「チェックリストでリスクは見抜ける」——だが、審査の証拠は乏しく、契約はそもそも読みにくい
契約のリスクが不安なとき、見るべき点をチェックリストにして一つずつ潰せば見抜ける、と考えたくなる。だがこれは二重に危うい。その審査が本当にリスクを減らすか確かめた証拠は学術にほとんど無く、そもそも契約の文章自体が読み取りを阻む作りになっている。難しさは概念でなく書き方から来て、弁護士でさえlegaleseに苦労する。多くの契約は、読みにくく、読まれず、それでも同意だけは交わされていく。
「チェックリストで、リスクは見抜ける」——だが、二重に危うい
前の単位では、契約書をそろえること自体を扱った。ここでは、そろえた契約を、チェックリストで本当に「見抜ける」のかを扱う。
契約のリスクが不安なとき、「見るべき点をチェックリストにして、一つずつ潰せば見抜ける」と考えたくなる。レビュー(契約を読んで問題点を洗う作業)や、取引前の精査を指すデューデリジェンスを、項目表でこなせば安心だ、と。だが、この「チェックリストで見抜ける」は、二重に危うい。ひとつは、その審査が本当にリスクを減らすのかを確かめた証拠が、実は学術にほとんど無いこと。もうひとつは、そもそも契約の文章自体が、読み取りを阻む作りになっていることだ。道具の前に、読む対象のほうに壁がある。この単位は、この二つを順に見ていく。先に断っておくと、これはチェックリストが役に立たないという話ではない。抜け漏れを防ぐ覚え書きとして、項目表には確かな効用がある。危ういのは、項目を潰したことを「リスクを見抜いた」とみなす飛躍のほうだ。見落としは、項目の外側と、文章の壁の内側から、静かに入り込む。
審査が効くという証拠は、学術には空白
まず一つめ。契約審査やデューデリジェンスが、実際にトラブルやリスクをどれだけ減らすのか——それを測った学術研究を探すと、驚くほど見つからない。出てくるのは、こう見なさいという実務のハンドブックや、M&Aの手引きばかりで、「この手順で審査すると、後の紛争が実際に減った」という形で効果を検証した研究は、ほぼ空白に近い。
これは前の単位の見方と地続きだ——条文や判例は実在するが、その周りの道具(ここでは審査の手順)の効き目は、ほとんど測られていない。 審査が無駄だと言いたいのではない。検証されていないことを、間違っていることとすり替えない。 ただ、「このチェックリストを使えば見抜ける」という言い方は、確かめられた事実ではなく、実務の経験則である、という区別は必要だ。項目を埋めた安心感と、リスクが実際に減ったかは、別のことである。なぜ証拠が乏しいのか。契約審査の効果を測るのは、そもそも難しい。審査したから防げたトラブルは、起きなかった出来事であり、数えようがない。防げた紛争は記録に残らず、起きた紛争だけが目に見える。だから審査の値打ちは、実感としては語られても、比較できる形の証拠にはなりにくい。この「測れなさ」自体が、道具の効き目を過大にも過小にも見せる。
難しさは、専門概念でなく「書き方」から来る
二つめは、もっと手強い。仮に完璧なチェックリストがあっても、契約の文章そのものが読みにくく作られているなら、見抜く前に読み解けない。ここには、堅い実証がある。Martínez・Mollica・Gibson が2022年に Cognition 誌で、法律文書の読みにくさ——いわゆるlegalese(法律文特有の言い回し)——が何から来るのかを実験で調べた。
見つかったのは意外な答えだ。難しさの主な原因は、法律の概念が高度だからではなく、書き方が下手だからだった。文の途中に別の文を何重にも挟み込む入れ子構造(埋め込み構文)や、日常語で言えることをわざわざ専門用語で言う癖——こうした書き方の癖が処理を重くしている。同じ内容を、入れ子をほどいて平たく書き直すと、理解はずっと楽になる。つまり、あなたが契約を読んで詰まるのは、あなたの知識不足のせいとは限らない。文章のほうが、読み取りを邪魔している可能性が高い。この発見には、救いもある。もし難しさが概念の高度さから来るなら、素人には手の出しようがない。だが、原因が書き方なら、書き方を変えれば読みやすくできる。実際、契約を平たく書き直す動きは各地で進んでいる。あなたにできる第一歩も、条項をやさしく書き換えることではなく——それは専門家の領分だ——まず、自分がどの書き方で詰まるのかを知ることである。
訓練を受けた弁護士でさえ、legaleseに苦労する
「それは素人の話で、専門家なら平気だろう」と思うかもしれない。ところが、そうではない。同じ研究チームの Martínez らが2023年に PNAS 誌で、訓練を受けた弁護士を対象に、legalese で書かれた条文と、同じ内容を平たく書き直した条文を比べさせた。
