家計簿をつけると支出は減る。ただし効いているのは、記録ではなく上限のほうだ
先月、いくら入って、いくら出て、いくら残ったか。この3つの数字を10秒で言える大人は多くない。ところが同じ人が、来月いくら使うかは即答できる——そして、その答えられるほうが、たいてい間違っている。
前の単位から:入ってくる側の話は、ここで一度終わる
129から131までで、入ってくる側を3回に分けて見た。経路の本数、その数え方、そして全部がぶら下がっている土台としての技能と信用。ここまでは入口の話である。
この単位は、この棚の着手の起点だ。ここでやるのは 締める という作業で、法人は毎月これをやる。個人は誰にも求められないので、たいていやらない。
先に断っておく。この棚は投資助言でも税務相談でもない。特定の金融商品・口座・銘柄・保険・不動産を勧めることも、やめろと言うこともしない。制度は改正されるので、税や社会保険の扱いは必ず自分で一次情報を確認してほしい。なお、体調や運動を記録することの効果は健康の棚の持ち場で、ここでは扱わない。
この棚の地図——2枚の紙を、ここで一度だけ広げる
個人の財務を測る紙は2枚しかない。この先の単位では、どちらの紙のどの行の話かが毎回問題になるので、ここで一度だけ全体を広げておく。以降の単位では、この地図を繰り返さない。
1枚目は、期間を切って測る紙だ。ある月、ある年に、いくら入っていくら出たか。入る側が収入、出る側が支出、その差が収支差である。法人の損益計算書にあたる。
2枚目は、ある一日を切って測る紙だ。いま持っているものの合計が資産、いま返さなければならないものの合計が負債、その差が純資産である。法人の貸借対照表にあたる。
2枚は別の紙だが、つながっている。1枚目の差分が2枚目の純資産を動かす。逆に言えば、1枚目の差分がゼロなら、2枚目は何をしても動かない。この棚が増やす技術より先に締める技術を置くのは、この順序のためである。
この2枚組は思いつきではない。米連邦準備制度理事会が3年ごとに行う家計の財務に関する調査も、この2枚で家計を測る。片方は前年1年間の税引き前の収入という期間の数字、もう片方は調査時点の資産から負債を引いた純資産という一日の数字だ。2022年の結果では、米国の家計の収入の中央値は70,300ドル(2022年の物価に換算した米国の数字で、2021年分)。同じ報告書には、純資産の中央値も並んで載っている。報告書はわざわざ、この2つが常に同じ向きに動くわけではないと注意している。期間の数字と、一日の数字だからだ。
収支差とは、期間を切って出す1つの数字である
収支差の定義は拍子抜けするほど単純だ。ある期間に入ってきた手取りの合計から、その期間に出ていった合計を引く。それだけである。
難しいのは定義ではなく、期間を切ることのほうだ。切らないと合計が出ず、合計が出ないと差も出ない。そして、切ると必ず気持ち悪いことが起きる。年に一度の支払いが入る月と入らない月で、差が大きく変わる。ここで多くの人は 平均的な月 を作りたくなるが、平均的な月は存在しない。存在しないものを作ると、そこから先の計算が全部その架空の月の上に乗る。
実務的には、まず1か月を切って一度出し、年に一度・数年に一度の支払いは別の欄に出す。この2段構えなら、平均的な月を捏造せずに済む。
値切り:家計簿をつければ貯まる、を3方向から検算する
記録すれば改善する、はお金の分野でいちばん広く信じられている主張である。3方向から検算する。
第一に、予測が楽観に汚染されている
ピーツとビューラーが2009年に Personality and Social Psychology Bulletin に発表した4つの研究は、人が自分の支出をどれだけ正確に予測できるかを測った。参加者は来週の自分の支出を実際より低く予測し、前の週に自分がいくら使ったかと比べても予測は低かった。
興味深いのは原因のほうだ。節約したいという気持ちが強い人ほど、予測額は低くなった。ところが、その気持ちは実際の支出とは関係していなかった。願望は予測を動かすが、行動は動かさない。予測欄に書かれた数字は、支出の見積もりではなく願望の目盛りである。
バーマン、トラン、リンチ、ザウバーマンが2016年に Journal of Marketing Research に発表した研究は、同じ場所を別の角度から突く。人は将来の 手元の余裕 を見積もるとき、収入が増えることは織り込むのに、支出が増えることを十分に織り込まない。27の研究・8,418人をまとめた分析では、収入の変化に支出の変化の2.9倍の重みを置いていた。この偏りは遠い将来ほど強くなる。
第二に、記録という道具そのものが漏れる
家計簿は、精度の高い測定器だと思われている。国の統計でさえそうではない。
ビー、マイヤー、サリバンが2015年に、消費支出の測定に関する研究書の一章として発表した検証は、米国の消費支出調査の集計値を、国民経済計算の個人消費支出と品目ごとに突き合わせた。比較可能な項目で見ると、調査の捕捉率は1992年と1997年に0.88、2002年に0.84、2007年には0.81まで下がっている。
