「研修すれば現場に浸透する」——だが研修は知識には効いても行動への転移は弱く、義務的・形式的だと効きにくく、ときに逆効果すらある
研修すれば現場に浸透する、と教わる。だが研修の効果を測った研究が示すのは、知識を渡すことと、行動が変わることのあいだに深い溝があるという事実だ。研修は知識には効くが、行動への転移は弱い。義務的で形式的な研修は最も効きにくく、実施の記録はしばしば飾りになる。しかも押しつければ反発すら招く。やったことと、効いたことは、別物である。多いほど良い、でもない。
研修をやった、と、現場に根づいた、は別のこと
前の単位では、変わり続けるルールを、どう追いかけるかを扱った。ここでは、追ったことを——ルールや契約の知識を、現場にどう根づかせるのかを扱う。緑の段の締めにあたる単位だ。
用語をほどく。知識を伝える教育の機会を、ここでは研修と呼ぶ。そして、その知識が現場の行動に根づくことを、浸透と呼ぶ。よく聞くのは、「研修すれば、現場に浸透する」という言い方だ。
だが、この棚を貫く見方が、ここでもそのまま効く。法の実在と、道具の証明は、別物である。 研修という道具は、法務でもコンプライアンスでも定番だが、その「浸透させる」効果のほうは、思うほど測られていない。むしろ、実際に測った研究が示すのは、知識を渡すことと、行動が変わることのあいだに、深い溝があるという、あまり愉快ではない事実だ。なお、この棚は法律相談ではない。ここで扱うのは、自分の浸透の試みを、渡しただけで終わらせないための見方である。
この単位が緑の段の締めに置かれているのには、理由がある。ここまでの緑の段——知財の行使、違反の発見、法改正への追随——で分かってきたことを、現場の一人ひとりに根づかせなければ、どれも「知っているだけ」で止まってしまう。追ったルールも、決めた手順も、現場の行動に移らなければ、絵に描いた餅だ。だからこそ、最後に「浸透」を問う。そして、その浸透のいちばん定番の道具が、研修である。定番であるがゆえに、その効き目を、素朴に信じすぎていないかを、ここで一度立ち止まって確かめておく。
研修は、知識には効く——だが、行動への転移は弱い
まず、研修が何に効くのかを分ける。Roehling らが2021年に行ったメタ分析(研修の効果を測った複数研究を統合したもの)は、研修が知識——その場で学んだこと——には効く一方で、行動や現場への転移、つまり学んだことを実際にやるかどうかへの波及は、弱いことを示した。複数の研究をまとめて統合してなお、この向きが浮かび上がる、というのが要点だ。
ここで、研修という言葉が指すものを、二つに割っておく。ひとつは、知識を渡すこと。もうひとつは、その知識が現場の行動を変えること。研究が示すのは、前者は比較的うまくいくが、後者——行動への転移——は、渡した知識の量には、素直には比例しないということだ。「研修をやった」は前者の達成で、「現場に根づいた」は後者の達成である。この二つを、同じ一つのことのように扱うのが、俗説の落とし穴だ。なお、ここで研修効果の代表的な研究群を引くのは、それらが研修の効き目を正面から測った蓄積だからであって、そこで扱われた個別のテーマ(ハラスメント等)について助言するためではない——個別の対応は、別の単位と専門家の領分である。
なぜ、知識は行動に移りにくいのか。理由は、そう不思議なことではない。研修で「こういうときは、こうする」と学んでも、いざその場面が来たときには、忙しさや、その場の空気や、目先の都合が、学んだことを押しのける。知っていることと、その場でそう振る舞えることのあいだには、いつも距離がある。だから、行動を変えたいなら、知識を一度渡すだけでは足りない——その行動が取りやすいように、手順や仕組みの側を整えることが、たいてい効く。研修だけに浸透を背負わせると、この「仕組みで支える」という、より地味で確実な手が、後回しになってしまう。
義務的・形式的な研修は、効きにくく、飾りになりうる
では、どんな研修が効きにくいのか。Kalev・Dobbin・Kelly が2006年に発表した研究は、企業のさまざまなプログラムの効果を比べ、義務的な(やらされる)研修が、最も効きにくい部類であることを示した。Dobbin と Kalev が2018年にまとめた論考も、なぜ研修が効きにくいのか、その機序を論じている。
さらに、Perry らが2010年に発表した研究は、研修が何のために行われるか——その「導入理由」が、効果を左右することを示した。法令や外からの圧力への対応として、形だけ実施される研修は、効きにくい。同じ内容の研修でも、やらされ仕事として配るのと、必要だと納得したうえで届けるのとでは、根づき方が違う、ということだ。効くかどうかは、中身の良し悪しだけでなく、なぜやるのかという動機の側にも、はっきり左右される。
さらに、Warren・Gaspar・Laufer が2014年に発表した研究は、形式的な倫理研修が、組織の文化への浸透という点では限定的で、いわば「飾り」になりうることを示した。やった記録は残る。だが、その記録は、現場の行動が変わった証拠ではない。「研修を実施しました」というアリバイと、「現場に根づきました」という実質は、簡単に離れていく。ここでも、この棚の見方がそのまま効く——やったことと、効いたことは、別物である。 実施の証跡が積み上がるほど、かえって根づいた気になってしまう、という逆説すらある。