結果は、弁護士でさえ legalese を好まず、平たく書かれたほうを理解しやすいと感じ、内容の想起も良かったというものだった。専門家だから読みにくさが消えるのではなく、専門家も同じように、下手な書き方に足を取られている。この含みは大きい。「見抜く目」は、資格や経験でいくらでも鍛えられる万能の力ではない。読みにくい文章の前では、専門家の目も一律には効かず、何を見落とすかは、その文章と場面しだい——文脈依存になる。だからこそ、審査を一人の目と一枚のチェックリストに委ね切るのは危うい。ここで気をつけたいのは、この事実を「だから専門家に任せても無駄だ」と読み違えないことだ。含みはむしろ逆で、読みにくさが専門家の目まで鈍らせるからこそ、渡す側の準備が効いてくる。どこが読みにくく、何が争点になりそうかを、あらかじめ自分の言葉で整理して渡せば、限られた専門家の目を、いちばん効く場所に向けられる。
契約の大半は、そもそも読みにくい水準にある
では、読みにくい契約は例外的なひどい一部かというと、そうではない。大量の契約を機械的に分析した研究が、世に出回る契約やポリシーの多くが、一般の人には読みにくいとされる水準にあることを示している。Arbel らが2024年に、契約の可読性を大規模データで分析し、Benoliel と Becher が2019年に消費者契約を、Becher と Benoliel が2020年にプライバシーポリシーを実測して、いずれも大半が平易とは言いがたい水準だと報告した(このうち2019年のものは学生が編集する法律評論で、査読誌とは位置づけが異なる点は断っておく)。
しかも前の単位で見たとおり、Bakos らの実測では、そうした契約はそもそもほとんど読まれない。読みにくく、読まれず、それでも同意だけは交わされていく。 この土台の上でチェックリストを回しても、道具が優秀かどうか以前に、読む対象が読ませる作りになっていない。見抜く力を上げたいなら、まず自分の契約が、自分でも読み通せる文章になっているかを疑うのが先だ。付け加えれば、読みにくさは、相手を守るためでも、あなたを守るためでもないことが多い。長く複雑な条項は、単に前のひな形を引き継いだ結果——粘着の産物——であることが少なくない。守りを厚くしているつもりの分厚さが、実は誰にも読まれず、いざというときには自分自身が中身を思い出せない、ということも起こる。
時間・変化:2014年から今へ
順に置く。2014年、Bakos らが標準契約はそもそも読まれないと実測する。2019年と2020年、Benoliel と Becher が消費者契約とプライバシーポリシーの読みにくさを測る。2022年、Martínez らが legalese の難しさは専門概念でなく書き方(入れ子構造・専門用語)から来ると実験で示し、2023年、弁護士でさえ legalese に苦労することを示す。そして2024年、Arbel らが契約の読みにくさを大規模データで裏づけた。
この間に確からしくなったのは、「チェックリストで見抜ける」という因果ではない。確からしくなったのは、審査が効くという証拠は乏しく、契約の難しさは書き方から来て、専門家でも読みにくさに足を取られ、多くの契約はそもそも読みにくい——という、対象の側の事実のほうである。言い換えれば、この十年で分かってきたのは、見抜く側の技術ではなく、見抜かれる側——契約という文章そのもの——の頑固さだった。道具を磨く前に、その道具が向き合う相手が、そもそもどれだけ手強いかを知っておく必要がある。相手を侮れば、どんな道具も空回りする。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、チェックリストの項目を埋めたことを「リスクを見抜いた」と取り違えることである。埋まった項目表は達成感をくれるが、その手順が実際にトラブルを減らすかは確かめられておらず、しかも読み取る文章自体が壁になっている。項目の多さは、見抜けたことの証ではない。もう一つ妨げるのは、読みにくさを「難しくて当然のもの」として受け入れてしまうことだ。難しいのが当たり前だと思えば、詰まっても「自分の理解力の問題」で片づけてしまい、文章の側の欠陥は見過ごされる。詰まりを、恥ではなく、文章の設計の情報として拾うことが、見抜きの入口になる。
助けになるのは、見抜く技を足す前に、自分の契約が、自分でも読み通せる文章かを、実際に読んで確かめてみることだ。最初の一歩は10分。自分が使っている契約書を一つ選び、声に出して読んでみて、意味が取れずに詰まった箇所、二回読み返した箇所に印をつけ、その数を数えるだけでよい。条項が有効か不利かの判定は今はしない。相手を疑う必要もない。ただ、自分自身がその文章のどこで詰まるかを、自分の手元で確かめる。 自分が詰まる場所は、たいてい、専門家に相談するときにも要点を伝えにくい場所である。そこが分かることが、見抜く前の下ごしらえになる。
次の単位は 451「契約を一元管理するには?」——読み解いた契約を、台帳やシステムでまとめて管理できるのか、という話へ進む。
- この単位は青段(契約の基盤)2単位目で、そろえた契約をチェックリストで本当に見抜けるのかを扱う。俗説は『チェックリストでリスクは見抜ける』。だがこれは二重に危うい——(1)その審査が本当にリスクを減らすか確かめた証拠が学術にほとんど無い、(2)そもそも契約の文章自体が読み取りを阻む作りになっている。レビューは契約を読んで問題点を洗う作業、デューデリジェンスは取引前の精査。道具の前に読む対象のほうに壁がある
