74%を探しにいくと、査読された版には別の数字が書いてあった
組織の信頼は、たいてい人柄の話として語られる。だが組織で観察できるのは人柄ではない。観察できるのは、ある予測が成り立っているかどうかだ——これを言ったら、自分が不利になる、という予測が。
構造の上に、関係を載せる
前の単位で、掲げた目的と実際に評価されているものの食い違いを見た。これで構造の4つが置けた。ここからは、その構造の中で人が何を言い、何を言わないかの話に移る。
最初に持ち場を狭めておく。信頼という言葉を、開運の棚は個人が積む信用——約束を守った記録の残高——として扱った。この棚で扱うのはそれではない。組織の中で「これを言ったら自分が不利になる」という予測が成り立っているかどうか、という制度の話に限る。人柄は測らない。測るのは、予測のほうである。
そしてこの領域には、この棚の入口で値切った二つの手つきが揃っている。うまくいった組織を後から集めて共通点を数える手つきと、制度を作った側が作ったアンケートに制度の中にいる人が答える手つきだ。信頼はその両方が最も濃く出る場所なので、数字の出所から始める。
74%を探しにいく
流通している数字がある。高信頼の組織で働く人は、ストレスが74%低く、生産性が50%高い。出どころは2017年の米国のビジネス誌の記事で、そこから先は引用の連鎖である。
同じ著者の査読された論文にはたどり着いた。米国の就業者1,095人を2016年2月に集めた横断調査で、2021年に Frontiers in Psychology へ出ている。そこに74%は無い。載っているのは、信頼が中位の層から最上位の層へ移った場合に慢性ストレスが34.5%低いという別の数字だった。50%のほうは載っている——ただし最下位との比較ではなく中位との比較で、生産性は本人の自己申告である。
数字が嘘だという話ではない。査読された版には、査読された版の数字が書いてある、という話だ。
もうひとつ、この分野で最も有名な事例がある。ある大手検索企業が自社の百数十のチームを2年かけて分析し、成果を分けた最大の要因は心理的安全性だったと発表したものだ。査読論文を探した。生物医学系の PubMed、心理学系の PsycNET、学術検索で、企画名・想定される著者・主題を組み合わせて当たった。出てくるのは同社の公開ウェブ記事と、2016年の米国の新聞社の雑誌記事、そしてそれらを要約した記事だけだった。一次情報にたどり着けなかった。存在しないとは断定しない。ただ、社内データが公開されておらず、分析手続きを第三者が追えない以上、根拠としては使えない。
原典に書いてあること
心理的安全性という言葉の原典は、1999年に Administrative Science Quarterly へ出た調査である。米国の家具製造業1社、51チーム、427人。定義は、このチームでは対人的なリスクを取っても大丈夫だという共有された信念——発言して恥をかかされたり、拒まれたり、罰せられたりしないという確信のことだ。
結果はこうだった。心理的安全性は、チームの学習行動——助けを求める、失敗を報告する、やり方を試す——を強く予測した。学習行動はチームの成果を予測した。ただし、安全性から成果への道は、学習行動を経由していた。安全だから成果が出るのではない。安全だと、失敗が報告されて手が入る。手が入ると成果が動く。この順序が原典の中身である。
1社の調査であることも書いておく。国も業種も1つで、チームは51。ここから万能の成果予測因子までは、かなりの距離がある。
大きさを置き直す
2017年に Personnel Psychology へ出たメタ分析が、その距離を測っている。136の独立標本、22,000人を超える個人と約5,000の集団。関係が強かったのはエンゲージメント・職務満足・組織コミットメントで、課題成果や職場での自発的な助け合いとの関係は中程度にとどまった。効果はある。万能ではない。
信頼そのもののメタ分析も同じ形をしている。2002年に Journal of Applied Psychology へ出た106標本・27,103人の分析では、上司への信頼と職務満足の相関は .65、組織コミットメントは .59 だった。いっぽう職務成果との相関は .17 である。信頼は、人がどう感じるかとは強く、何を産み出すかとは弱く結びつく。
売り物としては弱い数字である。だから講演では、別の数字が使われる。
しきい値としての信頼
では、信頼は組織の中で何として現れるか。発言のしきい値としてである。言うか、飲み込むか。人はその都度、頭の中で小さな計算をしている。
2011年に Academy of Management Journal へ出た4つの研究が、この計算に名前をつけた。暗黙の発言理論——言っていいかどうかについて、誰にも教わらないまま多くの人が共有しているルールのことだ。上司は提案を自分への攻撃として受け取る、確かなデータと解決策が揃うまで言うべきでない、直属の上司を飛ばしてはいけない、人前で上司に恥をかかせてはいけない、言えば昇進や機会に響く——この5つである。ある1社での190件の面接では、およそ半数が、発言することは安全でないと感じていた。厄介なのは、これらが本人の性格とも、上司の実際の振る舞いとも独立に沈黙を予測したことだ。ルールは、経験ではなく前提として持ち込まれている。
2003年に Journal of Management Studies へ出た面接調査では、40人のうち85%が、重要だと思ったのに上司へ持ち出せなかった場面を経験していた。理由の筆頭は、否定的に見られて関係を損なうことへの懸念だった。
時間・変化:下がるのは一件、戻るのは手続き
信頼は、出来事で下がる。問題を報告した人が担当を外された。反対した人が次の会議に呼ばれなかった。こうした一件は、その場にいた全員のしきい値を同時に上げる。上がったしきい値は次の会議の静けさとして現れるので、上げた側からは、何も起きていないように見える。
