「テンプレがあれば漏れなく作れる」——だが、標準契約は読まれず、磨かれず、粘着する
契約というと、よくできたテンプレートをそろえれば漏れなく作れる、と考えたくなる。だが法務には、実在する一次情報(条文・判例)と、その周りに並ぶ道具(テンプレ・チェックリスト・研修・システム)が、同じ顔で並んでいる。条文と判例は実在するが、道具の効き目はほとんど測られていない。標準契約はそもそも読まれず、競争でも磨かれず、いったん定まると粘着する。この棚は法律相談ではなく、専門家に相談できる状態を自分で作る技術を扱う。
この棚は、誰に向けて書かれているか
この棚の読者は、法務部にいる人に限らない。契約と法的リスクを、自分で背負う人である。契約書に自分で判を押す代表、業務委託契約を自分で結ぶ個人、利用規約を自分で書くEC店主、はじめて人を雇って労務に触れた人、頒布や受託の約束事を文書にする人——だからこの棚は「法務は」「リーガルは」で主語を立てない。 顧問弁護士や法務担当、リーガルテックがあることを前提にしない。契約書1枚の商いと100本を回す会社、企業向けと消費者向けに、優劣を付けない。
言葉は初めて出てくるところでほどく。ひな形とは、あらかじめ用意された契約書のたたき台のこと。レビューとは、契約書を読んで問題になりそうな点を洗う作業のことだ。この先も、CLM・与信・反社チェック・営業秘密・内容証明・支払督促・少額訴訟といった言葉が出るたびに、その場でほどく。法律の予備知識がある前提は、置かない。
そして、この棚は最初に一度だけ、はっきり断っておく——この棚は、法律相談ではない。 個別の「これは有効か」「勝てるか」といった判断は、資格を持つ専門家の仕事であって、ここでは一切しない。この棚が扱うのは、専門家に相談できる状態を、自分の手で作っておく技術である。何をどこまで自分で整え、どこから先を人に委ねるか——その線を引けるようになることが、目的だ。だからこの棚は、16の問いそれぞれで言うことを3つに絞る——何を指すのか。どこまで効くと確かめられているのか。その外で何が起きるか。これをやれば訴えられない、の棚にはしない。 読者の像と、この断りを書くのは、この単位だけである。
この棚の地図——四つの段を、下から積む
この棚は並べて選ぶ道具箱ではない。下の段が上の段を支える、積み上げである。まず契約という土台を置き、その上に権利と違反への構え、人と情報のリスクへの備えを積み、最後に有事と予防を載せる。
①青 449〜452|契約の基盤——標準契約、審査、台帳、取引先の見極め。②緑 453〜456|権利と違反——知財の防衛、違反への対応、法改正の追随、リテラシー。③橙 457〜460|人と情報のリスク——債権回収、労務、ハラスメント、情報管理。④桃 461〜464|有事と予防——訴訟への備え、証拠、専門家の使い方、そして予防。
契約という土台があやふやなまま上を積むと、権利も有事対応もぐらつく。 だからこの棚は、いちばん下の契約——その最初の一問、契約書を漏れなく作るところから始める。段は身につける順であって、こなす順ではない。
「テンプレがあれば漏れなく作れる」——法の実在と、道具の証明は別物
契約というと、まず「よくできたテンプレートを一式そろえれば、漏れなく作れる」と考えたくなる。だが、ここでこの棚が16回くり返す見方を、正面から立てておく。法務の世界には、性格のまるで違う二種類のものが、同じ顔をして並んでいる。
左側にあるのは、実在する一次情報だ。条文と判例——たとえば、契約の基本ルールを定める民法は、債権に関する部分が大きく改正され、2020年4月に施行された。これは誰でも同じ条文にあたって確かめられる、動かない公式事実である。右側にあるのは、その周りに並ぶ道具だ。テンプレート、チェックリスト、研修、契約管理のシステム。「これがあれば守れる」「これで防げる」と語られる道具である。
この棚の通奏低音の一つめは、この対比だ——条文と判例は実在する。だが『テンプレで守れる』『研修で防げる』という道具の効き目は、ほとんど測られていない。法の実在と、道具の証明は、別物である。 法務は、公式の一次情報が最も強い棚だ。だからこそ、その横に並ぶ道具の効果の実証がきわめて薄い、という事実が際立つ。誤解しないでほしいのは、これは道具が無意味だという主張ではない。テンプレもチェックリストも、うまく使えば助けになる。ただ、条文のように「これは実在する」と確かめられるものと、「これを使えば守れる」という効き目の主張とを、同じ確からしさで扱ってはいけない、というだけだ。前者は一次情報にあたれば足り、後者は別に検証が要る。
標準契約は、そもそも読まれない
テンプレートへの信頼を、まず一つの実証が揺さぶる。Bakos・Marotta-Wurgler・Trossen が2014年に The Journal of Legal Studies 誌で、大量の利用者が実際に契約ページをどう閲覧したかを、クリックの記録から追った。そこで分かったのは、標準的な契約条件のページを実際に開いて読む人は、ごくわずかしかいないということだった。同意ボタンは押されても、条項は読まれずに素通りされる。
