「能力は伸びる」という信念が動かしたのは、成績ではなかった
能力は伸びると信じましょう、という助言には、教材として都合のよい性質が三つある。配るのに費用がかからない。1時間で終わる。そして効いたかどうかを、受けた本人に聞いて測れる。皮肉なことに、いちばん確かに測られてきたのは、その三つ目だった。
この棚は、誰に向けて書かれているか
想定している読者は、学生ではない。いま何かを覚えなければならない大人である。
資格の勉強をしている人かもしれない。仕事のために技術書を開いている人かもしれない。語学をやり直している人かもしれない。子どもの宿題を横で見ていて、自分のほうが分からなくなっている人かもしれない。だからこの棚は「生徒」「学生」を主語にしない。
そしてこの棚は、16の道具それぞれについて言うことを3つに絞る——それは学びの何を指しているのか。どこまで効くと確かめられているのか。その範囲の外で何が起きるか。
これをやれば成績が上がる、の棚にはしない。 効くと確かめられた範囲と、その外側を書く棚にする。読者の像を書くのはこの単位だけである。 以降の15単位では前提として使う。
この棚の地図——道具箱の、四つの引き出し
この棚は建物ではない。並列に並んだ道具箱である。引き出しは四つ。
①青(049〜052)机に向かうまでの道具——伸びると信じているか、できる見込みがあるか、やり方を選び直せるか、注意を向けられるか。②緑(053〜056)頭の中で情報を動かす道具——作業台の広さ、処理の速さ、言葉、筋道。③橙(057〜059)学んだものを点検して並べ替える道具——監視する、並べ方を作る、持ち出す。④桃(060〜064)続ける・広げるための道具——学ぶ理由、粘り、気持ち、段取り、他人と。
ここで一度だけ断っておく。この四つは段ではない。上から順に消化すれば終わり、という並びではない。 この棚のつながり方は掛け算で、どれかがゼロなら他がどれだけ大きくても積はゼロになる。しかし掛け算には順序がない。 どの引き出しから開けてもよい。地図を描くのはこの単位だけである。
値切り:「困難な移行期の成績低下を防止」と書かれている一文
学習の設計資料には、こういう一文がよく載る。「成長マインドセット介入で困難な移行期(中学進学等)の成績低下を防止」。 代表文献として添えられるのは、たいてい2006年の一般向け書籍 *Mindset: The New Psychology of Success* である。
確かめられる部品が四つある。介入。困難な移行期。成績低下の防止。そして、その根拠がどこに書かれているか。
根拠は、その書籍には書かれていない。 一般向けの本に効果量は載らないからである。数字が載っているのは査読誌のほうで、しかも二種類の数字が混ざって流通している。
相関で見た差と、介入で動いた量
米国で2018年に *Psychological Science* へ出た論文は、二本のメタ分析を並べている。一本目は信念と学業成績の相関で、273の効果量・365,915人から r = .10(95%信頼区間 .08〜.13)。二本目は介入の効果で、43の効果量・57,155人から d = 0.08(0.02〜0.14)。
この二つは同じことを測っていない。前者は人と人を並べた差であり、後者は介入の前後で動いた量である。引用されるときに落ちるのは、たいていこの区別のほうだ。
同じ論文は効果が出た場所も報告している。社会経済的に不利な家庭の生徒(7効果量)で d = 0.34(0.07〜0.62)、学業不振の層で d = 0.19(0.02〜0.36)。 全体では小さく、特定の層でだけ大きい。
0.05 と 0.09 のあいだ
米国で2023年に *Psychological Bulletin* へ出た分析は、無作為化された介入研究を集め直した。63件・97,672人。学業成績への平均効果は d = 0.05(95%信頼区間 0.02〜0.09)で、出版バイアスを補正すると有意ではなくなった。 実施設計の質がもっとも高い6件(13,571人)に絞ると d = 0.02(−0.06〜0.10)、信念が実際に動いたことを確認できた13件(18,355人)でも d = 0.04(−0.01〜0.10)。この論文はもうひとつ書いている——公刊された研究に限ると、著者に金銭的な利害がある研究の平均は d = 0.18、無い研究は d = −0.10 だった。 未公刊の研究だけを見ると、順に 0.02 と 0.05 で、差は消える。
同じ号に、提唱者側の応答が載っている。 反論の中身は「効果が無い」ではなく、平均の取り方が違うというものだった。小さな便宜的標本と大規模試験を同じ重みで平均すると、ばらつきを潰してしまう。応答した側が同じデータを別の方法で集計し直すと、全体で 0.09、効果が見込まれる層で 0.15 になった。
0.05 と 0.09 のあいだで、この論争は止まっている。 どちらの数字も、一般向けの本に載っている主張の大きさではない。
出発点の研究に戻る
「困難な移行期」という言い方の出どころは、2007年に *Child Development* へ出た米国の研究である。中学1年にあたる学年の373人を2年間追いかけた縦断研究と、介入群48人・対照群43人の小さな実験が1本になっている。追いかけたほうは規模がある。動かしたほうは、合計91人である。
