「声を届ければ製品は良くなる」——だが集まる声は、去る多数を含まない偏った標本だ
顧客の声を届ければ製品は良くなる、と教わる。だが不満を持った人の多くは、声を上げずに黙って去る。窓口に集まるのは、声を上げた少数の分だけだ。集まった声を顧客の声と呼んだ瞬間に、それは去った多数を含まない偏った標本になっている。声を集めれば改善が回る、の前に、集まる声がなぜ偏るのかから始める。
前の単位では、サービスの品質を標準の物差しでどう測るのかを扱った。ここでは、その物差しの外側にある声——顧客が寄せる不満や要望を集めて、製品やサービスの中身に届けるという話を扱う。ここから段はひとつ進んで、起きたことへの回復から、そもそも起きないための予防と、続けられる仕組みの話になる。
VOC——顧客の声(Voice of the Customer)とは、問い合わせ・苦情・要望として寄せられる言葉を集めて、作り手や運営の側に返す取り組みのことだ。この単位で正面から置く見方は一つ——集まる声は、起きた出来事の全体ではなく、そのうち声を上げた人の分だけである。声の標本は、集める前から偏っている。
「声を届ければ良くなる」の前に——去る人は、黙って去る
不満を持った人がとる反応には、大きく二つの向きがある。1970年、Hirschman が *Exit, Voice, and Loyalty*(ハーバード大学出版局)で、組織や商品の質が落ちたときの反応を、退出(exit=黙って去る)と発言(voice=声を上げて直そうとする)という二つに整理した。届く声は、このうち発言を選んだ人の分だけである。退出を選んだ人——黙って取引をやめ、二度と来なかった人——の不満は、窓口の記録には残らない。
この棚の入口では、「不満な客の◯割は黙って去る」という語り草の出どころをたどった。あの数字が一つの古い調査に行き着く、という話である。この単位では、その数字を繰り返さない。ここで確かめるのは、黙って去るという分岐が実在することと、集まった声から製品の改善へ至る環が、想像されるほど厚くないことのほうだ。出どころの検証は入口の持ち場、標本の偏りの実証がこの単位の持ち場である。
沈黙する多数は、実在する
声を上げない客は、声を上げる客の「おとなしい版」ではない。別の集団である。2006年、Voorhees・Brady・Horowitz が *Journal of the Academy of Marketing Science* 34(4):514-527 に *A Voice From the Silent Masses* を載せ、苦情を言わない客(noncomplainers)を正面から調べた。不満があっても言わずに去る客は相当数いて、彼らの離れ方は、苦情を言ってから去る客とは異なる。声を上げた客だけを見ていると、この沈黙した層はまるごと視野から抜け落ちる。
2020年、Raval が *Marketing Science* 39(1):168-187 の *Whose Voice Do We Hear in the Marketplace?* で、実際の苦情行動のデータから、苦情を上げる客が母集団を代表していないことを示した。誰が声を上げ、誰が上げないかには偏りがあり、市場に届く声は、その偏りを通り抜けてきた一部である。集まった声を「顧客の声」と呼んだ瞬間に、それは声を上げた少数の声を、全体の声と取り違えている。(逐語は取得していないため、ここでは具体的な統計値ではなく、研究の要旨として述べる。)
声を集める設計そのものが、誰の声を拾うかを決める
VOCという言葉の由緒は、1993年、Griffin と Hauser が *Marketing Science* 12(1):1-27 に載せた *The Voice of the Customer* にある。だがこの原典が示したのは、少数の聞き取りから顧客の要求を丁寧に抽出する手法であって、全員の声を網羅する装置ではない。誰に聞くかで、拾える要求は変わる。網羅ではなく抽出——この出発点が、しばしば「声を全部集める」という言い方にすり替わる。
苦情を、企業が守りに使える資源として理論化したのは、1987年の Fornell と Wernerfelt(*Journal of Marketing Research* 24(4):337-346、防衛的マーケティング)である。ただしそこでも、全員が声を上げるわけではないことは前提に織り込まれている。1998年の Tax・Brown・Chandrashekaran(*Journal of Marketing* 62(2):60-76)は、苦情という経験の処遇が、その後の関係に効くことを示した——これもまた、声を上げた人についての知見である。集める仕組み——聞き取りの相手、アンケートの配り先、窓口の作り——が、拾う声を先に選別している。
VOC→改善の環は、思うほど厚くない
「声を届ければ製品は良くなる」という言い方は、声から改善までを一本の環として描く。だが環の一つ一つのつなぎ目を見ると、実測されているところと、想定で埋めているところが混じっている。声が集まる段は偏った標本、集約する段は誰かの解釈、意思決定に届くかは組織の事情、製品や運用が変わって効果が出たかは、そもそも因果として測りにくい。環が存在しないと言いたいのではない。環の各リンクが弱く、しかも入口の標本が偏っている、と言いたいのである。 声を増やすほど改善が回る、という前提を、まず外す。
時間・変化:1970年から2020年へ
