気持ちが動くことと、財布が動くことは、同じではない
人は物語に動かされる、だからブランドに物語を紡げば売れる——ストーリーテリングの教本はそう説く。ところが、物語没入の効果をいちばん大きく集めた研究がそろって示すのは、動くのはまず気持ちと信じ方のほうで、そこから財布までの道のりは、いくつもの途中を挟む間接的なものだ、ということである。
前の単位では、見た目に一貫性を持たせる話を扱った。ここでは、ブランドに物語を紡ぐことを扱う。ここからは、核を定める話から、物語と認知——ブランドが客の記憶の中にどう築かれるのかの話に積み上がる。
この単位が扱うのは一点——「物語(創業のいきさつ、込めた思い、世界のとらえ方を筋にして語ること)を紡げば、心を掴んで売れる」というときの「売れる」が、たいてい、確かめられている効果の範囲を飛び越えて流通していることである。まず言葉をほどく。ナラティブ・トランスポーテーション(物語への没入)とは、語りに引き込まれて、その世界の中に入り込んだような心の状態を指す。物語がうまいと、人はこの状態になりやすい。問題は、その没入が、そのまま「買う」という行いに直結するのか、である。ここは記憶に築く長期の資産の話であって、その場で売り切る短期の仕掛けは、別の棚が扱う。ひとつ、この棚ぜんたいの前提も思い出しておく。ブランドは、こちらが決めたとおりに相手の頭へ入るのではなく、客の記憶の中に、客の側で像を結ぶ。物語も同じで、語り手が込めた筋が、そっくりそのまま聞き手に移るとは限らない。
物語が動かすのは、まず気持ちと信じ方である
物語の効果は、作り話ではない。2014年に *Journal of Consumer Research* 40(5):797-817 へ出た van Laer, de Ruyter, Visconti, Wetzels の研究は、物語没入をめぐる132の効果量を、公刊・未公刊あわせて76本の論文から集めて量的に整理した(メタ分析=多くの研究の数値を統合し直す手法)。そこで見えたのは、物語没入が主に動かすのは態度・信念・共感——つまり気持ちや信じ方のほうだ、ということである。没入した聞き手は、語りに引き込まれるぶん、その場では反論を思いつきにくくなり、登場する人やものへの共感が生まれやすくなる。これは確かに、態度や信念が動く一つの道すじである。心が動くこと自体は確かにある。だが「気持ちが動く」と「財布が動く」は、同じではない。購買という成果までの道のりは、間接的で、いくつもの途中を挟む。「物語が売る」は、この気持ちの動きを、そのまま売上の保証にすり替えている。
効果は在る。ただし、条件しだいで大きさが変わる
もう一つ大事なのは、効果の大きさが一定ではないことだ。同じ著者らが2019年に *Journal of Business Research* 96:135-146 で行ったメタ分析は、デジタルの場での物語没入の効果が、読み手・物語・場の条件(モデレータ=効果を強めたり弱めたりする要因)によって動くことを整理した。2016年に *Communication Monographs* 83(4):446-467 へ出た Braddock と Dillard のメタ分析も、物語が信念・態度・意図・行動に及ぼす説得の効果を統合し、効果は確かにあるが、一律に大きいわけではないことを示した。どんな条件かは一つには絞れない——聞き手がその話題にどれだけなじんでいるか、筋が実話に根ざしているか、どの媒体で触れるか、といった要因がいくつも重なって、効きめを決める。つまり、物語を語りさえすれば同じだけ効く、ではない。誰に、どんな筋で、どこで語るかで、効きめは伸びも縮みもする。「物語には力がある」と「あなたの物語がいま効く」は、別の主張である。 前者は多くの研究を平均した一般論で、後者はあなたの商い一つについての予言だ。一般論が成り立つことは、あなたの場合に当てはまることを保証しない。平均は地図であって、あなたの現在地ではない。
「脳が物語に反応するから売れる」は、由緒であって証明ではない
物語の話には、しばしば脳の絵が添えられる——脳は物語に反応する、だから物語は売れる、と。ここで一本目の筋が顔を出す。道具や現象の由緒(それらしい出どころ)と、効果(実際に売れること)の証明は、別物である。 2007年に *International Journal of Psychophysiology* 63(2):199-204 へ出た Lee, Broderick, Chamberlain は、脳計測を売り物にするこの分野が、まだ用語も研究課題も定まっていない段階にあることを、査読誌の上で論じた。2015年に *Journal of Marketing Research* 52(4):427-435 へ出た Plassmann, Venkatraman, Huettel, Yoon も、この分野の応用には方法上の難しさと未解決の課題があることを、正面から並べている。脳のどこかが活発になることと、その人が買うことの間には、まだ埋まっていない距離がある。像そのものは本物でも、それを「だから買う」へつなぐ橋は、まだ研究の途中にある。活発になったから売れる、は、証明ではなく飛躍である。
