信頼は残高ではない——積むのに数年、崩れるのに一度、そして戻り方は2種類ある
信頼残高という言い方は、便利すぎる。預ければ増え、引き出せば減り、差し引きは常に足し算で説明できる。実際に測ってみると、増えるときと減るときで、目盛りの幅がまるで違っている。
この単位が扱うのは、機会を持ち込まれる側の信用だけ
信頼の話には持ち場がある。家庭の中の誠実さは家族の棚、友情の互恵は友達の棚が扱う。ここで扱うのは、そのどちらでもない——誰かが何かの話を思いついたとき、その話をあなたのところへ持っていこうと決める、その一瞬だけである。
だから、ここでは人格の話も、誠実さそのものの価値も書かない。扱うのは、機会が回ってくる経路の上で、あなたがどう見えているか、という一点だ。
この道具も単独では効かない。この棚の他の道具と掛け算で効く。
「残高」という比喩が、最初に取りこぼすもの
信頼残高という言い方は、自己啓発の世界から来た会計の比喩である。良いことをすれば預金が増え、悪いことをすれば引き出しになる。差し引きは足し算で説明できて、順序は関係ない。
会計の残高は、たしかにそう振る舞う。1万円入れれば1万円増え、1万円出せば1万円減る。信頼は、そうではない。
スロヴィックが1993年に Risk Analysis に発表した調査は、米国の大学生103人に、自分の地域にできる大きな原子力発電所についての45の仮想の出来事を見せ、それぞれが自分の信頼に与える影響を7段階で評価させた。
結果は、目盛りの幅が上下で違うことを示していた。信頼を下げる出来事——周辺住民の健康状態が平均より悪いと分かった——に強い影響ありと答えたのが50.0%。同じ形で信頼を上げる出来事——健康状態が平均より良い——では18.3%だった。
上げる側で唯一大きく効いたのは、住民と環境保護の立場の人からなる委員会に、発電所を停止させる権限を与える、という出来事だった。38.4%。権限を手放す形の出来事だけが、良い知らせとして通用している。
スロヴィックはこの非対称に4つの理由を挙げている。悪い出来事は事故や誤りといった具体的な事件の形をとるのに対し、良い出来事はぼんやりしていて見えにくいこと。悪い出来事のほうが心理的な重みが大きいこと。悪い知らせの出どころのほうが信用されやすいこと。そして、いったん不信が生じると、それを覆すはずの接触自体が減るので、不信が自分で自分を維持すること。
壊れたあと、どこまで戻るか
比喩の次の弱点は、引き出しをすべて同じ引き出しとして扱ってしまうことだ。
シュヴァイツァー、ハーシー、ブラッドロウが2006年に Organizational Behavior and Human Decision Processes に発表した実験は、参加者262人に7ラウンドの信頼ゲームを行わせた。相手役は前半で相手の信頼を裏切り、後半は一貫して信頼できる行動を取り続ける。
裏切りだけの場合、信頼は回復した。信頼できる行動が続けば、水準は戻る。
裏切りに欺きが加わった場合は、戻らなかった。約束を受け取り、謝罪を受け取り、そのうえで一貫した信頼できる行動の連続を観察しても、信頼は元の高さまでは回復しない。約束は初期の回復を速めたが、長期の到達点そのものは上げなかった。
残高の比喩では、この2つは同じ大きさの引き出しに見える。実際には、別の勘定なのである。
国の話は、あなたに降りてこない
信頼の価値を語るときによく持ち出される数字がある。高信頼の社会は経済成長率が年1〜2%高い、という形のものだ。社会関係資本を扱った一般向けの本を経由して広まったが、もとは査読論文の側にある。
ナックとキーファーが1997年に The Quarterly Journal of Economics に発表した研究は、29の市場経済国について1980年から1992年の成長を分析した。世界価値観調査で、たいていの人は信頼できると答えた人の割合が10ポイント高い国では、1人当たり所得の年成長率が0.8ポイント高い、という関係である。著者ら自身が、所得と信頼のあいだの因果は両方向にありうると書いている。
ここで大事なのは大きさではなく単位だ。これは国という単位で計算された相関である。
国の単位の相関を個人に当てはめる誤りには名前が付いている。生態学的誤謬という。ロビンソンが1950年に American Sociological Review で示した例が、いまも最も分かりやすい。1930年の米国国勢調査、10歳以上のおよそ9,727万人のデータで、外国生まれの割合と読み書きのできない人の割合の相関を計算すると、9つの地域単位で −.619、48州の単位で −.526 になる。外国生まれが多い地域ほど、識字率が高い。同じデータを個人単位で計算し直すと、相関は +.118 である。符号が逆になる。
