「残せと言えば証拠は残る」——だが、号令では文化は作れず、残した記録は自分にも刃を向ける
証拠を残す文化を作るには、社員に残せと号令をかければいい、と教わる。皮肉なことに、いちばん熱心に証拠を残せと号令をかける組織ほど、いちばん残らない。号令は意気込みを求め、意気込みは長続きせず、続かない記録は肝心の日に限って抜けている。逆に、誰も証拠のためとは思っていない、ただの日々の控えが、あとになって効いてくる。記録は力んで残すものではなく、流れのなかにたまるものだ。
前の単位では、訴訟という有事の実態と、その割に合わなさを扱った。ここでは、その有事に備えて——証拠を残す文化を作るにはどうすればいいのかを扱う。
「有事に備えて、証拠を残せ。社員に『ちゃんと記録を残すように』と号令をかければ、証拠は残る」——これが、この単位が向き合う俗説である。もめたときに物を言うのは記録だ、というのは確かに正しい。日本の民事訴訟にも、有事に証拠を確保する仕組みは制度として用意されている。だが、「残せと言えば残る」という前提と、「残せば守れる」という前提には、それぞれ落とし穴がある。
有事の証拠は、制度として用意されている
まず、事実から。日本の民事訴訟法には、争いになったときに証拠を守り、引き出すための手続きが定められている。訴訟の前や途中で証拠が失われそうなときに、あらかじめ調べておく証拠保全(民事訴訟法第234条)や、相手方などが持っている文書を出させる文書提出命令(同第220条以下)が、その代表だ。ここでは条文の中身を書き写すことはしない——それは資格を持つ専門家の領分であり、この棚は法律相談ではない。押さえておきたいのは、有事に証拠を確保する道は、思いつきの自衛ではなく、法律の手続きとして存在するという一点である。だからこそ、その手続きに載せられる記録が、ふだんから残っているかどうかが効いてくる。手続きが用意されていても、いざ引き出そうとした記録が、そもそも取られていなければ、制度は空を掴む。逆に言えば、有事の制度をどれだけ知っていても、平時の記録が伴わなければ意味をなさない。この単位が「証拠を残す文化」を問題にするのは、制度の入口に立ったとき、手ぶらで来る人が多いからだ。有事に強い会社と弱い会社の差は、法律の知識の差ではなく、平時にどれだけ記録が自然にたまっていたかの差であることが多い。知識は当日に借りられるが、過去の記録は、当日には作れない。だから、いちばんの備えは、平時にこつこつ積もった、ふつうの記録である。
「残す文化」は、号令では作られない
では、その記録は、号令をかければ残るのか。ここで正直に言っておかねばならないことがある。「記録を残す文化」がどうすれば根づくのかを、きちんとした標本で測った学術研究は、驚くほど薄い。 「残せと言えば残る」を裏づける実証も、「こうすれば残る文化ができる」という確かな処方も、ほとんど見当たらない。これは固定資産の台帳と現物の話(別の棚で扱った)と同じ構図で、実務では常識のように語られるのに、その効果を測った土台が薄い。だからこの単位は、「こう号令すれば記録文化ができる」という手順を売らない。確かに言えるのは、号令の有無より、記録が日々の仕事の流れに自然に組み込まれているかのほうが効く、という程度のことだ。特別な意気込みを必要とする記録は続かず、続かない記録は、いざというとき残っていない。号令は、かけた瞬間はもっとも威勢がよく、翌週にはもう薄れている。人は、意識して頑張らないと続かないことを、たいてい続けられない。だから「今日から全員、議事録を必ず残すこと」という通達より、会議のツールが勝手に記録を残す設計のほうが、はるかに確実に記録を残す。文化とは、努力の総量ではなく、努力しなくても回る仕組みの別名だ。ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——「残せ」と言ったこと(号令)を、記録が残ったこと(実態)と取り違える。 通達の数と、残った記録の量は、比例しない。
記録は、両刃である
さらに厄介なのは、残した記録は、自分に有利にも、不利にも働くということだ。都合のいい記録だけが残るわけではない。もめたときに引き出される文書のなかには、自社にとって不利な一文——後から「決定的な証拠(スモーキングガン)」と呼ばれるもの——が混じりうる。だからといって、不利になりそうな記録を消したり残さなかったりするのは、道を誤る。証拠隠しは、それ自体が新たな、より重い問題を生む。正しい構えは、不利な記録も残る前提で、正直な記録を淡々と残しておくことである。これは、この棚の禁止事項の裏返しでもある——この単位は、証拠を隠す方法も、自社に都合のいい記録だけを作る方法も、書かない。
