「グラフは嘘をつかない」ではない——正しい数字でも、描き手の意図(歪み)と読み手の知覚(符号化の限界)の双方で人は誤らされる。だから見抜く目が要る
グラフは数字をそのまま映すのだから嘘はつかない——そう思いたくなる。だが同じ数字でも、描き方しだいでまるで違う話に見える。縦軸をゼロからでなく途中から始めれば、わずかな差が劇的な差に見え、数字は一つも変えていないのに印象だけが膨らむ。しかも人間の目には、面積や角度を正確に読めないクセや、並んだ図にありもしない因果を見てしまうクセがある。正しい数字から作られたグラフでも、意図と知覚の両方で人を誤らせる。だから読み手には、見抜く目が要る。
数字のトリックを見抜く——「グラフは嘘をつかない」ではない。意図と知覚の両方で、人は誤らされる
前の単位では、相関と因果の見分けを扱った。数字が一緒に動くことと、一方が他方を起こすことは別だった。ここでは、その数字を映すグラフそのものの読み方を扱う。同じ数字でも、描き方しだいで、まるで違う話に見えてしまう。
はじめに、この単位の立場をはっきりさせておく。ここで学ぶのは、人を誤らせるグラフの「作り方」ではない。読み手として、誤らせるグラフを「見抜く」技術だ。よく聞くのは「グラフは数字をそのまま映すのだから、嘘はつかない」という声である。数字が正しければ、グラフも正しい、と。
この単位が示すのは、それが誤りだ、ということだ。グラフは、二つの道で読み手を誤らせる。一つは意図——描き手が、都合よく見えるように歪める道。もう一つは知覚——描き手にその気がなくても、人間の目のクセによって、勝手に誤って読まれてしまう道だ。正しい数字から作られたグラフでも、この二つの道で、平気で人を誤らせる。順に見ていく。
歪みは、測れるほどはっきり読み手を誤らせる
まず、意図的な歪みから。Pandey たちが2015年に、同じ数字を、ふつうに描いたグラフと、よくある手口で歪めたグラフの両方で人に見せ、読み取りがどう変わるかを実際に測った。すると、軸の途中を切り詰める、面積で大きさを表して錯覚させる、といった手口は、読み手の受け取りを、測れるほどはっきりと変えた。
いちばん分かりやすいのが、縦軸の切り詰めだ。棒グラフの縦軸を、ゼロからでなく途中から始めると、わずかな差が、劇的な差に見える。数字は一つも変えていないのに、見た目の印象だけが、大きく膨らむ。これは「嘘」ではない——数字はすべて正しい。だが、正しい数字が、正しくない印象を運ぶ。だからこそ、読み手の側が、「この縦軸は、どこから始まっているか」を最初に確かめる必要がある。グラフを見たら数字より先に、まず軸を見る。これが、見抜く技術の第一歩だ。
なぜ、この一手がそれほど効くのか。人は、グラフを見るとき、目盛りの数字を一つずつ読むのではなく、棒や線の「見た目の大きさの比」を、ひとめで受け取ってしまう。右の棒が左の三倍の高さに見えれば、頭は「三倍だ」と感じる。ところが、その高さの比は、軸をどこから始めるかで、いくらでも変わる。ゼロから始めれば実際の比になるが、途中から始めれば、実際は一割の差が、見た目では倍以上にもなる。つまり、切り詰めは、数字ではなく、私たちが最初に受け取る「比の感覚」を書き換えている。だから、中身の数字をじっくり読む前に、この感覚が正しい土台の上に立っているかを、軸で確かめておく必要がある。順番が大事だ——印象を受け取ってから軸を見たのでは、もう最初の印象に引きずられている。
「切り詰め=悪」でもない——だから見抜く目が要る
では、縦軸を切り詰めるのは、いつでも悪なのか。ここが、機械的な暗記が効かないところだ。Correll たちが2020年に調べたところ、縦軸の切り詰めの影響は条件しだいで、常に有害でも、常に無害でもなかった。小さいけれど重要な変化を見せたいときには、切り詰めが理にかなう場面もある。
つまり、「切り詰めは絶対にダメ」と覚えるのは、正しくない。かといって「切り詰めても無害」でもない。効き方は、何を伝えたいか・どれだけの差か、で変わる。だから、必要なのは、ルールの丸暗記ではなく、その都度「この軸の取り方は、この差を、実際より大きく(または小さく)見せていないか」と、自分の目で確かめる力だ。ここでも、符号化のもう一つの落とし穴が絡む。Cleveland と McGill が1984年に示したのは、人間が量を読み取る精度は、それを何で表したか(位置・長さ・角度・面積・色)で大きく違う、ということだった。位置や長さは比較的正確に読めるが、面積や角度は、不正確に読まれる。だから、円グラフや、大きさを面積で表す図は、描き手にその気がなくても、読み手を誤らせやすい。半分と三分の一の違いを、面積の円で正確に当てるのは、実はとても難しい。
