「部門別に割れば実力が見える」——だが、黒字と赤字の分かれ目は、割り方が作っていることがある
部門の数字を見える化するには、部門別に損益を割ればいい、と教わる。皮肉なことに、きれいに黒字と赤字が分かれた表ほど、割り方を疑いたくなる。家賃や本部費を、面積で割るか、売上で割るかで、同じ部門が黒字にも赤字にも見えるからだ。基準をそっと入れ替えれば、褒められていた部門が叱られる側に回る。数字は、割った人の指の跡を残している。
前の単位では、記録した数字を経営へ届ける経路を扱った。ここでは、その数字を部門ごと・事業ごとに割って見せる——部門の数字を見える化するにはどうすればいいのかを扱う。
「部門別に割れば、どこが儲かっていてどこが足を引っ張っているか、実力が見える」——これが、この単位が向き合う俗説である。部門別に損益を出す。すると、黒字の部門と赤字の部門がはっきり分かれ、実力が数字で見える——ように思える。だが、その分かれ目は、しばしば割り方が作り出したものだ。
割り方で、実力の見え方が変わる
部門別損益の難所は、共通費の配賦(はいふ=どの部門にも共通してかかる費用を、何らかの基準で各部門に割り振ること)にある。家賃・本部の人件費・システム費用——これらは特定の部門のものではない。それを、面積で割るか、人数で割るか、売上で割るかで、各部門に乗る金額は変わる。
同じ共通費を、面積で割れば広い場所を使う部門が重くなり、売上で割れば稼いでいる部門が重くなる。基準を変えるだけで、ある部門は黒字にも赤字にも見える。 これが疑似利益——割り方の産物として現れる、見かけの黒字や赤字だ。ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——割り方(配賦基準の選択)が作り出した差を、部門の実力の差と取り違える。 「A部門は赤字だ」と言うとき、それがA部門の実力なのか、配賦基準がA部門に重く乗っただけなのかは、割り方を見ないと分からない。
なぜ、そもそも配賦するのか——Zimmerman
では、そんなに恣意的なら、配賦などやめてしまえばいいのか。ここで単純な「配賦は悪」に飛びつくと、大事な含みを落とす。
配賦論争の起点は、1979年に Zimmerman が *The Accounting Review* 誌 54(3):504-521 に出した『The Costs and Benefits of Cost Allocations』である。彼が示したのは、配賦は、たしかに恣意的だが、無意味ではないということだった。共通の費用を各部門に乗せることは、管理者が「自分のところには関係ない費用だ」と振る舞って資源を使いすぎるのを抑える、いわば内部の一括課税のような働きをする。また、直接には測りにくいコスト(本部の支援や混雑)を、間に合わせで映す代理変数としても機能しうる。配賦は、正しい答えを出す計算ではなく、目的をもって選ばれる道具だ。 だから、この単位は「配賦は無駄だからやめろ」とは言わない。恣意性を承知の上で使う、へ向かう。
配賦方法は「正しさ」ではなく、制度で決まる
配賦に唯一の正解が無いなら、実際の配賦方法は、何で決まっているのか。2000年、Ahmed と Scapens が *European Accounting Review* 誌 9(2):159-204 で英国の配賦の実態を調べ、示したのは、配賦の方法は「どれが正しいか」ではなく、その業界や組織に積み重なった制度・慣行によって決まっているということだった。「昔からこう割っている」「この業界ではこれが普通だ」——配賦基準は、正しさの証明ではなく、歴史の産物であることが多い。
その配賦後の数字を、価格づけや判断にそのまま使うと、さらに危うい。2002年、Balakrishnan と Sivaramakrishnan が *Journal of Management Accounting Research* 誌 14(1):3-31 で、配賦を含んだ全部原価(すべての費用を製品や部門に乗せきった原価)のデータを、計画や価格づけに使うことの問題を総説にまとめた。配賦後の「一個あたりの原価」を判断の土台にすると、意思決定を誤りうる。 割った数字は、割り方の癖を抱えたまま、次の判断へ流れていく。
精緻にすれば正確になる、とは限らない
「割り方が粗いなら、もっと細かく精密に配賦すればいい」——そう考えたくなる。だが、精緻化が必ず正確さを生むわけではない。