この両刃の性質と、それが生むコストを考えるうえで、隣の分野の実証が手がかりになる。医療の世界には、防衛医療という言葉がある。1996年、Kessler と McClellan が *The Quarterly Journal of Economics* 誌 111(2):353-390 で、訴えられることへの恐れが、医師に過剰な検査や記録といった防衛的な行動を取らせることを示した。2005年には Studdert らが *JAMA* 誌 293(21):2609-2617 で、訴訟リスクの高い環境の専門医のあいだで、こうした防衛的な行動が実際に広く行われている実態を報告した。これは医療の話であって、記録一般にそのまま当てはめるものではない。だが、訴訟への恐れが、コストは確実に増えるのに便益は不確かな、過剰な備えを生みうるという構造は、記録にも通じる。「念のため」の記録を無限に増やせば、いつか記録すること自体が本業を圧迫し、本末が転倒する。
記録は、コストであり、戦略でもある
記録は、ただの保険ではない。いざ訴訟になれば、電子データを含む大量の記録を探し、整理し、開示する作業そのものが、大きな費用を生む。2012年、Pace と Zakaras が RAND の民事司法研究所の研究ブリーフで、電子証拠開示(イーディスカバリー=訴訟でやり取りされる電子データの開示)にかかる費用の構造を分析した。これは査読論文ではなく研究機関の報告書であり、数値はその報告の主張として読む必要があるが、記録が増えるほど、有事にそれを扱うコストも膨らむという向きははっきりしている。2016年、Hubbard が *Journal of Law, Economics, and Organization* 誌 32(3):545-585 で、証拠開示にかかる費用の重さそのものが、和解するかどうかの駆け引きを左右しうることを示したように、記録のコストは、単なる事務作業ではなく、紛争の帰趨に関わる戦略的な要素でもある。残す記録は、少なすぎれば有事に丸腰になり、多すぎればコストに埋もれる。 号令一つで解決する話ではない。「とにかく全部残せ」も「面倒だから最小限で」も、どちらも極端で、それぞれの端に落とし穴が待っている。ちょうどよい量は、業種や取引の重さによって違い、外から一律には決められない。だから、この単位が渡せるのは正解の量ではなく、量には両端に落とし穴があると知って、自分の商いに合う置き場所を探す、その物差しだけである。目安になるのは、もめたときに本当に問われそうな場面はどこか、という問いだ。すべてを均等に残すのではなく、争いになりやすい約束事のまわりに記録を厚く、それ以外は軽く——濃淡をつけることが、丸腰と埋没のあいだの現実的な落としどころになる。
時間・変化:1996年から2016年へ
順に置く。1996年、Kessler と McClellan が、訴えられる恐れが過剰な防衛的行動を生むことを、医療のデータで示す。2005年、Studdert らが、防衛的な行動が実際に広く行われている実態を報告する。2012年、Pace と Zakaras が、電子証拠開示の費用構造を分析し、記録が増えるほど有事のコストも膨らむことを示す。2016年、Hubbard が、証拠開示の費用の重さが和解の駆け引きを左右しうることを示す。この二十年で確からしくなったのは、「残せと言えば証拠は残る」ではない。確からしくなったのは、記録が根づく文化の作り方を測った土台は薄く、記録は両刃で、しかもコストと戦略の性質を帯びる——という向きのほうだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「残せ」という号令を、記録が残る仕組みだと思い込むことである。号令は続かず、続かない記録はいざというとき無い。助けになるのは、記録を、意気込みではなく、日々の仕事の流れに埋め込むことだ。取引のたびに自動でメールの控えが残る、やり取りが一つの場所に集まる、決めごとはその場で短く書き交わす——特別な努力を要しない記録だけが、続く。大事なのは、記録を「あとで証拠になるかもしれないから残す」ものではなく、「今日の仕事を進めるために自然に生まれる」ものにすることだ。前者は身構えを要して続かないが、後者は仕事そのものの副産物として勝手にたまっていく。そして、不利な記録も残る前提で、正直に残す。都合よく作った記録は、いざ引き出されたとき、かえってこちらの信用を崩す。人は、都合のいいことしか書いていない記録を、そもそも信じないからだ。
処遇や契約と同じで、法的リスクを背負うのは、最後は自分だ。この棚は法律相談ではなく、証拠保全や文書提出命令が「どういう手続きか」を、あなたの個別の事案について判定することもしない。渡すのは、有事にものを言う記録が、ふだんの流れのなかに残っているかを、自分で点検する視点である。
最初の一歩は10分。自分の商いで、「後から問われたら困る場面」と「後から問われたら助かる場面」を、一つずつ思い浮かべる。それぞれについて、(1)いま、その場面の記録は残っているか、(2)残っているなら、それは特別な努力なしに自然に残る仕組みか、(3)不利なことも含めて正直に残っているか、を書く。取引先や従業員を、証拠集めの対象として観察しない。点検するのは、自分の記録の付け方だけである。
