「働きがい」という概念の出発点は、二つの現場の、合わせて32人だった
自社で働くことの値打ちを言葉にする、という話には、たいてい相関係数が添えられる。三つの心理的な充足がエンゲージメントと.60以上で結びつく、と。皮肉なことに、その概念の出発点をたどると、サマーキャンプの16人と建築事務所の16人、合わせて32人への聞き取りに行き着く。相関は一つも出てこない。
前の単位では、外へ出した言葉が候補者の何を動かし、何を動かさなかったのかを見た。ここでは、その言葉の中身——自社で働くことの値打ちとして並べられる項目のほうへ入る。
扱うのは二点。この概念全体の出発点が、どれくらいの規模の研究だったか。 そして、「何を大事にするか」を語ってもらったときと、実際に選ばせたときで、答えがどれだけ違うかである。報酬や処遇の水準をどうするか、どう交渉するかは、この棚では一切扱わない。
概念の出発点は、二つの現場の、合わせて32人である
「エンゲージメント」という語を、いま使われている意味で最初に定式化したのは、**1990年に *Academy of Management Journal* 33巻4号へ出た論文**である。標本を数えると、こうなる。
一つめの現場はサマーキャンプ。 全体で22名の指導員が運営していた場所で、データが集められたのは、そのうち “16 counselors, 9 men and 7 women, ranging in age from 20 to 35 years.”(16名の指導員、男性9名・女性7名、20歳から35歳)である。
二つめの現場は建築事務所。 従業員45名の事務所で、対象は “16 firm members, 10 men and 6 women”(16名の構成員、男性10名・女性6名)である。
合わせて32名。 著者は方法についてこう書いている。
> “Generating a descriptive theory grounded in the behaviors, experiences, and perceptions of organization members required constant movement between theory and data.”(組織の構成員の行動・経験・認知に根ざした記述的な理論を生み出すには、理論とデータのあいだを絶えず往復する必要があった)
これは理論を生み出すための質的研究であって、効果を測った研究ではない。相関は一つも報告されていない。(なお、本文にたどり着けたのは第三者が公開している全文の複製で、文字認識の崩れが残っている。上の引用は崩れの無い箇所から取った。)
悪い研究だという話ではない。 三十年以上使われ続ける概念を作った、という意味では、むしろ稀な成功である。書いておきたいのは一点だけ——「エンゲージメント」という語が最初に立ったときの経験的な土台は、二つの現場の32人だった、ということである。 そのあとに積み上がった尺度も、調査も、順位表も、この土台の上に載っている。
相関の代わりに置けるのは、99本のメタと、その末尾の但し書き
よく添えられる数字がある——三つの心理的な充足がエンゲージメントと .60 以上で結びつく。 この数値の出どころは、探したが行き着けなかった。 当たったのは、この理論の中核のメタ分析と、**2016年に *Journal of Management* 42巻5号に出たレビューである。そこには相関係数が一つも書かれていない。** 数値は書けない。
代わりに書けるのは、そのレビューの規模と、末尾の一文である。
> “To this end, we conducted a meta-analytic review of 99 studies with 119 distinct samples examining the antecedents and consequences of basic need satisfaction.”(このために、基本的欲求の充足の先行要因と帰結を検討した99本の研究・119の異なる標本についてのメタ分析的レビューを行った)
> “We conclude with recommendations for addressing issues arising from our review and also identify points for future research, including the study of need frustration and culture, integrating the basic needs with other motivation theories, and a caution regarding the measures and methods used.”(我々は、本レビューから生じた論点への対処について推奨を示し、さらに今後の研究の要点を挙げる。それには、欲求の阻害と文化の研究、基本的欲求と他の動機づけ理論との統合、そして用いられている尺度と方法についての注意が含まれる)