戻り方は非対称である。下がるのは出来事1件、戻るのは手続きの反復だ。持ち出された話がそのあとどう扱われたかが、公開の場で何度か見えたときにだけ戻る。標語では戻らない。
第三に、しきい値は人によって違う。在籍が短い人、その職場で少数派の属性を持つ人、契約の形が弱い人ほど高くなる。同じ会議で同じ沈黙が起きていても、飲み込んでいる量は同じではない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、信頼を人柄の問題として語ることだ。人柄の話にすると、打てる手は採用と研修だけになり、しきい値という観察できる変数が視野から消える。
第二の妨げは、無記名アンケートの点数を信頼の代理として使うことである。点数は上がる。上がった点数は、点数を上げたい人が読む。制度を作った側が作った質問に、制度の中にいる人が答えるという構図から、この分野は最後まで抜け出せていない。
標本の偏りも断っておく。ここまでの証拠は、米国と西欧の、しかも数百人以上の組織で採られたものがほとんどである。1999年の原典も、従業員およそ5,000人の会社の中の調査だった。この棚が想定する10人から30人の組織を対象にした研究は、ほとんど存在しない。日本の雇用慣行——長期の在籍、異動、稟議——にそのまま当てはまる保証もない。数字は方向だけ持ち帰るのが誠実である。
なお、ここで扱えるのは制度の記述までである。心身の不調やハラスメントへの対処は、病気の棚と健康の棚の持ち場で、この単位は踏み込まない。
助けるのは、飲み込んだ回数を数えることだ。相手を採点するのではなく、自分のしきい値を記録する。権限がなくても今日できる。
最初の一歩は5分。直近の会議で言わずに飲み込んだことを1件だけ、手元に書き出す。誰にも送らない。送らないことが要点である。
次の単位は 170「承認・貢献の可視性」——しきい値が下がって発言が出るようになったとしても、その発言や仕事が誰の目に入っているかは別の問題だ。ここまでで、言える状態が置けた。次はその上に、見えている状態を載せる。
- 心理的安全性の原典 Edmondson 1999(Administrative Science Quarterly 44(2):350-383)は、米国の家具製造業1社・51チーム・427人の調査である。定義は、対人的なリスクを取っても大丈夫だという共有された信念。示されたのは主に学習行動との関係で、成果への影響は学習行動を経由する媒介として報告された
- Frazier et al. 2017(Personnel Psychology 70(1):113-165)のメタ分析は136の独立標本・22,000人超・約5,000集団を集計し、心理的安全性はエンゲージメント・職務満足・組織コミットメントとの関係が強く、課題成果や自発的な助け合いとの関係は中程度だと報告した。効果はあるが万能の成果予測因子ではない
- ある大手検索企業が自社の百数十チームを分析したという有名な社内プロジェクトについて、PubMed・PsycNET・学術検索で査読論文を探したが、たどり着けなかった。情報源は同社の公開ウェブ記事と2016年の米国の雑誌記事のみで、社内データも分析手続きも第三者が追えない
- 高信頼の組織はストレス74%減・生産性50%増、という数字は2017年の米国のビジネス誌の記事に由来する。同じ著者の査読された版(Johannsen & Zak 2021, Frontiers in Psychology 11:579459、米国の就業者1,095人・2016年2月の横断調査)に74%は無く、慢性ストレスは中位から最上位へ移った場合に34.5%低いと報告されている。50%は載っているが、中位との比較で、生産性は自己申告である
- Detert & Edmondson 2011(Academy of Management Journal 54(3):461-488)の4つの研究は、暗黙の発言理論を5つ挙げた——上司は提案を攻撃と受け取る/確かなデータと解決策が要る/直属の上司を飛ばさない/人前で恥をかかせない/言えば昇進に響く。ある1社の190件の面接ではおよそ半数が発言は安全でないと感じ、これらは本人の性格とも上司の振る舞いとも独立に沈黙を予測した
- Milliken, Morrison & Hewlin 2003(Journal of Management Studies 40(6):1453-1476)の面接調査では、40人のうち85%が、重要だと思ったのに上司へ持ち出せなかった場面を経験していた。理由の筆頭は、否定的に見られて関係を損なうことへの懸念だった
- Dirks & Ferrin 2002(Journal of Applied Psychology 87(4):611-628)の106標本・27,103人のメタ分析では、上司への信頼と職務満足の相関は .65、組織コミットメントは .59、いっぽう職務成果との相関は .17 だった。信頼は感じ方と強く、産み出すものと弱く結びつく
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 心理的安全性は、チームの成果を予測する最強の要因である | 原典 Edmondson 1999 は米国の家具製造業1社・51チーム・427人の調査で、心理的安全性が直接予測したのは学習行動——助けを求める、失敗を報告する、試す——であり、成果への影響はその学習行動を経由していた。136標本を集めた Frazier et al. 2017 でも、関係が強いのはエンゲージメントや満足で、課題成果との関係は中程度にとどまる。よく引かれる大手検索企業の社内分析については、査読論文の一次情報にたどり着けなかった |
