8時間を推奨している合意声明を、探しても見つからない
健康の情報は多すぎて、しかも数年おきに逆を言う。だからこの棚は、効きますの棚にしない。眠っている自分は自分では見られない——そこから始めるのが、いちばん正直だからである。
前の単位では、腸について広く流通している数字が、たどってみると出典に行き着かないことを見た。ここからは、その手つきを棚全体の入口として開く。
この棚は、誰に向けて書かれているか
想定している読者は、健康になりたい人ではない。健康の話をどう読めばいいか分からなくなった人である。
健康の情報は多すぎて、しかも数年おきに逆を言う。卵は悪者になり、また戻ってきた。脂質は敵になり、糖質に交代した。読者はもう「これが効きます」を信じていない。だが、では何を信じればいいのかも分からない。信じないという態度は、それ自体では何も残さないからだ。
だからこの棚は、16の要素それぞれについて、言うことを3つに絞る——それは体の中で何をしているのか。どこまで効くと確かめられているのか。その範囲の外で何が起きるか。
この棚を、これをやれば健康になる、の棚にはしない。効くと確かめられた範囲と、その外側を書く棚にする。読者の像を書くのはここだけである。 以降の単位では繰り返さない。
この棚の地図——4層を、下から積む
この棚は道具箱ではない。下から積む4層の建物である。下の層が整っていないところに上の層の手当てを置いても、効きにくい。
1階が体に入るもの・出るもの——栄養、腸内環境、睡眠、運動。2階が環境と炎症。3階が心と人。4階が知識とメタ。この単位は1階の3番目にあり、入口はここに置いてある。順に読む必要はないが、上の階の話が効きにくいと感じたときは、下の階に戻れるようにしてある。地図を描くのはここだけである。 以降の単位では描き直さない。
眠っている自分は、自分では見られない
睡眠がこの棚の入口である理由は、単純である。眠っている自分は、原理として自分では観察できない。 腸は内視鏡で見られる。血圧は計器で測れる。だが眠りだけは、眠っている当人が意識を失っていることが条件になっている。だから睡眠は、この棚のなかで最も「後から作った説明」が入り込みやすい。
その距離は測られている。2008年に Epidemiology へ出た米国の研究は、中年期の成人669人について、手首に着けた装置で測った睡眠時間と、本人が申告した睡眠時間を並べた。測定値の平均は6.0時間、自己申告の平均は6.8時間。 相関は0.47。しかもずれ方が一様ではない。実際に5時間だった人は1.2時間ほど多く申告し、実際に7時間だった人は0.4時間ほど少なく申告していた。 測定が1時間増えるごとに、申告は34分しか増えない。短い人ほど多めに言い、長い人ほど少なめに言う。
足りているかどうかの感覚も、同じくらい当てにならない。2003年に SLEEP へ出た実験は、健康な成人48人を、寝床にいる時間が4時間・6時間・8時間の群に分けて14日続けた。認知課題の成績は、日を追って累積的に落ち、落ち方は睡眠時間に応じて違った。ここまでは想定どおりである。想定外だったのは眠気の自己申告のほうで、眠気の申告は初日に上がったあとほとんど頭打ちになり、悪化しつづける成績とは別の動きをした。論文は、参加者が自分の成績低下にほとんど気づいていなかったと述べている。
つまり睡眠については、時間も、足りているかどうかの感覚も、自己申告があてにならない。この二重の見えなさが、この棚の入口に睡眠を置いた理由である。
値切り:8時間という数字は、誰の推奨でもない
見えないものには、数字が置かれる。睡眠の場合、それが8時間だった。
原典を見に行くと、妙なことになる。8時間を推奨している専門家団体の合意声明が、見つからない。 2015年、米国睡眠医学会と睡眠研究学会が共同で出した合意声明の推奨はこうである——18歳から60歳の成人は、健康を保つために1晩7時間以上眠るべきである。7時間以上であって、8時間ではない。同じ声明は、9時間を超えて眠ることが健康上の危険と関連するかどうかは不確かであるとも述べている。
同じ年、別の団体(米国の睡眠に関する財団)が18人の専門家パネルで出した推奨は、成人で7〜9時間、高齢者で7〜8時間という幅だった。こちらも8時間の単独指名ではない。
ここで、推奨がどうやって決まったかを見ておく必要がある。どちらも専門家パネルの合意である。 前者は15人の専門家が9つの健康領域について文献を検討したもの、後者は12の関係団体から集まった18人が、適切性を評価する定型の手続き(RAND/UCLA の方法)に沿って投票したものだ。無作為化試験の結果ではない。 証拠の階段でいえば、合意声明は文献の集約の上に専門家の判断を重ねた段であって、それ自体が新しい測定を出しているわけではない。
だから8時間は、どこから来たのか。7〜9の真ん中である。 そして7時間以上という下限だけの表現より、8という単数のほうが覚えやすく、目標にしやすく、達成できたかどうかを言いやすい。数字は、正しいから残るのではない。扱いやすいから残る。
