「相関を見れば因果が分かる」ではない——見分けは本質的に難しい。因果は相関の外の枠組みを要し、みせかけの相関は説得力を持ち、交絡は専門家さえ欺く
相関が見えれば因果も分かる、見分けなんて簡単だ——そう思いたくなる。だが逆だ。一緒に動いて見えても、その裏には、片方が他方を起こしたのか、共通の原因が両方を動かしたのか、ただの偶然か、いくつもの可能性が畳み込まれている。チョコをよく食べる国ほどノーベル賞受賞者が多いという相関さえ、きれいに描ける。裏にあるのは国の豊かさで、チョコの効果ではない。みせかけの相関は驚くほど説得力を持ち、交絡は専門家さえ欺く。相関を眺めるだけでは、因果は出てこない。
相関と因果を見分ける——「相関を見れば因果が分かる」ではない。見分けは、むしろ難しい
前の単位では、数字を誰もが見えるようにするダッシュボードを扱った。ここから、棚の色が変わる——基盤を整える青の段から、その数字を読む力をつける緑の段に入る。最初に扱うのは、読む力の土台——相関と因果の見分けだ。
用語をほどく。相関とは、二つの数字が一緒に動くこと。片方が増えるともう片方も増える(または減る)関係だ。因果とは、一方が他方を実際に引き起こすこと。そして交絡とは、二つの数字の裏に、両方を同時に動かしている「共通の原因」が隠れていることをいう。よく聞くのは「相関が見えれば、因果も分かる」「見分けなんて簡単だ」という声である。
この単位が示すのは、その逆だ。相関と因果の見分けは、本質的に難しい。一緒に動いて見えても、その裏には、片方がもう片方を起こしているのか、共通の原因が両方を動かしているのか、ただの偶然か——いくつもの可能性が畳み込まれている。そして、みせかけの相関は、驚くほど説得力を持つ。順に見ていく。
因果は、相関の「外」にある枠組みを要る
まず、いちばん大事な区別から。因果は、相関のグラフをいくら睨んでも、そこからは出てこない。因果を語るには、相関の外にある、別の枠組みが要る。Rubin が1974年に示した潜在結果という考え方は、「もしこの施策をしていたら」と「もししていなかったら」という、同時には起こりえない二つの世界を突き合わせて、初めて因果を定義する。
Pearl が著書『The Book of Why』(2018年)で広めた因果のはしごも、同じことを別の形で言っている——「一緒に動く(相関)」を見る段と、「片方を動かしたら何が起きるか(介入)」を問う段は、はしごの別の段にあり、下の段をいくら眺めても、上の段の問いには届かない。つまり、相関は因果の材料にはなるが、それだけでは因果にならない。因果を主張するには、「他に共通の原因はないか」「順序は逆ではないか」を、枠組みをもって潰していく作業が要る。相関を眺めるだけで因果が分かるなら、こんな枠組みは要らないはずだ。
もう少しかみくだこう。二つの数字が一緒に動いているとき、その裏には、少なくとも四つの筋書きが考えられる。第一に、Aが本当にBを起こしている(本物の因果)。第二に、実はBがAを起こしている(順序が逆)。第三に、Aでもなく Bでもない第三の何かCが、AとBの両方を動かしている(共通の原因=交絡)。第四に、たまたま一緒に動いただけ(偶然)。相関のグラフは、この四つのどれであっても、まったく同じ右肩上がりに見える。だからこそ、グラフの形だけからは、どの筋書きかを言い当てられない。枠組みが要るというのは、この四つを一つずつ調べて、消していく道具立てが要る、という意味だ。
みせかけの相関は、驚くほど説得力を持つ
次に、みせかけの相関がどれほど説得力を持つかを見る。Messerli が2012年に、国ごとのチョコレート消費量と、人口あたりのノーベル賞受賞者数を並べたところ、みごとに右肩上がりの相関が出た。グラフだけ見れば「チョコを食べる国ほど頭が良くなる」と言いたくなる。
だが、これはみせかけだ。裏には「その国の豊かさ」という共通の原因がある。豊かな国ほど、チョコもよく消費し、研究にも金をかけられる——だから両方が一緒に増えて見えるだけで、チョコが賞をもたらすわけではない。ここで大事なのは、このグラフが、いかにも本当らしく見える、という点だ。数字はきれいに並び、相関ははっきりしている。みせかけの相関は、でたらめには見えない。だからこそ、見た目の説得力に引きずられず、「裏に共通の原因はないか」と一度立ち止まる癖が要る。(これはみせかけの相関の実例であって、チョコや健康についての助言ではない。)
この例が教えてくれるのは、みせかけの相関を見破る鍵が、たいてい「グラフの外」にある、ということだ。散布図の中をどれだけ細かく見ても、豊かさという共通の原因は、その図には描かれていない。それは、自分の頭の中で「この二つを、同時に動かしそうな第三のものは何か」と問うて、初めて浮かび上がる。数字そのものは、交絡を教えてくれない。教えてくれるのは、その数字が置かれた文脈についての、こちらの知識のほうだ。だから、相関を読むときにいちばん働かせるべきなのは、計算力ではなく、「他に何が効いていそうか」を想像する力である。
