「想定訓練で備えられる」——だが演習の実危機への移りは薄く、危機はプロセスで想定外の顔をして来る
想定訓練をやれば危機に備えられる、と教わる。訓練は無意味ではない——想定したシナリオの知識や自信は確かに高まる。だが、その力が実際の危機の場面へどこまで移るかは、ほとんど測られていない。しかも危機は、リストに載る例外ではなく、脆弱性が積もったプロセスで、たいてい誰も想定しなかった顔で来る。備えとは、脚本を完璧にすることではなく、脚本どおりに進まないことを織り込むことだ。
想定訓練で備えられる——という期待の限界
前の単位で、いま起きている声を読み分ける構えが手に入った。ここからは、その読みを未来へ向けて——まだ起きていない危機を、どこまで想定して備えられるのかに進める。この棚は炎上のただ中から始まったが、備えの話は、本当はここから始めたかった段でもある。危機は、こちらの準備が整うのを、待ってはくれないからだ。
用語をほどく。想定訓練(危機ドリル)とは、起こりうる危機のシナリオを想定して、対応を前もって練習することだ。とくによく行われるのが、テーブルトップ演習——机上で状況を想定し、参加者が「こう来たら、こう動く」と話し合う演習である。よく聞くのは、「想定訓練をやれば、危機に備えられる」という言い方だ。
この単位が示すのは、訓練が「想定した範囲」の備えにはなるが、二つの理由で、それを超えては届きにくい、ということである。ひとつは、演習の成果が実際の危機の場面へ移る証拠が薄いこと。もうひとつは、危機がそもそも「想定外」の顔をして来ること。順に見ていく。
この棚を貫く見方が、ここでも効く。「初動が全て」といった威勢のいい言葉と同じで、「訓練しておけば安心」という安心もまた、確かな出典を持たない期待である。 危機対応の教科書の多くは、他社の失敗を後から振り返って書かれていて、そこには「こう備えておけば防げた」という後知恵が並ぶ。だが、後から見れば防げたように見える危機の多くは、その渦中では、誰にも「これが来る」とは見えていなかった。だからこの単位は、訓練を否定するのでも、万能視するのでもなく、それが「どこまで届いて、どこから届かないのか」の境目を、実証に沿って引き直す。届く範囲を正しく知ることが、届かない範囲への慎みを生む。
訓練は「想定内」には効く——だが実危機への移りは薄い
まず、フェアに言う。訓練は、無意味ではない。Pate が2016年に、Sena らが2021年に、テーブルトップ演習を評価した研究は、演習が、訓練したシナリオについての知識や自信を高めることを示している。備えの一歩として、演習には確かな効き目がある。
ただし、気をつけたいことがある。これらが測っているのは、演習の直後の、その場での知識や自信——手近な(proximal な)成果——だ。問題は、その先である。演習で高めた力が、実際の危機の場面での成果に、どこまで移るのか——「移り(transfer)」を測った実証は、薄い。これは、前の段のメディア対応の訓練で見た薄さと、同じ型だ。「演習をやった」ことと、「本番で使えた」ことは、別である。だから、演習をやったこと自体を、備えができた証拠と取り違えない。ここが、最初の落とし穴だ。
なぜ、移りは薄くなりがちなのか。理由の一つは、演習が、たいてい「静かな会議室で、時間の余裕があり、感情も落ち着いている」状態で行われることにある。だが、本番の危機は、その正反対だ。情報は錯綜し、時間はなく、心臓は早鐘を打っている。落ち着いた机上でうまく言えた対応が、その修羅場でそのまま出てくるとはかぎらない。だから、演習で本当に鍛えたいのは、個々の「正解の手順」よりも、慌てたときに立ち返れる、ごく少数の原則——たとえば「まず被害を受けた人を最優先する」「わからないことはわからないと言う」——のほうかもしれない。手順は状況ごとに違うが、原則は、想定外の場面でも持ち出せる。
危機は「例外」ではなく「プロセス」——想定外こそが襲う
より本質的な限界は、ここにある。私たちは、危機を「突然やってくる例外的な出来事」として思い描きがちだ。だから、「起こりうる出来事」をリストにして、それぞれに備えれば安心だ、と考える。Roux-Dufort が2007年に問い直したのは、まさにこの前提だった。
彼が示したのは、危機がしばしば、突発的な例外ではなく、潜在的な脆弱性が、時間をかけて蓄積した末に表面化する「プロセス」だ、ということだ。小さなほころび、見過ごされた警告、無理を重ねた運用——それらが静かに積もり、あるとき一気に噴き出す。だとすれば、「想定した危機のリスト」に頼る備えには、根本的な穴がある。私たちは、想定できたものしか、リストに載せられない。そして、本当に手痛い危機は、たいてい、誰も想定していなかった形で来る。「訓練した危機しか来ない」という前提そのものが、危ういのだ。