U字型と、長い側の読み方
睡眠時間と死亡率の関連は、実際にはU字型で観察されている。2010年に SLEEP へ出たメタ分析は、16件の前向き研究(27の集団、参加者1,382,999人、死亡112,566件、追跡4〜25年)を集計した。短い睡眠の相対危険度は 1.12(95%信頼区間 1.06〜1.18)、長い睡眠は 1.30(1.22〜1.38)。 長い側のほうが大きい。
ここで「長く寝ると死ぬ」と読むと、間違える。病気が睡眠を長くしている可能性が排除できないからだ。病気があると横になる時間が増え、薬の影響で眠る時間が延び、体力の低下が休息の時間を増やす。この向きを逆因果という。観察研究は、この向きを見分けられない。
見分ける道具はある。2019年に Journal of the American College of Cardiology へ出た研究は、英国の46万1,347人を追跡し、6〜9時間の人と比べて短い人(6時間未満)で心筋梗塞のハザード比 1.20(1.07〜1.33)、長い人(9時間超)で 1.34(1.13〜1.58)という同じU字を観察した。そのうえで、睡眠時間と関連する遺伝的な指標を道具に使う解析を行った。論文が効果を支持したと報告しているのは、短い側だけである(ハザード比 1.19、1.09〜1.29/別集団で 1.21、1.08〜1.37)。
U字の左右は、同じ形に見えて、確かさが違う。片側は原因かもしれず、もう片側は結果かもしれない。
この棚の通奏低音——効く範囲は、売り文句より狭い
ここでこの棚の書き方を、正面から書いておく。
健康の本は、うまくいった人を後から集めて、これをやったからだと名前を付ける。だがそこには、どの本にも共通する空白がある。ひとつめが、効くと確かめられた範囲は、たいてい売り文句よりずっと狭いということだ。
狭くなる仕掛けは決まっている。比べる相手を変えると、効果は縮む。 何もしない人たちと比べれば大きく見えた差が、同じくらい手間のかかる別のことをした人たちと比べると小さくなる。範囲も縮む。対象が特定の年齢の特定の集団だったこと、追跡が数年だったこと、測ったのが病気そのものではなく代理の指標だったことは、引用のたびに落ちていく。残るのは数字だけで、その数字は引かれるたびに丸くなり、強くなる。
睡眠でいえば、7時間以上という条件つきの下限が、8時間という単数の目標になった。これがこの棚の通奏低音のひとつめである。この先の単位では、この手つきに1〜2文だけ触れて、それぞれの値切りに進む。
時間・変化:一晩と、24時間
眠りは一様な停止ではない。一晩のあいだに、浅い眠りと深い眠り、そして夢を見る眠りが、およそ90分前後の周期でくり返される。深い眠りは前半に多く、夢を見る眠りは後半に多い。だから同じ7時間でも、削られる場所によって中身が変わる。
もうひとつの時間は24時間の周期である。体温、ホルモン、眠気は、24時間に近い周期で上下していて、その位相は主に光で合わせられている。眠りは、夜の数時間だけの現象ではなく、24時間の側から決まっている。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、寝床にいた時間を眠った時間と数えてしまうことである。ずれは平均で数十分あり、しかも短い人ほど多めに申告する。第二の妨げは、足りていない自分が、自分では分からないことだ。眠気の自己申告は途中で頭打ちになる。
ここでこの棚として毎回断ることがある。ここまでの数字は、ほぼすべて欧米の成人を対象にした観察研究から採られている。実験のほうは期間が短く、標本が小さい。日本人を対象にした追試はほとんど無い。そして観察研究で見えた関連は、健康な人ほどその習慣を持てる、という逆向きを排除できない。眠れない状態が続いてつらいときは、読み方の話より先に、医療の側で診てもらうほうが早い。この単位は、眠りの数字がどこから来たかを扱うだけで、眠れないことへの手当てを扱わない。
助けるのは、寝床にいた時間と、眠っていたと自分が思う時間を、別々に書くことである。2つの数字を並べるだけで、ずれが自分のものになる。
最初の一歩は5分。昨夜の就寝時刻と起床時刻を書き出し、そのうち実際に眠っていたと自分が思う時間を書き添えて、二つの差を見返す。差が0だったなら、それはずれが無いのではなく、まだ区別していないという意味である。
次の単位は 020「運動」——ここまでは、入れるものと、片づける時間の話だった。次は出すもの、つまり体を動かす側に移る。そこでも数字が1つ待っている。その数字は、研究ではなく商品の名前として先に決まっていた。
- この棚の読者は健康になりたい人ではなく、健康の話をどう読めばいいか分からなくなった人である。16の要素それぞれについて言うことを3つに絞る——体の中で何をしているのか、どこまで効くと確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。読者の像を書くのはこの単位だけである