交絡は、専門家さえ欺く
「自分は素人だから騙されるだけだ」とは言えない。交絡は、その道の専門家さえ欺く。Lawlor たちが2004年に振り返ったのは、ホルモン補充療法(HRT)をめぐる出来事だ。多くの観察研究が、HRTを受けた人ほど心臓病が少ない、と確信的に示した。ところが、条件をそろえて比べる試験を行うと、結果は逆に近かった。
なぜ食い違ったのか。HRTを受けていた人は、もともと健康に気を配る、恵まれた層に偏っていた——その「健康への気配り」が共通の原因となって、心臓病の少なさを生んでいた。HRTそのものの効果ではなかったのだ。これほど大きな交絡が、長く専門家の目を欺いた。だからこそ、Ward が2008年に、Hernán が2018年に念を押したのは、観察データから因果を主張するには、共通の原因をはっきり洗い出して統制する作業が要る、ということだ。Hernán は、因果という言葉を避けて「関連」と婉曲に言い換えても、中身の難しさは何も改善しない、と指摘した。言葉を濁すことは、見分けの難しさを消しはしない。
この話には、自分の商いにそのまま効く教訓がある。たとえば「この施策を打った月は、売上が伸びた」という相関を見たとき、私たちは施策の効果だと思いたい。だが、その月には、給料日が重なっていたかもしれない。季節の追い風があったかもしれない。あるいは、そもそも調子のいい時期だからこそ、その施策を打つ気になった——という、順序の逆転すら起こりうる。HRTの専門家たちを欺いたのと同じ形の交絡が、規模こそ小さくとも、日々の数字の読みの中で、静かに起きている。専門家でも欺かれるのだから、自分だけは大丈夫、とは言えない。むしろ、「自分も同じように欺かれうる」と知っていることが、いちばんの守りになる。
時間・変化:相関と因果の見分けが積み上げてきた向き
順に置く。1974年、Rubin が、潜在結果という枠組みで因果を定義する。2004年、Lawlor たちが、HRTの観察研究とRCTの食い違いから、交絡が専門家を欺く様を示す。2008年、Ward が、観察データの因果主張には交絡の統制が要ると論じる。2012年、Messerli が、チョコとノーベル賞のみせかけの相関を示す。2018年、Pearl が因果のはしごを世に広め、同じ年、Hernán が、婉曲表現では因果推論は改善しないと釘を刺した。
この流れで確からしくなったのは、「相関を見れば因果が分かる」ではない。確からしくなったのは、因果は相関の外の枠組みを要し、みせかけの相関は説得力を持ち、交絡は専門家さえ欺く——だから見分けは本質的に難しい、という向きのほうである。相関を眺めるだけでは、因果は出てこない。半世紀にわたる別々の道の研究が、同じ一点を指している——数字が一緒に動くことと、一方が他方を起こすことは、まったく別の事柄だ、と。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「一緒に動いているのだから、片方がもう片方を起こしているに決まっている」という早合点だ。きれいな相関ほど、説得力があり、共通の原因を探す気を失わせる。もうひとつの妨げは、逆に「どうせ因果は分からない」と、相関から何も読まないこと——相関は因果の入口ではあり、そこから丁寧に可能性を潰していけば、確からしさは上げられる。
助けになるのは、相関を見つけたら、「これは、片方が他方を起こしたのか/逆向きではないか/裏に共通の原因はないか/ただの偶然ではないか」の四つを、声に出して問うことだ。この四つを通すだけで、早合点はぐっと減る。四つのうち一つでも消しきれないものが残れば、それはまだ因果と呼べない、というだけのことだ。因果だと断定する必要はない。むしろ、「まだ因果とは言えない、確かめるべきことが残っている」と保留できることが、読む力の第一歩だ。
保留は、優柔不断とは違う。因果を確かめる方法は、確かに存在する——たとえば、片方を実際に変えてみて、もう片方がどう動くかを見る(実験)。あるいは、共通の原因になりそうな条件をそろえた上で、なお差が残るかを見る。こうした手立てに進むには、まず「これはまだ相関にすぎない」と正しく認めることが出発点になる。因果だと早々に決めつけてしまえば、確かめる動機そのものが消える。だから、保留は前に進むための一手であって、立ち止まることではない。読む力とは、分かったふりをしない力でもある。
最初の一歩は10分。自分の商いの数字から、一緒に動いて見える二つ(たとえば、ある施策と売上)を一組選び、その横に、四つの問い——起こしたのか/逆ではないか/共通の原因はないか/偶然ではないか——を書き、それぞれに思いつく答えを一言ずつ書き添える。因果を断定する必要はない——自分の数字を、相関か因果かで一度ふるいにかけるメモとして完結する。従業員や顧客の個人データを材料にする必要はない。この四つの問いが、きれいな相関に飛びつく手を、一拍だけ止めてくれる。
次の単位では、その相関を映すグラフそのものが、いったいどう読み手を誤らせるのか——数字のトリックを見抜く力を扱う。
