「ウォッチしていれば追随できる」——だが追いかける相手そのものが構造的に増え続け、網羅には限界とコストがある
ちゃんとウォッチしていれば法改正には追随できる、と教わる。だがウォッチという言葉は、追う相手が一定であることを暗に前提にしている。実際には、追う相手であるルールの量そのものが、構造的に増え続けている。法の複雑さは印象ではなく数えられ、そして増えている。相手が増え続けるなら、同じ労力の網からこぼれるものは増える。追随とは、複数の動く相手を限られた時間で追い続けることで、網羅には限界がある。
追いかける相手が、増え続けている
前の単位では、起きた違反に、どう気づき、どう初動を取るかを扱った。ここでは、その手前——そもそも守るべきルール自体が変わり続ける、その変化にどう追随するのかを扱う。
この単位は、この棚のなかで少し特別な位置にある。この棚全体が、そもそも「変わり続けるルールを、どう扱うか」の技術であり、その追随そのものを正面から扱うのが、この単位だからだ。用語をほどく。法や制度の改正を継続的に見張ることを、ここではウォッチと呼ぶ。よく聞くのは、「ちゃんとウォッチしていれば、法改正には追随できる」という言い方だ。
だが、この言い方には見落としがある。ウォッチという言葉は、追いかける相手が、だいたい一定であることを、暗に前提にしている。ところが実際には、追いかける相手——法やルールの量——そのものが、構造的に増え続けている。相手が増え続けるなら、同じ労力でウォッチしても、網からこぼれるものは増えていく。なお、この棚は法律相談ではない。個別の条文が自分の商いにどう当たるかの判定は専門家の仕事で、ここで扱うのは、追うべき相手の地図を自分で持ち、専門家に相談する起点を作る技術である。
この棚を貫く見方が、この単位ではひときわ効く。法の実在と、道具の証明は、別物である。 法や条文は、まぎれもなく実在し、しかも増え続けている。一方で、「ウォッチしていれば追随できる」という道具(見張るという行為)の効き目は、相手が増え続けるという現実の前で、思うほど確かではない。実在する相手が量を増やしていくのに、追う側の道具だけが万能でいられる、という道理はない。だからこの単位は、追随という営みを、相手の量という側から測り直す。ちなみに、この棚の他の十五の単位も、みなこの「増え続ける相手」の上に立っている——だから、追随はこの棚の土台の技術でもある。
法は、量として測れる——そして、増えている
「法が複雑だ」というのは、ただの感覚の話に聞こえるかもしれない。だが、これは客観的に測れる対象である。Katz と Bommarito が2014年に発表した研究は、法典を対象に、法の複雑さを、構造・言語・知識の取得しやすさといった面から定量的に測定した。さらに Bommarito と Katz が2010年に示したのは、法典がネットワーク的に——条文が互いを参照し合いながら——肥大化していく構造だ。
つまり、法の複雑さと量は、印象ではなく、数えられる対象である。そして、数えてみると、それは増えている。ここで一つ、はっきり断っておく。これらの実証は主に海外(米国)の法典を対象にしたもので、日本の個別の条文の解釈に、そのまま読み替えるものではない。ここで援用するのは、「法は量として増え続ける」という構造的な向きであって、特定の条文の中身ではない。向きは共有できるが、中身は各自が一次資料で確かめる、という線を引いておく。
この「測れる」という一点は、地味だが重要だ。ふつう、法が増えている・複雑になっているという実感は、なんとなくの愚痴として語られる。だが、なんとなくの実感は、対策の立てようがない。それが客観的に数えられる、構造的に増え続けている、と分かって初めて、「では、全部は追えない」という前提に立った現実的な作戦——網羅ではなく優先順位——が、正面から選べるようになる。増えているという事実を認めることは、諦めではなく、無理な網羅という幻想を手放して、有限の労力を配り直すための出発点である。
社会が複雑になるほど、法は成長する——そして追随はタダではない
なぜ、法は増え続けるのか。Katz・Coupette・Beckedorf・Hartung が2020年に発表した研究は、社会が複雑になるほど、法もまた量的に成長していくことを示した。社会の関係が入り組めば、それを律するルールも増える。これは、どこかの立法者の怠慢ではなく、社会の複雑化にともなう構造的な傾向である。
そして、この増加はタダではない。Goldschlag と Tabarrok が2018年に発表した研究は、規制の累積が、事業の参入や雇用の動きに影響を与えうることを示した。ルールが積み重なるほど、それを把握し、守り、追いかけるコストが積み上がっていく。「ウォッチしていれば追随できる」という言い方は、この追随コストを勘定に入れていない。個人や中小にとって、増え続ける相手をもれなく網羅し続けることには、構造的な限界がある。労力は有限で、相手は増え続けるからだ。
