「アーンアウトで利害は揃う」——だが評価の橋渡しの先で、測定と支配をめぐり利害は新しく割れる両刃だ
アーンアウトを入れれば売り手と買い手の利害は揃う、と教わる。確かに、将来の業績に値段の一部を賭ければ、評価の食い違いは橋渡しでき、非対称も和らぐ。だが橋を渡り終えた先に、新しい溝が現れる。後払いの業績を、誰が、どう測るのか。買収後に事業を動かすのは買い手で、支払いを避けたければ指標を抑える誘因が生まれる。利害は、測定と支配をめぐって、もう一度割れる。
買収条件を設計する——アーンアウトという両刃
前の単位で、デューデリジェンス(買収前の調査)では見つかる地雷と、見つからない地雷があること——情報の非対称は、調べ尽くしても消えないことが手に入った。ここからは、その消えない非対称を、値段の「構造」でどう受けるかに進める。ここで段はひとつ進んで、戦略と探索の青の段から、契約の設計をおこなう緑の段に入る。
用語をほどく。ストラクチャーとは、買収の条件の組み立て方のことだ。なかでもよく使われるのが、アーンアウト(条件付き対価=買収代金の一部を、買収後の業績が目標に届いたら後払いする仕組み)である。読者は、会社や事業を買う・売る決断に立ち会う人だ。そして——売る側も、この設計の当事者である。よく聞くのは、「アーンアウトを入れれば、売り手と買い手の利害は揃う」という言い方だ。
この単位が示すのは、それが両刃だ、ということである。アーンアウトは、値段の食い違いを橋渡しし、情報の非対称を和らげる——そこまでは本当だ。だが、利害はむしろ、契約したあとに、新しい形で割れる。なお、条項の法的な有効性や、税務・会計の個別の扱いは、資格を持つ専門家の領域だ。ここで扱うのは、構造がどう働くか、である。
この棚を貫く見方を、契約の段の入口でも置いておく。「M&Aの七割は失敗する」といった数字に、確かな出典はない。 その手の失敗率は、たいてい仲介やコンサルの調査から来ていて、査読された研究が示す絵は、もっと地味だ——買い手の平均リターンはほぼゼロで、そのばらつきが大きい。うまくいく取引も、痛手を負う取引もあって、平均するとゼロあたりに落ち着く。だとすれば、勝負を分けるのは「M&Aをするかどうか」ではなく、「どう設計するか」のほうだ。契約の構造は、その設計の、いちばん手触りのある部分である。だからこの単位は、アーンアウトという定番の道具を、名前ではなく、働き方から見直す。
アーンアウトは「評価の食い違い」を橋渡しする
まず、良い面から。会社を売り買いするとき、いちばんの難所は、値段が合わないことだ。売り手は「この事業は伸びる」と言い、買い手は「本当にそうか」と疑う。Kohers と Ang が2000年に示したのは、アーンアウトが、この評価の食い違いを橋渡しする道具になる、という向きだった。
仕組みはこうだ。「伸びると言うなら、伸びた分だけ後で払う」——将来の業績に、値段の一部を賭ける。すると、売り手は自信があれば飲めるし、買い手は外れても払い過ぎずに済む。Kohers と Ang が同時に示したのは、この仕組みが、売り手の経営者に、買収後も残ってもらう動機にもなる、という点だった。後払いを受け取るには、業績を作らねばならないからだ。Datar らが2001年に、Reuer らが2004年に示したのも、アーンアウトが、前の単位で見た「情報の非対称」——売り手のほうが中身をよく知っている、という偏り——を、和らげる働きを持つ、という向きだった。だからアーンアウトは、確かに橋になる。
この橋渡しが効くのには、理由がある。値段が合わないとき、原因の多くは、将来をどう見るかの違いだ。売り手は「まだ伸びる」と思い、買い手は「そこまでは見込めない」と思う。どちらが正しいかは、時間が経たないとわからない。アーンアウトは、この「わからない部分」を、いま無理に一つの金額に押し込めるのではなく、将来の結果に、判定を預ける仕組みだ。だから、売り手も買い手も、自分の見立てに賭けられる。前払いの一括では、この賭けができず、どちらかが相手の見立てを丸のみするしかない。将来が不確かなときほど、アーンアウトは、話をまとめる力を持つ——ここまでは、素直に強みだと言ってよい。
だが問題は「測定」に移る——利害は新しく割れる
ところが、橋を渡り終えたところで、新しい溝が現れる。アーンアウトの後払いは、「業績が目標に届いたら」支払われる。では、その業績を、誰が、どう測るのか。Cadman らが2014年に示したのは、この「測定」こそが、争いの新しい火種になる、ということだった。
買収後、事業を動かしているのは、買い手だ。その買い手には、アーンアウトの支払いを避けたいなら、業績指標が目標に届かないように経営の舵を切る誘因が——少なくとも理屈の上では——生まれる。費用をこの事業に寄せる、投資を別に回す、会計の見せ方を変える。Cadman らが示したのは、業績条件が、会計や情報の環境に依存し、条項の設計しだいで、操作の余地が変わる、ということだった。つまり、価格の食い違いは橋で埋めたのに、測定と支配をめぐって、利害はもう一度割れる。ここで、売る側の視点を落とさない——売り手にとっては、後払いの指標が、買い手の裁量で抑えられない形になっているかが、生命線になる。
