「ダッシュボードで誰でも見える」——だが見えることは読めることでなく、可視化は知覚を誤らせうる。効果は道具でなく設計と読み手に宿る
見るべき数字を決め、集め、質を保ったら、それを見える形にする番だ。だが『見えること』は『読めること』ではなく、『読めること』も『正しく判断できること』ではない。可視化には『何が効くか』の科学があり、人の知覚には系統的な癖がある(Franconeri ら 2021)。グラフを見てから判断に至るには認知の段階があり、そのどこでも誤りが生じる(Padilla ら 2018)。作り手は『知識の呪い』で、自分に見える明瞭さを読み手も共有すると錯覚する(Xiong ら 2020)。BI/ダッシュボードの効果は道具より組織に依存し(Richards ら 2017)、名著が設計原則を丁寧に説くのは、放っておくと多くが伝わらないからだ(Few 2013、Tufte 2001)。見せることと、伝わることは別である。
「ダッシュボードで誰でも見える」——見えることは、読めることではない
前の単位までで、見るべき数字を決め、集め、質を保つ、という土台を積んできた。青段(基盤)の締めとして、ここでは、その数字を見える形にする話を扱う。数字を一覧できる画面をダッシュボード(もとは車の計器盤)という。売上、在庫、客数——大事な数字を一枚にまとめて、いつでも眺められるようにする道具だ。
「ダッシュボードを作れば、誰でも数字を見て、状況が分かるようになる」——そう考えたくなる。見えるようにさえすれば、あとは伝わる、と。だが、この単位が最初に置く注意はこうだ。「見えること」は、「読めること」ではない。そして「読めること」も、「正しく判断できること」ではない。 数字が画面に並んでいることと、その意味が伝わることの間には、はっきりした距離がある。同じグラフを見ても、ある人は要点を掴み、ある人は取り違え、ある人は何も感じない。見せることと、伝わることは、別なのだ。この距離こそが、この単位の主題である。ダッシュボードを作る側は、つい「情報を出すこと」に集中してしまう。あの数字もこの数字も載せて、漏れがないように、と。だが、受け取る側にとって、情報は、多ければ多いほど良いわけではない。むしろ、詰め込まれた画面は、どこを見ればいいのか分からず、結局、何も読み取れないまま閉じられる。「見える」を増やすことと、「伝わる」を増やすことは、しばしば逆を向く。
可視化には科学があり、直感で分かるとは限らない
「グラフにすれば、直感的に分かる」——これも、半分しか正しくない。何をどう見せれば伝わるかには、実は「科学」があり、人の目と脳の受け取り方(知覚)には、系統的な癖がある。
Franconeri、Padilla、Shah、Zacks、Hullman が2021年に、視覚でデータを伝えるときに「何が効くか」を、研究を束ねて整理した。人は、棒の長さは正確に比べられるが、面積や角度の比較は苦手だ、といった具合に、伝わりやすい見せ方と、誤解を招きやすい見せ方が、はっきり分かれている。だから、同じデータでも、どう描くかで、伝わり方はまるで変わる。さらに Padilla、Creem-Regehr、Hegarty、Stefanucci が2018年に、グラフを見てから判断に至るまでには、いくつもの認知の段階があり、そのどこでも誤りが生じうることを整理した。見る、読み取る、意味づける、決める——この流れのどこかでつまずけば、正しいグラフからでも、間違った結論が出る。「直感的に分かる」は、作り手の願望であって、読み手の保証ではない。この「科学がある」という事実は、心強くもある。伝わる見せ方が、気まぐれや才能でなく、ある程度は法則で分かっているということだからだ。たとえば、比べたい数字は棒の長さで並べる、割合を細かく見せたいなら円グラフは避ける、色は意味のあるところにだけ使う——こうした地味な原則の積み重ねが、伝わり方を大きく左右する。センスの問題だと諦める前に、まず、分かっている原則に従ってみる。それだけで、多くの誤解は防げる。逆に言えば、原則を知らずに、思いつきで色や種類を選んでいると、悪気なく、読み手を惑わせるグラフを作ってしまう。しかも作った本人は、それに気づかない。
作り手は「知識の呪い」で、伝わったと錯覚する
ここに、作り手が陥りやすい、やっかいな落とし穴がある。自分には一目で分かるグラフが、事情を知らない相手にも同じように分かる、と思い込んでしまうのだ。