なぜ、実施の証跡ばかりが積み上がるのか。それは、証跡が、いちばん測りやすいからだ。何人が受講したか、何時間やったか、テストで何点取ったか——これらは、数えて、記録して、外に示すのが簡単だ。一方、行動が本当に変わったかは、測るのが難しく、時間もかかる。だから、忙しい現場では、測りやすいほうが指標に選ばれ、いつのまにか「受講率」が目的にすり替わる。受講率を上げること自体が仕事になり、その数字が満たされれば、浸透したことにされる。この、測りやすいものが目的を乗っ取る現象は、この先の橙や桃の段でも、形を変えてくり返し顔を出す——測れるものだけを見ていると、測れない実質が、静かに置き去りにされる。
ときに、逆効果——反発を生む
そして、研修は、いつも無害とはかぎらない。Bingham と Scherer が2001年に発表した研究は、教育のプログラムが、予期しない逆効果——受け手の態度の反発——を生むことがあることを示した。押しつけがましい、頭ごなしに扱われている、と受け手が感じれば、研修はかえって身構えや反発を招く。
これは、この緑の段でくり返し見てきた向きと、地続きだ。フィードバックが人格に向くと逆効きしたように、研修も、受け手を「教育すべき無知な対象」として扱うほど、反発を生みやすい。だから「浸透しないなら、もっと研修を増やせばいい」という発想は危うい。量を増やせば増やすほど効く、という単純な関係ではなく、やり方しだいでは、効果は逆に振れる。多いほど良い、ではない。
では、どうすれば反発を避けられるのか。研究の含意は、案外シンプルだ。受け手を、直すべき欠陥のある対象としてではなく、一緒にルールを回す仲間として扱うこと。頭ごなしに正解を注入するより、なぜそのルールがあるのか、守らないと誰が困るのかを、当事者として腑に落とせる形にするほうが、反発は小さい。押しつけと、共有は、見た目は似ていても、受け手の身構え方がまるで違う。そして、この違いは、研修の時間や回数といった量には表れず、渡し方の質にだけ表れる。だから、増やす前に、まず渡し方を見直す。
時間・変化:研修効果の科学が示してきたこと
順に置く。2001年、Bingham と Scherer が研修の逆効果を示す。2006年、Kalev らが義務的プログラムの効きにくさを示す。2010年、Perry らが研修の導入理由が効果を左右することを示す。2014年、Warren らが形式的研修が飾りになりうることを示す。2018年、Dobbin と Kalev が、なぜ効きにくいのか、その機序を論じる。2021年、Roehling らがメタ分析で、知識には効くが行動への転移は弱いことを確かめた。
この間に確からしくなったのは、「研修すれば浸透する」ではない。確からしくなったのは、研修は知識には効くが行動への転移は弱く、義務的・形式的だと効きにくく、ときに逆効果すらある、という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「研修を実施したから、現場に浸透した」という思い込みだ。実施の記録は、浸透の証拠ではない。もうひとつの妨げは、浸透しないときに、研修の回数や時間を増やすことである——量では、知識と行動の溝は埋まらず、やり方しだいでは、かえって反発を招く。
助けになるのは、研修を「知識を渡すイベント」ではなく、「行動が変わったかを確かめるところまで含む営み」として設計することだ。そして、渡したかどうかではなく、現場の行動に変化があったかを、自分で観察できる形にしておくこと。渡すことをゴールにすると、渡した瞬間に満足して、そこで終わってしまう。
一人で全部を回している読者——研修する相手も、される相手もいない場合——にも、この見方はそのまま効く。自分に向けた学びも、同じ落とし穴を持つからだ。本を読んだ、セミナーに出た、で満足して、そのあと自分の行動が変わったかを確かめなければ、それは「知っただけ」で終わる。渡す相手が自分であっても、問うことは同じだ——知識を入れたか、ではなく、行動が変わったか。学びの成果は、ノートやフォルダの厚みではなく、その後の振る舞いの変化のほうに現れる。この単位で言えば、契約や法務について何かを学んだあと、自分の実際の締結や記録のやり方が一つでも変わったか、を確かめることになる。
最初の一歩は10分。自分が現場に法務やルールを浸透させようとした試み(研修、朝礼での注意喚起、マニュアルの配布、契約時のひとことなど)を、思い出せる範囲で書き出す。それぞれについて、「知識を渡しただけ」なのか、「そのあと行動が変わったのを、自分で確かめたか」を仕分ける。従業員を試したり、抜き打ちで確かめたりする必要はない——自分がやった浸透の試みの棚卸しだけで完結する。「渡しただけ」がずらりと並んでいたら、それは、浸透を、渡すことと取り違えていたサインである。
次の単位は 457「未払いを回収するには?」——ここまでの権利と違反の話から、段はひとつ上がり、人と情報のリスクをめぐる橙の段に入る。まず、支払われない代金をどう回収するのかへ進む。