下がり方は一様ではない。捕捉率が特に低いのは、小口で不規則な買い物が積み重なる品目と、人が買ったと言いたがらない品目だ。酒類は0.20前後、衣料品は0.50を割り、外食は2010年で0.51程度である。さらに、レシートをその都度書き留める日記式の部分は、聞き取り式より捕捉率が低い——食料品では、聞き取りが0.90前後に対し日記式は0.70前後だった。
皮肉なことに、日記式が取りこぼす小口で不規則な支出は、家計簿をつける人がまさに捕まえたいと思っているものである。国の予算と専門の調査員をもってしてこの捕捉率だ。
第三に、効いているのは記録ではなく、上限のほうである
では記録は無駄か。そうではない。ただし、効いている部分が、思われているところと違う。
ルーカスとハワードが2023年に Journal of Consumer Research に発表した研究は、英国の家計管理アプリの実データ、カナダの信用組合の会員を対象とした実地の実験、米国の家計日記調査の3つを組み合わせた。予算の遵守率は総じて低い——理由は、人が立てる予算がひどく楽観的だからだ。ところが、その楽観的な予算でも支出は下がった。しかも下がった状態が、予算を立てて6か月後まで続く。支出は予算を超えたままなのに、である。
もう一つの発見が効いている。衝動的な人ほど予算を守れないが、その主な理由は、彼らがより多く使うからではなく、より低い予算を立てるからだった。守れなさは、支出の側ではなく目標の側から来ている。
ただし、上限を置くことにも副作用がある。ヒースとソルが1996年に Journal of Consumer Research に発表した3つの研究は、人が費目ごとに心の中の予算を作り、それに照らして支出を判断していることを示した。予算は将来の機会を完全には予想できないので、ある費目に多く割り当てすぎたり少なく割り当てすぎたりする。結果として、その費目のものを使いすぎたり使わなすぎたりする。著者らの結論は、予算はむしろ使わなすぎのほうを招きやすい、というものだった。
3方向をまとめる。予測は願望に汚染され、記録は小口から漏れ、それでも上限を置くと支出は下がる。家計簿をつければ貯まる、が正しいとすれば、その正しさは 記録の精度 ではなく 上限の存在 に由来する。精度を上げようとして挫折する人が多いのは、効かない側を一生懸命やっているからでもある。
時間・変化:締めは、毎日の記録より先に、一度の棚卸しから始まる
締めるという作業には、時間の順序がある。
最初の数日は棚卸しの時期だ。ここでやるのは記録ではなく、いま何がどこから引き落とされているかの確認である。この段階で多い発見は、忘れていた定期的な支払いが見つかることだ。
次の1か月は、一度だけ締める時期。入った合計と出た合計を出し、差を1つの数字にする。ここで多くの人が、差が思っていたより小さい——あるいは負である——ことに気づく。この気づきは、精度の高い記録ではなく、期間を切ったことによって生じる。
その先の数か月は、上限を置く時期だ。ルーカスとハワードの結果からすると、この上限は楽観的でよい。守れないと分かっている数字でも支出は下がる。年単位では、年に一度・数年に一度の支払いを別の欄で管理する時期になる。
順序が逆になると続かない。毎日の記録から始めた人は、精度が上がらないことに疲れて、締める前にやめる。締めるのが先で、記録はその後でいい。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、記録の完全性を目標にすることだ。国の統計調査でさえ捕捉率が0.81まで下がる作業を片手間で完全にやろうとすれば、必ず失敗する。しかも失敗の仕方が悪い——完全でない記録は無意味だと感じて、締めること自体をやめてしまう。
第二の妨げは予測欄だ。来月の支出をいくらにするかを先に書くと、そこには願望が入る。ピーツとビューラーの4つの研究が測ったのは、まさにその現象である。予測は書いてよいが、実績の代わりに使ってはいけない。
標本の偏りを断っておく。この単位の数字は米国・英国・カナダのもので、捕捉率の話も米国の統計制度に固有である。予測の楽観に関する研究の多くは、学生や小規模な参加者集団が対象だ。日本では社会保険料や住民税の引かれ方も給与の支払い周期も別建てで、しかも制度は改正される。比率をそのまま持ち込むのではなく、期間を切って差を1つの数字にする、という手順だけを持ち帰るのが誠実である。加えて、収入の高い層ほど調査に答えないので、この種の推定はおおむね上振れする方向に歪む。
助けるのは、精度ではなく期間を先に決めることだ。1か月と決めれば、その月に入ったものと出たものだけを数えればよく、漏れは次の月に回る。完全性を捨てると、締めは終わる。
最初の一歩は20分。直近30日を切って、2つの合計だけを出す。①入った手取りの合計 ②口座とカードから出ていった合計。明細を1件ずつ分類する必要はない。そして差を1つの数字にして書く。負でも構わない。負であることが分かった状態は、分からない状態より確実に良い。
次の単位は 133「支出管理力」——差の数字が出たら、次は出ていく側の中身に入る。そこには、毎日のコーヒーを削れば富が積み上がるという有名な算術と、その算術がどこで壊れているかが待っている。
- 個人の財務を測る紙は2枚しかない。1枚目は期間を切って測る紙で、収入と支出とその差=収支差を載せる(法人の損益計算書にあたる)。2枚目はある一日を切って測る紙で、資産と負債とその差=純資産を載せる(法人の貸借対照表にあたる)。1枚目の差分が2枚目の純資産を動かすので、差分がゼロなら2枚目は動かない
- 米連邦準備制度理事会の家計の財務に関する調査も、この2枚組で家計を測る。2022年の結果では、米国の家計の収入の中央値は70,300ドル(2022年の物価に換算した米国の数字で、2021年分)で、同じ報告書に純資産の中央値も載る。報告書は、期間の数字と一日の数字であるこの2つが常に同じ向きには動かないと注記している
- Peetz & Buehler 2009(Personality and Social Psychology Bulletin 35(12):1579-1591)の4つの研究では、人は来週の支出を実際より低く予測した。節約したい気持ちが強い人ほど予測額は低くなるが、その気持ちは実際の支出と関係していなかった。予測欄の数字は支出の見積もりではなく、願望の目盛りである
- Berman, Tran, Lynch & Zauberman 2016(Journal of Marketing Research 53(4):535-550)は、人が将来の手元の余裕を見積もるとき収入の変化に支出の変化の2.9倍の重みを置くことを、27研究・8,418人の分析で示した。この偏りは遠い将来ほど強くなる
- Bee, Meyer & Sullivan 2015 が米国の消費支出調査を国民経済計算と突き合わせた検証では、捕捉率は1992年と1997年に0.88、2002年に0.84、2007年に0.81まで低下した。低いのは小口で不規則な買い物が積み重なる品目で、酒類は0.20前後、外食は2010年で0.51程度。日記式の部分は聞き取り式より捕捉率が低い
- Lukas & Howard 2023(Journal of Consumer Research 49(5):697-720)は、英国の家計管理アプリの実データ、カナダの信用組合での実地実験、米国の家計日記調査を組み合わせ、予算の遵守率が低いのは予算がひどく楽観的だからだが、その楽観的な予算でも支出は下がり、効果が6か月後まで続くことを示した。衝動的な人が守れない主因は、多く使うことではなく、より低い予算を立てることだった
- Heath & Soll 1996(Journal of Consumer Research 23(1):40-52)は、人が費目ごとに心の中の予算を作って支出を判断していることを3つの研究で示した。予算は将来の機会を完全には予想できないため、割り当てが多すぎれば使いすぎ、少なすぎれば使わなすぎが起きる。著者らは使わなすぎのほうが起きやすいと結論した
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 家計簿をつけて記録の精度を上げれば、お金は貯まるようになる | 効いている部分が違う。Lukas & Howard 2023 では、予算の遵守率は低い——人の立てる予算が楽観的だから——にもかかわらず支出は下がり、効果は6か月後まで続いた。一方、記録の精度は上げにくい。Bee, Meyer & Sullivan 2015 では、国の消費支出調査ですら捕捉率は2007年に0.81まで下がり、日記式の部分は聞き取り式より低かった。正しさの由来は 記録の精度 ではなく 上限の存在 のほうにある |
| 来月いくら使うかは、自分のことだから自分がいちばん正確に分かる | Peetz & Buehler 2009 の4つの研究では、人は来週の支出を実際より低く予測し、節約したい気持ちが強い人ほど予測額が低くなった。その気持ちは実際の支出とは無関係だった。Berman et al. 2016 の27研究・8,418人の分析では、収入の変化に支出の変化の2.9倍の重みが置かれていた。予測欄に書かれているのは、支出の見積もりではなく願望である |
| 上限を決めさえすれば、あとは自動的にうまくいく | 上限にも副作用がある。Heath & Soll 1996 の3つの研究では、人は費目ごとに心の中の予算を作り、それに照らして判断する。予算は将来の機会を完全には予想できないので、割り当てすぎれば使いすぎ、少なすぎれば使わなすぎが起きる。起きやすいのは使わなすぎのほうだと結論された。上限は支出を下げる道具であって、配分を最適にする道具ではない |
記録の精度を上げるという目標の優れている点は、永遠に達成できないことである。レシートは1枚必ず消えるし、現金の小口は必ず合わない。おかげで、締めるというごく短い作業に着手しないまま、何年も真面目に努力し続けることができる。国の統計調査ですら捕捉率は0.81だという事実は、本来なら安心材料のはずだ——完全でなくていい、という許可証だからである。ところがこの許可証は、たいてい使われずにしまわれている。完全を目指しているあいだは、差が負であることを知らずに済むからだ。
Q1. この棚が使う2枚の紙を、それぞれ何を切って何を載せる紙か、そして2枚がどうつながっているかを説明せよ。一問一答
Q2. Peetz & Buehler 2009 の4つの研究が示した、支出予測と 節約したい気持ち の関係として正しいものはどれか。選択
Q3. Bee, Meyer & Sullivan の検証では、米国の消費支出調査の捕捉率は1992年と1997年に ____、2002年に0.84、2007年には ____ まで下がった。捕捉率が特に低いのは ____ で不規則な買い物が積み重なる品目で、酒類は0.20前後、外食は2010年で ____ 程度だった。穴埋め
Q4. Lukas & Howard 2023 が3つのデータ源から得た結果として、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q5. Berman らが27の研究・8,418人をまとめて示した偏りを、倍率を含めて答えよ。また Heath & Soll 1996 が示した、上限を置くことの副作用を答えよ。一問一答
口座の入出金明細とカードの利用明細を開き、直近30日だけを切って2つの合計を出す。①その30日に入った手取りの合計 ②その30日に口座とカードから出ていった合計。明細を1件ずつ費目に分類する必要はいっさいない。合計だけでよい。現金でやりとりした分が分からなければ飛ばして構わない——完全を目指すと締めが終わらなくなる。最後に ①−② を計算し、その1つの数字を書く。負でも構わない。負であることが分かった状態は、分からない状態より確実に良い。その30日に年に一度・数年に一度の支払いが含まれていた場合は、その金額だけを別の行に書き出しておく。収入がまったくない期間の人は、②だけを出して記録すればよい。この課題では、口座を開いたり、金融商品を売買したり、契約を解約したりする必要はいっさいない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Board of Governors of the Federal Reserve System (2023) 'Changes in U.S. Family Finances from 2019 to 2022: Evidence from the Survey of Consumer Finances', Federal Reserve Bulletin — www.federalreserve.gov
- Peetz J., Buehler R. (2009) 'Is There a Budget Fallacy? The Role of Savings Goals in the Prediction of Personal Spending', Personality and Social Psychology Bulletin 35(12):1579-1591 — journals.sagepub.com
- Berman J.Z., Tran A.T.K., Lynch J.G. Jr., Zauberman G. (2016) 'Expense Neglect in Forecasting Personal Finances', Journal of Marketing Research 53(4):535-550 — journals.sagepub.com
- Bee A., Meyer B.D., Sullivan J.X. (2015) 'Micro and Macro Validation of the Consumer Expenditure Survey', in Carroll C.D., Crossley T.F., Sabelhaus J. (eds.) Improving the Measurement of Consumer Expenditures, NBER Studies in Income and Wealth 74, University of Chicago Press — conference.nber.org
- Lukas M.F., Howard R.C. (2023) 'The Influence of Budgets on Consumer Spending', Journal of Consumer Research 49(5):697-720 — academic.oup.com
- Heath C., Soll J.B. (1996) 'Mental Budgeting and Consumer Decisions', Journal of Consumer Research 23(1):40-52 — academic.oup.com