この「プロセス」という見方には、じつは希望もある。危機が、ある日突然、天から降ってくる例外なら、私たちにできることはほとんどない。だが、脆弱性が積もった末に噴き出すプロセスなら、噴き出す前の「積もっている段」に、手を入れる余地がある。無理を重ねている運用、繰り返し上がっているのに握りつぶされている警告、見て見ぬふりをしている小さなほころび——それらは、想定訓練の脚本には載らないが、日々の業務のなかには、確かにある。だから、最も効く「備え」は、精巧な危機シナリオを増やすことより、平時に、すでに積もりつつある脆弱性に気づいて、一つずつ減らしておくことかもしれない。次の単位で扱う平時の営みが、ここにつながっていく。
発生時の力学——リハーサルでは統制できない
もう一つ、訓練だけでは届かない領域がある。危機が実際に起きたとき、その場の社会的・認知的な力学が、結果を大きく左右する。Bundy らが2017年にまとめた包括的なレビューは、危機管理が、準備の段階から発生、回復までの多段階にわたり、発生時の社会的な要因が結果を左右することを整理した。
Bundy と Pfarrer が2015年に示したのは、危機の発生時に、その組織が平時に得ていた社会的な承認が、事態の受け止められ方を左右する、ということだった。Olofsson が2011年に示したように、備えは、単一の演習ではなく、多くの要因が絡む営みである。つまり、実際の危機は、脚本どおりには進まない——世間の反応、報道の向き、関係者の動きが、その場で複雑に絡み合う。リハーサルで身につくのは動きの型までで、本番で回りだす力学そのものは、事前には統制できない。備えとは、脚本を完璧にすることではなく、脚本どおりに進まないことを、あらかじめ織り込んでおくことだ。
「織り込む」とは、具体的にはどういうことか。たとえば、誰か一人に判断が集中しないよう、代われる人を平時に決めておく。情報が錯綜することを見越して、「わかっていること」と「まだわからないこと」を分けて書き留める習慣をつけておく。想定を精緻にするのではなく、想定が外れても崩れない、柔らかい足場を用意しておく——それが、プロセスとして来て脚本を裏切る危機に対する、現実的な構えだ。一人で商いを回している読者なら、「自分が倒れたら、誰に、何を頼むか」を一行書いておくだけでも、立派な織り込みになる。
時間・変化:危機の備えの研究
順に置く。2007年、Roux-Dufort が危機を「例外」ではなく「プロセス」と捉え直す。2011年、Olofsson が備えの多要因モデルを示す。2015年、Bundy と Pfarrer が発生時の社会的承認の役割を示す。2016年、Pate が、2021年、Sena らが、演習の手近な効果を示す。2017年、Bundy らが危機管理の包括レビューをまとめた。
この十数年で確からしくなったのは、「想定訓練で備えられる」ではない。確からしくなったのは、演習は想定内の手近な備えにはなるが実危機への移りの実証は薄く、危機はプロセスで想定外の顔をして来て、発生時の力学は事前には統制できない、という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「想定訓練をやったから備えは万全」という思い込みだ。演習は想定内の知識・自信を高めるが、実危機への移りは薄く、想定外には届かない。もうひとつの妨げは、危機を「起こりうる出来事のリスト」として捉え、リストに載らないものを、無いものとして扱うことである。
助けになるのは、訓練を、「想定した危機を上手にこなす練習」としてだけでなく、「想定の外側に何があるかを、自分に問う機会」として使うことだ。リストを埋めることより、リストの縁を意識すること——想定の外に、まだ言葉になっていない何かがある、と忘れないこと。縁を意識している人は、想定外が来たときに、まず「これは想定の外だ」と正しく名づけられる——その一拍が、パニックと落ち着いた対応を分ける。
最初の一歩は10分。自分が「これが起きたら困る」と、これまで漠然と想定してきた危機を、二つ三つ書き出す。次に、その裏に、「想定していなかったが、起きたら手ひどいこと」を一つ、無理にでも書き足す。たとえば、自分の落ち度ではないのに巻き込まれる、味方だと思っていた相手のほうから問題が出る、といった向きのものだ。他社の危機を調べに行く必要はない——自分の想定の棚卸しだけで完結する。想定の外側を一つでも言葉にできれば、それが、「訓練した危機しか来ない」という油断への、いちばん小さな備えになる。
この作業には、続けるほど効く性質がある。想定の外側を一つ書き足すたびに、「自分はどんな危機を、つい想定から外しがちか」という、自分の死角の癖が、少しずつ見えてくる。人はたいてい、自分の落ち度から来る危機ばかりを想定し、外から巻き込まれる危機や、味方の側から出る問題を、想定から落としやすい。その癖を知っておくこと自体が、想定の幅を広げる。完璧なリストは、どうやっても作れない——だからこそ、リストを増やすことより、リストの縁で立ち止まる習慣のほうを、育てておく。