1994年、Datar と Gupta が *The Accounting Review* 誌 69(4):567-591 で、原価計算における集計・配分・測定の誤差を分析し、配賦のしかたによって原価(部門損益)が体系的に歪むこと、そして誤差の種類によっては細かくするほど誤差が増えることもあると示した。2007年には Labro と Vanhoucke が *The Accounting Review* 誌 82(4):939-962 で、原価計算システムの中の複数の誤差が互いに打ち消し合ったり増幅し合ったりすることをシミュレーションで示し、配賦を精緻にすることが、必ずしも全体の正確さを改善しないと結論した。誤差同士の相互作用のせいで、細かくした一点の改善が、別のところで裏目に出る。精密に見える配賦表は、正確さの証明ではない。
割られる側の公正感——責任会計の限界
もう一つ、配賦は人の問題でもある。部門別損益は、部門の管理者の評価につながることが多い。だが、自分では動かせない配賦額まで背負わされたら、どう感じるか。2008年、Giraud・Langevin・Mendoza が *Management Accounting Research* 誌 19(1):32-44 で、管理者は自分が統制できない金額の責任を負わされることをどう受け止めるかを調べ、統制可能性の原則(管理者は自分が統制できるものにだけ責任を負うべきだという考え)が、公正感の観点から支持されることを示した。割られた赤字が、その人の努力では動かせない配賦のせいなら、その数字で人を評価するのは公正を欠く。 部門損益は、実力の物差しであると同時に、公正の問題を抱えている。
時間・変化:1979年から2008年へ
順に置く。1979年、Zimmerman が、配賦は恣意的だが無意味ではない——資源の使いすぎを抑え、測りにくいコストの代理となる、と配賦論争の起点を置く。1994年、Datar と Gupta が、集計・配分・測定の誤差が原価を体系的に歪めると示す。2000年、Ahmed と Scapens が、配賦方法は正しさではなく制度・慣行で決まると示す。2002年、Balakrishnan と Sivaramakrishnan が、配賦後の全部原価データで判断を誤ると総説にまとめる。2007年、Labro と Vanhoucke が、精緻化が必ず正確さを改善しないと示す。2008年、Giraud らが、統制できない配賦額の責任は公正を欠くと示す。
この三十年で確からしくなったのは、「部門別に割れば実力が見える」ではない。確からしくなったのは、割り方は正しさではなく目的と制度で選ばれ、割った数字は割り方の癖を抱え、精緻にしても正確とは限らず、割られる側には公正の問題が残る——という向きのほうだ。ただしZimmermanの含みは残る。配賦は無意味ではない。恣意性を承知で、目的をもって使うものだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、配賦後の部門損益を、割り方から切り離して「実力」と読むことである。黒字・赤字の分かれ目が、実力ではなく配賦基準の産物かもしれないという疑いを、いつも一つ持っておく。助けになるのは、配賦をやめることではなく、同じ数字を二通りの割り方で並べて見ることだ。二通りで結論が変わるなら、その差は実力ではなく割り方が作っている。変わらないなら、その差は割り方に頑健だと言える。
規模の断りもしておく。ここで挙げた研究の多くは、複数の部門と共通費を抱える組織を対象にしている。部門が一つしかない商い、共通費がほとんど無い人には、そのまま当てはまらない。 それでも芯は残る。事業を二つに分けて見た瞬間に、あなたも配賦の問題に足を踏み入れている。
最初の一歩は10分。自分の事業を、二つの区分に分ける——商品と役務、店とネット、平日と週末、どんな切り口でもよい。共通してかかっている費用を一つ選び、(1)それを一つ目の基準(たとえば売上比)で二区分に割り、(2)別の基準(たとえば手間や時間の比)でもう一度割り、(3)二通りで、どちらの区分が重くなるかが変わるかを見る。他人の部門を割って評価しない。自分の事業の二区分だけを、二通りで割ってみる。 変わるなら、その差は割り方の産物だ。
割った数字が意味を持つのは、そのおおもとの記録——どの科目で、どう数えたか——が揃っているときだけである。ばらばらの記録を精密に割っても、精密なばらつきが出るだけだ。その土台は、この棚の★が担っている。
- この単位の芯は、部門別損益の黒字と赤字の分かれ目が、しばしば共通費の配賦(どの部門にも共通してかかる費用を基準で割り振ること)が作り出しているということ。家賃や本部費を面積で割るか売上で割るかで同じ部門が黒字にも赤字にも見え、これが疑似利益。証拠の読み違え方は、割り方(配賦基準の選択)が作った差を部門の実力の差と取り違えること