ここに、この単位の芯がある。切り詰めの話も、面積の話も、結局は同じことを言っている——グラフは、正しい数字を、人間の目が読み違えやすい形に「翻訳」する装置だ、ということだ。そして、その翻訳のどこで読み違いが起きやすいかは、悪意のあるなしとは関係がない。悪意のある描き手は、その読み違いを利用して都合よく見せる。悪意のない描き手も、読み違いの起きやすい形を、知らずに選んでしまう。どちらの場合でも、被害を受けるのは読み手だ。だから、見抜く側にとって大事なのは、「この人はだまそうとしているか」を勘ぐることではなく、「この描き方は、そもそも読み違いが起きやすい形か」を、描き手の意図と切り離して点検することである。意図を問うより、形を問う。そのほうが、ずっと確実に身を守れる。
知覚は、ありもしない因果まで見せる
知覚のクセは、大きさの読み違いにとどまらない。Xiong たちが2020年に示したのは、データを図にして見せると、そこに、ありもしない因果関係の印象まで生まれる、ということだった。二つの量を並べて描くと、人は、片方がもう片方を起こしているかのように読んでしまう——前の単位で見た、相関と因果の混同が、グラフの上でさらに強められるのだ。
こうした「何が人を誤らせるか」は、思いつきではなく、科学としてすでに整理されている。Franconeri たちが2021年に、視覚的なデータ伝達について分かっていることを総括した(これは前の段のダッシュボードの単位でも触れた整理を、今度は見抜く側から使うものだ)。そして、さかのぼれば Huff が1954年に、『統計でウソをつく法』という古典で、こうした手口をひととおり目録にしていた。皮肉な題名だが、中身は、だまされないための手引きだ。手口を知ることは、手口を使うためではなく、見破るためにある。
この「ありもしない因果」は、自分の商いの数字でこそ起きやすい。たとえば、広告費のグラフと売上のグラフを上下に並べて置くと、二本の線が似た形で動いているだけで、「広告が売上を押し上げている」と読みたくなる。だが、並べて描いたこと自体は、因果の証拠にはならない。前の単位で見たとおり、その裏には季節や別の施策という共通の原因があるかもしれず、順序が逆かもしれない。グラフは、この相関と因果の混同を、視覚の力で後押ししてしまう。だから、二つの量が並んでいて、思わず「片方が片方を」と読みたくなったら、それはグラフに因果を足されているサインだ。図が語っているのは相関までで、因果は、前の単位の四つの問いを通さないかぎり、出てこない。
時間・変化:グラフの読み方が積み上げてきた向き
順に置く。1954年、Huff が、統計とグラフの手口を目録にする。1984年、Cleveland と McGill が、符号化で読みの精度が変わると示す。2015年、Pandey たちが、歪みが読み手を測れるほど誤らせると示す。2020年、Correll たちが、切り詰めの影響は条件しだいだと示し、同じ年、Xiong たちが、図はありもしない因果印象を生むと示す。2021年、Franconeri たちが、何が伝わり何が誤らせるかを科学として総括した。
この流れで確からしくなったのは、「グラフは嘘をつかない」ではない。確からしくなったのは、グラフは、描き手の意図(歪み)と、読み手の知覚(符号化の限界)の双方で人を誤らせる——だから、正しい数字でも、見抜く目が要る、という向きのほうである。七十年近くにわたる別々の研究——古典の目録から、知覚の実験、歪みの測定、科学的な総括まで——が、口をそろえて言うのは、こうだ。グラフの正しさは、数字の正しさとは、別に確かめなければならない。数字が正しいことと、その数字が正しく伝わることは、別の仕事なのである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「数字が正しいのだから、このグラフは信じていい」という思い込みだ。数字の正しさは、印象の正しさを、まったく保証しない。もうひとつの妨げは、逆に「グラフはどうせ操作されている」と、すべてを疑って何も読まないこと——それでは、正しく描かれたグラフからも、何も学べなくなる。
助けになるのは、グラフを見たら、数字を読む前に、三つの点検を通すことだ。第一に、縦軸は、どこから始まっているか(切り詰めで差が膨らんでいないか)。第二に、大きさは、何で表されているか(面積や角度で、正確に読めない形になっていないか)。第三に、並べられた二つの量に、ありもしない因果を読まされていないか。この三点を通してから、はじめて中身を読む。歪めるためではなく、歪みに気づくための点検だ。三つとも五秒ずつ、合わせて十五秒あれば足りる。慣れれば、グラフを見た瞬間に、ほとんど反射のように軸へ目が行くようになる。
最初の一歩は10分。自分が最近見た(あるいは自分で作った)グラフを一枚選び、三つの点検——軸の始まり・大きさの表し方・因果の読まされ——を順にあて、それぞれ「問題なし」か「ここが誤解を生みうる」かを一言書く。誰かのグラフの粗探しをする必要はない——自分の数字を、より正しく読み直すためのメモとして完結する。この三点検が習慣になれば、どれほどきれいに整えられたグラフの印象にも、そのまま飲み込まれずにすむ。
次の単位では、そのグラフが示している差が、そもそも意味のある差なのか——「有意」と「重要」の違い、統計的検定の読み方を扱う。