次の単位は 488「平時の発信で信頼を築くには?」——想定して備える話から、危機の前の平時に、日々の発信が信頼の蓄えになるのかへ進む。
- この棚の読者は自分の商いの評判を自分で背負う人で、緑の段の三歩目として想定訓練(危機ドリル=起こりうる危機のシナリオで対応を前もって練習すること)を扱う。危機は準備が整うのを待たないため、この備えの話は本当はここから始めたかった段でもある。俗説『想定訓練をやれば備えられる』に対し、訓練は想定した範囲の備えにはなるが二つの理由でそれを超えては届きにくいと見る
- 訓練は無意味ではない。Pate 2016・Sena ら 2021のテーブルトップ演習の評価は、演習が訓練したシナリオの知識や自信を高めることを示した。だが測られているのは演習直後のその場での手近な(proximal な)成果で、演習の力が実際の危機の場面へどこまで移るか(transfer)を測った実証は薄い。前の段のメディア対応の訓練で見た薄さと同じ型である
- 演習をやったことと本番で使えたことは別で、演習をやったこと自体を備えができた証拠と取り違えない。実危機への移りが薄いという事実そのものを、備えの限界として引き受ける必要がある
- より本質的に、危機はしばしば突発的な例外ではなく、潜在的な脆弱性が時間をかけて蓄積した末に表面化するプロセスである(Roux-Dufort 2007)。小さなほころびや見過ごされた警告が静かに積もり一気に噴き出す。だから想定した危機のリストに頼る備えには穴があり、私たちは想定できたものしかリストに載せられず、本当に手痛い危機はたいてい誰も想定しなかった形で来る
- 危機が起きたときはその場の社会的・認知的な力学が結果を左右する。Bundy ら 2017の包括レビューは危機管理が準備から発生・回復までの多段階にわたり発生時の社会的要因が結果を左右することを、Bundy & Pfarrer 2015は平時に得ていた社会的承認が事態の受け止められ方を左右することを、Olofsson 2011は備えが多要因の営みであることを示した。本番の力学は事前には統制できない
- 確からしくなったのは想定訓練で備えられるではなく、演習は想定内の手近な備えにはなるが実危機への移りの実証は薄く危機はプロセスで想定外の顔をして来て発生時の力学は事前には統制できない、という向きである。備えとは脚本を完璧にすることではなく脚本どおりに進まないことを織り込むことである
- 最初の一歩は10分。これまで漠然と想定してきた危機を二つ三つ書き出し、その裏に想定していなかったが起きたら手ひどいことを一つ無理にでも書き足す(自分の落ち度でないのに巻き込まれる、味方だと思っていた相手から問題が出るなど)。他社の危機を調べに行く必要はなく、自分の想定の棚卸しだけで完結する。想定の外側を一つでも言葉にできれば訓練した危機しか来ないという油断への最も小さな備えになる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 想定訓練をやれば危機に備えられる。演習を重ねれば本番でも対応できるようになる | 訓練は無意味ではなく、テーブルトップ演習は訓練したシナリオの知識や自信を高める(Pate 2016・Sena ら 2021)。だが測られているのは演習直後のその場での手近な(proximal な)成果で、演習の力が実際の危機の場面へどこまで移るか(transfer)を測った実証は薄い。これは前の段のメディア対応の訓練で見た薄さと同じ型で、演習をやったことと本番で使えたことは別である。演習をやったこと自体を備えができた証拠と取り違えない |
| 起こりうる危機をリストにして、それぞれに備えれば安心だ | 危機はしばしば突発的な例外ではなく、潜在的な脆弱性が時間をかけて蓄積した末に表面化するプロセスである(Roux-Dufort 2007)。小さなほころびや見過ごされた警告や無理を重ねた運用が静かに積もり、あるとき一気に噴き出す。だから想定した危機のリストに頼る備えには根本的な穴がある。私たちは想定できたものしかリストに載せられず、本当に手痛い危機はたいてい誰も想定しなかった形で来る。訓練した危機しか来ないという前提そのものが危うい |
| よく訓練しておけば、危機が起きても脚本どおりに対応できる | 危機が実際に起きたときは、その場の社会的・認知的な力学が結果を大きく左右する。Bundy ら 2017の包括レビューは危機管理が準備から発生・回復までの多段階にわたり発生時の社会的要因が結果を左右することを、Bundy & Pfarrer 2015は平時に得ていた社会的承認が事態の受け止められ方を左右することを、Olofsson 2011は備えが多くの要因の絡む営みであることを示した。実際の危機は脚本どおりには進まず、本番で回りだす力学は事前には統制できない。備えとは脚本どおりに進まないことを織り込むことである |