順に置く。1970年、Hirschman が退出と発言という分岐を立てる。1987年、Fornell と Wernerfelt が苦情を防衛的資源として理論化する。1993年、Griffin と Hauser が VOC を少数の聞き取りからの抽出手法として定式化する。1998年、Tax らが苦情経験の処遇が関係に効くことを示す。2006年、Voorhees らが沈黙する多数を正面から調べ、2020年、Raval が市場に届く声の偏りを実データで示す。
この半世紀で確からしくなったのは、「声を集めれば改善が回る」という因果のほうではない。 確からしくなったのは、集まる声は偏った標本であり、去る多数は黙る、という向きのほうである。声を届ける仕組みは、届ける前に、誰の声を拾うかを決めている。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、集まった声を、顧客全体の声と取り違えることである。窓口に届く声は、声を上げる気力と手段と機会があった人の声だ。声を上げやすい人と、黙って去る人がいる——これは客の属性で優劣を語る話ではなく、声が届く経路そのものが層をふるいにかけているという話である。
助けになるのは、声を集める前に、自分の窓口に「どの経路で、どういう場面の声が」届いているのかの偏りを、自分の記録で見るという一手だ。組織に属していない読者、一人で全部を回している読者なら、自分宛のメール・DM・レビュー返信の記録がそのまま素材になる。誰かに新しく聞きに行く必要はない。
最初の一歩は10分。直近に自分の窓口へ届いた声をいくつか選び、左に「どの経路で来たか(メール・電話・DM・レビュー・対面)」、右に「声を上げたのはどういう場面の人か(残って言ってきた人であって、去った人ではない)」を並べる。最後に一行、ここには、黙って去った人の声は入っていないと書き添える。声の良し悪しは判定しない。経路の偏りに気づくだけでよい。
次の単位は 410「問い合わせ自体を減らすには?」——届く声が偏るという話の次に、その問い合わせの数そのものを減らすという発想が、どこで裏目に出るのかを扱う。
- この単位で正面から置く見方は、集まる声は起きた出来事の全体ではなく声を上げた人の分だけであり、声の標本は集める前から偏っている、というものである。VOC(顧客の声)は問い合わせ・苦情・要望を集めて作り手に返す取り組みだが、集まった声を顧客全体の声と読むと、声を上げた少数を全体と取り違える
- 1970年にHirschmanがExit, Voice, and Loyalty(ハーバード大学出版局)で、質が落ちたときの反応を退出(exit=黙って去る)と発言(voice=声を上げる)に整理した。届く声はvoiceを選んだ人の分だけで、exitを選び黙って去った人の不満は窓口の記録に残らない。棚の入口が扱った数字ロアの出どころ検証はこの単位では繰り返さず、黙って去る分岐が実在することの実証に軸を置く
- 2006年にVoorhees・Brady・HorowitzがJournal of the Academy of Marketing Science 34(4):514-527のA Voice From the Silent Massesで、苦情を言わない客(noncomplainers)を正面から調べ、彼らが苦情を言う客の別集団であることを示した。声を上げた客だけを見ると沈黙した層はまるごと視野から抜け落ちる(逐語未取得のため要旨レベルで述べる)
- 2020年にRavalがMarketing Science 39(1):168-187のWhose Voice Do We Hear in the Marketplace?で、実際の苦情行動データから苦情を上げる客が母集団を代表していないことを示した。誰が声を上げ誰が上げないかには偏りがあり、市場に届く声はその偏りを通り抜けた一部である
- VOCの由緒である1993年のGriffin & Hauser(Marketing Science 12(1):1-27)が示したのは、少数の聞き取りから顧客の要求を抽出する手法であって網羅の装置ではない。誰に聞くかで拾える要求が変わる。1987年のFornell & Wernerfelt(防衛的マーケティング)も1998年のTaxら(苦情経験の処遇)も、いずれも声を上げた人についての知見である
- 声から改善への環は、声が集まる・集約される・意思決定に届く・製品や運用が変わる・効果が測られる、という各リンクで実測と想定が混じっている。環が存在しないのではなく、各リンクが弱く入口の標本が偏っている。声を増やすほど改善が回るという前提をまず外す
- この半世紀で確からしくなったのは、声を集めれば改善が回るという因果ではなく、集まる声は偏った標本で去る多数は黙るという向きである。だからこの単位でやるのは、声を集める前に、自分の窓口へどの経路でどういう場面の声が届いているのかの偏りを、自分の記録で見ることである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 顧客の声(VOC)を届ければ製品は良くなる。だから声をできるだけたくさん集めれば、改善が回りだす | 集まる声は、起きた出来事の全体ではなく、声を上げた人の分だけである。不満を持った人の多くは、Hirschman 1970 のいう退出——黙って去る——を選び、その不満は窓口の記録に残らない。2006年のVoorheesらは、苦情を言わない沈黙する多数が、苦情を言う客とは別の集団であることを示した。声を集めるほど改善が回るのではなく、声を集めるほど、声を上げやすい層の声が濃くなるだけかもしれない |
