「説明会をすれば浸透する」——だが説明は、掲げる・運用する・受け取るの三層の最初の一層だけ
制度は、説明会を開いて周知すれば浸透する、と考えたくなる。ところが半世紀の組織論が示してきたのは、掲げることと動かすことは別で、その間には脱連結という溝が口を開けている、ということだった。制度を動かすのは、額に入れた設計図ではなく、それを毎日手に取って使う現場の一人であり、その人に能力と余白が無ければ、どんな精密な制度も儀礼として飾られるだけである。
制度を現場に根付かせるとは、何を指すのか
前の単位では、処遇を下げる場面の公正を扱った。ここでは、ここまで作ってきた等級・報酬・評価・昇進・処遇の決め方が、実際に現場で動くかどうか——制度を根付かせる話を扱う。処遇の運用の段(橙)を、この単位でひとまず締めくくる。
まず言葉をほどく。制度を根付かせるとは、紙に書いた決め方が、日々の実際の運用のなかで、そのとおりに使われている状態を作ることである。説明会は、その決め方を人に知らせる場のこと。ここで多くの人がつまずくのは、「説明会をして周知すれば、制度は浸透する」という思い込みである。専任の人事がいる会社に限らない——数人のチームに新しい評価の仕方を導入する代表も、パートの時給の決め方を家族と共有する店主も、この壁にぶつかる。そして小さな組織では、制度を実際に動かす「現場の担当者」が、あなた自身であることも多い。その場合、根付かせる相手は、他の誰でもなく、明日の自分自身の運用である。 この単位が言うことは三つ。根付かせるとは何を指すのか、説明すればどこまで根付くと確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。
掲げた制度と、動く制度は違う
まず、組織論が半世紀前から指摘してきた、厄介な事実がある。組織は、立派な制度を「掲げる」ことと、それを実際に「動かす」ことを、切り離すことがある。 MeyerとRowanが1977年に『Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony』(American Journal of Sociology 83(2):340-363) で示したのは、組織がしばしば制度を、周囲に立派に見せるための神話と儀礼として掲げ、日々の実務からは切り離しておく——という現象だった。これをデカップリング(脱連結)と呼ぶ。
これは昔話ではない。BromleyとPowellが2012年に『From Smoke and Mirrors to Walking the Talk』(Academy of Management Annals 6(1):483-530) で現代の組織を整理し直したときも、掲げた方針と実際の実践、あるいは手段と目的が、いまも広く切り離されていることを示した。立派な評価制度や賞与基準を作って掲げること自体は、それが現場で使われることを、少しも保証しない。掲げると、動く。この二つの間には、思っているよりずっと大きな溝がある。しかも、この脱連結は、必ずしも誰かがサボっているから起きるのではない。制度を掲げること自体に、対外的な体裁を整えるという別の役目があるために、掲げる動機と、使う動機は、もともと別々に働くのである。だから「立派な制度を作ったのに現場で使われない」のは、しばしば悪意でも怠慢でもなく、掲げることと使うことが最初から別の回路で動いている、という構造の問題だと見たほうがよい。
浸透は、三つの層でできている
では「浸透」とは、正確には何が起きることなのか。ここで設計側がよく取り違えるのを、ひとつ正しておく。浸透とは、周知(知らせること)ではない。 KhiljiとWangが2006年に『Intended and implemented HRM』(International Journal of Human Resource Management 17(7):1171-1189) で示したのは、制度には少なくとも三つの層がある、ということだった——掲げた制度(intended)、実際に運用された制度(implemented)、そして人が受け取った制度(perceived)である。
説明会でできるのは、この最初の層——掲げた制度を知らせること——だけである。掲げた制度が、実際にそのとおり運用されるか(第二の層)、そして運用された制度を人が意図どおりに受け取るか(第三の層)は、説明会の外にある。三つの層がずれれば、掲げた制度と、現場で人が体験する制度は、まるで別物になってしまう。だから「説明したのに浸透しない」のは不思議でも怠慢でもなく、説明は三層のうちの一層にすぎない、という構造の当然の帰結である。
制度を動かすのは、ライン管理者である
では、第二の層——実際の運用——を担っているのは、誰か。人事部でも、制度を設計した人でもない。現場で人を率いる上司(ライン管理者)である。 PurcellとHutchinsonが2007年に『Front-line managers as agents in the HRM-performance causal chain』(Human Resource Management Journal 17(1):3-20) で示したのは、制度が成果につながるかどうかの鎖の要に、現場の上司がいるということだった。