- 契約審査やデューデリジェンスが実際にトラブルやリスクをどれだけ減らすのかを測った学術研究を探すと驚くほど見つからず、出てくるのは実務のハンドブックやM&Aの手引きばかりで、この手順で審査すると後の紛争が実際に減ったと効果を検証した研究はほぼ空白に近い。条文や判例は実在するが審査の手順の効き目はほとんど測られていない。見抜けるは確かめられた事実でなく実務の経験則である
- Martínez・Mollica・Gibson 2022(Cognition 224:105070)は法律文書の読みにくさ(legalese)が何から来るかを実験で調べ、難しさの主な原因は法律の概念が高度だからでなく書き方が下手だから(文の途中に別の文を何重にも挟む入れ子構造=埋め込み構文、日常語で言えることを専門用語で言う癖)だと示した。入れ子をほどいて平たく書き直すと理解はずっと楽になる。契約を読んで詰まるのは知識不足のせいとは限らず文章のほうが読み取りを邪魔している
- Martínez ら 2023(Proceedings of the National Academy of Sciences 120(23):e2302672120)は訓練を受けた弁護士を対象に、legaleseの条文と同じ内容を平たく書き直した条文を比べさせ、弁護士でさえlegaleseを好まず平たく書かれたほうを理解しやすいと感じ想起も良いことを示した。専門家も同じように下手な書き方に足を取られる。見抜く目は経験で鍛えられる万能の力でなく、何を見落とすかは文章と場面しだいの文脈依存になる
- Arbel ら 2024(Journal of Empirical Legal Studies 21)は契約の可読性を大規模データで分析し、Benoliel & Becher 2019(Boston College Law Review 60・学生編集の法律評論で査読誌とは位置づけが異なる)は消費者契約を、Becher & Benoliel 2020(Consumer Law and Economics, Springer)はプライバシーポリシーを実測し、いずれも大半が平易とは言いがたい読みにくい水準だと報告した
- Bakos ら 2014(The Journal of Legal Studies 43(1):1-35)の実測どおり読みにくい契約はそもそもほとんど読まれない。読みにくく、読まれず、それでも同意だけは交わされていく。この土台の上でチェックリストを回しても道具の優秀さ以前に読む対象が読ませる作りになっていない。見抜く力を上げたいならまず自分の契約が自分でも読み通せる文章になっているかを疑うのが先である
- この間に確からしくなったのは、チェックリストで見抜けるという因果ではなく、審査が効くという証拠は乏しく契約の難しさは書き方から来て専門家でも読みにくさに足を取られ多くの契約はそもそも読みにくいという対象側の事実である。だからこの単位でやるのは、自分の契約書を一つ声に出して読み、意味が取れず詰まった箇所や二回読み返した箇所に印をつけてその数を数え、自分がどこで詰まるかを自分の手元で確かめることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 契約リスクは、見るべき点をチェックリストにして一つずつ潰していけば見抜ける | これは二重に危うい。第一に、契約審査やデューデリジェンスが実際にリスクを減らすと検証した学術研究はほぼ空白に近く(出てくるのは実務のハンドブックばかり)、このチェックリストで見抜けるは確かめられた事実でなく実務の経験則である。第二に、そもそも契約の文章自体が読み取りを阻む作りになっており、道具の前に読む対象のほうに壁がある。項目を埋めた安心感と、リスクが実際に減ったかは別のことである |
| 契約が読みにくいのは法律の概念が難しいからで、読み手に専門知識が足りないせいだ | Martínez・Mollica・Gibson 2022 は、法律文書の読みにくさ(legalese)の主な原因が法律概念の高度さでなく、文の途中に別の文を何重にも挟む入れ子構造や専門用語といった書き方の癖にあることを実験で示した。入れ子をほどいて平たく書き直すと理解はずっと楽になる。契約を読んで詰まるのは知識不足のせいとは限らず、文章のほうが読み取りを邪魔している可能性が高い |
| 見抜く目は資格と経験で鍛えられるので、専門家に任せれば読みにくさは問題にならない | Martínez ら 2023 は、訓練を受けた弁護士でさえlegaleseを好まず、平たく書かれた条文のほうを理解しやすいと感じ想起も良いことを示した。専門家も同じように下手な書き方に足を取られる。見抜く目は万能でなく、何を見落とすかは文章と場面しだいの文脈依存になる。だからこの単位でやるのは、自分の契約書を声に出して読み、詰まった箇所に印をつけて数え、自分がどこで詰まるかを確かめることである |
