見送った理由は、見送ったあとで作られる
バイアスの話は、たいてい「選んで失敗した」側の話として語られる。だが機会について高くつくのは、選ばなかった側の失敗だ。そちらには結果が返ってこないので、後悔する材料さえ手に入らない。
先に、扱わないことを決めておく
この単位では、バイアスの総覧をやらない。名前の付いた認知の癖は百を超えていて、一覧にして並べるのは思考法の棚の持ち場である。お金の判断に効く癖は金運の棚が、職業や進路を選ぶときの偏りは就職と職業の棚が引き受けている。
ここで扱うのは2つだけだ。現状維持バイアスと確証バイアス。基準ははっきりしている——機会を見送る側で働き、しかも見送った本人には理由が正当に見えてしまうもの。この2つを選んだのはそのためである。
機会について高くつく失敗は、たいてい選んだ側ではなく、選ばなかった側にある。そして選ばなかった側には結果が出ない。何も起きなかったのだから、後悔する材料すら手に入らない。
1つめ:現状維持バイアス——「今のまま」は選択肢ではなく初期値として現れる
Samuelson と Zeckhauser が1988年に Journal of Risk and Uncertainty に発表した研究は、米国の大学院生を中心とする486人に、同じ内容の選択問題を2通りの形で見せた。ひとつは全部の選択肢を対等に並べる形。もうひとつは、そのうちひとつに「これが現在の状態です」と添える形である。
結果は、選択肢の中身が同じでも、現状と書かれたものが選ばれやすかった。著者らは、現状と書かれたときの選択率が、対等に並べたときの選択率0.83倍に0.17を足した水準になる、という要約式を報告している。54件の比較のうち31件で、現状と書かれた場合とそうでない場合の差が統計的に確かめられた。しかも選択肢の数が増えるほど効き方は強くなる。著者らが挙げた例では、候補が2人なら現職が59対41で勝つ状況が、候補が4人になると現職38.5%に対し挑戦者は1人あたり20.5%になる。
初期値の力は、実験室の外でも測られている。Johnson と Goldstein が2003年に Science に発表した研究は、臓器提供の意思表示について、初期状態を「提供する」にした場合と「提供しない」にした場合を比べた。161人が参加したオンライン実験では、提供する側を初期値にしたときの同意率は、しない側を初期値にしたときのおよそ2倍になった。国の制度で比べると、初期値が提供に置かれている国と、そうでない国の同意率の分布は、およそ60ポイント離れていて重なりがなかった。
機会の場面に置き直すと、こうなる。誘われた、募集を見つけた、声をかけられた——そのとき、動かない側は選択肢の一つとして提示されない。初期値として、すでにそこにある。人は初期値を選んだのではなく、選ばなかっただけだ。だが記録の上では、選ばなかったことと選んだことは同じ形になる。
2つめ:確証バイアス——自分の仮説に合う証拠だけが集まる
Wason が1960年に Quarterly Journal of Experimental Psychology に発表した課題は、いまでも見事に効く。参加者に 2・4・6 という3つの数を見せ、これはある規則に従っていると告げる。参加者は自分で3つ組を作って提出し、規則に合うか合わないかだけを教えてもらえる。確信が持てたら規則を宣言する。
正解は「増加する3つの数」だった。参加者29人のうち、最初の宣言で正解に達したのは6人。13人は誤った規則を1回宣言してから正解に達し、9人は2回以上外し、1人は最後まで宣言しなかった。多くの参加者は、自分の思いついた規則に合う例ばかりを提出していた。合う例をいくら集めても、規則は絞り込めない。
この癖は情報の選び方でも測られている。Hart らが2009年に Psychological Bulletin に発表したメタ分析は、67の報告に含まれる91の研究、参加者約8,000人を統合し、人が自分の既存の立場を支持する情報を選ぶ傾向の効果量をd=0.36と報告した。中程度である。強烈ではないが、繰り返し働く。
見送る場面では、この2つが手を組む。動かないことは初期値として与えられ、動かない理由を支える情報は、探せばいくらでも見つかる。判断した本人の実感としては、慎重に検討した結果である。
値切り:「バイアス訓練で意思決定が改善する」の、転移のほう
さて、この単位の主役を値切る。バイアスは訓練で減らせる、という主張がある。半分は正しい。問題は、何が改善したかである。
