「基準を透明にすれば昇進は公正」——だが透明にできるのは目盛りだけで、読み方は裏に残る
昇進の基準を透明にすれば公正になる、と考えたくなる。半分は正しい。ところが透明にできるのは物差しの目盛りだけで、その目盛りをどう読むかの主観も、勝者総取りのトーナメントが生む副作用も、賃金と地位の動学も、透明な物差しの裏側に残ったままだ。基準を透明にして見えてくるのは、公正そのものではなく、公正がどこで漏れているか、かもしれない。
昇進の基準を透明にするとは、何を指すのか
前の単位では、フィードバック面談をどう実らせるかを扱った。ここでは、その評価が処遇に変わる最初の場面——誰を上の椅子に座らせるかを決める、昇進の基準を扱う。ここから段はひとつ進んで、評価の質の話から、処遇の運用の話になる。
まず言葉をほどく。昇進とは、いまの等級や役職より上の位置に人を上げること。基準を透明にするとは、何をどれだけ満たせば昇進するのかを、あらかじめ言葉にして示すことである。専任の人事担当がいる会社の話に聞こえるかもしれないが、そうとは限らない。数人のチームで誰にリーダーを任せるかを決める代表も、家業で誰に次の役割を渡すかを決める人も、ここで言う「昇進を決める立場」にいる。一人で全部を決めているなら、透明にする相手は、まず自分自身である。 透明にすれば公正になる——そう考えたくなる。この単位は、その半分は正しいと認めたうえで、透明にしても残る歪みがどこにあるのかを見る。言うことは三つ。昇進の基準を透明にするとは何を指すのか、透明にするとどこまで公正になると確かめられているのか、その範囲の外で何が起きるか。基準を作るなという話ではない——透明化の限界を知って運用する、という話である。
「透明にすれば公正」の裏——昇進はトーナメントでもある
昇進には、評価の結果を反映するという顔のほかに、もう一つの顔がある。上の椅子は数が限られていて、そこを目指して人が競う——つまり昇進は、勝者に大きな賞(高い地位と賃金)を出すトーナメントでもある。Bognannoが2001年に『Corporate Tournaments』(Journal of Labor Economics 19(2):290-315) で、DeVaroが2006年に『Internal promotion competitions in firms』(RAND Journal of Economics 37(3):521-542) で、企業内の昇進が実際にこのトーナメントの形をとることを実証した。
トーナメントには動機づけの効果がある。だが、それだけではない。Connellyらが2014年に『Tournament Theory: Thirty Years of Contests and Competitions』(Journal of Management 40(1):16-47) で三十年の研究を総説したところ、賞をめぐる競争は、努力を引き出す一方で、足の引っ張り合い(サボタージュ)や、過剰な、あるいは過小なリスクの取り方といった副作用も生む。勝ちを目指す人が、同僚に情報を渡さなくなったり、失敗を避けて無難な仕事に逃げたり、逆に一発逆転を狙って無謀に賭けたりする——賞が大きく、椅子が少ないほど、こうした振る舞いは起きやすい。基準を透明にすればするほど競争の的が明確になり、この副作用が強まることもある。透明化は公正の必要条件かもしれないが、十分条件ではない。三人の店でも同じことは起きる。誰が次のリーダーかを明言した瞬間に、候補どうしの間に見えない綱引きが生まれることがある。
現在の成果で選ぶと、別の椅子の適性は別問題
透明な基準の多くは、いまの仕事での成果を測る。だが、いまの椅子で優れていることと、上の椅子で優れていることは、別の問題である。この食い違いは古くからピーターの法則——人は無能になる段階まで昇進する——という言葉で語られてきた。Fairburn と Malcomson が2001年に『Performance, Promotion, and the Peter Principle』(Review of Economic Studies 68(1):45-66) で示したのは、これが単なる皮肉ではなく、昇進を努力への報酬として使う仕組みそのものから生まれるということだった。
昇進を「頑張った人へのご褒美」に使うと、企業は本当に上の職務に向く人ではなく、いまの職務で成果を出した人を上げがちになる。報酬としての昇進と、適性による配置は、同じ基準では両立しにくい。透明な基準がこの二つを一本の物差しに混ぜているかぎり、上の椅子に向かない人が上がる余地は残る。たとえば、いちばん売る人を売り場のまとめ役にした結果、売り場は回らなくなり、名手も一人分の成果を失う——という食い違いは、規模を問わず起きる。防ぎ方は「ご褒美をやめる」ことではなく、報酬として報いたいのか、その椅子に向く人を置きたいのかを、決める前に自分で切り分けておくことである。二つが別の目的だと分かっていれば、同じ物差しに混ぜずに済む。
