バイアスの一覧を覚えても、自分のぶんだけは見えない
バイアスの一覧表を暗記した人が最初に手に入れるのは、他人の判断を採点する能力である。自分の判断についてだけは、なぜか採点が甘くなる。しかもその甘さは、一覧表を覚えたことで直るのではなく、覚えたことで少し強くなる。
前の単位から:設計の話から、判断する側の話へ
133から135で、出ていく量と、手元の余裕と、入出金の順番を扱った。ここまでは、家計という機械の設計の話だ。この単位で扱うのは、その設計をするときに、こちら側で何が起きているかである。
最初に、扱わないことを決めておく。バイアスの総覧はやらない。名前の付いた認知の癖は百を超えていて、一覧にするのは思考法の棚の持ち場である。職業や進路を選ぶときの偏りは、就職と職業の棚が引き受ける。
この単位が扱うのは3つだけだ。現在バイアス、損失回避、メンタルアカウンティング。お金の判断で繰り返し観察されていて、しかも家計の設計を変えることで対処できるものだけを残した。
そして、この棚は投資助言でも税務相談でもない。特定の商品や口座を勧めることも否定することもしない。制度は改正されるので、必要な判断のときは自分で一次情報を確認してほしい。
1つめ:現在バイアス——今日と明日の差は、来月と再来月の差より大きい
人は、遠い将来の1日の差にはほとんど反応せず、目の前の1日の差には強く反応する。この非対称が、貯める・借りる・払うに効く。
実験室の外での実測がある。シャピロが2005年に Journal of Public Economics に発表した研究は、米国の食料支援制度の受給世帯を追った。給付は月に1回まとめて入る。そして受給から30日のあいだに、摂取カロリーが10%から15%低下していた。月末に向かって、食べる量が減っていく。
この減り方は、将来を一定の率で割り引くという通常の考え方では説明がつかない、というのが著者の結論である。目の前の消費が、想定より重く扱われている。
家計の設計にとっての含意は、意志の話ではない。同じ総額でも、まとめて入って自由に配分できる形は、月末に向かって薄くなりやすい。135で扱ったタイミング設計が効くのは、まさにここである。
2つめ:損失回避——ただし、係数は言われているより小さい
損失は同じ大きさの利得より重く感じられる。この主張は、行動経済学で最も広く引用されてきたもののひとつだ。
数字も一緒に流通している。トベルスキーとカーネマンが1992年に Journal of Risk and Uncertainty で報告した推定値、λ=2.25である。損失は利得のおよそ2.25倍重い、と使われる。
ここで値切る。この2.25は、25人の大学院生が参加した1時間の実験セッションから得られた推定値だ。そして、その後の研究を集めた検算がある。ワラセック、マレット、スチュワートが2024年に Journal of Economic Psychology に発表したメタ分析は、危険を伴う選択を扱った17本の論文・19のデータセットを統合し、λの統合推定値を1.31(95%信頼区間1.10〜1.53)と報告した。
しかもこのメタ分析は、研究間のばらつきが極めて大きいこと(不均一性の指標は91.60%)と、19のデータセットのうち12で信頼区間が損失中立、つまりλ=1をまたいでいたことを報告している。損失回避が存在しないという話ではない。存在するが、2.25という単一の数字で語れるほど安定してはいない、という話である。
もう一段の批判もある。ガルとラッカーが2018年に Journal of Consumer Psychology に発表した論文は、損失回避の証拠とされてきた現象の一部が、損失そのものではなく 何もしないほうを選ぶ癖 で説明できると指摘した。彼らの追試では、同じ20ドル札を交換するかという、損得がまったく同じ場面でも約60%が元のほうを選んだ。またマグカップの例では、得たときの評価が2.71、失ったときの評価が1.38で、得るほうが大きく出ている。
家計にとっての含意はこうだ。損は嫌だという感覚は本物だが、その強さを2.25倍という固定値で見積もると、自分の反応を実際より劇的に描くことになる。
3つめ:メンタルアカウンティング——お金には仕切りが見える
1万円は1万円である。どの財布に入っていても購買力は変わらない。これを経済学ではお金の代替可能性と呼ぶ。
実際の家計は、そう扱っていない。お金に見えない仕切りをつけて、財布ごとに別の勘定として管理する癖がある。
この癖がどれくらい効いているかを、ヘイスティングスとシャピロが2013年に The Quarterly Journal of Economics で検算した。使ったのは、米国の3州・17の都市圏・69か所で営業する小売チェーンの、61,494世帯・10,548,175件の取引記録(2006年1月から2009年3月)。この小売店は給油所を併設していて、同じ客が食料品とガソリンの両方を買う。
観察されたのはこうだ。ガソリンの価格が1ドル上がると、その世帯がレギュラーを選ぶ確率が1.4ポイント上がる。
問題は大きさだ。2008年の価格急騰——1ガロン2.98ドルから4.10ドル——は、典型的な世帯にとって年間約1,313ドルの目減りにあたる。もし単に所得が1,313ドル減ったのと同じように反応するなら、上昇は0.02ポイントにとどまるはずだった。実際は1.4ポイント。著者らの推定で、ガソリン予算の目減りへの反応は、他の収入の同額の変化への反応のおよそ20倍である。
