「最初の客を掴めば広がる」——だが最初の客は、道を照らす灯りであって、道そのものではない
最初の客がいちばん熱心に「これは素晴らしい、絶対に広がる」と言ってくれるときほど、その言葉は本流の需要とはいちばん遠い。初期に飛びつく人は新しもの好きで、荒削りな試作を面白がり、多少の不便を自分で乗り越える。彼らが気に入った尖ったところが、本流には響かないことさえある。売上は、初期の層が一巡したところで、いったん谷に沈む——その谷を失敗と読めば早すぎる撤退になる。
最初の顧客を見つけるとは、何を指すのか
前の単位で、方向を賢く変えるピボットの構えが手に入った。それを、まだ誰も買っていない新しい売り物に、最初に飛びつく客を見つける段へ進める。ここから段はひとつ進んで、仮説と検証の設計から、初期市場と採算の話に入る。
まず言葉をほどく。新しい商いを始めると、まだ世に無いものを、いち早く試してくれる人がいる。マーケティングでは、この人たちをアーリーアダプター(early adopter=初期採用者)と呼ぶ。多くの人がまだ様子見のうちから、面白がって飛びつく層のことだ。俗説は言う——「この最初の客を掴めば、そこから広がる」。この単位が見るのは、その「広がる」が、本当に地続きなのかだ。この棚の読者の半分は、スタートアップの創業者ではない——本業の傍らで新しい売り物を試す店主も、頒布の新シリーズを立ち上げる人も、家業に新しい柱を作ろうとする後継ぎも、ここに立つ。そして思い出しておきたい——新しい事業の大半は、形にならずに終わる。この棚の目的は、当てる約束ではなく、安く・早く・賢く間違えて、次の仮説に進める状態を作ることだ。 言うことは三つ。最初の顧客を見つけるとは何を指すのか、掴むとどこまで広がると確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。なお、有名な起業の成功譚は、この単位では逸話として扱い、確かめられた事実としては書かない。
「最初の客を掴めば広がる」の裏——初期の客と本流は、別の人たちである
まず、素朴な思い込みから。最初に飛びついてくれた人が増えていけば、やがて本流の客に届く——そう感じる。だが、普及を実際のデータで調べた研究は、別の絵を描く。Van den BulteとJoshiが2007年に『New Product Diffusion with Influentials and Imitators』(Marketing Science 26(3):400-421) で示したのは、市場が「影響を与える層」と「後からまねる層」の二段階でできていて、この二つは、別のセグメントだ、ということだった。
つまり、初期に飛びつく人と、後から本流として買う人は、同じ人たちの延長ではない。求めているものも、買う理由も、違う。ここで橙の段の見方を当てておく——新しい事業の名著が語る「初期採用者を掴め」という教えと、普及を実測した絵は、別物だ。初期の客を掴むことには意味がある。だが、その客が満足したからといって、それが本流の需要を保証するわけではない。「初期採用者」や「キャズム(谷)」という言葉自体は、普及論の古典が広めた概念だが、ここではその名を借りるにとどめ、効果は実測の研究のほうで見ていく。
初期と本流の間には、売上の「谷」がある
この二段階の構造は、売上の動き方に、はっきりした形で現れる。GoldenbergとLibai、Mullerが2002年に『Riding the Saddle』(Journal of Marketing 66(2):1-16) で示したのは、新製品の売上が「初期の盛り上がり→いったん落ち込む谷→本格的な普及」という、鞍(saddle)のような凹みを描くことが、実際のデータで観察される、ということだった。
これは、最初の客を掴んだ人にとって、危うい落とし穴になる。初期に売れると、「このまま右肩上がりだ」と思い込む。ところが、初期の層が一巡すると、売上は伸び悩み、時には落ち込む。この谷を「失敗した」と勘違いして、そこで諦めてしまうこともあれば、逆に、初期の勢いのまま設備や在庫を増やして、谷で資金が尽きることもある。とくに、自己資金でやりくりする小さな事業では、この谷での資金切れが、致命傷になりやすい。初期の好調を信じて仕入れを増やした直後に売上が沈めば、手元の現金はあっという間に細る。谷は、初期の客と本流の客のあいだにある断絶が、売上として見えたものだ。最初の盛り上がりを、本流の普及と取り違えないこと——それが、この谷を渡るための、最初の心構えになる。そもそも、新製品が本格的に売れ出す「離陸(テイクオフ)」までには、思うより時間がかかる。TellisとStremersch、Yinが2003年に『The International Takeoff of New Products』(Marketing Science 22(2):188-208) で多くの国の新製品を調べたところ、導入から離陸までには平均して数年かかり、その長さは国や文化によって大きく異なっていた。最初の客を掴んでも、すぐに広がるわけではない——広がるとしても、それはたいてい、年単位の話なのだ。
最初の顧客は、本流の代表ではない