Morewedge らが2015年に Policy Insights from the Behavioral and Brain Sciences に発表した研究は、1回の訓練で効果が出ることを示した。訓練用のゲームを1回やらせると、対象となった判断課題の偏りが直後で31.94%以上減り、およそ2か月後でも23.57%以上減っていた。解説動画でも直後18.60%以上、遅延時19.20%以上の減少が出ている。設計も測定も丁寧な研究だ。
ただし、測られているのは実験室で出した判断課題の成績である。訓練したことが、現場の成果に移るかどうかは別の問いだ。
その別の問いを扱った研究は、ごく少ない。Sellier、Scopelliti、Morewedge が2019年に Psychological Science に発表した研究は、その数少ない一つである。フランスの経営大学院の大学院生290人に訓練を受けさせ、平均およそ18日後、まったく別の授業でビジネスケースを解かせた。訓練を受けた側が、自分の仮説を支える情報に寄りかかった劣った選択をした割合は58.8%で、受けていない側の72.2%より低かった——相対的に29%少ない。
そして全体の見取り図がある。Korteling、Gerritsma、Toet が2021年に Frontiers in Psychology に発表した系統的な文献研究は、条件を満たす52件を選別したうえで、14日以上の保持または訓練とは別の文脈への転移をきちんと測った査読論文は12件だけだったと報告している。そのうち、訓練場面の外での実際の意思決定への転移を調べたものは、上のSellierらの研究1件だけだった。著者らの結論は率直だ——現実の条件で判断を実質的に改善するという証拠は、現時点では不十分である。
念のため書くと、これは訓練が無駄だという話ではない。効くと示されている範囲が、判断課題の成績と、単一の領域の1件の追跡に限られている、という話だ。
見つからなかった数字のこと
この単位のもとになった資料には、確証バイアスの訓練で判断の精度が19%上がる、外部の視点を取ると計画の見積もり違いが35%減る、という2つの数字が並んでいた。どちらも出どころを探した。バイアス低減訓練の主要な研究(2015年の訓練研究、2019年の追跡、2021年の文献研究)とその引用文献をたどり、計画の見積もりに関する研究群も当たったが、この形の数値に対応する一次情報にはたどり着けなかった。
存在しないと断定はしない。ただ、この単位ではこの2つの数字を使わない。使うのは、たどり着けた数字だけである。
時間・変化:見送りの理由は、あとから作られる
見送る判断は、一瞬で終わる。理由が言語になるのは、そのあとだ。
最初の数秒、起きているのは判断ではなく回避に近い。今は忙しい、条件が合わない、時期が悪い。ここまでは感覚である。
次の数分から数時間で、その感覚に説明が付く。ここで確証バイアスが働く。忙しいと思った人は、忙しさの証拠を思い出す。条件が合わないと思った人は、合わない条件を数え上げる。説明は正確になっていくが、正確さは正しさではない。
数日たつと、説明のほうが記憶になる。自分は検討して見送った、という形で残る。実際に検討したのは、見送ると決めたあとだったのに。
だからこの単位の課題は、判断を変えることではない。判断のあとで、反対側の事実を1つだけ書き足すことだ。順序を逆にはできないが、片側だけで固まるのは止められる。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げの筆頭は、この単位の知識そのものである。名前を2つ覚えると、他人の見送りを説明する語彙が増える。自分の見送りについては、相変わらず理由が正当に見える。
第2の妨げは、反証を探す作業が不快なことだ。自分の判断に反する事実を1つ書く、というのは10秒で終わる作業だが、10秒ぶんの居心地の悪さがある。29人のうち23人が誤った規則を宣言した課題で起きていたのも、たぶんこれである。合う例を出すほうが気分がいい。
標本の偏りを断っておく。この単位の数字は、米国の大学院生486人、英国の学部生29人、フランスの経営大学院の大学院生290人、そして欧米のオンライン調査参加者から出ている。研究の参加者は西欧・北米の大学まわりに強く偏っていて、日本の職場の慣行——たとえば、誘いを断ることの意味や、決裁の順序——はこれらの実験に入っていない。効果の向きは参考になるが、大きさをそのまま持ち込まないほうがいい。
助けになるのは、反証を書く欄をあらかじめ作っておくことである。思い出したときに探すのではなく、置き場所を先に用意する。これは判断力の問題ではなく、様式の問題だ。
最初の一歩は5分。直近1週間で見送ったものを1つ選び、見送った理由を1行書く。そのあと、その理由に反する事実を1つだけ書き足す。反する事実が見つからないなら、それはそれで結論になる。この道具は、この棚の他の道具と掛け算で効く。
