同じ名前の下で、別のものが測られている——だから「効果がある」と「効果がない」が同時に成り立つ
実践コミュニティという語には、たいへん便利な性質がある。何を指すか決まっていないので、どんな集まりにも当てはまる。当てはまるから、うまくいかなかった集まりは、あとから「あれは本当の実践コミュニティではなかった」と外すことができる。
名前のほうを先に疑う
前の単位では、荷物の種類によって運び方が逆になることを見た。ここではその上に、その運び合いが続いている場に付けられた名前が、そもそも何を指しているのか、という問いを置く。
持ち場を狭めておく。集まりの作り方も、続け方も、ここでは扱わない。人と人の親しさのほうは友達の棚の持ち場である。この単位が見るのは、同じ語のもとで別々のものが測られているとき、その語について何が言えて何が言えないか、だけである。
設計の欄に置かれている一文
人材開発の設計資料には、こう書かれていることがある。「実践コミュニティへの参与が、個人の能力獲得と組織への帰属意識を同時に高める」。代表文献として挙げられるのは1998年の著作で、これは書籍であり、査読を受けていない。
この一文を疑う前に、確かめるべきことが一つある。実践コミュニティ——同じ関心や実践を持つ人たちが続けて関わりあう集まり——という語が、研究のあいだで同じものを指しているかどうかである。
四つの原典を並べてみると
2005年に Journal of Information Science 31巻6号へ出た論文が、それをやった。この語を広めた四つの著作を読み比べたのである。1991年に出た二つの著作、1998年の著作、そして2002年の著作。
要旨はこう書いている。共同体と実践という二つの語の曖昧さこそが、この概念の再利用可能性の源泉であり、学術的にも実務的にも別の目的へ流用されることを許している、と。四つの著作は、共同体・学習・権力・変化・多様性・非公式性の捉え方で、いちじるしく異なっていた。
1991年の一方は、新しく入った人が徒弟のように仲間入りしていく過程に焦点を当てていた。同じ1991年のもう一方は、管理に抗う集団が新しい知を即興でつくり出すことを強調した。1998年の著作は、相互の関わり合いのなかで育つ非公式な関係と、個人のアイデンティティの形成を中心に置いた。2002年の著作は、組織のなかの非公式な集団を経営の側が育てるという手つきへ移っている。
徒弟の仲間入り、管理への抵抗、アイデンティティの形成、経営による育成。四つは互いに両立するとはかぎらない。少なくとも、同じものを測っているとは言えない。
限界の側から書かれたもの
2006年に Journal of Management Studies 43巻3号へ出た論文は、この手法を批判的に検討し、知識管理の分野におけるその限界を特定することを目的にすると宣言している。手法の記述から始め、文献に現れた批判を整理し、さらなる課題を展開し、限界を論じて短い結論を置く、という構成である。
2008年には Research Policy 37巻2号に、もう一段強い提案が出た。この語がますます均質で道具主義的に使われるようになったことに異議を唱え、実際に起きている「働きながら知ること」を四つの様式に分けるべきだと論じたのである。手仕事あるいは課題にもとづく知、認識にかかわる高い創造性を伴う知、専門職としての知、そして離れた場所どうしをつなぐ知。組織のかたち、場所の使われ方、生まれる新しさ、知識の動き方が、四つのあいだで違う。同じ論文は、空間的な近さと関係の近さを同じものとして扱ってはならない、とも書いている。
測ろうとすると、何が起きるか
2009年に Implementation Science 4巻27番へ出た系統的レビューは、経営分野と医療分野の両方でこの語を扱った研究を集めた。一次研究として同定されたのは182件、そのうち経営分野18件・医療分野13件を詳しく検討している。取り出された特徴は四つ——成員どうしの社会的な相互作用、知識の共有、知識の創造、アイデンティティの形成。ただし著者たちは、この四つがすべての集団に一貫して存在したわけではない、と書いている。集団の形は、自発的で非公式なつながりから、職場が支える公式な学習の場まで、また徒弟の訓練から複数の専門にまたがる多拠点の事業班まで、大きく幅があった。
そして、医療分野で量的な分析の適格基準を満たす論文は、1件も見つからなかった。結論はこうである。経営分野でも医療分野でも、この概念の運用のしかたに支配的な傾向は無く、それゆえ集団の境界を定めることが難しい。
2011年に BMC Health Services Research 11巻273番へ出た系統的レビューは、一次研究31件と系統的レビュー2件を検討した。成員どうしの意思疎通の方法は研究ごとに違ったが、その方法が目的の達成に寄与したかを検討した一次研究は一つも無かった。介入が複雑で多面的なため、変化をこの集まりに直接帰することが難しい、というのが著者たちの整理である。
2023年に PLOS ONE 18巻10号へ出た系統的レビューは、1950年から2022年までの二つの医学文献データベースから2,009件を拾い、50件を選んだ。量的な要素を持つ研究のうち、有意性を報告できる統計手法を備えていたのは11件。そのうち統計的に有意な効果を示したのは9件で、内訳は、退院の段取りやリハビリなど病院が提供する業務の改善が5件、C型肝炎の管理など初期診療の改善が2件、中心静脈カテーテルの感染など直接の臨床成果の改善が2件だった。そして、無作為化比較試験の設計を持ち、因果を確かめられる研究は1件だけである。著者たちの結論は、効果は示されてきたが、因果を裏づけるにはより厳密な方法による研究が必要だ、というものだった。
2009年のレビューは「効果ははっきりしない」と結論し、2023年のレビューは「効果は示されてきた」と結論している。どちらかが間違っているのではない。集めた研究の集合が違うのである。境界が引かれていない語では、こういうことが起きる。
