「ケアすれば疲弊は防げる」——だが負荷を左右するのは、個人の心がけより職場の設計だ
ケアを手厚くすれば対応する人の疲弊は防げる、と教わる。だが感情労働の研究が指し示すのは、負荷を左右する主な要因が、個人の心がけよりも、感情をどこまで偽らせるか・どれだけ裁量があるか・攻撃からどれだけ守られているか、という職場の設計にある、という向きだ。もっとケアを、という励ましは、しばしば感情を偽る負荷を増やしかねない。
前の単位では、問い合わせの数そのものを減らすという設計の話を扱った。ここでは、その問い合わせを受け続ける人——窓口に立つ人自身の消耗を、どう扱うのかを扱う。
感情労働(emotional labor)とは、仕事として、決められた感情を作って見せる労働のことだ。怒っている相手に落ち着いて応じ、理不尽な言葉にも笑顔を崩さない——窓口に立つ人は、自分の本当の感情とは別に、仕事にふさわしい感情を差し出している。この概念の由緒は、1983年、Hochschild が *The Managed Heart*(カリフォルニア大学出版局)で「感情労働」という言葉を立てたことにある。ここでは由緒として名前を挙げるにとどめ、値切りの重さは、その後の量的な研究に置く。
この単位で正面から置く見方は一つ——対応する人の疲弊は、本人がもっとケアを頑張れば防げる、という話ではない。 消耗するかどうかは、個人の心がけよりも、感情をどこまで偽らせるか、どれだけ自分の裁量で動けるか、理不尽な攻撃からどれだけ守られているかという、職場の設計のほうで大きく決まる。なお、この単位は心の不調の診断や治療には立ち入らない。扱うのは、職場設計についての実証までである。
感情を偽ること(表層演技)が、消耗につながる
感情労働には、大きく二つのやり方がある。2000年、Grandey が *Journal of Occupational Health Psychology* 5(1):95-110 で、これを表層演技(surface acting=内心は変えずに、表向きの表情や態度だけを取り繕う)と深層演技(deep acting=相手への見方そのものを変えて、感じる感情のほうを寄せていく)に整理した。同じ「笑顔で応じる」でも、心を偽って表面だけ繕うのか、納得のいく見方を自分の中に作るのかで、中身が違う。
この違いが、消耗と結びつく。2011年、Hülsheger と Schewe が *Journal of Occupational Health Psychology* 16(3):361-389 で、三十年分の感情労働研究をメタ分析(多くの研究の結果を量的にまとめ直す方法)でまとめ、表層演技は消耗や燃え尽きと結びつきやすく、深層演技はそれに比べて負荷が軽い傾向を報告した。つまり、つらいのは「感情を使うこと」そのものというより、感情を偽ることのほうに、より強く負荷がかかる。「笑顔で頑張れ」という励ましは、しばしば表層演技を増やす方向に働き、消耗の側を厚くしかねない。(逐語は取得していないため、ここでは具体的な数値ではなく研究の要旨として述べる。)
「もっとケアを」では、負荷は下がりにくい
疲弊への対処は、しばしば個人の側に寄せられる——休み方を工夫しよう、気持ちを切り替えよう、レジリエンスを高めよう、と。だが感情労働の研究が指し示すのは、負荷を左右する主な要因が、個人の心がけよりも仕事の作られ方にある、という向きだ。2013年、Kammeyer-Mueller らが *Personnel Psychology* 66(1):47-90 で、感情労働の先行要因と帰結をメタ分析による構造モデルとして整理し、何が負荷を生み、何が結果を左右するのかの見取り図を示した。
ここで大事なのは、「個人のケアが無駄だ」と言いたいのではないことだ。休息や切り替えには意味がある。ただ、消耗の主な源が職場の設計の側にあるとき、対処を個人の頑張りだけに寄せると、設計を変えずに、消耗の責任を対応する人へ移してしまう。それは、削減率の板挟みを窓口の人のせいにしないのと、同じ理屈である。責めるべきは、対応する人の心の弱さではない。
効くのは、自律性のある職場
では、職場の設計の何が効くのか。手がかりの一つが自律性——自分の裁量でどこまで動けるか、である。2005年、Grandey・Fisk・Steiner が *Journal of Applied Psychology* 90(5):893-904 で、笑顔での応対(service with a smile)が必ずしもストレスになるとはかぎらず、自分の裁量(personal control)が効く場面では負荷が和らぐことを、アメリカとフランスの働き手を比べて示した。同じ感情労働でも、決められたとおりに感情を出すことを強いられるのか、自分の判断で応じられる余地があるのかで、負荷の重さが変わる。