その後、中国の9歳から13歳の児童624人を対象にした2019年の追試では、失敗のあとの粘りにも、学期をまたいだ成績にも効果は出なかった。 2020年には米国の大学生438人で理論の前提そのものが検証され、信念と、目標の持ち方・努力についての考え・失敗への反応との相関は、すべて .20 を下回った。 いちばん強かった相関 r = −.12 は、予測とは逆の向きだった。
効いた学習法は、それを試せた人のあいだで測られている
ここでこの棚の書き方を正面から書いておく。学び方の話には、二つの空白がある。 ひとつめが、効いたと報告された学習法は、それを試せた人のあいだで測られているということだ。
静かな机があるか。まとまった時間が取れるか。体調はどうか。分からないときに聞ける人がいるか。それは人によって大きく違う。しかも「成績」という物差しには、家庭の事情も、そこに至るまでの選抜の履歴も、最初から混ざっている。だから「この方法で成績が上がった」という報告の多くから、「上がる余地のある人が、たまたまその方法を試せた」という逆向きを取り除けていない。
マインドセットの文献は、この構造の見本である。効果が観察されたのは、成績が下位の層と、社会経済的に不利な層だった。 伸びしろが残っている側で数字が出た、と読むこともできるし、いま届いていない支援の代わりに信念を配った結果だ、と読むこともできる。どちらに読むかは、この文献群では決められない。
もうひとつの空白——学んでいる本人には、覚えた量も伸びた幅も見えない——は、この棚の最後の単位で正面から回収する。ここでは触れるだけにする。
時間・変化:一文が、書籍を根拠にできるようになるまで
時間の軸で見ると、この一文の来歴がはっきりする。2006年の一般向け書籍が広く読まれ、2007年に縦断研究と91人の実験が査読誌に出る。2018年、二本のメタ分析が「全体では小さい」と報告する。2019年、中国の児童624人で再現しない。2020年、理論の前提が .20 を下回る相関しか示さない。2023年、63件を集め直した分析が 0.05 を出し、同じ号の応答が 0.09 を出す。
十数年のあいだに、査読誌の側の数字は一貫して小さくなり、資料の側の一文は一貫して強くなった。 一文のほうには年が書かれていないので、古びない。古びない文章は、たいてい確かめられていない文章である。
信念そのものが動く時間も短い。介入は多くが1時間に満たない教材で、測定はその学期のうちに閉じる。半年後にその信念がどこにあるかを追った研究は、ほとんど無い。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、信じているかどうかを自分に聞いて確かめてしまうことである。「能力は伸びると思っている」と答えるのは易しい。実際にどう振る舞ったかは、別の記録にしか残らない。
ここでこの棚として毎回断ることがある。ここまでの数字は、ほぼすべて欧米の学校に通う児童・生徒か、大学生を対象に採られている。 働きながら学んでいる大人を対象にした研究はごく少ない。実験室の課題と、実際の試験や仕事の課題は別物である。効果は短い期間で測られたものが多く、数か月後まで追った研究はその一部にすぎない。そして続けられた人のデータだけが残る。とりわけ——もともと学ぶ余裕のある人ほど、その学習法を試せる、という逆向きを排除できない。 日本の大人を対象にした追試は見あたらなかった。
助けるのは、信念ではなく、判断の根拠のほうを見に行くことである。「これは自分には無理だ」と思ったとき、その根拠が、実際に試した結果なのか、試す前の予想なのか。書き出すと簡単に分かれる。分かれた瞬間に、信念の話は観察の話に変わる。
最初の一歩は5分。いま「できない」と思っている課題を1つ選び、最後にそれを実際に試したのはいつかを書き出して見返す。試していなければ「試していない」と書く。それで十分である。
次の単位は 050「自己効力感」——伸びると信じることと、この問題は自分に解けると見込むことは、道具箱の別の引き出しに入っている。 前者は能力一般についての考えで、後者は目の前の一問についての予想である。後者のほうが成績とよく一緒に動く。ただし、一緒に動くことと、動かすことは別である。
- この棚の読者は、いま何かを覚えなければならない大人である。資格の勉強をしている人、仕事のために技術書を開いている人、語学をやり直している人、子どもの宿題を横で見ている人。16の道具それぞれについて言うことを3つに絞る——それは学びの何を指しているのか、どこまで効くと確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか
- この棚は下から積む建物ではなく、並列に並んだ道具箱である。引き出しは四つ——①青049〜052 机に向かうまでの道具、②緑053〜056 頭の中で情報を動かす道具、③橙057〜059 点検して並べ替える道具、④桃060〜064 続ける・広げるための道具。四つのあいだは掛け算で、ひとつがゼロなら積はゼロになるが、順序はない
