「調停・仲裁は敷居が高い」——だが、名前は硬く、手ざわりは柔らかく、合意は判決より守られる
調停や仲裁は、弁護士を立てて大ごとになる、敷居が高い、と教わる。皮肉なことに、いちばん穏やかに終わらせたい人ほど、いちばん物々しい名前の制度を遠ざけてしまう。硬い言葉が並ぶと、専門家だけの世界に見える。だが、その名前の下にあるのは、たいてい、第三者を交えてもう一度きちんと話す、というだけの手続きだ。しかも、そうしてまとめた合意は、判決より守られる。
前の単位で、当事者どうしで話をまとめる示談・和解の実務が手に入った。ここでは、当事者だけでは収まらないとき、第三者に間に入ってもらう——調停・仲裁を使うにはどうすればいいのかを扱う。ここから段はひとつ進んで、一つひとつの交渉の技から、それを支える制度と組織の話に入る。
「調停や仲裁なんて、弁護士を立てて、難しい書類を書いて、大ごとになる。敷居が高い」——これが、この単位が向き合う俗説である。だが、その「敷居の高さ」は、制度の格式ばった名前が作り出した思い込みである面が大きい。まず断っておくと、この棚は法律相談ではない。あなたの個別のもめ事を調停にすべきか仲裁にすべきかを判じるのは資格を持つ専門家の仕事で、ここで扱うのは、第三者に間に入ってもらうという道が、実際にはどんなものかを知り、選択肢として持てるようにすることである。
民事調停は、思うほど敷居が高くない
まず、確かな事実から。裁判所が運営する民事調停(みんじちょうてい=裁判所で、調停委員を交えて話し合いで解決する手続き)は、公式の説明を読むと、想像よりずっと敷居が低い。裁判所のページは、申立てに特別な法律知識は必要ないこと、費用が低額であること(たとえば少額の請求なら手数料は数百円のこともある)、手続きが非公開であること、そしておおむね三か月ほどで解決に至ることが多いことを示している。一般の市民から選ばれた調停委員が、裁判官とともに間に入り、当事者が話し合う。勝ち負けを決める裁判とは、手続きの手ざわりが違う。ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——制度の格式ばった見た目を、実際の敷居の高さと取り違える。 名前は物々しいが、中身は、第三者を交えた、整理された話し合いだ。当事者だけで向き合うと、感情がぶつかって前に進まないことがある。そこに、利害のない第三者が一人入るだけで、話の温度が下がり、論点が整理され、互いの言い分が場に並ぶ。調停委員は、どちらかに肩入れして裁くのではなく、二人が自分たちで折り合える場所を見つけるのを助ける役だ。だから、勝ち負けを争うより、関係を壊さずに続けたい相手とのもめ事には、この道が向くことがある。
第三者に間に入ってもらう——ADRという道
裁判所の調停のほかにも、第三者に間に入ってもらう道は用意されている。ADR(エーディーアール=裁判外紛争解決手続。裁判以外の方法で、話し合いや第三者の判断によってもめ事を解決するしくみ)だ。日本では、裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(ADR促進法)が二〇〇四年に定められ、法務省が民間のADR機関を認証する「かいけつサポート」というしくみを整えている。仲裁を扱う仲裁法、調停を扱う民事調停法も、制度の法的な土台としてある。ここでは条文の中身までは踏み込まないが——それは専門家の領分だ——押さえておきたいのは、もめ事の解決は、裁判か泣き寝入りかの二択ではなく、そのあいだに、第三者を交えた話し合いという道が、制度として整えられているという一点である。調停は、第三者が話し合いを助けるが、最後に決めるのは当事者自身だ。仲裁は、当事者が「この人の判断に従う」とあらかじめ合意したうえで、第三者が結論を下す。裁判のように公開の法廷で争うのとは違い、どちらも非公開で、専門の知識を持つ第三者が関わることが多い。二択で立ちすくむ前に、このあいだの道があることを知っているだけで、身構え方は変わる。どの道にも、費用・時間・強制力・関係の残り方に、それぞれの向き不向きがある。万能の道は無いが、選べる道が複数あることを知っているのは、それだけで一つの力だ。
合意でまとまった解決は、命じられた解決より守られる
