「採算が合えば勝てる」——だが「合った」という数字は、いちばん多くの希望的仮定でできている
いちばん自信を持って「ユニットエコノミクスは合っている」と言えるときほど、その数字が、いちばん多くの希望的な仮定でできている。LTVは、まだ来ていない未来の利益を、この客は長く続くはず・粗利はこれくらい残るはず、と仮定して積み上げた推定にすぎない。しかも、契約のない商いでは、今この瞬間に誰がまだ自分の客なのかすら、確実には数えられない——現在すら推定なのに、その先の生涯価値を、数十人の初期の客から外挿する。
採算の型を見つけるとは、何を指すのか
前の単位で、声を行動で検算する構えが手に入った。それを、声の次に当てにされる、初期の数字——採算の型へ進める。
まず言葉をほどく。ユニットエコノミクスとは、商いの「一件あたりの採算」のこと。客一人を獲得するのにかかる費用(CAC=顧客獲得コスト)と、その客が生涯で自分にもたらす利益(LTV/CLV=顧客生涯価値)を比べて、割に合うかを見る考え方だ。俗説は言う——「ユニットエコノミクスが合えば、あとは広げるだけで勝てる」。この単位が見るのは、その「合う」という判定が、どこまで確かかだ。ちまたには、CAC対LTVの目安を語るSaaSブログや投資家向け資料があふれているが、それらは実務資料であって、定義が標準化された学術指標ではない——同じ「LTV」でも、算出の仕方は資料ごとに違う。読者の半分は、資金調達型のスタートアップではない——自己資金で新しい売り物を試す店主も、頒布の採算を見積もる人もいる。あらかじめ断っておく——この単位は、特定のツールやVCを名指しで良し悪し評価しない。 また、企業価値そのものの計算には踏み込まない。言うことは三つ。採算の型を見つけるとは何を指すのか、合えばどこまで勝てると確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。
「合えば勝てる」の裏——LTVは確定値ではなく、未来の推定である
まず、いちばん見落とされる点から。LTV(顧客生涯価値)は、すでに確定した金額ではない。それは、これから先、その客が長く付き合ってくれると仮定して、将来の利益を見積もり、割り引いて足し合わせた「推定値」である。GuptaとLehmannが2003年に『Customers as assets』(Journal of Interactive Marketing 17(1):9-24) で「顧客を資産として捉える」考え方を示したように、顧客を価値の源と見るのは有用な視点だが、その資産の「額」は、まだ起きていない未来を見積もった数字にすぎない。
つまり、LTVには、いくつもの仮定が埋め込まれている。その客が何年続けてくれるか、どれくらいの頻度で買うか、粗利はどれだけ残るか——どれも、まだ起きていない未来の話だ。しかも、これらの仮定は互いに掛け算される。継続年数を少し長めに、頻度を少し高めに、粗利を少し厚めに置くだけで、掛け合わさった結果のLTVは、みるみる膨らむ。ここで橙の段の見方を当てておく——「採算が合った」という計算結果と、「本当に合っている」という証明は、別物だ。とくに新しい事業では、数十人の初期の客の数字から、この先何年ぶんもの生涯価値を計算する。将来を仮定した推定を、確定した採算のように扱うと、砂の上に城を建てることになる。
そもそも「誰が今も客か」すら、確実には分からない
推定というだけではない。もっと根本の難しさがある。契約に縛られない商い——一見の客が多い店、頒布、小さな物販——では、客は「もうやめます」と宣言してくれない。ただ、来なくなる。 だから、今この瞬間に「まだ自分の客」なのが誰なのかすら、確実には数えられない。SchmittleinとMorrison、Colomboが1987年に『Counting Your Customers』(Management Science 33(1):1-24) で示したのは、こうした場面では顧客の「生死」——まだアクティブなのか、もう離れたのか——が直接は観測できず、過去の購買の履歴から確率的に推し量るしかない、という構造だった。
これは、採算を計算するうえで地味だが深刻だ。しばらく買っていない客が、離れたのか、たまたま間隔が空いただけなのか——外からは区別がつかない。継続率という数字は、この区別を、えいやと決めた線の上に立っている。線をどこに引くかで「続いている客」の数は変わり、それを土台にしたLTVも変わる。現在の客数すら推定なのだから、その客たちが将来もたらす価値は、なおさら推定である。採算の計算は、二重三重の見積もりの上に乗っているのだ。
だから、その予測は、しばしば外れる
では、そうした推定は、どれくらい当たるのか。BorleとSingh、Jainが2008年に『Customer Lifetime Value Measurement』(Management Science 54(1):100-112) で、顧客生涯価値を実際に測ろうとしたところ、その測定と予測は、決して容易ではなかった。 誰がどれだけの価値をもたらすかを、事前に精度よく当てるのは難しい。