裏返せば、細かく決められた台本どおりに感情を出させ、判断の余地を奪う設計は、負荷を重くする方向に働きうる。品質をそろえるための標準化が、この裁量を削っていないか——前の段で見た品質の物差しの話と、ここでつながる。窓口の人に「もっと共感を」と求める前に、その人が自分の判断で動ける余地が、設計の中にどれだけ残されているかを見るほうが、効きめの筋がよい。
会社の代わりに怒りを受け取る——身を守るという設計
この棚は入口で一度、はっきり断った——窓口に立つ人は、会社の代わりに怒りを受け取る。対応する側の身を守ることを、顧客満足と同じ重さで扱う。 その断りを、ここで実証に接地させる。2004年、Grandey・Dickter・Sin が *Journal of Organizational Behavior* 25(3):397-418 で、顧客からの攻撃(customer aggression)が対応する人の感情の調整に負荷をかけることを示した。理不尽な怒りを繰り返し浴びることは、個人の受け止め方の問題である前に、その人がさらされている環境の問題である。
だから、守るべきは対応する人のほうだ。顧客からの理不尽な攻撃——いわゆるカスタマーハラスメント——については、対応する人を一人で矢面に立たせない仕組み(対応を交代できる、上位者へ渡せる、記録して線を引ける)を、職場の設計として持つことが、負荷の側から見て理にかなう。これは行政も職場対策として取り上げている事柄である(本単位は事実の提示にとどめ、法的な判断には立ち入らない)。苦情を言う人を嘲笑せず、しかし対応する人の安全も、顧客満足と同じ重さで扱う。 その両立が、この段の芯である。
時間・変化:1983年から2013年へ
順に置く。1983年、Hochschild が「感情労働」という言葉を立てる(由緒の起点)。2000年、Grandey が表層演技と深層演技という枠組みを整理する。2004年、Grandey らが顧客攻撃と感情の調整の負荷を示し、2005年、自律性が負荷を和らげることを示す。2011年、Hülsheger と Schewe が三十年分をメタ分析でまとめ、表層演技と消耗の結びつきを量的に示す。2013年、Kammeyer-Mueller らが先行要因と帰結の構造モデルを描く。
この三十年で確からしくなったのは、「もっとケアを頑張れば疲弊は防げる」という向きではない。 確からしくなったのは、感情を偽ること(表層演技)が消耗と結びつき、自律性や保護といった職場の設計のほうが負荷を左右する、という向きのほうである。個人の心がけの話に見えていたものが、設計の話へと置き換わってきた。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、疲弊を、対応する人の心の弱さの問題として扱うことである。「もっとケアを」「気持ちを切り替えて」という励ましは、善意であっても、しばしば表層演技を増やし、消耗の責任を個人へ移す。負荷の主な源が設計の側にあるなら、まず見るべきは設計のほうだ。
助けになるのは、自分の最近の対応を思い返して、どの場面で感情を偽っていたか(表層演技)、どの場面で自分の裁量で応じられたかを、自分の記録として静かに見分けてみることである。これは自分の心の状態を診断する話ではないし、誰かを観察する話でもない。あくまで、自分がどういう設計の中で働いているかを、自分の言葉で確かめる作業だ。一人で全部を回している読者なら、自分がどの応対で無理に感情を作ったかを思い返すだけでよい。
最初の一歩は10分。直近に自分がした対応をいくつか思い出し、左に「その場面」、右に「表面だけ取り繕った(表層演技)か、自分の見方を作れた(深層演技)か、自分の裁量で応じられたか」を書く。つらさの大小は評価しない。表層演技が集まっている場面に、共通する設計の条件(台本の細かさ、交代のしにくさ、逃げ場のなさ)が無いかを、印で見つけるだけである。 もし心身の不調を感じているなら、それは記録の対象ではなく、専門の窓口に相談することがらである。
次の単位は 412「対応ノウハウを共有するには?」——受け続ける人の消耗を扱った次に、その人たちが積み重ねた対応の知識を、どう共有し再利用するのかを扱う。
- 感情労働(emotional labor)とは、仕事として決められた感情を作って見せる労働である。概念の由緒は1983年のHochschild『The Managed Heart』(カリフォルニア大学出版局)にあるが、由緒として名前を挙げるにとどめ、値切りの重さはその後の量的研究に置く。この単位の見方は、疲弊は本人がもっとケアを頑張れば防げるという話ではなく、職場の設計で大きく決まる、というものである
- 2000年にGrandey(Journal of Occupational Health Psychology 5(1):95-110)が感情労働を表層演技(surface acting=内心は変えず表向きだけ取り繕う)と深層演技(deep acting=見方そのものを変える)に整理した。同じ笑顔での応対でも、心を偽って表面だけ繕うのか、納得のいく見方を作るのかで中身が違い、この違いが消耗と結びつく