第三者に間に入ってもらう解決には、判決には無い強みがある。自分たちが納得して合意した結果は、上から命じられた結果より、守られやすい。 一九八四年、McEwen と Maiman が *Law & Society Review* 誌 18(1):11-49 で、少額を扱う裁判所での調停を調べ、当事者の合意(コンセント)によって成立した解決は、裁判官が判決で命じた解決よりも、その後きちんと履行される割合が高いことを示した。命じられた側は、渋々従うか、従わないかになりがちだが、自分で「これでいい」と決めた約束は、自分の言葉として残る。もめ事を早く終わらせることだけでなく、終わったあとにその合意が本当に守られるかまで考えると、話し合いでまとめる道は、見た目以上に割がいい。これはアメリカのデータだが、合意が命令より守られやすいという向きは、国を越えて通じる。理屈も素直だ。人は、他人に押しつけられた結論には抵抗を覚えるが、自分が参加して作った結論には、責任を感じる。だから、早く決着させることだけを急いで、相手に一方的にのませた合意は、紙の上ではまとまっても、あとで守られずに蒸し返されやすい。逆に、時間はかかっても、双方が納得して署名した合意は、その後の履行まで含めれば、結局は近道になるのだ。だから、第三者に間に入ってもらうのは、弱さでも敗北でもない。むしろ、守られる合意を作るための、賢い選び方の一つだ。
「裁判が正解」とは限らない——手続の好みは人それぞれ
もう一つ、思い込みをほどいておきたい。「もめたら裁判、それがいちばん正しい解決だ」という感覚だ。だが、当事者が本当に望む手続きは、一様ではない。二〇〇四年、Shestowsky が *Psychology, Public Policy, and Law* 誌 10(3):211-249 で、人々が紛争解決の手続きに対して持つ好みを調べ、人は必ずしも「裁判官に白黒つけてもらうこと」を最善とは考えておらず、自分が声を出せること、公正に扱われることなど、望む手続きの中身は多様であることを示した。同じ二〇〇四年、Wissler が *Conflict Resolution Quarterly* 誌 22(1-2):55-88 で、裁判所に付設された調停などの効果を実証的に総括し、条件しだいで当事者の満足や解決に寄与しうることを整理している。「裁判こそ正解」という一本道を外すと、自分のもめ事に合った手続きを選ぶ余地が見えてくる。 たとえば、相手ともう二度と会わないなら、白黒つける裁判でよいかもしれない。だが、これからも取引を続けたい相手、近所づき合いのある相手、家族なら、勝ち負けをつけた瞬間に関係が終わる裁判より、双方が顔を立てて折り合える調停のほうが、失うものが少ない。ここで大事なのは、これらの実証が海外中心だということだ。日本の制度にそのまま当てはめるのではなく、人が望む手続きは多様だ、という向きだけを受け取る。裁判が向く場面も、もちろんある。要は、最初から一つの道に決めつけず、もめ事の中身と相手に合わせて選ぶことだ。
時間・変化:1984年から2004年へ
順に置く。一九八四年、McEwen と Maiman が、合意による解決は判決より守られやすいことを示す。二〇〇四年、Shestowsky が、当事者の手続きの好みは多様で「裁判が正解」とは限らないことを示し、Wissler が、裁判所付設の調停などの効果を実証的に総括する。そして日本では、同じ二〇〇四年にADR促進法が定められ、裁判外の解決を後押しするしくみが整えられていく。この二十年で確からしくなったのは、「調停・仲裁は敷居が高い」ではない。確からしくなったのは、第三者を交えた話し合いは、思うほど敷居が高くなく、合意による解決はむしろ守られやすく、裁判だけが正解ではない——という向きのほうだ。制度は年々使いやすく整えられ、研究は合意型の解決の強みを積み重ねてきた。だが、その存在を知らなければ、道は無いのと同じである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「調停・仲裁」という名前の物々しさに、実際の手続きの手ざわりを重ねてしまうことである。名前は硬いが、民事調停の中身は、第三者を交えた整理された話し合いで、特別な法律知識も、大きな費用も要らないことが多い。助けになるのは、もめ事が起きたときの選択肢を、「裁判か、我慢か」の二択ではなく、当事者どうしの話し合い・調停・仲裁・裁判という幅のあるものとして、あらかじめ知っておくことだ。選択肢を知っていること自体が、いざというときの落ち着きを生む。追い詰められてから初めて手続きを調べると、焦って極端な道を選びがちだ。だが、平時に道の地図をざっと持っておけば、もめ事が起きても、いきなり裁判を振りかざしたり、逆にすべてを我慢したりせずに、間の道を落ち着いて選べる。もめ事は避けられないが、対処の幅は、事前の知識で確かに広げられる。
この棚は法律相談ではない。ここで挙げた制度の説明は、あなたの個別のもめ事を、どの手続きで解決すべきかを判定するものではない。判定は資格を持つ専門家の仕事だ。この単位が渡すのは、専門家のドアを叩く前に、話し合いによる第三者関与という道の、およその輪郭を知っておく地図である。地図があれば、いざというとき、どのドアを叩けばよいか、落ち着いて見当をつけられる。