名前が広いと、失敗のほうが先に消える
定義が広いことには、もう一つの効き目がある。うまくいかなかった集まりを、あとから「あれは本当の実践コミュニティではなかった」と外せることだ。外された集まりは数えられない。数えられないものは、証拠に入らない。
残った事例だけが証拠になると、その語についての結論は、ほぼ必ず好意的になる。好意的な結論は、次の資料に「実証されている」と書かれる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、名前のほうを先に信じることである。ある集まりが実践コミュニティかどうかを判定しても、そこから何かが分かるわけではない。分かるのは、何のために集まっていて、そこで何が渡されているか、のほうである。
標本の偏りは断っておく。この分野の実証は医療の現場に大きく偏っており、経営分野の側はもともと事例の記述が多い。組織の規模も、病院や大企業に寄っている。日本の小さな職場や、職場の外の自発的な集まりを対象にした研究はほとんど見当たらない。そして、参加できる時間と体力のある人ほど参加する、という向きは排除できない——学ぼうとする人ほど学ぶ機会を得やすい、という逆向きも、同じデータから同じくらい読める。
助けるのは、名前を確かめるかわりに、目的を1行で書いてみることである。1行で書けないなら、それは集まりの欠点ではなく、まだ言葉になっていないというだけの事実である。
最初の一歩は3分。自分が参加している、またはかつて参加していた自発的な集まりを一つ挙げ、それが何のために集まっているのかを、自分の言葉で1行だけ書く。
時間・変化:語は、広がる方向にしか動いていない
1991年に二つの著作が別々の関心から書き、1998年にアイデンティティの話が加わり、2002年に経営の側の道具になった。2005年に読み比べが出て、2006年に限界が整理され、2008年には四つに分けるべきだという提案が出た。そして2009年・2011年・2023年に、測ろうとした結果が並んだ。
30年のあいだ、この語が狭くなった時期は無い。広い語は、反証を受けにくい。反証を受けない語は、長生きする。長生きした語は、根拠があるように見える。
次の単位は 204「組織記憶の保全」——ここでは、同じ名前の下で別のものが測られていることを見た。その上に、名前だけが立派で、そもそも測られたことがほとんど無い、もう一つの語を置く。
- Cox 2005(Journal of Information Science 31(6):527-540)は、この語を広めた四つの著作——1991年の二つ、1998年、2002年——を読み比べ、共同体と実践という語の曖昧さこそが再利用可能性の源泉であり、学術的にも実務的にも別の目的へ流用されることを許していると論じた。四つは共同体・学習・権力・変化・多様性・非公式性の捉え方で大きく異なる
- 四つの著作が中心に置いたものは、徒弟のような仲間入りの過程、管理に抗う集団による即興の知の創出、相互の関わり合いから育つ非公式な関係と個人のアイデンティティ、そして経営の側が非公式な集団を育てる手つき、と異なっていた。設計資料が代表文献に挙げる1998年の著作は書籍である
- Roberts 2006(Journal of Management Studies 43(3):623-639)は、この手法を批判的に検討し、知識管理の分野におけるその限界を特定することを目的とすると宣言した論文である
- Amin & Roberts 2008(Research Policy 37(2):353-369)は、この語がますます均質で道具主義的に使われるようになったことに異議を唱え、働きながら知ることを四つの様式——手仕事あるいは課題にもとづく知、認識にかかわる高い創造性を伴う知、専門職としての知、離れた場所をつなぐ知——に分けるべきだと論じた。空間的な近さと関係の近さを同一視してはならないとも書いている
- Li ら 2009(Implementation Science 4:27)は一次研究182件を同定し、経営分野18件・医療分野13件を詳しく検討した。取り出された四つの特徴はすべての集団に一貫して存在したわけではなく、医療分野で量的分析の適格基準を満たす論文は1件も見つからなかった。この概念の運用のしかたに支配的な傾向は無く、境界を定めることが難しいと結論している
- Noar ら 2023(PLOS ONE 18(10):e0292343)は1950年から2022年までの二つの医学文献データベースから2,009件を拾って50件を選んだ。有意性を報告できる統計手法を備えていたのは11件、統計的に有意な効果を示したのは9件、無作為化比較試験の設計を持つ研究は1件だけだった
- 2009年のレビューは効果がはっきりしないと結論し、2023年のレビューは効果は示されてきたと結論した。どちらかが誤っているのではなく、集めた研究の集合が違う。境界が引かれていない語では、「効果がある」と「効果がない」が同時に成り立つ
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 実践コミュニティへの参加は、能力の獲得と組織への帰属意識を同時に高めることが実証されている | この一文の代表文献として挙げられる1998年の著作は書籍で、査読を受けていない。Li ら 2009(Implementation Science 4:27)は、医療分野で量的分析の適格基準を満たす論文が1件も見つからず、この概念の運用のしかたに支配的な傾向は無いため境界を定めることが難しいと結論した。Noar ら 2023(PLOS ONE 18(10))が選んだ50件でも、無作為化比較試験の設計を持つ研究は1件だけである |