- Sisk ら 2018(Psychological Science 29(4))は二本のメタ分析を並べ、信念と学業成績の相関を 273効果量・365,915人から r = .10(95%信頼区間 .08〜.13)、介入の効果を 43効果量・57,155人から d = 0.08(0.02〜0.14)と報告した。相関で見た差と介入で動いた量は同じことを測っていない
- 同じ2018年の分析で、効果が大きく出たのは限られた層だった——社会経済的に不利な家庭の生徒(7効果量)で d = 0.34(0.07〜0.62)、学業不振の層で d = 0.19(0.02〜0.36)。全体では小さく、特定の層でだけ大きい
- Macnamara & Burgoyne 2023(Psychological Bulletin 149(3-4))は無作為化された介入63件・97,672人を集計し、学業成績への平均効果 d = 0.05(0.02〜0.09)で出版バイアスを補正すると有意でなくなること、実施設計の質がもっとも高い6件(13,571人)では d = 0.02(−0.06〜0.10)であること、公刊された研究に限ると著者に金銭的な利害がある研究の平均は d = 0.18、利害の無い研究は d = −0.10 で、未公刊ではそれぞれ 0.02 と 0.05 だったことを報告した
- 同じ号に載った提唱者側の応答(Tipton ほか 2023)は、効果が無いとは言わず、平均の取り方が違うと反論した。小さな便宜的標本と大規模試験を同じ重みで平均するとばらつきを潰す、という理由である。同じデータを別の方法で集計し直すと、全体 0.09、効果が見込まれる層 0.15 になった。0.05 と 0.09 のあいだで論争は止まっている
- 出発点の Blackwell ら 2007(Child Development 78(1))は、中学1年にあたる学年の373人を2年間追った縦断研究と、介入群48人・対照群43人の実験を1本にしたものである。中国の9〜13歳の児童624人を対象にした Li & Bates 2019 では効果が再現せず、米国の大学生438人を調べた Burgoyne ら 2020 では相関がすべて .20 を下回り、最強の r = −.12 は予測と逆向きだった
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 成長マインドセットの介入は、中学進学のような困難な移行期の成績低下を防ぐと確かめられている | この一文の代表文献として添えられるのは2006年の一般向け書籍で、そこに効果量は載っていない。査読誌の側では、無作為化された介入63件・97,672人の平均が d = 0.05(95%信頼区間 0.02〜0.09)で、出版バイアスを補正すると有意でなくなる。実施設計の質がもっとも高い6件では d = 0.02(−0.06〜0.10)。提唱者側が同じデータを別の方法で集計し直しても 0.09 である。出発点になった2007年の実験は、介入群48人・対照群43人の合計91人だった |
| 能力は伸びると信じている人ほど、実際に成績がよい | 信念と学業成績の相関は、273効果量・365,915人を集めて r = .10 だった。理論の前提そのものを米国の大学生438人で検証した2020年の研究では、目標の持ち方・努力についての考え・失敗への反応との相関がすべて .20 を下回り、いちばん強かった r = −.12 は予測とは逆向きだった。信念が動かしているのは、成績の高さではなく、次の一手を試すかどうかである |
| 批判的なメタ分析が出たのだから、この説はもう決着がついた | 決着はついていない。批判と応答が同じ号に並び、数字が 0.05 と 0.09 を行き来している。争点は効果の有無ではなく、大小さまざまな研究をどう平均するかという方法のほうである |
この説がここまで生き延びたのは、たぶん外れていたからではない。**測るのが安かったから**である。信念が変わったかどうかは質問紙でその場で分かり、成績が変わったかどうかは年度末まで待たないと分からない。だから前者ばかりが積み上がり、引用のたびに但し書きが落ちて、最後には年号のない一文になる。もっとも、それでも「能力は伸びる」を捨てる理由にはならない。この信念が動かしているのは成績の高さではなく、**もう一度だけ試してみるかどうか**のほうだからだ。0.05 という値は、人の可能性についての数字ではなかった。
Q1. 無作為化された成長マインドセット介入 ____ 件・97,672人を集めた2023年の分析では、学業成績への平均効果は d = ____ で、出版バイアスを補正すると有意でなくなった。実施設計の質がもっとも高い ____ 件(13,571人)に絞ると d = ____ で、信頼区間は 0 をまたいだ。穴埋め
Q2. 2018年に並べられた二本のメタ分析では、信念と学業成績の ____ が 273効果量・365,915人で r = ____ 、____ の効果が 43効果量・57,155人で d = 0.08 だった。効果が大きく出たのは、社会経済的に不利な層(d = ____ )と学業不振の層に限られた。穴埋め
Q3. この棚が言う「効いた学習法は、それを試せた人のあいだで測られている」とは何か。マインドセットの文献を例に答えよ。一問一答
Q4. 「困難な移行期の成績低下を防止」という一文の出発点になった2007年の研究について、本文の内容に合うものはどれか。選択
Q5. この棚の道具箱の四つの引き出しを、番地の順に並べよ。(点検して並べ替える道具/続ける・広げるための道具/机に向かうまでの道具/頭の中で情報を動かす道具)並べ替え
紙かメモアプリを開く。いま自分が「できない」「向いていない」と思っている課題を1つだけ書き出す。資格の科目でも、技術書の1章でも、語学の聞き取りでも、子どもの宿題の単元でもよい。次にその下へ、最後にそれを実際に試したのがいつだったかを書く。思い出せなければ「去年の秋ごろ」でも「覚えていない」でもよい。一度も試していなければ「試していない」と書く。最後に全体を一度だけ読み返す。いま学校に通っていない人は、仕事で避けている作業や放ってある手続きに置き換えて構わない。誰にも見せなくてよく、その課題に取りかかる必要もない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Sisk V.F., Burgoyne A.P., Sun J., Butler J.L., Macnamara B.N. (2018) 'To What Extent and Under Which Circumstances Are Growth Mind-Sets Important to Academic Achievement? Two Meta-Analyses', Psychological Science 29(4):549-571 — journals.sagepub.com
- Macnamara B.N., Burgoyne A.P. (2023) 'Do growth mindset interventions impact students academic achievement? A systematic review and meta-analysis with recommendations for best practices', Psychological Bulletin 149(3-4):133-173 — artscimedia.case.edu
- Tipton E., Bryan C., Murray J., McDaniel M.A., Schneider B., Yeager D.S. (2023) 'Why Meta-Analyses of Growth Mindset and Other Interventions Should Follow Best Practices for Examining Heterogeneity: Commentary on Macnamara and Burgoyne (2023) and Burnette et al. (2023)', Psychological Bulletin 149(3-4):229-241 — profiles.wustl.edu
- Yeager D.S., Dweck C.S. (2020) 'What can be learned from growth mindset controversies?', American Psychologist 75(9):1269-1284 — par.nsf.gov
- Blackwell L.S., Trzesniewski K.H., Dweck C.S. (2007) 'Implicit Theories of Intelligence Predict Achievement Across an Adolescent Transition: A Longitudinal Study and an Intervention', Child Development 78(1):246-263 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Li Y., Bates T.C. (2019) 'You cannot change your basic ability, but you work at things, and that is how we get hard things done: Testing the role of growth mindset on response to setbacks, educational attainment, and cognitive ability', Journal of Experimental Psychology: General 148(9):1640-1655 — www.research.ed.ac.uk
- Burgoyne A.P., Hambrick D.Z., Macnamara B.N. (2020) 'How Firm Are the Foundations of Mind-Set Theory? The Claims Appear Stronger Than the Evidence', Psychological Science 31(3):258-267 — journals.sagepub.com