「分析すれば決まる」——だが分析と決定のあいだには距離があり、分析は問いを整える道具にすぎない
ちゃんと分析すれば、答えは自ずと決まる——そう考えたくなる。だが分析は、決定を自動では生まない。同じツールを入れても、活きる組織と宝の持ち腐れになる組織がある。差は分析そのものより、その周りの段取りにある。分析は答えを出す機械ではなく、問いを整える道具だ。この単位は、分析と決定のあいだの距離を、精神論ではなく段取りで埋める見方を渡す。
前の単位から、この単位へ
前の単位では、データを物語にして人に伝えることを扱った。ここでは、その分析を、実際の意思決定に、どうつなぐかを扱う。伝わったからといって、決まるとは限らない——分析と決定のあいだには、思っているより広い距離があり、それを埋めるのは、精神論ではなく、組織の段取りと人の判断である。
「ちゃんと分析すれば、答えは自ずと決まる」——そう考えたくなる。数字を集め、グラフにし、傾向を出せば、進むべき道が浮かび上がる、と。だがこの単位が立てる見方はこうだ。分析は、決定を自動では生まない。分析と決定のあいだには距離があり、その距離は、組織の段取りと、人の判断で埋めるしかない。 分析は答えを出す機械ではなく、問いを整える道具である。ここでほどく言葉を置く。アナリティクスとは、データを分析して意思決定に役立てる営み全般のこと。BI(ビジネス・インテリジェンス)とは、社内の数字を集めて見えるようにし、判断を支える仕組みのことだ。表計算1枚で数字をにらむのも、大きな分析基盤を回すのも、ここでは同じ土俵に置く。規模ではなく、分析と決定をどうつなぐかが問われる。基盤が大きいほど分析は増えるが、決定につながる割合が上がるとは限らない。むしろ量が増えるほど、見られないまま埋もれる分析も増える。
「分析すれば決まる」——分析の価値は、自動では出てこない
まず、分析さえすれば価値が出る、という思い込みを、二つのレビュー研究が揺さぶる。Sharma と Mithas と Kankanhalli が2014年に、ビジネス・アナリティクスが組織の意思決定に与える影響を研究として見渡し、分析の価値は自動では生まれず、それを決定に結びつける組織のプロセスや文脈しだいで大きく変わることを整理した。同じ分析ツールを入れても、活きる組織と、宝の持ち腐れになる組織がある。差は、分析そのものより、その周りの段取りにある。
Trieu が2017年に、BIから実際に価値を引き出せているかを問う研究群を総覧し、BIの価値は、導入すれば出るものではなく、条件つきでしか実現しないことを示した。システムを入れた、ダッシュボードを作った——それ自体は、価値ではない。価値は、その出力が誰かの判断に取り込まれ、行動が変わって、はじめて生まれる。分析と成果のあいだには、いくつもの関門があり、多くの分析は、その関門のどこかで止まる。作って満足し、誰も見ない資料になる、というのは、規模の大小を問わず起きる。表計算1枚で立派なグラフを作っても、それを見て翌日の仕入れを一つ変えなければ、そのグラフは飾りだ。逆に、走り書きのメモ一枚でも、それが判断を変えれば、立派に働いている。価値は、見た目の精緻さではなく、判断に届いたかで決まる。ここを取り違えると、分析の巧拙を、資料の見栄えで測るようになる。だが問うべきは、これを見て誰が何を変えたか、である。
分析は「決める」より、「知る・問いを整える」を支える
では分析は、意思決定にとって何の役に立つのか。Shollo と Galliers が2016年に、BIが組織の中で実際にどう使われているかを追い、意外な姿を描いた。BIは「答えを出して決める」ために使われるより、「知る・言葉にする・対話する」を支えるために使われていた。 分析結果は、そのまま決定になるのではなく、何が問題かを articulate する——つまり、もやもやを言葉にし、関係者で問いを立て直し、話し合うための、たたき台になっていた。答えとしてではなく、問いを整える材料として効いていたのだ。
これは、分析の格下げではない。むしろ、分析の本当の効きどころだ。数字は、議論の出発点を与える。「なんとなくまずい気がする」を「先月比でここが落ちている」に変え、みなが同じ土俵で話せるようにする。それまで感覚や声の大きさで押し合っていた議論に、共通の物差しが入る。何を話しているのかが揃うだけで、議論は前に進む。分析が問いを鋭くすれば、決定の質は上がる。だが、問いを鋭くすることと、決定そのものは、別の仕事である。分析に決定を肩代わりさせようとすると、たいてい失敗する。 数字は「AとBのどちらが起きているか」までは照らせても、「だからどうするか」までは決めてくれない。そこには、何を大事にするかという価値の判断が要り、それは人の仕事だ。分析は問いを整えるところまでを担い、決めるのは人——この線を引けるかどうかが、分析を決定につなぐ勘所になる。線を引かずに数字任せにすると、数字が割れた瞬間に立ち往生する。
合理的な決定は、データから自動では立ち上がらない
もう一歩、根本を見る。Cabantous と Gond が2011年に、「合理的な意思決定」というもの自体が、どこかに完成品として存在するのではなく、道具や手順や人の実践によって、その都度組み立てられ、遂行される営みであることを論じた。数字があれば合理的な決定がひとりでに立ち上がる、というのは幻想だ。誰かが分析結果を持ち寄り、枠にはめ、選択肢を並べ、比べ、何を重んじるかを決める——その一連の作業を通して、はじめて「合理的な決定」という形が組み上がる。同じ数字を前にしても、誰がどんな手順で扱うかで、出てくる決定は変わる。
つまり、分析は材料であって、料理ではない。材料を並べただけでは食事にならないように、データを揃えただけでは決定にならない。誰が、どの手順で、それを決定へと組み上げるか——その段取りの設計こそが、分析を活かすかどうかを分ける。だからこの単位の姿勢は「分析するな」ではない。「分析を決定にどう橋渡しするかを、あらかじめ設計せよ」である。分析の前に、この数字が出たら誰がどう決めるのかを決めておく。それが橋渡しの骨組みになる。
「証拠に基づく経営」は理念であって、そのまま実装ではない
分析を決定につなぐ理想を、よく「証拠に基づく経営(エビデンス・ベースト・マネジメント)」と呼ぶ。勘や慣習ではなく、確かな証拠に基づいて経営を決めよう、という考え方だ。Pfeffer と Sutton が2006年にこの考えを広め、実務に問いを投げた(これは経営書で、査読を経た研究ではない——理念の由緒として置く)。方向としては正しい。だが、理念と実装のあいだには、また距離がある。
Rousseau が2006年に、「証拠に基づく経営などというものが本当にあるのか」と正面から問い、研究で分かっていることと、実務で実際に行われていることのあいだには、大きなギャップがあることを指摘した。良い証拠があっても、それが現場の決定に届くとは限らない。証拠に基づこうという掛け声は立派でも、どの証拠を、誰が、どう決定に持ち込むかの仕組みがなければ、掛け声のまま終わる。むしろ、証拠を掲げることが、決めた気分だけを与えてしまうこともある。ここでも構図は同じだ——理念の存在と、それが決定を実際に動かすことは、別物である。分析を決定につなぐとは、この距離を、精神論ではなく段取りで埋めることにほかならない。
時間・変化:2006年から今へ
順に置く。2006年、Pfeffer と Sutton が証拠に基づく経営を広め、同年、Rousseau がその理念と研究-実務ギャップを問う。2011年、Cabantous と Gond が、合理的決定はデータから自動で立ち上がるのでなく実践で組み上げられると論じる。2014年、Sharma たちがアナリティクスの価値は組織プロセス依存だと整理し、2016年、Shollo と Galliers がBIは決めるより知る・対話するを支えると示す。2017年、Trieu がBIの価値は条件つきでしか出ないと総覧する。
この間に確からしくなったのは、「分析すれば決まる」という因果ではない。確からしくなったのは、分析と決定のあいだには距離があり、分析は問いを整える道具で、決定は組織の段取りと人の実践で組み上げられる——という、慎重な構図のほうである。分析は主人ではなく、決定を助ける道具なのだ。道具である以上、使い方の設計しだいで、活きも死にもする。主人と取り違えないことだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「分析した」を「決めた」と取り違えることである。立派な資料が仕上がると、仕事が終わった気になる。だが資料は決定ではない。誰も読まず、どの判断も変えなかった分析は、無かったのと同じだ。もう一つの妨げは、分析に決定を丸投げすること。数字が決めてくれると期待すると、いざ数字が割れたとき、誰も決められなくなる。数字は判断を助けるが、代わりに責任を負ってはくれない。決める重みは、最後まで人の側に残る。
助けになるのは、分析の前後に、決定との橋を意識して架けることだ。最初の一歩は10分。自分が最近見た分析結果——売上の集計でも、アンケートの数字でもよい——を一つ思い出し、それが実際にどの決定につながったか(つながらなかったか)を、書き出してみる。つながっていれば、何がつないだのか。つながっていなければ、どこで止まったのか。多くの人は、この距離を測ったことがない。一度測ってみると、自分の分析と決定のあいだの距離が見えてくる。誰かに見せる必要はない。自分の分析が、決定まで届いているかを、自分の手元で点検する。 止まった場所が見えれば、次に架けるべき橋も見えてくる。それが、分析を決定につなぐ設計の、最初の測量になる。
次の単位は 539「予測モデルを業務に使うには?」——分析を決定につなぐその先、過去のデータで未来を当てるモデルと、人の判断を、どう使い分けるかへ進む。
- この単位はSTEP3(橙・使う力)で、中心命題は分析は決定を自動では生まないこと。分析と決定のあいだには距離があり、その距離は組織の段取りと人の判断で埋めるしかない。アナリティクスはデータを分析して意思決定に役立てる営み全般、BIは社内の数字を集めて見えるようにし判断を支える仕組み。表計算1枚も大きな分析基盤も同じ土俵に置き、規模でなく分析と決定をどうつなぐかを問う
- 分析の価値は自動では出ない。Sharma・Mithas・Kankanhalli 2014はビジネス・アナリティクスの意思決定への影響を見渡し、価値はそれを決定に結びつける組織のプロセスや文脈しだいで大きく変わると整理した。Trieu 2017はBIの価値は導入すれば出るものでなく条件つきでしか実現しないと示した。導入自体は価値でなく、出力が判断に取り込まれ行動が変わってはじめて価値が生まれる
- 分析は決めるより知る・問いを整えるを支える。Shollo & Galliers 2016はBIが組織で実際にどう使われるかを追い、答えを出して決めるためより、何が問題かを言葉にし関係者で問いを立て直し対話するためのたたき台として使われていたと描いた。これは格下げでなく本当の効きどころだが、問いを鋭くすることと決定そのものは別の仕事で、分析に決定を肩代わりさせると失敗しやすく、決めるのは人という線を引くのが勘所
- 合理的な決定はデータから自動では立ち上がらない。Cabantous & Gond 2011は合理的意思決定というもの自体が完成品として存在するのでなく、道具や手順や人の実践でその都度組み立てられ遂行される営みだと論じた。分析は材料であって料理ではなく、姿勢は分析するなでなく分析を決定にどう橋渡しするかをあらかじめ設計せよである
- 証拠に基づく経営は理念であってそのまま実装ではない。Pfeffer & Sutton 2006(経営書・査読ではない)がこの考えを広め理念の由緒となったが、Rousseau 2006は研究で分かることと実務で行われることのあいだに大きなギャップがあると指摘した。良い証拠があっても現場の決定に届くとは限らず、理念の存在とそれが決定を実際に動かすことは別物である
- この間に確からしくなったのは分析すれば決まるという因果ではなく、分析と決定のあいだには距離があり分析は問いを整える道具で決定は組織の段取りと人の実践で組み上げられるという構図である。2006年Pfeffer&Sutton・Rousseau、2011年Cabantous&Gond、2014年Sharma、2016年Shollo&Galliers、2017年Trieuの順。分析は主人でなく決定を助ける道具である
- 妨げの筆頭は分析したを決めたと取り違えること。誰も読まずどの判断も変えなかった分析は無かったのと同じで、決定を丸投げすると数字が割れたとき誰も決められない。だからこの単位でやるのは、最近見た分析結果を一つ思い出し、それが実際にどの決定につながったか(つながらなかったか)を書き出し、分析と決定のあいだの自分の距離を手元で点検することである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| ちゃんとデータを分析してグラフや傾向を出せば、進むべき決定は自ずと定まる | 分析は決定を自動では生まない。Sharma ら 2014は分析の価値がそれを決定に結びつける組織のプロセスや文脈しだいで変わると整理し、Trieu 2017はBIの価値は導入すれば出るものでなく条件つきでしか実現しないと示した。ツールを入れダッシュボードを作ること自体は価値ではなく、その出力が誰かの判断に取り込まれ行動が変わってはじめて価値が生まれる。分析と決定のあいだには距離があり組織の段取りと人の判断で埋めるしかない |
| 分析結果さえ示せば、それがそのまま答えになり、議論も判断も終わる | Shollo & Galliers 2016はBIが答えを出して決めるためより、何が問題かを言葉にし関係者で問いを立て直し対話するためのたたき台として使われていたと描いた。分析は議論を終わらせるのでなく、同じ土俵で始めさせる。問いを鋭くすれば決定の質は上がるが、問いを鋭くすることと決定そのものは別の仕事である。分析に決定を肩代わりさせようとするとたいてい失敗し、分析は問いを整えるまでを担い決めるのは人だという線を引くことが勘所になる |
| 証拠に基づく経営を掲げれば、良い証拠が自然に決定を動かしてくれる | Pfeffer & Sutton 2006(経営書・査読ではない)が証拠に基づく経営の理念を広めたが、Rousseau 2006はそれが本当にあるのかを問い、研究で分かることと実務で行われることのあいだに大きなギャップがあると指摘した。良い証拠があっても現場の決定に届くとは限らない。どの証拠を誰がどう決定に持ち込むかの仕組みがなければ掛け声のまま終わる。理念の存在とそれが決定を実際に動かすことは別物で、距離は精神論でなく段取りで埋める |
皮肉なのは、立派な分析資料が仕上がるほど、仕事が終わった気になることである。だが資料は決定ではない。誰も読まず、どの判断も変えなかった分析は、無かったのと同じだ。分析の価値は、ツールを入れた時点でもダッシュボードを作った時点でも、まだ生まれていない。その出力が誰かの判断に取り込まれ、行動が変わって、はじめて価値になる。分析は答えを出す機械ではなく、もやもやを言葉にし、みなが同じ土俵で話せるようにする、問いを整える道具だ。合理的な決定は、データがあればひとりでに立ち上がるのではなく、誰かが持ち寄り、枠にはめ、選択肢を並べて、組み上げる。証拠に基づく経営という理念は正しい方向を指すが、理念の存在と、それが決定を実際に動かすことは別物である。分析が答えを約束しているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、分析したことと決めたことを、別々に確かめていないだけかもしれない。この単位は、分析をやめさせる単位ではない——分析と決定のあいだの距離を、段取りで橋渡しする目を持つための単位である。次の単位は 539「予測モデルを業務に使うには?」——分析を決定につなぐその先、過去のデータで未来を当てるモデルと、人の判断を、どう使い分けるかへ進む。
Q1. この単位の中心命題——分析は、決定を ____ では生まない。分析と決定のあいだには ____ があり、それは組織の ____ と人の判断で埋めるしかない。穴埋め
Q2. Shollo & Galliers 2016 がBIの実際の使われ方について描いたこととして正しいものはどれか。選択
Q3. 『分析ツールを入れれば価値が出る』という考えに対し、Sharma ら 2014 と Trieu 2017 から言える反論を述べよ。一問一答
Q4. Cabantous & Gond 2011 の『合理的決定は組み上げられる』という見方から、この単位が導く姿勢を述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った事柄を、年の早い順に並べよ。(ア)Shollo と Galliers がBIは知る・対話を支えると示す(イ)Rousseau が証拠に基づく経営の研究-実務ギャップを問う(ウ)Trieu がBIの価値は条件つきと総覧する(エ)Cabantous と Gond が合理は実践で組み上げられると論じる並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が最近見た分析結果を一つ思い出す(売上の集計、来店数の推移、アンケートの数字、ダッシュボードの画面など、自分が関わったものでよい)。その分析について、三つのことを書く——(1) どんな分析だったか(一言で)、(2) それが実際にどの決定・行動につながったか。つながっていなければ『つながらなかった』と書く、(3) つないだもの、または止めたものは何か(誰が見て・どんな段取りで決定に持ち込んだか/どこで止まったか)。最後に、その分析と決定のあいだの距離を、近い・遠いのどちらだと感じたかを一言添える。従業員や顧客の個人データを材料にせず、自分が見た数字だけで完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Rousseau D.M. (2006) ‘Is There Such a Thing as “Evidence-Based Management”?’, Academy of Management Review 31(2):256-269 — doi.org
- Sharma R., Mithas S., Kankanhalli A. (2014) ‘Transforming decision-making processes: a research agenda for understanding the impact of business analytics on organisations’, European Journal of Information Systems 23(4):433-441 — doi.org
- Shollo A., Galliers R.D. (2016) ‘Towards an understanding of the role of business intelligence systems in organisational knowing’, Information Systems Journal 26(4):339-367 — doi.org
- Trieu V-H. (2017) ‘Getting value from Business Intelligence systems: A review and research agenda’, Decision Support Systems 93:111-124 — doi.org
- Cabantous L., Gond J-P. (2011) ‘Rational Decision Making as Performative Praxis: Explaining Rationality’s Éternel Retour’, Organization Science 22(3):573-586 — doi.org
- Pfeffer J., Sutton R.I. (2006) 『Hard Facts, Dangerous Half-Truths, and Total Nonsense: Profiting from Evidence-Based Management』, Harvard Business Review Press — openlibrary.org