| たくさんの声を集めれば、それは顧客全体の声を代表するようになる | 2020年にRavalが実際の苦情行動データで示したのは、苦情を上げる客が母集団を代表していないことである。誰が声を上げ、誰が上げないかには偏りがあり、市場に届く声はその偏りを通り抜けた一部だ。しかもVOCの由緒であるGriffin & Hauser 1993 の手法自体、少数の聞き取りから要求を抽出するものであって、全員を網羅する装置ではない。件数を増やしても、偏りの向きは変わらない |
| 声さえ集めれば、あとは製品改善へ自動的につながっていく | 声が集まる・集約される・意思決定に届く・製品や運用が変わる・効果が出る、という環の各リンクには、実測されているものと想定で埋めているものが混じっている。環が存在しないのではなく、各リンクが弱く、しかも入口の標本が偏っている。まずやるのは、自分の窓口にどの経路でどういう声が届いているのかの偏りを、自分の記録で見ることである |
皮肉なのは、声を「もっと集めよう」と熱心になるほど、集める仕組みの網の形が、拾える声を先に決めてしまうことである。集まった声が増えても、それはたいてい、声を上げやすい人の声が増えただけかもしれない。黙って去った人の分は、どれだけ丁寧に集めても、集計の外にある。顧客の声、と名づけたその瞬間に、それが誰の声なのかは、もう選ばれている。声が全体を映していると感じるとき、たいていそれは、まだ誰も、去った人の沈黙を数えていないだけかもしれない。
Q1. この単位が正面から置く見方——集まる声は、起きた出来事の ____ ではなく、そのうち ____ を上げた人の分だけである。だから声の標本は、集める前から ____ している。穴埋め
Q2. Hirschman 1970 の退出(exit)と発言(voice)の区別を使って、窓口に集まる声がなぜ偏った標本になるのかを説明せよ。一問一答
Q3. VOCの由緒である Griffin & Hauser 1993 について、この単位が示したこととして正しいものはどれか。選択
Q4. 「声を届ければ製品は良くなる」というループについて、この単位は環の存在を否定したのではない。では何を問題にしたのか。環のリンクという言葉を使って述べよ。一問一答
Q5. この単位が扱った研究を、年の早い順に並べよ。(ア)Voorheesらが沈黙する多数を調べる(イ)Hirschmanが退出と発言の分岐を立てる(ウ)Ravalが市場に届く声の偏りを実データで示す(エ)Griffin & HauserがVOCを抽出手法として定式化する並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、直近に自分の窓口へ届いた声(問い合わせ・苦情・要望)をいくつか選ぶ。ページを左右に分け、左に『その声がどの経路で来たか』——メール・電話・DM・レビュー・対面など——を、右に『声を上げたのはどういう場面の人か』——残って言ってきた人であって、去った人ではない——を、思い出せる範囲で書く。声の良し悪しや正しさは判定しない。最後に一行、『ここには、黙って去った人の声は入っていない』と書き添える。届いた声が特定の経路に偏っていれば、その偏りに印を付ける。顧客に新しく聞きに行ったり、同僚を観察したりする必要はない。あくまで自分の窓口に既に届いている記録だけで完結させる。一人で全部を回している場合も、自分宛のメールやDMやレビュー返信の記録でそのまま同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Hirschman A.O. (1970) ‘Exit, Voice, and Loyalty: Responses to Decline in Firms, Organizations, and States’, Harvard University Press — archive.org
- Fornell C., Wernerfelt B. (1987) ‘Defensive Marketing Strategy by Customer Complaint Management: A Theoretical Analysis’, Journal of Marketing Research 24(4):337-346 — doi.org
- Griffin A., Hauser J.R. (1993) ‘The Voice of the Customer’, Marketing Science 12(1):1-27 — doi.org
- Tax S.S., Brown S.W., Chandrashekaran M. (1998) ‘Customer Evaluations of Service Complaint Experiences: Implications for Relationship Marketing’, Journal of Marketing 62(2):60-76 — doi.org
- Voorhees C.M., Brady M.K., Horowitz D.M. (2006) ‘A Voice From the Silent Masses: An Exploratory and Comparative Analysis of Noncomplainers’, Journal of the Academy of Marketing Science 34(4):514-527 — doi.org
- Raval D. (2020) ‘Whose Voice Do We Hear in the Marketplace? Evidence from Consumer Complaining Behavior’, Marketing Science 39(1):168-187 — doi.org