「攻略プランを埋めれば大口が落ちる」——だが効くのはシートではなく、その一社に割ける配置である
一番大事な一社を落とすには、攻略シートを埋めよ、と教わる。だが、その型は研修会社の商品であって、埋めれば落ちるという証明ではない。査読の側が繰り返し言うのは一つ——大口の成否を分けるのは、シートの出来ではなく、その一社に割ける実践と体制の配置のほうだ、ということである。
前の単位では、プレイブック——標準化された営業の型——が、誰にでも効くわけではなく条件次第でしか効かないことを扱った。ここでは、その型を、目の前の一番大事な一社にどう向けるのかを扱う。ここから段はひとつ進んで、決めて読む段から、組織として売る力の段——大口・育成・失注・その後——に入る。
この棚が16回くり返してきた見方を、桃の段の頭でもう一度置く。手法の由緒と、効果の証明は、別物である。 大口を落とすための攻略の型は、たいてい研修会社の商品として磨かれてきた。由緒は立派でも、それがあなたの一社で効く証明とは、別の話である。
「攻略プランを埋めれば大口が落ちる」の出どころ
大口顧客(自分にとって取引の重みがいちばん大きい相手)を落とすには、アカウントプラン——その一社について、誰が関わり、何を求め、どう入るかを一枚に書き出した攻略の設計図——を埋めればよい、と教わる。この型の代表格は、1985年に Miller・Heiman・Tuleja が世に出した『Strategic Selling』という営業体系である。関係者を色分けして整理する記入シートは広く知られ、大口攻略の標準語彙になった。
ここで、出どころをはっきりさせておく。この体系は、研修会社が自社の商談経験から組み上げ、研修として売ってきた商品である。 立派な由緒があり、多くの営業が学んできた。だが、その記入シートを埋めれば大口が落ちる、という因果を、査読を経て測った科学ではない。 同じことは、近年よく聞くABM——特定の重要顧客を一社ずつ狙い撃つ営業の考え方——の投資対効果の数字にも言える。よく引かれる「これだけ儲かった」の割合は、その手法を売っている側(ベンダーや調査会社)が、自分の顧客に聞いて出した自己申告であることが多い。由緒と売り文句を、効果の証明と取り違えない——ここが桃の段の入口である。
効くのはプラン1枚ではなく、組織の配置である
では、大口顧客の管理(KAM=キー・アカウント・マネジメント。重要な一社を、担当を決めて特別に手厚く扱うやり方)は、査読の側では何が確かめられているのか。2002年に *Journal of Marketing* 誌 66(2):38-60 へ出た Homburg・Workman・Jensen の研究は、KAMを一つの正解の型としてではなく、いくつもの要素の組み合わせ(配置=configuration)として捉えた。うまくいっているKAMは、記入シート一枚で決まっているのではなく、活動の広さ、関わる人の質、社内の位置づけといった要素が、ある束になったときに成果へ結びついていた。
2003年に *Journal of the Academy of Marketing Science* 誌 31(1):3-21 へ出た Workman・Homburg・Jensen は、その効きめが組織の内部の要因——どれだけ人手と裁量を割けるか、社内でどれだけ後ろ盾があるか——に強く依存すると示した。大口が落ちるかどうかを分けているのは、攻略シートの出来映えではなく、その一社にどれだけの体制を割けるか、という手前の条件だった。 プラン1枚は、その体制を映す紙にすぎない。
大口との関係は、自動的に得になるわけではない
もう一つ、大口攻略の売り文句には、暗黙の前提がある。大口と深い関係を結べば、それだけで得になる、という前提である。2007年に *Industrial Marketing Management* 誌 36(4):470-482 へ出た Ivens・Pardo は、供給側が「特別な関係」を敷いたときに、顧客の側が本当にそれを特別だと感じ、見返りを返すのかを調べた。結果は素直ではなかった。売り手が用意した特別扱いと、買い手が実際に返す反応は、いつも噛み合うわけではない。 手をかけた分だけ関係が深まり、深まった分だけ得になる——という一直線は、崩れることがある。
これは読者にとって、思いのほか重い。一番大事な一社だからという理由だけで、そこに時間と気遣いを注ぎ込んでも、相手はそれを当然と受け取り、値引きや無理な要求という形で返してくることさえある。関係の深さは、利益の深さを保証しない。深追いが、割に合わないことがある。
KAM志向の効果も、条件付きである
「では、組織をあげて大口重視の姿勢を掲げれば効くのか」。これも、無条件ではない。2013年に *Journal of Business-to-Business Marketing* 誌 20(1):33-50 へ出た Gounaris・Tzempelikos は、大口顧客を重んじる志向が成果に効くのは、それが具体的な実践や体制に裏打ちされたときであって、掛け声だけでは効かない、という条件つきの姿を描いた。
2014年に *Industrial Marketing Management* 誌 43(7):1182-1194 へ出た Davies・Ryals も、KAMの成果を分けるのは、どの実践を、どれだけ実際にやっているかの束であり、名ばかりのKAMと、実践の伴うKAMでは結果が違うと示した。まとめると、査読の側が繰り返し言っているのは一つ——大口が落ちるのは万能の攻略プランのおかげではなく、その一社にどれだけの実践と体制を配置できたか次第だ、ということである。 攻略シートは、配置を確かめる道具にはなっても、配置の代わりにはならない。
時間・変化:1985年から2014年まで
順に置く。1985年、Miller・Heiman・Tuleja が『Strategic Selling』を世に出し、大口攻略の記入シートが標準語彙になる(由緒=研修商品)。2002年、Homburg らが、うまくいくKAMは一つの型ではなく要素の配置だと示す。2003年、Workman らが、その効きめは組織の内部要因に強く依存すると示す。2007年、Ivens・Pardo が、特別な関係が自動的に見返りを生むとはかぎらないと示す。2013年、Gounaris・Tzempelikos が、大口重視の志向は実践に裏打ちされて初めて効くと示す。2014年、Davies・Ryals が、成果を分けるのは実践の束だと示す。
この三十年で確からしくなったのは、「攻略プランを埋めれば大口が落ちる」という因果のほうではない。 確からしくなったのは、大口の成否を分けているのは、シートの出来ではなく、その一社に割ける実践と体制の配置のほうだ、という向きである。由緒ある型は、配置を書き出す助けにはなる。だが、書けば落ちるわけではない。
その大口は、時間に見合っているか
ここまでを、読者の等身大に落とす。大口とは、大企業の専任チームがつく相手のことではない。あなたにとって一番大事な一社——頒布所なら足しげく通う常連の得意先、受託なら売上の柱になっている主要取引先、小さな会社なら「この一社が抜けたら困る」と感じる相手——のことである。
そこで手前に置くべき問いは、「どう攻略するか」ではなく、その一社は、注いでいる時間に見合っているかである。関係が深いことと、割に合っていることは別だ、と査読の側は言っていた。だから、攻略シートを埋める前に、自分がその一社に注いだ時間と、そこから実際に得ている利益を、手元の記録で突き合わせてみる。深い関係ほど、注いだ時間が見えにくくなり、「大事だから」で計算が止まりやすい。見合っていない大口は、攻略の対象ではなく、配置を見直す対象である。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、攻略シートが埋まると、攻略できた気になることである。関係者を色分けし、次の一手を書き込むと、進んだ気がする。だがシートの完成度は、その一社に割ける体制の量とは別のことだ。きれいに埋まったシートほど、割けていない体制を隠す。
標本の偏りも断っておく。ここで引いた実証の多くは、欧米の法人間取引(企業どうしの売買)を対象にしたものである。個人客相手の商い、狭い商圏、一人で回している売り手を対象にした査読研究は、ごく少ない。 平均は地図であって、あなたの一社そのものではない。この単位では、特定の営業体系やABMの道具を、優劣で名指しして薦めも貶しもしない。 由緒として名前を挙げるだけである。
助けになるのは、攻略する前に、棚卸しするという一手である。一番大事な一社について、この一年で注いだおおよその時間と、そこから得た利益を、手元の記録から書き出してみる。攻略の巧拙より先に、配置が見合っているかが、手元だけで見える。
最初の一歩は10分。自分にとって一番大事な一社を一つ選び、この一年でその一社に注いだおおよその時間(訪問・連絡・対応)を1行、そこから得たおおよその利益を1行書く。二つを見比べて、見合っていると感じるか・感じないかに、印を付けるだけである。 相手に何かを聞きに行く必要はない。見合っているなら、それも発見だ。
次の単位は 382「営業チームを強くするには?」——研修とコーチングを積めば営業は強くなる、という売り文句を、学んだことが現場に移るのか(転移)と、効果の測り方の側から見直す。
- この単位は組織営業力(桃の段)の頭。大口攻略の記入シートの代表格である1985年の Miller・Heiman・Tuleja『Strategic Selling』は、研修会社が自社の商談経験から組み上げ研修として売ってきた商品であって、シートを埋めれば大口が落ちるという査読を経た証明ではない。手法の由緒と効果の証明は別物である
- よく引かれるABM(特定の重要顧客を一社ずつ狙う営業)の投資対効果の数字は、その手法を売っているベンダーや調査会社が自分の顧客に聞いて出した自己申告であることが多い。由緒と売り文句を効果の証明と取り違えない
- Homburg・Workman・Jensen 2002 Journal of Marketing 66(2):38-60 は、うまくいくKAM(重要顧客管理)を一つの正解の型ではなく要素の組み合わせ(配置=configuration)として捉え、活動の広さ・関わる人の質・社内の位置づけがある束になったときに成果へ結びつくと示した
- Workman・Homburg・Jensen 2003 Journal of the Academy of Marketing Science 31(1):3-21 は、KAMの効きめが組織の内部要因——割ける人手と裁量、社内の後ろ盾——に強く依存すると示した。大口が落ちるかを分けるのは攻略シートの出来ではなく、その一社にどれだけの体制を割けるかという手前の条件である
- Ivens・Pardo 2007 Industrial Marketing Management 36(4):470-482 は、供給側が用意した特別な関係を顧客が特別だと感じて見返りを返すとはかぎらないと示した。手をかけた分だけ得になるという一直線は崩れることがあり、深追いが割に合わないことがある。関係の深さは利益の深さを保証しない
- Gounaris・Tzempelikos 2013 Journal of Business-to-Business Marketing 20(1):33-50 は大口重視の志向が実践に裏打ちされて初めて効くと示し、Davies・Ryals 2014 Industrial Marketing Management 43(7):1182-1194 は成果を分けるのは実際にやっている実践の束だと示した。姿勢の宣言は配置の代わりにならない
- 読者にとっての大口は大企業の専任チームがつく相手ではなく、自分にとって一番大事な一社(常連の得意先・主要取引先)である。手前に置くべき問いは、どう攻略するかではなく、その一社は注いでいる時間に見合っているか。見合っていない大口は攻略の対象ではなく配置を見直す対象である
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 一番大事な大口を落とすには、関係者を書き出した攻略プラン(アカウントプラン)を埋めればよい。名著の営業体系のシートを埋めれば、大口は落ちる | その攻略の型は、1985年に世に出た研修会社の営業体系——研修として売られてきた商品であって、シートを埋めれば落ちるという査読を経た証明ではない。査読側のKAM研究(Homburg・Workman・Jensen 2002 Journal of Marketing 66(2):38-60/Workman ら 2003 JAMS 31(1):3-21)が示したのは、うまくいくKAMは一つの型ではなく要素の配置であり、その効きめは組織の内部要因(割ける人手・裁量・社内の後ろ盾)に強く依存する、ということである。落ちるかどうかを分けるのは、シートの出来ではなく、その一社に割ける体制の量だった |
| 大口と深い関係を結べば、それだけで得になる。手をかけた分だけ関係が深まり、深まった分だけ見返りが返ってくる | 2007年に Industrial Marketing Management 誌 36(4):470-482 へ出た Ivens・Pardo は、供給側が用意した特別な関係を、顧客の側が特別だと感じて見返りを返すとはかぎらないと示した。手をかけた分だけ得になるという一直線は崩れることがある。一番大事だからという理由で時間と気遣いを注いでも、相手はそれを当然と受け取り、値引きや無理な要求として返すことさえある。関係の深さは、利益の深さを保証しない |
| 組織をあげて大口重視の姿勢を掲げれば、成果は上がる | Gounaris・Tzempelikos 2013 Journal of Business-to-Business Marketing 20(1):33-50 は、大口を重んじる志向が効くのは、それが具体的な実践や体制に裏打ちされたときであって掛け声だけでは効かないと示し、Davies・Ryals 2014 Industrial Marketing Management 43(7):1182-1194 も成果を分けるのは実際にやっている実践の束だと示した。名ばかりのKAMと実践の伴うKAMでは結果が違う。姿勢の宣言は、配置の代わりにはならない |
皮肉なのは、いちばん熱心に攻略シートを埋めた人ほど、埋まった紙を見て、その一社を攻略できたと感じることである。だが、きれいに埋まったシートが映しているのは、次の一手の整理であって、その一社に本当に割けている体制の量ではない。シートがいちばん美しく埋まるとき、たいていそれは、割けていない人手と時間を、紙の上でだけ配置し終えただけかもしれない。大口が落ちるかどうかを最後に分けるのは、シートの完成度ではなく、その一社に、あなたがどれだけの実践を実際に置けるか、である。
Q1. 大口攻略の記入シートの代表格である1985年の営業体系は、研修会社が自社の商談経験から組み上げ ____ として売ってきた商品であって、シートを埋めれば大口が落ちるという ____ を経た証明ではない。穴埋め
Q2. Homburg 2002 と Workman 2003 のKAM研究が、うまくいくKAMについて示したことは何か。「配置」と「内部要因」に触れて答えよ。一問一答
Q3. Ivens・Pardo 2007 が、供給側が用意した「特別な関係」について示したこととして、正しいものはどれか。選択
Q4. 読者にとっての「大口」とは何を指し、攻略シートを埋める前に置くべき問いは何か。一問一答
Q5. この単位が扱った出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)Ivens・Pardo が、特別な関係が自動的に見返りを生むとはかぎらないと示す(イ)Miller らが『Strategic Selling』を世に出す(ウ)Davies・Ryals が、成果を分けるのは実践の束だと示す(エ)Homburg らが、うまくいくKAMは要素の配置だと示す並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分にとって一番大事な一社——常連の得意先、売上の柱になっている主要取引先、抜けたら困ると感じる相手——を一つ選び、名前(伏せてよい・記号でよい)を書く。上に『この一年で、その一社に注いだおおよその時間』を、訪問・連絡・対応などを思い出せる範囲で1行書く(正確な数字でなくてよい・多い少ないの感覚でよい)。下に『その一社から、この一年で得たおおよその利益』を1行書く。二つを見比べて、注いだ時間に見合っていると感じるか・感じないかに、印を付ける。相手に何かを尋ねたり、条件を交渉したり、取引を見直すと伝えたりする必要はない。あくまで自分の手元の記録と記憶だけで完結させる。一人で全部を回している場合も、そのまま同じ形で書けばよい。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Miller R.B., Heiman S.E., Tuleja T. (1985) ‘Strategic Selling: The Unique Sales System Proven Successful by America’s Best Companies’, New York: William Morrow — archive.org
- Homburg C., Workman J.P. Jr., Jensen O. (2002) ‘A Configurational Perspective on Key Account Management’, Journal of Marketing 66(2):38-60 — doi.org
- Workman J.P. Jr., Homburg C., Jensen O. (2003) ‘Intraorganizational Determinants of Key Account Management Effectiveness’, Journal of the Academy of Marketing Science 31(1):3-21 — doi.org
- Ivens B.S., Pardo C. (2007) ‘Are key account relationships different? Empirical results on supplier strategies and customer reactions’, Industrial Marketing Management 36(4):470-482 — doi.org
- Gounaris S., Tzempelikos N. (2013) ‘Key Account Management Orientation and Its Implications: A Conceptual and Empirical Examination’, Journal of Business-to-Business Marketing 20(1):33-50 — doi.org
- Davies I.A., Ryals L.J. (2014) ‘The effectiveness of Key Account Management practices’, Industrial Marketing Management 43(7):1182-1194 — doi.org