- この単位は緑の段の締めで、現場への法務浸透を扱う。研修は知識を伝える教育の機会、浸透は知識が現場の行動に根づくこと。俗説『研修すれば現場に浸透する』に対し、この棚の見方(法の実在と道具の証明は別物)がそのまま効き、実際に測った研究は知識を渡すことと行動が変わることのあいだに深い溝があることを示す。ここで扱うのは自分の浸透の試みを渡しただけで終わらせない見方である
- 研修は知識には効くが行動への転移は弱い。Roehling ら 2021のメタ分析(研修の効果を測った複数研究を統合)は、研修がその場で学んだ知識には効く一方、学んだことを実際にやるかどうかへの波及は弱いことを示した。複数の研究を統合してなおこの向きが浮かび上がり、行動への転移は渡した知識の量に素直には比例しない
- 研修という言葉は二つに割れる。知識を渡すことと、その知識が現場の行動を変えること。前者は比較的うまくいくが後者は難しく、研修をやったは前者の達成、現場に根づいたは後者の達成で、この二つを同じことのように扱うのが俗説の落とし穴である。研修効果の研究群を引くのは効き目を測った蓄積だからで、そこで扱われた個別テーマの助言のためではない
- 義務的な(やらされる)研修は最も効きにくい部類である(Kalev・Dobbin・Kelly 2006が企業の各種プログラムの効果を比較・Dobbin & Kalev 2018が効きにくい機序を論じる)。研修の導入理由も効果を左右し、法令や外圧への対応として形だけ実施される研修は効きにくい(Perry ら 2010)。さらに形式的な倫理研修は組織文化への浸透という点で限定的で飾りになりうる(Warren ら 2014)。やった記録は残るがそれは行動が変わった証拠ではなく、実施のアリバイと根づいた実質は簡単に離れていく
- 研修はときに逆効果ですらある。Bingham & Scherer 2001は教育のプログラムが予期しない逆効果——受け手の態度の反発——を生むことがあることを示した。押しつけがましく頭ごなしに扱うほど反発を招き、これは緑の段で見たフィードバックが人格に向くと逆効きする向きと地続きである。浸透しないからと量を増やす発想は危うく、多いほど良いではない
- 確からしくなったのは研修すれば浸透するではなく、研修は知識には効くが行動への転移は弱く、義務的・形式的だと効きにくく、ときに逆効果すらある、という向きである。妨げるものは実施を浸透の証拠と取り違える思い込みと、浸透しないときに回数や時間を増やすこと。実施の記録は浸透の証拠ではない
- 最初の一歩は10分。自分が現場に法務やルールを浸透させようとした試み(研修・朝礼の注意喚起・マニュアル配布・契約時のひとことなど)を書き出し、それぞれ知識を渡しただけなのか、そのあと行動が変わったのを自分で確かめたかを仕分ける。従業員を試したり抜き打ちで確かめたりせず、自分がやった浸透の試みの棚卸しだけで完結する。渡しただけが並んでいたら浸透を渡すことと取り違えていたサインである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 研修を実施すれば、ルールや契約の知識は現場に浸透する。やれば根づく | 研修は知識(その場で学んだこと)には効くが、行動や現場への転移(学んだことを実際にやるか)への波及は弱い(Roehling ら 2021のメタ分析)。行動への転移は渡した知識の量に素直には比例しない。研修をやったは知識を渡した達成、現場に根づいたは行動が変わった達成で、この二つを同じ一つのことのように扱うのが落とし穴である。実施の記録は浸透の証拠ではなく、やったことと効いたことは別物である |
| 浸透しないのは研修が足りないからで、回数や時間を増やせば根づく | 義務的な(やらされる)研修は最も効きにくい部類で(Kalev・Dobbin・Kelly 2006・Dobbin & Kalev 2018)、形式的な倫理研修は組織文化への浸透という点で限定的で飾りになりうる(Warren ら 2014)。さらに押しつけがましい教育は受け手の態度の反発という逆効果を生むことがある(Bingham & Scherer 2001)。量を増やせば増やすほど効くという単純な関係ではなく、やり方しだいでは効果は逆に振れる。多いほど良いではない |
| 研修の実施記録が積み上がっていれば、コンプライアンスは根づいていると言える | やった記録は残るが、その記録は現場の行動が変わった証拠ではない。研修を実施しましたというアリバイと、現場に根づきましたという実質は簡単に離れていき、実施の証跡が積み上がるほどかえって根づいた気になる逆説すらある。だから研修は知識を渡すイベントではなく、行動が変わったかを確かめるところまで含む営みとして設計し、渡したかどうかではなく現場の行動に変化があったかを自分で観察できる形にしておく必要がある |