- 2011年にHülsheger & ScheweがJournal of Occupational Health Psychology 16(3):361-389で三十年分の感情労働研究をメタ分析し、表層演技は消耗や燃え尽きと結びつきやすく、深層演技はそれに比べて負荷が軽い傾向を報告した。つらいのは感情を使うことそのものより感情を偽ることであり、笑顔で頑張れという励ましは表層演技を増やしかねない(逐語未取得のため要旨レベルで述べる)
- 2013年にKammeyer-MuellerらがPersonnel Psychology 66(1):47-90で感情労働の先行要因と帰結をメタ分析による構造モデルとして整理した。個人のケアが無駄なのではないが、消耗の主な源が職場の設計の側にあるとき、対処を個人の頑張りだけに寄せると、設計を変えずに消耗の責任を対応する人へ移してしまう
- 2005年にGrandey・Fisk・SteinerがJournal of Applied Psychology 90(5):893-904で、笑顔での応対(service with a smile)が必ずしもストレスになるとはかぎらず、自分の裁量(personal control)が効く場面では負荷が和らぐことを、アメリカとフランスの働き手を比べて示した。台本どおりに感情を出させ判断の余地を奪う設計は負荷を重くしうる
- この棚が入口で断った、窓口に立つ人は会社の代わりに怒りを受け取る、対応する側の身を守ることを顧客満足と同じ重さで扱う、という軸を、2004年のGrandey・Dickter・Sin(Journal of Organizational Behavior 25(3):397-418)が顧客攻撃(customer aggression)の負荷として実証に接地させる。理不尽な攻撃は個人の受け止め方の問題である前に環境の問題である
- この三十年で確からしくなったのは、もっとケアを頑張れば疲弊は防げるという向きではなく、感情を偽ること(表層演技)が消耗と結びつき、自律性や保護といった職場の設計が負荷を左右するという向きである。だからこの単位でやるのは、自分の最近の対応で表層演技だった場面と裁量で応じられた場面を、自分の記録として見分けることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 対応する人の疲弊は、本人がセルフケアやメンタルの研修をしっかりやれば防げる。手厚くケアを促すのが一番だ | 感情労働の負荷を左右する主な要因は、個人の心がけよりも職場の設計の側にある。2011年のHülsheger & Scheweは三十年分の研究をメタ分析し、感情を偽る表層演技(surface acting)が消耗や燃え尽きと結びつきやすいことを示した。もっとケアを、笑顔で頑張れ、という励ましは、しばしば表層演技を増やす方向に働き、消耗の側を厚くしかねない。個人のケアは無駄ではないが、それだけに寄せると設計を変えず責任を個人へ移してしまう |
| 笑顔での応対はどんな場合もストレスであり、負荷を減らすには個人の頑張りしかない | 2005年のGrandey・Fisk・Steinerは、笑顔での応対(service with a smile)が必ずしもストレスになるとはかぎらず、自分の裁量(personal control)が効く場面では負荷が和らぐことを、アメリカとフランスの働き手を比べて示した。台本どおりに感情を出させ判断の余地を奪う設計は負荷を重くしうる。効きめの筋がよいのは、共感を求めることより、その人が自分の判断で動ける余地を設計に残すことである |
| 理不尽な怒りをうまくかわせるかどうかは、対応する人の受け止め方しだいだ | この棚は入口で、窓口に立つ人は会社の代わりに怒りを受け取る、対応する側の身を守ることを顧客満足と同じ重さで扱う、と断った。2004年のGrandey・Dickter・Sinは、顧客からの攻撃(customer aggression)が対応する人の感情の調整に負荷をかけることを示した。理不尽な攻撃は、個人の受け止め方の問題である前に、その人がさらされている環境の問題である。まず見るべきは、一人で矢面に立たせない仕組みが設計にあるかどうかである |
皮肉なのは、いちばん熱心な「ケアしよう」という掛け声が、いちばん設計から目をそらさせることである。気持ちを切り替えろ、もっと笑顔で、と個人を励ますほど、消耗の源が職場の作られ方にあるという事実は、視界の外へ押しやられる。感情を偽らせ、裁量を奪い、理不尽な攻撃に一人でさらす設計を残したまま、疲弊だけを本人の心の弱さと呼ぶ——それは、原因を放置して結果を叱ることだ。窓口の人が疲れて見えるとき、たいていそれは、まだ誰も、その人が立っている設計のほうを測っていないだけかもしれない。