- この棚の読者は自分の商いの数字を自分で見て決める人で、緑の段(読む力)の頭として相関(二つの数字が一緒に動く)・因果(一方が他方を起こす)・交絡(裏に両方を動かす共通の原因)の見分けを扱う。俗説は相関を見れば因果が分かる・見分けは簡単で、この単位は見分けが本質的に難しいことを示す(個別データの因果判定はしない)
- 因果は相関の外の枠組みを要する。因果は相関のグラフをいくら睨んでも出てこない。Rubin 1974の潜在結果は施策をした世界としなかった世界を突き合わせて因果を定義し、Pearl 2018(由緒)の因果のはしごは一緒に動くを見る段と片方を動かしたら何が起きるかを問う段が別だと示す。相関は因果の材料になるが他に共通の原因はないか順序は逆ではないかを潰さなければ因果にならない
- みせかけの相関は驚くほど説得力を持つ。Messerli 2012が並べた国ごとのチョコレート消費量と人口あたりのノーベル賞受賞者数はみごとな右肩上がりの相関を描いたが、裏にはその国の豊かさという共通の原因があり、チョコが賞をもたらすわけではない。数字はきれいに並ぶからこそ見た目の説得力に引きずられず裏に共通の原因はないかと立ち止まる(これは実例であって健康の助言ではない)
- 交絡は専門家さえ欺く。Lawlor ら 2004が振り返ったホルモン補充療法(HRT)では、多くの観察研究がHRTを受けた人ほど心臓病が少ないと確信的に示したが、条件をそろえた試験では結果は逆に近かった。HRTを受けた人が健康に気を配る恵まれた層に偏り、その気配りが共通の原因となっていたためで、HRT自体の効果ではなかった。大きな交絡が長く専門家の目を欺いた
- 観察データから因果を主張するには交絡の統制と誠実さが要る。Ward 2008・Hernán 2018は、共通の原因をはっきり洗い出して統制する作業が要ると論じ、Hernánは因果という言葉を避けて関連と婉曲に言い換えても中身の難しさは改善しないと指摘した。言葉を濁すことは見分けの難しさを消しはしない
- 確からしくなったのは相関を見れば因果が分かるではなく、因果は相関の外の枠組みを要し、みせかけの相関は説得力を持ち、交絡は専門家さえ欺く——だから見分けは本質的に難しい、という向きである。相関は因果の入口ではあるが、そこから丁寧に可能性を潰していってはじめて確からしさが上げられる
- 最初の一歩は10分。自分の商いの数字から一緒に動いて見える二つを一組選び、四つの問い(起こしたのか/逆ではないか/共通の原因はないか/偶然ではないか)を書いてそれぞれに答えを一言添える。因果を断定する必要はなく、相関か因果かで一度ふるいにかけるメモとして完結する。従業員や顧客の個人データを材料にしない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 二つの数字が一緒に動いていれば、片方がもう片方を起こしている(相関を見れば因果が分かる) | 一緒に動いて見えても、片方が他方を起こしたのか、共通の原因が両方を動かしたのか、偶然かは相関だけでは分からない。因果は相関の外の枠組みを要する。Rubin 1974の潜在結果は、施策をした世界としなかった世界を突き合わせて初めて因果を定義し、Pearl 2018の因果のはしごは、一緒に動くを見る段と片方を動かしたら何が起きるかを問う段が別だと示す。相関は因果の材料にはなるが、他に共通の原因はないか・順序は逆ではないかを枠組みで潰さなければ因果にはならない |
| みせかけの相関はでたらめに見えるから、見ればすぐ分かる | みせかけの相関はでたらめには見えず、驚くほど説得力を持つ。Messerli 2012が並べた国ごとのチョコレート消費量と人口あたりのノーベル賞受賞者数は、みごとに右肩上がりの相関を描いた。だが裏にはその国の豊かさという共通の原因があり、豊かな国ほどチョコも消費し研究にも金をかけられるので両方が一緒に増えて見えるだけである。数字はきれいに並び相関ははっきりしているからこそ、見た目の説得力に引きずられず裏に共通の原因はないかと立ち止まる癖が要る(これは実例であって健康の助言ではない) |
| 専門家がきちんと分析したデータなら、因果は正しく読めているはずだ | 交絡は専門家さえ欺く。Lawlor ら 2004が振り返ったホルモン補充療法(HRT)では、多くの観察研究がHRTを受けた人ほど心臓病が少ないと確信的に示したが、条件をそろえた試験では結果は逆に近かった。HRTを受けた人がもともと健康に気を配る恵まれた層に偏り、その気配りが共通の原因となっていたためで、HRT自体の効果ではなかった。だからWard 2008・Hernán 2018は、観察データの因果主張には共通の原因を洗い出して統制する作業が要り、関連と婉曲に言い換えても難しさは改善しないと念を押した |