なぜ、初期の客の反応を、本流の需要と取り違えてはいけないのか。FrattiniとBianchi、De Massis、Sikimicが2014年に『The Role of Early Adopters in the Diffusion of New Products』(Journal of Product Innovation Management 31(3):466-488) で示したのは、初期採用者が果たす役割は、製品のタイプによって違い、初期の客が本流の縮図とはかぎらない、ということだった。
初期に飛びつく人は、たいてい、新しもの好きで、多少の不便は自分で工夫して乗り越える。値段より目新しさを買い、まだ荒削りな試作でも喜んでくれる。だが本流の客は違う。彼らは、目新しさではなく、確かな便益と、安心と、こなれた使い勝手を求める。初期の客が「これで完璧だ」と言ったからといって、本流の客が同じ言葉を言うとはかぎらない。むしろ、初期の客が気に入った「荒削りさ」や「尖った特徴」こそが、本流には受け入れられないことさえある。ここに、危うい罠がある。初期の客の要望をそのまま聞き入れて、彼らの好む方向へ商品を磨き込むほど、本流からは遠ざかっていく、という事態が起こりうるのだ。新しもの好きのために尖らせた機能は、本流には「難しくて使えないもの」に映る。だから、最初の顧客の声は、貴重な手がかりであると同時に、本流の需要としては、割り引いて聞く必要がある。誰の声かを見極めずに、いちばん熱心な声にただ従うのは、いちばん熱心な客のためだけの商品を作ることになりかねない。
だが、キャズムを教条にもしない
ここまでを読むと、「初期と本流の間には必ず深い谷(キャズム)があって、そこで多くが落ちる」という、もう一つの決まり文句を、そのまま信じたくなる。だが、そこも慎重でありたい。ChandrasekaranとTellisが2011年に『Getting a Grip on the Saddle: Chasms or Cycles?』(Journal of Marketing 75(4):21-34) で問い直したのは、その谷は、いつでも必ず現れる普遍の法則なのか、それとも別の要因(景気の波など)による一時的な循環なのか、ということだった。
PeresとMuller、Mahajanが2010年に『Innovation diffusion and new product growth models』(International Journal of Research in Marketing 27(2):91-106) で普及研究を総括したように、普及の形は、製品や市場によってさまざまで、一つの型に決まってはいない。さらに、これらの研究の多くは、テック製品や耐久財の売上データを扱ったものだ。本業の傍らの新しい売り物や、非テックの小さな事業に、そのまま当てはまる保証はない。だから、受け取るべきは「必ず谷がある」という教条ではなく、初期の反応が本流を保証しない、という一般的な構造のほうである。谷を恐れて動かないのも、谷を無いものと決めつけるのも、どちらも危うい。
時間・変化:2002年から2011年へ
順に置く。2002年、GoldenbergとLibai、Mullerが、売上の谷(saddle)を実データで示す。2007年、Van den BulteとJoshiが、市場が影響層と模倣層の二段階でできていることを示し、2010年、PeresとMuller、Mahajanが普及研究を総括する。2011年、ChandrasekaranとTellisが「谷は普遍か、循環か」と問い直し、2014年、Frattiniらが初期採用者の役割が製品タイプで異なることを示した。
この間に確からしくなったのは、「最初の客を掴めば広がる」という約束ではない。確からしくなったのは、初期の客と本流は別のセグメントで、間には売上の谷が現れることがあり、初期の客は本流の代表ではなく、しかしその谷は普遍の法則というほど固いものでもない、という構造の側の事実である。最初の反応は、本流を保証しない。どれも、初期の客を軽んじる理由ではなく、初期の声をどう扱うかを見極めるための手がかりである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、初期に飛びついてくれた客の熱を、本流の需要と取り違えることである。初期の熱は本物だが、それは別のセグメントの熱だ。もう一つの妨げは、逆に、初期の反応を「一時のブーム」と切り捨てて、そこから学ばないことだ。初期の客は、本流の縮図ではないが、貴重な手がかりではある。
助けになるのは、「最初に飛びつきそうな人」と「本命にしたい本流の客」を、別々に描き分けることである。二つは、求めるものも、買う理由も違う。分けて描けば、初期の声を、どこまで本流に当てはめてよいかが見えてくる。描き分けたうえで、初期の客からは「使い勝手のどこが不便か」を学び、その改善が本流にも効くのか、それとも初期の客だけの好みなのかを、一つずつ見極めていく。
最初の一歩は、次の単位に進む前に、自分の新しい売り物について、「最初に飛びつきそうな人」はどんな人か、「本命にしたい本流の客」はどんな人か、その二人が求めるものと買う理由がどう違うかを、書き分けてみること。実際に客を試す必要はない。二つの像の違いを、自分の手元で描くだけでよい。
次の単位は 522「初期ユーザーの声を聞き切るには?」——最初の客が誰かという話から、その客の声をどう扱うかへ進む。