| 実践コミュニティという語は、研究のあいだで同じものを指している | Cox 2005(Journal of Information Science 31(6))が四つの著作を読み比べたところ、中心に置かれていたのは、徒弟のような仲間入りの過程、管理に抗う集団の即興、個人のアイデンティティの形成、経営による非公式な集団の育成と、それぞれ別のものだった。Amin & Roberts 2008(Research Policy 37(2))は、均質で道具主義的な用法に異議を唱え、四つの様式に分けるべきだと論じている |
| 研究の結論が割れているのは、どちらかの研究の質が低いからだ | 2009年のレビューは効果がはっきりしないと結論し、2023年のレビューは効果が示されてきたと結論した。違うのは質ではなく、集めた研究の集合である。境界が引かれていない語のもとでは、同じ名前の別々のものが測られ、選び方しだいでどちらの結論も出る。さらに、うまくいかなかった集まりを後から「本当の実践コミュニティではなかった」と外せるため、残った事例だけが証拠になりやすい |
境界の無い語には、独特の強さがある。当てはまる範囲が広いので反証されにくく、うまくいかなかった例は定義の外へ置ける。30年かけて、この語が狭くなった時期は一度も無い。おかげで今日も、同じ名前の集まりが世界中で数えられている——ただし、何を数えているかは、数えている人ごとに違う。
Q1. 2005年に Journal of Information Science 31巻6号へ出た論文は、共同体と実践という二つの語の( )こそが、この概念の再利用可能性の源泉である、と論じた。穴埋め
Q2. 2023年に PLOS ONE 18巻10号へ出た医療分野の系統的レビューでは、組み入れられた50件のうち、無作為化比較試験の設計を持ち因果を確かめられる研究は( )件だけだった。穴埋め
Q3. 2009年に Implementation Science へ出た系統的レビューの結論として、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q4. 2009年のレビューと2023年のレビューで結論が食い違っている理由として、本文が挙げているものはどれか。選択
Q5. 本文がたどった、この語をめぐる出来事を古い順に並べよ。(四つの著作の読み比べが出る/経営の側が非公式な集団を育てる手つきへ移る/医療分野で量的分析の基準を満たす論文が1件も無いと報告される/働きながら知ることを四つの様式に分けるべきだという提案が出る)並べ替え
自分が今参加している、またはかつて参加していた自発的な集まりを一つ選ぶ。仕事に関係していてもいなくてもよい。会社の中の勉強会でも、地域の集まりでも、オンラインの掲示板や交流の場でも、続いている連絡のやりとりでも構わない。選んだら、その集まりが何のために集まっているのかを、自分の言葉で1行だけ書く。公式に掲げられている目的があっても、そちらは書き写さない。自分がそう思っている、という形で書く。書けたら読み返して、1行で書けたか、書けなかったかに印を付ける。書けなかったことは欠点ではない——まだ言葉になっていないというだけの事実である。集まりに参加した経験が思い当たらなければ「無い」と書けばよい。集まりの人に確認を取ったり、目的を提案したりはしない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Cox A.M. (2005) 'What are communities of practice? A comparative review of four seminal works', Journal of Information Science 31(6):527-540 — eprints.whiterose.ac.uk
- Roberts J. (2006) 'Limits to Communities of Practice', Journal of Management Studies 43(3):623-639 — eprints.soton.ac.uk
- Amin A., Roberts J. (2008) 'Knowing in action: Beyond communities of practice', Research Policy 37(2):353-369 — econpapers.repec.org
- Li L.C., Grimshaw J.M., Nielsen C., Judd M., Coyte P.C., Graham I.D. (2009) 'Use of communities of practice in business and health care sectors: a systematic review', Implementation Science 4:27 — pmc.ncbi.nlm.nih.gov
- Ranmuthugala G., Plumb J.J., Cunningham F.C., Georgiou A., Westbrook J.I., Braithwaite J. (2011) 'How and why are communities of practice established in the healthcare sector? A systematic review of the literature', BMC Health Services Research 11:273 — ncbi.nlm.nih.gov
- Noar A.P., Jeffery H.E., Subbiah Ponniah H., Jaffer U. (2023) 'The aims and effectiveness of communities of practice in healthcare: A systematic review', PLOS ONE 18(10):e0292343 — journals.plos.org