1万時間の法則の出所には、1万時間と書かれていない
1万時間やれば一流になれる、という文がある。出所とされる論文を開くと、1万時間という数字は結論として書かれていない。書かれているのは、音楽大学の学生40人に過去の練習時間を思い出してもらった平均と、練習の中身についての厳しい定義のほうだ。そして26年後の追試では、いちばん上手い群のほうが、次点の群より練習時間が短かった。
前の単位から:次に来るのは、量ではない
タイミングの単位で扱ったのは、正しさの中身が速さではなく、時間のずれの小ささだという話だった。感覚の解像度についてはここで一区切りつく。ここからは、練習そのものの設計に入っていく。
そして練習の話を始めるとき、最初に片づけておかねばならない一文がある。1万時間やれば一流になれる、である。この棚はそれを答えとして採用しない。最初に値切る対象として扱う。
1993年、西ベルリンで実際に測られたこと
出所は1本の論文だ。エリクソン、クランペ、テッシュ=レーマーが1993年に発表した研究は、西ベルリンの音楽大学のバイオリン専攻生を、教師の評価で3つの群に分けた。国際的なソリストになりうる最上位群、それに次ぐ群、音楽教員をめざす群。各群10人。さらに市内の2つのプロ楽団の中堅奏者10人を加えた、計40人である。
測られたのは、過去の練習時間についての回想と、1週間の日誌だった。18歳までの累積練習時間は、最上位群が7,410時間、次点群が5,301時間、教員志望群が3,420時間。効果量は η² = 0.48。この差が、のちに世界中へ広がる主張の土台になった。
論文が同時に置いた定義のほうが、実は重い。意図的練習とは、次の条件を満たす活動を指す。資格のある教師による個別の設計があること。到達すべき状態を、学習者が頭の中に思い描けるかたちで示されること。その課題をやると、ずれが即座に分かること。修正して何度もやり直せること。そして、全神経を集中する必要があり、それ自体は楽しくない。
つまり、好きな曲を通しで気持ちよく弾く時間は、この定義に一つも当てはまらない。
1万時間という数字は、その論文に書かれていない
では1万時間はどこから来たのか。1993年の論文に、その数を法則として掲げた箇所はない。広めたのは一般向けの書籍のほうである。エリクソン本人が2019年に書いているのは、こうだ。その本には意図的練習という語が一度も出てこない。挙げられた例には、本番の演奏や仕事など、定義の条件を破る活動が多く含まれている。そして、魔法の数字を支持する証拠はない。国際的なピアノコンクールで優勝する水準なら、25,000時間のほうが実態に近いだろう、と彼自身は見積もっている。
覚えやすい数字は、たいてい原典から一歩離れたところで生まれる。
26年後、同じ設計でやり直したら、順番が入れ替わった
2019年、マクナマラとメイトラが同じ設計の追試を発表した。米国の音楽大学と大学から集めたバイオリン専攻生39人、3群各13人。原研究になかったものを3つ足している。実験者にどの参加者がどの群か伏せる二重盲検、事前登録、そして3群を同時に比べる統計手続きだ。
結果はこうなった。18歳までの累積練習時間は、最上位群が8,224時間、次点群が9,844時間。上位2群の差は消えたどころか符号が反転し、統計的に有意でなかった(p = 0.364)。一方、この2群と最下位群の4,558時間との差は残った。全体の効果量は η² = 0.26 で、原研究の 0.48 の半分ほどである。
著者たちが指摘した原因の一つが効いている。原研究では、最上位群の練習時間の95%信頼区間が2,894時間から11,926時間まで広がっており、その中に次点群の平均5,301時間がすっぽり収まっていた。差があると言うには、もともと幅が広すぎたのだ。
読み替えるとこうなる。練習量は、素人と玄人を分ける。玄人どうしの順位は、分けない。
分散説明率という、身も蓋もない物差し
個別の研究ではなく、全体で見るとどうか。マクナマラ、ハンブリック、オズワルドが2014年に発表したメタ分析は、88研究・111標本・157個の効果量・延べ11,135人を集めた。意図的練習が説明した成績の分散は、ゲームで26%、音楽で21%、スポーツで18%、教育で4%、専門職では1%未満。全領域をまとめると12%だった。
同じ2014年、ハンブリックらがチェスと音楽だけを取り出して測り直している。測定誤差を補正しても、チェスで34%(6研究・1,083人)、音楽で29.9%(8研究・628人)。最も練習量が効く2領域ですら、7割は別の何かで決まっている。