つまり、高信頼の国に住んでいるからあなたの信頼が成長を生む、とは言えない。逆に、低信頼の国だからあなたが損をしている、とも言えない。国の数字は、個人の励ましにも言い訳にもならない。
「信頼スコア」は、何を測っているのか
この単位のもとになった設計資料には、信頼スコアの上位25%は機会の紹介数が3.1倍、という数字があった。査読誌の範囲で探したが、この数字の一次情報にたどり着けなかった。存在しないとは断定しない。ただ、この単位では使わない。
より根本的な問題もある。質問紙で測られている信頼は、そもそも何なのか。
グレイザー、レイブソン、シャインクマン、サウターが2000年に The Quarterly Journal of Economics に発表した研究は、実験と調査を組み合わせてこれを検算した。標準的な態度質問——たいていの人は信頼できると思うか——が予測していたのは、実験での信頼する行動ではなく、その人自身の信頼に足るふるまいのほうだった。
言い換えると、信頼を尋ねる質問紙は、あなたが人を信じるかどうかより、あなたが人から信じられるに値するかどうかを測っている可能性が高い。この単位が扱っているのは後者なので、都合はいい。ただし尺度の名前と中身がずれている、という事実は覚えておいたほうがいい。
個人の水準で信頼が何かと結びついていること自体は、繰り返し測られている。コルキット、スコット、ルパインが2007年に Journal of Applied Psychology に発表した132の独立標本のメタ分析では、信頼と、危険を引き受けることの関連が ρ=.42、課題の遂行が ρ=.33、組織のための自発的な行動が .27、逆に逸脱的な行動が −.33 だった。これも相関である。
時間・変化:積むのは緩やか、崩れるのは垂直
この単位の時間の形は、階段でも坂でもなく、その両方が別々に来る。
最初の数か月から数年。小さな約束が守られ続ける。ここでは何も起きない。何も起きないから、記憶に残らない。信頼が積まれている時間は、当人にも相手にも見えない。
そして一度。守られなかった。しかもそこに、事実と違う説明が付いた。
その直後に起きるのは、減算ではなく読み直しである。相手の側で、それまでの記憶が全部もう一度読まれる。あのときの言い方は、そういう意味だったのか、と。積み上げた時間は、消えるのではなく、別の意味を割り当てられる。
そのあとは、一貫した行動の連続で多くは戻る。ただし欺きが混ざっていた場合、実験では元の高さまでは戻らなかった。
だから、測るべきものは残高ではない。傾きと段差である。今週いくつ約束をして、いくつ守ったか。守れなかった1件を、どう扱ったか。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、比喩そのものだ。残高という言い方は、良いことをたくさんすれば悪いことを相殺できる、と読める。測られている非対称は、その相殺が成り立たないことを示している。50.0%と18.3%は、同じ目盛りの上の数字ではない。
第2の妨げは、国の数字を自分の話に使うことである。10ポイントと0.8ポイントは29か国の話であって、あなたの1年の話ではない。
標本の偏りを断っておく。スロヴィックの調査は米国の大学生103人で、題材は原子力発電所という特殊なものである。シュヴァイツァーらの262人はほぼ19歳から22歳の学生だった。ナックとキーファーの29か国は市場経済国に限られ、1980年から1992年という特定の期間の話だ。コルキットらの132標本も欧米の組織に強く偏る。そして日本では、たいていの人は信頼できるという質問への回答の水準そのものが他国と異なることが知られていて、同じ質問が同じものを測っているとは限らない。数字は方向だけ持ち帰るのが誠実である。
助けるのは、残高ではなく比で見ることだ。今週した約束の数と、守った数。分母がゼロなら、この道具はまだ動いていない。
最初の一歩は10分。返していない借りを1件だけ返す。返しそびれた返信でも、してしまった約束でもいい。1件でよい。1件を選ぶために全部を思い出す必要はない——最初に浮かんだものが、たいてい一番古い。
次の単位は 156「運の伝播受容性」——道具箱の隣に置いてある道具で、こちらは持ち込まれる側の信用ではなく、持ち込まれた話をどう受け取るかという行動のほうを扱う。積み上がるのではなく、並んでいる。
- この単位が扱うのは、誰かが何かの話を思いついたときに、その話をあなたのところへ持っていこうと決める一瞬だけである。家庭の中の誠実さは家族の棚、友情の互恵は友達の棚の持ち場で、ここでは扱わない