つまり家計は、ガソリン代という仕切りの中でだけ節約している。仕切りは、経済学の教科書には存在しないが、給油所には存在する。
値切りの本題:知れば避けられる、という前提
さて、この単位でいちばん強い値切りに来る。バイアスの名前を知れば、自分の判断からそれを取り除ける——この前提は、本や研修の売り文句として長く使われてきた。実際に測られている。
プローニン、リン、ロスが2002年に Personality and Social Psychology Bulletin に発表した研究は、3つの調査からなる。参加者は、さまざまな認知の偏りについて、自分と、平均的なアメリカ人、同じゼミの受講生、空港で居合わせた旅行者を比べて評価した。結果は一貫していた——人は、自分のほうが偏りに強いと答える。1つめの調査の参加者は29人で、自他の差の効果量はd=−0.86だった。
この研究の核心は、次の追加実験のほうにある。そのバイアスが自分の判断にどう影響しうるかの説明を読ませたあとでも、参加者は自分の自己評価に偏りがあることを否定した。説明を読ませても、盲点は閉じなかった。
追試もされている。セダらが2024年に Collabra: Psychology に発表した、事前登録つきのブラジルの標本203人による追試では、自他の差はd=−1.72と、原著より大きく再現された。
そして、この盲点が実害を持つことを測ったのが、スコペリッティらが2015年に Management Science に発表した研究だ。5つの標本・1,700人超で14項目の尺度を作り、参加者の85.2%が有意な盲点を示すことを報告している。重要なのは、盲点が何と相関していたかだ。盲点が平均より1標準偏差高い人は、1標準偏差低い人に比べて、他人の助言に置く重みが小さかった(0.164対0.223)。さらに、根本的な帰属の誤りを減らす訓練は、盲点の得点が低い人にはよく効き、高い人には効きにくかった。
並べると、こうなる。バイアスの知識は、他人の判断を採点する能力を上げる。自分の判断については、盲点が残る。そして盲点が強い人ほど、助言を受け取らず、訓練の効きも悪い。知れば避けられる、という前提は、いちばん必要な人のところで最初に折れる。
時間・変化:知識は増え、判断は変わらない、という順序
バイアスを学んだあと、実際に起きることには順序がある。
最初の数日、増えるのは語彙である。名前が付くので、現象が見えるようになる。ここは楽しい。
次の数週間、その語彙は他人に向く。会議で、家族の買い物で、ニュースの中で、名前の付いた偏りが次々に見つかる。プローニンらが測ったのは、この非対称だ。
そして自分の判断については、何も起きない期間が続く。判断の最中にはバイアスが感じられないからである。感じられるのは、判断が終わって結果が出たあとだ。
つまり、対処の置き場所は判断の最中ではない。判断の最中の自分は、あてにならない。あてになるのは、判断の前に置いた仕組みと、判断のあとに残る記録だ。135で扱った入出金の設計が効くのは、それが判断の前に置かれているからである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、バイアスの語彙が採点道具として使えてしまうことだ。他人の判断を説明する言葉としては便利で、しかも使うたびに、自分は分かっている側だという感覚が強まる。その感覚こそが、測られている盲点である。
第2の妨げは、数字の一人歩きだ。損失は利得の2.25倍重い、という言い方は、25人の大学院生の実験から出た推定値である。19のデータセットを統合すると1.31になり、そのうち12では信頼区間が損失中立をまたいでいた。単一の係数を自分の心の設計図として持ち歩くと、実際の自分より劇的な人物像ができあがる。
標本の偏りを断っておく。この単位の研究は、米国の大学生とオンラインの調査参加者、そして米国の家計と店舗のデータに強く偏っている。給油所併設の小売という業態も、食料支援の制度も、日本の読者の日常とはそのまま重ならない。盲点の研究には事前登録つきのブラジルでの追試があるが、確認された文化の範囲はまだ狭い。加えて、自己評価の尺度は自己申告であり、判断の癖が強い人ほど質問紙に正直に答えにくい可能性が残る。数字は方向だけ持ち帰るのが誠実である。
助けるのは、3つを性格の説明ではなく、設計の指示として読むことだ。現在バイアスには、判断の回数を減らす設計。損失回避には、何を基準に得と損を数えているかを書き出すこと。メンタルアカウンティングには、仕切りの位置を自分で決めること——仕切りは消せないが、置き場所は選べる。
最初の一歩は10分。3つの名前を紙に書き、それぞれについて、直近1か月の自分のお金の判断を1つずつ思い出して当てはめてみる。思い出せないものがあれば、それは3つのうちで、あなたにとって最も見えにくいものである。
次の単位は 137「資産形成力」——ここまでの4単位で、出ていく側と手元の余裕、その順番、そして判断する側の癖を扱った。緑の段はここで終わる。次からは、残った差分をストックに変える話だ。そこでも最初に検算するのは、いちばん人気のある物語のほうである。