皮肉なのは、いちばん入念に想定訓練を積んだ組織ほど、想定の外から来た危機に、いちばん驚くことだ。よく訓練された脚本は、その脚本にある危機には強いが、脚本にない危機の前では、かえって「こんなはずはない」と足を止めさせる。しかも本当の危機は、たいてい脚本の外——誰も練習しなかった角——から現れる。演習を終えて備えは万全だと感じるとき、たいていそれは、まだ想定できたものだけを、丁寧に想定し終えただけかもしれない。備えの半分は、脚本を磨くことではなく、脚本の縁の外に、まだ見ぬ何かがあると、忘れずにいることのほうにある。
Q1. 『想定訓練をやれば危機に備えられる』を、この単位は二つの理由で値切った。その二つを述べよ。一問一答
Q2. 演習は訓練シナリオの知識や自信という ____ な成果を高めるが(Pate 2016)、実危機の場面への ____ を測った実証は薄い。危機は突発的な ____ ではなく脆弱性が蓄積する ____ である(Roux-Dufort 2007)。穴埋め
Q3. 危機の発生時の力学について、Bundy ら 2017・Bundy & Pfarrer 2015をふまえた説明として正しいものはどれか。選択
Q4. この単位は『備え』の正体を、どう捉え直しているか。『脚本』という言葉を使って述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った危機の備えの研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Bundy と Pfarrer が発生時の社会的承認の役割を示す(イ)Roux-Dufort が危機をプロセスと捉え直す(ウ)Bundy らが危機管理の包括レビューをまとめる(エ)Olofsson が備えの多要因モデルを示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が『これが起きたら困る』と、これまで漠然と想定してきた危機を、二つ三つ書き出す。そのうえで、その裏に、『想定していなかったが、起きたら手ひどいこと』を一つ、無理にでも書き足す(例:自分の落ち度ではないのに巻き込まれる、味方だと思っていた相手のほうから問題が出る、前提にしていた取引先や仕組みが急に使えなくなる、など)。他社の危機を調べに行ったり、実在の事件を分析したりする必要はなく、自分の想定の棚卸しだけで完結させる。最後に、書き出した想定内の危機の数と、書き足した想定外を一つ書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Bundy J., Pfarrer M.D., Short C.E., Coombs W.T. (2017) ‘Crises and Crisis Management: Integration, Interpretation, and Research Development’, Journal of Management 43(6):1661-1692 — doi.org
- Roux-Dufort C. (2007) ‘Is Crisis Management (Only) a Management of Exceptions?’, Journal of Contingencies and Crisis Management 15(2):105-114 — doi.org
- Bundy J., Pfarrer M.D. (2015) ‘A Burden of Responsibility: The Role of Social Approval at the Onset of a Crisis’, Academy of Management Review 40(3):345-369 — doi.org
- Olofsson A. (2011) ‘Organizational Crisis Preparedness in Heterogeneous Societies: The OCPH Model’, Journal of Contingencies and Crisis Management 19(4):215-227 — doi.org
- Pate A. (2016) ‘Evaluation of a Tabletop Emergency Preparedness Exercise for Pharmacy Students’, American Journal of Pharmaceutical Education 80(3):50 — doi.org
- Sena A. et al. (2021) ‘Disaster Preparedness Training for Emergency Medicine Residents Using a Tabletop Exercise’, MedEdPORTAL 17:11119 — doi.org