「レポートを届ければ経営に活きる」——だが、作られた報告の多くは、届いても読まれない
数字を経営に届けるには、月次報告を作って届ければいい、と教わる。皮肉なことに、丁寧に作り込んだ報告ほど、読まれなくなることがある。項目を足し、色を付け、ページを増やすほど、受け手はどこを見ればいいか分からなくなる。しかも経営の判断は、立派なレポートよりも、その場の口頭や立ち話で動いていることが多い。届けることと、活きることは、別だ。
前の単位では、固定資産の台帳と現物の突き合わせを扱った。ここでは、そうやって記録した数字を、経営の判断へ届けるにはどうすればいいのかを扱う。
「月次報告を作って届ければ、それが経営に活きる」——これが、この単位が向き合う俗説である。月次の締めで作った数字を、きれいな表にまとめ、経営者や自分に届ける。届けば、あとは読まれ、判断に使われるはずだ——この筋書きには、静かな飛躍がある。届けることと、活きることは、別だ。 作られた報告の多くは、届いても読まれない。
「届ければ活きる」の隠れた飛躍
管理会計(経営の判断のために、社内向けに作る数字の会計)が長年ぶつかってきた事実がある。作られる情報と、経営者が実際に必要としている情報のあいだには、ずれがある。 2003年、Pierce と O'Dea が *The British Accounting Review* 誌 35(3):257-290 で、経営者が必要とする情報と、管理会計が実際に提供している情報のあいだの隔たりを調べた。作り手は「これが要るはずだ」と思って作るが、受け手が判断に使いたい情報とは、しばしば食い違う。
ここに、この単位の「証拠の読み違え方」がある——届けたこと(作って渡した)を、活きたこと(読まれ、判断に使われた)と取り違える。 「毎月きちんと報告している」を成果として数えると、その報告が実際に判断を動かしたかどうかという、本当に見たかったものを飛ばしてしまう。
経営者は、公式レポートより、非公式・口頭に頼る
では、経営者は実際に何を見て判断しているのか。ここを正面から調べた研究が、いくつも同じ方向を指している。
1993年、Bruns と McKinnon が *Journal of Management Accounting Research* 誌 5:84-108 のフィールド調査で示したのは、経営者が実際に使っている情報の多くは、公式の月次報告ではなく、その場のやりとり・口頭・非公式の情報源から来ているということだった。2010年、Hall が *Accounting, Organizations and Society* 誌 35(3):301-315 で、会計情報が経営者の日々の仕事の中でどう使われるかを調べ、会計情報は、口頭のやりとりや非公式のコミュニケーションを通じて、断片的に使われることを示した。公式レポートは、判断材料の一部でしかない。さらにさかのぼって1986年、Preston は *Accounting, Organizations and Society* 誌 11(6):521-540 で、経営者は非公式なやりとりの積み重ねの中で「情報を得ていく」——きれいな報告書を受け取ることが情報を得ることではない、と示している。
三本が共通して指すのは一点だ。公式の月次報告は、経営者が判断に使う情報のごく一部にすぎない。 立派な報告を作って届けても、判断はその外側の、口頭や非公式のやりとりで動いていることが多い。「作った報告が読まれない」は、作り手の怠慢ではなく、経営の判断がそもそも多元的な情報源で動いているという構造の問題だ。
網羅的にすれば助かる、とは限らない
「読まれないのは、情報が足りないからだ。もっと項目を増やし、網羅的な報告にすればいい」——そう考えたくなる。だが、それも確かではない。
2011年、Hall が *Management Accounting Research* 誌 22(2):68-83 で、網羅的な業績測定のしくみが、経営者の頭の中の見取り図(メンタルモデル=物事の関係をどうとらえているかの心の地図)の育ちを助けるのか、それとも妨げるのかを調べた。答えは一筋縄ではなく、網羅的なしくみは、助けにもなれば、妨げにもなる。 項目を増やせば増やすほど良い、という単純な話ではない。数字を足すことが、かえって、どこを見ればいいかを分からなくさせることもある。多ければ届く、ではない。
良い報告に、万能の型はない
では「正しい報告の型」を一つ決めれば済むのか。ここにも待ったがかかる。2003年、Chenhall が *Accounting, Organizations and Society* 誌 28(2-3):127-168 で、管理のためのしくみ(マネジメント・コントロール・システム)の設計を扱った膨大な研究を総説にまとめ、示したのは、良い設計は、その組織が置かれた文脈(規模・戦略・環境・技術)に依存するということだった。どんな商いにも効く万能の報告様式は、研究の蓄積からは出てこない。「これが正解の月次報告だ」という型を探すこと自体が、方向を間違えている。
なお、ここで扱うのは、記録した数字を経営へ届けるまでの経路と、届いても読まれない問題である。その数字を使って何に投資するか・企業の価値をどう見るかという、戦略そのものの中身は、別の棚(お金の戦略)の持ち場だ。この単位は、そこへは踏み込まない。
時間・変化:1986年から2011年へ
順に置く。1986年、Preston が、経営者は非公式なやりとりの中で情報を得ていく——報告書を受け取ることが情報を得ることではない、と示す。1993年、Bruns と McKinnon が、経営者が実際に使う情報の多くは公式報告ではなく口頭・非公式から来ると、フィールド調査で示す。2003年、Pierce と O'Dea が、作られる情報と経営者が必要とする情報の隔たりを調べ、Chenhall が、良い設計は文脈に依存すると総説にまとめる。2010年から2011年、Hall が、会計情報は口頭・非公式に断片的に使われ、網羅的なしくみは助けにも妨げにもなると示す。