- この棚は道具箱ではなく、下から積む4層の建物である。1階が体に入るもの・出るもの(017栄養/018腸内環境/019睡眠/020運動)、2階が環境と炎症(021〜024)、3階が心と人(025〜028)、4階が知識とメタ(029〜032)。入口は1階の睡眠に置いてあり、地図を描くのはこの単位だけである
- 眠っている自分は原理として自分では観察できない。Lauderdale ら 2008(Epidemiology 19(6))は米国の中年期の成人669人について、手首の装置で測った睡眠時間の平均6.0時間に対し自己申告の平均が6.8時間、相関0.47と報告した。実際に5時間だった人は1.2時間ほど多く申告し、7時間だった人は0.4時間ほど少なく申告していた
- Van Dongen ら 2003(SLEEP 26(2))は健康な成人48人を寝床にいる時間4時間・6時間・8時間の群に分けて14日続け、認知課題の成績が日を追って累積的に落ちる一方、眠気の自己申告は初日に上がったあとほとんど頭打ちになることを示した。参加者は自分の成績低下にほとんど気づいていなかった
- 米国睡眠医学会と睡眠研究学会の2015年の共同合意声明(Watson ら, Journal of Clinical Sleep Medicine 11(6))の推奨は「18歳から60歳の成人は1晩7時間以上」であって8時間ではない。同声明は9時間を超える睡眠が健康上の危険と関連するかは不確かとも述べる。同年の別の推奨(Hirshkowitz ら, Sleep Health 1(1))は成人7〜9時間・高齢者7〜8時間。いずれも専門家パネルの合意であり、無作為化試験の結果ではない
- Cappuccio ら 2010(Sleep 33(5))は16件の前向き研究(27の集団、参加者1,382,999人、死亡112,566件、追跡4〜25年)を集計し、短い睡眠の相対危険度 1.12(95%信頼区間 1.06〜1.18)、長い睡眠 1.30(1.22〜1.38)というU字型の関連を報告した。長い側のほうが大きいが、病気が睡眠を長くしている逆因果を排除できない
- Daghlas ら 2019(Journal of the American College of Cardiology 74(10))は英国の46万1,347人で、6〜9時間と比べて6時間未満のハザード比 1.20(1.07〜1.33)、9時間超 1.34(1.13〜1.58)という同じU字を観察したうえで、遺伝的な指標を道具に使う解析を行った。論文が効果を支持したと報告しているのは短い側だけである(1.19/1.21)
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 専門家は8時間の睡眠を推奨している | 8時間を推奨している合意声明が見つからない。2015年の米国睡眠医学会と睡眠研究学会の共同合意声明は「18歳から60歳の成人は1晩7時間以上」と述べ、9時間超が危険と関連するかは不確かとしている。同年の別の推奨は成人7〜9時間・高齢者7〜8時間。8時間は7〜9の真ん中であり、単数のほうが覚えやすく、達成できたかどうかを言いやすい。数字は正しいから残るのではなく、扱いやすいから残る |
| 長く寝る人ほど死亡率が高いのだから、寝すぎもよくない | 関連そのものは繰り返し観察されている。1,382,999人を含む2010年のメタ分析では、長い睡眠の相対危険度は 1.30(1.22〜1.38)で、短い睡眠の 1.12(1.06〜1.18)より大きい。だが病気が睡眠を長くしている向き(逆因果)を観察研究は見分けられない。遺伝的な指標を道具に使った2019年の解析で効果が支持されたと報告されているのは短い側だけである。U字の左右は、同じ形に見えて確かさが違う |
| 自分が何時間眠れているかは、だいたい分かっている | 米国の中年期の成人669人では、測定値の平均6.0時間に対し自己申告の平均は6.8時間、相関は0.47だった。しかもずれ方は一様ではなく、実際に5時間だった人は1.2時間ほど多く申告し、7時間だった人は0.4時間ほど少なく申告していた。足りているかどうかの感覚も別で、14日間の実験では成績が落ちつづける一方、眠気の申告は初日以降ほとんど頭打ちになった |
睡眠には、健康の商品として理想的な性質がある。誰も自分の眠りを見られないので、良くなったかどうかは本人の申告でしか測れない。しかも申告は、実際より短い人ほど多めに出る——つまり、何かを始めた翌朝、人はたいてい「よく眠れた気がする」と言える状態にある。皮肉なのは、この単位でいちばん確かに測られていたのが、眠りそのものではなく、そのずれの大きさのほうだったことである。0.47という相関は、眠りについてではなく、私たちの自己申告についての数字だった。
Q1. 2015年に米国睡眠医学会と睡眠研究学会が共同で出した合意声明の推奨は、18歳から60歳の成人について1晩 ____ 時間以上である。同じ年の別の推奨は成人で ____ 〜 ____ 時間だった。どちらも ____ の合意であって、無作為化試験の結果ではない。穴埋め