豊富なデータと洗練された手法を持つ研究者ですら、個々の客の生涯価値を精密に予測するのに苦労している。ならば、数十人の初期の客しかいない新しい事業で、一人あたりの生涯価値を精密に見積もれる、と考えるのは無理がある。ここでも、これらの研究は既存企業の顧客データが標本で、立ち上げたばかりの事業にそのまま当てはまるわけではない。だが「少数から精密に外挿できる」という思い込みへの、はっきりした警告にはなる。初期の小さなコホート(同じ時期に来た客のまとまり)から引き延ばした数字は、少しの前提のずれで、大きく振れる。
定義は揺れ、枠組みは有用でも「正確」とは別
最後に、そもそも指標の定義自体が、一つに定まっていない。GuptaとHanssensたちが2006年に『Modeling Customer Lifetime Value』(Journal of Service Research 9(2):139-155) で総括したように、顧客生涯価値の計算には、実にさまざまな手法があり、どれを使うかで数字が変わる。 学術の世界ですら手法が乱立しているのだから、SaaSブログや投資家向け資料の「CAC対LTVは1対3が目安」といった数字は、算出の前提がばらばらで、そのまま鵜呑みにはできない。
もちろん、顧客生涯価値は、実務の道具として役に立つ。VenkatesanとKumarが2004年に『A Customer Lifetime Value Framework』(Journal of Marketing 68(4):106-125) で、生涯価値をもとにどの客に資源を割り当てるかを選ぶ枠組みを体系化したように、また、RustとLemon、Zeithamlが2004年に『Return on Marketing』(Journal of Marketing 68(1):109-127) で、顧客資産(カスタマー・エクイティ)に基づいてマーケティングの投資先を絞る枠組みを示したように、この考え方は、どこに力を入れるかを決める道具として整えられてきた。だが、枠組みが有用であることと、そこに入れる一つひとつの数字が正確であることは、別である。 立派な枠組みも、中身が希望的な推定なら、精緻な見た目の当て推量にしかならない。だから、採算の型を見つけるとは、きれいな一つの数字を出すことではなく、その数字がどんな前提(継続率・粗利・回収までの期間)から出ているかを明示し、その前提が崩れたら数字がどう動くかを、あらかじめ見ておくことである。計算するなではない。計算の前提を、疑えるようにしておく、ということだ。
時間・変化:1987年から2008年へ
順に置く。1987年、SchmittleinとMorrison、Colomboが、非契約の商いでは顧客の「生死」が観測できず確率的に推し量るしかないことを示す。2003年、GuptaとLehmannが「顧客=資産」の考え方を示し、2004年、VenkatesanとKumarが生涯価値による資源配分の枠組みを、RustとLemon、Zeithamlが顧客資産による投資配分の枠組みを示す。2006年、Guptaらが生涯価値の計算に多数の手法があり定義が揺れることを、2008年、BorleとSingh、Jainが生涯価値の測定と予測の難しさを示した。
この間に確からしくなったのは、「採算が合えば勝てる」という約束ではない。確からしくなったのは、LTVは将来の推定にすぎず、そもそも誰が今も客かすら観測できず、測定と予測は難しく、定義はモデルごとに揺れ、枠組みは有用でも中身の正確さとは別だ、という数字の危うさの側の事実である。とくに、初期の小さな数から先の長い生涯価値を外挿した数字は、脆い。どれも、採算を計算するなという話ではなく、計算した数字を疑えるようにしておくための手がかりである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、数十人の初期の客の数字から出した「合う」という計算を、確定した勝算と取り違えることである。それは、まだ起きていない未来を、いくつも仮定した推定にすぎない。もう一つの妨げは、ブログや資料の「目安の比率」を、自分の前提を確かめずにそのまま当てはめることだ。
助けになるのは、CACとLTVを、きれいな一つの数字で終わらせず、その裏にある前提——客が何年続くか、粗利はどれだけか、獲得費用を何か月で回収するか——を、すべて紙の上に書き出すことである。そのうえで、いちばん自信のない前提を一つ選び、それを悪いほうへ振ってみる。継続率を半分に、粗利を控えめに置き直しても採算が回るなら、その数字には少し体力がある。振った途端に赤字になるなら、その「合う」は、希望の上に立っていたのだ。
最初の一歩は、次の単位に進む前に、自分の事業のCACとLTVを一組だけ出してみて、それがどんな前提から出ているかを書き出し、その前提(たとえば継続率)が半分になったら、採算がどう変わるかを試算してみること。実際の投資判断をする必要はない。数字の足元がどれだけ揺れるかを、自分の手元で確かめるだけでよい。
次の単位は 524「値付けを試すには?」——採算の分子である「いくらもらうか」——価格そのものを、どう確かめるかへ進む。
- ユニットエコノミクスとは一件あたりの採算で、客一人の獲得費用(CAC)とその客が生涯でもたらす利益(LTV/CLV=顧客生涯価値)を比べ割に合うか見る。俗説は合えば広げて勝てると言う。CAC対LTVの目安を語るSaaSブログや投資家資料は実務資料で標準化された学術指標ではなく算出の仕方が資料ごとに違う。この単位は特定ツールやVCを名指し評価せず企業価値の計算には踏み込まない