SikoraとFerrisが2014年に『Strategic human resource practice implementation』(Human Resource Management Review 24(3):271-281) で総説したときも、制度の実装の質を決める決定的な役割は、ライン管理者にあった。どれだけ精密な制度を設計しても、それを日々の場面で実際に適用するのは現場の上司であり、彼らの運用の仕方が、制度の実際の姿になる。小さな組織なら、この「現場の上司」はあなた自身だ。制度を動かすのは、設計図ではなく、それを毎日手に取って使う人である。
実装の質を決めるのは、能力である
では、ライン管理者が制度をうまく動かせるかどうかは、何で決まるのか。Bos-Nehlesらが2013年に『Employee Perceptions of Line Management Performance』(Human Resource Management 52(6):861-877) で、能力・動機・機会という三つの要素(AMO)から調べたところ、実装の成果を最もよく予測したのは、ライン管理者の能力(ability)だった。機会がその関係を強め、そして意外にも、動機は成果を調整しなかった。
これは、制度を根付かせたい人にとって、向きを変える知見である。「やる気を出させれば運用される」のではない。運用する人が、その制度を正しく使える能力を持ち、使うための機会(時間や裁量)を与えられているかが効く。説明会でやる気を鼓舞しても、使いこなす能力と、使う余白が無ければ、制度は動かない。根付かせるとは、掲げることでも、発破をかけることでもなく、運用する人の能力と機会を整えることなのである。具体的には、運用する人が制度を使えるようになる練習や手引きを用意すること、そして評価や面談に実際に割ける時間を確保することが、精神論よりずっと効く。一人で全部を回している読者なら、これは自分に置き換えられる——新しい決め方を導入したのに使えていないなら、まず問うべきは自分のやる気ではなく、その決め方を使いこなせているか、使う時間を自分に確保できているか、である。
時間・変化:1977年から2014年へ
順に置く。1977年、MeyerとRowanが、制度が神話と儀礼として実務から切り離されうると示す。2006年、KhiljiとWangが、掲げた制度と実装された制度の乖離を浸透の急所として切り出す。2007年、PurcellとHutchinsonが、制度を動かすのは現場の上司だと示し、2012年、BromleyとPowellが脱連結を現代版に更新する。2013年、Bos-Nehlesらが実装の質を決めるのは能力だと示し、2014年、SikoraとFerrisがライン管理者の決定的役割を総説した。
この間に確からしくなったのは、「説明会をすれば浸透する」という約束ではない。確からしくなったのは、掲げた制度と動く制度は切り離されうること、浸透は掲げる・運用する・受け取るの三層であること、その第二層を担うのは現場の上司であり、質を決めるのは彼らの能力と機会である、という実装の側の事実である。制度というものは、作った瞬間ではなく、誰かが毎日それを手に取って初めて、動き出す。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、説明会を開いたことで、制度が浸透したと錯覚することである。説明は三層の最初の一層にすぎない。もう一つの妨げは、運用する人に、使いこなす能力も、使う時間や裁量も与えないまま、やる気だけを求めることだ。能力と機会が無ければ、制度は掲げられたまま動かない。
助けになるのは、自分が掲げた決め方(たとえば賞与や評価の基準)が、実際の運用でどれだけそのとおり使われているかを、自分で突き合わせて点検することである。掲げた文面と、先月の実際の運用を並べ、ずれている箇所に印を付ける。ずれは、怠慢の証拠ではなく、第二層——実際の運用——の、ありのままの実態である。
最初の一歩は、その突き合わせを一つの制度で試してみること。そして、根付いたかどうかは、掲げた側の実感ではなく、運用の記録を測って初めて分かる——この視点が、次の段(検証と改定)への入口になる。掲げた本人ほど「うまくいっている」と感じやすく、その実感と運用の実態は、しばしばずれている。誰かを問い詰める必要はない。自分の掲げた文面と、自分の実際の運用を、並べてみるだけでよい。
次の単位は 445「市場水準と釣り合わせるには?」——根付いたかどうかを含め、自分の制度を、外の物差しと突き合わせて検証する段へ進む。
- 制度を根付かせるとは、紙に書いた決め方が日々の運用でそのとおり使われる状態を作ること。多くの人は説明会をして周知すれば浸透すると思い込むが、これがつまずきの元。小さな組織では制度を実際に動かす現場の担当者があなた自身であることも多く、その場合根付かせる相手は明日の自分の運用である。言うことは三つ——何を指すか、説明でどこまで根付くか、その外で何が起きるか
- 組織は立派な制度を掲げることと実際に動かすことを切り離すことがある。MeyerとRowan 1977『Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony』(American Journal of Sociology 83(2):340-363)は、組織が制度を周囲に見せる神話と儀礼として掲げ実務から切り離す現象(デカップリング=脱連結)を示した。BromleyとPowell 2012(Academy of Management Annals 6(1):483-530)は現代でも掲げた方針と実践が広く切り離されると示した
- 浸透は周知ではない。KhiljiとWang 2006『Intended and implemented HRM』(International Journal of Human Resource Management 17(7):1171-1189)は制度に少なくとも三つの層——掲げた制度(intended)・実際に運用された制度(implemented)・人が受け取った制度(perceived)があると示した。説明会でできるのは最初の層だけで、説明したのに浸透しないのは説明が三層の一層にすぎないという構造の当然の帰結である
- 第二層の実際の運用を担うのは人事部でも設計者でもなく現場で人を率いる上司(ライン管理者)である。PurcellとHutchinson 2007『Front-line managers as agents in the HRM-performance causal chain』(Human Resource Management Journal 17(1):3-20)は制度が成果につながる鎖の要に現場の上司がいると示し、SikoraとFerris 2014(Human Resource Management Review 24(3):271-281)も実装の質を決める決定的役割がライン管理者にあると総説した
- ライン管理者が制度をうまく動かせるかは能力で決まる。Bos-Nehlesら2013『Employee Perceptions of Line Management Performance』(Human Resource Management 52(6):861-877)が能力・動機・機会(AMO)から調べると、実装の成果を最もよく予測したのはライン管理者の能力(ability)で、機会がその関係を強め、意外にも動機は成果を調整しなかった。やる気を出させれば運用されるのではない
- 根付かせるとは、掲げることでも発破をかけることでもなく、運用する人の能力と機会(時間や裁量)を整えることである。説明会でやる気を鼓舞しても、使いこなす能力と使う余白が無ければ制度は動かない。小さな組織では現場の上司はあなた自身で、制度を動かすのは設計図ではなくそれを毎日手に取って使う人である
- この間に確からしくなったのは説明会をすれば浸透するという約束ではなく、掲げた制度と動く制度は切り離されうること、浸透は掲げる・運用する・受け取るの三層であること、第二層を担うのは現場の上司でその質を決めるのは能力と機会であるという実装の側の事実である。制度は作った瞬間でなく誰かが毎日手に取って初めて動き出す。根付いたかは運用の記録を測って初めて分かる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 新しい制度は、説明会を開いてきちんと周知すれば、現場に浸透して使われるようになる | 浸透は周知ではない。Khilji & Wang 2006は制度に掲げた制度(intended)・運用された制度(implemented)・受け取られた制度(perceived)の三層があると示した。説明会でできるのは最初の層だけで、運用されるか意図どおり受け取られるかは説明会の外にある。説明したのに浸透しないのは怠慢ではなく、説明が三層の一層にすぎないという構造の当然の帰結である |
| 立派な制度をきちんと設計して掲げれば、あとは現場が自然に動かしてくれる | 組織は制度を掲げることと動かすことを切り離すことがある。Meyer & Rowan 1977は制度が周囲に見せる神話と儀礼として掲げられ実務と切り離される脱連結を示し、Bromley & Powell 2012は現代でもそれが広く見られると示した。運用を実際に担うのは現場の上司(ライン管理者)で(Purcell & Hutchinson 2007・Sikora & Ferris 2014)、その運用の仕方が制度の実際の姿になる。掲げることは、動くことを保証しない |
| 現場で制度が使われないのは、担当者のやる気が足りないからだ。動機づければ運用される | Bos-Nehles ら 2013が能力・動機・機会(AMO)から調べると、ライン管理者の実装成果を最もよく予測したのは能力で、機会がその関係を強め、意外にも動機は成果を調整しなかった。やる気を出させれば運用されるのではなく、運用する人が制度を正しく使える能力と、使うための時間や裁量(機会)を持っているかが効く。根付かせるとは発破をかけることではなく、能力と機会を整えることである |
皮肉なのは、制度をいちばん立派に掲げ、いちばん丁寧に説明会を開いた組織ほど、その立派さで安心してしまい、あとは現場が勝手に動かしてくれると思い込むことである。だが半世紀の組織論が繰り返し示してきたのは、掲げることと動かすことは別で、その間には脱連結という溝が口を開けている、ということだった。制度を動かすのは、額に入れた設計図ではなく、それを毎日手に取って使う現場の一人であり、その人に能力と余白が無ければ、どんな精密な制度も儀礼として飾られるだけだ。根付いたと言えるのは、掲げた人が満足したときではなく、たぶん、掲げた文面と実際の運用が、測ってみて初めて重なっていたとき、である。
Q1. KhiljiとWang 2006によれば、制度には少なくとも三つの層がある——掲げた制度(____)、実際に運用された制度(____)、人が受け取った制度(____)。説明会でできるのは、このうち最初の層だけである。穴埋め
Q2. Bos-Nehlesら2013が能力・動機・機会(AMO)からライン管理者の実装成果を調べて示したこととして、この単位の説明に合うものはどれか。選択
Q3. MeyerとRowan 1977の「デカップリング(脱連結)」とは何か。この概念が「説明会をすれば浸透する」という思い込みに対して持つ含意を述べよ。一問一答
Q4. この単位は「制度を動かすのは誰か」に答える。その担い手を挙げ、PurcellとHutchinson 2007・SikoraとFerris 2014を踏まえて、なぜ設計の精密さだけでは制度が動かないのかを述べよ。一問一答
Q5. 制度の実装をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Purcell & Hutchinsonが制度を動かすのは現場の上司だと示す(イ)Meyer & Rowanが制度は神話と儀礼として実務と切れると示す(ウ)Sikora & Ferrisがライン管理者の決定的役割を総説する(エ)Khilji & Wangが掲げた制度と実装の乖離を切り出す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が掲げている決め方を一つ選ぶ(例:賞与の基準、評価の観点、昇進の要件、シフトの決め方など)。その掲げた文面を左に書き写す。続けて、直近(先月など)に自分が実際にどう運用したかを、右に思い出して書く。二つを見比べ、『掲げたとおり運用できていた点』と『掲げたのに実際は別のやり方だった点』に印を付ける。ずれは怠慢の証拠ではなく、運用(第二層)の実態として、正直に記録する。誰かを問い詰めたり、部下の運用を評価したりする必要はなく、自分の掲げた文面と自分の実際の運用を並べるだけで完結させる。一人で全部を回している場合も同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
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- Meyer J.W., Rowan B. (1977) ‘Institutionalized Organizations: Formal Structure as Myth and Ceremony’, American Journal of Sociology 83(2):340-363 — doi.org
- Bromley P., Powell W.W. (2012) ‘From Smoke and Mirrors to Walking the Talk: Decoupling in the Contemporary World’, Academy of Management Annals 6(1):483-530 — doi.org
- Purcell J., Hutchinson S. (2007) ‘Front-line managers as agents in the HRM-performance causal chain: theory, analysis and evidence’, Human Resource Management Journal 17(1):3-20 — doi.org
- Bos-Nehles A.C., Van Riemsdijk M.J., Looise J.K. (2013) ‘Employee Perceptions of Line Management Performance: Applying the AMO Theory to Explain the Effectiveness of Line Managers’ HRM Implementation’, Human Resource Management 52(6):861-877 — doi.org
- Khilji S.E., Wang X. (2006) ‘Intended and implemented HRM: the missing linchpin in strategic human resource management research’, The International Journal of Human Resource Management 17(7):1171-1189 — doi.org
- Sikora D.M., Ferris G.R. (2014) ‘Strategic human resource practice implementation: The critical role of line management’, Human Resource Management Review 24(3):271-281 — doi.org