ここで、法務部を持つ大きな会社と、一人で商いを回す人との差が、はっきり出る。前者は、専任の担当を置き、外部の情報サービスを買い、追随のコストを分業で吸収できる。後者は、そのコストを、本業の合間に、自分ひとりで負う。つまり、追随の負担は、いちばん体力のない担い手に、いちばん重くのしかかる——これは、前の単位で見た「行使コストの非対称」と、同じ形をしている。だからこそ、小さな担い手にとっての追随は、全部を追う根性の問題ではなく、どこを追い、どこは専門家に委ねるかという、配分と割り切りの設計になる。
近年の実例——フリーランス法という「動く相手」
抽象論だけでなく、身近な実例で確かめられる。近年の新しいルールの一つが、フリーランス保護法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)だ。これは2024年11月1日に施行された(e-Govの法令データベースで確認できる公式の事実)。そして、公正取引委員会は、その運用や周知に関する情報を公表している。
ここで大事なのは、条文の細部ではなく、「つい最近、自分の商いに関わりうる新しいルールが、一つ増えた」という事実そのものだ(この法がある取引に当たるかどうかの個別判定は専門家の仕事で、ここではしない)。人に業務を委託する側にも、委託を受ける側にも、追いかけるべき相手が一つ増えた、ということである。そして、こうした「動く相手」は、フリーランス法だけではない。労務、税、個人情報など、いくつもの分野で、同時に動いている。追随とは、この複数の動く相手を、限られた時間で追い続けることにほかならない。
少し立ち止まりたい。この単位が、フリーランス法の中身をほとんど説明しないのは、不親切だからではなく、意図的である。中身をここで詳しく書けば、それは書いた瞬間から古び始めるし、あなたの商いに当たるかどうかも分からない。だから伝えるのは、「調べるべき新しい相手が増えた」という合図と、それをどこで確かめられるか——公式の一次資料の在りか——までにとどめる。中身は、必要になったときに、最新の一次資料か専門家で確かめる。これが、増え続ける相手と付き合ううえで、いちばん壊れにくい構えだ。教材が古びても、確かめ方を知っていれば追いつける。
時間・変化:法の量をめぐる研究
順に置く。2010年、Bommarito と Katz が法典の構造的な肥大を示す。2014年、Katz と Bommarito が法の複雑さを定量的に測定する。2018年、Goldschlag と Tabarrok が規制の累積と事業の動きの関係を示す。2020年、Katz らが社会の複雑化と法の成長の関係を示した。並行して、日本では新しい法が施行され続けている(フリーランス法の2024年施行は、その一例だ)。
この間に確からしくなったのは、「ウォッチしていれば追随できる」ではない。確からしくなったのは、追いかける相手そのものが構造的に増え続けており、網羅には限界とコストがある、という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「ちゃんとウォッチしているから大丈夫」という安心だ。相手が増え続ける以上、網羅を目標に掲げると、こぼれは必ず出る。そして、こぼれた自覚がないまま「見ている」と思い込むことが、いちばん危うい。もうひとつの妨げは、すべてを等しく追おうとして、どれも中途半端になることである。
助けになるのは、網羅という不可能を諦めて、自分の商いに実際に効く分野を絞り、そこに更新の当て(信頼できる情報源)を決めておくことだ。全部を追うのではなく、効く順に追う。優先順位をつけることは、手抜きではなく、有限の労力を、増え続ける相手に配分する現実的な技術である。
優先順位のつけ方に、難しい理屈はいらない。もし見落としたら、自分の商いにいちばん痛いのはどこか——そこから順に並べればよい。契約でつまずけば取引が飛ぶ商いなら、契約が上位に。人を雇っていれば、労務が上位に来る。全分野に同じ濃さで目を配ろうとすると、いちばん痛い分野への注意まで薄まってしまう。薄く広くより、痛い順に厚く。これが、網羅を諦めた先にある、現実的な追随の姿である。そして、上位の分野ほど、いざというときに相談できる専門家の当ても、あわせて決めておくとよい。
最初の一歩は10分。自分の商いに関わりそうな法分野を書き出す(契約、労務、税、個人情報、業種に特有の規制など)。それぞれについて、「最後に情報を更新したのはいつか」「次に更新するとき、どこを見るか(情報源の当て)」を一言書く。個別の条文を調べたり、適法かどうかを判定したりする必要はない——自分がどの分野を、どこで追っているのかの地図を作るだけだ。更新の当てが空欄の分野があれば、それが、追随のいちばん滞りやすいところである。逆に、当てが埋まっている分野は、いざ改正があっても、そこを見に行けばよいと分かっているぶん、追随の不安が小さい。空欄を一つずつ埋めていく作業そのものが、追随の地力になる。