- Slovic 1993(Risk Analysis 13(6):675-682)は、米国の大学生103人に地域の大きな原子力発電所についての45の仮想の出来事を評価させた。信頼を下げる出来事に強い影響ありと答えたのが50.0%、対応する信頼を上げる出来事では18.3%。上げる側で大きく効いた唯一の出来事は、住民と環境保護の立場の人からなる委員会に運転停止の権限を与えるというもので38.4%だった
- Slovicはこの非対称の理由として、悪い出来事は具体的な事件の形をとるが良い出来事はぼんやりしていること、悪い出来事のほうが心理的な重みが大きいこと、悪い知らせの出どころのほうが信用されやすいこと、不信は接触を減らすので自分で自分を維持することの4つを挙げている
- Schweitzer, Hershey & Bradlow 2006(Organizational Behavior and Human Decision Processes 101(1):1-19)の262人・7ラウンドの信頼ゲームでは、信頼できないふるまいだけなら一貫した信頼できる行動の連続で回復したが、そこに欺きが加わると、約束・謝罪・一貫した行動をすべて受け取っても元の水準までは回復しなかった。約束は初期の回復を速めたが、長期の到達点は上げなかった
- Knack & Keefer 1997(The Quarterly Journal of Economics 112(4):1251-1288)は29の市場経済国の1980〜1992年の成長を分析し、たいていの人は信頼できると答えた人の割合が10ポイント高い国では1人当たり所得の年成長率が0.8ポイント高いことを示した。著者ら自身が、所得と信頼の因果は両方向にありうると書いている。これは国という単位の相関である
- 国の単位の相関を個人に当てはめるのは生態学的誤謬である。Robinson 1950(American Sociological Review 15:351-357)は、1930年の米国国勢調査・10歳以上のおよそ9,727万人のデータで、外国生まれの割合と読み書きのできない人の割合の相関が9地域で −.619、48州で −.526 になる一方、個人単位では +.118 と符号が逆になることを示した
- Glaeser, Laibson, Scheinkman & Soutter 2000(The Quarterly Journal of Economics 115(3):811-846)は、標準的な態度質問が予測するのは実験での信頼する行動ではなく、その人自身の信頼に足るふるまいのほうであることを示した。Colquitt, Scott & LePine 2007(Journal of Applied Psychology 92(4):909-927)の132標本のメタ分析では、信頼と危険を引き受けることの関連が ρ=.42、課題の遂行が ρ=.33 だった。設計資料にあった信頼スコア上位25%は機会紹介数3.1倍という数字は、査読誌の範囲で探しても一次情報にたどり着けなかった
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 信頼は残高のようなもので、良いことを積んでおけば悪いことと相殺できる | 測ってみると、上げる側と下げる側で目盛りの幅が違う。45の仮想の出来事を評価させた1993年の米国の調査では、信頼を下げる出来事に強い影響ありと答えたのが50.0%、対応する上げる出来事では18.3%だった。しかも壊れ方が2種類ある——欺きが混ざった裏切りは、約束と謝罪と一貫した行動をすべて受け取っても元の水準まで戻らなかった。相殺という計算に同意しているのは、こちら側だけである |
| 高信頼の社会は成長率が高い。だから信頼を高めれば自分の機会も増える | もとになった査読論文は29の市場経済国の1980〜1992年の分析で、たいていの人は信頼できると答えた人の割合が10ポイント高い国では年成長率が0.8ポイント高い、という国の単位の相関である。著者ら自身が因果は両方向にありうると書いている。国の相関を個人に当てはめるのは生態学的誤謬で、1930年の米国国勢調査では、同じデータの相関が地域単位で −.526、個人単位で +.118 と符号が逆になった |
| 信頼スコアが高い人ほど、機会を紹介してもらえる | 設計資料にあった信頼スコア上位25%は機会紹介数3.1倍という数字は、査読誌の範囲で探しても一次情報にたどり着けなかった。加えて、標準的な態度質問が予測しているのは、実験での信頼する行動ではなく、その人自身の信頼に足るふるまいのほうである。尺度の名前と中身がずれている。測るなら残高ではなく比のほうだ——今週した約束の数と、守った数 |
