同じ大学に受かった者どうしで比べると、選抜性の効果はほぼ消える
自分の一番大きな資産は何か、と聞かれて、家か貯金を思い浮かべたなら、桁を1つ見落としている。世界銀行の推計では、世界の富の64%は人の中にある。ただしこの資産には値札が付いていないので、目減りしても請求書が来ない。
前の単位から:源は全部、同じところにぶら下がっていた
130「収入源多様化力」では、収入源の本数を、振込元の数ではなく 同時に止まりうる理由の数 で数え直した。この数え方をすると、多くの人の本数は1に戻る。給与も、請負も、休日の仕事も、結局は同じ1つの土台にぶら下がっているからだ。
その土台に名前を付ける。自分の技能と、自分に対する信用である。会計の言葉では人的資本と呼ぶ。この単位は、それを気持ちの話としてではなく、金額として見る方法を扱う。
断っておくと、ここでは学び方や勉強の進め方は扱わない。それは学業の棚と、学習と成長の棚の持ち場だ。どんな仕事に向いているかも扱わない。就職と職業の棚の持ち場である。この単位が扱うのは、自分の技能と信用が、将来の手取りとしていくらに換算されるか、という一点に限られる。そして例によって、これは投資助言でも税務相談でもない。制度は改正されるので、教育費や資格に関わる税や給付の扱いは自分で一次情報を確認してほしい。
人的資本——将来の手取りの列を、今日の1本の柱に換算する
ベッカーが1962年に Journal of Political Economy に発表した理論は、教育や訓練を消費ではなく投資として扱った。費用は今払い、収益は将来の稼ぎとして少しずつ返ってくる。したがって価値は、将来受け取る額の合計ではなく、それを現在の価値に割り引いた額で測る。
ベッカーがもう一つ分けたのは、訓練の種類だ。どこでも通用する一般的な技能と、いまの勤め先でしか通用しない特殊な技能。前者は本人に価値が残り、後者は勤め先が変わると消える。この区別は、そのまま前の単位の話につながる——特殊な技能だけを厚く持っている人は、源の本数がどれだけあっても、止まる理由は1つである。
この換算は、実際に国の勘定として行われている。世界銀行が140カ国について1995年から2018年までの富の勘定を作った報告書では、人的資本は 労働力の将来の稼ぎの現在価値 として測られる。結果、人的資本は世界の富の総額の62%(1995年)から64%(2018年)を占める。土地も、建物も、機械も、地下資源も、全部足して残りである。
個人の貸借対照表でも比率は似た形になる。ただし人的資本の欄は、どの家計簿ソフトにも用意されていない。金額が出ないので、目減りしても請求書が来ない。この単位のいちばん実用的な部分は、その欄を自分で作ることにある。
値切り:良い大学に行けば生涯収入が上がる、を出願先でそろえて比べる
人的資本の話には、必ず学歴の話が付いてくる。そして学歴の話は、たいてい因果の向きを確かめないまま進む。
難関大学の卒業生の収入が高いことは、事実として何度も確認されている。問題は、その大学が収入を上げたのか、収入を上げるような人がその大学に集まったのかを、卒業生の比較では分けられないことだ。
デールとクルーガーが2002年に The Quarterly Journal of Economics に発表した研究は、ここに一つの手続きを持ち込んだ。1976年に大学に入った学生の追跡データを使い、同じ大学群に出願し、同じ合否の組み合わせを受け取った学生どうしを組にする。そのうえで、選抜性の高いほうに進んだ人と、低いほうに進んだ人の後の収入を比べる。出願先と合否をそろえるということは、書類には出てこない意欲や見通しを、間接的にそろえるということである。
結果はこうだ。ふつうに卒業生を比べると、大学の平均入試得点が100点高いことは収入が約6%高いことと結びついていた。ところが、出願先と合否をそろえた比較では、選抜性の効果はゼロと区別できなくなった。
ただし、この研究がきれいに終わらない点が2つある。
第一に、消えなかったものがある。大学の授業料の水準のほうは、選抜性と違って、その後の収入と有意な関連を保っていた。選抜性と学費は、同じものを測っていない。
第二に、平均が消えても、消えない層がいた。2002年の分析では、親の所得が予測値で平均より2標準偏差低い家庭の学生に限ると、平均入試得点が200点高い大学に進むことは収入が7%高いことと結びついていた。平均的な所得の家庭では、この差はほぼゼロである。
デールとクルーガーは2014年に、Journal of Human Resources で同じ問いを別のデータで検算した。今度は行政の収入記録を使い、職業人生の長い期間にわたって追跡している。選抜性の効果は、選抜されにくい特性を調整すると、やはり全体としてはゼロと区別できない水準まで落ちた。そして、効果が大きいまま残った層として挙がったのは、黒人の学生、ヒスパニックの学生、そして親の学歴が低い家庭の学生だった。
2002年の分析が親の所得で切ったのに対し、2014年の分析が人種と親の学歴で切っていることには注意がいる。同じ結論の言い直しではない。共通しているのは向きだけだ——選抜性が効くのは、すでに人脈と情報を持っている層ではなく、それを持っていない層である。大学が売っているものが教育そのものより接続に近いなら、この非対称は理屈に合う。
平均の収益率は、平均の話でしかない
教育の投資としての利回りは、60年以上にわたって推計されてきた。プサカロプロスとパトリノスが2018年に Education Economics に発表した総覧は、139カ国・1,120件の推計をまとめている。就学年数を1年増やすことの私的な収益率は、世界平均でおよそ9%であり、数十年にわたって驚くほど安定している。
付随する規則性も報告されている——中等教育以上の社会的収益率は10%を超え、女性と低所得国で高く、民間部門で働く人のほうが公的部門より高い。
この9%は、有用ではあるが、個人の意思決定にそのまま使える形をしていない。年数という単位で測られていて、どこで何を学ぶかは入っていない。デールとクルーガーの結果と並べると、意味がはっきりする——教育の量には安定した収益率がある。教育の 銘柄 のほうは、選抜性に関する限り、平均としてはほとんど効かない。
時間・変化:人的資本は、置いておくと目減りする
人的資本が資産だとすると、資産の常として、放置すると価値が変わる。しかも方向は下向きである。
エディンとグスタフソンが2008年に ILR Review に発表した研究は、スウェーデンで1994年と1998年に行われた成人の読解力調査の2時点のデータを使い、同じ人の技能が働いていない期間の長さによってどう変わるかを測った。結果、就業していない期間と技能の低下には、統計的に明確な負の関係があった。大きさは、1年まるまる就業していないことが、技能の分布の中で5パーセンタイル下がることに対応する程度である。
5パーセンタイルは劇的な数字ではない。劇的でないことが重要だ。人的資本の目減りは、一度に起きるのではなく、気づかない速度で進む。しかも減価償却費の請求書は来ない。家計簿の支出欄に 技能の目減り という行がないので、記録している限りは、何も起きていないように見える。
時間帯で整理する。第一に、数か月の単位では、技能はほとんど変わらない。変わるのは、自分の技能に対する市場側の値付けのほうだ。第二に、年単位では、使っていない技能から順に落ちる。ベッカーの言う特殊な技能——いまの勤め先でしか通用しないもの——は、この段階で価値が二重に危うくなる。使わなくなれば落ち、勤め先が変われば消える。第三に、10年の単位では、技能そのものより、その技能を必要とする仕事の側が入れ替わる。
実務上の含意は、やはり地味である。人的資本は、増やす計画を立てるより先に、減っている場所を見つけるほうが早い。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、人的資本を学歴という一つの数字に圧縮する癖である。圧縮すると、更新できない変数になる。学歴は過去の一点で確定していて、今日から動かせない。一方、技能と信用は今日も動いている。動いているほうを見ないのは、動かないほうが測りやすいからだ。
第二の妨げは、逆向きの誤りである——学歴は関係ないと言い切ってしまうこと。デールとクルーガーの結果は、選抜性の平均効果が消えたと言っているだけで、教育の効果が消えたとは言っていない。就学年数の収益率は9%で安定しているし、効果が残る層も特定されている。値切りの対象は 良い大学に行けば上がる という因果の言い切りであって、教育そのものではない。
標本の偏りを断っておく。デールとクルーガーの分析は、米国の、しかも4年制大学に出願して合格した層のデータである。出願すらしなかった人はこの比較に入っていない。プサカロプロスとパトリノスの総覧は139カ国を含むが、推計の質は国によってばらつき、多くが横断的な賃金データに依存している。エディンとグスタフソンの分析は1990年代のスウェーデンで、労働市場も社会保障も日本とは違う。日本では、新卒での入り口の設計も、企業内訓練の比重も、資格制度の効き方も別建てで、しかも制度は改正される。比率をそのまま持ち込むのではなく、現在価値として見るという枠組みだけを持ち帰るのが誠実である。加えて、収入の高い層ほど調査に答えないので、この種の推定はおおむね上振れする方向に歪む。
助けるのは、技能を 一般 と 特殊 に分ける習慣だ。この分類は、資格の有無ではなく、勤め先が変わったときに残るかどうかで行う。
最初の一歩は12分。いま自分が仕事で使っている技能を思いつくまま5つ書き出し、それぞれの右に2つの印を付ける。①勤め先が変わっても残るか(一般)/いまの勤め先でしか通用しないか(特殊) ②直近12か月で実際に使ったか。特殊で、しかも12か月使っていない項目があれば、そこが目減りの進行している場所である。金額を出す必要はない。この一覧が、家計簿ソフトにない欄の最初の1ページになる。
次の単位は 132「収支差(フロー)認識力」——ここまでの3つで、入ってくる側の話は終わる。次はこの棚の着手の起点で、個人の財務を測る2枚の地図を一度だけ広げる。そこには、家計簿をつければ貯まるという、記録万能論の検算が待っている。
- Becker 1962(Journal of Political Economy 70(5, Part 2):9-49)は教育や訓練を消費ではなく投資として扱い、価値は将来受け取る額の合計ではなく現在価値で測るとした。さらに訓練を、勤め先が変わっても残る一般的なものと、いまの勤め先でしか通用しない特殊なものに分けた
- 世界銀行が140カ国について1995年から2018年まで作成した富の勘定では、人的資本は 労働力の将来の稼ぎの現在価値 として測られ、世界の富の総額の62%(1995年)から64%(2018年)を占める。土地・建物・機械・地下資源を全部足した残りが人の中にある
- Dale & Krueger 2002(The Quarterly Journal of Economics 117(4):1491-1527)は、1976年入学の学生について、同じ大学群に出願し同じ合否の組み合わせを受け取った学生どうしを組にして比較した。ふつうに卒業生を比べると大学の平均入試得点が100点高いことは収入が約6%高いことと結びつくが、出願先と合否をそろえるとその効果はゼロと区別できなくなった
- 同じ Dale & Krueger 2002 で、消えなかったものが2つある。大学の授業料の水準は選抜性と違って収入と有意な関連を保った。そして親の所得が予測値で平均より2標準偏差低い家庭の学生では、平均入試得点が200点高い大学に進むことが収入7%増と結びつき、平均的な所得の家庭ではほぼゼロだった
- Dale & Krueger 2014(Journal of Human Resources 49(2):323-358)は行政の収入記録で職業人生を通して検算し、選抜性の効果は全体としてやはりゼロと区別できない水準に落ちるが、黒人の学生・ヒスパニックの学生・親の学歴が低い家庭の学生では大きいまま残ることを示した。2002年版が親の所得で切ったのに対し2014年版は人種と親の学歴で切っており、同じ結論の言い直しではない
- Psacharopoulos & Patrinos 2018(Education Economics 26(5):445-458)は139カ国・1,120件の推計を総覧し、就学年数を1年増やすことの私的収益率が世界平均でおよそ9%であり数十年にわたり安定していること、中等教育以上の社会的収益率が10%超であること、女性と低所得国で収益率が高いことを示した
- Edin & Gustavsson 2008(ILR Review 61(2):163-180)は、スウェーデンで1994年と1998年に実施された成人の読解力調査の2時点データを用い、就業していない期間と技能の低下に統計的に明確な負の関係を見出した。1年まるまる就業しないことは、技能の分布で5パーセンタイル下がることに対応する
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 良い大学に行けば生涯収入が上がる。卒業生の収入を見れば明らかだ | 卒業生どうしの比較では、大学が収入を上げたのか、収入が上がる人がその大学に集まったのかを分けられない。Dale & Krueger 2002 が同じ大学群に出願し同じ合否を受け取った学生どうしを組にして比べたところ、平均入試得点が100点高いことに伴う約6%の差は、ゼロと区別できない水準まで落ちた。2014年の行政データによる検算でも全体としては同じ結果になっている |
| では学歴も教育も、収入には関係ないということだ | そうは言えない。Psacharopoulos & Patrinos 2018 の139カ国・1,120件の総覧では、就学年数1年あたりの私的収益率は世界平均でおよそ9%で安定している。さらに Dale & Krueger では効果が残る層が特定されている——2002年版では親の所得が平均より2標準偏差低い家庭で7%、2014年版では黒人・ヒスパニック・親の学歴が低い家庭の学生。消えたのは 選抜性の平均効果 であって、教育の効果ではない |
| 自分の一番大きな資産は、家か貯金である | 世界銀行が140カ国について作成した富の勘定では、将来の稼ぎの現在価値として測った人的資本が世界の富の64%(2018年)を占め、土地・建物・機械・地下資源の合計を上回る。個人でも比率はおおむね似た形になるが、この欄はどの家計簿ソフトにも用意されていない。金額が出ないので、Edin & Gustavsson 2008 が測ったような目減り——1年の非就業で技能分布の5パーセンタイル下降——が起きても請求書が来ない |
人的資本の便利なところは、貸借対照表に載らないので、誰にも差し押さえられないことである。不便なところも同じで、載らないので、減っていても誰も知らせてくれない。銀行は残高が減れば通知を送ってくるが、使わなくなった技能について通知を送ってくる機関はどこにもない。だから多くの人は、自分の一番大きな資産の残高だけを、一度も見ないまま管理している。管理と呼べるかどうかは別にして。
Q1. Dale & Krueger 2002 が用いた比較の手続きとして、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q2. 世界銀行が ____カ国について1995年から2018年まで作成した富の勘定では、人的資本は 労働力の将来の稼ぎの ____ として測られ、世界の富に占める割合は1995年の ____%から2018年の ____%になった。穴埋め
Q3. Dale & Krueger の2002年版と2014年版で、選抜性の効果が残った層はそれぞれどの層か。またこの2つを同じ結論の言い直しと見てはいけない理由を述べよ。一問一答
Q4. 本文が示した、人的資本が目減りしていく3つの時間帯を、短い順に並べよ。(技能より、その技能を必要とする仕事の側が入れ替わる/技能はほとんど変わらず、変わるのは市場側の値付け/使っていない技能から順に落ちる)並べ替え
Q5. Psacharopoulos & Patrinos 2018 が139カ国・1,120件の推計から報告した、就学年数1年あたりの私的収益率は世界平均でおよそ何%か。またこの数字を Dale & Krueger の結果と並べると何が言えるか。一問一答
紙かメモアプリに、いま自分が仕事や生活で実際に使っている技能を、思いつくまま5つ書き出す。資格の名前でなくてよい——見積書を作れる、揉めている相手と話をまとめられる、この機械の癖が分かる、といった粒度でよい。次に各行の右に2つの印を付ける。①勤め先や取引先が変わっても残る技能か(一般)、それともいまの場所でしか通用しないか(特殊) ②直近12か月で実際に使ったか、使っていないか。書き終えたら、特殊 かつ 使っていない の両方が付いた項目がいくつあるかを数え、その数を記録する。それが目減りの進行している場所である。金額を出す必要はない。いま働いていない人は、直近で最後に使っていた技能を5つ書けばよい。この課題では、講座に申し込んだり、資格に出願したりする必要はいっさいない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Becker G.S. (1962) 'Investment in Human Capital: A Theoretical Analysis', Journal of Political Economy 70(5, Part 2):9-49 — www.journals.uchicago.edu
- World Bank (2021) 'The Changing Wealth of Nations 2021: Managing Assets for the Future'(FAQ・方法論資料) — thedocs.worldbank.org
- Dale S.B., Krueger A.B. (2002) 'Estimating the Payoff to Attending a More Selective College: An Application of Selection on Observables and Unobservables', The Quarterly Journal of Economics 117(4):1491-1527 — academic.oup.com
- Dale S.B., Krueger A.B. (2014) 'Estimating the Effects of College Characteristics over the Career Using Administrative Earnings Data', Journal of Human Resources 49(2):323-358 — jhr.uwpress.org
- Psacharopoulos G., Patrinos H.A. (2018) 'Returns to investment in education: a decennial review of the global literature', Education Economics 26(5):445-458 — www.tandfonline.com
- Edin P.-A., Gustavsson M. (2008) 'Time Out of Work and Skill Depreciation', ILR Review 61(2):163-180 — journals.sagepub.com