉として引く——数式は中立の道具のように見えて、入り口で偏りと不確実性と複雑さを飲み込んでいる、という見立てのほうである。査読の側で確かめられているのは、Kaplan と Ruback の「平均は近い、個別は散る」までである。
時間・変化:測る対象が、価値そのものから前提の置き方へ移った
順に並べる。1995年、割引後の価値が市場価値の平均10%以内に収まると報告された(対象は高レバレッジ取引51件)。1998年から2000年、道具(配当・キャッシュフロー・発生主義利益)を替えると、有限期間の評価では誤差の大きさが変わることが示された。2001年、割引キャッシュフローと残余利益のモデルは、前提を一貫させれば恒等的に同じ値を返し、違いは前提の食い違いから生まれると示された。同じ年、最終価値の置き方で結論が動くことも示された。
六年ほどで、問いが移った。 「価値はいくらか」から、「その値は、どの前提のどの置き方から来たのか」へ。動かなかったのは、外に流れる言い方のほうである——いまも「計算すれば適正価値が出る」と言われている。動かない言い方は、たいてい前提を見ていない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、桁の付いた数字を、確からしさだと読むことである。「1株あたり2,480円」は「約2,500円」より確からしく見える。 けれど細かい桁は、前提が細かく置かれたことの跡であって、当たりやすさの跡ではない。
標本の偏りを断っておく。ここまでの証拠は、米国の、上場企業や大きな取引を対象に採られたものが大半である。高レバレッジ取引51件も、比較に使われた企業も、財務データが公開され、取引が成立した側である。成立しなかった評価、途中で消えた案件、値がつかなかった会社のデータは、最初から入っていない。 日本の企業評価を対象にした査読研究はごく少なく、「価値」が何を指すかも研究ごとに違う。
助けになるのは、値段の数字を見たときに、その裏にある前提を一つだけ書き写すという一手である。割引率でも、成長率でも、その先の値でもよい。その前提を少し動かすと結論がどう変わると書かれているかを確かめれば、その数字が「計算の結果」なのか「前提の言い換え」なのかが見えてくる。
最初の一歩は5分。今日目にした「会社の値段」か「将来の価値」の数字を一つ選び、それが置いている前提を一つ書き写す。正しいかどうかは判定しない。
次の単位は 270「資本効率(ROE・ROIC)向上力」——元手をどれだけ効率よく使えているか、という指標の高さが、何を意味していて何を意味していないのか。
- 1995年の The Journal of Finance 50(4):1059-1093 は、1983〜1989年に完了した高レバレッジ取引51件で、割引後キャッシュフロー予測の価値が市場価値の平均10%以内に収まっていたと報告した。向きは俗説と逆であり、この単位はDCFが当たらないという誇張をしない。ただし当たったのは平均であって、個別の取引では散らばりが大きく、対象も特定の取引集団に限られる
- 1998年の Contemporary Accounting Research 15(3):343-383 は、配当・キャッシュフロー・発生主義利益のどの道具でも有限期間の予測で使うと最終価値の置き方が厄介になると示し、発生主義利益を使う道具のほうが評価の誤差が小さいと報告した。同じ会社でも選んだ道具で推定値が変わる
- 2000年の Journal of Accounting Research 38(1):45-70 は、異常利益(残余利益)を使う推定のほうが配当やフリーキャッシュフローの推定より価格をよく当て、価格のばらつきもよく説明したと報告した。道具の違いは操作でも間違いでもなく、区切り方と最終価値の置き方が違うことから生まれる
- 2001年の Contemporary Accounting Research 18(2):311-335 は、割引キャッシュフローのモデルと残余利益のモデルが、前提を一貫させて正しく組めばすべての会社・すべての年で恒等的に同じ値を返すと示した。研究が違う値を出してきたのは、二つのモデルに食い違う前提をあてがっていたためで、小さな前提の食い違いが驚くほど大きな評価差を生む
- 同じ2001年の Contemporary Accounting Research 18(4):625-661 は、最終価値を理にかなった形で置いたときとありあわせの形で置いたときとで評価の結果が動くと示した。最終価値はいちばん遠い将来についてのいちばん確かめようのない見立てで、そこに何を置くかでいまの値段が動く
- 広く配られている実務・教育の資料は、副題に評価の暗黒面=偏り・不確実性・複雑さを掲げ、あらゆる評価には偏りがあり問えるのは度合いと向きだけだと述べる。ただしこれは査読された一次実証ではなく、枠組みの言葉として読むところまでである。査読で確かめられているのはKaplanとRubackの平均は近い・個別は散るまで
- 六年ほどで問いが移った。価値はいくらか、から、その値はどの前提のどの置き方から来たのか、へ。バリュエーションは意見を数式に見せかけたものと言われるのは、割引率・成長率・最終価値という三つの見立ての掛け算だからで、数式は入れた意見を桁を付けて返すだけである。この単位は特定企業の適正株価や時価総額を一切算定しない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 企業価値は、キャッシュフローを割り引けば計算で一つに決まる | 1983〜1989年の高レバレッジ取引51件を追った1995年の研究では、割引後キャッシュフロー予測の価値は市場価値の平均10%以内だったが、それは特定の取引集団の平均であって、個別の取引では散らばりが大きい。しかも同じ会社でも、配当・キャッシュフロー・発生主義利益のどのモデルを使うかで推定値と精度が変わり、割引モデルと残余利益モデルは前提を一貫させれば恒等的に同じ値を返す。差が出るのは前提の置き方が食い違ったときで、割引率や成長率やその先の値の置き方を変えれば、同じ数式のまま答えは動く。バリュエーションは、意見を数式に見せかけたものだと言われるのはこのためである |
