「話し合えば収まる」——だが収まるのは、相手が何を欲しがっているかに気づいた先である
「話し合えばわかる」「誠意をもって謝れば収まる」と最も強く信じている人ほど、相手が本当は何を求めているのかを、いちばん確かめていない。謝罪は確かに和解を動かす——だが、責任を認める謝罪と、ただ遺憾を述べる謝罪では意味が違い、その意味は文化によっても変わる。しかも人の頭には、相手の提案というだけで値引きし、譲ることを損と感じ、自分の正しさを疑わない癖が、もともと備わっている。
もめ事を話し合いで収めるとは、何を指すのか
前の単位で、決裂を糧にする振り返りが手に入った。それを、こじれてしまったもめ事を、こんどは話し合いで収める段へと進める。
まず言葉をほどく。もめ事を話し合いで収めるとは、争いを、裁判のような力ではなく、当事者どうしの合意で決着させることである。その合意を法的には示談と呼ぶ。日本の民法は、争いをやめる合意を和解契約として定めている(民法第695条=法令事実)。俗説は言う——「話し合えば収まる」。だが、この単位は、その「収まる」がどんな条件のもとで起きるかを見る。交渉のテーブルにつくのは交渉担当だけではない。もめ事を自分で収めるしかない店主も、取引先とこじれた個人も、身内の争いを抱える人も、ここに立つ。あらかじめ強く断っておく——この単位は法律相談ではない。 「この件は示談すべきだ」といった個別の判断はしないし、示談書の文面も渡さない。そして、謝罪を、相手を操るための手口としては書かない。 書けるのは、謝罪や和解について研究が確かめてきた事実と、民法が定める枠組みまでである。言うことは三つ。収めるとは何を指すのか、話し合うとどこまで収まると確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。
「話し合えば収まる」の裏——謝罪は動かすが、型と文脈次第
まず、謝罪の力から。Robbennoltが2003年に『Apologies and Legal Settlement』(Michigan Law Review 102(3):460-516) で実験的に調べたのは、謝罪が、争っている相手の和解に向かう気持ちを動かす、ということだった。ただし、その効き方は一様ではない。
Robbennoltが2006年に『Apologies and Settlement Levers』(Journal of Empirical Legal Studies 3(2):333-373) でさらに示したのは、謝罪の型によって効果が変わるということだ。責任を認める踏み込んだ謝罪と、ただ遺憾の意を示すだけの謝罪とでは、相手の受け取り方が違う。つまり「謝れば収まる」という単純な話ではなく、どんな謝罪を、どんな場面で示すかによって、和解が動いたり動かなかったりする。ここで橙の段の見方を当てておく——謝罪や話し合いの教えは実在するが、その効き目は相手と文脈しだいで、必ず収まると保証されているわけではない。
謝罪の意味は、日米で違う
しかも、謝罪の意味そのものが、文化によって違う。WagatsumaとRosettが1986年に『The Implications of Apology: Law and Culture in Japan and the United States』(Law & Society Review 20(4):461-498) で示したのは、謝罪が果たす役割が、日本とアメリカで大きく異なる、ということだった。
一方の文化では、謝罪は「非を認めて責任を引き受ける」という法的に重い意味を強く帯び、もう一方では、争いを収め関係を修復する社会的な所作としての面が強い。同じ「すみません」でも、それが責任の全面的な承認と受け取られる場では、うかつに口にできない。逆に、まず頭を下げることが対話の入口になる場では、謝らないこと自体が不誠実の証と見なされる。この違いは、謝罪の研究を読むときに欠かせない補助線になる。先に挙げた謝罪と和解の実験の多くはアメリカで行われたものだ。だから、その結果を日本のもめ事にそのまま当てはめることはできない。言えるのは、「謝罪は和解を動かしうるが、その意味も効き方も、型と文脈と文化しだいだ」ということまでである。謝罪は、収めるための万能スイッチではない。
話しても収まらない——和解を妨げる心理的障壁
そもそも、話し合っても収まらない場面には、心理の壁がある。KorobkinとGuthrieが1994年に『Psychological Barriers to Litigation Settlement』(Michigan Law Review 93(1):107-192) で実験的に示したのは、和解を妨げるいくつかの心理的な障壁だった。