- 新しい商いを始めるとまだ世に無いものをいち早く試すアーリーアダプター(初期採用者)がいる。俗説は最初の客を掴めば広がると言う。この棚の読者の半分は創業者でなく、目的は当てる約束でなく安く早く賢く間違えて次の仮説に進める状態を作ること。有名な起業の成功譚は逸話として扱い確かめられた事実としては書かない。初期採用者やキャズムという語は普及論の古典が広めた概念で名を借りるにとどめ効果は実測で見る
- Van den BulteとJoshi 2007『New Product Diffusion with Influentials and Imitators』(Marketing Science 26(3):400-421)は市場が影響を与える層と後からまねる層の二段階でできていて、この二つが別のセグメントだと示した。初期に飛びつく人と後から本流として買う人は同じ人たちの延長でなく求めるものも買う理由も違い、初期の客が満足しても本流の需要を保証しない
- GoldenbergとLibai・Muller 2002『Riding the Saddle』(Journal of Marketing 66(2):1-16)は新製品の売上が初期の盛り上がり→いったん落ち込む谷→本格普及という鞍(saddle)のような凹みを描くことを実データで示した。初期に売れると右肩上がりと思い込むが初期の層が一巡すると伸び悩む。谷は初期と本流の断絶が売上に見えたもので最初の盛り上がりを本流の普及と取り違えないことが谷を渡る心構えになる
- FrattiniとBianchi・De Massis・Sikimic 2014『The Role of Early Adopters in the Diffusion of New Products』(Journal of Product Innovation Management 31(3):466-488)は初期採用者の役割が製品タイプによって違い初期の客が本流の縮図とはかぎらないと示した。初期の客は新しもの好きで荒削りな試作を喜び目新しさを買うが、本流は確かな便益と安心とこなれた使い勝手を求める
- 初期の客が気に入った荒削りさや尖った特徴こそが本流には受け入れられないことさえある。だから最初の顧客の声は貴重な手がかりであると同時に本流の需要としては割り引いて聞く必要がある。初期の客がこれで完璧だと言っても本流の客が同じ言葉を言うとはかぎらない
- ChandrasekaranとTellis 2011『Getting a Grip on the Saddle: Chasms or Cycles?』(Journal of Marketing 75(4):21-34)は売上の谷がいつでも必ず現れる普遍の法則なのか別の要因による一時的な循環なのかを問い直した。PeresとMuller・Mahajan 2010(International Journal of Research in Marketing 27(2):91-106)の普及研究の総括でも普及の形は製品や市場でさまざまで一つの型に決まってはいない
- この間に確からしくなったのは最初の客を掴めば広がるという約束ではなく、初期の客と本流は別のセグメントで間に売上の谷が現れることがあり、初期の客は本流の代表でなく、しかしその谷は普遍の法則というほど固いものでもないという構造の事実である。研究の多くはテック製品や耐久財の売上データで非テックの小さな事業に断定転用せず、受け取るべきは初期の反応が本流を保証しないという一般構造である
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 最初の客を掴んで満足させれば、そこから自然に本流の客へ広がっていく | 初期の客と本流は別のセグメントである。Van den Bulte & Joshi 2007は市場が影響を与える層と後からまねる層の二段階でできていて、この二つが別のセグメントだと示した。求めるものも買う理由も違い、初期に飛びつく人は後から本流として買う人の延長ではない。Goldenbergら2002が示すように売上は初期と本流の間で谷に沈むことがあり、初期の反応を本流の需要と取り違えてはならない |
| 最初の客が「これで完璧だ」と言ってくれたなら、本流の客も同じように評価する | 最初の客は本流の縮図ではない。Frattiniら2014は初期採用者の役割が製品タイプによって違い初期の客が本流の縮図とはかぎらないと示した。初期に飛びつく人は新しもの好きで荒削りな試作を喜び目新しさを買うが、本流は確かな便益・安心・こなれた使い勝手を求める。初期の客が気に入った尖った特徴こそ本流に受け入れられないことさえあり、最初の顧客の声は貴重な手がかりだが本流の需要としては割り引いて聞く必要がある |
| 初期と本流の間には必ず深い谷(キャズム)があり、そこで多くが必ず落ちる | その決まり文句にも慎重でありたい。Chandrasekaran & Tellis 2011は、売上の谷が必ず現れる普遍の法則なのか別の要因による一時的な循環なのかを問い直し、Peresら2010の総括でも普及の形は製品や市場でさまざまで一つの型に決まってはいない。研究の多くはテック・耐久財の売上データで非テックの小さな事業に断定転用できない。受け取るべきは初期の反応が本流を保証しないという一般構造で、谷を恐れて動かないのも無いと決めつけるのも危うい |