次の単位は 456「現場に法務を浸透させるには?」——変わり続けるルールを追う話から、追ったことを現場にどう根づかせるのか、研修という道具の効き目へ進む。
- この単位は緑の段の三歩目で、この棚自身のメタ要素にあたる。この棚全体が変わり続けるルールを扱う技術であり、その追随そのものを扱う。ウォッチとは法や制度の改正を継続的に見張ること。俗説『ウォッチしていれば追随できる』は、追う相手が一定であることを暗に前提にしているが、実際には追う相手であるルールの量そのものが構造的に増え続けている。個別の条文が自分の商いにどう当たるかの判定は専門家の仕事である
- 法の複雑さと量は印象ではなく客観的に測れる対象で、そして増えている。Katz & Bommarito 2014は法典を対象に法の複雑さを構造・言語・知識の取得しやすさの面から定量的に測定し、Bommarito & Katz 2010は法典が条文どうし参照し合いながらネットワーク的に肥大していく構造を示した。数えると、それは増えている
- これらの実証は主に海外(米国)の法典を対象にしたもので、日本の個別の条文の解釈にそのまま読み替えるものではない。援用するのは法は量として増え続けるという構造的な向きであって特定の条文の中身ではない。向きは共有できるが中身は各自が一次資料で確かめる、という線を引く
- なぜ法が増えるのか。Katz・Coupette・Beckedorf・Hartung 2020は社会が複雑になるほど法もまた量的に成長していくことを示した。社会の関係が入り組めばそれを律するルールも増えるため、これは立法者の怠慢ではなく社会の複雑化にともなう構造的な傾向である。増加はタダではなく、Goldschlag & Tabarrok 2018は規制の累積が事業の参入や雇用の動きに影響を与えうることを示した
- 追随はタダではない。ルールが積み重なるほど把握し守り追いかけるコストが積み上がり、ウォッチしていれば追随できるという言い方はこの追随コストを勘定に入れていない。個人や中小にとって増え続ける相手をもれなく網羅し続けることには構造的な限界がある。労力は有限で相手は増え続けるからである
- 身近な実例がフリーランス保護法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)で、2024年11月1日に施行され(e-Govで確認できる公式の事実)、公正取引委員会が運用や周知の情報を公表している。大事なのは条文の細部ではなく、つい最近自分の商いに関わりうる新しいルールが一つ増えたという事実そのものである(この法がある取引に当たるかの個別判定はしない)。動く相手は労務・税・個人情報など複数分野で同時に動く
- 最初の一歩は10分。自分の商いに関わりそうな法分野を書き出し(契約・労務・税・個人情報・業種特有の規制など)、それぞれ最後に情報を更新したのはいつか・次に更新するときどこを見るか(情報源の当て)を一言書く。個別の条文を調べたり適法かを判定したりせず、どの分野をどこで追っているかの地図を作るだけ。更新の当てが空欄の分野が追随のいちばん滞りやすいところで、網羅を諦め効く順に追う
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 法改正は、ちゃんとウォッチしていれば追随できる。見張ってさえいれば漏れない | ウォッチという言葉は追う相手が一定であることを暗に前提にしているが、実際には追う相手であるルールの量そのものが構造的に増え続けている。法の複雑さと量は印象ではなく客観的に測れて、そして増えている(Katz & Bommarito 2014の複雑さの測定・Bommarito & Katz 2010の法典の肥大)。相手が増え続けるなら、同じ労力でウォッチしても網からこぼれるものは増える。網羅を目標にするとこぼれは必ず出る。個別の条文が自分の商いにどう当たるかの判定は専門家の仕事である |
| 法が増えるのは立法者の怠慢で、本来もっと減らせるはずだ | 社会が複雑になるほど法もまた量的に成長していく(Katz・Coupette・Beckedorf・Hartung 2020)。社会の関係が入り組めばそれを律するルールも増えるため、これは誰かの怠慢ではなく社会の複雑化にともなう構造的な傾向である。そしてこの増加はタダではなく、規制の累積は事業の参入や雇用の動きに影響を与えうる(Goldschlag & Tabarrok 2018)。把握し守り追いかけるコストが積み上がるため、ウォッチしていれば追随できるという言い方はこの追随コストを勘定に入れていない |