たとえば、同じ提案でも「相手が出してきた」というだけで、その価値を低く見積もってしまう傾向(相手の提案を割り引いて受け取る心理)がある。こちらから見れば妥当な譲歩でも、相手の口から出た瞬間に、裏があるのではと身構えてしまう。また、人は得より損に強く反応するため、「譲る」ことが実際以上の損失に感じられて、応じにくくなる。手にしていたものを手放す痛みは、同じだけの得を諦める痛みより、大きく感じられる。さらに、前の単位でも見た自己奉仕的な見立てが働き、双方が「自分のほうが正しい」と信じているために、折り合う地点がずれる。二人とも、自分の記憶と理屈のなかでは正しいのだ。これらは、相手が理不尽だから起きるのではなく、人の判断にもともと備わった癖として、誠実な当事者の間でも起きる。「話し合えば収まる」が成り立たないのは、しばしば、この壁のせいである。だから、収めにいくときは、相手の頑固さを責める前に、自分の側にも同じ壁が立っていないかを、一度見ておくのがよい。
制度化された謝罪・開示は、賠償請求を減らしたが万能ではない
では、謝罪や情報開示を、個人の善意任せにせず、仕組みとして制度化したらどうか。ひとつの手がかりが、医療の分野にある。Kachaliaらが2010年に『Liability Claims and Costs Before and After Implementation of a Medical Error Disclosure Program』(Annals of Internal Medicine 153(4):213-221) で報告したのは、医療上の誤りを患者に開示し、必要に応じて謝罪する仕組みを導入した後、賠償請求やその費用が減った、という実例だった。
これは、隠すより開いて謝るほうが、争いを収める方向に働きうることを示す、力づよい事例だ。誤りを隠せば、相手は「ごまかされた」という怒りを、もとの被害に上乗せする。開いて謝れば、少なくともその上乗せは避けられる。ただし、これは特定の医療機関での事例であり、あらゆるもめ事に同じ結果が出ると断定はできない。文化も、制度の作り込みも、扱う争いの種類も違えば、結果は変わりうる。制度として開示と謝罪を組み込むことには効果がありうる——だがそれも、万能の処方ではない。ここでも、「収まる」は条件つきである。仕組みは助けになるが、それだけで、すべてのもめ事が収まるわけではない。大事なのは、開いて謝るという方向そのものは有望だと知りつつ、それを唯一の正解として過信しないことだ。
時間・変化:1986年から2010年へ
順に置く。1986年、WagatsumaとRosettが、謝罪の意味の日米の違いを示す。1994年、KorobkinとGuthrieが、和解を妨げる心理的障壁を実験で示す。2003年、Robbennoltが謝罪が和解の気持ちを動かすことを、2006年、Robbennoltが謝罪の型で効果が変わることを示し、2010年、Kachaliaらが開示・謝罪の制度化が賠償請求を減らした実例を報告した。
この間に確からしくなったのは、「話し合えば収まる」という約束ではない。確からしくなったのは、謝罪は和解を動かしうるがその意味も効き方も型と文脈と文化しだいで、和解には心理的障壁があり、制度化には効果がありうるが万能ではない、という条件の側の事実である。収めるということは、話し合いさえすれば自動で起きてくれるわけではない。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「話し合えば収まる」「謝れば済む」と単純に信じて、相手が本当に何を求めているのかを確かめないことである。求めているのが謝罪なのか、金銭なのか、それとも壊れてしまった関係の修復なのかで、収め方も、かける言葉も、まるで違ってくる。もう一つの妨げは、心理的障壁を「相手が理不尽だから」と片づけて、自分の側の癖(相手の提案を割り引く・自分が正しいと信じる)を見ないことだ。
助けになるのは、収めにいく前に、相手が何を求めているか(謝罪か・金銭か・関係か)と、自分の留保値(ここまでなら受けられる、という線)を、分けて書き出しておくことである。求めているものが分かれば、謝罪で足りるのか、条件の話が要るのかが見えてくる。よくあるのは、相手が本当は「非を認めてほしい」だけなのに、こちらが金銭の話だと思い込んで身構え、話がこじれていく、という食い違いだ。逆に、謝ればいいと思っていたら、実は具体的な埋め合わせを求められていた、ということもある。相手が欲しがっているものを取り違えたまま、いくら誠意を尽くしても、それは相手の欲しい誠意ではない。
最初の一歩は、次の単位に進む前に、自分がいま抱えている(または最近収めた)もめ事を一つ取り出し、相手が求めているものと、自分の留保値を書き出してみること。相手を試したり、謝罪を武器として使う練習をしたりする必要はない。何を求められ、自分はどこまで受けられるのかを、自分の手元で整理するだけでよい。整理してみて、求められているものが自分の留保値の内側にあるなら、収まる道はある。外側にあるなら、それは前の単位で見た「決裂」も選択肢に入る場面だ、と分かる。
次の単位は 477「調停・仲裁を使うには?」——当事者だけではどうしても収まらないとき、第三者の力を借りる段へと進む。