この四半世紀で確からしくなったのは、「報告を届ければ経営に活きる」ではない。確からしくなったのは、経営の判断は多元的で非公式な情報源で動いており、公式の報告はその一部にすぎず、網羅性も万能の型も、届くことを保証しない——という向きのほうだ。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、「届けた」を「活きた」と読み替えてしまうことである。毎月きれいに報告している、という事実は、その数字が判断を動かした証拠ではない。助けになるのは、報告をやめることではなく、受け手が実際に使う形へ絞ることだ。誰が、いつ、何の判断に、その数字を使うのか——それを一つ決めてから作れば、網羅より的が絞れる。報告を厚くする方向ではなく、読まれる一枚に薄くする方向である。
規模の断りもしておく。ここで挙げた研究の多くは、経営者と作り手が別々にいる、それなりの規模の組織を対象にしている。作る人と読む人が同じ一人である商い——自分で締めて自分で判断する人には、そのまま当てはまらない。 それでも芯は残る。自分で作った数字でも、後で自分が本当に使うのは一部だけだ。
最初の一歩は10分。自分の月次の数字を一つだけ選ぶ——売上でも、経費のどれかでも、残高でもよい。作る前に、その数字を、誰が、いつ、何の判断に使うのかを、一行だけ書く。 使い道が一行で書けない数字は、届けても読まれない候補である。他人が読むかどうかを観察しに行かない。自分が書いた一行だけを見て、届ける形を決める。
この一行が書けるかどうかは、そもそもその数字が、記録の言語——どの科目で、どう数えたか——の上に、ちゃんと立っているかにかかっている。その土台は、この棚の★が担っている。届いても読めない数字は、たいてい、土台のところでほどけている。
- この単位の芯は、届けることと活きることは別だということ。管理会計(経営の判断のために社内向けに作る数字の会計)が長年ぶつかってきた事実として、作られる情報と経営者が実際に必要とする情報のあいだにはずれがある。証拠の読み違え方は、届けたこと(作って渡した)を活きたこと(読まれ判断に使われた)と取り違えること
- Pierce・O'Dea 2003(The British Accounting Review 35(3):257-290)は、経営者が必要とする情報と管理会計が実際に提供している情報のあいだの隔たりを調べた。作り手はこれが要るはずだと思って作るが、受け手が判断に使いたい情報とはしばしば食い違う。毎月きちんと報告しているを成果に数えると、その報告が判断を動かしたかを飛ばす
- Bruns・McKinnon 1993(Journal of Management Accounting Research 5:84-108)のフィールド調査は、経営者が実際に使う情報の多くが公式の月次報告ではなく、その場のやりとり・口頭・非公式の情報源から来ると示した。作った報告が読まれないのは作り手の怠慢ではなく、経営の判断が多元的な情報源で動くという構造の問題である
- Hall 2010(Accounting, Organizations and Society 35(3):301-315)は会計情報が経営者の日々の仕事で口頭・非公式に断片的に使われると示し、Preston 1986(同誌 11(6):521-540)は経営者が非公式なやりとりの積み重ねの中で情報を得ていく——きれいな報告書を受け取ることが情報を得ることではないと示した。公式レポートは判断材料の一部にすぎない
- Hall 2011(Management Accounting Research 22(2):68-83)は、網羅的な業績測定のしくみが経営者の頭の中の見取り図(メンタルモデル)の育ちを助けるか妨げるかを調べ、助けにも妨げにもなると示した。項目を増やすほど良いという単純な話ではなく、数字を足すことがかえってどこを見ればよいかを分からなくさせることもある。多ければ届く、ではない
- Chenhall 2003(Accounting, Organizations and Society 28(2-3):127-168)は管理のためのしくみの設計研究を総説にまとめ、良い設計は組織の文脈(規模・戦略・環境・技術)に依存すると示した。万能の報告様式は蓄積から出てこず、正解の型を探すこと自体が方向違い。なお投資や企業価値の中身は別の棚(お金の戦略)の持ち場で、この単位は踏み込まない
- 着地は、報告をやめることではなく受け手が実際に使う形へ絞ること。誰が・いつ・何の判断にその数字を使うのかを一つ決めてから作れば、網羅より的が絞れる。使い道が一行で書けない数字は届けても読まれない候補。この一行が書けるかは、その数字が記録の言語(どの科目でどう数えたか)の上に立っているかにかかり、その土台はこの棚の★が担う
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 月次報告をきちんと作って経営者(や自分)に届ければ、それは読まれ、判断に使われて経営に活きる | 届けることと活きることは別である。Bruns・McKinnon 1993のフィールド調査は、経営者が実際に使う情報の多くが公式報告ではなく口頭・非公式の情報源から来ることを示し、Hall 2010は会計情報が口頭のやりとりを通じて断片的に使われると示した。公式の月次報告は判断材料の一部にすぎず、作った報告が読まれないのは作り手の怠慢ではなく、経営の判断がそもそも多元的な情報源で動くという構造の問題である |