- この単位はバイアスの総覧をやらない。お金の判断に効く3つ——現在バイアス、損失回避、メンタルアカウンティング——だけを扱う。認知の癖の一覧は思考法の棚、職業選択の文脈は就職と職業の棚の持ち場である
- Shapiro 2005(Journal of Public Economics 89(2-3):303-325)は、米国の食料支援の受給世帯で、給付受領後の30日間に摂取カロリーが10〜15%低下することを示した。この低下幅は、将来を一定の率で割り引くという通常の想定では説明できないと結論されている
- 損失回避の係数λ=2.25は、Tversky & Kahneman 1992(Journal of Risk and Uncertainty 5:297-323)が25人の大学院生による1時間の実験セッションから推定した値である
- Walasek, Mullett & Stewart 2024(Journal of Economic Psychology 103:102740)のメタ分析は、17本の論文・19のデータセットを統合し、λの統合推定値を1.31(95%信頼区間1.10〜1.53)と報告した。研究間のばらつきは極めて大きく(不均一性の指標91.60%)、19のうち12のデータセットでは信頼区間が損失中立(λ=1)をまたいでいた
- Gal & Rucker 2018(Journal of Consumer Psychology 28(3):497-516)は、損失回避の証拠とされてきた現象の一部が 何もしないほうを選ぶ癖 で説明できると指摘した。同じ20ドル札を交換するかという損得の同じ場面でも約60%が元のほうを選び、マグカップの評価では得たときが2.71、失ったときが1.38で得るほうが大きかった
- Hastings & Shapiro 2013(The Quarterly Journal of Economics 128(4):1449-1498)は、米国3州・17都市圏・69か所の小売チェーンの61,494世帯・10,548,175件の取引(2006年1月〜2009年3月)を分析した。ガソリン価格が1ドル上がるとレギュラーを選ぶ確率が1.4ポイント上がる。2008年の価格急騰(1ガロン2.98ドル→4.10ドル)は年約1,313ドルの目減りに相当するが、同額の所得変化なら0.02ポイントの上昇にとどまるはずで、反応はおよそ20倍だった
- Pronin, Lin & Ross 2002(Personality and Social Psychology Bulletin 28(3):369-381)の3調査は、人が自分を平均的なアメリカ人・ゼミの受講生・居合わせた旅行者より偏りに強いと評価することを示した(第1調査は29人、d=−0.86)。バイアスの説明を読ませたあとでも、参加者は自分の自己評価の偏りを否定した。Scopelliti et al. 2015(Management Science 61(10):2468-2486)では5標本・1,700人超のうち85.2%が有意な盲点を示し、盲点の強い人ほど他人の助言に置く重みが小さく(0.164対0.223)、バイアスを減らす訓練の効果も小さかった
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| バイアスの名前を覚えれば、自分の判断からそれを取り除ける | 5標本・1,700人超で測ると85.2%が有意な盲点を示し、盲点が1標準偏差高い人は1標準偏差低い人より他人の助言に置く重みが小さく(0.164対0.223)、バイアスを減らす訓練の効果も小さかった。さらに原典の研究では、そのバイアスが自分にどう影響しうるかの説明を読ませたあとでも、参加者は自分の自己評価の偏りを否定した。知識は他人を採点する能力を上げるが、自分の盲点は閉じない |
| 損失は利得の2.25倍重い——これは確立した定数である | 2.25は25人の大学院生による1時間の実験から得られた推定値である。17本・19データセットを統合したメタ分析ではλ=1.31(95%信頼区間1.10〜1.53)で、研究間のばらつきは極めて大きく、19のうち12で信頼区間が損失中立をまたいでいた。損失回避が存在しないという話ではなく、単一の係数で語れるほど安定していないという話である |
| 同じ金額なら、どの財布から出ても家計の行動は同じはずだ | 61,494世帯・10,548,175件の取引の分析では、ガソリン価格が1ドル上がるとレギュラーを選ぶ確率が1.4ポイント上がった。同額の目減りが他の収入から生じた場合に予測される上昇は0.02ポイントで、反応の大きさはおよそ20倍。家計はガソリン代という仕切りの中でだけ強く節約している。仕切りは消せないが、置き場所は自分で選べる |
この単位でいちばん厄介なのは、ここまで読んだことで、あなたが少しだけ危険になったことである。名前が3つ増えた。他人の買い物を説明する言葉が手に入った。そして、自分は分かっている側だという感覚も一緒に増えた——測られている盲点は、その感覚そのものだ。85.2%という数字を見て、自分は残りの14.8%だと思った人は、たった今、その研究の再現に協力したことになる。