Xiong、van Weelden、Franconeri が2020年に、これを可視化における「知識の呪い(curse of knowledge)」と呼んで調べた。作り手は、そのデータの背景も、何を伝えたいのかも、あらかじめ知っている。だから、自分の作ったグラフを見ると、意図した意味が「明らかに見える」。ところが、背景を知らない読み手には、同じグラフが、まるで違って見える、あるいは何も見えない。作り手は、その差に気づけない。自分に見えているものが、相手にも見えていると、無意識に思い込んでしまうからだ。だから、「これで分かるはずだ」という作り手の確信ほど、当てにならない。ほんとうに伝わったかどうかは、作り手の頭の中ではなく、背景を知らない誰かに、実際に見せてみてはじめて分かる。これは、文章を書いたあとに、誰かに読んでもらうのと同じだ。書いた本人には、言いたいことが分かっているから、多少言葉が足りなくても、意味が通って見える。だが、初めて読む人には、その隙間が、そのまま伝わらなさになる。グラフも文章も、作った本人がいちばん、その分かりにくさに気づけない。だからこそ、外の目が要る。恥ずかしがらずに、まだ粗いうちに見せて、率直な「分からない」をもらうことが、いちばんの近道になる。「分からない」は、否定ではなく、贈り物だ。それを一つもらうたびに、画面は、少しずつ伝わるものへ近づいていく。
効果は、道具でなく設計と読み手に宿る
では、立派なダッシュボードの道具を入れれば、成果は上がるのか。ここでも、話は単純ではない。
Richards、Yeoh、Chong、Popovič が2017年に、ビジネスで数字を活かす仕組み(BI=ビジネス・インテリジェンス)の効果を調べ、その効果が、道具そのものよりも、組織のあり方に依存することを示した。同じダッシュボードでも、それを見て動く組織と、飾りにする組織では、返ってくるものが違う——前の単位で見た「データは活かせる組織で初めて価値になる」という話と、地続きだ。そして、可視化の名著——Few が2013年に説いたダッシュボード設計、Tufte が2001年(原著初版はさらに前)に説いた図表の原則——が、あれほど丁寧に「良い見せ方」を教えているのは、裏を返せば、放っておくと、多くのダッシュボードが伝わらないからである。よく設計された一枚は、見た人を、正しい理解へと運ぶ。設計を怠った一枚は、数字を並べただけで、誤解の入り口になる。効果は、道具の値段ではなく、設計の質と、読み手の側に宿る。付け加えると、ダッシュボードそのものが成果を上げる、という効果を測ったきちんとした研究は、実はあまり多くない。「作れば良くなる」という期待は、あちこちで語られるわりに、確かな裏づけは薄い。だから、高価な道具を導入すること自体を、成果と取り違えないほうがいい。大事なのは、それを見て、人が実際に判断を変え、行動を変えるかどうか——道具の先にある、その一点である。どんなに美しいダッシュボードも、見た誰の行動も変えなければ、結局は、ただの飾りにすぎない。
時間・変化:2001年から今へ
順に置く。2001年、Tufte が(原著初版はさらに前)、量的な情報を図で示す原則を説く。2013年、Few が、ひと目で状況を掴むためのダッシュボード設計を説く。2017年、Richards らが、BIの効果は組織要因に依存すると示し、2018年、Padilla らが、可視化から判断に至る認知の段階を整理する。2020年、Xiong らが、作り手の知識の呪いを、2021年、Franconeri らが、視覚でデータを伝える科学を束ねて示した。
この間に確からしくなったのは、「ダッシュボードで誰でも見える」ということではない。確からしくなったのは、見ること・読むこと・判断することの間には距離があり、可視化そのものが知覚を誤らせうるので、効果は設計と読み手に依存する——という、向きのほうである。名著が設計原則を説くのは、伝わらないことが、それだけ多いからだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「見えるようにしたのだから、あとは伝わるはず」という思い込みである。数字を画面に並べただけで、仕事を終えた気になってしまう。だが、それは、こちらが「見せた」だけで、相手に「伝わった」かどうかは、まだ確かめていない。もう一つは、逆に、飾りの多い派手なダッシュボードを、良いものだと勘違いすることだ。色や図が増えるほど、かえって要点は埋もれる。良い一枚は、たいてい、削ぎ落とされて静かだ。豪華なグラフや、動くアニメーションは、作った本人を満足させるが、見る人の理解を助けるとは限らない。むしろ、余計な飾りは、いちばん見てほしい数字から、目をそらさせる。伝わる画面を作るとは、足すことより、削ることに近い。何を載せるかと同じくらい、何を載せないかが、効いてくる。