- 有事に証拠を確保する道は、思いつきの自衛ではなく法律の手続きとして存在する。日本の民事訴訟法には、証拠が失われそうなときに先に調べておく証拠保全(民事訴訟法第234条)や、相手方などの持つ文書を出させる文書提出命令(同第220条以下)が定められている。条文の中身は書き写さず(法律相談ではない)、手続きに載せられる記録がふだんから残っているかが効いてくる
- 記録を残す文化がどうすれば根づくかをきちんとした標本で測った学術研究は驚くほど薄い。残せと言えば残るを裏づける実証も、こうすれば残る文化ができるという確かな処方もほとんど見当たらない。実務では常識のように語られるのに効果を測った土台が薄く、この単位はこう号令すれば記録文化ができるという手順は売らない。効くのは号令の有無より記録が日々の流れに自然に組み込まれているか
- 証拠の読み違え方は、残せと言ったこと(号令)を、記録が残ったこと(実態)と取り違えること。特別な意気込みを必要とする記録は続かず、続かない記録はいざというとき残っていない。特別な努力を要しない記録だけが続く
- 残した記録は自分に有利にも不利にも働く両刃である。もめたときに引き出される文書には自社に不利な一文(スモーキングガン)が混じりうる。だからといって不利な記録を消す・残さないのは証拠隠しという新たな重い問題を生む。正しい構えは不利な記録も残る前提で正直に残すこと。この単位は証拠を隠す方法も都合のいい記録だけを作る方法も書かない
- 記録の両刃性とコストの手がかりとして、防衛医療の実証を明示的な類推として使う。Kessler・McClellan 1996(The Quarterly Journal of Economics 111(2):353-390)は訴えられる恐れが過剰な防衛的行動を生むと示し、Studdert ら2005(JAMA 293(21):2609-2617)はその実態を報告した。医療の話で記録一般に断定転用しないが、訴訟への恐れがコスト増だが便益の不確かな過剰な備えを生む構造は記録に通じる
- 記録はコストであり戦略でもある。Pace・Zakaras 2012(RAND民事司法研究所の研究ブリーフ・非査読)は電子証拠開示(訴訟の電子データの開示)の費用構造を分析し、記録が増えるほど有事のコストも膨らむ向きを示した。Hubbard 2016(Journal of Law, Economics, and Organization 32(3):545-585)は証拠開示の費用の重さが和解の駆け引きを左右しうると示した。記録は少なすぎれば丸腰、多すぎればコストに埋もれる
- 確からしくなったのは、残せと言えば証拠は残る、ではない。記録文化の作り方を測った土台は薄く、記録は両刃で、コストと戦略の性質を帯びる、という向き。助けになるのは記録を意気込みではなく日々の仕事の流れに埋め込むこと、不利な記録も残る前提で正直に残すこと。都合よく作った記録はいざ引き出されたときかえって信用を崩す
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 社員に『ちゃんと記録を残すように』と号令をかければ、証拠を残す文化ができて、いざというとき記録が残る | 記録を残す文化がどうすれば根づくかをきちんとした標本で測った学術研究は驚くほど薄く、残せと言えば残るを裏づける実証もほとんど見当たらない。号令は続かず、続かない記録はいざというとき残っていない。効くのは号令の有無より記録が日々の仕事の流れに自然に組み込まれているかで、残せと言ったこと(号令)を、記録が残ったこと(実態)と取り違えてはならない |
| 記録さえ残しておけば、いざもめたときに自分を守ってくれるのだから、記録は多いほど安心だ | 残した記録は自分に有利にも不利にも働く両刃である。もめたときに引き出される文書には、自社に不利な一文(スモーキングガン)が混じりうる。だからといって不利な記録を消したり残さなかったりするのは、証拠隠しという新たなより重い問題を生む。正しい構えは不利な記録も残る前提で正直に残すこと。防衛医療(Kessler・McClellan 1996/Studdert 2005)が示すように、訴訟への恐れはコスト増だが便益の不確かな過剰な備えを生みうる |
| 記録はただの保険で、残しておくだけならコストはかからないのだから、念のため全部残しておけばよい | 記録はただの保険ではなくコストであり戦略でもある。いざ訴訟になれば電子データを含む大量の記録を探し整理し開示する作業が大きな費用を生む。Pace・Zakaras 2012(RAND研究ブリーフ・非査読)は電子証拠開示の費用構造を分析し、Hubbard 2016は証拠開示の費用の重さが和解の駆け引きを左右しうると示した。残す記録は少なすぎれば有事に丸腰、多すぎればコストに埋もれる |