ここで、誤解のないように付け加える。これは「買い手はみな、後払いを踏み倒そうとする悪者だ」という話ではない。多くの買い手は、誠実に事業を伸ばそうとする。問題は、善意か悪意かではなく、構造が、誰の裁量に、どんな誘因を置いているかだ。たとえ買い手にその気がなくても、買収後の経営判断——どこに費用を寄せ、どこに投資するか——は、日々必要になり、そのどれもが、結果として後払いの指標を上下させうる。そして、あとから「あの判断は、アーンアウトを抑えるためだったのでは」と疑い始めれば、証明も反証も難しく、関係だけが傷む。だからこの単位は、人を疑えと言うのではなく、疑いが生まれにくい測り方を、先に決めておけと言う。良い設計は、善意を、証明の要らないものにする。
効果は「構造」に依存する——一律の魔法ではない
では、アーンアウトは、平均すれば得なのか、損なのか。答えは「構造しだい」だ。Barbopoulos らが2012年と2016年にかけて示した一連の研究は、アーンアウトの価値や、買収プレミアム(相場より上乗せして払う額)への効果が、その構造——何を指標にし、どれくらいの割合を後払いにし、どんな期間で測るか——に依存し、一律ではないことを示した。
だから、「アーンアウトを入れれば利害が揃う」という言い方は、道具の名前だけを見て、中身を見ていない。同じ「アーンアウト」でも、指標の選び方、割合、期間、そして測定の主導権をどちらが握るかで、それは橋にも、新しい火種にもなる。アーンアウトは、揃える魔法ではなく、揃え方と、割れ方を、同時に設計する行為なのだ。名前を入れることと、うまく設計することは、別である。
この「構造しだい」という結論は、じつは読者を勇気づけるものでもある。アーンアウトが得か損か、揃うか割れるかは、生まれつき決まっているのではなく、設計する側の手に、かなりの部分がゆだねられている、ということだからだ。名前を選んだ時点で結果が決まる魔法の道具なら、できることは少ない。だが、中身——指標・割合・期間・測定の主導権——を一つずつ詰められるなら、橋の側に寄せることも、火種の芽を摘むことも、できる。だから、アーンアウトを前にしたとき、問うべきは「入れるか、入れないか」ではなく、「どう組むか」のほうである。
時間・変化:アーンアウト研究が積み上げてきたこと
順に置く。2000年、Kohers と Ang が評価の橋渡しと残留を示す。2001年、Datar らが逆選択・代理コストへの対処を示す。2004年、Reuer らが非対称の緩和を示す。2012年と2016年、Barbopoulos らが効果の構造依存を示し、2014年、Cadman らが測定・情報環境の問題(操作の余地)を示した。
この四半世紀で確からしくなったのは、「アーンアウトで利害は揃う」ではない。確からしくなったのは、アーンアウトは評価の食い違いを橋渡しし非対称を和らげるが、測定と支配をめぐって利害は新しく割れ、効果は構造に依存する、という両刃の向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「アーンアウトを入れれば揉めない」という安心だ。橋を渡ったあと、測定と支配をめぐって、利害はもう一度割れる。もうひとつの妨げは、後払いの「指標」を、あいまいなまま合意することである——あいまいさは、その指標を動かせる側(買収後は、たいてい買い手)に、有利に働く。
助けになるのは、条件を設計するなら、値段の額そのものより、「何を、誰が、どう測るのか」を先に詰めることだ。とくに、売る側なら、その指標が相手の裁量でどう抑えられうるかを、合意の前に想像しておくこと。
最初の一歩は10分。自分の事業について、もし買う/売るときにアーンアウトを設計するとしたら、後払いの条件にする業績指標を一つ書き出し、その指標が、事業を動かす側の裁量でどう動かされうるかを、思いつくかぎり書き足す(たとえば、費用の付け替え、投資の先送り、売上を計上する時期のずらし方)。実際のディールの是非を判定する必要はない——自分の事業の条件仮説メモだけで完結する。動かされ方を一つでも想像できれば、それが、あいまいな指標に飛びつかないための備えになる。
一人で商いを回していて、これから会社を売る側に立つ読者にとって、この一手は、とりわけ大きい。大きな買い手の側には、こうした構造を何度も設計してきた専門家がついていることが多い。対して、売る側は、たいてい一度きりの取引で、相手ほど場数がない。その非対称を、せめて少し埋めるのが、「後払いの指標が、どう動かされうるか」を、合意の前に自分で書き出しておくことだ。完璧な条項は書けなくても、どこが弱点になりうるかを知っていれば、専門家に相談するときの問いが、ぐっと鋭くなる。
次の単位は 502「高値掴みを避けるには?」——条件の組み立ての話から、その条件でいくらまで払うのか——上限を、どう規律するのかへ進む。