助けになるのは、いきなり凝った画面を作る前に、「この一枚で、いちばん伝えたいことは何か」を一つに絞り、それを、背景を知らない誰かに見せて確かめることだ。最初の一歩は10分。前の単位で決めた大事な数字について、「このダッシュボードを見た人に、まず何に気づいてほしいか」を、一文で書く。そのうえで、事情を知らない人(家族でも、別の担当でもいい)に、その画面を三十秒だけ見せて、「何が読み取れた?」と聞いてみる。自分の意図と、相手が読み取ったもののズレ——それこそが、知識の呪いの正体であり、直すべき一点だ。見せることでなく、伝わることを、ゴールにする。この「相手に確かめる」ひと手間が、独りよがりの画面から、あなたを守ってくれる。青段の四つの単位——数字を決め、集め、質を保ち、見える形にする——は、どれも派手ではない。だが、この土台がしっかりしていれば、この先の読む力も、使う力も、確かなものの上に積める。逆に、土台のどこかが濁っていれば、その先の分析は、どれだけ精巧でも、揺らいでしまう。だからこそ、急がず、まずはこの足元から、一段ずつ着実に固めていきたいものだ。
- 青段(基盤)の締め。それを見える形にする=ダッシュボード(数字を一覧できる画面。もとは車の計器盤)を扱う。俗説はダッシュボードで誰でも見える。だが最初の注意は、見えることは読めることでなく、読めることも正しく判断できることではないこと。数字が画面に並ぶことと意味が伝わることの間には距離があり、同じグラフでも要点を掴む人・取り違える人・何も感じない人がいる。見せることと伝わることは別
- グラフにすれば直感的に分かる、も半分しか正しくない。何をどう見せれば伝わるかには科学があり、人の知覚に系統的な癖がある。Franconeri, Padilla, Shah, Zacks & Hullman 2021 は視覚でデータを伝えるとき何が効くかを束ねて整理した。人は棒の長さは比べられるが面積や角度の比較は苦手、といった具合。同じデータでもどう描くかで伝わり方はまるで変わる。※Franconeriは534(見抜く側)とも共有するが、532では伝える側の設計として用いる
- Padilla, Creem-Regehr, Hegarty & Stefanucci 2018 は、グラフを見てから判断に至るまでにいくつもの認知の段階があり、そのどこでも誤りが生じうると整理した。見る・読み取る・意味づける・決めるの流れのどこかでつまずけば正しいグラフからでも間違った結論が出る。直感的に分かるは作り手の願望であって読み手の保証でない。だからこの棚は誤解を招くグラフの作り方としては書かず、見抜く側の技術として扱う(534と接続)
- 作り手が陥りやすい落とし穴——自分に一目で分かるグラフが事情を知らない相手にも同じように分かると思い込む。Xiong, van Weelden & Franconeri 2020 はこれを可視化における知識の呪い(curse of knowledge)と呼んだ。作り手はデータの背景も何を伝えたいかも知っているから意図した意味が明らかに見えるが、背景を知らない読み手には違って見えるか何も見えず、作り手はその差に気づけない。これで分かるはずだという確信ほど当てにならない
- ほんとうに伝わったかは作り手の頭の中でなく、背景を知らない誰かに実際に見せてはじめて分かる。立派な道具を入れれば成果が上がるかも単純でない。Richards, Yeoh, Chong & Popovič 2017 はBI(ビジネス・インテリジェンス)の効果が道具より組織のあり方に依存すると示した。同じダッシュボードでも見て動く組織と飾りにする組織で返るものが違う。この棚は特定BIツールの優劣を名指しせず、数字で人を監視する使い方を勧めない
- 可視化の名著Few 2013とTufte 2001があれほど丁寧に良い見せ方を教えるのは、裏を返せば放っておくと多くが伝わらないから。よく設計された一枚は見た人を正しい理解へ運び、怠った一枚は誤解の入り口になる。確からしくなったのは、見る読む判断の間には距離があり、可視化そのものが知覚を誤らせうるので効果は設計と読み手に依存するという向き。ダッシュボードの成果への効果実証は薄く、薄さ自体も事実