Q1. Scopelliti ら(2015)が5標本・1,700人超で測ったバイアスの盲点について、正しいものを選べ。選択
Q2. Pronin, Lin & Ross(2002)が、知識では盲点が閉じないことを示した実験の要点はどれか。選択
Q3. 損失回避の係数λは、Tversky & Kahneman(1992)で ____ と推定された(大学院生25人の1時間の実験)。19のデータセットを統合した2024年のメタ分析では ____(95%信頼区間1.10〜1.53)で、19のうち ____ のデータセットでは信頼区間が損失中立をまたいでいた。穴埋め
Q4. Hastings & Shapiro(2013)がお金の代替可能性を検算した方法と、得られた数字を答えよ。一問一答
Q5. 本文が示した、バイアスを学んだあとに実際に起きる順序と、そこから導かれる対処の置き場所を答えよ。一問一答
今日1回、紙かメモアプリに3つの名前を書く——現在バイアス、損失回避、メンタルアカウンティング。次に、直近1か月の自分のお金に関する判断を思い出し、それぞれに1つずつ当てはめる。現在バイアスの例は、月の前半と後半で同じ判断が変わった場面。損失回避の例は、減ることを避けたくて動かさなかった場面。メンタルアカウンティングの例は、同じ金額なのに出どころによって扱いが変わった場面。当てはめられたものにチェックを入れる。3つ全部にチェックが付かなくてよい——思い出せなかったものが、あなたにとって最も見えにくいものである。自分を採点したり、過去の判断を後悔したりする必要はない。名前と実例を1回だけ結びつけるのが目的だ。お金の判断を最近していない人は、時間の使い方や予定の入れ方で同じ3つを探せばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Shapiro J.M. (2005) 'Is there a daily discount rate? Evidence from the food stamp nutrition cycle', Journal of Public Economics 89(2-3):303-325 — www.sciencedirect.com
- Tversky A., Kahneman D. (1992) 'Advances in prospect theory: Cumulative representation of uncertainty', Journal of Risk and Uncertainty 5(4):297-323 — link.springer.com
- Walasek L., Mullett T.L., Stewart N. (2024) 'A meta-analysis of loss aversion in risky contexts', Journal of Economic Psychology 103:102740 — wrap.warwick.ac.uk
- Gal D., Rucker D.D. (2018) 'The Loss of Loss Aversion: Will It Loom Larger Than Its Gain?', Journal of Consumer Psychology 28(3):497-516 — myscp.onlinelibrary.wiley.com
- Hastings J.S., Shapiro J.M. (2013) 'Fungibility and Consumer Choice: Evidence from Commodity Price Shocks', The Quarterly Journal of Economics 128(4):1449-1498 — academic.oup.com
- Pronin E., Lin D.Y., Ross L. (2002) 'The Bias Blind Spot: Perceptions of Bias in Self Versus Others', Personality and Social Psychology Bulletin 28(3):369-381 — journals.sagepub.com
- Seda L., Moraes I.T.C., Leite T.L.R.C., Bernardes M.C., Ferreira D. (2024) 'Theoretical Maturation of the Bias Blind Spot: A Preregistered Replication Study of Pronin, Lin, and Ross (2002) in a Brazilian Sample', Collabra: Psychology 10(1):122158 — online.ucpress.edu
- Scopelliti I., Morewedge C.K., McCormick E., Min H.L., Lebrecht S., Kassam K.S. (2015) 'Bias Blind Spot: Structure, Measurement, and Consequences', Management Science 61(10):2468-2486 — openaccess.city.ac.uk