- この棚の読者は会社や事業を買う・売る決断に立ち会う人で、売る側も設計の当事者である。緑の段の入口としてディール・ストラクチャー(買収の条件の組み立て)、なかでもアーンアウト(条件付き対価=買収後の業績が目標に届いたら後払いする仕組み)を扱う。俗説『アーンアウトで利害は揃う』は両刃で、条項の法的有効性や税務会計の個別扱いは専門家の領域、ここでは構造がどう働くかを見る
- アーンアウトは評価の食い違いを橋渡しする。売り手が伸びると言い買い手が疑うとき、伸びた分だけ後で払う形にすれば売り手は自信があれば飲め買い手は払い過ぎずに済む(Kohers & Ang 2000)。同時にこの仕組みは売り手の経営者に買収後も残ってもらう動機になり、Datar ら 2001とReuer ら 2004は情報の非対称を和らげる働きを示した
- だが橋を渡った先で問題は測定に移る。後払いは業績が目標に届いたら支払われるが、その業績を誰がどう測るのかが新しい争いの火種になる(Cadman ら 2014)。買収後に事業を動かすのは買い手で、支払いを避けたければ指標が目標に届かないよう経営の舵を切る誘因が理屈の上では生まれる
- Cadman ら 2014は業績条件が会計や情報の環境に依存し条項の設計しだいで操作の余地が変わることを示した。価格の食い違いは橋で埋めても測定と支配をめぐって利害はもう一度割れる。売る側の視点を落とさず、後払いの指標が買い手の裁量で抑えられない形になっているかが売り手の生命線になる
- 効果は構造に依存し一律の魔法ではない。Barbopoulos らが2012年と2016年にかけて示した研究は、アーンアウトの価値や買収プレミアムへの効果が、何を指標にしどれくらいの割合を後払いにしどんな期間で測るかという構造に依存することを示した。同じアーンアウトでも指標・割合・期間・測定の主導権で橋にも火種にもなる
- 確からしくなったのはアーンアウトで利害は揃うではなく、評価の食い違いを橋渡しし非対称を和らげるが測定と支配をめぐって利害は新しく割れ効果は構造に依存する、という両刃の向きである。妨げるものは入れれば揉めないという安心と、後払いの指標をあいまいなまま合意することで、あいまいさは指標を動かせる側に有利に働く
- 最初の一歩は10分。自分の事業でもし買う/売るときにアーンアウトを設計するなら、後払いの条件にする業績指標を一つ書き出し、その指標が事業を動かす側の裁量でどう動かされうるか(費用の付け替え・投資の先送り・売上計上の時期など)を書き足す。実際のディールの是非を判定せず自分の事業の条件仮説メモで完結する。動かされ方を一つでも想像できればあいまいな指標に飛びつかない備えになる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| アーンアウト(業績連動の後払い)を入れれば、売り手と買い手の利害は揃い、揉めなくなる | 半分正しく半分値切られる。アーンアウトは将来業績に値段の一部を賭けることで評価の食い違いを橋渡しし、経営者を残留させ、情報の非対称を和らげる道具として実在する(Kohers & Ang 2000・Datar ら 2001・Reuer ら 2004)。だが橋を渡った先で問題は測定に移り、業績条件は会計・情報環境に依存し、条項の設計しだいで操作の余地が変わる(Cadman ら 2014)。買収後に事業を動かす買い手には支払いを避けたければ指標を抑える誘因が生まれ、利害は測定と支配をめぐって新しく割れる。入れれば揃うとは単純に言えない |
| アーンアウトは平均すれば得な仕組みだから、とりあえず入れておけばよい | 効果は構造に依存し一律ではない。Barbopoulos らが2012年と2016年にかけて示した研究は、アーンアウトの価値や買収プレミアムへの効果が、何を指標にしどれくらいの割合を後払いにしどんな期間で測るかという構造に依存することを示した。同じアーンアウトでも指標の選び方・割合・期間・測定の主導権をどちらが握るかで橋にも火種にもなる。アーンアウトは揃える魔法ではなく揃え方と割れ方を同時に設計する行為で、名前を入れることとうまく設計することは別である |
| 後払いの業績指標は、だいたいの目標さえ決めておけば、あとで細かく詰めればよい | あいまいさは、その指標を動かせる側(買収後はたいてい買い手)に有利に働く。買い手には費用をこの事業に寄せる・投資を別に回す・会計の見せ方を変えるなど、指標が目標に届かないように舵を切る誘因が理屈の上では生まれる(Cadman ら 2014の操作可能性)。だから設計では値段の額そのものより何を誰がどう測るのかを先に詰める必要がある。とくに売る側は、その指標が相手の裁量でどう抑えられうるかを合意の前に想像しておくことが生命線になる |