次の単位は 151「期待値思考」——見送るか受けるかを、確率と結果の大きさで書き直す道具だ。順番に登る段ではなく、同じ引き出しに並んでいる隣の道具として使ってほしい。
- この単位はバイアスの総覧をやらない。機会を見送る側で働く2つ——現状維持バイアスと確証バイアス——だけを扱う。認知の癖の一覧は思考法の棚、お金の判断の癖は金運の棚、職業選択の偏りは就職と職業の棚の持ち場である
- Samuelson & Zeckhauser 1988(Journal of Risk and Uncertainty 1(1):7-59)は486人で、中身が同じ選択肢でも現状と示されると選ばれやすくなることを示した。54件の比較のうち31件で差が確認され、選択肢が増えるほど効果は強い(候補2人なら現職59対41、4人なら現職38.5%対挑戦者1人あたり20.5%)
- Johnson & Goldstein 2003(Science 302(5649):1338-1339)では、臓器提供の意思表示の初期値を変えた161人のオンライン実験で同意率がおよそ2倍になり、国の制度比較では初期値の違う国どうしの分布がおよそ60ポイント離れて重なりがなかった
- Wason 1960(Quarterly Journal of Experimental Psychology 12(3):129-140)の2・4・6課題では、正解の規則は『増加する3つの数』で、29人のうち最初の宣言で正解に達したのは6人だった。多くは自分の仮説に合う例だけを提出していた
- Hart et al. 2009(Psychological Bulletin 135(4):555-588)は67報告・91研究・約8,000人を統合し、自説を支持する情報を選ぶ傾向の効果量をd=0.36と報告した。強烈ではないが繰り返し働く大きさである
- 値切りの本体:Morewedge et al. 2015(Policy Insights from the Behavioral and Brain Sciences 2(1):129-140)の訓練ゲームは判断課題の偏りを直後31.94%以上、約2か月後も23.57%以上減らした。しかし測っているのは実験室内の成績である
- Korteling, Gerritsma & Toet 2021(Frontiers in Psychology 12:629354)は52件を選別し、保持または転移を適切に測った査読論文は12件、訓練の外での実際の意思決定への転移を調べたのは Sellier et al. 2019(Psychological Science 30(9):1371-1379、大学院生290人、劣った選択が72.2%から58.8%へ)の1件だけだと報告した
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| バイアス訓練を受ければ、現実の意思決定が良くなる | 1回の訓練で実験室内の判断課題の偏りは確かに減る(直後31.94%以上、約2か月後23.57%以上)。しかし2021年の系統的文献研究では、保持または転移を適切に測った査読論文は12件、訓練の外での実際の意思決定への転移を調べたものは1件だけだった。その1件も、経営大学院の大学院生290人がビジネスケースを解くという単一の領域である。効くと示されている範囲は、まだ狭い |
| 見送ったのは、きちんと検討した結果だ | 見送りの判断は先に起き、理由は後から付く。中身が同じ選択肢でも現状と示されるだけで選ばれやすくなり(54件中31件で差)、自説を支持する情報を選ぶ傾向はd=0.36で働く。順序は逆にできないが、判断のあとに反対側の事実を1つ書き足すことはできる |
| 確証バイアスの訓練で精度が19%上がる、外部の視点で計画の見積もり違いが35%減る | この2つの数値の出どころを探したが、バイアス低減訓練の主要研究とその引用文献、計画の見積もりに関する研究群を当たっても、対応する一次情報にはたどり着けなかった。存在しないと断定はしないが、この単位では使わない |
この単位を読み終えた人は、これから他人の見送りが上手に説明できるようになる。あの人は初期値に流された、あの人は都合のいい情報だけ見ている——語彙が2つ増えたのだから当然だ。自分の見送りについては、今日も理由がきちんと立つだろう。立たない理由で見送る人はいない。だから宿題は判断ではなく、反対側の事実を1行だけ書き足すという、実に地味な作業になる。
Q1. Korteling, Gerritsma & Toet(2021)が、バイアス低減訓練の転移について報告した内容を答えよ。一問一答