- もめ事を話し合いで収めるとは争いを力でなく当事者どうしの合意で決着させることで、その合意を法的には示談と呼ぶ。日本の民法は争いをやめる合意を和解契約として定める(民法第695条=法令事実)。この単位は法律相談ではなく個別の示談すべき判断も示談書の文面も渡さず、謝罪を相手を操る手口としては書かず、謝罪や和解の研究の事実と民法の枠組みまでを扱う
- Robbennolt 2003『Apologies and Legal Settlement』(Michigan Law Review 102(3):460-516)は謝罪が争っている相手の和解に向かう気持ちを動かすことを実験的に示した。Robbennolt 2006『Apologies and Settlement Levers』(Journal of Empirical Legal Studies 3(2):333-373)は謝罪の型(責任を認める踏み込んだ謝罪か遺憾の意だけか)によって効果が変わると示した。謝れば収まる単純な話ではなく型と場面しだいである
- WagatsumaとRosett 1986『The Implications of Apology: Law and Culture in Japan and the United States』(Law & Society Review 20(4):461-498)は謝罪が果たす役割が日本とアメリカで大きく異なると示した。謝罪と和解の実験の多くはアメリカで行われたもので、その結果を日本のもめ事にそのまま当てはめられない。言えるのは謝罪は和解を動かしうるが意味も効き方も型と文脈と文化しだいということまで
- KorobkinとGuthrie 1994『Psychological Barriers to Litigation Settlement』(Michigan Law Review 93(1):107-192)は和解を妨げる心理的障壁を実験で示した。同じ提案でも相手が出したというだけで価値を低く見る傾向、得より損に強く反応し譲ることが損失に感じられる傾向、双方が自分のほうが正しいと信じる自己奉仕的な見立てが働く。これらは相手が理不尽だからでなく人の判断に備わった癖として誠実な当事者間でも起きる
- Kachaliaら2010『Liability Claims and Costs Before and After Implementation of a Medical Error Disclosure Program』(Annals of Internal Medicine 153(4):213-221)は医療上の誤りを患者に開示し必要に応じ謝罪する仕組みを導入した後、賠償請求やその費用が減った実例を報告した。隠すより開いて謝るほうが争いを収める方向に働きうるが、特定の医療機関の事例でありあらゆるもめ事に同じ結果が出るとは断定できず制度化も万能ではない
- この間に確からしくなったのは話し合えば収まるという約束ではなく、謝罪は和解を動かしうるがその意味も効き方も型と文脈と文化しだいで、和解には心理的障壁があり、制度化には効果がありうるが万能ではないという条件の側の事実である。収めることは話し合いさえすれば自動で起きるわけではない
- 妨げの筆頭は話し合えば収まる・謝れば済むと単純に信じて相手が本当に何を求めているか(謝罪か・金銭か・関係の修復か)を確かめないこと。求めるものが分かれば謝罪で足りるか条件の話が要るかが見える。助けになるのは収めにいく前に相手が求めているものと自分の留保値(ここまでなら受けられる線)を分けて書き出すことで、収まるもめ事は正しさを言い合った先でなく相手が何を欲しがるかに気づいた先にある
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| もめ事は、誠意をもって話し合い、きちんと謝れば収まる | 謝罪は和解を動かしうるが、それは条件つきである。Robbennolt 2003は謝罪が相手の和解に向かう気持ちを動かすことを、2006は謝罪の型(責任を認める踏み込んだ謝罪か遺憾の意だけか)で効果が変わることを示した。さらにWagatsuma & Rosett 1986は謝罪の意味が日本とアメリカで大きく異なると示し、米国の実験を日本にそのまま当てはめられない。謝罪は収めるための万能スイッチではなく、この単位は謝罪を相手を操る手口としては書かない |
| 話し合っても収まらないのは、相手が理不尽で強情だからだ | 和解には心理的障壁がある。Korobkin & Guthrie 1994は、同じ提案でも相手が出したというだけで価値を低く見積もる傾向、得より損に強く反応して譲ることを損失に感じる傾向、双方が自分のほうが正しいと信じる傾向を実験で示した。これらは相手が理不尽だから起きるのではなく、人の判断にもともと備わった癖として誠実な当事者の間でも起きる。収まらないのはしばしばこの壁のせいで、自分の側の癖も見る必要がある |