皮肉なのは、いちばん円満に値段の折り合いをつけたアーンアウトほど、数年後に、いちばん苦い争いになりやすいことだ。橋を渡るときには、双方が笑顔で握手する。だが、後払いの日が近づくと、事業を握っているのはもう買い手で、目標にあと一歩届かない数字は、誰の舵取りのせいなのか、証明しようがない。利害が揃ったように見えるとき、たいていそれは、まだ測定の日が来ていないだけかもしれない。アーンアウトは、食い違いを橋で埋める道具であると同時に、次の食い違いを、どこに、どんな形で作るかを決める道具でもある。名前ではなく、測り方を設計する。
Q1. 『アーンアウトで利害は揃う』を、この単位はなぜ『両刃』と値切ったか。橋渡しの面と、その先で起きることに触れて述べよ。一問一答
Q2. アーンアウトの後払いは業績が目標に届いたら支払われるが、買収後に事業を動かすのは ____ で、支払いを避けたければ指標を ____ 誘因が生まれる(Cadman ら 2014)。だから設計では値段の額より、何を ____ どう測るのかを先に詰める必要がある。穴埋め
Q3. アーンアウトの効果について、Barbopoulos ら 2012/2016をふまえた説明として正しいものはどれか。選択
Q4. この単位は『売る側の視点』を、アーンアウトの設計でどう落とさないよう述べているか。一問一答
Q5. この単位が扱ったアーンアウト研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Cadman らが測定・情報環境の問題を示す(イ)Kohers と Ang が評価の橋渡しと残留を示す(ウ)Barbopoulos らが効果の構造依存を示す(2016年)(エ)Reuer らが非対称の緩和を示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の事業について、もし買う/売るときにアーンアウト(業績連動の後払い)を設計するとしたら、後払いの条件にする業績指標を一つ書き出す(売上、利益、顧客数、特定の達成など)。そのうえで、その指標が、買収後に事業を動かす側の裁量でどう動かされうるかを、思いつくかぎり書き足す(費用の付け替え、投資の先送り、売上を計上する時期のずらし方など)。各動かされ方について、それが起きても抑えられる設計かを一言添える。実際のディールの是非を判定したり、特定の相手を評価したりする必要はなく、自分の事業の条件仮説メモだけで完結させる。最後に、書き出した指標と、動かされ方の数を書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Kohers N., Ang J. (2000) ‘Earnouts in Mergers: Agreeing to Disagree and Agreeing to Stay’, The Journal of Business 73(3):445-476 — doi.org
- Datar S., Frankel R., Wolfson M. (2001) ‘Earnouts: The Effects of Adverse Selection and Agency Costs on Acquisition Techniques’, Journal of Law, Economics, and Organization 17(1):201-238 — doi.org
- Cadman B., Carrizosa R., Faurel L. (2014) ‘Economic Determinants and Information Environment Effects of Earnouts: New Insights from SFAS 141(R)’, Journal of Accounting Research 52(1):37-74 — doi.org
- Reuer J.J., Shenkar O., Ragozzino R. (2004) ‘Mitigating risk in international mergers and acquisitions: the role of contingent payouts’, Journal of International Business Studies 35(1):19-32 — doi.org
- Barbopoulos L., Sudarsanam S. (2012) ‘Determinants of earnout as acquisition payment currency and bidder’s value gains’, Journal of Banking & Finance 36(3):678-694 — doi.org
- Barbopoulos L.G., Adra S. (2016) ‘The earnout structure matters: Takeover premia and acquirer gains in earnout financed M&As’, International Review of Financial Analysis 45:283-294 — doi.org