- この棚の読者は自分の商いの数字を自分で見て決める人で、緑の段2単位目としてグラフ・統計の読み方を扱う。学ぶのは人を誤らせるグラフの作り方ではなく、読み手として見抜く技術である。俗説はグラフは数字をそのまま映すから嘘をつかないで、この単位はグラフが意図(歪み)と知覚(符号化の限界)の双方で人を誤らせることを示す
- 意図的な歪みは測れるほど読み手を誤らせる。Pandey ら 2015は、軸の途中を切り詰める・面積で錯覚させるといった手口が読み手の受け取りを測れるほどはっきり変えることを示した。縦軸をゼロからでなく途中から始めると数字を一つも変えなくてもわずかな差が劇的に見える。正しい数字が正しくない印象を運ぶので、グラフを見たら数字より先にまず軸の始まりを確かめる
- 切り詰めは常に悪でも常に無害でもない。Correll ら 2020は、縦軸の切り詰めの影響が条件しだいで小さいが重要な変化を見せたいときには理にかなう場面もあることを示した。だからルールの丸暗記ではなく、この軸の取り方がこの差を実際より大きくまたは小さく見せていないかを自分の目で確かめる力が要る
- 量の読みは符号化で精度が変わる。Cleveland & McGill 1984は、人が量を読み取る精度が何で表したか(位置・長さ・角度・面積・色)で大きく違い、位置や長さは比較的正確だが面積や角度は不正確に読まれることを示した。だから円グラフや大きさを面積で表す図は、描き手にその気がなくても読み手を誤らせやすい
- 知覚はありもしない因果まで見せる。Xiong ら 2020は、二つの量を並べて図にすると片方がもう片方を起こしているかのように読まれることを示した。前の単位の相関と因果の混同がグラフの上で強められる。何が誤らせるかは科学として整理され(Franconeri ら 2021)、Huff 1954が古典で手口を目録にした。手口を知るのは使うためでなく見破るためである
- 確からしくなったのはグラフは嘘をつかないではなく、グラフは描き手の意図(歪み)と読み手の知覚(符号化の限界)の双方で人を誤らせる——だから正しい数字でも見抜く目が要る、という向きである。数字の正しさは印象の正しさを保証しない
- 最初の一歩は10分。最近見たか自分で作ったグラフを一枚選び、三つの点検(軸の始まり・大きさの表し方・因果の読まされ)を順にあて、それぞれ問題なしかここが誤解を生みうるかを一言書く。誰かの粗探しをする必要はなく、自分の数字をより正しく読み直すメモとして完結する
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| グラフは数字をそのまま映すのだから、数字が正しければグラフも正しく、嘘はつかない | 数字の正しさは印象の正しさを保証しない。グラフは意図と知覚の二つの道で読み手を誤らせる。Pandey ら 2015は、軸の途中を切り詰める・面積で錯覚させるといった手口が読み手の受け取りを測れるほどはっきり変えることを示した。縦軸をゼロからでなく途中から始めれば数字を一つも変えなくてもわずかな差が劇的に見える。正しい数字が正しくない印象を運ぶので、読み手はまず軸の始まりを確かめる必要がある |
| 縦軸の切り詰めは常に悪いごまかしだから、切り詰めたグラフは信じてはいけない | 切り詰めは常に悪でも常に無害でもない。Correll ら 2020は、縦軸の切り詰めの影響が条件しだいで、小さいが重要な変化を見せたいときには理にかなう場面もあることを示した。だからルールの丸暗記ではなく、その軸の取り方がこの差を実際より大きくまたは小さく見せていないかを自分の目で確かめる力が要る。あわせてCleveland & McGill 1984が示したように、量の読みは符号化(位置・長さ・角度・面積・色)で精度が違い、面積や角度は不正確に読まれる |
| グラフを見ても、そこから因果関係を読み取ることはないから安心だ | 人の知覚は大きさの読み違いにとどまらず、ありもしない因果まで見せる。Xiong ら 2020は、二つの量を並べて図にすると片方がもう片方を起こしているかのように読まれることを示した。前の単位で見た相関と因果の混同が、グラフの上でさらに強められる。こうした何が誤らせるかは科学として整理されており(Franconeri ら 2021)、さかのぼればHuff 1954が古典でその手口を目録にした。手口を知るのは使うためでなく見破るためである |
皮肉なのは、いちばん美しく、いちばん説得力のあるグラフほど、点検を素通りされやすいことだ。整った配色、なめらかな線、堂々とした見出し——出来のよさは、それだけで正しさの証のように見えてしまう。だが、美しさは印象を強めこそすれ、印象の正しさを保証しない。むしろ、強い印象を運ぶグラフほど、軸の始まりや大きさの表し方を、いちど疑ってみる値打ちがある。グラフを読む力のほんとうの値打ちは、きれいな図を鵜呑みにする速さでも、何もかも疑う頑固さでもなく、正しい数字と正しい印象は別だと知ったうえで、三つの点検を静かに通せることにある。作り手を責めるためではない。自分が、正しくない印象に飲み込まれないためだ。次は、そのグラフが示す差が、そもそも意味のある差なのかへ進む。