もっと直接的な数字もある。カンピテッリとゴベは、チェスでマスターの水準に到達するまでに要した累積練習時間を調べた。最短で約3,000時間、最長で約23,600時間、平均で約11,000時間。同じ到達点までに、8倍近い開きがある。そして同じ標本の中には、20,000時間を超えて練習してもマスターに届かなかった人が複数いた。
1万時間は、平均のあたりにたまたま落ちている数字にすぎない。
エリクソン側の反論にも、正しい部分がある
片側だけに立つと足をすくわれるので、反論も置く。エリクソンは2016年の応答で、メタ分析のやり方そのものを批判した。彼の言い分はこうだ。あらゆる種類の練習時間を足し上げることは、すべての活動が同じ効き目を持つと仮定することに等しい。しかしメタ分析には、団体練習も、試合も、テレビで試合を観る時間まで含まれている。それらを合算した相関が小さいのは当然だ、と。
2019年の論文では、条件を満たす研究だけに絞った再集計も示している。そこでは説明される分散はおよそ29%、測定の信頼性を補正すると61%まで上がる。
どちらが勝ちかを決める必要はない。重要なのは、この論争が「練習は効くか」ではなく「何を練習として数えるか」の争いだという点だ。そして数え方の問題である以上、あなたの側でできることははっきりしている。時間を数えるのをやめて、条件を数えることだ。
時間・変化:練習の中身は、段階ごとに入れ替わる
意図的練習は、一生同じ形をしているわけではない。初期には、外から与えられた課題と、他人による即時の指摘がほぼすべてを占める。自分では何が間違っているか分からないからだ。中期になると、間違いには気づけるが直し方が分からない、という状態が続く。ここが最も脱落が多い。後期には、課題の設定そのものを自分で作れるようになり、教師の役割は診断に絞られていく。
この推移は、次の3単位が扱う内容と正確に対応している。外からの情報の扱い方、課題の並べ方、そして頭の中の見本の解像度。逆に言えば、初期の人がいきなり自分で課題を設計しようとすると、たいてい自分の得意なところばかりを繰り返す練習になる。身体は、正しいことも間違ったことも同じ熱心さで覚える。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるのは、時間の合計を成果の代理指標にすることだ。合計時間は記録が簡単で、増える一方で、しかも減らない。増え続ける数字は、それだけで進歩の感触を与える。だから多くの人は、条件を満たさない練習を大量に積んで、その合計を見て安心する。
もう一つは、定義を緩めることである。楽しくないという条件が付いているのは、精神論ではない。できないところを繰り返す作業は、定義上できない時間が長くなるので、気分がよくなりようがない、というだけの話だ。気持ちよく通せた練習は、たいてい確認であって練習ではない。
標本の偏りも断っておく。ここまでの数字は、チェス・音楽・スポーツという記録の残りやすい3領域に、欧米の学生中心の小標本で、しかも過去の練習時間の回想に依存している。回想は本人の現在の腕前に引きずられる。方向は信用してよいが、あなたの領域の数字がそのまま26%になるわけではない。
もう少し具体的に書いておく。この論争の土台になった標本は、どれも小さい。1993年の西ベルリンの研究は各群10人、26年後の追試も各群13人の合計39人で、どちらも音楽大学に在籍できた人だけを見ている。途中で辞めた人、そもそも入学しなかった人は、はじめから数に入っていない。練習時間の内訳も、1週間ぶんの日誌と、何年も前の記憶の申告から再構成されたものだ。回想は、いま自分が上手いと思っているほど長めに出る。つまりここから読み取れるのは、条件の揃った環境にいる若い演奏者の平均であって、仕事の合間に稽古する大人の見取り図ではない。持ち帰るのは数字の桁ではなく、数え方のほうである。
助けるのは、練習1回を採点可能な単位に変えることだ。今日の練習を思い出して、5つの条件それぞれに○か×を付ける。○が2個以下なら、それは練習ではなく確認だった。
最初の一歩は15分。いま取り組んでいる技のうち、できない箇所を1つだけ切り出す。その箇所だけを、成功と失敗が自分で判別できる形にして繰り返す。通しでやらない。それだけでいい。
次の単位は070「フィードバック処理」。この形の中でいちばん壊れやすい部品——ずれが即座に分かること——を単独で扱う。フィードバックは多いほど良い、という直感が裏切られる場所である。