| 割引率(WACC)には正しい一つの値があり、それを入れれば正解が出る | 割引率も成長率も、その先に置く最終価値も、いずれも将来についての見立てであって観測値ではない。実務・教育の資料は、あらゆる評価には偏りがあり、問いは偏りの度合いと向きだけだ、という言い方でこれを述べている。ただしそうした資料は査読された一次実証ではなく、枠組みの言葉として読むところまでである。この単位は、特定の会社の適正株価や時価総額を一切算定しない。書けるのは、その数字が前提の掛け算であり、前提の選び方で結論が動くこと、までである |
皮肉なのは、企業価値を計算で一つに決めようとするほど、決められないことがはっきりしてくる点である。いちばん有名な検証は「平均すれば案外当たる」と数式を擁護していたのに、その内訳を開くと、当たったのは平均で、個別は前提しだいで散っていた。割引率と成長率とその先の値——三つの見立てを掛け合わせれば、答えはいくらでも動く。数式が意見を隠すのではない。数式は、入れた意見をそのまま、桁を付けて返してくるだけである。
Q1. 1995年の研究は、1983〜1989年に完了した高レバレッジ取引【 ① 】件を対象に、割引後キャッシュフロー予測の価値が市場価値の【 ② 】で【 ③ 】%以内に収まっていたと報告した。穴埋め
Q2. 「1995年の研究は、DCFはどんな会社でも10%以内に当たると証明した」という要約は、原典に照らして正しいか。正しくない場合、何が抜けているか。一問一答
Q3. 2001年の Contemporary Accounting Research 18(2):311-335 が、割引キャッシュフローのモデルと残余利益のモデルの違いについて示したのはどれか。選択
Q4. 本文が、実務・教育の資料(副題 THE DARK SIDE OF VALUATION)をどう扱っているか。選択
Q5. 「バリュエーションは前提の掛け算である」とは、本文ではどういう意味か。掛け合わされる三つの見立てを挙げて説明せよ。一問一答
紙かメモアプリに今日の日付を書く。今日、記事・資料・広告・ニュースなどで目にした「会社の値段」「時価総額」「将来いくらになる」といった数字を1つ選び、その数字を書く。次に、その数字が置いている前提を1つだけ探して書き写す——割引率、成長率、何年先まで、どの会社と比べて、のいずれか1つでよい。前提が書かれていない場合は「前提の記載なし」と書く。最後に、その前提を少し動かすと結論がどう変わると書かれているか、1行で書く(記載がなければ「感度の記載なし」)。数字が正しいかどうかは判定しない。特定の会社について自分で適正株価を計算したりはしない。いま投資も評価もしていない場合は、身近な「将来いくら貯まる」「何年後にいくら」という見積り(積立や家計の試算)を1つ選び、同じ形で前提を1つ書き写せば成立する。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Kaplan S.N., Ruback R.S. (1995) 'The Valuation of Cash Flow Forecasts: An Empirical Analysis', The Journal of Finance 50(4):1059-1093, doi:10.1111/j.1540-6261.1995.tb04050.x — doi.org
- Penman S.H., Sougiannis T. (1998) 'A Comparison of Dividend, Cash Flow, and Earnings Approaches to Equity Valuation', Contemporary Accounting Research 15(3):343-383, doi:10.1111/j.1911-3846.1998.tb00564.x — doi.org
- Francis J., Olsson P., Oswald D.R. (2000) 'Comparing the Accuracy and Explainability of Dividend, Free Cash Flow, and Abnormal Earnings Equity Value Estimates', Journal of Accounting Research 38(1):45-70 — ideas.repec.org
- Lundholm R., O'Keefe T. (2001) 'Reconciling Value Estimates from the Discounted Cash Flow Model and the Residual Income Model', Contemporary Accounting Research 18(2):311-335, doi:10.1506/W13B-K4BT-455N-TTR2 — doi.org
- Courteau L., Kao J.L., Richardson G.D. (2001) 'Equity Valuation Employing the Ideal versus Ad Hoc Terminal Value Expressions', Contemporary Accounting Research 18(4):625-661, doi:10.1506/77TK-1N3Q-82QU-UATR — doi.org
- Damodaran A. 'The Dark Side of Valuation: Bias, Uncertainty and Complexity', NYU Stern 配布資料(実務・教育資料。査読誌ではない。2026年8月閲覧) — pages.stern.nyu.edu