皮肉なのは、相関がきれいであればあるほど、危ういということだ。ぴたりと重なる二本の線、右肩上がりにそろう点の群れ——見た目が整っているほど、そこに物語を読み込みたくなり、共通の原因を探す気は失せる。だが、整った相関は、因果の証拠ではない。豊かさがチョコと賞を同時に押し上げたように、整った見た目の裏で、共通の原因が両方を動かしているだけかもしれない。相関を読む力のほんとうの値打ちは、因果を言い当てる速さではなく、きれいな相関を前にして、なお四つの問い——起こしたのか、逆ではないか、共通の原因はないか、偶然ではないか——を通せることにある。断定を一拍こらえ、確かめるべきことを確かめるべきこととして残せること。それが、数字に飛びつかず数字を読む、いちばん最初の作法だ。次は、その相関を映すグラフそのものが読み手をどう誤らせるかへ進む。
Q1. 『相関を見れば因果が分かる』はなぜ値切られるのか。因果が相関の外の枠組みを要することに触れて説明せよ。一問一答
Q2. Messerli 2012のチョコレート消費とノーベル賞受賞者数の相関は、何の実例として引かれているか。選択
Q3. Lawlor ら 2004のHRTの例で、観察研究と条件をそろえた試験の結論が食い違ったのはなぜか。『交絡』の語を使って説明せよ。一問一答
Q4. Hernán 2018によれば、観察データからの因果推論で、因果という語を避けて『____』などと婉曲に言い換えても、推論の ____ は改善しない。穴埋め
Q5. この単位が扱った相関と因果の研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Messerli がチョコとノーベル賞のみせかけの相関を示す(イ)Rubin が潜在結果で因果を定義する(ウ)Pearl が因果のはしごを世に広める(エ)Lawlor らがHRTの観察と試験の逆転を示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の商いの数字から、一緒に動いて見える二つ(たとえば、ある施策と売上、天気と来客、曜日と注文数など)を一組選んで書く。次に、その横に四つの問いを書き、それぞれに思いつく答えを一言ずつ書き添える。①片方がもう片方を起こしたのか。②逆向きではないか(結果が原因に見えていないか)。③裏に、両方を同時に動かしている共通の原因はないか。④ただの偶然ではないか。因果だと断定する必要はなく、むしろ『まだ因果とは言えない、確かめるべきことが残っている』と保留してよい。自分の数字を相関か因果かで一度ふるいにかけるメモとして完結させる。従業員や顧客の個人データを材料にする必要はない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Rubin D.B. (1974) ‘Estimating causal effects of treatments in randomized and nonrandomized studies’, Journal of Educational Psychology 66(5):688-701 — doi.org
- Pearl J., Mackenzie D. (2018) The Book of Why: The New Science of Cause and Effect. New York: Basic Books — openlibrary.org
- Messerli F.H. (2012) ‘Chocolate Consumption, Cognitive Function, and Nobel Laureates’, New England Journal of Medicine 367(16):1562-1564 — doi.org
- Lawlor D.A., Davey Smith G., Ebrahim S. (2004) ‘Commentary: The hormone replacement–coronary heart disease conundrum: is this the death of observational epidemiology?’, International Journal of Epidemiology 33(3):464-467 — doi.org
- Ward A. (2008) ‘Addressing confounding errors when using non-experimental, observational data to make causal claims’, Synthese 163(3):321-333 — doi.org
- Hernán M.A. (2018) ‘The C-Word: Scientific Euphemisms Do Not Improve Causal Inference From Observational Data’, American Journal of Public Health 108(5):616-619 — doi.org