闘う気持ちは、生存を延ばさなかった——578人を10年追っても
病は気から、という言い回しには、ふつう見過ごされる続きがある——効かなかった場合、責任は本人に戻ってくる、という続きだ。この単位は、その請求書を差し戻す作業から始める。そのうえで、希望という語をいったん解体して、気合とは別の二つの部品に組み替える。使えるのは、そのあとである。
前の単位から:判子は、もう一枚ある
003「自己への慈悲的態度」では、記録の上に押される これは自分のせいだ という判子を扱った。判子はたいてい2枚組で来る。もう1枚には、前向きでいなければ と書いてある。
2枚目のほうが厄介なのは、周囲が押しに来るからだ。見舞いに来た人が押していく。職場が押してくる。ときには医療の周辺からも押される。そして押されたほうは、うまく前向きになれないことについて、もう一度自分を責めることになる。
この単位は、その2枚目を扱う。手順は2段階だ。まず、押印の根拠とされてきた主張を、この棚でいちばん強い値切りにかける。そのうえで、残ったものを実際に使える形に組み直す。
希望を、気合から2つの部品に分ける
心理学が使う希望は、日常語の希望とかなり違う。スナイダーらが1991年に Journal of Personality and Social Psychology で提案した理論は、希望を2つの成分の掛け算として定義した。
第一の成分が、経路。目標に届く道筋を思いつける、という感覚である。第二の成分が、意志——原語では主体性と訳される語だが、実質は、その道を進みはじめて続けられる、という感覚だ。彼らが作った尺度は12項目で、うち採点されるのは8項目、経路が4項目、意志が4項目。残る4項目は測定の邪魔をよけるための詰め物である。
この2分割の値打ちは、故障の形が2種類あると分かることにある。道は見えているのに動き出せない人と、動く気はあるのに道が1本しかなく、その1本が塞がれている人。前者に地図を渡しても意味がなく、後者を励ましても意味がない。
病気を抱えた生活では、後者の故障が起きやすい。治れば元通り、という1本道しか持っていないと、治らない見通しが立った瞬間に希望の残高がゼロになる。経路が1本しかない設計は、平時には効率的で、病気の中では脆い。
この棚でいちばん強い値切り:闘う気持ちは、生存を延ばさなかった
さて、本題である。
闘う気持ちが病気の経過を変える、という考えの発信源は、かなり特定できる。1979年に Lancet に載った、乳がんの女性を追った観察研究だ。標本は70人に満たず、統計的な調整もない。この論文から、闘う気持ち という言葉が世界に出ていった。
20年後、同じ英国のグループが、はるかに大きな標本で検算した。ワトソンらが1999年に Lancet に発表した地域住民ベースのコホート研究は、早期の乳がんの女性578人を、少なくとも5年追跡している。
結果はこうだ。絶望・無力感の得点が高い群は、5年時点の再発または死亡のリスクが有意に高かった——ハザード比1.55(95%信頼区間1.07〜2.25)。抑うつの得点が高い群では、死亡のハザード比が3.59(1.39〜9.24)と大きく出たが、著者ら自身が、該当する症例が少なく慎重な解釈が要ると注意書きを付けている。
そして、闘う気持ちについては、有意な結果が何も出なかった。
2005年、同じコホートの10年追跡が European Journal of Cancer に出た。絶望・無力感の効果は続いていた——無病生存に対する調整済みハザード比1.53(1.11〜2.11)。抑うつは2.43(0.97〜6.10)となり、信頼区間が1をまたいで有意でなくなった。そして闘う気持ちについては、より長い追跡でも生存上の利益は認められない、と明記された。
単一のコホートでは足りない、と思う人のために、レビューがある。ペティクルー、ベル、ハンターが2002年に BMJ に発表したシステマティックレビューは、対処のしかたと生存を調べた26の研究、再発を調べた11の研究を集めた。闘う気持ちを調べた10研究、絶望・無力感を調べた12研究の大半で、生存とも再発とも有意な関連は出ていない。結論の文はこうだ——対処のしかたが、がんからの生存や再発に重要な役割を果たすという一貫した証拠はほとんどない。そして著者らは、患者が生存を延ばすため・再発を減らすために特定の対処のしかたを採るよう圧力をかけられるべきではない、と付け加えている。
心理的な介入が生存を延ばすか、という隣の問いにも、答えは出ている。コイン、ステファネク、パーマーが2007年に Psychological Bulletin に発表した批判的レビューは、生存を主要な評価項目として適切に設計され、しかも心理療法が医療の増量と交絡していない無作為化試験で、生存への効果を示したものは1つもない、と結論した。彼らが列挙した方法論の問題は身も蓋もない——生存は後づけで解析された副次的な結果であること、平均生存期間で語り中央値では差が消えること、事後の下位集団解析、そして報告基準への低い準拠率である。
コインとテネンが2010年に Annals of Behavioral Medicine に書いた論文は、この系譜をさらに広げて、がん医療における前向きさの科学を、誇張された主張と証明されていない医療 と名指しした。起点となった1979年の小規模な観察研究に統計的な調整がなかったこと、578人の研究では闘う気持ちに予後的な価値が見つからなかったことを、並べて置いている。
非対称を、どう読むか
ここで、いちばん注意深く読むべき点に来る。結果は対称ではない。闘う気持ちには何も出ず、絶望・無力感には出た。この非対称を、絶望していると死ぬ と読むのは二重に誤りである。
第一に、これは観察研究の相関である。逆向きの説明が消えていない。病気が静かに進行していることが、本人に絶望として感じられている可能性。絶望が、受診や服薬や生活の運転を鈍らせている可能性。どちらも、心が体を直接動かすという説明を必要としない。
第二に、仮に絶望が何かをしているとしても、そこから 前向きにしていれば延びる は出てこない。闘う気持ちの側は、5年でも10年でも、何も示さなかったのだから。片方の欠如が悪いことと、その反対を足すことが良いことは、別の主張である。
ここで断っておく。強い絶望や、自分を傷つける考えがあるときは、これは技術論の外側の問題で、いま医療につながることが先だ。この節の要点は、絶望を放置してよいということではない。絶望を、本人の努力不足の証拠として扱うのをやめる、ということである。
見通しが立たないときの、希望の置き場所
値切りが済んだので、残ったものを使う。
もし希望が経路と意志の掛け算なら、見通しが立たない病気で先に壊れるのは経路のほうだ。そして経路の修理には、名前が付いている。ロシュらが2003年に Personality and Social Psychology Bulletin に発表した3つの研究は、届かなくなった目標を手放す能力と、別の目標に乗り換える能力を、別々に測った。
2つは別物である。手放す能力が高い人は、知覚されたストレスと、頭に割り込んでくる考えが少なかった。乗り換える能力が高い人は、人生の目的の感覚と幸福感が高かった。そして年配の参加者では、手放したのに乗り換えられなかった場合に、かえって状態が悪くなっていた。手放しだけでは足りない、ということである。
3番目の研究が、この棚にとって重要だ。参加者は45人の親——うち20人は、がんの治療を受けている子を持つ親、25人は健康な子を持つ親だった。手放す能力も乗り換える能力も、どちらも抑うつの低さを予測し、しかもその関連は、健康な子の親の群より強かった。負荷の高い状況ほど、この2つの能力が効いていた。
希望とは、同じ1本の道にしがみつく力ではない。道が塞がれたときに、別の道に乗り換えられるという見込みのことだ。この言い方は、闘う気持ち より地味だが、実測の裏づけがある分だけ強い。
時間・変化:希望の中身は、病期で入れ替わる
希望の内容は、時間とともに書き換わる。しかも本人が意図して書き換えるより先に、勝手に書き換わっていることが多い。
発症からの数週間、希望はほぼ全部が結果に貼り付いている。元に戻ること。検査値が下がること。この段階で経路は1本しかなく、意志だけが過剰に動員される。周囲の 頑張って が最も届きやすく、最も後で効いてくるのがこの時期だ。
治療が続く数カ月、1本道が細くなるにつれて、希望は過程に移りはじめる。今週の予定を1つ守れること。痛みの強い日でも夕方に散歩ができること。ここで経路が2本目・3本目に分岐するかどうかが、その後の残高を決める。
そして年単位。ここでは希望は、目標そのものより、目標を取り替えられるという見込みの形をとる。ロシュらの3つの研究が測っていたのは、まさにこの層である。
注意すべきは、この移行が退却に見えることだ。結果への希望を手放し、過程への希望に移った人は、周囲から あきらめた と読まれることがある。データの側は逆を言っている——手放しと乗り換えの両方を持っている人のほうが、抑うつが低かった。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、前向きさの社会的な要求である。これは本人の内側からではなく、外から来る。見舞いの言葉、職場の励まし、闘病という語そのもの。ペティクルーらのレビューの結論文が、圧力をかけられるべきではない という表現をわざわざ使っているのは、この構造を見ているからだ。
第2の妨げは、経路の一本化である。治れば元通り という設計は、平時には合理的だが、病気の中では単一障害点になる。ここで必要なのは、より強い意志ではなく、2本目の道だ。
標本の偏りを断っておく。この単位の中心的な数字は、英国の乳がんのコホートに大きく依存している。ほかの疾患、ほかの国、男性を含む標本での再現は、まだ薄い。目標の手放しと乗り換えの研究も、標本は北米の学生・成人・親の小さな群である。加えて、状態が重い人ほど長期の追跡研究に残りにくく、絶望が強い人ほど質問紙に答えにくい——推定は、いずれも軽症寄りに歪む方向に働く。数字は方向だけ持ち帰り、比率は参考値に留めるのが誠実である。
助けるのは、目標を書き換えるときに、経路と意志を分けて書くことだ。動けないのは道がないからか、道はあるが進む力が出ないからか。この2つは対処が違う。前者には、より小さい道を1本足す。後者には、道を減らして1つに絞る。
最初の一歩は10分。いま自分が持っている 治ったらやりたいこと を1つ書き出し、それを2つに割る。1つ目は、治ることが前提になっている部分。2つ目は、治らなくても今週のうちに1割だけ試せる部分。2つ目のほうを、今週の予定として1行だけ書く。これは目標を下げる作業ではない。1本しかなかった道を、2本にする作業である。
次の単位は 005「認知の柔軟性」——ここまでの4単位で、自分の状態を見る道具は揃った。次からは、その道具を持ったまま日々を運転する段に入る。最初に扱うのは、痛みや不調をめぐって思考が一方向に転がり落ちる現象と、それを書き換えることが治療の効き目の中心だ、という長く信じられてきた前提の検算である。
- Snyder et al. 1991(Journal of Personality and Social Psychology 60:570-585)は希望を2成分——目標への道筋を思いつける感覚(経路)と、その道を進みはじめて続けられる感覚(意志)——として定義した。尺度は12項目で採点は8項目、経路4項目・意志4項目、残り4項目は詰め物である
- Watson et al. 1999(The Lancet 354:1331-1336)は早期の乳がんの女性578人を5年以上追跡し、絶望・無力感の高得点群で再発または死亡のハザード比1.55(95%信頼区間1.07〜2.25)を報告した。抑うつ高得点では死亡ハザード比3.59(1.39〜9.24)だが症例が少なく慎重な解釈が必要とされた。闘う気持ちについては有意な結果が出なかった
- Watson et al. 2005(European Journal of Cancer 41(12):1710-1714)の10年追跡では、絶望・無力感の効果は無病生存に対する調整済みハザード比1.53(1.11〜2.11)で継続した一方、抑うつは2.43(0.97〜6.10)で有意でなくなり、高い闘う気持ちは生存上の利益をもたらさないと明記された
- Petticrew, Bell & Hunter 2002(BMJ 325:1066)のシステマティックレビューは、生存を扱った26研究・再発を扱った11研究を集め、闘う気持ちを調べた10研究と絶望・無力感を調べた12研究の大半で有意な関連がなかったと報告した。結論は、対処のしかたが生存や再発に重要な役割を果たすという一貫した証拠はほとんどない、そして患者は特定の対処のしかたを採るよう圧力をかけられるべきではない、である
- Coyne, Stefanek & Palmer 2007(Psychological Bulletin 133(3):367-394)は、生存を主要評価項目として適切に設計され、心理療法が医療の増量と交絡していない無作為化試験で生存への効果を示したものは1つもないと結論した。Coyne & Tennen 2010(Annals of Behavioral Medicine 39(1):16-26)は、闘う気持ちの発信源が統計的調整のない1979年の小規模な観察研究であり、578人の研究では予後的価値が見つからなかったことを並べて示している
- 結果は非対称である——闘う気持ちには何も出ず、絶望・無力感には出た。ただしこれは観察研究の相関であり、病気の進行が絶望として感じられている可能性や、絶望が受診・服薬・生活の運転を鈍らせている可能性を排除できない。片方の欠如が悪いことと、その反対を足すことが良いことは別の主張である
- Wrosch et al. 2003(Personality and Social Psychology Bulletin 29(12):1494-1508)の3研究は、届かなくなった目標を手放す能力と別の目標に乗り換える能力を別々に測った。手放しはストレスと侵入的思考の少なさに、乗り換えは人生の目的と幸福感の高さに関連する。第3研究の45人の親(うち20人はがん治療を受けている子の親)では、両方の能力が抑うつの低さを予測し、健康な子の親の群より関連が強かった
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 前向きな気持ち・闘う気持ちを持てば、病気の経過が良くなり寿命が延びる | 578人を追った地域住民ベースのコホートでは、闘う気持ちに有意な結果は出ず、10年追跡でも生存上の利益は認められなかった。26研究のシステマティックレビューも、対処のしかたが生存や再発に重要な役割を果たすという一貫した証拠はほとんどないと結論し、患者が特定の対処のしかたを採るよう圧力をかけられるべきではないと明記している |
| 絶望していると死期が早まるのだから、絶望しないよう自分を律するべきだ | 絶望・無力感のハザード比は5年で1.55、10年の無病生存で1.53と出ているが、これは観察研究の相関である。病気の静かな進行が絶望として感じられている可能性も、絶望が受診や生活の運転を鈍らせている可能性も残っている。しかも片方の欠如が不利であることは、その反対を足せば有利になることを意味しない。強い絶望があるときは、律する対象ではなく、医療につながる合図である |
| 希望を持つとは、治ることを信じ続けることだ | 希望は経路と意志の2成分で測られてきた。見通しが立たない病気で先に壊れるのは経路のほうで、治れば元通り という1本道の設計は単一障害点になる。目標を手放す能力と別の目標に乗り換える能力を測った3研究では、がん治療を受けている子を持つ親において、両方の能力が抑うつの低さを予測し、健康な子の親より関連が強かった |
闘う気持ち という言葉の最大の発明は、病気を勝ち負けの語彙に翻訳したことである。翻訳が済んだ瞬間に、亡くなった人は負けたことになり、悪化した人は戦い方が足りなかったことになった。70人に満たない観察から始まったこの語は、578人でも、26研究のレビューでも、生存を延ばす証拠を出せなかった。それでも語のほうは生き延びている——生存率が最も高いのは、たぶん、この言葉自身である。
Q1. Watson らの578人のコホートで、絶望・無力感が高い群の5年時点の再発または死亡のハザード比は____(95%信頼区間1.07〜2.25)、10年追跡での無病生存に対する調整済みハザード比は____ だった。一方、____ については5年でも10年でも生存上の利益が認められなかった。穴埋め
Q2. Petticrew ら(2002)のシステマティックレビューが集めた研究の数と、結論の2文の内容を答えよ。一問一答
Q3. 本文が、絶望・無力感にだけハザード比が出たことをどう読むべきだと述べているか。最も近いものを選べ。選択
Q4. Wrosch ら(2003)の第3研究の参加者の構成と、そこで得られた結果を答えよ。一問一答
Q5. 本文が示した、希望の中身が入れ替わっていく順序を、発症から近い順に並べよ。(目標を取り替えられるという見込みへ/過程へ——今週の予定を1つ守れること/結果へ——元に戻ること、検査値が下がること)並べ替え
いま自分が持っている 治ったら/良くなったらやりたいこと を1つ、短く書き出す。次にそれを2つに割って書く。①治ること・良くなることが前提になっている部分(例:週末に一日中出かける)。②治らなくても今週のうちに1割だけ試せる部分(例:近所を15分だけ歩いて同じ景色を見る)。最後に②を、今週の予定として日付付きで1行だけ書く。これは目標を下げる作業ではなく、1本しかなかった道を2本にする作業である。病気を抱えていない人・治療中でない人は、いま事情があって止まっている予定を1つ選び、同じ3行を書けばよい。治療や服薬の内容をこの作業で変えないこと。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Snyder C.R., Harris C., Anderson J.R., Holleran S.A., Irving L.M., Sigmon S.T., Harney P. et al. (1991) 'The will and the ways: Development and validation of an individual-differences measure of hope', Journal of Personality and Social Psychology 60(4):570-585 — ppc.sas.upenn.edu
- Watson M., Haviland J.S., Greer S., Davidson J., Bliss J.M. (1999) 'Influence of psychological response on survival in breast cancer: a population-based cohort study', The Lancet 354(9187):1331-1336 — www.thelancet.com
- Watson M., Homewood J., Haviland J.S., Bliss J.M. (2005) 'Influence of psychological response on breast cancer survival: 10-year follow-up of a population-based cohort', European Journal of Cancer 41(12):1710-1714 — eprints.soton.ac.uk
- Petticrew M., Bell R., Hunter D. (2002) 'Influence of psychological coping on survival and recurrence in people with cancer: systematic review', BMJ 325(7372):1066 — pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
- Coyne J.C., Stefanek M., Palmer S.C. (2007) 'Psychotherapy and survival in cancer: the conflict between hope and evidence', Psychological Bulletin 133(3):367-394 — www.dcscience.net
- Coyne J.C., Tennen H. (2010) 'Positive Psychology in Cancer Care: Bad Science, Exaggerated Claims, and Unproven Medicine', Annals of Behavioral Medicine 39(1):16-26 — academic.oup.com
- Wrosch C., Scheier M.F., Miller G.E., Schulz R., Carver C.S. (2003) 'Adaptive Self-Regulation of Unattainable Goals: Goal Disengagement, Goal Reengagement, and Subjective Well-Being', Personality and Social Psychology Bulletin 29(12):1494-1508 — www.cmu.edu