これは相手(消費者や取引先)だけの話ではない。作る側にとっても含みは重い。漏れなく条項を並べた完璧なテンプレートを用意しても、それが読まれ、理解され、行動を変えるとは限らない。 契約書は、書けば効くお守りではない。だから問いは「立派なテンプレをそろえたか」ではなく、「本当に読まれ、使われる部分はどこか、そこに何を書いたか」に移る。この単位が疑うのは、テンプレートの存在そのものではなく、それがあれば漏れがなくなる、という思い込みのほうだ。ここには、作る側にとっての救いもある。すべての条項を完璧に磨くことに力を注ぐより、本当に読まれ効いてくる少数の要点——お金の払い方、いつ終われるか、何かあったときどうするか——を、相手にも伝わる形で押さえるほうが、実りは大きい。厚さを競うより、届く場所を選ぶことだ。
ひな形は、粘着して残る——中身は競争より慣性で決まる
もう一つ、ひな形には厄介な性質がある。いったん広まったひな形は、たとえ中身が最適でなくても、そのまま「粘着」して残り続ける。 Gulati と Scott が2012年に、ある定番の契約条項が、実務家によく理解されないまま、長年ほとんど変わらずに使い回されてきた様子を追い、ひな形が設計によって最適化されるとは限らないことを示した。契約は、いちばん良い条件へ進化していくのではなく、前に使ったものを、次もそのまま使うという慣性で動きやすい。
Marotta-Wurgler が2007年と2008年に、多数の標準契約の中身を実際に読み込んで分析し、その内容は玉石混交で、競争があるからといって条項が利用者に有利な方向へ磨かれるわけではないことを示した。さらに Marotta-Wurgler と Taylor が2013年に、標準契約が時とともにどれだけ変わるかを調べ、変化は乏しく、いったん定まった文言は動きにくいことを報告している(これは学生が編集する法律評論の論文で、査読誌とは位置づけが異なる点は断っておく)。つまりひな形は、読まれず、競争でも磨かれず、惰性で固まる。「テンプレがあれば漏れなく」は、この三つの性質を見ないと、危うい。 とりわけ、他人のひな形をそのまま流用するとき、その文言が自分の取引の実態に合っているかは、誰も保証していない。前の持ち主にとって意味があった条項が、あなたには的外れなこともある。粘着とは、他人の事情まで一緒に引き継いでしまう、ということでもある。
時間・変化:2007年から今へ
順に置く。2007年と2008年、Marotta-Wurgler が標準契約の中身を実証し、競争が品質を保証しないことを示す。2012年、Gulati と Scott がひな形の粘着性と設計の限界を追う。2013年、Marotta-Wurgler と Taylor が標準契約の変わりにくさを報告し、2014年、Bakos らが「そもそも読まれない」ことをクリックの記録で実測する。そして2020年、日本では改正された民法の債権に関する規定が施行され、契約の基本ルールの一部が現行のかたちになった。
この間に確からしくなったのは、「テンプレがあれば漏れなく作れる」という因果ではない。確からしくなったのは、標準契約は読まれず、競争でも磨かれず、いったん定まると粘着する——という、道具の側の慎重な事実のほうである。実在する条文の改正が進む一方で、その周りの道具の効き目は、ほとんど測られないまま流通してきた。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「テンプレをそろえた」ことを「守りが整った」と取り違えることである。立派なひな形の束は、安心感を与えるが、それが読まれ、使われ、あなたの取引の実態に合っているかは別の話だ。テンプレの厚みは、備えの厚みではない。
助けになるのは、新しいテンプレを探す前に、いま自分が使っている契約書が、どこから来て、最後にいつ中身を読んだかを、棚卸ししてみることだ。最初の一歩は10分。手元の契約書・ひな形をいくつか挙げ、それぞれ「出どころ(誰かのを写した/ネットで拾った/専門家に作ってもらった)」と「最後に自分で中身を読んだのがいつか」を書き出すだけでよい。条項の良し悪しを今は判定しない。誰かに見せる必要もない。ただ、自分の契約が、読まれないまま惰性で回っていないかを、自分の手元で確かめる。 ここが、専門家に相談できる状態を作る、最初の棚卸しになる。棚卸しをしてみると、案外、いちばん取引の多い相手との契約ほど、古いまま放置されていることに気づくかもしれない。よく使うものほど、見直す機会を失いやすい。
次の単位は 450「契約リスクを見抜くには?」——そろえた契約を、チェックリストで本当に見抜けるのか、という審査の話へ進む。
- この単位は棚の★(order1・棚頭一致)で、読者定義・4段の地図・一度だけの断り・通奏低音①の正面展開を担う。読者は契約と法的リスクを自分で背負う人(法務部の有無を問わず、契約書に判を押す代表・業務委託を結ぶ個人・EC店主等を含む)。法務は/リーガルはで主語を立てず、顧問弁護士やリーガルテックを前提にせず、契約1枚の商いと100本の会社・企業向けと消費者向けに優劣を付けない