| 謝罪や情報開示を仕組みとして制度化すれば、もめ事は確実に減らせる | 制度化には効果がありうるが万能ではない。Kachaliaら2010は、医療上の誤りを患者に開示し必要に応じ謝罪する仕組みを導入した後に賠償請求やその費用が減った実例を報告した。隠すより開いて謝るほうが争いを収める方向に働きうるが、これは特定の医療機関の事例であり、あらゆるもめ事に同じ結果が出るとは断定できない。仕組みは助けになるが、それだけですべてのもめ事が収まるわけではない |
皮肉なのは、「話し合えばわかる」「誠意をもって謝れば収まる」と最も強く信じている人ほど、相手が本当は何を求めているのかを、いちばん確かめていないことである。謝罪は確かに和解を動かす——だが、責任を認める謝罪と、ただ遺憾を述べる謝罪では意味が違い、その意味は文化によっても変わる。しかも人の頭には、相手の提案というだけで値引きし、譲ることを損と感じ、自分の正しさを疑わない癖が、もともと備わっている。話し合いは、収めるための道具ではあっても、収まることの保証ではない。収まるもめ事は、たいてい、正しさを言い合った先ではなく、相手が何を欲しがっているかに、こちらが気づいた先にある。
Q1. Robbennolt 2003と2006が謝罪について示したことを述べ、この単位が謝罪をどう扱わないと断っているかにも触れよ。一問一答
Q2. Wagatsuma & Rosett 1986を踏まえ、謝罪と和解の研究(多くは米国の実験)を日本のもめ事に「そのまま当てはめられない」理由を述べよ。一問一答
Q3. Korobkin & Guthrie 1994が示した「和解を妨げる心理的障壁」として、この単位の説明に合うものはどれか。選択
Q4. Kachaliaら2010は、医療上の誤りを患者に ____ し、必要に応じて ____ する仕組みを導入した後、____ やその費用が減った実例を報告した。ただし特定の医療機関の事例であり、制度化も ____ ではない。穴埋め
Q5. もめ事の和解をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Robbennoltが謝罪が和解の気持ちを動かすと示す(イ)Wagatsuma & Rosettが謝罪の意味の日米の違いを示す(ウ)Kachaliaらが開示・謝罪の制度化が賠償請求を減らした実例を示す(エ)Korobkin & Guthrieが和解を妨げる心理的障壁を示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分がいま抱えている(または最近収めた)もめ事を一つ思い浮かべる。それについて、二つを分けて書き出す。(1)相手が本当に求めているものは何か——謝罪(非を認めてほしい)なのか、金銭など条件の話なのか、関係の修復なのか。分かる範囲で、憶測は憶測と分かるように書く。(2)自分の留保値——このもめ事について、ここまでなら受けられる、これ以下は受けられない、という線。そのうえで、相手が求めているものが謝罪で足りるのか、条件の話が要るのかを、一言メモする。相手を試したり、謝罪を武器として使う練習をしたりする必要はなく、何を求められ自分はどこまで受けられるのかを自分の手元で整理して完結させる。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Robbennolt J.K. (2003) ‘Apologies and Legal Settlement: An Empirical Examination’, Michigan Law Review 102(3):460-516 — doi.org
- Robbennolt J.K. (2006) ‘Apologies and Settlement Levers’, Journal of Empirical Legal Studies 3(2):333-373 — doi.org
- Wagatsuma H., Rosett A. (1986) ‘The Implications of Apology: Law and Culture in Japan and the United States’, Law & Society Review 20(4):461-498 — doi.org
- Korobkin R., Guthrie C. (1994) ‘Psychological Barriers to Litigation Settlement: An Experimental Approach’, Michigan Law Review 93(1):107-192 — doi.org
- Kachalia A. ほか (2010) ‘Liability Claims and Costs Before and After Implementation of a Medical Error Disclosure Program’, Annals of Internal Medicine 153(4):213-221 — doi.org
- 民法(明治29年法律第89号)第695条(和解)(2026年閲覧) — laws.e-gov.go.jp