皮肉なのは、いちばん熱心に「証拠を残せ」と号令をかける組織ほど、いちばん残らない、ということがある。号令は意気込みを求め、意気込みは長続きせず、長続きしない記録は、肝心の日に限って抜けている。逆に、誰も「証拠のため」とは思っていない、ただの日々の控えが、あとになって効いてくる。記録は、力んで残すものではなく、流れのなかに勝手にたまるものだ。そして、たまった記録は、味方だけをしてくれるわけではない。不利な一文も、正直に、そこにある。だからこそ、それは証拠になる。都合のいいことしか書かれていない記録を、人は信じない。証拠を残す文化とは、都合の悪いことも書いてある、ふつうの記録が、ふつうに続いている状態のことである。
Q1. 「残せと号令をかければ証拠は残る」という言い方の落とし穴を、記録文化の実証状況に触れて説明せよ。何を何と取り違えているのかにも触れること。一問一答
Q2. 記録が「両刃」であるとは、この単位では何を意味するか。もっとも正しいものを選べ。選択
Q3. この単位は、記録の両刃性とコストの手がかりとして ____ 医療の実証を明示的な ____ として使う。Kessler・McClellan 1996 は、訴えられる ____ が過剰な防衛的行動を生むと示した。ただしこれは医療の話であり、記録一般に ____ 転用しない。穴埋め
Q4. 「記録はコストであり戦略でもある」とはどういうことか。Pace・Zakaras 2012 と Hubbard 2016 に触れ、記録の量の両端にある落とし穴を説明せよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究・報告を、年の早い順に並べよ。(ア)Studdert らが防衛的行動の実態を報告する(イ)Kessler・McClellan が訴えられる恐れが防衛的行動を生むと示す(ウ)Hubbard が証拠開示の費用が和解の駆け引きを左右すると示す(エ)Pace・Zakaras が電子証拠開示の費用構造を分析する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の商いで、後から問われたら困る場面と、助かる場面を、一つずつ思い浮かべる——代金の約束、納品や検収のやり取り、注意や指導の経緯など。それぞれについて三つを書く。(1)いま、その場面の記録は残っているか。(2)残っているなら、それは特別な努力なしに自然に残る仕組みか、それとも誰かの意気込み頼みか。(3)不利なことも含めて正直に残っているか、それとも都合のいいことだけか。最後に、続きにくい記録を一つ選び、どうすれば日々の流れに埋め込めるかを一言。取引先や従業員を証拠集めの対象として観察・詮索しない。点検するのは、自分の記録の付け方だけである。一人で商いを回している場合も、自分のやり取りの記録について同じ手順で点検すればよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Kessler D., McClellan M. (1996) ‘Do Doctors Practice Defensive Medicine?’, The Quarterly Journal of Economics 111(2):353-390 — doi.org
- Studdert D.M. et al. (2005) ‘Defensive Medicine Among High-Risk Specialist Physicians in a Volatile Malpractice Environment’, JAMA 293(21):2609-2617 — doi.org
- Hubbard W.H.J. (2016) ‘Sinking Costs to Force or Deter Settlement’, Journal of Law, Economics, and Organization 32(3):545-585 — doi.org
- Pace N.M., Zakaras L. (2012) ‘Where the Money Goes: Understanding Litigant Expenditures for Producing Electronic Discovery’, RAND Institute for Civil Justice(研究ブリーフ・非査読) — doi.org
- Willging T.E., Lee E.G. (2010) ‘In Their Words: Attorney Views About Costs and Procedures in Federal Civil Litigation’, Federal Judicial Center(報告書・非査読) — doi.org
- 民事訴訟法(1996年・平成8年法律109号・証拠保全=第234条/文書提出命令=第220条以下) — laws.e-gov.go.jp