- だからこの単位でやるのは、いきなり凝った画面を作る前に、この一枚でいちばん伝えたいことを一つに絞り、それを背景を知らない誰かに見せて確かめること。このダッシュボードを見た人にまず何に気づいてほしいかを一文で書き、事情を知らない人にその画面を三十秒だけ見せて何が読み取れたと聞く。自分の意図と相手が読み取ったもののズレが知識の呪いの正体で直すべき一点。見せることでなく伝わることをゴールにする。この相手に確かめるひと手間が独りよがりの画面から守る
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 大事な数字をダッシュボードにまとめて見えるようにすれば、誰でも状況が分かるようになる | 『見えること』は『読めること』ではなく、『読めること』も『正しく判断できること』ではない。数字が画面に並ぶことと、その意味が伝わることの間には距離がある。同じグラフを見ても、要点を掴む人、取り違える人、何も感じない人がいる。Franconeri et al 2021 は視覚でデータを伝えるときに何が効くかを整理し、人の知覚には系統的な癖があること(棒の長さは比べられるが面積や角度は苦手など)を示した。Padilla et al 2018 は、グラフを見てから判断に至るまでに認知の段階があり、そのどこでも誤りが生じうると整理した。見せることと伝わることは別で、直感的に分かるは作り手の願望であって読み手の保証ではない |
| 自分が作ったグラフは意図が一目で分かるのだから、見た人にも同じように伝わっているはずだ | 作り手は『知識の呪い(curse of knowledge)』に陥りやすい。Xiong, van Weelden & Franconeri 2020 はこれが可視化で生じることを調べた。作り手はそのデータの背景も何を伝えたいのかも知っているため、自分の作ったグラフを見ると意図した意味が『明らかに見える』。ところが背景を知らない読み手には、同じグラフが違って見えるか何も見えず、作り手はその差に気づけない。自分に見えるものが相手にも見えると無意識に思い込むからだ。だから『これで分かるはずだ』という確信ほど当てにならず、ほんとうに伝わったかは、背景を知らない誰かに実際に見せてみて初めて分かる |
| 高機能なBIツールで立派なダッシュボードを作れば、それだけで成果につながる | 効果は、道具そのものよりも設計の質と読み手・組織の側に宿る。Richards et al 2017 は、BI(ビジネス・インテリジェンス)の効果が道具より組織のあり方に依存することを示した。同じダッシュボードでも、見て実際に動く組織と飾りにする組織では返るものが違う。可視化の名著――Few 2013 や Tufte 2001――があれほど丁寧に良い見せ方を教えるのは、裏を返せば放っておくと多くが伝わらないからである。よく設計された一枚は正しい理解へ運び、怠った一枚は誤解の入り口になる。この棚は特定のBIツールの優劣を名指しせず、誤解を招くグラフの作り方としてでなく見抜く側の技術として扱い、数字で人を監視する使い方を勧めない |
皮肉なのは、いちばん『分かりやすく見せた』つもりの一枚が、いちばん独りよがりになりやすいことだ。作り手には、背景も意図も見えている。だから、自分のグラフは明快に思える。だが、その明快さは、作り手の頭の中にだけあって、画面の上にはないのかもしれない。確からしいのは、見ること・読むこと・判断することの間には距離があり、可視化そのものが知覚を誤らせうるので、効果は道具でなく、設計の質と読み手の側に宿る、ということだ。だから、凝った画面を足す前に、まず一つ。この一枚で、いちばん伝えたいことは何か。それを一文にし、背景を知らない誰かに、実際に見せて確かめる。見せることでなく、伝わることをゴールにする――この確かめのひと手間が、独りよがりから守ってくれる。青段(基盤)は、ここまで。見るべき数字を決め、集め、質を保ち、見える形にした。土台は据わった。次の単位 533「相関と因果を見分けるには?」から、棚は第二の段――読む力――へ進む。据えた土台の上で、今度は、数字を正しく読み解く力を積んでいく。
Q1. 数字を画面に並べる『____』ことは、意味が伝わる『____』ことではない。作り手が、自分に分かるグラフは相手にも分かると思い込む錯覚を、可視化における『____』の呪いという。穴埋め