- Zimmerman 1979(The Accounting Review 54(3):504-521『The Costs and Benefits of Cost Allocations』)は、配賦は恣意的だが無意味ではないと示した。共通費を各部門に乗せることは管理者の資源の使いすぎを抑える内部の一括課税のように働き、測りにくいコストの代理変数にもなる。配賦は正しい答えを出す計算ではなく目的をもって選ばれる道具で、やめるのではなく恣意性を承知で使う
- Ahmed・Scapens 2000(European Accounting Review 9(2):159-204)は英国の配賦の実態を調べ、配賦方法はどれが正しいかではなく業界や組織に積み重なった制度・慣行で決まると示した。昔からこう割っている・この業界ではこれが普通だ、という歴史の産物であることが多く、配賦基準は正しさの証明ではない
- Balakrishnan・Sivaramakrishnan 2002(Journal of Management Accounting Research 14(1):3-31)は、配賦を含んだ全部原価(すべての費用を製品や部門に乗せきった原価)のデータを計画や価格づけに使うことの問題を総説にまとめた。配賦後の一個あたり原価を判断の土台にすると意思決定を誤りうる。割った数字は割り方の癖を抱えたまま次の判断へ流れていく
- Datar・Gupta 1994(The Accounting Review 69(4):567-591)は集計・配分・測定の誤差が原価(部門損益)を体系的に歪め、細かくするほど誤差が増えることもあると示した。Labro・Vanhoucke 2007(同誌 82(4):939-962)は原価計算システム内の複数の誤差が互いに打ち消し合ったり増幅し合ったりし、精緻化が必ずしも全体の正確さを改善しないとシミュレーションで示した。精密な配賦表は正確さの証明ではない
- Giraud・Langevin・Mendoza 2008(Management Accounting Research 19(1):32-44)は、管理者が自分の統制できない金額の責任を負わされることをどう受け止めるかを調べ、統制可能性の原則(管理者は自分が統制できるものにだけ責任を負うべき)が公正感の観点から支持されると示した。割られた赤字がその人の努力では動かせない配賦のせいなら、その数字で人を評価するのは公正を欠く。責任会計の限界
- 着地は、配賦をやめることではなく恣意性を承知で使うこと。助けになるのは、同じ数字を二通りの割り方で並べて見ること——二通りで結論が変わるなら差は割り方が作り、変わらないなら差は割り方に頑健。個別の配賦基準の是非は判定しない。割った数字が意味を持つのはおおもとの記録(どの科目でどう数えたか)が揃うときだけで、その土台はこの棚の★が担う
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 部門別に損益を割れば、黒字の部門と赤字の部門が分かれ、どこが儲かってどこが足を引っ張っているか実力が数字で見える | 黒字と赤字の分かれ目は、しばしば共通費の配賦(どの部門にも共通してかかる費用を何らかの基準で割り振ること)が作り出している。家賃や本部費を面積で割るか売上で割るかで、同じ部門が黒字にも赤字にも見える。これが疑似利益。割り方(配賦基準の選択)が作り出した差を、部門の実力の差と取り違えてはならない。それが実力か配賦の産物かは、割り方を見ないと分からない |
| 配賦がそんなに恣意的なら、配賦などやめて、共通費は無視して部門を見ればいい | Zimmerman 1979『The Costs and Benefits of Cost Allocations』は、配賦は恣意的だが無意味ではないと示した。共通費を各部門に乗せることは、管理者が自分に関係ない費用だと振る舞って資源を使いすぎるのを抑える内部の一括課税のように働き、直接測りにくいコストの代理変数にもなる。配賦は正しい答えを出す計算ではなく目的をもって選ばれる道具であり、やめるのではなく恣意性を承知で使う |
| 割り方が粗いのが問題なのだから、もっと細かく精密に配賦すれば、部門損益は正確になる | Datar・Gupta 1994は集計・配分・測定の誤差が原価を体系的に歪め、細かくするほど誤差が増えることもあると示し、Labro・Vanhoucke 2007は原価計算システムの中の複数の誤差が互いに打ち消し合ったり増幅し合ったりするため精緻化が必ずしも全体の正確さを改善しないと示した。精密に見える配賦表は、正確さの証明ではない |
皮肉なのは、部門別損益の表がいちばん説得力を持つのは、割り方を誰も見ていないときだ、ということである。きれいに黒字と赤字が分かれた表を見せられると、それが実力の差に見える。だが、その分かれ目を作ったのは、面積か、人数か、売上か——たった一つの配賦基準の選択かもしれない。基準をそっと入れ替えれば、赤字の部門が黒字になり、褒められていた部門が叱られる側に回る。数字は、割った人の指の跡を残している。だから、部門の実力を語る前に、一度だけ、別の割り方でも同じ結論が出るかを、確かめてみることだ。同じなら、それは実力だ。変わるなら、それは、割り方の影である。
Q1. 「部門別に割れば実力が見える」という言い方の飛躍を、共通費の配賦と「疑似利益」という言葉を使って説明せよ。一問一答
Q2. Zimmerman 1979 が配賦について示した含みとして正しいものはどれか。選択
Q3. Ahmed・Scapens 2000 は、配賦方法はどれが ____ かではなく、業界や組織に積み重なった ____ ・慣行で決まると示した。また Labro・Vanhoucke 2007 は、複数の誤差が互いに打ち消し合ったり ____ し合ったりするため、配賦を ____ にすることが必ずしも全体の正確さを改善しないと示した。穴埋め
Q4. Giraud ら2008 が示した「統制可能性の原則」と「割られる側の公正感」の関係を説明し、それが部門別損益で人を評価するときに何を意味するかを述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Ahmed・Scapens が配賦方法は制度・慣行で決まると示す(イ)Zimmerman が配賦は恣意的だが無意味ではないと示す(ウ)Giraud らが統制できない配賦額の責任は公正を欠くと示す(エ)Datar・Gupta が集計・配分の誤差が原価を歪めると示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の事業を二つの区分に分ける——商品と役務、店とネット、平日と週末、どんな切り口でもよい。二区分の売上(またはそれに代わる規模)をおおよそでよいので書く。次に、二区分に共通してかかっている費用を一つ選ぶ(家賃・通信費・自分の作業時間など)。(1)その共通費を一つ目の基準(たとえば売上の比)で二区分に割る。(2)別の基準(たとえば手間や時間の比)でもう一度割る。(3)二通りで、どちらの区分が重くなるかが変わったかを一言書く。変わったなら、その差は割り方の産物だとメモする。他人の部門を割って評価しない。自分の事業の二区分だけを、二通りで割ってみる。区分が一つしかなければ、時間帯や曜日で仮に二つに分けて試す。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Zimmerman J.L. (1979) ‘The Costs and Benefits of Cost Allocations’, The Accounting Review 54(3):504-521 — doi.org
- Ahmed M.N., Scapens R.W. (2000) ‘Cost Allocation in Britain: Towards an Institutional Analysis’, European Accounting Review 9(2):159-204 — doi.org
- Balakrishnan R., Sivaramakrishnan K. (2002) ‘A Critical Overview of the Use of Full-Cost Data for Planning and Pricing’, Journal of Management Accounting Research 14(1):3-31 — doi.org
- Datar S., Gupta M. (1994) ‘Aggregation, Specification and Measurement Errors in Product Costing’, The Accounting Review 69(4):567-591 — doi.org
- Labro E., Vanhoucke M. (2007) ‘A Simulation Analysis of Interactions among Errors in Costing Systems’, The Accounting Review 82(4):939-962 — doi.org
- Giraud F., Langevin P., Mendoza C. (2008) ‘Justice as a Rationale for the Controllability Principle: A Study of Managers’ Opinions’, Management Accounting Research 19(1):32-44 — doi.org