99本を集めたレビューが、最後に置いたのは「尺度と方法への注意」である。(この2016年のレビューは、同じ筆頭著者による2021年の別誌の別のメタ分析とは、別の論文である。年と誌が違えば別の推定である。)
賃金の何%を手放すか——実際に選ばせて測る
語ってもらう代わりに、実際に選ばせて測った研究がある。**2017年の *American Economic Review* 107巻12号は、全国規模のコールセンターの実際の応募過程のなかに選択実験を組み込み**、働き方の条件と賃金のあいだの交換比率を推定した。抄録の一文がこれである。
> “The average worker is willing to give up 20 percent of wages to avoid a schedule set by an employer on short notice, and 8 percent for the option to work from home.”(平均的な働き手は、短い予告で雇用主が決めるシフトを避けるために賃金の20%を、在宅で働ける選択肢のために8%を手放してもよいと考える)
注意すべきは、20%が何に対する額かである。 これは「柔軟な働き方一般」の値段ではない。「短い予告で、雇用主の側がシフトを決めること」を避けるための額である。 在宅の選択肢のほうは8%であって、この二つは同じ大きさではない。
この形式の測り方が効くのは、順位が一本の直線に載るからである。 賃金を基準の物差しにすると、条件どうしを比べられる。「どれが大事ですか」と尋ねたときには出てこない順番が出てくる。
平均の裏側にある分布の形
ただし、この20%という数字を「みんなが20%払う」と読むと、原典と食い違う。同じ抄録が、その直前にこう書いている。
> “Most workers are not willing to pay for scheduling flexibility, though a tail of workers with high valuations allows for sizable compensating differentials.”(多くの働き手はスケジュールの柔軟さのために支払おうとしないが、高い評価をする働き手の裾が、相当な補償賃金差を成り立たせている)
多数は払わない。少数が高く払う。平均は、その少数に引っ張られている。 自社で働くことの値打ちを「全社員が等しく大事にしている項目」として並べると、この形は消える。
同じ抄録は、もう一つ断り書きを置いている——求職者の多くは注意を払っていない(“many job-seekers are inattentive”)、そしてそれを推定に織り込んだ、と。選択実験ですら、全員がじっくり選んでいるわけではない。
語ってもらった選好と、実際の選択の距離
職務の条件についての選好を測った研究は、測り方の距離で並べ直せる。
①仮想の選択。 2018年の *The Quarterly Journal of Economics* 133巻1号は、“a hypothetical choice methodology”(仮想的な選択の方法)で職場の属性への選好を推定した。標本は “high-ability undergraduates attending a highly selective university”(選抜性の高い大学に通う、能力の高い学部生)である。実際の求職行動ではない。
②表明選好の実験に、実際の職選択を突き合わせる。 2023年の *American Economic Review* 113巻7号は、“a series of stated-preference experiments”(一連の表明選好実験)で幅広い労働条件への支払意思を推定し、“which we validate with actual job choices”(それを実際の職選択で検証する)と書く。一歩、現実の選択に近い。
③実際の応募過程に埋め込んだ選択。 2017年のコールセンターの研究は、応募している本人が、実際の求人に対して選ぶという場面で測った。
同じ「何を大事にするか」でも、この三つは別のものを測っている。 そして実務で引かれるのは、たいていもっと手前——社内アンケートの自由記述と、順位付けの設問である。
時間・変化:三十三年で、測り方が「語ってもらう」から「選ばせる」へ動いた
1990年、32人への聞き取りから概念が立つ。2006年、実務書が「自社で働くことの値打ち」の枠組みを広めた——査読は無く、版元は著者自身に近い組織である。(設計の側は2005年刊の別題の本を挙げるが、その書名の本には行き着けなかった。)2016年、99本のメタ分析が、尺度と方法への注意で締めくくる。2017年、実際の応募過程に埋め込んだ選択実験。2018年、仮想選択。2023年、表明選好を実際の職選択で検証。