皮肉なのは、最初の客がいちばん熱心に「これは素晴らしい、絶対に広がる」と言ってくれるときほど、その言葉が、本流の需要とはいちばん遠いことである。初期に飛びつく人は、新しもの好きで、荒削りな試作を面白がり、多少の不便を自分で乗り越える。彼らが気に入った尖ったところが、本流には響かないことさえある。売上は、初期の層が一巡したところで、いったん谷に沈む——その谷を、失敗と読めば早すぎる撤退になり、無いものと決めつければ、初期の勢いのまま谷に落ちる。最初の客は、道を照らす灯りではあっても、道そのものではない。灯りの向く先と、本流の客が歩きたい先が、同じだとはかぎらないのだ。
Q1. Van den Bulte & Joshi 2007が示した「二段階の市場」とは何か。そこから、最初の顧客について何が言えるかを述べよ。一問一答
Q2. Goldenbergら2002が実データで示したように、新製品の売上は初期の盛り上がり→いったん落ち込む ____ →本格普及という ____(saddle)のような凹みを描く。この谷を失敗と読むと早すぎる ____ になり、無いものと決めつけると勢いのまま谷に落ちる。穴埋め
Q3. Frattiniら2014が示した「初期採用者」についての知見として、この単位の説明に合うものはどれか。選択
Q4. この単位は「谷(キャズム)は必ずある」という決まり文句にも慎重であれと言う。Chandrasekaran & Tellis 2011とPeresら2010に触れ、受け取るべき一般構造は何かを述べよ。一問一答
Q5. 新製品の普及をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Van den Bulte & Joshiが市場の二段階を示す(イ)Goldenbergらが売上の谷を実データで示す(ウ)Frattiniらが初期採用者の役割は製品タイプで異なると示す(エ)Chandrasekaran & Tellisが谷は普遍か循環かを問い直す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分がこれから試したい新しい売り物を一つ思い浮かべる。それについて、二人の像を別々に書き出す。(1)最初に飛びつきそうな人(初期採用者)は、どんな人か。何にひかれて、なぜ早く試すのか。荒削りな段階でも、なぜ許してくれそうか。(2)本命にしたい本流の客は、どんな人か。何を求め、どんな安心があれば買うのか。最後に、この二人が「求めるもの」と「買う理由」でどう違うかを、一〜二点書く。二人を混同していた点に気づいたら、それも記す。実際に客に会って試す必要はなく、二つの像の違いを自分の手元で描くだけで完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Van den Bulte C., Joshi Y.V. (2007) ‘New Product Diffusion with Influentials and Imitators’, Marketing Science 26(3):400-421 — doi.org
- Goldenberg J., Libai B., Muller E. (2002) ‘Riding the Saddle: How Cross-Market Communications Can Create a Major Slump in Sales’, Journal of Marketing 66(2):1-16 — doi.org
- Chandrasekaran D., Tellis G.J. (2011) ‘Getting a Grip on the Saddle: Chasms or Cycles?’, Journal of Marketing 75(4):21-34 — doi.org
- Peres R., Muller E., Mahajan V. (2010) ‘Innovation diffusion and new product growth models: A critical review and research directions’, International Journal of Research in Marketing 27(2):91-106 — doi.org
- Frattini F., Bianchi M., De Massis A., Sikimic U. (2014) ‘The Role of Early Adopters in the Diffusion of New Products: Differences between Platform and Nonplatform Innovations’, Journal of Product Innovation Management 31(3):466-488 — doi.org
- Tellis G.J., Stremersch S., Yin E. (2003) ‘The International Takeoff of New Products: The Role of Economics, Culture, and Country Innovativeness’, Marketing Science 22(2):188-208 — doi.org