| 自分の商いに関わる新しいルールなど、そう頻繁には増えない | 身近な実例がある。フリーランス保護法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)は2024年11月1日に施行され(e-Govで確認できる公式の事実)、公正取引委員会がその運用や周知の情報を公表している。人に業務を委託する側にも受ける側にも、追う相手が一つ増えたということだ(この法がある取引に当たるかの個別判定はしない)。こうした動く相手は労務・税・個人情報など複数の分野で同時に動いており、網羅ではなく効く分野を絞って更新の当てを決めることが要る |
皮肉なのは、法改正を熱心に追う人ほど、追う相手が増え続けているという、その一番大きな変化を見落としがちなことだ。ウォッチという言葉は、まるで相手が止まっているかのように響くが、相手は毎年、量を増やしながら動いている。だから、見ているのに漏れる。追随できているように見えるとき、たいていそれは、まだ運よく、こぼれた改正が自分の商いをまだ直撃していないだけかもしれない。網羅という不可能を手放し、効く分野に更新の当てを一つずつ決めておく——追随とは、全部を追うことではなく、有限の労力を賢く配ることである。
Q1. 『ウォッチしていれば追随できる』の見落としを、この単位はどう指摘したか。追う相手の性質に触れて述べよ。一問一答
Q2. 法の複雑さは印象ではなく客観的に ____ 対象で、Bommarito & Katz 2010は法典が条文どうし参照し合いながら ____ 的に肥大する構造を示した。ただしこれらは主に ____ の法典が対象で、日本の個別条文の解釈には読み替えず、構造的な ____ として援用する。穴埋め
Q3. 法が増え続けることについて、Katz ら 2020とGoldschlag & Tabarrok 2018をふまえた説明として正しいものはどれか。選択
Q4. フリーランス保護法を、この単位はどんな事実として、どこまで使っているか。個別判定との線引きにも触れて答えよ。一問一答
Q5. この単位が扱った法の量をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Katz と Bommarito が法の複雑さを定量測定する(イ)Bommarito と Katz が法典の構造的な肥大を示す(ウ)Katz らが社会の複雑化と法の成長を示す(エ)Goldschlag と Tabarrok が規制累積と事業の動きを示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の商いに関わりそうな法分野を書き出す(契約、労務、税、個人情報、業種に特有の規制など)。それぞれについて、最後にその分野の情報を更新したのはいつか、そして次に更新するときはどこを見るか(信頼できる情報源の当て)を一言書く。個別の条文を調べたり、適法かどうかを判定したりする必要はなく、自分がどの分野をどこで追っているのかの地図を作るだけで完結させる。最後に、書き出した分野の数と、更新の当てが空欄のままの分野の数を書き添える。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Katz D.M., Bommarito M.J. (2014) ‘Measuring the complexity of the law: the United States Code’, Artificial Intelligence and Law 22(4):337-374 — doi.org
- Katz D.M., Coupette C., Beckedorf J., Hartung D. (2020) ‘Complex societies and the growth of the law’, Scientific Reports 10:18737 — doi.org
- Bommarito M.J., Katz D.M. (2010) ‘A mathematical approach to the study of the United States Code’, Physica A: Statistical Mechanics and its Applications 389(19):4195-4200 — doi.org
- Goldschlag N., Tabarrok A. (2018) ‘Is regulation to blame for the decline in American entrepreneurship?’, Economic Policy 33(93):5-44 — doi.org
- 特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律(フリーランス保護法・令和5年法律第25号・2024年11月1日施行)e-Gov法令検索(法令ID 505AC0000000025) — laws.e-gov.go.jp
- 公正取引委員会 報道発表(2024年・フリーランス法の運用・周知の公表) — www.jftc.go.jp