三十三年で、測り方は「語ってもらう」から「選ばせる」へ、そして「選んだ結果と突き合わせる」へ動いた。 一方、実務の側で並ぶ項目の一覧は、1990年代の言葉のまま更新されている。 測り方が変わったのに、測られた結果のほうは、まだ実務の一覧に入っていない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、値打ちの一覧を、全員に共通の順位表として書くことである。平均の順位は、少数の強い選好に引っ張られている。
標本の偏りを断っておく。ここで引いた選択実験は、いずれも北米の、しかも特定の職種・特定の大学の標本である。 日本の求職者を対象にした同種の推定はごく少ない。そして測られているのは「賃金と条件の交換比率」であって、入社後の満足でも定着でもない。
助けるのは、条件どうしを、同じ一本の物差しの上に並べてみるという一手である。「大事な順に並べてください」ではなく、「これを失うなら、賃金の何%までなら手放しますか」と自分に訊いてみる。0%と答える項目が出てくること自体が、情報である。
最初の一歩は10分。自分の職務の属性を5つ挙げ、それぞれについて「これが無くなるなら、賃金が何%下がっても受け入れるか」を自分で数値で答え、合計を出す。 誰かに提出するものではない。合計が現実離れした数になったら、それは順位のほうがまだ決まっていないという意味である。
次の単位では、組織の側が並べたこの値打ちの一覧に対して、働いている側・働いていた側が書いたものが同じ画面に並ぶという状況を扱う。そこで測られてきたものが、応募率ではなかった、という話になる。
- エンゲージメントという概念をいまの意味で最初に定式化した1990年の論文は、二つの質的な理論生成研究である。サマーキャンプの指導員16名(男9・女7、20歳から35歳、全体では22名が運営)と、従業員45名の建築事務所の構成員16名(男10・女6)——合わせて32名。相関は一つも報告されていない
- 同じ論文は、組織の構成員の行動・経験・認知に根ざした記述的な理論を生み出すには理論とデータのあいだを絶えず往復する必要があった、と方法について書いている。理論を生み出すための研究であって、効果を測った研究ではない。三十年以上使われる概念を作った稀な成功だが、経験的な土台は32名である
- 心理的な充足がエンゲージメントと.60以上で結びつくという数値の出どころには行き着けなかった。2016年に Journal of Management に出た99本・119標本のメタ分析の抄録には、相関係数が一つも書かれていない。しかも同じ抄録は、今後の研究の要点として、用いられている尺度と方法についての注意を挙げて締めくくっている
- 2017年に American Economic Review に出た研究は、全国規模のコールセンターの実際の応募過程に選択実験を組み込み、平均的な働き手が短い予告で雇用主が決めるシフトを避けるために賃金の20%を、在宅で働ける選択肢のために8%を手放すと推定した。20%は柔軟な働き方一般の値段ではなく、短い予告で決まるシフトを避けるための額である
- 同じ抄録は、多くの働き手はスケジュールの柔軟さのために支払おうとしないが、高い評価をする働き手の裾が相当な補償賃金差を成り立たせている、と書く。多数は払わず、少数が高く払い、平均はその少数に引っ張られている。さらに、求職者の多くは注意を払っていないことを推定に織り込んだ、とも書いている
- 職務の条件への選好を測った研究は、測り方の距離で並べ直せる。2018年の研究は仮想的な選択の方法で、選抜性の高い大学に通う能力の高い学部生から推定した。2023年の研究は一連の表明選好実験を行い、それを実際の職選択で検証したと書く。2017年の研究は実際の応募過程に埋め込んだ選択である。同じ問いでも、この三つは別のものを測っている
- 自社で働くことの値打ちの枠組みを広めた2006年の実務書は査読を経ておらず、版元は著者自身に近い組織である。設計の側が挙げる2005年刊の別題の本には行き着けなかった。三十三年で測り方は語ってもらうから選ばせるへ動いたのに、実務で並ぶ項目の一覧は1990年代の言葉のまま更新されている
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 心理的な充足がエンゲージメントと r=.60以上で結びつくことは、確かめられている | この数値の出どころには行き着けなかった。この理論の中核となる複数のメタ分析を当たり、2016年に Journal of Management に出た99本・119標本のメタ分析の抄録も確認したが、そこには相関係数が一つも書かれていない。しかも同じ抄録は、今後の課題として、用いられている尺度と方法についての注意を挙げている。数値を書くことはできない |
| エンゲージメントという概念は、大規模なデータから生まれた | 1990年の原論文は、二つの質的な理論生成研究である。サマーキャンプの指導員16名(男9・女7、20歳から35歳)と、従業員45名の建築事務所の構成員16名(男10・女6)——合わせて32名からのデータで、著者は、組織の構成員の行動・経験・認知に根ざした記述的な理論を生み出すには理論とデータのあいだを絶えず往復する必要があった、と書いている。相関は一つも報告されていない |