| 高信頼の組織では、ストレスが74%低く生産性が50%高いという研究がある | 74%と50%は2017年の米国のビジネス誌の記事から流通した。同じ著者の査読された版(2021年、米国の就業者1,095人の横断調査)には74%が見当たらず、慢性ストレスは中位から最上位へ移った場合に34.5%低いと書かれている。50%は載っているが、比較対象は中位で、生産性は自己申告である。数字が嘘だという話ではなく、査読された版には査読された版の数字が書いてある、という話だ |
| 信頼は人柄の問題だから、良い人を採ればよい | この単位が扱うのは制度としての信頼で、開運の棚が扱った個人の信用の残高とは別物である。Detert & Edmondson 2011 が示したのは、言っていいかどうかの暗黙のルールが、本人の性格とも上司の実際の振る舞いとも独立に沈黙を予測するということだった。観察できるのは人柄ではなく、発言のしきい値のほうである |
信頼を人柄の話にしておくと、たいへん都合がよい。うまくいかない理由は誰かの性格に置けるし、対策は採用と研修になり、どちらも数字を出さずに続けられる。しきい値の話にしてしまうと、先週の会議で3件飲み込まれ、そのうち2件は同じ人が飲み込んだことが見えてしまい、性格の話がしにくくなる。皮肉なことに、信頼を人柄と呼んでいるあいだだけ、信頼は誰の手にも届かないところにある。
Q1. 高信頼の組織はストレス ____% 減・生産性 ____% 増という数字は2017年の米国のビジネス誌の記事に由来する。同じ著者の査読された版(2021年、米国の就業者1,095人の横断調査)には前者の数字は見当たらず、慢性ストレスは中位から最上位へ移った場合に ____% 低いと報告されている。穴埋め
Q2. Edmondson 1999 は米国の家具製造業1社の ____ チーム・427人を調べ、心理的安全性が直接強く予測したのは ____ 行動だった。成果への影響は、そこを ____ するものとして報告された。穴埋め
Q3. ある大手検索企業の有名な社内分析について、本文はどこを探して何が分かったと書いているか。また、その結果をどう扱うと書いているか。一問一答
Q4. Dirks & Ferrin 2002 の106標本・27,103人のメタ分析が示した、上司への信頼との相関の組み合わせとして正しいものはどれか。選択
Q5. Detert & Edmondson 2011 が特定した暗黙の発言理論について、本文の内容に合うものはどれか。選択
直近の会議や打ち合わせを1つ思い出して、そこで言わずに飲み込んだことを1件だけ、手元のメモに書き出す。書くのは3つ——(1)飲み込んだ内容を一行で、(2)そのとき頭に浮かんだ予測を一行で(たとえば、話が長くなると思われる/自分の担当が増える/相手の顔をつぶす)、(3)それを言う場が今後あるかどうかを、ある・ないの二択で。誰にも送らない。送らないことが要点で、この課題は相手に何かを求めるものではないし、誰かを評価するものでもない。飲み込んだことが思い当たらなければ、それも1件として『無し』と記録する。組織に所属していない場合は、過去に所属した組織の会議、または取引先や共同作業の場で飲み込んだことを1件思い出して同じ3項目を書く。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Edmondson A.C. (1999) 'Psychological Safety and Learning Behavior in Work Teams', Administrative Science Quarterly 44(2):350-383 — journals.sagepub.com
- Frazier M.L., Fainshmidt S., Klinger R.L., Pezeshkan A., Vracheva V. (2017) 'Psychological Safety: A Meta-Analytic Review and Extension', Personnel Psychology 70(1):113-165 — digitalcommons.odu.edu
- Johannsen R., Zak P.J. (2021) 'The Neuroscience of Organizational Trust and Business Performance: Findings From United States Working Adults and an Intervention at an Online Retailer', Frontiers in Psychology 11:579459 — www.frontiersin.org
- Detert J.R., Edmondson A.C. (2011) 'Implicit Voice Theories: Taken-for-Granted Rules of Self-Censorship at Work', Academy of Management Journal 54(3):461-488 — journals.aom.org
- Milliken F.J., Morrison E.W., Hewlin P.F. (2003) 'An Exploratory Study of Employee Silence: Issues that Employees Don't Communicate Upward and Why', Journal of Management Studies 40(6):1453-1476 — onlinelibrary.wiley.com
- Dirks K.T., Ferrin D.L. (2002) 'Trust in Leadership: Meta-Analytic Findings and Implications for Research and Practice', Journal of Applied Psychology 87(4):611-628 — ink.library.smu.edu.sg