信頼残高という言葉のいちばん巧妙なところは、それが会計の言葉であることだ。会計なら、帳尻さえ合えば中身は問われない。良いことを10件積んで、悪いことを1件引く。差し引きプラス9。——ただし、この計算に同意しているのは、あなただけである。相手の側の帳簿では、その1件が書かれた瞬間に、前の10件の摘要欄がすべて書き換えられている。二重帳簿を付けていたのは、こちらのほうだった。
Q1. Slovic(1993年)の調査で測られた信頼の非対称を、数字を挙げて説明せよ。上げる側で例外的に大きかった出来事は何か。一問一答
Q2. Schweitzer ら(2006年)の262人・7ラウンドの信頼ゲームで、壊れ方によって回復の到達点がどう違ったか。約束の役割も含めて答えよ。一問一答
Q3. Knack & Keefer(1997年)は ____ の市場経済国について1980〜1992年を分析し、たいていの人は信頼できると答えた人の割合が10ポイント高い国では年成長率が ____ ポイント高いことを示した。Robinson(1950年)では、外国生まれと読み書きのできない人の割合の相関が48州の単位で ____、個人単位で ____ と符号が逆になった。穴埋め
Q4. Glaeser ら(2000年)が示した、標準的な態度質問による信頼の尺度についての結果はどれか。選択
Q5. 信頼が壊れた直後に起きることとして、本文が述べているのはどれか。選択
今日1回、10分。返していない借りを1件だけ選ぶ。返しそびれた返信でも、口にしたまま果たしていない約束でもいい。最初に頭に浮かんだものでよく、全部を思い出す必要はない——最初に浮かぶものが、たいてい一番古い。選んだら、それを今日のうちに片づけてチェックを入れる。送るのが難しい相手や時間帯なら、返す文面を最後まで書き切って、送る日時を1つ決めた時点でチェックしてよい。長い謝罪は要らない。遅れたことに1行だけ触れて、あとは中身を書く。返す相手がいない、あるいは今日は誰とも連絡を取りたくない場合は、自分に対して未返却になっているものを1件片づければよい——借りたまま戻していない物を1つ元の場所に戻す、期限を過ぎた手続きを1つ済ませる、といったことで代替できる。守った1件を記録することが目的で、過去の未返却を数え上げて自分を採点することは目的ではない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Slovic P. (1993) 'Perceived Risk, Trust, and Democracy', Risk Analysis 13(6):675-682 — onlinelibrary.wiley.com
- Schweitzer M.E., Hershey J.C., Bradlow E.T. (2006) 'Promises and lies: Restoring violated trust', Organizational Behavior and Human Decision Processes 101(1):1-19 — faculty.wharton.upenn.edu
- Knack S., Keefer P. (1997) 'Does Social Capital Have an Economic Payoff? A Cross-Country Investigation', The Quarterly Journal of Economics 112(4):1251-1288 — academic.oup.com
- Robinson W.S. (1950) 'Ecological Correlations and the Behavior of Individuals', American Sociological Review 15(3):351-357 — www.stats.uwo.ca
- Glaeser E.L., Laibson D.I., Scheinkman J.A., Soutter C.L. (2000) 'Measuring Trust', The Quarterly Journal of Economics 115(3):811-846 — academic.oup.com
- Colquitt J.A., Scott B.A., LePine J.A. (2007) 'Trust, Trustworthiness, and Trust Propensity: A Meta-Analytic Test of Their Unique Relationships With Risk Taking and Job Performance', Journal of Applied Psychology 92(4):909-927 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov