大きいから想起も購買も高いのを、想起のおかげと読み違える
まず思い出してもらえる存在になれば選ばれる、だから想起率を上げよ——ブランド認知の研修はそう教える。ところが、広く観測されるダブルジョパディという法則が示すのは、想起も購買も、そのブランドがどれだけ大きいかと一緒に動いている、ということである。大きいから両方が高いのを、想起のおかげと読み違えると、順番が逆になる。
前の単位では、世界観が見分けやすさへどうつながるかを扱った。ここでは、その見分けられる存在が、実際に思い出され、選ばれることと、どうつながるのかを扱う。
この単位が扱うのは一点——「まず思い出してもらえる存在になれば選ばれる、だから想起率を上げよ」というときに、原因と結果が取り違えられていることである。まず言葉をほどく。想起には二つある。純粋想起は、何の手がかりもなしに名前を思い出せること。助成想起は、名前や品を見せられて「ああ、これ知っている」と分かること。第一想起(いちばん最初に浮かぶこと)を頂点に、この想起の量を上げれば選ばれる、というのが俗説の形である。だが、想起の量と選択の間には、思うより距離がある。
「想起されれば選ばれる」は、原因と結果を取り違えやすい
1990年に *Journal of Marketing* 54(3):82-91 へ出た Ehrenberg, Goodhardt, Barwise は、広く観測される一つのパターンを整理した。抄録はこう書く——“In any given time period, a small brand typically has far fewer buyers than a larger brand. In addition, its buyers tend to buy it less often. This pattern is an instance of a widespread phenomenon called ‘double jeopardy’ (DJ).” 小さいブランドは、買い手が少ないうえに、その少ない買い手の買う回数も少ない——二重に不利を負う、という意味でダブルジョパディと呼ばれる。ここから見えてくるのは、想起・好意・ロイヤルティといった指標が、ブランドの大きさ(市場にどれだけ広く買われているか)と一緒に動いていることである。大きいブランドは、想起も高いし購買も高い。つまり、想起は選択の相関物であって、単独で引けば選択が付いてくる梃子ではない。「想起を上げれば選ばれる」は、大きいブランドで両方が高いのを見て、順番を逆に読んでしまっている。
ただし、「想起には意味がない」とは言っていない
ここは正確にいきたい。ダブルジョパディは、想起や識別が無駄だとは言わない。見分けられ、思い出されることは、買われるための前提である。DJが言うのは、その前提を単独の梃子として引き上げれば選択が付いてくる、とはならない、ということだ。2004年に *Journal of Business Research* 57(12):1307-1325 へ出た Ehrenberg, Uncles, Goodhardt は、こうしたブランド指標が、ある基準値(ディリクレ・ベンチマーク=浸透の大きさから理論的に見込まれる値)で言い当てられることを整理した。指標の多くは、そのブランドがどれだけ広く買われているかから、あらかた読めてしまう。だから、想起だけを切り離して積み上げる、という発想そのものが、市場の構造を見落としている。
想起の科学には由緒がある。だが、由緒は効果の証明ではない
想起の話には、しっかりした学問の裏づけがある。1993年に *Journal of Marketing* 57(1):1-22 へ出た Keller は、顧客の頭の中のブランドの価値を組み立てる枠組み(顧客ベースのブランド・エクイティ)を示し、その入口に、まず思い出される・見分けられること(ブランドの目立ちやすさ)を置いた。想起が大事だという由緒は、ここにある。だがこの棚を通して流れる筋の一本目が、ここでも効く——枠組みの由緒(それらしい出どころ)と、想起を上げれば売れるという効果の証明は、別物である。Keller の枠は、想起が知識の入口だと整理したのであって、想起率を上げれば選択が比例して増える、と実証したのではない。効果は、Ehrenberg らのような実証に負わせるのが筋である。
「想起率を上げる」より、「見分けて思い出される」へ
では何をすればいいのか。2004年に *Marketing Theory* 4(4):327-342 へ出た Romaniuk と Sharp は、ブランドの目立ちやすさ(salience)を、単なる想起の強さではなく、買う場面で思い浮かぶきっかけの幅として捉え直した。いつ・どこで・どんな場面で思い出されるか——その入口の数を増やすほうが、想起の総量を一点で押し上げるより、確かめられた事実に近い。2007年の Romaniuk, Sharp, Ehrenberg(前の単位でも見た)は、戦略の中心を差別化ではなく見分けやすさに置くべきだと論じ、査読ではない一般書だが2010年の Sharp の書物も、ブランドが育つのは思い出しやすさ(メンタル・アベイラビリティ)と、買いやすさ(フィジカル・アベイラビリティ)の両輪だと整理している。処方は「想起率という一つの数字を上げる」ではなく、「思い出される場面と手がかりを、一貫して増やす」である。
時間・変化:1990年から2010年まで
順に置く。1990年、ダブルジョパディが査読誌で整理され、ブランド指標が市場の大きさと一緒に動くと示される(Ehrenberg ら)。1993年、顧客の頭の中のブランド価値の枠組みが示され、その入口に想起・目立ちやすさが置かれる(Keller・由緒)。2004年、ブランド指標が浸透の大きさから理論値で言い当てられること、目立ちやすさが想起の強さでなく場面の幅だと捉え直されることが出る(Ehrenberg, Uncles, Goodhardt/Romaniuk と Sharp)。2007年、戦略の中心を差別化から見分けやすさへ移すべきと論じられる(Romaniuk ら)。2010年、思い出しやすさと買いやすさの両輪が一般書で整理される(Sharp・査読ではない)。
二十年で確からしくなったのは、「想起されれば選ばれる」ではなく、「想起は市場の大きさと一緒に動く相関物で、単独で引いても選択は付いてこない。効くのは、思い出される場面と手がかりの幅のほうだ」という向きである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、想起率という一つの数字を、選ばれることの近道だと思い込むことである。数字は上げやすく、報告もしやすい。だが、上がった想起が選択を連れてきたのか、それとも、もともと広く買われているから想起も高いのかは、その数字の外にある。想起率が上がったのを見て安心すると、実際には市場の大きさが動いただけ、ということも起こりうる。
標本の偏りも断っておく。ここまでの証拠の多くは、多数の買い手がいて、くり返し買われる分野から採られている。数年に一度しか買われないもの、狭い常連に支えられている商いでは、ダブルジョパディの形もそのままには出ないことがある。想起調査の予算や、大きな調査パネルを前提にした話でもない。覚えてもらえないことは、力不足ではない。想起さえ上げれば選ばれる、と思い込むことのほうが、確かめられた範囲から外れている。
助けになるのは、自分のブランドを「どんな場面で思い出されたいか」を、具体的な一場面まで書いてみるという一手である。想起の総量を占うのではない。客がどんな瞬間に、何をきっかけに自分を思い浮かべてほしいのか、その入口を一つ、はっきりさせる。入口が定まると、そこに置く手がかりも自然に決まってくる。
最初の一歩は10分。自分の商いが「思い出されたい場面」を一つだけ書く(たとえば「急に贈り物が要るとき」「近所で温かいものが食べたいとき」など、時と状況を具体的に)。書けたら、その場面で自分を思い出す手がかり(置き場所・言葉・見た目・きっかけ)を一つ、脇に書き添える。想起されるかどうかは判定しない。客に思い出せるか尋ねる必要もない。思い出されたい一場面と、その入口の手がかりを、自分の手でひと組そろえて置くだけである。
次の単位は 344「連想を設計するには?」——思い出してもらえたそのとき、頭に浮かぶ結びつき(連想)を、どこまで狙って作れるのかを、ここに積み上げる。
- 1990年に Journal of Marketing 54(3):82-91 へ出た Ehrenberg, Goodhardt, Barwise のダブルジョパディ:小さいブランドは買い手が少ないうえに、その買い手の購買頻度も低い。想起・好意・ロイヤルティといった指標はブランドの大きさ(市場浸透)と一緒に動く。想起は選択の相関物であって、単独で引けば選択が付いてくる梃子ではない
- 「想起されれば選ばれる」は原因と結果を取り違えている。大きいブランドは想起も購買も高い。それを見て『想起を上げれば選ばれる』と読むのは、順番を逆にした誤りである。想起率という一つの数字が選択を連れてきたのか、もともと広く買われているから想起も高いのかは、その数字の外にある
- ダブルジョパディは『想起に意味がない』とは言わない。見分けられ思い出されることは買われるための前提である。2004年の Ehrenberg, Uncles, Goodhardt(Journal of Business Research 57(12):1307-1325)は、ブランド指標がディリクレ・ベンチマーク(浸透の大きさから見込まれる理論値)で言い当てられることを整理した。単純否定も誤り
- 1993年に Journal of Marketing 57(1):1-22 へ出た Keller の顧客ベースのブランド・エクイティは、その入口に思い出される・見分けられること(目立ちやすさ)を置いた。これは想起が大事だという由緒であって、想起を上げれば選択が比例して増えるという効果の証明ではない(通奏低音①:由緒と効果は別)
- 2004年の Romaniuk & Sharp(Marketing Theory 4(4):327-342)は、ブランドの目立ちやすさを想起の強さではなく、買う場面で思い浮かぶきっかけの幅として捉え直した。想起の総量を一点で押し上げるより、思い出される場面と手がかりの入口を増やすほうが、確かめられた事実に近い
- 2007年の Romaniuk, Sharp, Ehrenberg は戦略の中心を見分けやすさに置くべきだと論じ、査読ではない一般書だが2010年の Sharp の書物は、ブランドが育つのは思い出しやすさ(メンタル・アベイラビリティ)と買いやすさ(フィジカル・アベイラビリティ)の両輪だと整理した。処方は想起率を上げるより、思い出される場面と手がかりを一貫して増やすこと
- 二十年で確からしくなったのは『想起されれば選ばれる』ではなく、『想起は市場の大きさと一緒に動く相関物で、単独で引いても選択は付いてこない。効くのは思い出される場面と手がかりの幅のほうだ』という向きである
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| まず思い出してもらえる存在(第一想起)になれば選ばれる。だから想起率を上げればよい | Ehrenberg, Goodhardt, Barwise 1990 のダブルジョパディが示すとおり、想起・好意・ロイヤルティはブランドの大きさ(市場浸透)と一緒に動く。大きいブランドは想起も購買も高く、それを見て『想起を上げれば選ばれる』と読むのは順番を逆にした取り違えである。想起は選択の相関物で、単独で引けば選択が付いてくる梃子ではない |
| では想起には意味がない。覚えてもらっても選択には効かないのだ | ダブルジョパディは想起に意味がないとは言わない。見分けられ思い出されることは、買われるための前提である。Romaniuk & Sharp 2004 や Sharp 2010 が整理するとおり、値打ちは想起の総量ではなく、思い出される場面と手がかりの幅(見分けやすさ・アベイラビリティ)にある。想起で選ばれる、も、想起は無駄、も、どちらも行き過ぎである |
| 認知の科学が『想起で選ばれる』を証明している | Keller 1993 の顧客ベースのブランド・エクイティは、想起・目立ちやすさを知識の入口として整理した由緒であって、想起率を上げれば選択が比例して増えるという効果を実証したのではない。枠組みの由緒と効果の証明は別物で、効果は Ehrenberg らのような実証で見るのが筋である |
皮肉なのは、想起率がいちばん頼もしく見えるのは、たいてい、そのブランドがすでに広く買われているときだということである。大きくなれば、放っておいても想起は上がる。すると、想起を上げたから大きくなったのか、大きくなったから想起が上がったのか、見分けがつかなくなる。想起率という数字は、上がるとうれしい。だが、うれしさの正体が、努力のごほうびなのか、それとも、もう買われているという事実の影なのかは、その数字の外側にしか書いていない。
Q1. ダブルジョパディ(Ehrenberg ら 1990)とは何か。小さいブランドの二重の不利という点を含めて説明せよ。一問一答
Q2. 本文によれば、Keller 1993 の顧客ベースのブランド・エクイティを、この単位はどう位置づけているか。選択
Q3. Romaniuk と Sharp 2004 は、ブランドの目立ちやすさを、想起の【 ① 】ではなく、買う場面で思い浮かぶ【 ② 】として捉え直した。処方は想起率という一つの数字を上げるより、思い出される場面と【 ③ 】を一貫して増やすことである。穴埋め
Q4. 本文『時間・変化:1990年から2010年まで』で並べた出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)頭の中のブランド価値の枠組みが示され入口に想起が置かれる(イ)ダブルジョパディが整理され指標は大きさと一緒に動くと示される(ウ)思い出しやすさと買いやすさの両輪が一般書で整理される並べ替え
Q5. 「ダブルジョパディは想起に意味がないと言っている」という読みは、なぜ誤りか。本文に沿って書け。一問一答
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の商いが『思い出されたい場面』を一つだけ書く。時と状況を具体的にする(たとえば『急に贈り物が要るとき』『近所で温かいものが食べたくなったとき』『子どもの入学祝いを探すとき』など)。書けたら、その場面で自分を思い出してもらう手がかりを一つ、脇に書き添える(置き場所・言葉・見た目・きっかけなど)。想起されるかどうかは判定しない。客に『思い出せますか』と尋ねたり、想起を試したりしない。あくまで自分の手元で、思い出されたい一場面と、その入口の手がかりを、ひと組そろえて置くだけである。いま一人で全部を回している場合も、自分の商いの一場面をそのまま使う。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- Ehrenberg A.S.C., Goodhardt G.J., Barwise T.P. (1990) 'Double Jeopardy Revisited', Journal of Marketing 54(3):82-91 — doi.org
- Ehrenberg A.S.C., Uncles M.D., Goodhardt G.J. (2004) 'Understanding brand performance measures: using Dirichlet benchmarks', Journal of Business Research 57(12):1307-1325, doi:10.1016/j.jbusres.2002.11.001 — doi.org
- Keller K.L. (1993) 'Conceptualizing, Measuring, and Managing Customer-Based Brand Equity', Journal of Marketing 57(1):1-22, doi:10.1177/002224299305700101 — doi.org
- Romaniuk J., Sharp B. (2004) 'Conceptualizing and measuring brand salience', Marketing Theory 4(4):327-342, doi:10.1177/1470593104047643 — doi.org
- Romaniuk J., Sharp B., Ehrenberg A. (2007) 'Evidence concerning the Importance of Perceived Brand Differentiation', Australasian Marketing Journal 15(2):42-54 — doi.org
- Sharp B. (2010) How Brands Grow: What Marketers Don’t Know, Oxford University Press(一般書・査読誌ではない) — search.worldcat.org