- 一度だけの断り——この棚は法律相談ではない。有効か・勝てるかといった個別判断は資格を持つ専門家の仕事でせず、この棚は専門家に相談できる状態を自分の手で作る技術を扱う。ひな形は契約書のたたき台、レビューは契約書を読んで問題点を洗う作業。棚は道具箱でなく積み上げで、①青449-452契約の基盤、②緑453-456権利と違反、③橙457-460人と情報のリスク、④桃461-464有事と予防。契約の土台から始める
- この棚の通奏低音①を正面から立てる——条文と判例は実在するが、テンプレで守れる・研修で防げるという道具の効き目はほとんど測られていない。法の実在と道具の証明は別物である。左側は実在する一次情報(民法の債権に関する規定は大きく改正され2020年4月に施行という公式事実など)、右側はその周りに並ぶ道具(テンプレ・チェックリスト・研修・契約管理システム)。公式の一次情報が最も強い棚だからこそ道具の実証の薄さが際立つ
- Bakos・Marotta-Wurgler・Trossen 2014(The Journal of Legal Studies 43(1):1-35)は、大量の利用者が契約ページをどう閲覧したかをクリックの記録から追い、標準的な契約条件のページを実際に開いて読む人はごくわずかだと実測した。同意ボタンは押されても条項は素通りされる。漏れなく並べたテンプレートも読まれ行動を変えるとは限らず、問いは本当に読まれ使われる部分はどこかに移る
- ひな形は中身が最適でなくても粘着して残る。Gulati & Scott 2012(The Three and a Half Minute Transaction、University of Chicago Press)は、定番の契約条項が実務家によく理解されないまま長年変わらず使い回された様子を追い、ひな形が設計で最適化されるとは限らないことを示した。契約は良い条件へ進化するのでなく、前に使ったものを次もそのまま使う慣性で動きやすい
- Marotta-Wurgler 2007(Journal of Empirical Legal Studies 4(4):677-713)・2008(同 5(3):447-475)は多数の標準契約の中身を読み込んで分析し、内容は玉石混交で競争があっても条項が利用者に有利へ磨かれないことを示した。Marotta-Wurgler & Taylor 2013(New York University Law Review 88・学生編集の法律評論)は標準契約の変化の乏しさを報告。ひな形は読まれず競争でも磨かれず惰性で固まる
- この間に確からしくなったのは、テンプレがあれば漏れなく作れるという因果ではなく、標準契約は読まれず競争でも磨かれずいったん定まると粘着するという道具側の慎重な事実である。だからこの単位でやるのは、新しいテンプレを探す前に、いま使っている契約書がどこから来て(写した/ネット/専門家作成)最後にいつ中身を読んだかを棚卸しし、読まれないまま惰性で回っていないかを自分の手元で確かめることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| よくできたテンプレートを一式そろえれば、契約は漏れなく作れて守りが整う | 法の実在と道具の証明は別物で、テンプレで守れるという効き目はほとんど測られていない。Bakos ら 2014 はクリックの記録から標準契約を実際に開いて読む人がごくわずかだと実測した。漏れなく並べた完璧なテンプレでも、読まれ理解され行動を変えるとは限らない。テンプレの厚みは備えの厚みではなく、問いは立派なテンプレをそろえたかではなく本当に読まれ使われる部分はどこかに移る |
| 契約のひな形は、多くの人に使われ競争にさらされるうちに、いちばん良い条件へ磨かれていく | Gulati & Scott 2012 は、ある定番の契約条項が実務家によく理解されないまま長年ほとんど変わらず使い回された様子を追い、ひな形が中身が最適でなくても粘着して残り設計で最適化されるとは限らないことを示した。Marotta-Wurgler 2007・2008 は多数の標準契約を読み込み、競争があっても条項が利用者に有利へ磨かれるわけではないと示した。契約は進化でなく、前に使ったものを次もそのまま使う慣性で動きやすい |
| 契約書は法律の専門知識がある人だけのもので、自分で背負う人には手に負えない | この棚は法律相談ではなく、これは有効か・勝てるかといった個別判断はしない(それは資格を持つ専門家の仕事)。この棚が扱うのは、専門家に相談できる状態を自分の手で作る技術で、何をどこまで自分で整えどこから人に委ねるかの線を引けるようになることが目的である。だからこの単位でやるのは、いま使っている契約書がどこから来て最後にいつ中身を読んだかを自分の手元で棚卸しすることである |
皮肉なのは、立派なテンプレートの束をそろえるほど、守りが整ったという安心だけが厚くなることである。だが、その契約は読まれているのか。標準契約を実際に開いて読む人はごくわずかで、同意は押されても条項は素通りされる。ひな形は、中身が最適でなくても、競争にさらされても、前に使ったものが次もそのまま——惰性で固まっていく。条文と判例は実在し、誰でも同じ一次情報にあたれる。だが、その横に並ぶテンプレやチェックリストが本当に効くのかは、ほとんど測られていない。テンプレが守りを約束しているように見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、テンプレの厚みと、それが実際に読まれ使われているかを、別々に確かめていないだけかもしれない。この棚は、契約書という道具を配る棚ではない——法の実在と道具の効き目を分けて見る目を、段を追って積んでいく棚である。次の単位は 450「契約リスクを見抜くには?」——そろえた契約を、チェックリストで本当に見抜けるのか、という審査の話へ進む。
Q1. この棚の通奏低音①——条文と判例は ____ する。だが『テンプレで守れる』『研修で防げる』という道具の ____ は、ほとんど測られていない。法の実在と、道具の ____ は、別物である。穴埋め
Q2. Bakos・Marotta-Wurgler・Trossen 2014 がクリックの記録から実測したこととして正しいものはどれか。選択
Q3. 『よくできたひな形を広めれば、契約はいちばん良い条件へ磨かれていく』という考えに対し、Gulati & Scott 2012 と Marotta-Wurgler 2007・2008 から言える反論を述べよ。一問一答
Q4. この棚が『法律相談ではない』と断ったうえで扱うのは何か。読者に対する立場も含めて述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った事柄を、年の早い順に並べよ。(ア)Bakos らが標準契約はそもそも読まれないとクリックで実測する(イ)Marotta-Wurgler が標準契約の中身を実証し競争が品質を保証しないと示す(ウ)改正民法の債権に関する規定が施行される(エ)Gulati & Scott がひな形の粘着性を追う並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分がいま使っている契約書・ひな形・利用規約を、思いつく範囲でいくつか挙げる。各文書について、二つのことだけを書く——(1) 出どころ(誰かの契約書を写した/ネットで拾った/専門家に作ってもらった/自分で書いた、など)、(2) 最後に自分で中身を通して読んだのがいつか(覚えていなければ『不明』でよい)。各条項が有効か・有利かといった良し悪しの判定は今はしない。取引先の契約を詮索する必要もなく、自分の手元にある文書だけで完結させる。最後に、棚卸しした文書の数と、そのうち最後に読んだ日が『不明』または一年以上前だったものの数を書き添える。契約書1枚の商いでも同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Bakos Y., Marotta-Wurgler F., Trossen D.R. (2014) ‘Does Anyone Read the Fine Print? Consumer Attention to Standard-Form Contracts’, The Journal of Legal Studies 43(1):1-35 — doi.org
- Marotta-Wurgler F. (2007) ‘What’s in a Standard Form Contract? An Empirical Analysis of Software License Agreements’, Journal of Empirical Legal Studies 4(4):677-713 — doi.org
- Marotta-Wurgler F. (2008) ‘Competition and the Quality of Standard Form Contracts: The Case of Software License Agreements’, Journal of Empirical Legal Studies 5(3):447-475 — doi.org
- Gulati M., Scott R.E. (2012) The Three and a Half Minute Transaction: Boilerplate and the Limits of Contract Design, University of Chicago Press — doi.org
- Marotta-Wurgler F., Taylor R. (2013) ‘Set in Stone? Change and Innovation in Consumer Standard-Form Contracts’, New York University Law Review 88 (SSRN版) — doi.org
- 民法(明治29年法律第89号)——債権関係の改正(2017年成立・2020年4月1日施行)/e-Gov法令検索 — laws.e-gov.go.jp