- LTVは確定金額でなく、その客が長く付き合う仮定のもと将来の利益を見積もり割り引いて足し合わせた推定値である。GuptaとLehmann 2003『Customers as assets』(Journal of Interactive Marketing 17(1):9-24)の顧客を資産と捉える視点は有用だが、その資産の額はまだ起きていない未来の見積りにすぎない。継続年数・頻度・粗利の仮定は互いに掛け算されるため、少しずつ甘く置くだけでLTVはみるみる膨らむ
- SchmittleinとMorrison・Colombo 1987『Counting Your Customers』(Management Science 33(1):1-24)は、契約に縛られない商いでは客が離脱を宣言せずただ来なくなるため、顧客の生死(まだアクティブか離れたか)が直接は観測できず過去の購買から確率的に推し量るしかないと示した。継続率はえいやと決めた線引きの上に立ち、現在の客数すら推定ゆえ将来価値はなおさら推定である
- BorleとSingh・Jain 2008『Customer Lifetime Value Measurement』(Management Science 54(1):100-112)は顧客生涯価値の測定と予測が決して容易でなく誰がどれだけの価値をもたらすかを事前に精度よく当てるのは難しいと示した。豊富なデータの研究者ですら苦労するので数十人の初期の客で精密に見積もるのは無理があり、初期の小さなコホートから引き延ばした数字は少しの前提のずれで大きく振れる
- GuptaとHanssensら2006『Modeling Customer Lifetime Value』(Journal of Service Research 9(2):139-155)は顧客生涯価値の計算に実にさまざまな手法がありどれを使うかで数字が変わると総括した。学術ですら手法が乱立し、SaaSブログや投資家資料のCAC対LTVは1対3が目安といった数字は算出の前提がばらばらで鵜呑みにできない
- VenkatesanとKumar 2004『A Customer Lifetime Value Framework』(Journal of Marketing 68(4):106-125)は生涯価値でどの客に資源を割くかを選ぶ枠組みを、RustとLemon・Zeithaml 2004『Return on Marketing』(Journal of Marketing 68(1):109-127)は顧客資産に基づく投資配分の枠組みを示した。だが枠組みが有用であることと中身の一つひとつの数字が正確であることは別で、立派な枠組みも中身が希望的推定なら精緻な見た目の当て推量にしかならない
- この間に確からしくなったのは採算が合えば勝てるという約束ではなく、LTVは将来の推定にすぎずそもそも誰が今も客かすら観測できず測定と予測は難しく定義はモデルごとに揺れ枠組みは有用でも中身の正確さとは別という数字の危うさである。採算の型を見つけるとはきれいな一つの数字を出すことでなく、数字がどんな前提から出ているかを明示し前提が崩れたら数字がどう動くかをあらかじめ見ておくことである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| ユニットエコノミクス(CACとLTV)が合っていれば、あとは広げるだけで勝てる | 「合った」という計算と「本当に合っている」という証明は別物である。LTVは確定値でなく、その客が長く付き合う仮定のもと将来の利益を見積もり割り引いて足し合わせた推定にすぎず、しかも継続年数・頻度・粗利の仮定は掛け算され少し甘く置くだけで膨らむ(Gupta & Lehmann 2003の顧客=資産の視点も未来の見積りの上に立つ)。とくに新しい事業では数十人の初期の客から何年ぶんもの生涯価値を計算するため、推定を確定した採算のように扱うと砂上の楼閣になる |
| 顧客生涯価値はデータから計算できるのだから、初期の客からでも精密に見積もれる | そもそも誰が今も客かすら確実には分からない。Schmittlein ら 1987は、契約に縛られない商いでは客が離脱を宣言せずただ来なくなるため、顧客の生死が直接は観測できず過去の購買から確率的に推し量るしかないと示した。現在の客数すら推定ゆえ将来価値はなおさら推定である。さらにBorle ら 2008が示すように測定と予測は容易でなく、豊富なデータの研究者ですら苦労するので数十人の初期の客で精密に見積もれると考えるのは無理がある |
| 生涯価値に基づく立派な枠組みで計算すれば、その採算は信用できる | 枠組みが有用であることと、中身の数字が正確であることは別である。Gupta ら 2006が示すように計算手法は多数あり定義が揺れ、ブログ等の目安の比率は鵜呑みにできない。Venkatesan & Kumar 2004やRust ら 2004の資源配分・投資配分の枠組みは有用だが、中身の数字が希望的推定なら精緻な見た目の当て推量にすぎない。だから採算の型を見つけるとは、前提を明示し崩れたら数字がどう動くかをあらかじめ見ておくことである |