Q1. 『グラフは嘘をつかない』はなぜ値切られるのか。グラフが人を誤らせる二つの道に触れて説明せよ。一問一答
Q2. 棒グラフの縦軸を、ゼロからではなく ____ から始めると、数字を一つも変えていないのに、わずかな差が ____ 差に見える。だからグラフを見たら数字より先に、まず ____ を確かめる。穴埋め
Q3. Cleveland & McGill 1984が示した『符号化による読みの精度の違い』の説明として正しいものはどれか。選択
Q4. この単位が『縦軸の切り詰めは常に悪だと覚えるのは正しくない』と言うのはなぜか。Correll ら 2020をふまえ、そこから導かれる読み手の構えとともに述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱ったグラフの読み方の研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Pandey らが歪みは測れるほど誤らせると示す(イ)Huff が手口を古典で目録にする(ウ)Franconeri らが何が誤らせるかを科学として総括する(エ)Cleveland & McGill が符号化で読みの精度が変わると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分が最近見た、あるいは自分で作ったグラフを一枚選んで、何のグラフかを一言書く。次に、三つの点検を順にあて、それぞれ『問題なし』か『ここが誤解を生みうる』かを一言ずつ書く。①軸の始まり——縦軸はゼロから始まっているか、切り詰めでわずかな差が膨らんでいないか。②大きさの表し方——大きさが面積や角度(円グラフ・バブル)で表され、正確に読めない形になっていないか。③因果の読まされ——並べられた二つの量に、ありもしない因果を読まされていないか。誰かのグラフの粗探しをするのではなく、自分の数字をより正しく読み直すためのメモとして完結させる。特定のツールやサービスの優劣を論じる必要はない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Pandey A.V., Rall K., Satterthwaite M.L., Nov O., Bertini E. (2015) ‘How Deceptive are Deceptive Visualizations? An Empirical Analysis of Common Distortion Techniques’, Proceedings of the 33rd Annual ACM Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI 2015):1469-1478 — doi.org
- Correll M., Bertini E., Franconeri S. (2020) ‘Truncating the Y-Axis: Threat or Menace?’, Proceedings of the 2020 CHI Conference on Human Factors in Computing Systems (CHI 2020):1-12 — doi.org
- Cleveland W.S., McGill R. (1984) ‘Graphical Perception: Theory, Experimentation, and Application to the Development of Graphical Methods’, Journal of the American Statistical Association 79(387):531-554 — doi.org
- Xiong C., Shapiro J., Hullman J., Franconeri S. (2020) ‘Illusion of Causality in Visualized Data’, IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 26(1):853-862 — doi.org
- Franconeri S.L., Padilla L.M., Shah P., Zacks J.M., Hullman J. (2021) ‘The Science of Visual Data Communication: What Works’, Psychological Science in the Public Interest 22(3):110-161 — doi.org
- Huff D. (1954) How to Lie with Statistics. New York: W. W. Norton — openlibrary.org