Q1. この単位の見方——対応する人の疲弊は、本人がもっと ____ を頑張れば防げる話ではなく、感情をどこまで ____ か、どれだけ ____ があるか、という職場の設計で大きく決まる。穴埋め
Q2. 表層演技(surface acting)と深層演技(deep acting)の違いを述べ、Hülsheger & Schewe 2011 のメタ分析がどちらと消耗の結びつきを報告したかを説明せよ。一問一答
Q3. Grandey・Fisk・Steiner 2005 が、笑顔での応対(service with a smile)について示したこととして正しいものはどれか。選択
Q4. 「疲弊への対処を個人のケアだけに寄せると何が問題か」を、消耗の源がどこにあるかに触れて述べよ。個人のケアを全否定しない形で答えること。一問一答
Q5. この単位が扱った出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)Grandeyが表層演技と深層演技の枠組みを整理する(イ)Hochschildが感情労働という言葉を立てる(ウ)Hülsheger & Scheweが三十年分をメタ分析でまとめる(エ)Grandeyらが自律性が負荷を和らげることを示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、直近に自分がした対応をいくつか思い出す。ページを左右に分け、左に『その場面』を、右に『表面だけ取り繕った(表層演技)か、自分の見方を作れた(深層演技)か、自分の裁量で応じられたか』を書く。つらさの大小や自分の心の状態は評価しない。これは自分の感情を診断する作業ではなく、自分がどういう設計の中で働いているかを言葉にする作業である。最後に、表層演技が集まっている場面に共通する設計の条件(台本の細かさ、交代のしにくさ、逃げ場のなさ)が無いかを見て、あれば印を付ける。同僚や顧客を観察対象にする必要はない。一人で全部を回している場合も、自分がどの応対で無理に感情を作ったかを思い返すだけでよい。もし心身の不調を感じているなら、それは記録の対象ではなく、専門の窓口に相談することがらである。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Hochschild A.R. (1983) ‘The Managed Heart: Commercialization of Human Feeling’, University of California Press — doi.org
- Grandey A.A. (2000) ‘Emotional Regulation in the Workplace: A New Way to Conceptualize Emotional Labor’, Journal of Occupational Health Psychology 5(1):95-110 — doi.org
- Hülsheger U.R., Schewe A.F. (2011) ‘On the Costs and Benefits of Emotional Labor: A Meta-Analysis of Three Decades of Research’, Journal of Occupational Health Psychology 16(3):361-389 — doi.org
- Kammeyer-Mueller J.D., Rubenstein A.L., Long D.M., Odio M.A., Buckman B.R., Zhang Y., Halvorsen-Ganepola M.D.K. (2013) ‘A Meta-Analytic Structural Model of Dispositional Affectivity and Emotional Labor’, Personnel Psychology 66(1):47-90 — doi.org
- Grandey A.A., Fisk G.M., Steiner D.D. (2005) ‘Must Service With a Smile Be Stressful? The Moderating Role of Personal Control for American and French Employees’, Journal of Applied Psychology 90(5):893-904 — doi.org
- Grandey A.A., Dickter D.N., Sin H.-P. (2004) ‘The Customer Is Not Always Right: Customer Aggression and Emotion Regulation of Service Employees’, Journal of Organizational Behavior 25(3):397-418 — doi.org