物語の教本は、うまくいった物語から書かれている
物語のつくり方を説く実務書は、書店に山ほどある。2010年に Springer から出た Fog らの書物『Storytelling: Branding in Practice』(査読誌ではなく実務向けの本)もその一つで、うまく語られたブランドの物語を集めて型にしている。だがここに、この棚を通して流れる筋がある——それらの型は、たいてい、すでに強くなったブランドの物語を、後から整理して取り出したものだ。 後から見つけた型を埋めれば同じように強くなる、という因果は、型の由来からは出てこない。うまくいった物語だけが本に載る。うまくいかなかった無数の物語は、そもそも語り継がれず、本にも載らない。同じことは、身近な成功談にも起きる。うまくいった店の物語は語り草になり、真似される。だが、ほとんど同じ語り口で始めて続かなかった店は、そもそも思い出されず、比べる相手にもならない。見えているのは残った物語だけで、同じように語って埋もれた人は、数にも入っていない。
時間・変化:2007年から2019年まで
順に置く。2007年、脳計測を売り物にする分野が、まだ用語も課題も定まっていないと査読誌で論じられる(Lee ら)。2014年、物語没入をめぐる132の効果量が76本から統合され、帰結は主に態度・信念・共感だと示される(van Laer ら)。2015年、その分野の応用に方法上の難しさと未解決の課題があると並べられる(Plassmann ら)。2016年、物語の説得効果は在るが一律に大きくないと統合される(Braddock と Dillard)。2019年、効果は読み手・物語・場の条件で動くと整理される(van Laer ら)。
十数年で確からしくなったのは、「物語は売る」ではなく、「物語は気持ちと信じ方に効きうるが、その効きめは条件しだいで、売上までの道のりは間接的だ」という向きのほうである。
妨げるもの、助けるもの、最初の一歩
妨げるものの筆頭は、心が動いた手ごたえを、そのまま売れた証拠と数えてしまうことである。良い物語は、聞き手の目をうるませる。その手ごたえは本物だ。だが、うるんだ目が財布を開いたかどうかは、別に確かめないと分からない。しかも、心が動いた手ごたえは、語り手自身がいちばん受け取りやすい。自分の物語を語って相手がうなずけば、伝わった、効いた、と感じる。その実感は本物だが、売れたかどうかとは別の回路で立ち上がっている。
標本の偏りも断っておく。ここまでの証拠の多くは、広告や実験室で物語に触れた人から採られている。屋号一つで商う人、小さな教室や事務所を営む人が、日々のやりとりの中で語る物語が、同じだけ効くとは限らない。専門の書き手や制作費を前提にした話でもない。物語を語れないことは、力不足ではない。 語りさえすれば売れる、と思い込むことのほうが、確かめられた範囲から外れている。
助けになるのは、自分の商いの物語を、それがどんな気持ちや信じ方に触れてほしいのかまで、いったん言葉にしてみるという一手である。売上に効くかを占うのではない。自分が何を伝えたくて、それが聞き手のどの感情に届くはずなのかを、自分の言葉で置いてみる。届く先の感情がはっきりすると、盛るべき筋と、盛らなくてよい筋の区別も、自分の中でつきやすくなる。
最初の一歩は10分。自分の商い(屋号・店・教室・仕事)が始まったいきさつを、ひと段落だけ書く。書けたら、その物語が触れてほしい気持ちを一つ(安心、誇り、なつかしさ、期待——何でもよい)選んで、脇に書き添える。売れるかどうかは判定しない。誰かに見せて反応をうかがう必要もない。自分の物語と、それが届くはずの感情を、自分の手で一度そろえて置くだけである。
次の単位は 342「世界観で魅せるには?」——物語の次に、その物語がまとう空気感、いわゆる世界観が、どこまで差別化の力になるのかを、ここに積み上げる。
- 2014年に Journal of Consumer Research 40(5):797-817 へ出た van Laer, de Ruyter, Visconti, Wetzels のメタ分析は、物語没入(ナラティブ・トランスポーテーション)をめぐる132の効果量を公刊・未公刊あわせて76本の論文から統合した。物語没入が主に動かすのは態度・信念・共感(気持ちと信じ方)であり、購買という成果までの道のりは間接的で、いくつもの途中を挟む
- 2019年の van Laer, Feiereisen, Visconti(Journal of Business Research 96:135-146)は、デジタルの場での物語没入の効果が読み手・物語・場の条件(モデレータ)によって動くことを整理した。物語を語りさえすれば同じだけ効く、ではなく、誰に・どんな筋で・どこで語るかで効きめは伸び縮みする
- 2016年の Braddock & Dillard(Communication Monographs 83(4):446-467)は、物語が信念・態度・意図・行動に及ぼす説得効果を統合し、効果は確かにあるが一律に大きいわけではないことを示した。『物語には力がある』と『あなたの物語がいま効く』は別の主張である
- 2007年の Lee, Broderick, Chamberlain(International Journal of Psychophysiology 63(2):199-204)は、脳計測を売り物にする分野がまだ用語も研究課題も定まっていない段階にあることを査読誌で論じた。道具の由緒(それらしい出どころ)と効果の証明は別物である
- 2015年の Plassmann, Venkatraman, Huettel, Yoon(Journal of Marketing Research 52(4):427-435)は、この分野の応用に方法上の難しさと未解決の課題があることを並べた。脳のどこかが活発になることと、その人が買うことの間には、まだ埋まっていない距離がある
- 物語のつくり方を説く実務書(例:Fog ら 2010『Storytelling: Branding in Practice』・査読誌ではない)の型は、たいていすでに強くなったブランドの物語を後から整理したものである。うまくいった物語だけが本に載り、埋もれた無数の物語は数にも入らない(残った物語だけを見る偏り)
- 十数年で確からしくなったのは『物語は売る』ではなく、『物語は気持ちと信じ方に効きうるが、その効きめは条件しだいで、売上までの道のりは間接的だ』という向きである。心が動いた手ごたえを、そのまま売れた証拠と数えないことが芯になる
| よくある誤解 | 実際のところ |
|---|---|
| 人は物語に動かされるのだから、ブランドに物語(創業秘話・世界観のストーリー)を紡げば、心を掴んでそのまま売れる | van Laer ら 2014 が132の効果量を76本から統合したとおり、物語没入が主に動かすのは態度・信念・共感で、購買までの道のりは間接的である。しかも効果は読み手・物語・場の条件で伸び縮みし(van Laer ら 2019、Braddock & Dillard 2016)、一律に大きいわけではない。『物語が売る』は、気持ちが動くことの実在を、売上の保証にすり替えている |
| 脳は物語に反応するのだから、物語で売れることは科学で証明済みだ | Lee ら 2007 は、脳計測を売り物にする分野がまだ用語も課題も定まっていないと査読誌で論じ、Plassmann ら 2015 も応用に方法上の難しさと未解決の課題があることを並べた。脳のどこかが活発になることと、その人が買うことの間には、まだ埋まっていない距離がある。活発になったから売れる、は証明ではなく飛躍である |
| うまくいったブランドの物語の型をなぞれば、自分の物語も同じように強くなる | 実務書に載る型は、たいていすでに強くなったブランドの物語を後から整理したものだ。うまくいった物語だけが本に載り、同じように語って埋もれた無数の物語は数にも入っていない。後から見つけた型を埋めれば強くなる、という因果は、型の由来からは出てこない |
皮肉なのは、いちばん胸を打つ物語ほど、売れた証拠に見えてしまうことである。語りに引き込まれた聞き手は、うなずき、目をうるませ、いい話だと言ってくれる。その手ごたえは本物だ。だから語り手は、心が動いたことを、売れたことと同じ帳簿に付けてしまう。だが、うるんだ目は財布ではない。物語がいちばん力を持って見えるのは、たいてい、その物語のあとで実際に何人が買ったかを、誰も別に数えていないときである。
Q1. van Laer ら 2014 のメタ分析によれば、物語没入が主に動かすのはどれか。選択
Q2. van Laer ら 2014 は、物語没入をめぐる【 ① 】の効果量を、公刊・未公刊あわせて【 ② 】本の論文から統合した。動くのは主に態度・信念・共感で、購買までの道のりは【 ③ 】である。穴埋め
Q3. 「脳は物語に反応するから売れる」が、なぜ証明ではなく飛躍だといえるのか。Lee ら 2007 と Plassmann ら 2015 に触れて1〜2文で書け。一問一答
Q4. 物語の実務書に載る型をなぞっても、同じように強くなるとは限らない。その理由を、残った物語だけを見る偏りに触れて説明せよ。一問一答
Q5. 本文『時間・変化:2007年から2019年まで』で並べた出来事を、年の早い順に並べよ。(ア)物語没入の132効果量が76本から統合され帰結が気持ち・信じ方と示される(イ)脳計測の分野がまだ用語も課題も定まっていないと査読誌で論じられる(ウ)効果は読み手・物語・場の条件で動くと整理される並べ替え
紙かメモアプリに今日の日付を書く。次に、自分の商い(屋号・店・教室・仕事)が始まったいきさつを、ひと段落だけ書く。かっこよく書こうとしなくてよい。書けたら、その物語が聞き手のどんな気持ちに触れてほしいのかを一つだけ選び(安心・誇り・なつかしさ・期待など、何でもよい)、物語の脇に書き添える。売れるかどうかは判定しない。誰かに見せて反応をうかがったり、感想を聞き取ったりしない。あくまで自分の手元で、自分の物語と、それが届くはずの一つの気持ちを、そろえて置くだけである。いま一人で全部を回している場合も、自分の商いの物語をそのまま使う。
——とはいえ、その“正しい用法・用量”は、まだ誰も知らない。ここまでの研究に、あなたのデータは1件も入っていないからだ。平均は地図にすぎない。自分の“いい具合”は、試して探すしかない。
あなたの実験(N=1)を始める → プロジェクトに追加(記録機能は準備中)
- van Laer T., de Ruyter K., Visconti L.M., Wetzels M. (2014) 'The Extended Transportation-Imagery Model: A Meta-Analysis of the Antecedents and Consequences of Consumers Narrative Transportation', Journal of Consumer Research 40(5):797-817 — doi.org
- van Laer T., Feiereisen S., Visconti L.M. (2019) 'Storytelling in the digital era: A meta-analysis of relevant moderators of the narrative transportation effect', Journal of Business Research 96:135-146, doi:10.1016/j.jbusres.2018.10.053 — doi.org
- Braddock K., Dillard J.P. (2016) 'Meta-analytic evidence for the persuasive effect of narratives on beliefs, attitudes, intentions, and behaviors', Communication Monographs 83(4):446-467, doi:10.1080/03637751.2015.1128555 — doi.org
- Lee N., Broderick A.J., Chamberlain L. (2007) 'What is neuromarketing? A discussion and agenda for future research', International Journal of Psychophysiology 63(2):199-204, doi:10.1016/j.ijpsycho.2006.03.007 — doi.org
- Plassmann H., Venkatraman V., Huettel S., Yoon C. (2015) 'Consumer Neuroscience: Applications, Challenges, and Possible Solutions', Journal of Marketing Research 52(4):427-435, doi:10.1509/jmr.14.0048 — doi.org
- Fog K., Budtz C., Munch P., Blanchette S. (2010) Storytelling: Branding in Practice, 2nd ed., Springer(実務書・査読誌ではない) — doi.org