- Ericsson, Krampe & Tesch-Römer 1993(Psychological Review)は西ベルリンの音楽大学のバイオリン専攻生を3群各10人+プロ楽団員10人の計40人で調べ、18歳までの累積練習時間を最上位群7,410時間・次点群5,301時間・教員志望群3,420時間と報告した(η² = 0.48)
- 意図的練習の定義は厳格で、資格のある教師による個別設計・到達状態を思い描ける形での提示・即座にずれが分かること・修正して繰り返せること・全神経の集中を要し、それ自体は楽しくないこと、を満たす活動に限られる。好きな曲の通し演奏はどれも満たさない
- Macnamara & Maitra 2019(Royal Society Open Science)は二重盲検・事前登録付きでこの研究を追試した。バイオリン専攻生39人(3群各13人)で、18歳までの累積練習は最上位群8,224時間・次点群9,844時間と符号が反転し、上位2群の差は有意でなかった(p = 0.364)。全体の効果量は η² = 0.26 で原研究の 0.48 の約半分
- Macnamara, Hambrick & Oswald 2014(Psychological Science)のメタ分析は88研究・111標本・157効果量・11,135人を集計し、意図的練習が説明する成績の分散はゲーム26%・音楽21%・スポーツ18%・教育4%・専門職1%未満、全領域では12%だった
- Hambrick et al. 2014(Intelligence)は測定誤差を補正した上で、チェスで34%(6研究・1,083人)、音楽で29.9%(8研究・628人)と算出した。練習量が最も効く2領域でも、約7割は他の要因で決まっている
- Campitelli & Gobet 2011(Current Directions in Psychological Science)によれば、チェスでマスター水準に到達するまでの累積練習時間は最短約3,000時間・最長約23,600時間・平均約11,000時間と8倍近く開き、20,000時間を超えても到達しない人が複数いた
- Ericsson 2016(Perspectives on Psychological Science)の反論は、あらゆる練習時間を足し上げることが全活動を等価とみなす仮定になっている、というもの。条件を満たす研究に絞った再集計では説明分散は約29%、測定信頼性を補正すると61%になる(Ericsson & Harwell 2019)
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 1万時間やれば誰でも一流になれる。それはベルリンのバイオリン研究で証明された | 1993年の論文に1万時間を法則として掲げた箇所はない。追試では最上位群8,224時間・次点群9,844時間と順番が入れ替わり有意差は消えた。チェスではマスター到達までの時間が約3,000時間から約23,600時間まで開いている |
| 意図的練習は要するに、集中してたくさん反復することだ | 定義には、教師による個別設計・到達状態の明示・即座に分かるずれ・修正しての再試行が含まれる。この条件を外して時間だけ足し上げたことが、メタ分析と原著者の論争の中心にある。時間ではなく条件の数を記録するほうが実務的に意味がある |
| メタ分析で分散説明率が低いのだから、練習の量はほとんど関係ない | 同じデータが示しているのは、練習量が素人と玄人の差は説明するが玄人どうしの順位は説明しない、ということ。追試でも上位2群と最下位群の差は残った。才能決定論と練習万能論のどちらにも、この数字は味方しない |
この単位でいちばん都合の悪い事実は、練習量が効かないことではない。練習量が、記録しやすくて増える一方の唯一の指標だ、ということのほうだ。条件を満たしたかどうかは毎回判定しなければならず、しかもたいてい判定は不合格になる。合計時間は、何もしなくても増えていく。人が前者ではなく後者を数え続ける理由は、研究を待つまでもなく分かる。1万時間の法則が20年近く生き延びたのは、それが正しかったからではなく、測るのが楽だったからである。
Q1. Macnamara & Maitra(2019)の追試で報告された、最上位群と次点群の18歳までの累積練習時間と、その差の統計的な扱いを答えよ。原研究の値との関係にも触れること。一問一答
Q2. Macnamara, Hambrick & Oswald(2014)のメタ分析で、意図的練習が説明した成績の分散は、ゲーム____%、音楽____%、スポーツ____%、教育____%、専門職____未満、全領域では____%だった。穴埋め