Q2. Lauderdale らが2008年に報告した米国の中年期の成人669人では、装置で測った睡眠時間の平均が ____ 時間、自己申告の平均が ____ 時間、両者の相関は ____ だった。実際に5時間だった人は約 ____ 時間多く申告していた。穴埋め
Q3. 睡眠時間と死亡率のU字型の関連について、左右の腕で確かさが違うのはなぜか。数値と、それを見分ける道具に触れて答えよ。一問一答
Q4. Van Dongen ら 2003 の14日間の実験(健康な成人48人)が示したこととして、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q5. この棚の4層を、下から積む順に並べよ。(心と人/知識とメタ/体に入るもの・出るもの/環境と炎症)並べ替え
紙かメモアプリを開く。昨夜の就寝時刻と起床時刻を書き出し、その差を時間で書く。これが寝床にいた時間である。次に、そのうち実際に眠っていたと自分が思う時間を、別の行に書き添える。時計も装置も見なくてよく、記憶と感覚で構わない。最後に二つの数字の差を書き、書いたもの全体を一度だけ読み返す。差がゼロだったなら、ずれが無いのではなく、まだ区別していないという意味である。誰にも見せなくてよく、今夜の過ごし方を変える必要もない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Watson N.F., Badr M.S., Belenky G. et al. (2015) 'Recommended Amount of Sleep for a Healthy Adult: A Joint Consensus Statement of the American Academy of Sleep Medicine and Sleep Research Society', Journal of Clinical Sleep Medicine 11(6):591-592 — jcsm.aasm.org
- Hirshkowitz M., Whiton K., Albert S.M. et al. (2015) 'National Sleep Foundation's sleep time duration recommendations: methodology and results summary', Sleep Health 1(1):40-43 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Lauderdale D.S., Knutson K.L., Yan L.L., Liu K., Rathouz P.J. (2008) 'Self-Reported and Measured Sleep Duration: How Similar Are They?', Epidemiology 19(6):838-845 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Van Dongen H.P.A., Maislin G., Mullington J.M., Dinges D.F. (2003) 'The Cumulative Cost of Additional Wakefulness: Dose-Response Effects on Neurobehavioral Functions and Sleep Physiology From Chronic Sleep Restriction and Total Sleep Deprivation', SLEEP 26(2):117-126 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Cappuccio F.P., D'Elia L., Strazzullo P., Miller M.A. (2010) 'Sleep duration and all-cause mortality: a systematic review and meta-analysis of prospective studies', Sleep 33(5):585-592 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Daghlas I., Dashti H.S., Lane J. et al. (2019) 'Sleep Duration and Myocardial Infarction', Journal of the American College of Cardiology 74(10):1304-1314 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov