「定性は数字の飾り」ではない——定性は独自の論理・標本論・厳密さの基準を持つ、数字と対等な相棒。数字にならない発見(仕組み・意味・想定外)を掘り当てる
数字が主役で、定性はその飾り、彩りのエピソード添え物だ——そう思いたくなる。だが、それは定性を安く見積もりすぎている。定性は、数字の飾りではなく、独自の論理と厳密さの基準を持った、対等な相棒だ。数字が『どれだけか』を教えるのに対し、定性は『なぜか』『どういう仕組みでか』『思いもしなかった何が起きているか』を教える。数人に話を聞いただけでも、百人分の集計では見えなかった落とし穴が、まるごと照らし出されることがある。数字と声は、二人一組で初めて像を結ぶ。
定性の声を数字と組む——「定性は数字の飾り」ではない。独自の論理と厳密性を持つ、対等な相棒だ
前の単位では、差の意味を確かめる——検定とp値の読み方を扱った。有意と重要は別物だった。ここでは、そうした数字の読みに、数字にならない声をどう組み合わせるかを扱う。緑の段——読む力の、締めくくりだ。
用語をほどく。定量とは、ものごとを数で測って捉えるやり方。売上、来客数、比率——数えられるものの世界だ。定性とは、言葉や観察で捉えるやり方。客が漏らした一言、現場で見た手つき、うまく数にならない「なぜ」の部分だ。そして、両方を組み合わせて使う進め方を混合研究法と呼ぶ。よく聞くのは「数字が主役で、定性はその飾り、数字を彩るエピソード添え物だ」という声である。
この単位が示すのは、それが定性を安く見積もりすぎている、ということだ。定性は、数字の飾りではない。独自の論理と、独自の厳密さの基準を持った、対等な相棒だ。数字が「どれだけか」を教えるのに対し、定性は「なぜか」「どういう仕組みでか」「思いもしなかった何が起きているか」を教える。片方の飾りではなく、役割の違う二人だ。順に見ていく。
混合研究法は、装飾ではなく、れっきとした方法論
まず、定性と定量を組み合わせることは、思いつきの寄せ集めではない。Johnson たちが2007年に、混合研究法とは何かをきちんと定義し、定性と定量それぞれの強みを統合する、正当な一つの方法論だと整理した。数字に彩りを添えるための小道具ではなく、独立した設計思想を持つ研究のやり方だ、ということだ。
なぜ組み合わせるのか。数字は、「何が、どれだけ起きたか」を、広く正確に教えてくれる。だが、「なぜそれが起きたのか」「その裏で人が何を感じ、どう動いたのか」は、数字の列を見ても出てこない。逆に、定性の観察は、その「なぜ」や「仕組み」を掘り当てるが、それが「どれだけ広くあることか」は言えない。二つは、互いの見えない部分を補い合う。だから、優劣ではなく、組み合わせる。Creswell と Plano Clark、あるいは Tashakkori と Teddlie といった書き手が、この組み合わせ方を、体系立った設計として整理してきた。定性は、数字の余白を埋める飾りではなく、数字と対等に置かれる、もう一つの目だ。
身近な例で考えてみよう。「今月、返品が増えた」という数字があるとする。これは定量——増えた、という事実を、正確に教えてくれる。だが、この数字だけを見ていても、なぜ返品が増えたのかは、永遠に分からない。サイズが合わなかったのか、写真と実物が違ったのか、届くのが遅かったのか——理由は数字の外にある。ここで、返品時に客が書き残した一言や、電話で漏らした不満を拾い読みすれば、「思っていた色と違った」という声が、いくつも見つかるかもしれない。すると、増えた返品という数字の裏で、実際に何が起きていたのかが、初めて像を結ぶ。数字は「増えた」を、声は「なぜ増えたか」を教える。この二つは、どちらが欠けても、返品を減らす手立てにはたどり着けない。飾りと本体の関係ではなく、そろって初めて役に立つ、二人組なのだ。
定性には、定性なりの「標本の論理」がある
「でも、数人に話を聞いただけでは、当てにならないのでは」という疑いは根強い。ここが、いちばん誤解されるところだ。Small が2009年に示したのは、定性の事例選びには、定量とは別の論理がある、ということだった。定量が、全体を代表させるために「たくさん・偏りなく」集めるのに対し、定性は、理論的・分析的な理由で「この事例を見れば何が学べるか」を考えて選ぶ。
だから、定性で「nが小さい=弱い」と考えるのは、定量のものさしを、別の論理で動く世界に当てているだけだ。定性の少数事例は、「全体の割合を当てる」ためのものではなく、「どんな仕組みが働いているか」「どんなことが起こりうるか」を深く掘るためのものだ。一人の客の話が、百人分の集計では見えなかった落とし穴を、まるごと照らし出すことがある。少数だから弱いのではない。少数を深く見るのが、そもそもの狙いなのだ。数える調査と、深く掘る調査は、ものさしが違う。数の少なさを、そのまま質の低さと読み替えてはいけない。
この違いは、たとえるなら、地図と、実地の下見の違いに近い。地図(定量)は、町全体の道の通り方を、広く一望させてくれる。だが、その一本の路地が、実際に歩いてみると薄暗くて入りにくい、という肌ざわりは、地図の上には載っていない。実地に一本歩いてみる下見(定性)は、たった一本でも、地図が黙っている大事なことを教える。ここで「一本しか歩いていないから当てにならない」と言うのは、下見に地図の役目を求めているだけだ。下見は、町全体の割合を測るためではなく、その道で実際に何が起きるかを掴むためにある。同じように、定性の少数事例は、全体の何割かを言い当てるためのものではない。だから、定性を評価するときは、「何人に聞いたか」ではなく、「その事例から、どんな仕組みが見えたか」を尺度にする。ものさしを取り違えないことが、定性を正しく扱う第一歩だ。
「どこまで聞けば足りるか」にも、基準がある
では、定性は「気が済むまで」の、いい加減なものなのか。そうではない。定性の厳密さにも、ちゃんとした目安がある。Guest たちが2006年に扱ったのが飽和という考え方だ。話を聞き重ねていって、新しい発見がもう出てこなくなった状態を飽和と呼び、そこが「ここまで聞けば足りる」の目安になる。
つまり、定性の標本の大きさは、あらかじめ「何人」と決めるのではなく、飽和に達したかどうかで決まる。しかも、その飽和にも段階がある。Hennink たちが2017年に区別したのは、コードの飽和——語られる話題の種類が出尽くす段階と、意味の飽和——それぞれの話題の意味を、深く理解し尽くす段階だ。話題が出尽くしても、その奥行きを分かりきるには、もう少し聞く必要がある。ここで大事なのは、「いい加減に切り上げる」のとも、「やみくもに数を集める」のとも違う、飽和という自前の止めどきの基準を、定性が持っている、という事実だ。厳密さの形が数字と違うだけで、厳密さがないわけではない。数字の厳密さが「標本の大きさ」や「誤差の幅」で語られるのに対し、定性の厳密さは「飽和に達したか」「事例の選び方に筋が通っているか」「解釈が生の記録に裏づけられているか」で語られる。使う物差しが違うだけだ。物差しの違いを、厳密さの有無と取り違えてはいけない。
時間・変化:定性を数字と組む考え方が積み上げてきた向き
順に置く。2006年、Guest たちが、飽和で標本の大きさが決まるという考え方を実地に示す。2007年、Johnson たちが、混合研究法とは何かを定義する。2009年、Small が、定性には固有の事例選びの論理があると論じる。2010年、Tashakkori と Teddlie が、混合研究法を一冊に体系化し、2017年、Hennink たちが、飽和にコードの飽和と意味の飽和の段階があると区別し、2018年、Creswell と Plano Clark が、混合デザインの標準的な手引きを整えた。
この流れで確からしくなったのは、「定性は数字の飾り」ではない。確からしくなったのは、定性は独自の論理と標本論と厳密さの基準を持ち、数字にならない発見——仕組み・意味・想定外——を掘り当てる、数字と対等な相棒だ、という向きのほうである。方法論の定義から、標本の論理、飽和の基準、その段階まで、別々の研究が、定性を「厳密な方法」として支える柱を、一本ずつ立ててきた。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「数字が本物のデータで、声はただの感想だ」という格付けだ。この格付けがあると、数字と食い違う声が出てきたとき、声のほうを「例外」「気のせい」として切り捨ててしまう。だが、その声こそ、数字が取りこぼした仕組みを教えていることがある。もうひとつの妨げは、逆に「生の声がいちばん正しい」と、一人の強い声に引っぱられること——定性にも、深く掘るための選び方と、飽和という止めどきがある。声なら何でも重い、わけではない。
助けになるのは、数字を見るときに、その数字の隣に、「この数字の裏で、実際に何が起きていたか」を語る、数字にならない観察を、一つ並べて置くことだ。売上が落ちた、という数字の隣に、レジで客が漏らした一言を置く。二つを突き合わせると、数字だけ・声だけでは見えなかった「なぜ」が、立ち上がってくる。数字と声は、どちらかがどちらかの飾りではなく、二人一組で初めて像を結ぶ。
最初の一歩は10分。自分の商いの数字を一つ選び、その数字の隣に、それにまつわる「数字にならない観察」——客の一言、現場で見たこと、自分が引っかかった違和感——を、思い出せるだけ書き出す。そして、その観察が、数字だけでは分からなかった「なぜ」や「仕組み」を、一つでも教えていないかを確かめる。立派な調査をする必要はない——自分の数字と、自分が拾った声を、対等に並べる棚卸しのメモとして完結する。顧客や従業員の個人データを材料にする必要はない。数字と声をただ隣り合わせに並べて置くだけで、片方だけでは決して見えなかった像が、少しだけ立ち上がってくる。
これで、読む力の緑の段を歩ききった。相関と因果、グラフのトリック、検定、そして定性の声——数字を鵜呑みにせず読む道具が、ひととおりそろった。次の段では、その読んだ数字を、どう伝え、どう決定に結びつけるか——数字を使う力に進む。
- この棚の読者は自分の商いの数字を自分で見て決める人で、緑の段(読む力)の締めとして定性(言葉や観察で捉える)と定量(数で測る)を組み合わせる読み方を扱う。俗説は定性は数字の飾り・添え物で、この単位は定性が独自の論理と厳密さの基準を持った数字と対等な相棒であることを示す(定性を主観的で当てにならないとは断定しない)
- 混合研究法は装飾でなくれっきとした方法論だ。Johnson ら 2007は、混合研究法が定性と定量それぞれの強みを統合する正当な一つの方法論であることを定義した。数字は何がどれだけ起きたかを広く正確に教えるが、なぜ起きたか・裏で人が何を感じどう動いたかは数字の列からは出てこない。定性はその『なぜ』や『仕組み』を掘り当て、二つは互いの見えない部分を補い合う
- 定性には固有の標本の論理がある。Small 2009は、定量が全体を代表させるためにたくさん偏りなく集めるのに対し、定性は理論的・分析的な理由でこの事例を見れば何が学べるかを考えて選ぶことを示した。だから定性でnが小さい=弱いと考えるのは定量のものさしを別の論理の世界に当てているだけで、数の少なさをそのまま質の低さと読み替えてはいけない
- 定性の少数事例は、全体の割合を当てるためでなく、どんな仕組みが働いているか・何が起こりうるかを深く掘るためのものだ。一人の客の話が、百人分の集計では見えなかった落とし穴をまるごと照らし出すことがある。少数だから弱いのではなく、少数を深く見るのがそもそもの狙いである。数える調査と深く掘る調査は、ものさしが違う
- 定性の厳密さには飽和という目安がある。Guest ら 2006は、話を聞き重ねて新しい発見が出てこなくなった状態を飽和と呼び、標本の大きさが飽和で決まることを扱った。Hennink ら 2017は飽和にコードの飽和(話題の種類が出尽くす)と意味の飽和(意味を理解し尽くす)の段階があると区別した。いい加減な切り上げともやみくもな数集めとも違う、自前の止めどきの基準を持つ
- 確からしくなったのは定性は数字の飾りではなく、定性は独自の論理と標本論と厳密さの基準を持ち、数字にならない発見(仕組み・意味・想定外)を掘り当てる数字と対等な相棒だ、という向きである。Creswell & Plano Clark 2018・Tashakkori & Teddlie 2010がこの組み合わせ方を体系化した
- 最初の一歩は10分。自分の商いの数字を一つ選び、その隣にそれにまつわる数字にならない観察(客の一言・現場で見たこと・引っかかった違和感)を書き出し、その観察が数字だけでは分からなかったなぜや仕組みを教えていないかを確かめる。立派な調査は要らず、自分の数字と拾った声を対等に並べる棚卸しのメモとして完結する。個人データは材料にしない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 数字が本物のデータで、定性は数字を彩る飾り・エピソードの添え物にすぎない | 定性は数字の飾りではなく、独自の論理と厳密さの基準を持った対等な相棒だ。Johnson ら 2007は、混合研究法が定性と定量それぞれの強みを統合する正当な一つの方法論であることを定義した。数字は何がどれだけ起きたかを広く正確に教えるが、なぜ起きたか・その裏で人が何を感じどう動いたかは数字の列からは出てこない。定性はその『なぜ』や『仕組み』を掘り当てる。二つは互いの見えない部分を補い合う、役割の違う対等な二つの目である |
| 数人に話を聞いただけの定性は、nが小さいから当てにならない | 定性で n が小さい=弱いと考えるのは、定量のものさしを別の論理で動く世界に当てているだけだ。Small 2009は、定性の事例選びに定量とは別の論理があることを示した。定量が全体を代表させるためにたくさん偏りなく集めるのに対し、定性は理論的・分析的な理由でこの事例を見れば何が学べるかを考えて選ぶ。少数事例は全体の割合を当てるためでなく、どんな仕組みが働いているか・何が起こりうるかを深く掘るためのもので、一人の話が集計では見えなかった落とし穴を照らすことがある |
| 定性は気が済むまで聞くだけで、どこまでやれば足りるという基準がない | 定性の厳密さにも目安がある。Guest ら 2006が扱った飽和は、話を聞き重ねて新しい発見がもう出てこなくなった状態で、ここまで聞けば足りるの目安になる。標本の大きさはあらかじめ何人と決めるのでなく飽和で決まる。しかも飽和には段階があり、Hennink ら 2017はコードの飽和(話題の種類が出尽くす)と意味の飽和(それぞれの意味を理解し尽くす)を区別した。いい加減に切り上げるのともやみくもに数を集めるのとも違う、飽和という自前の止めどきの基準を定性は持つ |
皮肉なのは、数字を扱うのが得意な人ほど、数字と食い違う声を、真っ先に切り捨てがちなことだ。きれいに集計された表の前では、レジでこぼれた一言や、現場でふと覚えた違和感は、頼りない例外のように見えてしまう。だが、その頼りなく見える声こそ、表がまるごと取りこぼした仕組みを、握っていることがある。数字と声を、本物と飾りに格付けした瞬間、私たちは、片方の目を自分でふさいでいる。読む力の緑の段が最後に置くのは、この一点だ——数字は『どれだけ』を、声は『なぜ』を語り、二つは対等な二人一組で初めて像を結ぶ。数字を鵜呑みにしない力とは、数字を軽んじる力ではなく、数字と声を、どちらも安売りせずに突き合わせる力のことだ。次の段では、こうして読んだ数字を、どう伝え、どう決定に結びつけるかへ進む。
Q1. 『定性は数字の飾り』はなぜ値切られるのか。定性と定量の役割の違いに触れて説明せよ。一問一答
Q2. 『定性は n が小さいから当てにならない』という見方について、Small 2009をふまえた説明として正しいものはどれか。選択
Q3. Guest ら 2006の『飽和』とは、話を聞き重ねて新しい ____ がもう出てこなくなった状態で、定性の標本の大きさは事前の人数指定ではなく ____ で決まる。Hennink ら 2017はこれに、話題の種類が出尽くす『____ の飽和』と、意味を理解し尽くす『意味の飽和』の段階を区別した。穴埋め
Q4. 数字と数字にならない声を『本物と飾り』に格付けすると何を失うか。最初の一歩でこの二つをどう扱うかとあわせて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った定性と混合研究法の研究・書籍を、年の早い順に並べよ。(ア)Johnson らが混合研究法を定義する(イ)Guest らが飽和で標本の大きさが決まると示す(ウ)Hennink らがコードの飽和と意味の飽和を区別する(エ)Small が定性に固有の事例選びの論理があると論じる並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の商いの数字を一つ選んで書く(たとえば、ある月の売上、ある商品の返品数、来客数の増減など)。次に、その数字の隣に、それにまつわる『数字にならない観察』を、思い出せるだけ書き出す——客がレジでこぼした一言、現場で見た手つきや様子、自分が引っかかった違和感など。書けたら、その観察が、数字だけでは分からなかった『なぜ』や『どういう仕組みで』を、一つでも教えていないかを確かめ、一言でまとめる。立派な調査をする必要はなく、自分の数字と、自分が拾った声を対等に並べる棚卸しのメモとして完結させる。顧客や従業員の個人データを材料にする必要はない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Johnson R.B., Onwuegbuzie A.J., Turner L.A. (2007) ‘Toward a Definition of Mixed Methods Research’, Journal of Mixed Methods Research 1(2):112-133 — doi.org
- Small M.L. (2009) ‘“How many cases do I need?” On science and the logic of case selection in field-based research’, Ethnography 10(1):5-38 — doi.org
- Guest G., Bunce A., Johnson L. (2006) ‘How Many Interviews Are Enough? An Experiment with Data Saturation and Variability’, Field Methods 18(1):59-82 — doi.org
- Hennink M.M., Kaiser B.N., Marconi V.C. (2017) ‘Code Saturation Versus Meaning Saturation: How Many Interviews Are Enough?’, Qualitative Health Research 27(4):591-608 — doi.org
- Creswell J.W., Plano Clark V.L. (2018) Designing and Conducting Mixed Methods Research, 3rd edn. Thousand Oaks, CA: SAGE — openlibrary.org
- Tashakkori A., Teddlie C. (eds.) (2010) SAGE Handbook of Mixed Methods in Social & Behavioral Research, 2nd edn. Thousand Oaks, CA: SAGE — openlibrary.org