| 何を大事にするかは、社員に聞けば分かる | 聞いて答えてもらう方法と、実際に選ばせる方法では、出てくるものが違う。ある大規模な求人の応募過程に選択実験を組み込んだ研究は、平均の応募者が短い予告で雇用主が決めるシフトを避けるために賃金の20%を、在宅で働ける選択肢のために8%を手放すと推定した。同時に、多くの働き手はスケジュールの柔軟さのために何も払おうとしない、とも書いている |
自社で働くことの値打ちを、五つの言葉に整えるのは難しくない。難しいのは、その五つの順番が、聞き方を変えただけで入れ替わることである。語ってもらえば人は「成長」と言い、実際に選ばせると、多くの人は何も手放さない。値打ちの一覧が毎年きれいに更新されるのは、たぶん、更新するほうが、確かめるより安いからである。
Q1. 1990年の論文の経験的な土台は、サマーキャンプの指導員 ____ 名と、従業員45名の建築事務所の構成員 ____ 名の、合わせて ____ 名である。報告されている相関は ____ である。穴埋め
Q2. 2017年の選択実験の推定では、平均的な働き手が手放してもよいとする賃金の割合は、短い予告で雇用主が決めるシフトを避けるために ____ %、在宅で働ける選択肢のために ____ %である。穴埋め
Q3. 「心理的な充足がエンゲージメントと.60以上で結びつく」という数値について、本文が確かめたことを書きなさい。代わりに何が書けるのかも含めること。一問一答
Q4. 2017年の抄録が「平均20%」の直前に置いている、分布についての一文の内容を書きなさい。それが値打ちの一覧の書き方にどう関わるかも一言添えること。一問一答
Q5. 職務の条件への選好を測った三つの研究を「測り方の距離」で見たとき、正しい対応はどれか。選択
紙かメモアプリを開く。いまの自分の職務(あるいは過去にしていた職務、いま探している職務)の属性を5つ挙げる。例——通勤の時間、シフトが何日前に決まるか、在宅で働けるかどうか、仕事の内容を自分で決められる幅、一緒に働く人の顔ぶれ。次に、それぞれについて「これが無くなるとしたら、賃金が何%下がっても受け入れるか」を自分で数値で答え、5つ並べて書く。0%でよい(0%と答える項目が出てくること自体が情報である)。最後に5つの合計を出し、その数を見て一言書く。誰かに提出するものではないし、実際の待遇を変える話でもない。採用の実務に今すぐ関われない場合も、自分の仕事や過去の仕事についてそのまま書ける。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Kahn W.A. (1990) 'Psychological Conditions of Personal Engagement and Disengagement at Work', Academy of Management Journal 33(4):692-724 — doi.org
- Van den Broeck A., Ferris D.L., Chang C.-H., Rosen C.C. (2016) 'A Review of Self-Determination Theory's Basic Psychological Needs at Work', Journal of Management 42(5):1195-1229 — doi.org
- Mas A., Pallais A. (2017) 'Valuing Alternative Work Arrangements', American Economic Review 107(12):3722-3759 — www.aeaweb.org
- Wiswall M., Zafar B. (2018) 'Preference for the Workplace, Investment in Human Capital, and Gender', The Quarterly Journal of Economics 133(1):457-507 — doi.org
- Maestas N., Mullen K.J., Powell D., von Wachter T., Wenger J.B. (2023) 'The Value of Working Conditions in the United States and the Implications for the Structure of Wages', American Economic Review 113(7):2007-2047 — www.aeaweb.org
- Minchington B. (2006) 'Your Employer Brand: Attract, Engage, Retain', Collective Learning Australia, ISBN 978-0-646-46502-9 — www.abebooks.com