| 読まれないのは情報が足りないからだ。項目を増やし、網羅的で丁寧な報告にすれば、ちゃんと読まれて活きる | Hall 2011は、網羅的な業績測定のしくみが経営者の頭の中の見取り図(メンタルモデル)の育ちを助けるか妨げるかを調べ、助けにも妨げにもなると示した。項目を増やすほど良いという単純な話ではなく、数字を足すことがかえってどこを見ればいいかを分からなくさせることもある。多ければ届く、ではない |
| どんな商いにも効く、正しい月次報告の型が一つあるはずだから、それを見つけて真似すればいい | Chenhall 2003は、管理のためのしくみの設計を扱った膨大な研究を総説にまとめ、良い設計はその組織の文脈(規模・戦略・環境・技術)に依存すると示した。万能の報告様式は研究の蓄積からは出てこない。正解の型を探すこと自体が方向を間違えており、助けになるのは、受け手が実際に使う形へ絞ることである |
皮肉なのは、報告に手をかけるほど、読まれなくなることがある、ということだ。項目を足し、色を付け、ページを増やすほど、受け手は、どこを見ればいいのか分からなくなる。丁寧さが、伝わらなさに変わる。数字は、届いた瞬間に武器になるのではない。誰かが、その一枚を見て、何かを決めたときに、はじめて数字は仕事をする。だから、次に月次報告を作るとき、増やす前に、削ってみることだ——この一枚で、誰が、何を決めるのか。それが言えない数字は、たぶん、あなた自身も読んでいない。
Q1. 「月次報告を届ければ経営に活きる」という言い方の飛躍を、「届けること」と「活きること」の違い、および経営者が実際に使う情報源に触れて説明せよ。Bruns・McKinnon 1993 に触れること。一問一答
Q2. Hall 2011 が、網羅的な業績測定のしくみと経営者の頭の中の見取り図(メンタルモデル)の関係について示したこととして正しいものはどれか。選択
Q3. Chenhall 2003 は、管理のためのしくみの設計研究を総説にまとめ、良い設計はその組織の ____ (規模・戦略・環境・技術)に ____ すると示した。どんな商いにも効く ____ の報告様式は、研究の蓄積からは出てこず、正解の ____ を探すこと自体が方向を間違えている。穴埋め
Q4. この単位の着地「報告をやめるのではなく、受け手が実際に使う形へ絞る」を、月次報告を作るときの具体的な一歩として説明せよ。なぜ「一行で書けない数字」が問題なのかにも触れること。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Bruns・McKinnon が経営者は口頭・非公式の情報を使うとフィールド調査で示す(イ)Preston が情報は非公式なやりとりの中で得られると示す(ウ)Hall が網羅的なしくみは助けにも妨げにもなると示す(エ)Chenhall が良い設計は文脈に依存すると総説にまとめる並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。自分の月次の数字を一つだけ選ぶ——売上でも、経費のどれかでも、残高でもよい。作る(あるいは眺める)前に、次の一行を書く。『この数字を、(誰が)、(いつ)、(何の判断に)使う』。三つの空欄を埋める。埋め終えたら、(1)その一行が具体的に書けたか、(2)書けなかったなら、その数字は届けても読まれない候補だと一言メモする。他人がその報告を読むかどうかを観察しに行かない。自分が書いた一行だけを見て、その数字を届ける形(厚くするか、一枚に絞るか)を決める。一人で全部を回している場合は、使うのは未来の自分だと考えて、同じ一行を書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Hall M. (2010) ‘Accounting Information and Managerial Work’, Accounting, Organizations and Society 35(3):301-315 — doi.org
- Pierce B., O'Dea T. (2003) ‘Management Accounting Information and the Needs of Managers’, The British Accounting Review 35(3):257-290 — doi.org
- Bruns W.J. Jr., McKinnon S.M. (1993) ‘Information and Managers: A Field Study’, Journal of Management Accounting Research 5:84-108 — doi.org
- Preston A. (1986) ‘Interactions and Arrangements in the Process of Informing’, Accounting, Organizations and Society 11(6):521-540 — doi.org
- Hall M. (2011) ‘Do Comprehensive Performance Measurement Systems Help or Hinder Managers’ Mental Model Development?’, Management Accounting Research 22(2):68-83 — doi.org
- Chenhall R.H. (2003) ‘Management Control Systems Design within Its Organizational Context’, Accounting, Organizations and Society 28(2-3):127-168 — doi.org