Q2. 本文が「見送った理由は、見送ったあとで作られる」と述べる根拠と、そこから導かれる今日の対処を答えよ。一問一答
Q3. Samuelson & Zeckhauser(1988)の研究について、本文の記述と一致するものはどれか。選択
Q4. 本文が、設計資料にあった2つの数値(確証バイアス訓練で精度19%向上/外部の視点で計画の見積もり違い35%削減)について取った態度はどれか。選択
Q5. Wason(1960)の2・4・6課題では、正解の規則は「増加する3つの数」で、参加者 ____ 人のうち最初の宣言で正解に達したのは ____ 人だった。情報の選び方を扱った2009年のメタ分析(91研究・約8,000人)では、自説を支持する情報を選ぶ傾向の効果量は d=____ である。穴埋め
今日1回だけ。直近1週間で見送ったもの(誘い・募集・声かけ・相談など)を1つ選び、見送った理由を1行で書く。次に、その理由に反する事実を1つだけ書き足す。反する事実とは、感想や反省ではなく、確かめられる事柄のことだ——例えば「時間がない」に対しては、先週その用事に使った時間の実数や、締切の実際の日付。「自分には無理だ」に対しては、似たことを過去にやった記録の有無。探しても見つからないなら、見つからなかったと書けばそれで完了とする。判断を覆す必要はない。見送ったままでよい。この作業の目的は決め直すことではなく、片側だけで固まった状態を1行ぶんだけ崩すことである。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Samuelson W., Zeckhauser R. (1988) 'Status quo bias in decision making', Journal of Risk and Uncertainty 1(1):7-59 — link.springer.com
- Johnson E.J., Goldstein D. (2003) 'Do defaults save lives?', Science 302(5649):1338-1339 — www.science.org
- Wason P.C. (1960) 'On the failure to eliminate hypotheses in a conceptual task', Quarterly Journal of Experimental Psychology 12(3):129-140 — journals.sagepub.com
- Hart W., Albarracín D., Eagly A.H., Brechan I., Lindberg M.J., Merrill L. (2009) 'Feeling validated versus being correct: A meta-analysis of selective exposure to information', Psychological Bulletin 135(4):555-588 — socialactionlab.org
- Morewedge C.K., Yoon H., Scopelliti I., Symborski C.W., Korris J.H., Kassam K.S. (2015) 'Debiasing decisions: Improved decision making with a single training intervention', Policy Insights from the Behavioral and Brain Sciences 2(1):129-140 — journals.sagepub.com
- Sellier A.-L., Scopelliti I., Morewedge C.K. (2019) 'Debiasing training improves decision making in the field', Psychological Science 30(9):1371-1379 — journals.sagepub.com
- Korteling J.E., Gerritsma J.Y.J., Toet A. (2021) 'Retention and transfer of cognitive bias mitigation interventions: A systematic literature study', Frontiers in Psychology 12:629354 — www.frontiersin.org