最初の一歩は10分。自分がいま抱えている、あるいは抱えうるもめ事を一つ思い浮かべる。それを、(1)当事者どうしの話し合いで収める、(2)調停など第三者に間に入ってもらう、(3)裁判で決着をつける——の三つに並べ、それぞれについて、かかりそうな費用・時間・相手との関係が続くかどうかを、見当でよいので書き出す。特定の相手を訴える対象として品定めしない。自分の手元のもめ事について、道の選択肢を棚卸しするだけである。
- 桃の段(制度と組織)の頭の単位。調停・仲裁は敷居が高いという感覚は制度の格式ばった名前が作った思い込みである面が大きい。裁判所の民事調停(調停委員を交えて話し合いで解決する手続き)は、公式の説明によれば申立てに特別な法律知識は必要なく、費用が低額で、非公開で、おおむね三か月ほどで解決に至ることが多い。証拠の読み違え方は、制度の格式ばった見た目を、実際の敷居の高さと取り違えること
- 裁判所の調停のほかにもADR(裁判外紛争解決手続=裁判以外の方法で話し合いや第三者の判断でもめ事を解決するしくみ)の道がある。日本ではADR促進法が2004年に定められ、法務省が民間のADR機関を認証するかいけつサポートを整えている。仲裁法・民事調停法も制度の法的土台。条文の中身は専門家の領分で踏み込まない
- もめ事の解決は、裁判か泣き寝入りかの二択ではなく、そのあいだに第三者を交えた話し合いという道が制度として整えられている。この単位はその輪郭を知り選択肢として持てるようにするもので、個別のもめ事をどの手続きで解決すべきかは判定しない(法律相談ではない)
- McEwen・Maiman 1984(Law & Society Review 18(1):11-49)は、少額を扱う裁判所での調停で、当事者の合意(コンセント)によって成立した解決は、裁判官が判決で命じた解決よりもその後きちんと履行される割合が高いことを示した。命じられた側は渋々従うか従わないかになりがちだが、自分で決めた約束は自分の言葉として残る。合意が命令より守られやすいという向きは国を越えて通じる
- Shestowsky 2004(Psychology, Public Policy, and Law 10(3):211-249)は、人々が紛争解決の手続きに持つ好みは一様でなく、裁判官に白黒つけてもらうことを必ずしも最善と考えておらず、望む中身は多様だと示した。裁判こそ正解という一本道を外すと、自分のもめ事に合った手続きを選ぶ余地が見えてくる
- Wissler 2004(Conflict Resolution Quarterly 22(1-2):55-88)は、裁判所に付設された調停などの効果を実証的に総括し、条件しだいで当事者の満足や解決に寄与しうると整理した。ADR効果の実証は海外中心のため普遍傾向として引き、日本の制度に断定転用しない
- 確からしくなったのは、調停・仲裁は敷居が高い、ではない。第三者を交えた話し合いは思うほど敷居が高くなく、合意による解決はむしろ守られやすく、裁判だけが正解ではない、という向き。助けになるのは、もめ事の選択肢を裁判か我慢かの二択でなく、話し合い・調停・仲裁・裁判という幅のあるものとしてあらかじめ知っておくこと。選択肢を知っていること自体がいざというときの落ち着きを生む
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 調停や仲裁は、弁護士を立てて難しい書類を書き、大ごとになる敷居の高い手続きだ | 裁判所が運営する民事調停は、公式の説明によれば申立てに特別な法律知識は必要なく、費用が低額で、非公開で、おおむね三か月ほどで解決に至ることが多い。一般市民から選ばれた調停委員が裁判官とともに間に入り当事者が話し合う。制度の格式ばった見た目を、実際の敷居の高さと取り違えてはならない。名前は物々しいが、中身は第三者を交えた整理された話し合いである |
| もめたら裁判で白黒つけてもらうのが、いちばん正しく確実な解決だ | Shestowsky 2004は、人々が紛争解決の手続きに持つ好みは一様でなく、裁判官に白黒つけてもらうことを必ずしも最善とは考えておらず、望む中身は多様だと示した。Wissler 2004は裁判所付設の調停が条件しだいで満足や解決に寄与しうると総括した。裁判こそ正解という一本道を外すと、自分のもめ事に合った手続きを選ぶ余地が見えてくる |
| 第三者に間に入ってもらってまとめても、しょせん口約束で、判決のような強制力がないから守られない | McEwen・Maiman 1984は、少額を扱う裁判所での調停を調べ、当事者の合意によって成立した解決は、裁判官が判決で命じた解決よりも、その後きちんと履行される割合が高いことを示した。命じられた側は渋々従うか従わないかになりがちだが、自分でこれでいいと決めた約束は自分の言葉として残る。合意が命令より守られやすいという向きは国を越えて通じる |