皮肉なのは、コンプライアンス研修を熱心に、しかも義務として何度もやる組織ほど、その実施記録の厚みを、浸透の証拠と取り違えやすいことだ。研究が最も効きにくいと指摘したのは、まさにその義務的な研修で、押しつければ反発すら招く。渡した知識の量は、変わった行動の量ではない。現場に法務が根づいて見えるとき、たいていそれは、まだ実際に試される場面が来ていないだけで、いざそのときに動くのは、研修の記録ではなく、日ごろ本当に根づいた習慣のほうかもしれない。やったことと、効いたことを、分けて数える。
Q1. 『研修すれば現場に浸透する』を、この単位はどう値切ったか。知識と行動の関係に触れて述べよ。一問一答
Q2. Kalev・Dobbin・Kelly 2006は、企業のプログラムのうち ____ な研修が最も効きにくい部類だと示した。Warren ら 2014は、形式的な倫理研修が文化への浸透という点で限定的で ____ になりうると示した。実施の記録は、現場の ____ が変わった証拠ではない。穴埋め
Q3. 『浸透しないなら研修を増やせばよい』という発想に対する、この単位の立場はどれか。選択
Q4. 研修を『行動が変わったかを確かめるところまで含む営み』として設計するとは、具体的にどういうことか。渡すことをゴールにする場合と対比して述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研修効果の研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Kalev らが義務的プログラムの効きにくさを示す(イ)Bingham と Scherer が研修の逆効果を示す(ウ)Roehling らがメタ分析で行動転移の弱さを確かめる(エ)Warren らが形式的研修が飾りになりうることを示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が現場に法務やルールを浸透させようとした試み(研修、朝礼での注意喚起、マニュアルの配布、契約時のひとこと、掲示など)を、思い出せる範囲で書き出す。それぞれについて、知識を渡しただけなのか、それとも、そのあと行動が変わったのを自分で確かめたのかを仕分ける。従業員を試したり、抜き打ちで確かめたりする必要はなく、自分がやった浸透の試みの棚卸しだけで完結させる。個別の法律判断や、誰かの評価をする必要もない。最後に、渡しただけの試みの数と、行動の変化まで確かめた試みの数を書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Roehling M.V., Wu D., Choi M.G., Dulebohn J.H. (2021) ‘The effects of sexual harassment training on proximal and transfer training outcomes: A meta-analytic investigation’, Personnel Psychology 74(4):605-635 — doi.org
- Perry E.L., Kulik C.T., Bustamante J., Golom F.D. (2010) ‘The impact of reason for training on the relationship between best practices and sexual harassment training effectiveness’, Human Resource Development Quarterly 21(2):187-208 — doi.org
- Kalev A., Dobbin F., Kelly E. (2006) ‘Best Practices or Best Guesses? Assessing the Efficacy of Corporate Affirmative Action and Diversity Policies’, American Sociological Review 71(4):589-617 — doi.org
- Dobbin F., Kalev A. (2018) ‘Why Doesn’t Diversity Training Work? The Challenge for Industry and Academia’, Anthropology Now 10(2):48-55 — doi.org
- Warren D.E., Gaspar J.P., Laufer W.S. (2014) ‘Is Formal Ethics Training Merely Cosmetic? A Study of Ethics Training and Ethical Organizational Culture’, Business Ethics Quarterly 24(1):85-117 — doi.org
- Bingham S.G., Scherer L.L. (2001) ‘The Unexpected Effects of a Sexual Harassment Educational Program’, The Journal of Applied Behavioral Science 37(2):125-153 — doi.org