「不祥事は悪人のせい」——だが実証は、ふつうの人が仕組みと文化の中で不正に至ると示す。腐ったリンゴより樽を検めよ
問題が起きると、まず誰がやったのかを探したくなる。悪い人間を一人見つけて処分すれば片がつく、と。だが実証がくり返し示すのは、ふつうの人が、仕組みと文化の中で不正に至るという姿だ。腐ったリンゴを一つ捨てるより、それを入れていた樽を検めよ。これは誰も悪くないという話ではなく、個人の責任と仕組みの欠陥を両方見るという話である。この単位は、原因究明を犯人探しで終わらせない見方を渡す。
前の段から、この段へ——段はひとつ進む
前の単位では、声を拾う通報制度を扱った。ここでは、実際に問題が起きたとき、その原因をどう究明するかを扱う。段はひとつ進んで、体制を作る段(緑)から、作った体制を運用し、検証する段(橙)に入る。 ここまでは、方針を立て、リスクを洗い、体制を組む——備える話だった。ここからは、その備えが本当に働くのかを、実際の出来事で確かめる段だ。体制は、作って終わりではない。使い、点検して、はじめて働く。その最初に置くのが、不祥事の原因究明である。何かが起きたとき、そこからどう学ぶか——その学び方一つで、組織が強くなるか、同じ失敗をくり返すかが分かれる。
問題が起きると、まず「誰がやったのか」を探したくなる。悪い人間が一人いて、その人を見つけて処分すれば、片がつく——そう考えたくなる。この見方には名前がある。腐ったリンゴ論だ。だが、この単位が経由する見方はこうだ——不祥事は悪人が起こす、という俗説は、事実の半分しか見ていない。 実証研究がくり返し示すのは、ふつうの人が、仕組みと文化の中で、不正に至るという姿である。腐ったリンゴを一つ探して捨てるより、それを入れていた樽のほうを検めよ。 ここでほどく言葉を置く。ガバナンスとは、会社が道を外れないように統べる仕組みのこと。根本原因分析とは、起きた問題の表面でなく、その奥にある本当の原因までさかのぼって調べる手法のことだ。誤解しないでほしい——これは「誰も悪くない」という話ではない。個人の責任と、仕組みの欠陥を、両方見る、という話である。
「悪人のせい」——だが、腐敗は組織の中で常態化する
まず、不正がどう根づくかを見る。Ashforth と Anand が2003年に、組織の中で腐敗が常態化(ノーマライゼーション)していく道すじを描いた。最初は小さな逸脱でも、それが日々くり返され、「うちではこれが普通」という空気になり、新しく入った人にも受け継がれていく。やがて、中にいる人はそれを不正だと感じなくなる。むしろ、それを疑う新入りのほうが「わかっていない」と見られるようになる。こうして、逸脱は一度きりの出来事ではなく、組織の当たり前の一部として定着する。悪意のある一人が引き起こすのではなく、ごく普通の人たちが、いつのまにか、おかしいことを当たり前として回すようになる——腐敗は、そういう形で組織に根づく。
これは、大企業の話ではない。数人の商いでも、家業でも起きる。「前からこうしている」「みんなやっている」「これくらいは大丈夫」——こうした言葉が、小さなごまかしを普通のことに変えていく。最初は誰かが眉をひそめたことも、二度、三度と続くうちに、誰も何も言わなくなる。言わないことが、暗黙の同意になる。そうやって、はっきりした悪意がどこにもないまま、組織全体が少しずつ道を外れていく。だから、原因を「あの人の性格」に求めて終わると、その人を替えても、同じ土壌から次のごまかしが芽を出す。問うべきは、「なぜこの人が」ではなく、「なぜこの組織では、それが普通になれたのか」だ。土を入れ替えなければ、何を植えても同じように育つ。
逸脱と不正は、系統的に生じる
不正は、偶然の産物でもない。Vaughan が1999年に、組織の「暗い側面」を総覧し、常態的な不適合・過誤・不正・災害は、環境・組織・認知・選択の相互のつながりから、系統的に生み出されることを示した。つまり、失敗には、それを生む構造がある。たまたま運が悪かったのではなく、そうなりやすい条件が、あらかじめ組織の中に埋め込まれている。優秀な人を揃えても、その構造が変わらなければ、失敗はまた起きる。
Greve と Palmer と Pozner が2010年に、組織の不正について、その原因・過程・帰結をまとめて総括し、不正が個人の資質だけでなく、組織の構造・圧力・慣行から生じることを整理した。過大な目標、逃げ場のない締め切り、見て見ぬふりを促す評価——こうした条件が揃うと、特別に悪くない人でも、一線を越えやすくなる。むしろ Mishina たちが2010年に、評判の高い「良い会社」ほど、高い期待や目標に応えようとする圧力から、かえって不正に手を染めやすいことを実証している。優等生の組織ほど、期待を裏切れないという重圧が、逸脱の引き金になりうるのだ。逆に言えば、いま不正が起きていない組織も、たまたま条件が揃っていないだけかもしれない。だから原因究明は、「その条件を、うちも抱えていないか」を見にいく作業になる。犯人を挙げて終わるのではなく、同じことがまた起きる下地を探す。誰か一人の顔ではなく、その人をそこへ追い込んだ地形を見るのだ。
腐敗には、個人型と組織型がある
「悪人探し」が危ういのには、もう一つ理由がある。Pinto と Leana と Pil が2008年に、組織レベルの腐敗には二つの型があると論じた。一つは、腐った個人が私腹を肥やす個人型(組織はむしろ被害者)。もう一つは、組織ぐるみで、組織のために不正が行われる組織型である。前者は「悪人を除けば済む」が、後者はそうはいかない。組織のために、みなが少しずつ手を貸して成り立つ不正だからだ。
厄介なのは、この二つが、外からは似て見えることだ。だが対処はまるで違う。個人型を組織型と取り違えれば、無実の土壌を疑って萎縮させ、組織型を個人型と取り違えれば、一人を切って本丸を温存してしまう。 とりわけ組織型は、当人たちに「会社のためにやった」という言い分があるだけに、根が深い。私利私欲でないぶん、本人は悪いことをしている自覚が薄く、周りも咎めにくい。「悪人のせい」で片づける癖は、この組織型を、いちばん見落とす。だからこそ、原因究明では「これは誰かの逸脱か、それとも、うちの仕組みが求めた結果か」を、区別して問う必要がある。この一件は、たまたまこの人が起こしたのか。それとも、この人でなくても、いずれ誰かが起こしたのか——その問いが、二つの型を分ける。
人を責めるより、仕組みを検める——システムの視点
では、どう検めるか。Reason が2000年に、失敗への向き合い方を、二つに整理した。一つは人に注目する見方——不注意な個人を責め、本人の気の緩みを正そうとする。もう一つは仕組みに注目する見方——人は誰でも間違えるという前提に立ち、その間違いが事故や不正につながらないように、仕組みの側に何重もの防護を組む。彼は、後者のほうが有効だと論じた。人を入れ替えても、仕組みが同じなら、また別の人が同じ穴に落ちるからだ。
これを原因究明に引き直すと、こうなる。「誰が」で止めず、「どこで、どの防護が抜けていたか」までさかのぼる。 承認の手順が形だけだったのか、無理な数字が現場を追い込んだのか、声を上げても届かなかったのか。一つの不正がすり抜けたということは、たいてい、一枚ではなく何枚もの防護が同時に抜けていた、ということだ。どこか一枚でも効いていれば、止まっていたかもしれない。人の責任を免じるのではない——責任は責任として問いつつ、同じ穴をふさぐ。処分と再発防止は、別の仕事だ。処分は過去に向き合い、再発防止は未来に備える。そうしなければ、処分だけが済んで、次の不祥事の下地は、そっくり残る。犯人がいなくなっても、穴が残っていれば、いずれ別の誰かがそこに落ちる。
時間・変化:1999年から今へ
順に置く。1999年、Vaughan が組織の暗い側面を総覧し、逸脱と災害が系統的に生じることを示す。2000年、Reason が人に注目する見方と仕組みに注目する見方を分け、後者の有効性を論じる。2003年、Ashforth と Anand が腐敗の常態化の道すじを描き、2008年、Pinto たちが腐敗の個人型と組織型を分ける。2010年、Greve たちが組織不正の原因・過程・帰結を総括する。
この間に確からしくなったのは、「不祥事は悪人のせい」という単純な因果ではない。確からしくなったのは、ふつうの人が、仕組みと文化の中で、系統的に不正へ至る——だから、個人の責任を問いつつ、腐ったリンゴより樽を検めよ、という見方のほうである。研究の舞台は医療や航空や企業の大きな不正が多いが、そこで見えた構造は、数人の商いの小さなごまかしにも、同じように当てはまる。規模が変わっても、人が仕組みと文化の中で動くという点は、何も変わらない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、犯人を見つけた安心で、探索を止めることである。処分は、区切りをつけてくれる。だが、区切りは解決ではない。「あの人が悪かった」で終わった原因究明は、樽をそのままにして、次の一個が腐るのを待っているのと同じだ。もう一つの妨げは、逆に「誰も悪くない、仕組みのせいだ」と、個人の責任まで溶かしてしまうこと。両方を、別々に見る。
助けになるのは、身近な失敗を一つ、「誰が悪いか」ではなく「どの仕組みが、それを許したか」で書き直してみることだ。最初の一歩は10分。自分の組織で起きた、あるいは起きかけた、小さなミスやごまかしを一つ思い出す。それを、人ではなく仕組みの言葉で書く——どの手順が抜けていたか、どんな圧力があったか、なぜ止まらなかったか。犯人の名前は要らない。人の名前を消して書けるかどうかが、仕組みの目で見られているかの試金石になる。人の名前でしか語れないなら、まだ表面を見ている。同じことがまた起きるとしたら、どこから起きるかを、自分の手元で探す。 それが、樽を検める最初の一歩になる。処分で閉じる原因究明から、穴をふさぐ原因究明へ——その一歩だ。
次の単位は 554「ルールを増やしすぎないには?」——樽を検めた結果、つい「ルールを足す」に走りがちな、その反射を見直す話へ進む。
- この単位はSTEP3(橙・運用と検証)の頭で、段はひとつ進んで体制を作る段(緑)から作った体制を運用し検証する段(橙)に入る。通奏低音②の経由点——不祥事は悪人が起こすという俗説は事実の半分しか見ておらず、実証はふつうの人が仕組みと文化の中で不正に至ることを示す。腐ったリンゴを探すより樽を検めよ。ただし誰も悪くないでなく、個人の責任と仕組みの欠陥を両方見る
- 腐敗は組織の中で常態化する。Ashforth & Anand 2003は腐敗が常態化(ノーマライゼーション)していく道すじを描き、小さな逸脱が日々くり返され、うちではこれが普通という空気になり新しく入った人にも受け継がれ、やがて中にいる人はそれを不正と感じなくなると示した。前からこうしている・みんなやっている・これくらいはという言葉が小さなごまかしを普通に変え、原因を個人の性格に求めて終わると同じ土壌から次が芽を出す
- 逸脱と不正は系統的に生じる。Vaughan 1999は組織の暗い側面を総覧し、常態的な不適合・過誤・不正・災害が環境・組織・認知・選択の相互のつながりから系統的に生み出されると示した。Greve・Palmer・Pozner 2010は組織不正の原因・過程・帰結を総括し、不正が個人の資質だけでなく組織の構造・圧力・慣行から生じると整理した。過大な目標・逃げ場のない締め切り・見て見ぬふりを促す評価が揃うと特別に悪くない人でも一線を越えやすい
- 腐敗には二つの型がある。Pinto・Leana・Pil 2008は組織レベルの腐敗に、腐った個人が私腹を肥やす個人型(組織はむしろ被害者)と、組織のために組織ぐるみで不正が行われる組織型があると論じた。二つは外から似て見えるが対処はまるで違い、個人型を組織型と取り違えれば無実の土壌を疑って萎縮させ、組織型を個人型と取り違えれば一人を切って本丸を温存する。悪人のせいで片づける癖はとりわけ組織型を見落とす
- 人を責めるより仕組みを検める。Reason 2000は失敗への向き合い方を、不注意な個人を責め気の緩みを正そうとする人に注目する見方と、人は誰でも間違える前提に立ち間違いが事故や不正につながらないよう仕組みに何重もの防護を組む仕組みに注目する見方に分け、後者が有効だと論じた。人を入れ替えても仕組みが同じならまた別の人が同じ穴に落ちる。誰がで止めずどこでどの防護が抜けていたかまでさかのぼる
- この間に確からしくなったのは不祥事は悪人のせいという単純な因果ではなく、ふつうの人が仕組みと文化の中で系統的に不正へ至るという見方である。1999年Vaughan、2000年Reason、2003年Ashforth&Anand、2008年Pinto、2010年Greveという順で積み上がった。個人の責任を問いつつ腐ったリンゴより樽を検める。責任は責任として問いながら同じ穴をふさぐ
- 妨げの筆頭は犯人を見つけた安心で探索を止めること。処分は区切りをつけるが解決ではなく、あの人が悪かったで終わった原因究明は樽をそのままに次の一個が腐るのを待つに等しい。逆に誰も悪くない仕組みのせいだと個人の責任まで溶かすのも妨げ。だからこの単位でやるのは、自分の組織で起きた(起きかけた)小さなミスやごまかしを一つ、誰が悪いかでなくどの仕組みがそれを許したかで、人でなく仕組みの言葉で書き直すことである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 不祥事は、もともと悪い人間が起こすもので、その人を見つけて処分すれば問題は片づく | 実証は、ふつうの人が仕組みと文化の中で不正に至ることを示す。Ashforth & Anand 2003は腐敗が常態化し、小さな逸脱が日々くり返されて『うちでは普通』の空気になり受け継がれると描いた。原因を個人の性格に求めて終わると、その人を替えても同じ土壌から次のごまかしが芽を出す。腐ったリンゴを探すより樽を検めよ——ただしこれは誰も悪くないでなく、個人の責任と仕組みの欠陥を両方見るという意味である |
| 不正はたまたま運悪く起きるもので、条件が揃えば誰でも越えるなどということはない | Vaughan 1999は逸脱・過誤・不正・災害が環境・組織・認知・選択の相互のつながりから系統的に生み出されることを示し、Greve ら 2010は不正が個人の資質だけでなく組織の構造・圧力・慣行から生じると総括した。過大な目標・逃げ場のない締め切り・見て見ぬふりを促す評価が揃うと、特別に悪くない人でも一線を越えやすい。だから原因究明は、その条件を自分の組織も抱えていないかを見にいく作業で、犯人を挙げて終わらず同じ下地を探す |
| 腐敗はどれも同じで、悪い個人を除けばどんな不正も収まる | Pinto ら 2008は腐敗に、腐った個人が私腹を肥やす個人型(組織は被害者)と、組織のために組織ぐるみで行われる組織型があると論じた。二つは外から似て見えるが対処はまるで違い、個人型を組織型と取り違えれば無実の土壌を疑って萎縮させ、組織型を個人型と取り違えれば一人を切って本丸を温存する。悪人のせいで片づける癖はとりわけ組織型を見落とす。Reason 2000のとおり、人でなく仕組みのどの防護が抜けたかまでさかのぼる |
皮肉なのは、犯人が見つかったときの安心が、いちばん危ういことである。処分は区切りをつけてくれる。だが区切りは、解決ではない。『あの人が悪かった』で終わった原因究明は、樽をそのままにして、次の一個が腐るのを待っているのと同じだ。腐敗は、悪意ある一人からではなく、小さな逸脱の常態化から根づく。逸脱と不正は、そうなりやすい条件が組織に埋め込まれていて、系統的に生じる。腐敗には組織ぐるみの型があり、悪人探しはそれを見落とす。人を入れ替えても、仕組みが同じなら、また別の人が同じ穴に落ちる。原因究明が『これで終わった』と告げているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、個人の責任と、それを許した仕組みの欠陥を、別々に確かめていないだけかもしれない。この単位は、責任を溶かす単位ではない——責任は責任として問いつつ、腐ったリンゴより樽を検め、同じ穴をふさぐ目を持つための単位である。次の単位は 554「ルールを増やしすぎないには?」——樽を検めた結果、つい『ルールを足す』に走りがちな、その反射を見直す話へ進む。
Q1. この単位が経由する見方——不祥事は悪人が起こすという俗説に対し、実証はふつうの人が ____ と ____ の中で不正に至ると示す。腐ったリンゴを探すより、____ を検めよ。穴埋め
Q2. Ashforth & Anand 2003 が描いた腐敗の『常態化』の説明として正しいものはどれか。選択
Q3. 『不祥事は腐った個人を見つけて処分すれば解決する』という考えに対し、Pinto ら 2008 と Reason 2000 から言える反論を述べよ。一問一答
Q4. Vaughan 1999 と Greve ら 2010 が示した『不正は系統的に生じる』とはどういうことか。原因究明への含意とともに述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った事柄を、年の早い順に並べよ。(ア)Ashforth と Anand が腐敗の常態化の道すじを描く(イ)Vaughan が逸脱と災害は系統的に生じると示す(ウ)Greve らが組織不正の原因・過程・帰結を総括する(エ)Reason が人に注目する見方と仕組みに注目する見方を分ける並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の組織で実際に起きた、あるいは起きかけた、小さなミス・ごまかし・ヒヤリとした出来事を一つ思い出す(自分の職場・家業・任された部門のことでよい)。それを、人の名前を出さずに、仕組みの言葉で書き直す——(1) どの手順が抜けていた、または形だけだったか、(2) どんな圧力や事情が働いたか(無理な締め切り、過大な目標、言い出しにくい空気など)、(3) なぜ途中で止まらなかったか(どの防護が抜けていたか)。最後に、同じことがまた起きるとしたら、どの穴から起きるかを一言添える。個人の責任を免じる必要はないが、この記録では犯人探しをせず、通報者や当事者の個人情報・実名は使わない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Ashforth B.E., Anand V. (2003) ‘The Normalization of Corruption in Organizations’, Research in Organizational Behavior 25:1-52 — doi.org
- Vaughan D. (1999) ‘The Dark Side of Organizations: Mistake, Misconduct, and Disaster’, Annual Review of Sociology 25:271-305 — doi.org
- Greve H.R., Palmer D., Pozner J-E. (2010) ‘Organizations Gone Wild: The Causes, Processes, and Consequences of Organizational Misconduct’, Academy of Management Annals 4(1):53-107 — doi.org
- Pinto J., Leana C.R., Pil F.K. (2008) ‘Corrupt Organizations or Organizations of Corrupt Individuals? Two Types of Organization-Level Corruption’, Academy of Management Review 33(3):685-709 — doi.org
- Reason J. (2000) ‘Human error: models and management’, BMJ 320(7237):768-770 — doi.org
- Mishina Y., Dykes B.J., Block E.S., Pollock T.G. (2010) ‘Why “Good” Firms Do Bad Things: The Effects of High Aspirations, High Expectations, and Prominence on the Incidence of Corporate Illegality’, Academy of Management Journal 53(4):701-722 — doi.org