透明な基準でも、主観は残る
基準を言葉にしても、その言葉を人に当てはめるのは、やはり人である。Grund と Przemeck が2012年に『Subjective performance appraisal and inequality aversion』(Applied Economics 44(17):2149-2155) で示したのは、主観的な評価には寛大化(みなを甘めに付ける)や中心化(みなを真ん中に寄せる)といった偏りが残るということだった。評価者が格差を嫌うと、差を付けるべき場面で差が付かない。基準の文言が同じでも、それを厳しく読む人と甘く読む人がいれば、同じ実績が別の結論になる。
これは、透明な基準を無意味にする話ではない。基準があること自体には意味がある。ただ、基準を透明にしても、それを運用する人の主観までは透明にならない、という但し書きである。物差しの目盛りを公開しても、その目盛りをどう読むかの癖は、目盛りの外に残る。しかも、決めるのが自分一人であっても、この癖から自由になれるわけではない。むしろ、目盛りの読み方を確かめてくれる第三者がいないぶん、一人で決める立場ほど、自分の偏りに気づきにくい。透明化がありがたいのは、公正を保証してくれるからではなく、後から自分の読み方を検算する手がかりを残してくれるからである。
昇進を動かすのは、適性より賃金と地位の動学
もう一段引いて見ると、昇進はそもそも「適性の一致」だけで動いているわけではない。Gibbons と Waldman が1999年に『A Theory of Wage and Promotion Dynamics Inside Firms』(Quarterly Journal of Economics 114(4):1321-1358) で示した理論は、企業内の昇進と賃金が、賃金と地位の動き方そのもの——過去の配置や、地位に賃金が張り付く仕組み——に強く縛られていることを描いた。
つまり、誰が上がるかは、透明な基準だけでなく、その組織の賃金と地位がどう動く仕組みになっているかにも左右される。上の役職に高い賃金が張り付いているなら、昇進は「役割の変更」であると同時に「賃上げの手段」になり、その二つが絡んで動く。小さな組織でも、役職手当をどう設計したかが、誰を上げるかの判断を静かに引っ張る。基準を磨くことは大切だが、基準の透明化だけで、この動学まで制御できるわけではない。透明化は、公正への入口であって、公正そのものではない。
時間・変化:1999年から2014年へ
順に置く。1999年、Gibbons と Waldman が昇進を賃金・地位の動学として理論化する。2001年、Bognanno が企業内昇進のトーナメント構造を実証し、Fairburn と Malcomson が昇進報酬とピーターの法則の機構を示す。2006年、DeVaro が社内昇進競争の設計と帰結を、2012年、Grund と Przemeck が主観評価に残る偏りを、そして2014年、Connelly らがトーナメントの副作用を三十年ぶんまとめた。
この十五年で確からしくなったのは、「基準を透明にすれば昇進は公正になる」という約束ではない。確からしくなったのは、昇進はトーナメントとして副作用を持ち、現在の成果は上の椅子の適性を保証せず、透明な基準にも運用者の主観が残り、そもそも昇進は賃金と地位の動学に縛られている、という歪みの側の事実である。どれも、透明化そのものを否定する話ではない。透明化を過信せずに運用するための、四つの但し書きだと考えるとよい。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、基準を透明にしたことで、昇進が公正になったと感じてしまうことである。透明化は歪みの一部を減らすが、トーナメントの副作用も、運用者の主観も、賃金と地位の動学も、透明化の外に残る。もう一つの妨げは、「上の椅子に向く人」と「いまの成果を出した人」を、一本の基準に混ぜたままにすることだ。
助けになるのは、自分が下した昇進の判断を一つ取り出し、掲げた基準と、実際の決め手が、どれだけ一致していたかを突き合わせてみることである。基準に無かったのに効いた要素、基準にあったのに見なかった要素——その差にこそ、透明化の限界が現れる。在籍が長いから、声が通るから、自分と気が合うから——基準の外側で静かに効いていた要素に名前を付けられれば、それだけで次の判断は少し変わる。他人を評価し直すのではなく、自分の物差しの読み方を点検する、という向きが大事だ。
最初の一歩は、次の単位に進む前に、その突き合わせを一件だけやってみること。誰かを格付けし直したり、本人に確かめたりする必要はない。自分の決め方を、自分の基準で検算するだけでよい。
次の単位は 442「賞与で差をつけるには?」——昇進という椅子の話から、金額そのもので差をつける話へ、処遇の運用を一段進める。
- 昇進とはいまの等級や役職より上に人を上げること、基準を透明にするとは何をどれだけ満たせば昇進するかを言葉で示すこと。透明にすれば公正になると考えたくなるが、この単位はその半分を認めつつ透明にしても残る歪みを見る。言うことは三つ——何を指すか、どこまで公正と確かめられているか、その外で何が起きるか
- 昇進は評価結果の反映であると同時に、限られた上の椅子を競うトーナメントでもある。Bognanno 2001『Corporate Tournaments』(Journal of Labor Economics 19(2):290-315)とDeVaro 2006『Internal promotion competitions in firms』(RAND Journal of Economics 37(3):521-542)が企業内昇進のトーナメント構造を実証した。透明化は競争の的を明確にする
- トーナメントには動機づけの効果があるが副作用もある。Connellyら2014『Tournament Theory: Thirty Years of Contests and Competitions』(Journal of Management 40(1):16-47)が三十年を総説し、賞をめぐる競争は努力を引き出す一方で足の引っ張り合い(サボタージュ)や過剰・過小なリスクの取り方を生むと整理した。透明化は公正の必要条件でも十分条件ではない
- 現在の成果で選ぶと上の椅子の適性は別問題になる。この食い違いはピーターの法則(人は無能になる段階まで昇進する)として語られてきたが、FairburnとMalcomson 2001『Performance, Promotion, and the Peter Principle』(Review of Economic Studies 68(1):45-66)は、これが昇進を努力への報酬として使う仕組みそのものから生まれると示した。報酬としての昇進と適性による配置は同じ物差しで両立しにくい
- 基準を言葉にしても当てはめるのは人である。GrundとPrzemeck 2012『Subjective performance appraisal and inequality aversion』(Applied Economics 44(17):2149-2155)は、主観評価に寛大化(みな甘め)や中心化(みな真ん中)の偏りが残り、評価者が格差を嫌うと差を付けるべき場面で差が付かないと示した。目盛りを公開しても読み方の癖は目盛りの外に残る
- 昇進はそもそも適性の一致だけで動かない。GibbonsとWaldman 1999『A Theory of Wage and Promotion Dynamics Inside Firms』(Quarterly Journal of Economics 114(4):1321-1358)の理論は、企業内の昇進と賃金が賃金と地位の動き方そのもの(過去の配置や地位に賃金が張り付く仕組み)に強く縛られると描いた。基準の透明化だけでこの動学は制御できない
- この十五年で確からしくなったのは基準を透明にすれば昇進は公正という約束ではなく、昇進はトーナメントとして副作用を持ち、現在の成果は上の椅子の適性を保証せず、透明な基準にも運用者の主観が残り、昇進は賃金と地位の動学に縛られるという歪みの側の事実である。透明化は公正への入口であって公正そのものではない
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 昇進の基準を言葉にして透明に示せば、昇進は公正になり、不満も出なくなる | 透明化は歪みの一部を減らすが、公正そのものではない。昇進は限られた椅子を競うトーナメントでもあり、Connellyら2014が総説したように、賞をめぐる競争は努力を引き出す一方で足の引っ張り合いや過剰・過小なリスクの取り方を生む。透明にするほど競争の的が明確になり、この副作用が強まることもある。透明化は公正の必要条件かもしれないが、十分条件ではない |
| いまの仕事で高い成果を出した人を上げれば、上の役職でも活躍してくれるはずだ | いまの椅子で優れていることと、上の椅子で優れていることは別問題である。これはピーターの法則として語られてきたが、FairburnとMalcomson 2001は、これが皮肉ではなく、昇進を努力への報酬として使う仕組みそのものから生まれると示した。報酬としての昇進と、適性による配置は、同じ物差しでは両立しにくい。透明な基準がこの二つを一本に混ぜているかぎり、上の椅子に向かない人が上がる余地は残る |
| 基準さえ透明なら、あとは誰が評価しても同じ結果になり、賃金や地位の仕組みは関係ない | 基準を言葉にしても当てはめるのは人で、GrundとPrzemeck 2012は主観評価に寛大化や中心化の偏りが残ると示した。さらにGibbonsとWaldman 1999の理論は、昇進と賃金が過去の配置や地位に賃金が張り付く仕組みという動学に強く縛られると描く。誰が上がるかは、透明な基準だけでなく運用者の主観と組織の動学にも左右され、基準の透明化だけでは制御しきれない |
皮肉なのは、昇進の基準をいちばん丁寧に透明化した組織ほど、その透明な的をめがけて、足の引っ張り合いと、上の椅子に向かない人の昇進が起きうることである。透明化は嘘ではない——基準があることには意味がある。ただ、公開できるのは目盛りだけで、その目盛りをどう読むかの主観も、勝者総取りのトーナメントが生む副作用も、賃金と地位の動学も、透明な物差しの裏側に残ったままだ。基準を透明にして見えるようになるのは、たぶん公正そのものではなく、公正がどこで漏れているか、である。
Q1. この単位が、昇進の「もう一つの顔」として示すトーナメントの性質として、Connellyら2014の総説に沿って正しいものはどれか。選択
Q2. FairburnとMalcomson 2001は、ピーターの法則が皮肉ではなく、昇進を努力への ____ として使う仕組みそのものから生まれると示した。だから ____ としての昇進と、____ による配置は、同じ物差しでは両立しにくい。穴埋め
Q3. 「基準を透明にすれば運用も客観的になる」とは限らない。GrundとPrzemeck 2012が示した、主観評価に残る二つの偏りを挙げ、格差回避が差の付け方に何をもたらすかを述べよ。一問一答
Q4. GibbonsとWaldman 1999の理論を踏まえ、「誰が上がるかは透明な基準だけで決まる」と言えない理由を述べよ。一問一答
Q5. 昇進をめぐる研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Connellyらがトーナメントの副作用を三十年ぶん総説する(イ)GibbonsとWaldmanが昇進を賃金・地位の動学として理論化する(ウ)DeVaroが社内昇進競争の設計と帰結を分析する(エ)Bognannoが昇進のトーナメント構造を実証する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分が過去に下した(または下そうとしている)昇進の判断を一つ思い出し、そのとき掲げていた基準を箇条書きで書き出す。続けて、実際に自分の決め手になった要素を、正直に別の欄に書き出す。二つを見比べ、『基準にあったのに実際は見なかった要素』と『基準に無かったのに効いた要素』に印を付ける。誰かを格付けし直したり、本人に確かめたりする必要はない。自分の決め方を自分の基準で検算するだけで完結させる。一人で全部を決める立場の場合も同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Bognanno M.L. (2001) ‘Corporate Tournaments’, Journal of Labor Economics 19(2):290-315 — doi.org
- DeVaro J. (2006) ‘Internal promotion competitions in firms’, The RAND Journal of Economics 37(3):521-542 — doi.org
- Connelly B.L., Tihanyi L., Crook T.R., Gangloff K.A. (2014) ‘Tournament Theory: Thirty Years of Contests and Competitions’, Journal of Management 40(1):16-47 — doi.org
- Fairburn J.A., Malcomson J.M. (2001) ‘Performance, Promotion, and the Peter Principle’, The Review of Economic Studies 68(1):45-66 — doi.org
- Grund C., Przemeck J. (2012) ‘Subjective performance appraisal and inequality aversion’, Applied Economics 44(17):2149-2155 — doi.org
- Gibbons R., Waldman M. (1999) ‘A Theory of Wage and Promotion Dynamics Inside Firms’, Quarterly Journal of Economics 114(4):1321-1358 — doi.org