皮肉なのは、いちばん自信を持って「ユニットエコノミクスは合っている」と言えるときほど、その数字が、いちばん多くの希望的な仮定でできていることである。LTVは、まだ来ていない未来の利益を、この客は長く続くはずだ、粗利はこれくらい残るはずだ、と仮定して積み上げた推定にすぎない。しかも、契約のない商いでは、今この瞬間に誰がまだ自分の客なのかすら、確実には数えられない——現在すら推定なのに、その先の生涯価値を、数十人の初期の客から外挿する。指標の定義そのものも揺れ、立派な枠組みに入れても、中身が当て推量なら結論は当て推量だ。採算が合うかどうかは、たしかに大事だ。だが「合った」という数字を疑えなくなった瞬間から、それは計算ではなく、願望の別名になる。
Q1. 「LTV(顧客生涯価値)が確定値ではない」とはどういうことか。新しい事業ではなぜ特に危ういのかも述べよ。一問一答
Q2. Schmittlein ら 1987が示したように、契約に縛られない商いでは客は離脱を宣言せずただ ____ なるため、顧客の「____」(まだアクティブか離れたか)が直接は観測できず、過去の ____ から確率的に推し量るしかない。現在の客数すら推定なら、その将来価値はなおさら推定である。穴埋め
Q3. Borle ら 2008が顧客生涯価値の測定・予測について示したこととして、この単位の説明に合うものはどれか。選択
Q4. Gupta ら 2006、およびVenkatesan & Kumar 2004・Rust ら 2004を踏まえ、「立派な枠組みがあれば採算は信用できる」と言えない理由を述べよ。採算の型を見つけるとは何をすることかにも触れよ。一問一答
Q5. 顧客生涯価値をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Gupta ら 2006が計算に多数の手法があると総括する(イ)Schmittlein らが顧客の生死は観測できないと示す(ウ)Borle らが測定・予測の難しさを示す(エ)Venkatesan & Kumarが生涯価値による資源配分の枠組みを示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の事業(または想定する新しい売り物)について、CAC(客一人を得るのにかかる費用)とLTV(その客が生涯でもたらす利益)を、ざっくり一組だけ計算してみる。そのうえで、LTVを出すために置いた前提を、すべて書き出す——(1)その客が何年(何回)続けてくれると仮定したか、(2)一回あたりの粗利をいくらと置いたか、(3)獲得費用を何か月で回収する見込みか。最後に、いちばん自信のない前提(多くの場合は継続率)を半分にしてみて、採算(LTVとCACの比)がどう変わるかを試算し、まだ「合う」と言えるかを書く。実際の投資判断をする必要はなく、数字の足元がどれだけ揺れるかを自分の手元で確かめるだけで完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Schmittlein D.C., Morrison D.G., Colombo R. (1987) ‘Counting Your Customers: Who Are They and What Will They Do Next?’, Management Science 33(1):1-24 — doi.org
- Borle S., Singh S.S., Jain D.C. (2008) ‘Customer Lifetime Value Measurement’, Management Science 54(1):100-112 — doi.org
- Gupta S., Hanssens D., Hardie B., Kahn W., Kumar V., Lin N., Ravishanker N., Sriram S. (2006) ‘Modeling Customer Lifetime Value’, Journal of Service Research 9(2):139-155 — doi.org
- Gupta S., Lehmann D.R. (2003) ‘Customers as assets’, Journal of Interactive Marketing 17(1):9-24 — doi.org
- Venkatesan R., Kumar V. (2004) ‘A Customer Lifetime Value Framework for Customer Selection and Resource Allocation Strategy’, Journal of Marketing 68(4):106-125 — doi.org
- Rust R.T., Lemon K.N., Zeithaml V.A. (2004) ‘Return on Marketing: Using Customer Equity to Focus Marketing Strategy’, Journal of Marketing 68(1):109-127 — doi.org