Q3. 本文が挙げた、チェスでマスター水準に到達するまでの累積練習時間について正しいものはどれか。選択
Q4. 本文が示した意図的練習の5つの条件を挙げ、Ericsson が2016年にメタ分析へ向けた反論の中身を1文で答えよ。一問一答
Q5. 本文が示した、数えるべき1周分のループを正しい順に並べよ。(やってみて、ずれを確認する/やり方を1つだけ変えて再試行/できない箇所を1つ切り出す/成功と失敗が自分で判別できる形にする)並べ替え
いま身につけようとしている技を1つ選び、できない箇所を1つだけ切り出して15分だけ取り組む。通しでやらないこと。終わったら、5つの条件それぞれに○か×を書く。①今の自分の力を少し超える課題だったか ②到達すべき状態を具体的に思い描けていたか ③やるたびに成功と失敗が自分で判別できたか ④やり方を変えてやり直したか ⑤楽しくはなかったか。最後に、×だった条件を1つ選び、明日どう直すかを1行で書く。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Ericsson K.A., Krampe R.T., Tesch-Römer C. (1993) 'The role of deliberate practice in the acquisition of expert performance', Psychological Review 100(3):363-406 — fermatslibrary.com
- Macnamara B.N., Hambrick D.Z., Oswald F.L. (2014) 'Deliberate Practice and Performance in Music, Games, Sports, Education, and Professions: A Meta-Analysis', Psychological Science 25(8):1608-1618 — library.scottbarrykaufman.com
- Macnamara B.N., Maitra M. (2019) 'The role of deliberate practice in expert performance: revisiting Ericsson, Krampe & Tesch-Römer (1993)', Royal Society Open Science 6(8):190327 — hhs.purdue.edu
- Hambrick D.Z., Oswald F.L., Altmann E.M., Meinz E.J., Gobet F., Campitelli G. (2014) 'Deliberate practice: Is that all it takes to become an expert?', Intelligence 45:34-45 — library.scottbarrykaufman.com
- Campitelli G., Gobet F. (2011) 'Deliberate Practice: Necessary But Not Sufficient', Current Directions in Psychological Science 20(5):280-285 — www.researchgate.net
- Ericsson K.A. (2016) 'Summing Up Hours of Any Type of Practice Versus Identifying Optimal Practice Activities: Commentary on Macnamara, Moreau, and Hambrick (2016)', Perspectives on Psychological Science 11(3):351-354 — journals.sagepub.com
- Ericsson K.A., Harwell K.W. (2019) 'Deliberate Practice and Proposed Limits on the Effects of Practice on the Acquisition of Expert Performance: Why the Original Definition Matters and Recommendations for Future Research', Frontiers in Psychology 10:2396 — www.frontiersin.org