皮肉なのは、いちばん穏やかに終わらせたい人ほど、いちばん物々しい名前の制度を遠ざけてしまうことである。調停、仲裁、ADR——硬い言葉が並ぶと、専門家だけの世界に見えて、話し合いで収めたいだけの自分には縁がないと感じる。だが、その名前の下にあるのは、たいてい、第三者を交えて、もう一度きちんと話す、というだけの手続きだ。しかも、そうしてまとめた合意は、判決より守られる。裁判所は、勝ち負けをつける場所であると同時に、話し合いを助ける場所でもある。もめ事の前で立ちすくむとき、思い出すことだ——道は、裁判か我慢かの二択ではない。そのあいだに、名前は硬いが手ざわりの柔らかい道が、いくつも用意されている。
Q1. 「調停・仲裁は敷居が高い」という思い込みを、裁判所の民事調停の公式の説明に触れて反証せよ。何を何と取り違えているのかにも触れること。一問一答
Q2. McEwen・Maiman 1984 が少額裁判所の調停について示したこととして正しいものはどれか。選択
Q3. 日本では、____ 年に裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(____ 促進法)が定められ、法務省が民間のADR機関を認証する「____ サポート」を整えている。もめ事の解決は、裁判か ____ かの二択ではなく、そのあいだに第三者を交えた話し合いの道がある。穴埋め
Q4. 「もめたら裁判が正解」という感覚を、Shestowsky 2004 と Wissler 2004 に触れて相対化せよ。手続きを選ぶうえで何が見えてくるかも述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱ったことを、年の早い順に並べよ。(ア)Shestowsky が手続きの好みは多様と示す(イ)McEwen・Maiman が合意は判決より守られると示す(ウ)日本でADR促進法が定められる(エ)Wissler が裁判所付設調停の効果を総括する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分がいま抱えている、あるいは抱えうるもめ事を一つ思い浮かべる——代金の行き違い、契約のもめ、近隣や取引の食い違いなど。それを三つの道に並べる。(1)当事者どうしの話し合いで収める。(2)調停など第三者に間に入ってもらう。(3)裁判で決着をつける。それぞれについて、かかりそうな費用・時間・相手との関係がその後も続くかを、見当でよいので書き出す。最後に、いまの自分のもめ事にはどの道が合いそうかを一言。特定の相手を訴える対象として品定めしない。点検するのは、自分の手元のもめ事の道の選択肢である。一人で商いを回している場合も、自分が抱えるもめ事一つで同じ三つを並べればよい。この記録は道を知る棚卸しであって、個別の勝ち負けや手続きの判定ではない。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- 裁判所「民事調停」(手続きの特徴・2024年時点の掲載) — www.courts.go.jp
- 法務省「かいけつサポート(認証ADR)/裁判外紛争解決手続」(2024年時点の掲載) — www.moj.go.jp
- 裁判外紛争解決手続の利用の促進に関する法律(ADR促進法・2004年法律第151号) — laws.e-gov.go.jp
- McEwen C.A., Maiman R.J. (1984) ‘Mediation in Small Claims Court: Achieving Compliance Through Consent’, Law & Society Review 18(1):11-49 — doi.org
- Shestowsky D. (2004) ‘Procedural Preferences in Alternative Dispute Resolution: A Closer, Modern Look at an Old Idea’, Psychology, Public Policy, and Law 10(3):211-249 — doi.org
- Wissler R.L. (2004) ‘The Effectiveness of Court-Connected Dispute Resolution in Civil Cases’, Conflict Resolution Quarterly 22(1-2):55-88 — doi.org