「物語にすれば伝わる」——だが物語は諸刃、伝わる力はそのまま歪める力になる
数字の羅列を前に、物語にすれば伝わるのに、と言われたことはないだろうか。たしかに物語型の見せ方は、素の表より人を動かす。だが、その力は諸刃だ。同じ数字でも、どこを強調しどんなタイトルを付けるかで、読み取られる結論は変わる。事実は動かないのに、印象だけが動く。この単位は、物語で人を操る作り方ではなく、自分や誰かの物語が事実をどこで曲げているかを見抜く目を渡す。
前の段から、この段へ——段はひとつ進む
前の単位では、数字と、数字にならない声を組み合わせて全体像をつかむことを扱った。ここでは、つかんだものを物語にして人に伝えることを扱う。段はひとつ進んで、数字を読む力の段(緑)から、数字を使う力の段(橙)に入る。 これまでは、数字を正しく読み解く側の技術だった。ここからは、読み解いた数字を、決めて、動かすために使う側に回る。その最初に置くのが、いちばん誘惑の強い道具——物語である。誘惑が強いからこそ、最初に扱って、扱い方を身につけておく。
この段の読者も、前の段までと同じだ——自分の商いの数字を、自分で見て決める人である。売上表を自分で眺める店主、はじめて報告資料を作る担当、頒布の部数を人に伝える人。だから「プレゼンのプロは」で主語を立てない。凝ったツールも、専属のデザイナーも前提にしない。売上表を前に「これはただの数字の羅列だ、物語にすれば伝わるのに」と言われたことはないだろうか。たしかに、数字を物語に仕立てると、人は聞いてくれる。数字だけでは素通りされた話が、物語にした途端に届く。だからこそ、使う力の段の入口に、この道具を置く。
だがこの単位が立てる見方はこうだ——物語は諸刃である。伝わる力は、そのまま歪める力でもある。 よく切れる刃は、正しい方向にも、都合のいい方向にも、同じ鋭さで切れてしまう。物語は「伝わった」という手ごたえを強く残すぶん、「伝わった」と「正しく伝わった」の距離を、見えなくする。この単位でほどく言葉を先に置く。ナラティブ・ビジュアライゼーションとは、グラフや図に物語の順序・注釈・強調を足して、読み手を一つの筋道に沿って導く見せ方のこと。フレーミングとは、同じ事実でも、どこを強調しどう枠づけるかで、受け手の受け取り方が変わることを指す。この二つを軸に、物語の効き目と、その裏側を、順に見ていく。
「物語にすれば伝わる」——伝わる、それは本当
まず、俗説の正しい半分を認めておく。物語にすると、確かに伝わるのだ。Segel と Heer が2010年に、データを物語として語る可視化の型を体系化し、順序立てて見せる図が読み手を引き込むことを示した(可視化研究の由緒であり、この分野の設計の見取り図になった)。さらに Pandey たちが2014年に、同じデータを素の表で見せた場合と、物語仕立ての可視化で見せた場合を比べる実験を行い、物語型の可視化のほうが、受け手の考えをより強く動かした——つまり説得力が高いことを実証した。
Segel と Heer が整理したのは、たとえば時間に沿って一段ずつ場面を見せていく型や、読み手が自分でつまみを動かして探れるようにする型など、いくつもの見せ方の引き出しだった。どれも共通して、ばらばらの数字に順序と文脈を与える。人は、順序のあるものを物語として受け取り、記憶にも残しやすい。数字そのものより、「先月こうで、今月こうなった、なぜなら」という筋のほうが、頭に入り、口伝えでも広がる。
だから「物語にすれば伝わる」を頭から否定はしない。数字の羅列より、筋のある見せ方のほうが、届く。届いて、人を動かす。問題は、その力が良い方向にだけ働く保証がどこにもない、という点にある。説得力とは、受け手の判断を動かす力のことだ。その力は、正しい結論にも、都合のいい結論にも、同じように使える。だから、物語がうまく作れたときほど、立ち止まって問う値打ちがある——いま自分は、事実を届けているのか、それとも結論を押し込んでいるのか。
だが、見せ方で解釈が変わる——ここが諸刃の刃
物語の力の裏側を、二つの研究が照らす。Hullman と Diakopoulos が2011年に、物語型の可視化には修辞(レトリック)が埋め込まれていることを分析した。修辞とは、相手の受け取り方を動かす言葉や見せ方の技のことだ。どのデータを選び、何を注釈し、どんな順で見せるか——その一つひとつが、受け手の解釈を特定の方向へ枠づける。作り手が意図しなくても、見せ方そのものが、すでに一つの主張になっている。「素直に事実を見せているだけ」というグラフなど、実はほとんどない。何を軸に取り、どこで区切るかを決めた時点で、もう選択が始まっている。同じ数字でも、枠づけが変われば、読み取られる意味は変わる。
Kong たちが2018年に、これをタイトルの一語で確かめた。同じグラフに、傾き(スラント)の違うタイトルを付けて見せると、受け手のグラフの読み取りが、タイトルの枠に引きずられた。「過去最高を記録」と題した図と、「伸びは鈍化」と題した図が、まったく同じ数字の上に立つことがある。身近な例で言えば、先月の売上が前月より少し上がった同じ折れ線を、「回復の兆し」と題せば明るい話に、「まだ去年の水準に届かず」と題せば厳しい話に見える。数字は一本の同じ線なのに、読後感は正反対になる。事実は動いていないのに、結論だけが動くのだ。
ここで大事なのは、これを「人を操るグラフの作り方」として使わないことだ。強調やタイトルで印象を誘導する手口は、覚えれば誰かを丸め込む道具にもなる。だがこの単位が渡すのは逆の技術——自分や誰かの物語が、事実をどこで曲げているかを見抜く目である。作るときも、見せられたときも、「この枠づけを外したら、同じ結論になるか」と一度問う。タイトルを消し、強調を外し、順序を入れ替えても残るものが、事実の芯だ。それが諸刃の刃を、安全な側で握る作法である。
物語化は、関与を自動では増やさない
もう一つ、見落とされやすい事実がある。物語にすれば、受け手が興味を持って自分でデータを深く探ってくれる——そう期待したくなる。プレゼンを物語にすれば、聞き手が前のめりになって細部まで調べ始める、と。だが Boy たちが2015年に、物語仕立ての導入を付けた可視化と、付けないものを比べ、物語化が、受け手の探索的な関与を必ずしも増やすわけではないことを示した。物語は、こちらの筋を受け取らせるのは得意でも、相手が自分の足で数字の中を歩き回るように仕向けるとは限らない。むしろ、きれいな筋を与えるほど、受け手はその筋で満足し、その外を見なくなることもある。物語が完成度を増すほど、受け手は考えるのをやめて、ただ受け取るだけになりやすい。
つまり物語は、伝えるための道具であって、考えさせるための道具とは限らない。伝わってほしいときには効くが、「相手にも自分で確かめてほしい」ときには、物語で包むほど逆に働くことがある。たとえば、部下に数字の異変に気づいてほしいなら、こちらで結論まで語る物語より、生の数字を並べて「何か気づくことは?」と問うほうが、相手の頭は動く。逆に、決めたことを短時間で共有したいなら、筋の通った物語が要る。用途を取り違えないこと——伝えたいのか、考えさせたいのか、目的の側から見せ方を選ぶことだ。
時間・変化:2010年から今へ
順に置く。2010年、Segel と Heer が物語型可視化の設計空間を体系化する。2011年、Hullman と Diakopoulos が、その物語化に修辞が埋め込まれ解釈を枠づけると分析する。2014年、Pandey たちが可視化の説得力を実験で実証し、2015年、Boy たちが物語化は探索的関与を必ずしも増やさないと示す。2018年、Kong たちがタイトルのフレームで読み取りが変わることを確かめ、同年、Riche たちがデータ物語化の実務体系を一冊にまとめた。
この間に確からしくなったのは、「物語にすれば伝わる」という単純な因果ではない。確からしくなったのは、物語は確かに伝わり説得もするが、見せ方しだいで解釈が変わり、しかも受け手の探索を自動では増やさない——という、諸刃の構造のほうである。研究の舞台は情報可視化の実験室で、対象は専門的なグラフのことが多い。だが「見せ方が受け手の結論を左右する」という構造は、売上表を語る場面にもそのまま当てはまる。手元の数字が高度でなくても、それを人に見せた瞬間、あなたは一つの枠づけを選んでいる。伝わることと、正しく伝わることは、別なのだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「伝わった」を「正しく伝わった」と取り違えることである。相手が頷いたのは、事実が届いたからか、それとも枠づけに乗せられたからか——その区別は、物語がうまいほど、つきにくくなる。うまい語り手ほど、自分の語りに自分で乗せられてしまう。もう一つの妨げは、見抜く技術と操る技術を同じものと勘違いすることだ。手口を知る目的は、使うためではなく、使われないため、そして自分がうっかり曲げていないか確かめるためにある。
助けになるのは、自分の物語を、わざと二通り作ってみることだ。最初の一歩は10分。自分の数字を一つ選び、それを「良く見せる物語」と「悪く見せる物語」の両方で語ってみる。同じ数字が、どこの言葉で、どの強調で曲がるか。二つを並べると、事実の芯と、味付けの部分が、自分の目で分かれて見える。片方だけ作っていると、自分の味付けは事実そのものに見えてしまう。両方を突き合わせて初めて、どこからが解釈かの境が見える。誰かに見せる必要はない。自分の語りが、事実をどこで曲げているかを、自分の手元で点検する。 それが、諸刃の道具を安全に握る最初の稽古になる。曲げ方を知る者だけが、曲げずに伝えることもできる。
物語で人に伝わったとしても、それが実際の行動や決定を動かすとは限らない。次の単位は 538「分析を意思決定につなぐには?」——語って伝えたその先、分析が実際の決定につながるのか、その距離の話へ進む。
- この単位はSTEP3(橙・使う力)の頭で、段はひとつ進んで読む力の段(緑)から使う力の段(橙)に入る。中心命題は物語は諸刃——伝わる力はそのまま歪める力でもある。ナラティブ・ビジュアライゼーションはグラフに物語の順序・注釈・強調を足して読み手を一つの筋道へ導く見せ方、フレーミングは同じ事実でもどこを強調しどう枠づけるかで受け取り方が変わることを指す
- 俗説の正しい半分——物語にすると確かに伝わる。Segel と Heer 2010はデータを物語として語る可視化の型を体系化し順序立てた図が読み手を引き込むことを示した(可視化研究の由緒)。Pandey ら 2014は同じデータを素の表と物語型で見せ比べ、物語型のほうが受け手の考えをより強く動かす(説得力が高い)ことを実証した。届いて人を動かす力は正しい結論にも都合のいい結論にも同じように使える
- 諸刃の刃——見せ方で解釈が変わる。Hullman と Diakopoulos 2011は物語型可視化に修辞が埋め込まれ、どのデータを選び何を注釈しどんな順で見せるかが受け手の解釈を枠づけると分析した。作り手が意図しなくても見せ方そのものが一つの主張になっている。同じ数字でも枠づけが変われば読み取られる意味は変わる
- Kong ら 2018は同じグラフに傾き(スラント)の違うタイトルを付けて見せると受け手の読み取りがタイトルの枠に引きずられることを確かめた。過去最高を記録と題した図と伸びは鈍化と題した図がまったく同じ数字の上に立つことがある。事実は動いていないのに結論だけが動く。これを人を操るグラフの作り方として使わず、事実をどこで曲げているかを見抜く目として渡す
- 物語化は関与を自動では増やさない。Boy ら 2015は物語仕立ての導入を付けた可視化と付けないものを比べ、物語化が受け手の探索的な関与を必ずしも増やすわけではないと示した。物語はこちらの筋を受け取らせるのは得意でも相手が自分の足で数字の中を歩くよう仕向けるとは限らない。物語は伝える道具であって考えさせる道具とは限らず、用途を取り違えない
- この間に確からしくなったのは物語にすれば伝わるという単純な因果ではなく、物語は確かに伝わり説得もするが見せ方しだいで解釈が変わりしかも受け手の探索を自動では増やさないという諸刃の構造である。2010年Segel&Heer、2011年Hullman&Diakopoulos、2014年Pandey、2015年Boy、2018年Kong・Riche書籍という順で積み上がった。伝わることと正しく伝わることは別
- 妨げるものの筆頭は伝わったを正しく伝わったと取り違えること。相手が頷いたのは事実が届いたからか枠づけに乗せられたからかの区別は物語がうまいほどつきにくい。だからこの単位でやるのは自分の数字を一つ選び良く見せる物語と悪く見せる物語の両方で語り、同じ数字がどこの言葉でどの強調で曲がるかを並べて事実の芯と味付けを自分の手元で分けて見ることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 数字の羅列はただのデータで、物語に仕立てさえすれば、意図が正しく伝わる | 物語は諸刃で、伝わる力はそのまま歪める力でもある。Segel & Heer 2010は物語型可視化の型を体系化し、Pandey ら 2014は同じデータを素の表と物語型で見せ比べて物語型のほうが受け手の考えをより強く動かす(説得力が高い)ことを実証した。だがその力は良い方向にだけ働く保証がなく、正しい結論にも都合のいい結論にも同じように使える。伝わることと正しく伝わることは別である |
| 同じ数字を使っているのだから、どう見せても受け手の読み取りは変わらない | Hullman & Diakopoulos 2011は物語型可視化に修辞が埋め込まれ、データの選択・注釈・提示順が解釈を枠づけると分析した。Kong ら 2018は同じグラフに傾き(スラント)の違うタイトルを付けると読み取りがタイトルに引きずられると確かめた。過去最高を記録と伸びは鈍化がまったく同じ数字の上に立つことがある。事実は動いていないのに結論だけが動く。だからこれを操る作り方でなく、曲がりを見抜く目として使う |
| 物語にして見せれば、受け手は興味を持って自分でデータを深く探ってくれる | Boy ら 2015は物語仕立ての導入を付けた可視化と付けないものを比べ、物語化が受け手の探索的な関与を必ずしも増やさないことを示した。物語はこちらの筋を受け取らせるのは得意でも、相手が自分の足で数字の中を歩くよう仕向けるとは限らない。きれいな筋を与えるほど受け手はその筋の外を見なくなることもある。物語は伝える道具であって考えさせる道具とは限らず、用途を取り違えないことだ |
皮肉なのは、物語がうまくなるほど、伝わったという手ごたえだけが厚くなることである。だが相手が頷いたのは、事実が届いたからか、それとも枠づけに乗せられたからか。物語型の見せ方は確かに人を動かし、素の表より説得もする。しかし同じ数字でも、どの点を強調し、どんなタイトルを付け、どの順で見せるかで、読み取られる結論は変わる。事実は動かないのに、印象だけが動く。しかも物語は、こちらの筋を渡すのは得意でも、相手が自分で数字を確かめるよう仕向けるとは限らない。物語が伝わりを約束しているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、伝わったことと正しく伝わったことを、別々に確かめていないだけかもしれない。この単位は、人を操るグラフの作り方を配る単位ではない——自分や誰かの物語が事実をどこで曲げているかを見抜く目を、使う力の段の入口で持つための単位である。次の単位は 538「分析を意思決定につなぐには?」——語って伝えたその先、分析が実際の決定につながるのか、その距離の話へ進む。
Q1. この単位の中心命題——物語は ____ である。____ 力は、そのまま ____ 力でもある。伝わることと、正しく伝わることは別だ。穴埋め
Q2. Pandey ら 2014 が実験で示したこととして正しいものはどれか。選択
Q3. 『物語にすれば正しく伝わる』という考えに対し、Hullman & Diakopoulos 2011 と Kong ら 2018 から言える反論を述べよ。一問一答
Q4. Boy ら 2015 が示した、物語化の限界とは何か。物語の用途と結びつけて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った事柄を、年の早い順に並べよ。(ア)Kong らがタイトルのフレームで読み取りが変わると確かめる(イ)Segel と Heer が物語型可視化の設計空間を体系化する(ウ)Boy らが物語化は探索的関与を必ずしも増やさないと示す(エ)Pandey らが可視化の説得力を実験で実証する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の手元にある数字を一つ選ぶ(先月の売上、来店数、頒布の部数など、自分の数字でよい)。その同じ数字について、二通りの短い語りを書く——(1) それを『良く見せる物語』(どの点を強調し、どんなタイトルを付け、どの順で見せるか)、(2) それを『悪く見せる物語』(同じ数字で、逆の印象になるように)。二つを並べて、事実の芯(動かない部分)と、味付け(言葉・強調・順序で変えた部分)に線を引く。最後に、同じ数字なのに印象がいちばん大きく変わったのはどの一言だったかを書き添える。他人や顧客の個人データは使わず、自分の数字だけで完結させる。誰かを説得するためではなく、自分の語りが事実をどこで曲げるかを点検するために行う。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Segel E., Heer J. (2010) ‘Narrative Visualization: Telling Stories with Data’, IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 16(6):1139-1148 — doi.org
- Hullman J., Diakopoulos N. (2011) ‘Visualization Rhetoric: Framing Effects in Narrative Visualization’, IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 17(12):2231-2240 — doi.org
- Pandey A.V., Manivannan A., Nov O., Satterthwaite M., Bertini E. (2014) ‘The Persuasive Power of Data Visualization’, IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 20(12):2211-2220 — doi.org
- Boy J., Detienne F., Fekete J-D. (2015) ‘Storytelling in Information Visualizations: Does It Engage Users to Explore Data?’, Proceedings of the ACM CHI Conference on Human Factors in Computing Systems 2015 — doi.org
- Kong H-K., Liu Z., Karahalios K. (2018) ‘Frames and Slants in Titles of Visualizations on Controversial Topics’, Proceedings of the ACM CHI Conference on Human Factors in Computing Systems 2018 — doi.org
- Riche N.H., Hurter C., Diakopoulos N., Carpendale S.(編)(2018) 『Data-Driven Storytelling』, CRC Press — openlibrary.org