皮肉なのは、リスクを見抜こうと精巧なチェックリストを構えるほど、肝心の読む対象——契約の文章そのもの——が壁になっていることが見えなくなることである。審査が後の紛争を減らすという証拠は、学術にはほとんど無い。契約の難しさは、法律の概念が高度だからではなく、入れ子だらけの下手な書き方から来る。しかも、その読みにくさには、訓練を受けた弁護士でさえ足を取られる。見抜く目が鋭いかどうか以前に、読ませる作りになっていない文章の前では、誰の目も一律には効かない。チェックリストが見抜きを約束しているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、項目を埋めたことと、リスクが実際に減ったこと、そして自分がその文章を読み通せているかを、別々に確かめていないだけかもしれない。次の単位は 451「契約を一元管理するには?」——読み解いた契約を、台帳やシステムでまとめて管理できるのか、という話へ進む。
Q1. 『チェックリストでリスクは見抜ける』は二重に危うい——(1)その審査が本当にリスクを減らすか確かめた ____ が学術にほとんど無い、(2)そもそも契約の ____ 自体が読み取りを阻む作りになっている。道具の前に、読む ____ のほうに壁がある。穴埋め
Q2. Martínez・Mollica・Gibson 2022 が、法律文書の読みにくさ(legalese)の主な原因として実験で示したものはどれか。選択
Q3. 『見抜く目は資格と経験でいくらでも鍛えられる』という考えに対し、Martínez ら 2023 から言える反論を述べよ。一問一答
Q4. 契約審査の効果について、この単位が『学術には空白に近い』と述べたのはどういう意味か。審査が無駄だという主張との違いも含めて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Martínez らが弁護士でさえlegaleseに苦労すると示す(イ)Bakos らが標準契約はそもそも読まれないと実測する(ウ)Arbel らが契約の読みにくさを大規模データで裏づける(エ)Martínez らが難しさは書き方から来ると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分がいま使っている契約書・利用規約・業務委託契約などを一つ選ぶ。それを最初から声に出して(または心のなかでゆっくり)読み、意味がすぐに取れずに詰まった箇所、二回以上読み返した箇所、一文が長くて主語と述語を見失った箇所に、その場で印をつける。条項が有効か不利か、正しいかどうかの判定は今はしない。取引先を疑ったり詮索したりする必要もなく、自分の手元の文書だけで完結させる。読み終えたら、印をつけた箇所の数と、その契約全体の条項のおよその数を書き添える。印の多い契約ほど、自分でも読み通せていない契約である。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Martínez E., Mollica F., Gibson E. (2022) ‘Poor writing, not specialized concepts, drives processing difficulty in legal language’, Cognition 224:105070 — doi.org
- Martínez E., Mollica F., Gibson E. (2023) ‘Even lawyers do not like legalese’, Proceedings of the National Academy of Sciences 120(23):e2302672120 — doi.org
- Arbel Y.A. ほか (2024) ‘The readability of contracts: Big data analysis’, Journal of Empirical Legal Studies 21 — doi.org
- Becher S.I., Benoliel U. (2020) ‘Law in Books and Law in Action: The Readability of Privacy Policies and the GDPR’, Consumer Law and Economics (Springer):179-204 — doi.org
- Benoliel U., Becher S.I. (2019) ‘The Duty to Read the Unreadable’, Boston College Law Review 60 (SSRN版) — doi.org
- Bakos Y., Marotta-Wurgler F., Trossen D.R. (2014) ‘Does Anyone Read the Fine Print? Consumer Attention to Standard-Form Contracts’, The Journal of Legal Studies 43(1):1-35 — doi.org