Q2. Franconeri et al 2021 が示した、視覚でデータを伝えることについての知見はどれか。選択
Q3. 『知識の呪い』とは何か。Xiong et al 2020 に触れ、作り手はどうすれば伝わったか確かめられるかを述べよ。一問一答
Q4. 『立派なダッシュボードの道具を入れれば成果が上がる』とは限らないのはなぜか。Richards et al 2017 と、Few・Tufte の由緒に触れて述べよ。一問一答
Q5. この単位が示したものを、年の早い順に並べよ。(ア)Padilla らが可視化から判断への認知の段階を整理する(イ)Few がダッシュボード設計を説く(ウ)Franconeri らが視覚でデータを伝える科学を束ねる(エ)Richards らがBIの効果は組織に依存すると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、前の単位までで決めた『本当に大事にしたい数字』を見せる画面(すでにあるダッシュボードでも、これから作る一枚でもよい)について、『この一枚を見た人に、まず何に気づいてほしいか』を一文で書く。伝えたいことは、欲張らず一つに絞る。そのうえで、可能なら、事情を知らない人(家族でも別の担当でもよい)に、その画面を三十秒だけ見せて『何が読み取れた?』と聞いてみる。相手が読み取ったものと、自分が伝えたかったことのズレを、一言メモする。そのズレこそが直すべき一点(知識の呪いの正体)である。相手が見つからなければ、時間をおいて自分で初見のつもりで何が読み取れるかを書く。統計的な判定や特定ツールの良し悪しは書かない。個人データそのものを見せ物にはせず、数字は伏せてよい。自分の画面の伝わり方の記録として完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Franconeri S.L., Padilla L.M., Shah P., Zacks J.M., Hullman J. (2021) ‘The Science of Visual Data Communication: What Works’, Psychological Science in the Public Interest 22(3):110-161 — doi.org
- Padilla L.M., Creem-Regehr S.H., Hegarty M., Stefanucci J.K. (2018) ‘Decision making with visualizations: a cognitive framework across disciplines’, Cognitive Research: Principles and Implications 3:29 — doi.org
- Xiong C., van Weelden L., Franconeri S. (2020) ‘The Curse of Knowledge in Visual Data Communication’, IEEE Transactions on Visualization and Computer Graphics 26(10):3051-3062 — doi.org
- Richards G., Yeoh W., Chong A.Y.L., Popovič A. (2017) ‘Business Intelligence Effectiveness and Corporate Performance Management: An Empirical Analysis’, Journal of Computer Information Systems 59(2):188-196 — doi.org
- Few S. (2013) 『Information Dashboard Design: Displaying Data for At-a-Glance Monitoring』Burlingame: Analytics Press — openlibrary.org
- Tufte E.R. (2001) 『The Visual Display of Quantitative Information』2nd ed., Cheshire: Graphics Press — openlibrary.org